『タイトル、拒絶』山田佳奈監督インタビュー

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〔プロフィール〕
1985 年生まれ、神奈川県出身。
元レコード会社社員・舞台演出家・脚本家・俳優など、さまざまな肩書を持ちつつ、16 年に短編映画『夜、逃げる』で初監督デビュー。舞台演出で培われた演出方法は抜群で、人間が生きるために発するエネルギーを余すことなく魅力的に描くスタイルに定評がある。
外部作品への書き下ろしも積極的に行っており、主な脚本作に、Netflix「全裸監督」 (19)、朝日放送
ドラマ「神ちゅーんず」(19)、TOKYO MX「劇団スフィア」(脚本監督回『渇望~三十路の祭りに~』)な
どがある。短編映画『今夜新宿で、彼女は』(18)、『カラオケの夜』(18)に続き、本作が長編初監督作品となる。また10月23日には初小説『されど家族、あらがえど家族、だから家族は』(双葉社)が出版された。

〔ストーリー〕
雑居ビルにあるデリヘルの事務所。バブルを彷彿させるような内装が痛々しく残っている部屋で、華美な化粧と香水のにおいをさせながら喋くっているオンナたち。カノウ(伊藤沙莉)はこの店でデリヘル嬢たちの世話係をしていた。オンナたちは冷蔵庫に飲み物がないとか、あの客は体臭がキツイとか、さまざまな文句を言い始め、その対応に右往左往するカノウ。店で一番人気の嬢・マヒル(恒松祐里)が仕事を終えて店へ戻ってくる。マヒルがいると部屋の空気が一変する。何があっても楽しそうに笑う彼女を見ながら、カノウは小学生の頃にクラス会でやった『カチカチ山』を思い出す。「みんながやりたくて取り合いになるウサギの役。マヒルちゃんはウサギの役だ。みんな賢くて可愛らしいウサギにばかり夢中になる。性悪で嫌われ者のタヌキの役になんて目もくれないのに…。」

2019年製作/日本/98分/R15+
配給:アークエンタテインメント
(C)DirectorsBox
http://lifeuntitled.info/
★2020年11月13日(金)よりシネマカリテ、シネクイント他全国順次公開


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―俳優さんたちがみんな良かったです。舞台から映画になりましたが、あの個性的なキャラたちは舞台でも一緒なんですか?

キャラクターは一緒です。映画祭をきっかけに知り合った内田英二監督にプロデュースをしてもらっているんですけど、「一番やりたいことは何なの?」と聞かれました。「自分が大事に持っている作品があって、それをどうしても映画化したい」と話しまして、その流れでこの映画がスタートしました。
「この作品はインディーズだから、大作映画ではできないこと、長編監督デビュー作であるからこそ、できるだけ実験的なもの、トライしたいことをやったほうがいい。元々舞台だったことをうまく使うのがいいんじゃないか。脚本はなるべくいまのままが良い」。けれどもこういう工場的な、電話で注文を受けて女性が配送されていくような日本のセックス産業というものが海外にはないんだそうです。ですから、「海外も視野に入れてそこだけ加えたらいいんじゃないか」と言われました。
なので、基本的に登場人物や、物語の構成というのは舞台と何ら変わりありません。ただまあ、自分自身が監督としてどういう風にやっていきたいか。職業作家なのか、作家なのか? 国内にとどまらず海外も視野に入れるべきだし、トライする意義もあるということを教えてもらいました。

―舞台は観客が正面から見ますが、映画はいろんな方向から観客に見せることができますし、インサートとかいろんな工夫もできますね。その設計はどんな風にされましたか?

映画と舞台の違いは、俳優のディレクションにおいてはそんなに変わらないと思っているんです。舞台も映画も「生きている人間を、生きている人間が描いていく」、そして演出家は俳優に託していく作業なんですよね。やっぱり観客の目に触れるのは俳優ですから、俳優を信じて託すしかないわけです。ディレクションしていく上でのコミュニケーションの取り方も違わないんです。
ただ、映画では物理的に製作スタッフとコミュニケーションをとる時間が圧倒的に長いです。舞台ではおっしゃるとおり、一面。映画でいうと引きのマスターショットで物語を見せていく。映画だと寄ったり引いたり、自分の見たい視点で撮ることができます。
舞台ではたとえば静かなシーンで誰も動かないところで一人だけ動けば目が行きますね。それに近い作業だと思いました。観客の視線をどう誘導するかが舞台。映画は自分の見せたいカットを構成していく。そういう意味では、慣れてきてしまえばそう変わりはないかな。
私は監督としてまだまだ勉強不足ではあるんですけど、大事にしているものが同じだったら大差ないなぁ。一番違うのは「想像力の使わせ方」だろうと思いました。
舞台だとしたら、突然過去のことを回想する、みたいなシーンを、多分照明、音楽や俳優の動かし方によって展開させると思うんですけど、映画なら物理的にそういうシーンに行けます。それをどういう見せ方をする?という…想像力の視点というか、角度が違うんだなというのはすごく思いますね、今。だからより面白いですね。

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―映画と舞台、両方の視点があるのはいいですね。その分豊かになる気がします。

そうですね。演劇と映画と両方やっているからこそ、面白いなと思うことが増えている気がします
あと、やっぱり私は圧倒的に俳優と関わってきた時間が長いんですよね、舞台をずっとやってきたものだから。映画監督なんて思いもしなかったときから「映画をやったほうが向いてるよ」ってさんざん言われてきたんです。たぶん作品自体がリアリズムを追求しすぎちゃうから。演劇では、例えば300人400人規模の劇場で公演をするときって、音の伝わり方とか、観客に対する音の拡がり方がステージより若干遅いんです。コンマ何秒か。それを計算してやったほうがいいか、ちょっと「置きにいく」ってことをしなくちゃいけない。でも「置きにいき過ぎる」と演劇的になりすぎちゃうんですよ。
それを、わたしは舞台演出をする上で「置きにいかない」方を選択していたんですよね。映画は置く、とか関係ないから。
お客さんに伝わるのは、カメラが距離を作ってくれる。近く、遠くと。だから、演劇と違って俳優がお客さんのほうに近寄ったり、遠ざかったりしなくていいんです。声や熱量も。
わりと自然に映画に移行できた気がします。

―監督の目になるカメラマンがすごく重要ですけれども、監督とのすり合わせは?

今回は内田英二プロデュースなので、伊藤麻樹さんという女性カメラマンを紹介していただきました。彼女はすごく優秀で、内田さんご自身も『ミッドナイトスワン』でご一緒されているんです。「芝居を観れるカメラマンだ」と推薦してくださったんです。内田さんがどういうかわかりませんが、内田さんの中で少なからずこの『タイトル、拒絶』にシンパシーを感じて、可能性や興奮を覚えて「やろう」と言ってくださっていたと思うので、感受性が遠くはないと思うんです。だから麻樹さんをお薦めされた時になんの違和感もなく、そういう人なら一緒にやってみたい。百戦錬磨の中で培ってきたしかも女性とやれるなんて、ハッピーなことでした。
現場の蓋を開けてみたら彼女がすごく芝居を観てくれるんですよ。今までの私はけっこう臆病者で、現場で迷ってしまったらやだなぁというのもあって、わりとちゃんと毎回絵コンテを描いていたんです。でも長編になったら絵コンテはやめて、カメラマンに委ねてみたい、現場で判断したいと。その代わりに段取りを多くやらせてもらいました。いつも行く場所の設定だとしても、初めて行く場所にはなかなか馴染めない、どんなに上手な俳優でも。俳優が台詞や身体の使い方を馴染ませる時間を段取りで丁寧にとっていく、ということを今回しました。
そういうときに麻樹さんもずっと芝居のことを考えていてくれているんです。それでやっぱりベストな選択が多かった。私も初監督なので、「ちょっと麻樹さんこのカットも撮っといてください」みたいに、余計なカットを足したりしていたんですよ。でも編集のときには、使わなくて十分でした。ですから芝居を作っていくには適格なスタッフに恵まれました。

―それはラッキーでしたね、とても。キャストとスタッフ特にカメラが良ければ「鬼に金棒」ですね。あとはなんでしょう?

後は俳優からいかに引き出すかということでしょうね。

―引き出すのは監督の仕事ですね。

そうだと思います。だから現場がいいかどうかというのは、スタッフワーク、スタッフの尽力というのはすごく大きいと思いますが、最終的に選択をするのは監督。作品の良し悪しは監督の責任が大きいと思います。

―船頭さんですものね、決断の連続で。迷わずにぱっと決める、選べる方ですか?

私選べるほうです。

―やっぱり向いているんじゃないですか?

あ、わかんないですけどね(笑)。迷うときもありますけど。選択するのが、どっちでもいいときはめんどくさいなってなっちゃうんですよ(笑)。どっちでもいいから、こっちがいい、がないんです。で、みんながいいほうがいいけど、みたいな。
たぶん劇団で10年間リーダーシップをとってきたのは大きかったんだと思います。劇団となると自分のプロデュースだし、お金もかかる。俳優の人生も預かっている。そうやってずっと選択すること、決断することをやってきたので、逆に映画のほうが甘やかしてもらっているなと思えたんです。選択してくれる人、幅を拡げてくれる人がたくさんいるから。
どんな局面においても強いですよね。よかれ悪かれですけれども。今はものすごく楽です(笑)。

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―それは、最初にご苦労したからですよ。

きっとね。だから有難いですよ。初めて自主映画を撮ったときに、全部自分がジャッジしなきゃいけないんだという気持ちが強すぎて、手を差し伸べる気持ちでやってくださっていた技術部のスタッフさんに、たぶん伝え方を間違えてしまってすごい怒られて、向き合っていた机に額をつけて謝ったことがありました。
制作さんが「修正箇所があるなら納品まで時間がないからメールして」と言ったんです。それで映画の制作過程について知らない私は、一生懸命直したいところを全部並べ立てたメールをお送りしちゃったんです。そしたら技術さんが「お前のために金ももらわずやっているのに、なんだこれは!」って。いや、言われたからメールしたんですけどとは言えないわけです。「すみません!!」と謝りましたが「もうやりたくない」となってしまって。
そのときはもう私も映画撮りたくない、と思うほどショックでした。でも、今振り返ると、ああいうことがあったからこそ、調子に乗らないでこられたかなと。演劇では自分で全部責任を背負ってきていたので、映画もそうしなきゃという気持ちで最初はやってきたけれど、もうこれだけプロの技術者が集まっているんだから委ねるところは委ねたほうがいいし、よっぽど自分が「ここのこだわりが絵に絶対生きる」という確信が持てたときはこだわったほうがいいんです。なぜなら監督だから。
でも、そうじゃないところはもっと楽していいんじゃないかなって、思いました。

―「餅は餅屋さん」でしょうか。
そうですね、だからこの映画では現場に監督と思って入らなかったですね。一番後輩のスタッフということで。気も張っていましたし、すごく疲れたんですけど。自分の中で知識や技術は一番下ですけれども、俳優を見る、演出することはこの現場の誰よりも優れているから、その自信だけは失わないで向き合おう、というのと、やっぱりどんなに未熟でも、スタッフや俳優部にとって「監督は監督」。そこは信頼を寄せてもらわなきゃダメだ、関係値を作っていく。そういう意味で幸せな現場でした。
振り返るといろいろ大変なこともあったけれど、全部いい方向に働きました。

―いい作品ができましたものね。観客には裏はわからないし、見える結果全てになっちゃいますから。公開おめでとうございます。

ありがとうございます。良かったです(笑)。ほんとにこのタイミングで無事公開できることが、ありがたいです。

―この登場人物たちには監督のいろんな面が出ていますか?

それはどうしても出ますね。もともと会社員だったので、よそ様に見せる部分、社会性っていうのはちゃんと持っているんですけど、作品には生身な自分が出てしまっている気がします。鬱屈したものも抱えたまま十代二十代生きてきているので…これは7年前のホン(脚本)だし、余計その部分は強いかもしれない。

―その7年前のホンを現代にするのに、言葉遣いや内容など変えたところは?

ほぼ同じです。さっき言った海外に向けて足したところはあります。7年間で技術も多少はついたので、ちょっとくどいなぁとか、これは映画にしたときに言いすぎだなぁとかいうところは切りましたけど、ほとんど変わらないです。

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(ここで後5分と)
―あ、なんて早い(笑)!「不要不急」という言葉が出回りました。映画や舞台も、私たちの雑誌も一般の人にとっては「不要不急」に入ってしまうでしょうね。

もう確実にそうだと思います。

―はい(残念ですが)。その「不要不急」の逆に「これがどうしても必要、大切にしている」ことは、監督にとって何でしょうか?

ああ、私は「人間との関わり」ですかね。辻仁成さんがテレビに出ていらして、「今回コロナ禍で人とのつながりを分断した」ということを仰っていた記憶があります。それを耳にした直後はそこまで「その通りだ!」とは思わなかったんですけど、確かにほんとに人と関わることがなくなってしまったので、自分一人で考える時間、抱え込む時間、消化するまでの時間が非常に多くなっちゃったなと思うんです。ささやかなことでも、人の肌感や人の解釈、考え方っていうのを共有できない時間。そうなっちゃうとすごく行き詰まっちゃうなぁと思ったんですよね。だから人間にとっての一番の敵は孤独なんじゃないかなぁとほんとに思うんです。『タイトル、拒絶』に結びつけると、出てくる人のほとんどが孤独な人なんですね。
そういう孤独な人や、愛情が欲しいのに「欲しい」と素直に言えない人たちにばかり興味が行ってしまうんですよ。この仕事について演劇、映画問わずですけど、重要視していること、自分が得意としていることは「人間を見つめること」なんですね。
ですから「人との関わり」というのは最重要だし、おそらく「人との関わり」という文化がほんとになくなってしまったら、映画や音楽や舞台は必要ないんじゃないかな、と思って。「人と関わりたい。でも自分は孤独だ」と思う人たちが自分を埋め合わせる、慰める、鼓舞するために欲しているのがやっぱりエンターテイメントだと思うんですよね。おそらく「人間との関わり」と言うのはベーシックな答えで、誰しもが最重要なんじゃないかと思います。

―ちょうど30分です。もっとお聞きしたいことがあるんですけど、また次の機会に。ありがとうございました。

ありがとうございました。またぜひ。

=取材を終えて=
いただいたプレス資料の中のインタビューがとても良くて、お伺いしたいことがたくさん書いてありました。同じことを聞くのも…とちょっと困りながら出かけました。それは杞憂で、山田監督はとっても気さくに何でもお話ししてくださって、一安心。ヘンな褒め言葉になりますが「男前!」です。お勤めを辞めて自分で劇団を立ち上げ、自主映画も作り、未知のことに飛び込んで来られました。冒険心と決断力のある方とお見受けしました。山田監督が少しずつ投影されているというキャラクターはみな個性的で、この先も元気でいてほしい、とつい思ってしまうほどそこで生きていました。再演されるというこの舞台版を観たいなぁと今からとても楽しみにしています。
(まとめ・写真 白石映子)

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