『ミセス・ノイズィ』天野千尋監督インタビュー

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*天野千尋監督プロフィール*
1982年7月30日生まれ。愛知県出身。学生時代に映研に入って映画作りの楽しさに目覚める。5年間一般企業で勤めて映画学校で学ぶ。2009年卒業。映画に携わり11年目。『さよならマフラー』から『ミセス・ノイズィ』まで短編を含め13本。ほかテレビドラマ「10日間で運命の恋人をみつける方法」監督、アニメーション「紙兎ロペ」脚本など。

*ストーリー*
スランプ中の小説家吉岡真紀は引っ越してきた翌朝、騒音で目が覚める。隣家の若田美和子が早朝にも関わらず、布団を激しく叩いている音だった。真紀の再々の頼みにも音は止まず、お互いにベランダで口論するようになった。小説が進まないばかりか、夫や娘との関係も悪くなった真紀は、その諍いの一部始終を小説に書いて反撃に出る。それがネットやメディアも巻き込む大騒動を引き起こしてしまった。

監督・脚本:天野千尋
作品紹介はこちら
(C)「ミセス・ノイズィ」製作委員会
http://mrsnoisy-movie.com/
★2020年12月4日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか公開
☆天野千尋監督著「ミセス・ノイズィ」ノベライズが映画公開と同時に発売!

実業之日本社文庫 本体価格680円+税
https://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-55630-7

―元ネタの1つになっている「騒音おばさん」が騒がれていたのが、はっきり記憶に残っています。天野監督もご覧になっていましたか?

はい、もう大人でしたから(笑)。大学の最後の年くらいです。
オリジナルの長編を撮りたいと題材を考えていたときに、あの事件のことを思い出しました。当時ワイドショーではエキセントリックなおばちゃんが悪者としてずいぶん騒がれていたんですけど、その後ネットの中で「実はおばちゃんが被害者」「マスゴミにいじめられた」という話が出始めました。様々なうわさが真実味を帯びて拡がっていて、どこまで本当なのかわからないのに、その表と裏の感じが興味深く思われました。
世の中の喧嘩とか、対立のありようを表しているなと思いましたし、これは身近なところから始められて、大きなテーマを描けるんじゃないかと感じました。もちろんそのまま映画にするのではなく、事件を着想の1つとしてオリジナルで「ケンカ」のストーリーを作ろうと。初めは「おばちゃんを主人公」に書いていたんですが、プロットを作っていく段階で表裏を考えると、おばちゃんじゃない方を主人公にしたほうが面白いんじゃないかと。

―おばちゃんの事情は後からわかった方がいいですね。

そうそう。それで別に主人公をおきました。そこに自分が投影される部分が出てきて、モノを作る作家で、生活や子育てにジレンマを抱えているという設定が組上がっていきました。騒音に悩むということから家で仕事をする小説家としたんです。
初稿の段階では、裁判になってお互いわかりあえないけれど、おばちゃんは自分の生き方を変えず、自分の正しさを貫く、というものだったんです。第2稿くらいから、2人を対決させて前へ進む方向に持って行きたいと思い、周りからもそういう意見もあり、変えていきました。

―以前の事件に、今の新しいこと「SNS」にまつわることなど上手にからめて、人とのコミュニケーションやそれぞれの正義のすれ違いを見せています。よくこのストーリーを作られて、よくぞこのお二人(大高洋子、篠原ゆき子)を選ばれましたね!どうやって出会われたんですか?

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ありがとうございます。これ、そもそもはワークショップから始まりました。私が講師、ワークショップオーディションをして、集まった方で作品を作ろうという企画でした。物語は「おばちゃん喧嘩ネタ」でやりたい、という私の要望を受けて、ワークショップ主催の松枝さんが大高さんを連れて来てくださった。芝居見せてもらっていいなと思ったんですけど、問題は大高さん本人が「いい人」すぎる。陽気でネアカで、嫌な人を演じてもいい人がどこかで出てくるんです。それをどう隠すかというのは、撮影中まで苦労しました。
逆に主人公にする人がワークショップの中からは見つかりませんでした。それで自主映画の頃から知っていた篠原さんがいい、とプロデューサーに話し、熱烈オファーしました。

―脚本をつめていく間に、このお二人のイメージも入れていったんでしょうか?

そうですね。書いている段階から主要キャストに台詞や内容の相談をしたり、皆で集まって本読みしたりしながら固めていきました。小規模の作品でキャストとの距離も近く、リハーサルなどもたっぷりできました。

―娘役の新津ちせちゃんは?

ちせちゃんのお母さんの三坂知絵子さんもワークショップに来られていて、子役が必要となったときに「ちせちゃんはどうか」「いいですね」とまとまりました。母子役だと今回ちょっと違うなと、彼女は大家さん役です。現場でちせちゃんの泣く芝居のときに、結構三坂さんが演出してくれるんです(笑)。「用意、スタート」の前に三坂さんがちせちゃんをすごい勢いで怒るんです。ちせちゃんが悲しくなってきて泣きそうになった瞬間に「はいお願いします」って(笑)。

―お母さん助監督?!(笑)。ちせちゃんには心強いし、よかったですね。

そういうのをいやがる監督さんもいるようですが、私は助かりました。

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―主人公の夫は優しそうですが、主人公が子どもを一人で見て家事もやってイライラしています。

あの夫は、いま一歩ですよね(笑)。でも今の一般的な夫の姿ではあると思います。でも海外では、「日本はまだこんな感じなのか」とすごく言われました。家事育児を妻に任せるのが当然のようで「古すぎる」というか。
脚本を書いている時点では、この夫婦の背景として、「妻は今は収入がなくて、夫が稼いでいる。だから妻は家事をやらなくちゃいけない」という設定でした。家事子育てをやらない夫に主人公が文句を言って、言い返されるシーンもあって、撮影もしました。ですが、編集の段階で男性数人に見せたら「これは主人公が嫌な女に見えすぎる。こんなことを言う女は共感されない」みたいな意見がありました。それが日本の男性の感覚なんでしょうが、それに従ってシーンをカットしたりしたんですよ。だから完成した作品は日本の男性にとっては、自分のことのようで身につまされたり耳が痛かったりするかもしれません。でも海外の人が見ると、そこに「古い日本の夫婦感」が見えて引っかかる。
2016年のワークショップの後、いろいろな問題があってなかなか撮影に進めませんでした。1,2年間「もう撮れないんじゃないか」と思うこともありましたが、自分のやりたい企画なのでやきもきしながら何度も脚本を直していました。それが功を奏したというか、その期間があったからこそ今の脚本が出来上がったと思います。その間主人公じゃないですけど、苦しかったですよ。

―もう結果オーライですね(笑)。何事も無駄にならなかった。TIFFが最初のお披露目だったんですね。

2018年の秋に撮影して、2019年の春に完成したんですけど、できたことで安心してしまって公開に向けて誰も動いてない期間がありました。映画祭に(応募して)見つけて拾っていただけてよかったです。

―TIFFでの舞台挨拶で「これは私の反戦映画になるのかも」とおっしゃっていました。

喧嘩やいさかいの構造というのは、「子どもの喧嘩」から「大きな戦争」まで全部おんなじ。いつも思うんですけど、国同士の対立も「子どもの喧嘩」みたいじゃないですか。ものすごく子どもっぽいなと思います。国のトップなのに。

―国のトップが男性だからじゃないですかね。

なんですかね(笑)。女性はあまり意地を張ったりしませんよね。もっとしたたかです。女性がトップだったら外交も全然違ってくると思います。別の問題も出てくるかもしれないけど。
私自身はあんまり人と喧嘩しないんです。もちろん腹がたつことはあるんですけど。でもどこか客観的になっていて、「この人は事情があって怒っているんだろう」とか、「私の発言がムカついたんだろうな」とか想像するんです。夢中になって相手と喧嘩するようなことがなくて、だからこそ世の中の喧嘩を見ていると興味深い。どっちも100%間違っているとか正しいわけでもないのに衝突する。冷静になれば立場が違うと気付くのになぁと思って観ています。

―双方に足りないのは相手への想像力?自分が冷静になるには余裕?「金持ち喧嘩せず」っていいますし、心の余裕は要りますよね。喧嘩のいい解決方法はなんでしょうね?

結局喧嘩は起こると思います。人間が生きている以上昔からずっとやっていることで、なくなることはないので。それでもひどくならないようにするには、やっぱり「別の正しさに目を向ける」ということですかね。
今回は「騒音」がモチーフになっているんですけど、騒音って特に線引きが難しいです。たとえばご近所トラブルでも、庭の木がはみ出している、とかだと、はみ出しているかはみ出していないかは明確じゃないですか。騒音ってグレーゾーンなんですよ。ある人には生活音でも、別の人にとっては騒音だったりとか。
その線引きが難しい問題が喧嘩の種になりやすい。

―目に見えるものでなく、感覚の「騒音」っていうのがミソなんですね。
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これまで女性監督だからと何かやりにくかったことなどありましたか?

自主映画のときは全くなかったです。私が映画を始める少し前の頃から、若い世代の女性監督が増えてましたし。

―発表の場が増えました?

そうですね。出口も増えてきました。さきがけの「桃まつり」という女性監督のイベントがありました。今だったら「moosic labo」とか「21世紀の女の子」とか、女性監督が沢山参加しています。インディーズ映画としては撮りにくいということはなかったです。
ただ焦ったのは、出産したら、急に仕事が途絶えたんですよ。「出産します」とけっこう周りに言っていたんです。もちろん、それだけが原因だとは思いません。私の作家としての実力不足、魅力不足があったと思いますが、とにかく仕事が来なくなって。インディーズのイベントのお誘いも全然なくなりました。そこで初めて男女の壁を感じました。もし私が男だったら少し違ったんじゃないのかなって、妄想してしまいました(笑)。

―子育てで忙しいだろうと配慮されたんでしょうか?

かもしれないです。朝から晩までの撮影は厳しいだろうとか、いろいろあるかもしれないです。でも若い監督もどんどん出てくるし、もうこのまま映画業界に戻れなくなるんじゃないかと、不安な日々でした。
でも一方で、それまでは結構撮り急いで、生き急いでいたというか…頂ける仕事を有り難いと思って、次から次にどんどんやっていたんですよ。その分、本当に自分が撮りたいものが何なのかをじっくり考えるという、作家として一番大事なことを疎かにしていた。怠けていたとも言えます。それが、仕事が無くなった大きな原因かもしれません。

―この間に考えたり、脚本を練ったりされていたんですね。

撮れない時間の不安な気持ちを、これ(本作)にぶつけて書いていました(笑)。
撮れたから結果良かったんですけど、撮れなかったらやめていたかもしれないです。いまだに脚本を直し続けていたかもしれないですけど。
若い女性監督は増えてきていますが、出産しても続けている人ってすごく少ないんです。河瀨直美監督は別格ですけど。同じころに出産だった岨手由貴子(そでゆきこ)監督は、愚痴を言い合ったり、良きママ友です。あと先輩の安田真奈監督とこの前話したんですけど、やっぱり子育て中はしばらく撮れなかったと。脚本の仕事で食いつないでいて、今お子さんがある程度大きくなってやっと撮ったけれど大変だったと、飲みながら話したいですねと言っていました。
実際出産で拘束されるのって2,3か月なんですけどね。

―本人はできる、撮りたいのに、周りができないと思っちゃうんでしょうか。決める立場にある人たちが「赤ちゃんのいる人は家にいるものだ」と。そういう意識がなかなか変わらないのかも。

そうかもしれないですね。でも本作がようやく公開できるので、ここから頑張りたいです。

―ヒットして次に続くことを願っています。

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―天野監督はOLさんだったのをやめて、映画学校に行かれました。そのときに背中を押してくれるようなきっかけの映画はありましたか?

20才くらいまでいっさい映画を観ていなかったんです。全然映画好きじゃなくて、その面白さを知らなかった。年に1本とか、友達に連れられて『タイタニック』とか『インデペンデンスデイ』とか大きい映画を観るくらいでした。アクションとか派手な演出があるものだと思っていました。それが夜中のテレビをたまたまつけたら、モノクロのヨーロッパ映画をやっていて見始めたら面白くて最後まで見てしまったんです。思い返すとフェリーニの『道』だったんです。

―『道』! 傑作を見たんですね。すごくいい出会い!

そうなんですよ。えー、何これ!映画って面白いかも、と思ってまた夜中に映画を見て。『バスを待ちながら』(00)っていうキューバの映画があって、それがすごくいい映画だったんです。バスを待っているんですがなかなか来ない。ようやく来ても一人しか乗れないんです。喧嘩を始めるんだけど、仲良くなって壊れたバスを修理し始めるといういいヒューマンドラマで、ちっちゃい身近な人間関係が描かれているんです。映画って大きな事件を題材にしなくてもこういうことでいいんだなって初めて知って、そこから興味を持ち始めました。
当時2000年代だったんですけど、日本映画の復興期というか、ポップな映画がたくさん作られていた時期。私が刺さったのは『ジョゼと虎と魚たち』(03)や、当時つげ義春が好きだったので、映画化されるというので『リアリズムの宿』とか観たら、やっぱり身近なテーマが描かれて、しかも面白くて。中国の天津に留学していたので、アジア映画、チャン・イーモウの初期作品とかジャ・ジャンク―作品をDVDで観ていました。あと韓国のイ・チャンドンとか、ポン・ジュノとか。
そして帰ってきてから映画観ようというより、撮ろうと思ったんです。大学の映研にいきなり行って、「1本撮りたいんです」って。入部して撮らせてもらいました。それがすごく楽しかった。自分たちで脚本書いて、出演して撮った、この経験が忘れられなくて、一度就職したんですが、映画をちゃんとやろうと映画学校に通い始めました。

―名古屋に映画学校が?

名古屋にはなかったので、東京の映画学校です。仕事で静岡に配属されたので、どうしても東京に転勤してやろうとずっと転勤願いを出して、めでたく転勤しました(笑)。めちゃくちゃ忙しかったです。しかも初めは仕事も全然できなくてすごく怒られて、そのころは学校に行ってる余裕はなくて慣れてからです。でも辞めると決めていたので、ちゃんと貯金してました(笑)。

―そこがエライですね、しっかり計算して(笑)。そのとき一緒に映画を勉強していた方々は監督さんになっていらっしゃいますか?

今も撮り続けてる人は多くないと思いますけど、坂本くんの映画はもうすぐ映画公開になります。富山で映画撮っているんですよ。

―坂本…あ、『真白の恋』(17)の!
*坂本 欣弘(さかもと よしひろ)監督。99号に取材記事を掲載。3月20日より『もみの家』が公開中。

そうそう。同期なんです。あとは役者を続けている橋野純平くんも同期です。あと今泉力哉監督は、当時ENBUのスタッフをやっていて、身近で自主映画を作っていた人の1人です。

―映画の面白さを知ってたくさん観た中から、天野監督のおすすめの1本はなんですか?

それまでが観なさすぎだったので、勉強しなきゃと思って雑食で(笑)、あらゆる角度から観ました。1本あげるとしたら、ポランスキーの一番初めの作品『水の中のナイフ』(62年製作、65年日本公開)です。それはうわーっとなりました。設定がすごいシンプルで、男二人と女一人が船の上にいて、ナイフが1本。で、夜を明かすんですけど、シンプルなのにめちゃくちゃ映画になっていて、サスペンスもラブロマンスもあるし、最後もドキドキできるし。
自分はシンプルな設定をどれだけ丁寧にふくらませるか、というのが好きなんだなって思いました。うん、芸術的だし。

―じゃ目指すのはこれですか?

そうですねぇ。でもこれだと地味すぎて公開できないかもしれない(笑)。

―単館公開の作品も劇場も減りましたしね。どうしても話題作や俳優さん目当てになりますしねー。
この作品なら出たいって言ってくれる俳優さんがいるといいですねぇ。


そのためには脚本が面白く書けていないと。

―これまで青春もの、BLものなどいろいろなジャンルの作品を撮られていますが、これから撮りたい映画は?

今は、実際起きている事件に興味があって、それを題材に膨らませて、と次の企画を色々考えているところです。『テルマ&ルイーズ』(91)も大好きなんです。それで逃走劇とか、書いたりしています。

―わあ、いいですね。それは自主じゃなく、制作会社さんにちゃんとついていただきたい。
どなたか映画に出てもらいたい俳優さんはいますか? 口に出しておくと、どこかでつながるかもしれません。


そうですねぇ。誰がいいかな~。本作と同じ日に公開される『街の上で』(今泉力哉監督)で主演されている若葉竜也さんに最近惹かれます。
(*当時同日公開の予定だった『街の上で』は2021年春に延期になりました)

―若葉竜也さん!ぜひ、つながって出演していただけるといいですね。

=取材を終えて= 
天野千尋監督の取材は初めてでしたが、2012年の”したまちコメディ映画祭”で観客賞とグランプリを受賞した『フィガロの告白』と授賞式を拝見していました。もう8年前のことで、現在は5歳の男の子のママになっていらっしゃいました。
この取材のときはオランダのアムステルダムから戻られたばかり。『ミセス・ノイズィ』がアジアン映画祭のオープニング作品に選ばれて、観客の反応が「リアクションがはっきりしていて、笑ってくれたり、悲鳴を上げたり」で楽しかったそうです。
お時間があるからと、ずいぶん長くお話を伺いました。インタビュー記事は今年春の103号に2p掲載しましたが、このブログは文字制限なし、カラー写真つきです。当時コロナ禍のため春公開の予定が延期、12月となりました。待たされましたが満を持しての大きな劇場での公開になりましたので、たくさんの方が観て、笑って考えていただければと思います。天野監督自ら書かれたノベライズも12月4日発売です。
(まとめ・写真 白石映子)
(2020年3月11日@ヒコーキフィルムズ)

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