*プロフィール*
1963年3月1日 京都生まれ。大阪府出身。
13歳でTVドラマ「怪人二十面相」主役の小林少年役で俳優デビュー。14歳で歌手デビュー。多くの音楽祭で新人賞を受賞。その後はTV、舞台、映画と幅広く活躍。1984年に劇団四季の「CATS」出演を 皮切りに「ガラスの仮面」「ふるあめりかに袖はぬらさじ」「マイフェアレディ」「スターライトエクスプレス」「レ・ミゼラブル」など数多くの話題作に出演。
朗読ミュージカル「ある家族―そこにあるもの―」(2020年)では、出演のみならず、演出・音楽も手掛けた。2021年映画『僕が君の耳になる』。舞台「夜明けのうた」2022年上演予定
『ある家族』
平成20年の児童福祉法改正により小規模住居児童養育事業として実施された「ファミリーホーム」。養育者としてホームを経営する一ノ瀬泰(川﨑麻世)・陽子(野村真美)夫妻と、二人の実子である一ノ瀬茜(寺田もか)は、家庭環境を失った子ども達と共に暮らしている。育児放棄、いじめ、虐待、障害、就活苦など多種多様な問題を抱える子ども達を自らの家庭に迎え入れ、共に泣き、共に笑い、雨の日も風の日も家族として共に日々を送っていた。しかし、そんな彼ら一ノ瀬ホームの終焉が、静かに、だが確かに近づいていた・・・。
監督・脚本:ながせきいさむ
2021年製作/99分/日本
配給:テンダープロ (C)「ある家族」製作委員会
https://movie.arukazoku.net/
作品紹介はこちら(リンク)
★2021年7月30日(金)より
ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
―川崎さんのinstaを拝見しました。美味しそうな手料理の写真に寄り道しながら遡って2020年11月のクランクアップの写真は見つけたんですが、クランクインや撮影の写真を見つけられなくて。この作品はいつ撮られたんでしょうか?
クランクインしたのはその3週間くらい前ですね。
―3週間。ほぼ大阪ですか?
大阪と、千葉。海の映っているシーンがそうです。病院の外も千葉です。
―突き当りのお家、一ノ瀬ホームが大阪なんですね。子どもたちがたくさんいて男子部屋、女子部屋とあるので、中はセットなのかなと思いました。
家はその時期だけお借りしました。セットではなく、中も同じ家です。
―私はこの作品で初めてファミリーホームという形態を知りました。それまで里親制度や児童福祉施設があるのは知っていたのですが、家庭に何人もの子供を受け入れて(18歳まで)家族のように暮らすんですね。
僕の実家がそういう感じだったんです。お爺ちゃんおばあちゃんが、恵まれない子供たちをうちに招いていました。うちは喫茶店と美容院と遊園地の乗り物を一部やっていたので、そこで仕事をして、うちに住んでご飯を食べて。女の子はうちからお嫁さんに出したりとか。
僕はそういう中で一緒に生活していました。
―まあ、ホームとか、法人でなくて?個人でですか!?
祖父母が個人でやっていましたね。僕がものごころついたときからそうでした。
―篤志家でいらしたんですね。じゃあお兄ちゃんお姉ちゃんみたいな人がいた。
うんと年は離れていますけど、僕が一人っ子だったので、遊んでくれていました。
―映画のようなお話ですね。
この映画は20年の1月にまず舞台があった(同名の朗読ミュージカル)と伺いましたが、映画版はそのストーリーをふくらませたのですか?どこが違うのでしょう?
朗読ミュージカルのほうは、「家庭」なんです。妻が癌になって、夫の自分も手を怪我して仕事ができなくなり、何もできないと自暴自棄になります。荒れて酒を飲んで、ダメ男になってしまうんです。どうするか決められないうちにどんどん妻の容体が悪くなっていき、なんとかして子どもたちの里親を見つけなくちゃという、家の中の問題です。
―里子を預かる話ではなく、自分の子どもたちを里子に出すお話だったんですか。
映画はファミリーホームというほかの子を受け入れる話で、逆ですね。
―そっちのほうが受け入れやすいです。私。
ファミリーホームの方がですか?
―だって自分の子どもを手放すの可哀そうじゃないですか。辛いし。
いや、それでお客様がすごく泣いてくれる。(笑)
―たくさん泣かせたんですね。(笑)
そうなんです。泣いていただければ、という。
―預ける親のほうを先に演じられたわけですね。その舞台版はどうやって終わるんですか?
あっ、大阪公演は延期になったので、話しちゃいけないですね。
いや、まあいいんじゃないですか?(笑)
舞台版は、自分が死ぬ前に子どもたちが集まってくるんですよ。幻想です。死ぬなー!って言って。映画は病院のお母さんのところに、ほんとに子どもたちが集まってきます。そこに違いがありますけど。
―ファミリーホームの方は、モデルになるお家があったんですか?クラウドファンディングのページを見ました。
ええ、ファミリーホームについては、井内さんというプロデューサーが実際のホームを知っていて、こういうところもあるんだよと、世の中の人たちにわかってもらいたいという気持ちが強かったんです。
―川﨑さんの役の、繊細でちょっと頼りないところのあるお父さんというのは同じですね。
舞台ではもっとそれが出せたんです。映画は限られた尺の中で、あれもこれもテーマにしなきゃいけないというのがいっぱいあったので。
―子どもたち一人一人にも、ストーリーがありますものね。
そうなんですよ。父親がダメになっていく過程がもうちょっと描ければよかったんですけどね。
―観ていてお父さんのことが心配でした。子どもたちを一度に送り出さないで、何人か残してあげたらよかったのに、と思ってしまいました。
舞台の場合はもっと荒れているんです。帰るたびに酔っ払っているし、夫婦喧嘩が始まってしまうわけです。それを子どもたちが見て「しっかりしてよ!」と言われながら、どんどん落ち込んでアルコール中毒になってしまう。
―わぁ、それはかなりきついですね。泣かされます。
映画のほうは、ファミリーホームを知ってもらうきっかけになるのも目的なんですね。今はもっと知ろうと思えばすぐ検索もできますし、それから「自分でできることを考える」に繋がればいいですよね。ご紹介して何かの一助になればいいなと思って来ました。
はい。ありがとうございます。
―お父さんも支えていたお母さん、子どもたちのドラマもそれぞれありました。キャストの方々とのエピソードなどありますか。
そうですね。ひとつはコロナ禍ということもあって、なかなか今までのようなコミュニケーションが取れなかったです。撮影中も。
―マスクして、撮影のときだけ取るとか?
そうそうそう。消毒とかもね。ただ子どもたちだけ集まると関係ないんですよ。かたまってゲームしたり遊んでいたりね。大人はまぁ、大目に見ていてたまに「換気するぞ!」と言ったり、あんまり押し付けたりしたくはないんですけど、かといって陽性者が出ても困るしね。撮影中ずーっと葛藤がありましたね。
―ちょうど渦中ですね。無事にクランクアップなさって何よりでした。
そんな意味で、思ったより何かこう、もうちょっとスキンシップとりたくてもとれないような感じだったので、それぞれの思いはありますけれども。
―秋吉久美子さん、木村祐一さんも出演されていました。
秋吉さんとは1980年に「額田女王」と言うテレビ朝日開局30周年のドラマで初共演しました。それ以来の久しぶりの共演でしたが、いつまでもお若いし作らない自然の演技が大変勉強になりました。
キム兄は同じ1963年・京都生まれと言う事で親近感があります。なんと愛車まで同じで話が弾みます。演技はいつも存在感があり、素晴らしい役者さんだと思います。
―川﨑さんから見たこのお父さん・一ノ瀬泰さんはいかがですか?
うん、頑張ってると思います。まずね、なぜ自分たち夫婦は子どもたちを受け入れて育てていこうとしているのか、考えれば、すごいいい夫婦だと思うんですよ。たまたま奥さんが癌になってしまい、自分も事故で足を怪我して思うようにいかなくなってしまう。だけれども、人間らしくなんとか乗り越えていく姿は、非常にいい人だと思います。
―実の娘が一人いるのに、この子たちを預かるようになった経緯の説明がなかった気がするんです。始まりがちょっと知りたかったです。
そのへんがね、説明不足のところが結構あるんです。
で、結局はデザイナーになっちゃうんですけど、わかんないですよね。パソコンの。
―デザイナー、でしたか。在宅でできるウェブデザインということかな。あともう20分くらい長くてもよかったかなと思いました。
全部説明して詰め込むのには忙しいですよね。次々と不幸が襲ってきて「またか」、「またか」となるんですよ。だから、これが何話にも分けて観てもらえるドラマなら、今回はこの子、次はこの子と1人ずつできるんですが。
―子どもの数が多いですから連続ドラマでじっくり観たい気がします。
この作品が浸透して、もっと観たいなと思っていただいてドラマ化できるといいですが。
―舞台のほうでは川崎さん、演出から音楽からたくさん関わっていらっしゃいますね。
こちらでは、出演と音楽のうち1曲だけです。お母さんが亡くなった時に流れる「ママに逢いたくて」(作詞・作曲)という歌で、舞台ではテーマ曲でした。
―完成した映画をご覧になっていかがでしたか?
わかってても泣けちゃうっていうか。子どもの表情みてもそうなんですけど。
たとえばこのちっちゃい子(愛ちゃん)ですが、台詞が最後しかないんですよ。
―お母さんを亡くして喋らない子の役でした。
台詞を喋る前に、鼻がピクピク動くんです。それを見て感動したりして(笑)。
それが超・自然なのかなぁって。
自分が感情をこめて芝居していたときを思い出しちゃうんです。スクリーンを見ているとそのときの感情がまだどっかに残っているみたいで。
―普段も涙もろいほうですか?
涙もろいです。すぐ何か、何見ても反応しちゃいますね。
お爺ちゃんおばあちゃんが慈悲深い人だったんで、昔子どものときは「何でだろう?何でよその人にそこまでするんだろう?」と思っていたんですよ。
自分が仕事をするようになったら、ファンの人たちが店(枚方「喫茶コハク」)に押し寄せてくるようになりました。すると店に入れて、ジュースやサンドイッチやカレーを出したりしているわけです。お客さんが入って来られなくて商売にならないのにね。
―情が深いんですね。
そうなんですよ。一所懸命ここまで来てくれるんだから、って感謝の気持ちが濃いんです。愛ってきれいごとじゃなくて、与えるものなんだって思いましたね。基本ってそこなのかな。
―お仕事上、あるいは人生で大切にしていることは何でしょうか?
「感謝の心」です。これはね、よくみなさん言うけれども「生まれてきたことに感謝」、僕は30になるまで父親と会ってないんです(お母さんが離婚して実家に戻り、川﨑さんは祖父母と母に育てられた)。いろいろ聞いているし、どうでもいいと思っていた父親なんですけれども、やっぱり会えたときには感謝しましたもの。
どんな父親であろうと、今自分がこの世に健康でいるっていうことはお父さんお母さんのおかげなので。やっぱり父親を抱きしめました。父は60で亡くなりました。
―60歳はまだ若いです。もうすぐお父さんの年齢になりますね。
それ、いつも思います。父は60で亡くなったんだなぁって。母は86歳ですが元気です。この前熱中症でちょっと倒れましたけど。
―インスタでお母様(お綺麗!)の画像を拝見しました。川﨑さんはお父様似(写真では男らしい風貌の方です)かと思ったんですが、お母様にも似ていますね。お元気そうで。
店をやっているからいろんな人が訪ねてくれるんです。僕のファンとも会話しますし、たまたま帰ったら母の同級生が久しぶりに訪ねてきてくれて喜んでいました。孤独ではあると思いますが、店が窓口というか、店があるから元気だと思うんです。
―川﨑麻世さんのこの変わらないスタイルの秘訣を伺いたいです。10代と同じとは言いませんが、同じ年代のおじ様たちとは全然違います!(力説)
いやいやいや(笑)、食生活です。栄養のバランスと適度な運動じゃないですかね。後は「意識」ですね。年取ったと思ったら年取っていくんです。
―「意識」すること!では最後にこれから映画をご覧になるみなさんへ。
コロナ禍でニューノーマルの世の中になりましたが。
忘れてはならないもの、知ることの意味、もう一度考えてみることの大切さをこの『ある家族』で感じて頂ければ幸いです。
―今日はありがとうございました。
=取材を終えて=
十代の頃の川﨑さんを覚えています。細くて足が長くてイケメンで、ブロマイドがよく売れたというのも納得。目の前にご本人がいるのが信じられません。舞台でのご活躍が多く、このコロナ禍、せっかく苦労して台詞を覚えて稽古しても、ほとんどが延期か中止になってしまったそうです。いったいいつ元のようになるのでしょう。
舞台は生ものですが、映画は完成すればこれからずっと観ていただけます。この作品1本には、子どもたちそれぞれのドラマが詰まっています。どのエピソードも実際に取材した中から映画にとりこんだもの。ホームを支える両親が倒れてしまうのが辛いですが、大きな子たちが小さな子を助け、未来へとつなげてくれます。血がつながらなくとも、家族になることができます。大事なのは、思いあう心でした。
自分のことでいっぱいな毎日でも、このファミリーホームに出逢うことで、なにか一つでも心に留まりますように。
(取材・写真:白石映子)
参考 日本ファミリーホーム協議会
https://www.japan-familyhome.org/
この記事へのコメント