『フタリノセカイ』飯塚花笑監督インタビュー

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*プロフィール*
飯塚花笑(いいづか かしょう)1990 年生まれ。群馬県出身。
大学在学中は映画監督の根岸吉太郎、脚本家の加藤正人に学ぶ。トランスジェンダーである自らの経験を元に制作した『僕らの未来』(2011)は、ぴあフィルムフェスティバルにて審査員特別賞を受賞。国内のみならず バンクーバー国際映画祭等、国外でも高い評価を得た。大学卒業後は「ひとりキャンプで食って寝る」(TV 東京)に脚本で参加。フィルメックス新人監督賞 2019 を受賞するなど活躍している。2020 年 4 月、「映画をつくりたい人」を募集するプロジェクト『感動シネマアワード』のグランプリ作品6作品のうちの1つに選ばれる。
『僕らの未来』PFFアワード2011審査員特別賞、『青し時雨』、『海へゆく話』沖縄国際映画祭2016 優秀賞

『フタリノセカイ』
脚本・監督:飯塚花笑
出演:片山友希、坂東龍汰、クノ真季子、松永拓野、
保育園に勤める今野ユイ(片山友希)と実家の弁当屋を手伝っている小堀真也(坂東龍汰)は、出会ってすぐに恋に落ちた。将来結婚する約束を交わし、幸せな日々を過ごしていたが、真也には、ユイに伝えていないことがあった。それは、体は女性、心は男性のトランスジェンダーだということ。真也が時折見せる思い詰めた顔に不安を感じていたユイは、ある時、その理由を知る。
https://futarinosekai.com/
(C)2021 フタリノセカイ製作委員会
作品紹介はこちら
★2022年1月14日(金)新宿シネマカリテほか全国順次公開


―映画はトランスジェンダーの当事者である飯塚監督だからこそできた作品ではないかと思いました。私はたまたま映画を一般の人より多く観ているので、LGBTについての知識もいくらかありますが、深くは知りません。
『きこえなかったあの日』の今村彩子監督に、「聞こえない方に私たちができること」を尋ねたときに「まず聞こえない人がいるということを知ってほしい」と言われました。飯塚監督もトランスジェンダーのことをもっと知ってほしい、と思われますか?


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そうですね。僕も知ってほしいと思います。この映画でも描いていますように元々男性として生まれて生きて来た人とは違う部分は、ありますので。みんながトランスジェンダーの知識を持っていて、こういう人間が気づかないけど身近にいるかもしれないという想定の中で話が進んでいったりですとか、そういう配慮があるともっともっと生きやすくなると思うことが多々あります。
僕の描くものでは、自分のパーソナリティと切っても切り離せない部分がおおいにあります。いろんなタイプの方がいて、自分のパーソナリティを隠して生きている方もいらっしゃいますが、僕の場合は特に隠すつもりもなく、トランスジェンダーであることは自分自身の一部であり特性だと思っています。抵抗感はないので、記事を読まれる方も僕のパーソナルな部分も含めて読んでいただければより理解が深まったりするのでは、と思います。

―ありがとうございます。では映画についての質問を。今劇場にかかるということは、コロナ禍の前に撮った作品ですか?

撮影自体はコロナの前です。2019年の6月に11日間で撮りました。編集まで終わっていて、音の仕上げの段階でちょうどコロナで自粛に。

―撮影が終わっていてよかったですね。6月でも雨のシーンはなかったですが。

奇蹟的にかわしたんですよ。「僕らほんとに行いがいいね」と(笑)。外で撮影していて次のシーンで中に入ろうと言った瞬間に降り出したり、逆に室内のシーンをやっているときに雨だから次のシーン撮れないかなと言って終わったら、雨が上がったり。

―それは映画の神様に可愛がられたんですね。

ほんとに神様いるんじゃないかって。あれで運を使い果たしたかもしれない(笑)。

―いやいや、これからもいい行いを積み重ねて、ヒットに結びつけてください。ロケではあのお弁当屋さんと上の信也の部屋、保育所がメインでしたね。

最初は予算的にも、営業しているお弁当屋さんを借りて2日間で撮り切るしかないか、とそういう案で動いていたんですが、やはり10年の歴史を2日間でまとめるのは無理ですし、映画として良くないよねと。元々中華屋さんだった、1階が店で2階にあの住居スペースがある建物を見つけて、作りこみました。高崎フィルム・コミッションさんと制作部が頑張ってくれました。高崎で撮影して全面協力していただいたのに、ある地方都市という設定で高崎らしいところが写っていないんですが。

―最初のほうに保育所に勤めるユイがイザナギ、イザナミのお話をする場面があり驚いたのですが、あのアイディアはどこから出たのでしょう?

物語の最初に、これから起きることに関わる象徴的なお話を持ってきたいとずっと考えていて、絵本や童謡など見たり聞いたりしました。日本書紀(古事記も)を現代語訳したものがあって、ああいう話になるんですよ。あそこで表現したかったのは、幼少期から家族を持つのが幸せだよとか、男の人と女の人がいて、最終的にこういう形になるんですよ、という「刷り込み」がこの世の中にあふれかえっているという象徴としてああいうものにしたんです。

―キャストの方々が素敵でした。片山友希さんのユイ、坂東龍汰さんの真也、若いときのまっすぐでピュアなところなど、おばあちゃん目線でよくケンカするなぁ、若いなぁ、可愛いなぁと観ていました。お2人のキャスティングはどういう風に決まったんでしょうか?

そもそも「友希を主演とした作品を撮りたい」と、芸能事務所のブレスの社長である狩野さんから相談を受けて、その後『フタリノセカイ』を提案しました。坂東君に関しては、狩野さんからご提案があって。最初はシスジェンダーである彼にトランスジェンダーを演じられるのか?という不安はあったのですが、色々と資料を見させていただいて、トランスジェンダーの特性を持っていると感じたので、キャスティングに至りました。
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―松永拓野さんの俊平くんもとても印象に残りました。3人の喫茶店でのシーンに泣けました。飯塚監督の以前の短編にも出演されていますね。

すばらしい役者さんです。やんちゃな役が多いんですけど。この役は松永さんでないとできなかったです。

―この映画にはトランスジェンダーだけではなく、子どもを産む人、欲しくてもできない人、理解する人、しない人と、いろんな立場の人、エピソードがたくさん入っています。監督が体験したこと、見聞きしたことが多いかと思いますが、モデルになった方がいらっしゃるんですか?

特にモデルという人はいないんです。やはり身の回りの、僕と同じトランスジェンダーの「結婚ができない」「子どもができない」ということで、パートナーから別れを切り出されたというのが「あるある」というか、よくある話なんです。
10年前だと、精子提供していただいてトランスジェンダーが子どもを育てるというケースはあまり聞かなかったんですが、最近はよく聞くようになりました。

―やっぱりここ数年で周知が進みましたか?

そもそもトランスジェンダーが父親だと認められなかったんですよ。今まで精子をもらってパートナーが出産しても、父親として認められなかった。それが2013年から認められるようになった。一度最高裁までの裁判になって、そこで父親と認める判決が出て、そこから変わったんです。

―ほんとにもう次から次へと壁がたちはだかりますね。
私はやはり親の立場で観てしまうんですが、この映画の真也のお母さんはとても理解があるように見えましたが、ユイに「わかったふりしないで!」と言われるシーンがあります。ギクッとしました。
親ってどうしたらいいんだろう、どこまで理解できるだろうと思いました。子どもにしても親になかなか打ち明けられないということがありますね。


もちろん一番身近な人間から否定されるかもしれないということがあります。僕の友人の中にも親が理解してくれなくて、そこから絶縁状態になってしまうとか、そういうパターンもありました。言ってみないとわからないじゃないですか。うちの両親もそうでしたけど、思った以上に拒否反応を示しました。僕はもうちょっと受け入れてくれるという風に期待してカミングアウトしていたんですけど。よその子が当事者であったら、そこまで拒否しない。いいんじゃないくらい。それがわが身になると、「やっぱり孫の顔を見たい」とかある種の幸せ像を持っているんですね。なかなか受け入れられない時間がありました。

―前例も参考になることもあまりに少なくて知らないことばかりです。でも今まで人間が生きて来た中で必ず(LGBTの人が)いたはずなんです。これまで表現することも、パートナーに出逢える機会もないまま人生終えてしまった人がたくさんいたんでしょうね。

「自分がそうだ」と言ったらそれこそ差別されて「お前はおかしい」と言われる時代では、そういう人たちはアンダーグラウンドの世界に行くか、自分の心を偽るしかなかった。80歳90歳になってカミングアウトした方の記事を読んだことがあります。ずっと心のうちに秘めてきて、奥さんが亡くなられてから初めてカミングアウトされた。

―やっと言える時がきて。言えて重い荷物をおろした感じでしょうか。

ようやく言えたって、その勇気もすごいですよね。差別されてきた時代を生きて、ようやく言える時代が来て、それでも言うことのハードルって高かったと思うんです。

―合わない靴だって少しの間も履いていられません。身体や心の入れ物がちがうってどんなに辛いか、例えようがないですね。昔だったら、命がけのことですし。

国によっては同性愛が違法となり、死刑となる国もあります。異常だから治せというところもあります。

―真也の胸が見えるシーンがあります。とても綺麗なんですが、造形したんですか?

あれは”エピテーゼ”と言う、たとえば乳がんの方とか、病気や事故で身体の一部をなくした人のために作るものなんです。坂東くんの身体に合わせて型を取って作りました。すごく綺麗で最初見たときびっくりしました。本物にしか見えないんです。
ちょっと大きすぎたかなと思ったんですが、彼の肩幅に合わせるとあのサイズになるんです。

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―坂東さんめったに経験できないことですが、なんとおっしゃっていましたか?

喜んでました(笑)。でも真面目な話、真也はトランスジェンダーで自分には胸があってほしくないと思って生きている人物です。実際に胸をつけたり、胸をつぶすような服を着てもらったりしたときに呼吸が苦しくなるとか、胸が目立たないように猫背になるとか、そういうことが彼の役者としての肉体の感覚として、腑に落ちたと思うんです。

―あの胸をどこで見せるかが難しかったんじゃないでしょうか?

それはものすごく議論しました。脚本の段階でもそうでしたし、最終的な編集の段階までかなり議論しました。物語の序盤では一切真也がトランスジェンダーだという痕跡を見せていません。実は撮影の素材では早い段階で見えるシーンも描いていました。ただ早い段階でわかってしまうと、サスペンスにならない。真也は何か隠しているけど、何なんだろう?というのが生まれないので、これはもうちょっと後ろまで引っ張っていったほうがいいんじゃないのということになって、編集で切りましたね。

―ユイの結婚相手が憎まれ役でした。眼鏡女子が好きな人でしたね。

実は、眼鏡は象徴的に使っています。ユイが眼鏡をかけているときは、ある一つの「既存の価値観のフィルターを通して世の中を見ている」んです。

―ああ、真也くんと一緒にいれば外せるんですね。あの夫はユイが外した眼鏡をかけさせる。

そうです。裏設定なんですけどユイを自分の価値観で縛るんです。

―この映画、ジェンダーのことだけじゃなくて、そんな風に男女や結婚生活のことも描かれていて面白かったです。脚本は何稿で書き上げましたか?

僕の中ではあんまりかからなかったんです。何稿書いたかな?5,6稿。

―俳優さんたちもそうそうジェンダーを扱った映画に出るわけではないでしょうから、きっとこの作品で知識が増えて勉強になったのでは?

片山さんはこの役をやるとなったときに、最初に勉強しなきゃと思ったそうです。やっぱり知らないことなので。役としてどうするという以前に「知る」というところからスタートしたというお話はしていました。
(宣伝・高木 片山友希さんがおっしゃっていたんですけど、「監督の“性同一性障害の診断書”を常に読み返していました。そのほうが、いろんな本を見るよりはきっと気持ちが理解できるだろうから」って)

―ユイは知らないで好きになってしまうわけですけど、坂東龍汰さんは初めてトランスジェンダーの役をしなければいけないので、もっと大変だったでしょうね。ラストもあるし。

ラストもあるし(笑)。
(宣伝・高木 坂東さんも撮影に入る前から監督といろいろ議論もされていたそうです)
そうそう。

―ラストは脚本ができたときから決まっていましたか?

決まってなかったですね。とにかく僕が思っていたのは、他にはない「二人だけの世界」を作りあげる…それは他の人にとっては幸せでないかもしれない、でも2人にとってはほんとに幸せなんだと。2人の”オリジナルの幸せ”にたどり着く…そのゴールだけは見えていたんです。
僕が映画を作っていく中で、”いろんな幸せの可能性を見たい”という思いがものすごく強くありまして。それは今までの映画にさんざん描き尽くされている幸せを、またこの映画の中で描いてもそれはもう描きなおしでしかなくて、あまり意味がないと思っていました。僕はあのラスト、“希望”だと思っているんです。あのシーンをツボだと言った方もいらしたので、観た方々によって感想は違うと思いますけど。

―ここで終わりか、と思ったシーンがありました。そこはこれまでならラストになるシーンですが、その先がありました。え、と思ったけれど、これは新しいかなと。
キャストの皆さんと話し合いながらあのラストになったんですね。


ふつうはあそこで終わりますね(笑)。僕自身の観たい世界がどうしてもあって。肉体で決められている性とかいうものに、やっぱり人は縛られて生きていると思うんですよ。女性の身体を持っているから貴女は女性。女性らしい身体を持っているから自信が持てますよ、みたいな。逆に男性らしい肉体を持っているから男性で。
だけどこれからは、「どんな肉体・容姿を持っていても、精神は自由になっていかねばならない」と思っていて。最後真也が選択した方法は、言葉で言うと頭の理解が追い付かないかもしれないんですが、男性として誇りを持っての行動なんです。僕は次の時代の幸せの形になりうるんじゃないかなと思います。

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―世の中が少しずつ進んできましたが、監督は望んだ生活ができていらっしゃいますか?

いち当事者としてですか? 映画の中にもありますが、保険証には性別が書いてあるんです。僕は戸籍を変更していません。変更するためにはいろんな手術をしなくてはいけないんです。身体の自由はやっぱり守らなきゃいけない、そして精神も自由でありたいというどっちもセットの自由が必要だと思っています。身体にメスを入れなければ男性と認められないなんて変な話なんですよ。
女性と書いてある保険証を病院で出しますと、まず「あなた誰ですか?」っていうところから始まる。お役所とかもそうですけど。そういうところで躓くことが生活の端々であります。

―これからだんだん周知されていけばわかってもらえるようになるんじゃないでしょうか?数がまだ少ないからだと思います。

数、はあると思います。映画は群馬という設定なので、まだ病院で名前を呼ばれてしまっていますが、都内だと人口が多い分、トランスジェンダーの方に接する機会が多いのか、配慮が進んでいます。必ず苗字だけで呼ぶとか、最初に書く問診票の性別欄に「女性、男性、その他の性」という項目があったりとか、それは都内の方が多い気がします。地方との差は感じます。
困っていることは殆どないですけれども、これからパートナーと結婚したいとか、その時々によって問題は起きてくるかもしれません。何が待っているかはなってみないとわからないです。

―この映画の後のご予定は?

長編一本の編集が終わったところです。90年代にものすごい人数のフィリピンから出稼ぎの人たちが来日して、日本人と結婚して生まれた子どもがたくさんいます。今度はフィリピンハーフの男の子の話です。

―楽しみにしています。今日は長時間ありがとうございました。
(まとめ・監督写真 白石映子)

★飯塚監督の自伝的作品『僕らの未来』はU-NEXTで配信中

=取材を終えて=
初めてお目にかかった飯塚監督は明るくてとてもよく笑う方で、脱線してしまう私にも丁寧に答えてくださっておしゃべりが弾みました。今日は私の「知る」の第1歩です。
イザナギ・イザナミのお話をネットで探してみましたら、日本書紀より古事記の「国生み」の話が近かったです。思えば子どものころからステレオタイプな男女、家庭像、夫婦像を幾度となく刷り込まれてきたのですが、それは神代の昔からだったわけです。
その長い歴史に抗うことは並大抵ではありません。多様性がやっと話題にのぼるようになったこのごろ、マイノリティの方々が暮らしやすい社会はマジョリティにも居心地がいいはず。年取るにしたがって、誰もがマイノリティになりますから。
芝生で遊ぶ子供がレインボーフラッグ(LGBTの旗)を掲げて走っているシーンがあります。LGBTの方々をはじめ、誰もが人間として尊ばれ、生きていける世の中をそれぞれが作っていかなくては、と思いました。(白)

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