イラン映画の巨匠アッバス・キアロスタミ監督の初期7作品のデジタル・リマスター版特集上映「そしてキアロスタミはつづく」が全国順次開催されるのを機に、キアロスタミ監督と親交の厚かったショーレ・ゴルパリアンさんにお話を伺いました。
ショーレ・ゴルパリアンさんは、1979年に初めて来日。イラン映画の字幕翻訳や映画人来日の折の通訳だけでなく、日本のドラマや映画のイランへの紹介、日本とイラン合作映画の製作など多岐にわたって日本とイランを繋いで活動されてきました。2020年には、「芸術を通じて日本とイランとの間の文化交流の促進に多大な貢献を行った」として旭日双光章を受章されています。
今年、9月1日には、『映画の旅びと イランから日本へ』を出版されました。ショーレさんの軌跡を知ることのできる1冊ですが、キアロスタミ監督やナデリ監督をはじめ、日本で馴染みのあるイランの監督たちの映画への思いも知ることができる1冊です。
『映画の旅びと イランから日本へ』
著者:ショーレ・ゴルパリアン
みすず書房
発行日 2021年9月 1日
定価 3,960円 (本体:3,600円)
頁数 272頁
ISBN 978-4-622-09033-5
Cコード C0074
https://www.msz.co.jp/book/detail/09033/
本のカバーの写真は、表と裏で1枚の写真。ショーレさんが隠れて 『CUT』の撮影風景を見ているところを、スチール担当のカメラマンが遊びで撮ったもの。撮られたことに気がついて、カメラの方をみて笑っている写真もあったのですが、こちらを選んだそうです。広げると、撮影機材が映っているのがわかります。
「そしてキアロスタミはつづく デジタル・リマスター版特集上映」
2021年10月16日(土)よりユーロスペースほか全国順次開催
公式サイトhttp://www.eurospace.co.jp/
シネマジャーナルhttp://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/483749826.html
★10月23日(土)12:40『風が吹くまま』上映後
ショーレ・ゴルパリアンさんによるトークショー開催!
◎ショーレ・ゴルパリアンさんインタビュー
― この度は、『映画の旅びと イランから日本へ』(以下、自伝本)のご出版おめでとうございます。面白くて一気に読みました。40年前にショーレさんが日本にやってきた衝撃の理由も書かれていて、驚かされました。 1991年末、2度目に来日されてからのショーレさんの歩みは、まさに、日本におけるイラン映画の歴史に重なります。私自身のそのときそのときの思い出も蘇りました。
ショーレ:イランから来日したすべての監督たちにインタビューされていると思いますので、いろいろ思い出されたことと思います。
― 残念ながら、キアロスタミ監督にはインタビューしていないのです。キアロスタミ監督がインタビューを受けていらした頃には、まだ会社勤めをしていて、映画は観ていたものの機会がありませんでした。亡くなられたあとにキアロスタミ監督を追悼する映画『キアロスタミとの76分15秒』(2016年)を作られたセイフラー・サマディアン監督にキアロスタミ監督のお話を聴けたのはよかったと思っています。
今日は、「そしてキアロスタミはつづく」の特集上映を機に、キアロスタミ監督のことを中心にお話を伺いたいと思います。
◆記憶力で書いた記事 【キアロスタミ、日本の天皇に会う】
― 自伝本の中で、まず印象に残ったのが、キアロスタミ監督と黒澤監督のご自宅を訪ねた時のことです。「録音しておけばよかった」というキアロスタミ監督の言葉を聞いて、「全部覚えていますよ」と書き起こしたものが、【キアロスタミ、日本の天皇に会う】という記事になってイランの映画雑誌に掲載されたというエピソードはすごいなと思いました。
ショーレ: キアロスタミさんは、基本的に人を疑う癖があって、「覚えているなら書いてみて」と言われて、目を通してもらって、OKをいただいて、安心して記事を出しました。
― ショーレさんは、通訳されるときも、メモを取らないのに、監督たちの長い話を的確に伝えてくださって、いつもびっくりします。
ショーレ:私の通訳もイラン映画の撮影と同じです。セリフをきちんと覚えて、そのまま言わせるのではなくて、セリフを役者の身体に入れて、自分のものにして言わせるというのがイラン映画のスタイル。監督の答えを全部聴いて、自分の中に入れて話すのです。長くてなかなか終わらない監督の話は、頭の中にコードを入れます。最初は奥さんの話、次は子どもの話、最後は車の話という風に。そうすると順番に言えます。メモしたのをそのまま読むのはいやなのです。
― 自伝本の中に、キアロスタミ監督が『友だちのうちはどこ?』の個別インタビューを3日間受けている中で、前に出たのと同じ質問をされると、ショーレさんに「答えはもう知ってるでしょ」と、答えの代わりに時間つぶしに関係のないジョークをおっしゃっていたという話が可笑しかったです。
ショーレ:キアロスタミさんの取材はいっぱい入っていて、なぜかみんな同じ質問をしてきます。最初の日は、同じ質問にもちゃんと答えるけど、2日目になると、「なぜ違う質問してくれないのか。あなたがわかっているから返事して」と。でも、すぐに私から返事をするわけにいかないので、キアロスタミさんも心得ていて、別の話をしていました。
― どんな話を?
ショーレ: 結構、きわどい冗談を言ってました。笑いをこらえながら、一生懸命頑張って真面目な話を聴いている顔をして、記者の方にはちゃんと答えていました。録音もされているから、大変でした。キアロスタミさんには意地悪ばかりされていました。
― その冗談をちゃんと訳していただいて聴きたかったです。
◆『ライク・サムワン・イン・ラブ』は、『The End』だった
― 日本で撮影された『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012年)でも、ずいぶんご苦労されたことをあらためて自伝本を読んで知りました。ナデリ監督が日本で『CUT』(2011年)を撮られて、キアロスタミ監督も日本で映画を撮りたいと思われたとも聞いています。
ショーレ:それを聞くと、キアロスタミさんは怒るかもしれません。企画は『CUT』よりずっと前から立てていました。思い通りのロータリーがなかなか見つからなくて、『CUT』が先にできてしまいました。キアロスタミさんが一番大切にするのはロケーション。時間をかけて探して、イメージ通りのロケーションを見つけたら、すぐに撮影されます。
― ショーレさんがロータリーを探して、日本だけでなく釜山にも行かれた話が自伝本に書かれていて、ほんとにキアロスタミ監督のために尽くされたことを知りました。そうやってショーレさんがキアロスタミ監督と良い関係を築かれてきたのに、『ライク・サムワン・イン・ラブ』がもとで、晩年は絶縁状態だったことにびっくりしました。この映画の製作では、ショーレさんは「監督補」という日本の映画の現場にはないイラン映画特有の役割を担っていたのに、それを理解していない日本人の方が、英語訳の「Associate Director」を「共同監督」の意味だと伝えられたことで、キアロスタミ監督が「ショーレも監督のつもりか」と誤解されて、その後、誤解を解く機会もないまま、お亡くなりになられたことに、ショーレさんが今もどんなにつらい思いでいらっしゃることかと思います。
ショーレ:すごくつらかったですね。でも、亡くなられたとき、ちょうどイランにいて、お葬式に参列することができて、皆に、日本的に「呼ばれたね、仲直りしたかったからだよ」と言われました。時間が経つと、私の性格なのですが、苦労や悪い思い出は全部デリートしてしまうので、いい思い出しか残っていません。偉大な監督のキアロスタミさんから学んだことはいっぱいありますし、すごく笑ったこともありますので、それしか頭に残ってないです。『ライク・サムワン・イン・ラブ』の苦労は、もう全部忘れました。
― ほかにも色々とご苦労されて、『ライク・サムワン・イン・ヘル(地獄)』だったと書かれていましたね。
ショーレ:実は、『ライク・サムワン・イン・ラブ』は、最初、『The End』というタイトルでした。イランの新聞に出て、縁起が悪いといわれてタイトルを変えました。でも、これが長編劇映画の最後の作品になって、ほんとに「TheEnd」になってしまいました。
◆キアロスタミとナデリは、よきライバル
― 自伝本では、キアロスタミ監督とナデリ監督の対照的な性格もよくわかって、すごく面白かったです。
ショーレ:二人はいい意味でのライバル。キアロスタミさんはカーヌーン(イラン児童青少年知育協会)のスタッフで、ナデリさんは外の人間だけど、5年間くらい、キアロスタミさんの部屋で、ぷかぷかタバコを吸いながら二人で、これ撮ろう、あれ撮ろう、あの話、この話と、いろいろ話していたそうです。
キアロスタミさんの初めての長編映画『The Experience』(1973年) は、ナデリさんが実際に味わった話。『トラベラー』(1974年)もサッカーを観に行って、始まる前に寝てしまって起きたら試合が終わっていたというナデリさんの話が元になっているけれど、「この二つの映画が僕の話から生まれたとキアロスタミさんはどこにも明かさない」とぼやいてました。初の短編『パンと裏通り』(1970年)も、ナデリさんが背中を押して、やっとキアロスタミさんが撮った映画だと言ってました。ライバル意識があったから、お互いがお互いを助けたとは言わないけれど、お互いがお互いを助けていました。
― ナデリ監督はキアロスタミ監督が亡くなられたと聞いて、これからリングにあがって誰を殴ればいいんだとおっしゃったそうですね。
ショーレ:お葬式の時に、誰かからナデリさんがすごく悲しんでいると聞きました。お互い好きだけど、表に出しません。ナデリさんに電話したら、私の声を聴いてひとこと、「これからリングの上で誰を殴ればいいんだろう。マフマルバフじゃない、ファルハーディーじゃない、誰だろう」と言って電話を切ってしまいました。いつも、キアロスタミさんが作ったから、僕も作ろうとお互いに思っていたのではないかと思います。
― ナデリ監督は、今、コロナで映画を作れないでいるのですか?
ショーレ:ロサンジェルスにいて、脚本はたくさん書いているけれど、なかなか映画は撮れなくてイライラしています。キアロスタミさんはイランの映画の師匠でした。キアロスタミさんは、目の前にいて、ノックすれば家に入れるくらい近い存在でした。ナデリさんはイランを離れてアメリカにいて、目の前にいない師匠だったけれど、キアロスタミ師匠が亡くなってから、ナデリ師匠に注目して、映画を目指すイランの若い人たちがナデリさんに電話したり、作った映画を観てくれとお願いしたりしていて、ナデリさん、「なんで今?」と思っているのではないかと思います。
◆キアロスタミ監督が育てた二人の息子
― ショーレさんの本を読んで、キアロスタミ監督が離婚されてシングルファーザーだったことも知りました。
ショーレ:離婚して二人の息子を育てていました。ナデリさんから聞いたのですが、キアロスタミさんはカーヌーン(イラン児童青少年知育協会)のサラリーマンだったので、5時になると仕事をやめて帰って、息子の面倒をみたりご飯を作ったりしていたそうです。ナデリさんは家庭を持っていませんでしたから、ナデリさんからするとキアロスタミさんは子どもの世話をしながら映画を作っていて偉いなと。 息子たちも、家でパパが編集したりしているので、映画は身近なものでした。次男のバフマン・キアロスタミはドキュメンタリー監督になっていて、編集もうまくて、『ライク・サムワン・イン・ラブ』の編集も半分手伝っていました。長男のアフマド・キアロスタミはIT関係の仕事に就いたけれど、今は父親の映画の修復や、映画を紹介するイベントを企画しています。アフマドは母親と海外にいたこともあって、キアロスタミ監督の現場にあまりいなかったので、今、あらためて映画を観て、父はすごいなと思ったと言っています。次男のバフマンは、よく現場にいて、キアロスタミのやり方を見ていました。『桜桃の味』の最後にも映っています。
★アフマド・キアロスタミ氏(デジタル・リマスター版監修)
動画メッセージ https://youtu.be/tfjE5dLemHo
― 2019年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたバフマンさんの『エクソダス』を観ましたが、全然タイプが違いますね。
ショーレ:作風が違いますね。逆にイランの若い監督がキアロスタミを真似た映画を作っているけれど、バフマンが作った映画は父親の作品に似てないです。父から学んだことはいっぱいあるし、撮り方や技術や芸術は見ていたけれど、自分の映画を作るバフマンはすごいと思います。
2019年の山形国際ドキュメンタリー映画祭 アジア千波万波で上映された『エクソダス』で奨励賞を受賞したバフマン・キアロスタミ監督 (撮影:宮崎暁美)
◆宿題に苦しむ息子から生まれた映画
― 『ホームワーク』(1989年)は、息子さんが通っていた学校で撮ったそうですね。少年たちがすごく可愛かったです。
ショーレ:息子が宿題にすごく苦しんでいて、PTAに行ったら、ほかの親も皆、宿題が大変と言っていて、そこからあの映画を作ることになったそうです。学校にカメラを持っていって、子どもたちを呼んで、宿題のことを次々聞くのですが、「友だち呼んでください」と泣き出してしまう男の子には、こちらも涙が出ました。
『ホームワーク』は、テヘランで有名な大きな映画館で公開になったのですが、すごくたくさんの人が観に行ったのを覚えています。ちょうどイランに帰っていて、観たいのになかなかチケットが入らないくらい、皆、観に行きました。特に学校の先生が観に行くべき映画でした。
― 『友だちのうちはどこ?』(1987年)でも、宿題をやっていないと怒られていましたね。
ショーレ:私の時代も、ほんとに宿題が多かったです。同じものを10回書くなど、宿題に苦労していました。キアロスタミさんは、自分の経験したことや、身近な人が経験したことから映画を作っています。『友だちのうちはどこ?』も、先生をしている友達から、間違って持って帰ったノートに宿題をしてきた生徒の話をひとこと聞いたことから生まれたそうです。ちょっとした話から映画を作るのですね。 話を考えて、いろいろ計算して撮っているのに、そこにその話があって、監督はカメラを置いてどこかに行ったみたいな感じですね。
― 計算して作っているのが感じられないですね。扉を作る職人さんが、「鉄の扉なら一生持つから、鉄の扉に変える人が多い」という一方で、「この木の扉は40年持っている」という言葉があって、あの村の家の扉をなにげなく見せながら、人生は短いということを感じさせてくれる場面でした。
ショーレ:シンプルに語っているけれど、裏があって、奥が深くて、哲学があります。
◆映画には詩が流れている
― イランの方は詩が好きで、その詩もすごく哲学的。ひとつひとつの言葉に人生の哲学があって、特にキアロスタミの映画を観ているとそれを感じます。
ショーレ:キアロスタミさんも自分の映画は詩がベースとおっしゃっていました。ほかの監督の映画を観ていても、誰かの詩がベースだと感じるのですが、特にキアロスタミさんの映画には詩を感じますね。ご自身、俳句といってショートポエムを書いていました。映画には詩がずっと流れています。正確には詩ではないけれど、セリフが詩のようです。キアロスタミさんは、ソフラーブ・セぺフリー(1928年~)の詩を詠んだ時に、自分の世界に近いと感じたそうです。実際に会ったことはなかったけれど、友達から聞いて、性格も自分に近いと思ったそうです。『友だちのうちはどこ?』は、セペフリーの詩にある名文章です。セペフリーを尊敬していました。すべての映画には詩が流れています。『桜桃の味』の最後に出てくるおじいさんの話も詩人の話のようです。読み書きのできなかった詩人バーバー・ターヘル(11世紀の神秘主義詩人)を思い起こします。
先日、『桜桃の味』をマスタークラスのために何年かぶりに観たのですが,最後のおじいさんの話にじーんとさせられて、前に観た時と違う目で観たと思いました。字幕を付けたときには、字幕をチェックする感じで観てしまうけれど、今回は映画そのものを観て、あらためてすごい映画だなと思いました。
― 私も先日、久しぶりに『桜桃の味』を観て、あらためて、キアロスタミ監督はすごいなと思いました。最初、大通りを走っているとアフガン難民と思われる青年たちが、仕事を求めて声をかけてきます。郊外の丘へ行って、自殺しようとしている主人公が、これはと思う人物に声をかけて車に乗せると、必ずどこの出身かを聞いています。イランにいる様々な民族の人を自然な形で登場させてイランの多様性を見せていることに気づきました。エンドロールで、最後の場面に出てきた兵士たちの名前と出身地が書かれていたことにも驚きました。
ショーレ:最後に走っていた兵士たちの名前もすべて挙げて、イランには徴兵制があることも示したのですね。キアロスタミさんは、出演した人たちやスタッフすべてを尊敬しているので、全員の名前を掲げたのだと思います。
◆観客の反応する姿に興味があったキアロスタミ
― キアロスタミ監督がイラン各地で「ターズィエ」(シーア派指導者の殉教した日の出来事を語る劇)の観客を映した映画『Looking at Tazieh』を撮られていることにも興味を惹かれました。
ショーレ:キアロスタミさんは、若い時、友だちと映画館にいくと、映画じゃなくて観ている友だちの反応を観ていたそうです。それをいつか映画にしたいと思って撮ったのが、『シーリーン』(2008年)です。12世紀の詩人ニザーミーの叙事詩に基づく悲恋物語「シーリーン」の劇(映画)を観ている女優たちの反応を撮った映画ですが、音声だけが聴こえていて、彼女たちが観ているものは映されていません。『ターズィエ』も、劇を演じている人でなく、観ている人たちが泣いたり、感極まったりしている姿を映し出しています。この映画は権利を外国が持っていて、なかなか観られないです。キアロスタミさんから聞いたのですが、イタリアで、殉教劇「ターズィエ」を上演した時に、ペルシア語なのに、イタリア人が皆、泣いていたそうです。イランと同じ反応をしていて、すごく面白かったとおっしゃっていました。言葉が通じなくても、悲しい物語なのが伝わったのはすごいと。
― 映画や演劇は言葉がわからなくても伝わるものがありますね。
ショーレ:そうですね。私たちは字幕を全部読んでも理解できないことがあるけれど、ちょっとだけ字幕を読んで映像を観れば伝わってくるという経験をしていると思います。
◆ZOOMでイランの映画人も身近に
― ショーレさんは、長年にわたってイランと日本を映画を通じて繋いでいらして、字幕や通訳だけでなく、東京藝術大学大学院映像研究科の客員教授も務められ、日本の映画人育成にもご尽力されています。今は、コロナでイランから映画人を招聘することもできないでいると思います。
ショーレ:ワークショップは、全部インターネットでやっています。この間も、『ホテルニュームーン』の脚本を書いた脚本家のナグメ・サミミと10日間、脚本ワークショップをおこないました。マスタークラスも開いています。 今まで日本に呼ばないといけなかったけれど、逆に、これからはずっとZOOMでおこなうことになるのではないかと思います。日本に招聘すると、アテンドも必要ですが、ZOOMなら、お互い、家にいてやりとりできて時間が有効に使えます。
― 生身の方に会いたいけれど、今年も映画祭は監督たちとZOOMでQ&Aですね。 自伝本には、映画祭で来日されたイランの監督たちのこともいろいろ書かれていて面白かったです。
ショーレ:私自身が経験したことや、偉大な監督たちの思い出を書きましたので、イラン映画のこともよくわかると思います。
― 映画製作の裏話も書かれていて、監督たちがこんな風に思って映画を作ったということも知ることができました。
◆キアロスタミさんは人生の先生
― ショーレさんのお仕事、大変だけど、ほんとに楽しそうですね。
ショーレ:仕事は楽しめないとやっていられません。どこかで楽しいことを見つけます。キアロスタミさんは頭がいい方で、どこで人を楽しませるかを考えていました。例えば、取材の間でも違う話をしたりしていました。学んだことはたくさんあるのですが、キアロスタミさんは、私にとって人生の先生でもあったという気がします。通訳するときに、キアロスタミさんの言葉を一回私の中に入れてから通訳しましたので、ほんとに多くのことを学びました。私にとっては 20年間のワークショップでした。二人で歩いたり、ご飯を食べたりしながら、よくしゃべりました。人生に役立つ話がたくさんありました。自伝本にも少し書きました。厳しい人でしたので、いろんな人と話はしなかったと思うのですが、人を信用すると話してくれます。信用するまで時間がかかるのですが、私は信用していただいて、プライベートな話も含めていろいろ話してくださったので、私はほんとに幸せだったと思います。ナデリさんも信用して私に話してくれて、私にとって宝です。
2019年 山形国際ドキュメンタリー映画祭
左からショーレ・ゴルバリアンさん、アラシュ・エスハギ監督、アミール・ナデリ監督、バフマン・キアロスタミ監督
(撮影:宮崎暁美)
◆コロナ禍で疲れた心をキアロスタミの映画で癒して!
ー 最後に、今回の「そしてキアロスタミはつづく デジタル・リマスター版特集上映」にあたって、日本の観客にひとことお願いします。
ショーレ:コロナで1年半、友達にも会えなくてずっと一人で家にいた経験をした今だからこそ、今回の7本をぜひ観るべきだと思います。今、私たちが必要としている映画。今の私たちは混乱した世界にいるから、ハリウッド映画のようなごちゃごちゃしたものじゃなくて、優しい映画を観たい。ほっとする映像を観たい。個人的にユーロスペースに感謝しています。歳を取ると、全然違うところに目がいったり、違う味わい方をするので、私自身、今回の特集上映の7本を劇場で観るのが楽しみです。
『オリーブの林を抜けて』、3週間くらい癒される。
『風の吹くまま』、ほんとにほっとする。
『トラベラー』、可愛くてしょうがない・・・
ネットでも観られるけれど、暗い空間の中で一人の世界に入って大きな画面で観るべきだと思います。家だと気持が散ります。イマジネーションの世界に入って観るのが楽しいです。
― 今後、さらにどんな夢をお持ちでしょうか?
ショーレ:キアロスタミさんがおっしゃっていたのですが、我々は夢と現実を行ったり来たりできるから、すごく幸せだと。一人でいても夢をみて孤独にならない。神様からご褒美としてもらったのが夢。寝てみる夢じゃなくて、イマジネーション。コロナ禍が終わったら、イランにも帰って、トルコにも行って、ナデリさんの撮影現場にも行って・・・と、思いめぐらしています。私の夢は映画のトラベラーですから。
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「キアロスタミさんは人生の先生、ナデリさんは私の宝」とおっしゃるショーレさんをうらやましく思ったひと時でした。 私にとっては、ショーレさんの存在があったからこそ、数多くのイラン映画を日本で観ることができたと、感謝の思いでいっぱいです。
キアロスタミ監督にはインタビューをする機会は持てませんでしたが、何度か言葉を交わしたことはあります。初めてお会いしたのは、徳間ホール(現:スペースFS汐留)で開かれた2004年のイラン映画祭の記者会見の時でした。私のちょうど前の席にキアロスタミ監督が座っていらして、その隣に存じ上げている大阪外国語大学(現:大阪大学)ペルシア語科のラジャーブザーデ先生がいらしたので、先生にお声をかけてキアロスタミ監督をご紹介いただいたのでした。
最後にお会いしたのは、ユーロスペースの入っているビルの1階のカフェで、ショーレさんとお話されている時でした。「日本で作られる映画を楽しみに待っています」と申しあげたところ、「どうぞ待っていてください」とにっこり笑ってくださいました。
上映後のQ&Aや、東京フィルメックスの「Next Masters Tokyo 2010」での講義(写真上)なども聴く機会がありましたが、一番印象に残っているのは、東京藝術大学でのシンポジウムです。藝術を学ぶ学生さんたちがメインの参加者だったので、高尚な質問が多く、キアロスタミ監督も、ことのほか嬉しそうでした。
今回の特集上映「そしてキアロスタミはつづく」、監督の姿を思い出しながら味わいたいと思います。
景山咲子
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