〔プロフィール〕
1975年4月3日生まれ。埼玉県出身。東京農業大学林業学科卒業後、1998年に東京放送(現・TBSテレビ)に入社。大ヒット番組「マツコの知らない世界」「細木数子のズバリ言うわよ!」のプロデューサー、総合演出。TBSの現役社員でありながら、“テレビ業界の枠を超えて世界に挑戦する”をテーマに、自身初のドキュメンタリー映画『相撲道~サムライを継ぐ者たち~』を製作・監督。元プロレスラーの獣神サンダーライガーのyoutubeチャンネルをプロデュースするなど、活動の領域を着々と広げている。
〔作品紹介〕
1500年以上もの歴史の中で日本人の暮らしに深く根付き、今や国技となった「相撲」。
そこには知られざる世界があった―。
約半年間、境川部屋と高田川部屋の二つの稽古場に密着。想像を絶する朝稽古、驚きの日常生活、親方・仲間たちとの固い絆、そして、本場所での熱き闘いの姿を追いかける中で、相撲の魅力を歴史、文化、競技、様々な角度から紐解いていく。
勝ち続けなければいけない、強くなくてはいけない、サムライの魂を宿した力士たち。極限まで自分と向き合い、不屈の精神で「相撲」と闘い続けるサムライたちの生き様を描いた唯一無二のドキュメンタリーが生まれた。
監督/製作総指揮:坂田栄治
制作:PRUNE
制作協力:日本相撲協会 Country Office
出演:境川部屋 髙田川部屋
遠藤憲一(ナレーション)
配給:ライブ・ビューイング・ジャパン 配給協力:日活
2020年/カラー/シネマスコープ/5.1ch/104分/
(C) 2020「相撲道~サムライを継ぐ者たち~」製作委員会
公式サイト: https://sumodo-movie.jp/
公式Twitter:@sumodomovie
★2020年10月30日(金)よりTOHO シネマズ錦糸町、
10月31日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
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―監督は以前からお相撲ファンでしたか?
ドキュメンタリーまで作られるほどお好きだったんでしょうか?
年代的に若貴とか曙さんとか、あの頃に家でお相撲を見るようになって、普通に興奮して楽しんでいました。でも、それから見ない期間がずっとあって。ですので、元々はお相撲マニアでもなく、相撲ファンでもなかったんですよね。
自分がTBSに勤めてバラエティ番組をずっとやって、人気番組も作れたし、自分は映像を作る技術には自信があるから、その技術を使って日本人として日本のために何かやりたいと思ったんです。オリンピックが決まったとき、2017年かな。オリンピックで日本が世界から注目されるな、と。
そんなことを考えていた時に、僕が担当していた「マツコの知らない世界」に本作の監修そして出演もされている相撲漫画家の琴剣(ことつるぎ)さんがゲストで出られたんです。
後で琴剣さんにお相撲の朝稽古を見せてもらえて、それで久しぶりにお相撲というものに向き合ったんです。日本人だから力士のことはもちろん知っていたし、頭のどこかにお相撲はあったし、ドキュメンタリー番組で白鵬やいろんな方も見ました。だけど、「お相撲という文化」をそもそも知らないということが衝撃だったんですよ。朝稽古でさえ、毎日こんなことをやってんの!と衝撃だった。
ドキュメンタリー番組、お相撲を撮ってみたいな、と思って数か月後に国技館で生の大相撲を見たんですよ。NHKさん(テレビ)では伝わりきらない衝撃を受けました。
音、観客の声援、お祭りのような盛り上がり、ほんとに頭と頭でぶつかる! 稽古以上の気迫を持った力士たちのぶつかり合い、全てが衝撃で、これを表現するのは映画だな!と思ったんです。
―大相撲を見て衝撃を受けたことが「映画を撮りたい」に繋がったんですね。“生で観る”と全然違いますよね、私も1回だけ桟敷席で見て、その伝統的なしつらえとかお相撲さんの身体とか「美しい」と思いました。
美しいんですよ。朝稽古のときもお相撲さんの身体が大きい理由がわかったんです。大きくしないと強くなれない。大きい人がいかに有利か。太っているんじゃなく「大きい」し「美しい」。それがよくわかって、映画で表現したいなと思ったのがきっかけなんです。
―特に贔屓の力士はいなかったんですか?この人のファンという。
特にいなかったです。このドキュメンタリーも豪栄道(ごうえいどう)関(現・武隈親方)と竜電(りゅうでん)関をフューチャーしていますけど、「相撲の文化」を撮ったんです。お相撲はこんなんだよというものを撮ったので、何年経っても観られる。10年後、形が変わっているかもわからないけど、「こんな人いたよね」でなく「お相撲ってこうだったよね」というものを作ったつもり。
―琴剣さんが相撲部屋につないでくださったんですね。
たくさんある部屋の中から境川部屋と髙田川部屋のふたつを選ばれたのは?
境川部屋ひとつだけ撮ってしまうと、その境川部屋の話になってしまいます。お相撲部屋はそれぞれ各部屋に個性があります。全部は描ききれないけど、違うタイプの部屋を二つ。
琴剣さんにお相撲の部屋を教えてくださいと頼んで、初めて境川部屋に行ったときに近寄りがたい空気、緊迫感がありました。撮影していいんだろうか、見ていていいんだろうか、という張りつめた空気、よそ者を受け付けないような迫力があったので、だからこそこれを撮るのは意味がある。観た方にも驚いてもらえるのではないか。それで境川部屋を決めて、また違うところないですか?って。
髙田川部屋に行ったら、親方や竜電関がいて。竜電関は、明るくてよく笑う好青年でした。稽古のやり方も親方が自らまわしを締めて教えるんです。
―私も子どものころ見ていたのに、その後見ていなくて今のことがわからないんです。監督もわからないところから始められたんですね。
はい、むしろわからないことを武器にしました。周りからあんまり情報を得ないようにして、自分の目で見て面白いと思ったことを大切にしました。映画を作るのは、お相撲ファンはもちろんですが、そうじゃない人に観てもらってお相撲ファンを増やそうというのが目的なんでね。それでいうとお相撲ファンじゃない人の目線と、自分の目線が一緒でなきゃいけないなと思った。目で見て知りえたこと、音を聞いて知りえたこと刺激を受けたことを詰め込んで、自分と同じように体感してほしいと思ったんです。
―ああ、だからこれを観ると楽しいんですね。知りたいことも出てくるし、またお相撲にハマりそうな気がしています。
ははは、有難うございます。
―今は娯楽が山ほどある時代です。そういう中でお相撲ファンを増やすのはなかなか大変な気もします。これからの展望は?
自分で言うのはなんですけど、「お相撲さんカッコいい!」と観た方には感じてもらえると思うんですよ。試写で観た何人からか、「豪栄道関カッコいい!」とファンになったのに、「え、もう引退してるの!?」と、言われました。見るとファンになる人がいると思います。
相撲は番付表とか最初は難しいですけど、普通に単純にすぐ結果が出るじゃないですか。娯楽として見やすいですよね。サッカーとか野球の試合とかは、ずーっと見てないといけないけど、お相撲は一瞬一瞬で決まって、自分の好きな力士ができると観るのが楽しみになります。
だからまずは、「カッコいい」というところから始まっていいと思います。そこから拡がるチャンスはあると思います。
―カッコいい上にお相撲さんは裸にまわし1本で、無防備です。こんなスポーツはほかにないですよね。
そうです。防具もなしで。あと頭突きのあるスポーツもほかにないです。頭って一番危険な攻撃なので、
ボクシングも総合格闘技もダメです。おでこは硬くて、それで鼻なんかやっちゃうと一番いけないんですけど、お相撲のあんなに大きい人たちが頭突きって大変なことなんですよ。ほんとにすごいことをこの人たちはやっているということをこの作品で感じてほしいです。
―武器も防具もなしで、あの「土俵から出たら負け」っていうのが潔い。モンゴル相撲も土俵はないですし。
ないですね。非常に簡単なルールです。足が出るか、手がつくか、土がつくか。2か月ごとに15日間ワクワクできますしね。この15日間がいいんですよ。
―毎日毎日が勝負で、これ(興行)考えた人すごいですね。
すごいですよ。ほんとよくできています。やっているほうとしたら大変ですけどね。僕は力士として土俵に立ってはいないけど、映画撮っている最中はずっと一緒にいたので、毎日ほんとにしんどかったです。疲れちゃう(笑)。
―15日間頑張った人たちは賞をもらって、次の場所で昇進しますし、応援しがいがありますよね。
お相撲にはストーリーがあるんですよ。15日間のストーリーもあるし、力士一人ひとりのストーリーもある。
出ているみんなの「喋り」が、観ている人たちにとって「そうだよな」とか、「私ももっと頑張らなきゃ」と思えるんです。親方の「努力をするのは当たり前」、そういう言葉が世の中で生きている人たち、社会で戦っている人たちに何かしら元気を伝えてくれると思って。
―そうですね。政治家の言葉と違って実践している人たちの言葉だから(笑)。
わははは!ウソのない言葉で。裸で戦っているし、全部まっすぐなんですよ。で、まっすぐに生きないと勝てないんですよ。身体も心も裸でまっすぐ稽古しなければ強くなれない。自分はこれで大丈夫じゃなく、ここからまだいけるんだと毎日稽古している人が強くなる。というのは取材をしていてすごく感じましたね。
―監督自身はこの撮影をする前と後とで、何か変わりましたか?
僕は、さっきの言い方で言うと「裸で生きている」んです(笑)。そのくらいの覚悟じゃないと、たぶんこの映画撮れていないんです。本気でお相撲のことをちゃんと描きたいんだと、僕が覚悟を決めて撮りに行ったので、二つの部屋に受け入れてもらえたと思うんです。
マスコミってお相撲のこと悪く言ったりするじゃないですか。
―ゴシップとか?
多いじゃないですか。僕はゴシップが出ているとコノヤローと思っていたので、そんなのを出す気は1ミリもなかった。自分がウソがない裸の生き方をしてきたから、撮ることができたんだと。だから変わったというより、やってきたことは間違ってなかったと、そういう気持ちです。
僕は会社の中でも良い会社員じゃないと思うんですよ(笑)。いわゆる上司になびくような生き方をしてこなかったし、正しいことは正しいと言ってしまうし、先輩とも喧嘩しちゃってたんです。
普通なら「マツコの知らない世界」という人気番組をあてたんだから、そこにいればいいんですよ。これをやり続けることは、自分がせっかくこの技術を手に入れたんだから、ここにいるのは正しくない。これを世の中のために使いたいと思って、こうやって撮れたから、やってきたのは間違ってなかったと思います。
―最初は映画にして出していくという確かな目論見もなかったそうですが。
ないです。でも自分が撮ったものに関しては、絶対にどこかが興味を持ってくれるはずだと思っていました。何も決まっていないまま走っていたんです。このドキュメンタリーはすごくいい機材のカメラで撮って、すごくいい音響システムで録っています。何年後にも観てもらいたいから。
テレビ番組で自分がトップのときはみんなに指示出してやってもらっていたのを、この映画では自分が運転して技術さんの送り迎えしたり。技術以外なんでもやらないといけない。自分でやると決めたことだから、やり抜きました。
―それは大変でした。どのくらいかかったんでしょう?
取材はずっとやっていて、その間に何ができるかがすごく大事で。カメラを持って行って「はい、撮ります」ではいいものなんかできるわけがないと思ったので、まずこの力士たちと一緒にいようと。住み込みはしないけど、朝稽古見たり、昼にちゃんこ食べさせてもらったり、その中でコミュニケーションをとって皆さんから話を聞き出したりとか。どこが魅力的なのか探る時間もかけていました。
―そのときにカメラ回しているわけではないんですね。下準備というか知るための助走みたいなもの?
そう、知るために。撮影は毎日じゃなく、会社員なので、土日、会社の有給、正月休み、を使って飛び飛びで4ヶ月くらい。
―よくその中で撮り切りましたね。監督の意思の力ですね。
はい、撮り切ろうと思っていましたので、やるときはやる!(笑)
―では今まで観た映画の中での「この1本」を。
(間髪入れず)『スティング』(1973)!大学生のときにビデオレンタルで。名作だけどストーリーを全く知らないで観たから、最後の大どんでん返しを観たときに「なんて気持ちいいんだ!」(笑)。
全て頭から最後までのフリと最後の最後のオチ、こういう作品ってすばらしいなと思って、すぐ観直して何回も観ましたよ。それからカイザー・ソゼ…あの『ユージュアル・サスペクツ』(1995)。これもすごい。2回目も楽しめる。
あのね、この『相撲道』も、一回は先頭(最前列)で観てほしいんですよ。
―砂かぶりですね。
そうそう、砂かぶり。目の前で観ると、筋肉とか、お相撲さんの身体はこうなっているとか、違うフューチャーする場所が出てくるんです。そしてまた観てほしいですね。
―映画を作るのは楽しかったですか?
テレビと映画は画面が全然違うから。楽しかったし、またやりたいですよ。
―きょうはありがとうございました。
=取材を終えて=
坂田監督は熱くて楽しい方でした。お相撲から受けた衝撃を伝えたいという、監督の熱い思いがビシバシ飛んできました。監督が大切にしているのは、文中にもある「ウソのないこと、覚悟を決めてやること」だそうです。「監督の熱を伝えられるよう、頑張って書きます」と約束してきましたが、伝わりましたか?私もかつては相撲ファンでしたので、熱が再燃しそうです。
テレビと映画の違いなどをもう少し伺いたかったのですが、時間切れでした。またの機会がめぐってきますように。(まとめ・写真 白石映子)
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