アップリンク吉祥寺で、日本イラン合作映画『ホテルニュームーン』の上映後、イラン女性二人のトークが行われました。
2020年9月26日(土)16:50からの上映後
登壇者:
ナヒード・ニクザッド(写真右:NHK Radio Japan ペルシャ語部門 アナウンサー・翻訳者)
ショーレ・ゴルパリアン(写真左:本作プロデューサー)
ショーレさんは、日本在住40年近く、ナヒードさんも20年以上。お二人のトークは、もちろん日本語で!
◆イランを映画や文化を通じて紹介してきた
ショーレ:ナヒードさんをNHKペルシャ語放送のアナウンサーと紹介しましたが、それだけにおさまらない活動をされています。
ナヒード:日本に入ってくるイランのニュースが悪いものばかりなので、政治は別にして、イランの日常生活や文化を紹介したり、イラン料理の先生などをしてきました。歌手としても活動しています。
ショーレ:1991~92年ごろ、イラン・イラク戦争が終わって、たくさんのイラン人が労働者として日本に来た時に悪い話ばかり流れて、とても悲しかったです。何かできることはないかと、映画を通じてイランを知って貰おうと、キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」などを紹介してきました。
ナヒード:映像の力は大きいですよね。
◆イランの女性は強い!
ショーレ:革命後は現実に基づいた映画が作られていますので、イランの姿を知って貰えると思いました。ナヒードさんは、この映画、イラン人としてどのように感じましたか?
ナヒード:女性3世代が描かれていて、女性中心の映画で面白いと思いました。
私も18歳と16歳の娘がいて、ヌシンさんとオーバーラップしました。私も厳しい母親かも。10時過ぎて帰ってこないと心配して電話したりします。
ショーレ:イランの若い女性と日本の若い女性の違いは?
ナヒード:映画のモナを見ていると似ていると思いました。私の世代だと違ったと思います。中学1年生の時に革命があって、そのあと8年間、大学まで戦争でした。色がない暗い時代でした。モラルポリスがいて、男性に挨拶しても注意されそうでした。大学も男性と女性と入り口が違ってすごく厳しかったです。この映画のモナは、カフェに行ったりボーイフレンドがいたり、今の日本の若者とあまり変わらないと思います。インターネットのおかげかもしれませんが、グローバル的に全部似てきたと思います。
ショーレ:日本人から見ると、イランの女性はスカーフを被って頭を隠さなければいけないとか、制約を受けているように見えるかもしれませんが、イランの女性は実はとても強いです。厳しい中でも仕事もしているし、家族を守っています。でも、未婚で妊娠してしまって、出来ちゃった結婚というのは、イランではありえません。ヌシンはフィアンセが子供ができたと聞いて逃げてしまって、彼女は一人で日本に来たというガッツのある女性です。
革命があって、女性にとってプレッシャーがバネになりました。ちょっとだけ手を放すとすごく飛びます。今のイランの女性は、革命前よりもっともっと強くなったと思います。
ナヒード:女性の権利が法律的に男性より低いけれど、なんとかしなければと頑張っています。弁護士たちも活動しています。ノーベル平和賞を受けたシーリーン・エバディさんもいます。法律がおかしいと思ったら闘います。
日本は一応男女平等と言ってるけど、日本に来ていろいろ驚きました。女性が差別されていることがありますよね。女性がお茶を出さなければいけないとか。
ショーレ:日本に来て、英語と日本語ができたので、社長秘書として雇ってもらったのですが、「おい、お茶」と言われてびっくりしました。イランではありえないです。ごみを片付けなければならなかったりしました。何度泣いたことかわかりません。
(注:私が初めてイランを旅した1978年、勤務していた会社のテヘラン事務所を訪れたら、お茶を男性が出してくれました。専任のtea boyがいるのです。私も日本の会社でお茶出しが仕事の一つだったので、うらやましく思ったものです。)
◆母親を大事にするイラン社会
ショーレ:イランでは母親がすごく大事にされています。男性がマザコンじゃなくて、当然のこととして母親を大事にしています。
ナヒード:社会でも母親は大事にされていますね。
ショーレ:よく日本の皆さんに言われたのですが、なぜヌシンが日本に来たのか? なぜ赤ちゃんを連れて逃げたのか? など疑問があるようです。母親としての気持ちが強かったのですね。中絶は表向き認められてないけど、どこかでしようと思えばできます。でも、普通は妊娠したら大事にして、産みます。ヌシンは赤ちゃんを連れてイランに戻って、一生懸命働いて育てます。離婚して、子育てする人もいるけれど、最初から父親がいなくて育てるのは大変です。ほんとに強い母親です。
私のお母さんもとても厳しかったです。脚本を書いたナグメさんはとても有名な方ですが、日本に来た時には私の家にも泊まりましたので、よく話しました。
現実的なものを書いてほしいと、91~92年頃のイラン人が大勢来たときの話もしました。優しい社長もいれば、悪い社長もいたことも話しました。女性も少ないけれど働きに来ていたことも話しました。私のお母さんが厳しかったことも話しました。8時を1分過ぎるとすごく怒られました。
ナヒード:日本は安全だけど、11時過ぎて帰ってこないと心配で何回も電話したりして娘に怒られることもあります。
◆イランと日本、実は似ているところも多い
ショーレ:日本とイランは離れているように見えるけれど、長く日本にいると似たところがあると感じます。家族の絆や、思いやりや気兼ねするところも似ています。日本の方で、アジアのあちこち歩いて、一番日本に近いのがイランという方もいます。
合作映画を作るときには、すごく苦労があるのですが、イラン映画を日本の方が観て、ノスタルジーを感じたといわれます。
ナヒード:イランの歌をよく歌うのですが、日本の方から日本の歌謡曲や演歌に似ているといわれます。こぶしがイランの歌にもあります。
ペルシャ語も教えているのですが、英語にない言葉、例えば「お疲れ様」というのも同じです。会社で会うと、お互いに「ハステナバーシー(お疲れ様)」と言い合います。日本と同じです。NHKで英語からペルシャ語に翻訳するのですが、英語がわからないときに日本語の原文を見るとわかることがあります。
ショーレ:映画の字幕を付けるときに、英語を見ないでペルシャ語から直接訳したほうが日本語のニュアンスに近いと感じます。
ナヒード:文化的にも近くて、タアーロフ(お世辞)の文化や、微笑みも日本と似ています。
ショーレ:イラン人はおとなしい面もあります。私たちはおとなしく見えないと思いますが、声をあげないとか、社会的に似ていると思います。
◆『ホテルニュームーン』でテヘランの旅を!
ショーレ:この映画は、テヘランの町のいろいろなところで撮影しましたので、観ていただければ旅をしている気分になっていただけると思います。
永瀬正敏さんが演じた田中社長が泊まったのは、山の手の高級なホテル。テヘランには大きな山があって、山に近づいていくと空気も綺麗で、お金持ちの家や別荘があったりします。ヌシンがお金がないときに泊まったホテルは下町にあります。
ホテルニュームーンの撮影に使わせてもらったのは、テヘランの南の下町のホテル。ほんとにあのホテルのレセプションの人がそのまま演じてくれて、とても上手でした。イランではお願いすると、街角の人もちゃんと演じてくれます。
ナヒード:日本人の監督とイランに行って撮影されたときに困ったことはありますか?
ショーレ:話を始めたら長くなりますが、この映画は監督と撮影監督が日本人。永瀬正敏さんは10日くらい滞在しました。そして私も日本側とすると3人は、ほとんどすべて諦めました。でも、イランのスタッフと溶け込んですごくうまくやっていました。イラン人はとても優しいし、招き上手で、監督や撮影監督をハグしたりしていました。間に入って大変なこともありましたけれど、もう時間がありませんので、ここで終わります。
皆さん、イラン映画を応援していただいて、ありがとうございます。
『ホテルニュームーン』公式サイト
ショーレ・ゴルパリアンさんインタビュー(by景山咲子):
★10月3日(土)12:05からの上映後には、諏訪敦彦監督と筒井武文監督(『ホテルニュームーン』)のトークが行われます。
まだ映画をご覧になっていない方、ぜひこの機会に♪
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