『霧幻鉄道 -只見線を300日撮る男-』 安孫子亘監督、星賢孝さんインタビュー

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星賢孝さんと安孫子亘監督

2022年7月29日 ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国にて順次公開 劇場情報 

『霧幻鉄道 -只見線を300日撮る男-』 作品紹介
2011年7月、東日本大震災3.11から4か月後。原発事故に追い撃ちをかけるように福島県と新潟県を襲った集中豪雨はJR只見線の鉄橋を押し流し、会津川口駅~只見駅間が不通となり沿線に甚大な被害を与えた。復旧工事にかかる膨大な費用、その後の赤字解消を考えるとローカル線にとって致命傷となる決定的な損害である。廃線か存続か? 廃線の危機にもさらされたが、只見線を愛する地元の応援団が、地域活性化の生命線を絶やさぬよう声を上げた。その応援団の中心は、年間300日、只見線と奥会津の絶景を数十年撮り続けている郷土写真家の星賢孝さん。
只見線は2022年10月1日に全線運転再開される。復活に懸け写真を撮り続けた星賢孝さんと応援団を追ったドキュメンタリー。

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(C)ミルフィルム

シネマジャーナル 作品紹介 『霧幻鉄道 -只見線を300日撮る男-』
『霧幻鉄道 -只見線を300日撮る男-』公式HP

安孫子亘監督、星賢孝さんインタビュー
 
2022年7月11日 日本記者クラブにて

*奥会津の絶景と只見線の写真を撮る

― 星さんは何十年も奥会津を撮っているとのことですが、只見線と周りの景色を撮ってきたということですか? あるいは只見線を入れての撮影は2011年の只見線不通からですか?

:2011年以前も写真は撮っていました。絶景の中に列車が入ることによって、より素晴らしくなると思いました。30年景色を撮っていたけれど、列車が入ることによって命が入る。人々の生活が映し出されると気づいて、只見線を中心に撮るようになりました。
あの地域を活性化するには観光客に来てもらうしかないと思った。年寄ばかりで工場誘致もだめだし、よそから観光で来てもらうしかないだろうということで、観光でここに来てもらうには宝物を探さないといけない。なんといっても春夏秋冬四季の絶景と只見線。それをPRしていくしかないだろうと思った。2011年以前は、それでも注目してくれていたのは鉄道ファンだけ。地元の人たちは素晴らしさにまったく気づいてなかった。観光になるなんて思っている人はいなかった。
豪雨での被災のあと、只見線をどうするかという話し合いをした時、80%以上の人は住民の足としてしか見ていなかったし、自分は只見線なんてほとんど乗らないし税金をかける必要はない。只見線なんていらないなんていう人もいた。
私は30年、ひたすら只見線を撮ってきましたが、国内の人も外国の人も素晴らしさに気づいてなかった。写真をSNSなどで発信することによって、いろいろな人に少しづつ只見線の素晴らしさに注目してもられるようになりました。そしてインバウンド(外国人)の人たちが、6~7年前から急に増えて、只見線が宝だと気づかせてくれました。震災以降、只見線の魅力を海外まで行って(写真展、講演などをして)PRしました。最初、上海に3回行きましたが、放射能を気にして動いてくれなかった。台湾に行ったら友好的で大歓迎してくれた。中国とは考えが違う。
四季が素晴らしいと。それと東南アジアには四季がないので春夏秋冬と、その変化に憧れを持ってくれました。特に紅葉、雪景色、さらに夏や春も景色を観に来て、会津若松から川口までの只見線が通っているところを撮るようになりました。地元の人は歩かないのに、台湾の人たちが団体で歩いている姿をよく目にするようになりました。地元の人たちは生まれた時から見ているから良さがわかってなかった。不幸なことではあったけど、只見線は私たちの宝と気づいて応援してくれるようになったら行政も動いてくれました。

― 安孫子監督がこの映画を撮影することになったきっかけは? 只見線応援団の方たちからの依頼ですか? あるいは自分から星さんを追って映画を作ろうと思ったのですか?

監督:結論からいうと星さんから話がありました。私は2011年以降、福島を記録していました。そんな時に只見線がこういうことになっている。震災のあとの豪雨による水害で鉄橋が3つ流されて、只見線が止まってしまったと聞きました。赤字を抱えたローカル線で致命傷を負って復活できるのかな。その行方も知りたい、記録したいと思っていたのですが、そういう中で星さんを知りました。カメラを片手にとんでもない活動をしている人がいる。
今、地方のローカル線は国のあちこちで存続が危ぶまれている。そういう中でこれを残そうとしている。住民と只見線を応援する人が全国、さらに海外にもいることがわかりました。小さな声が国を動かして復旧工事が行われることになりました。それ自体、奇跡。将来的にも黒字になる見込みがないのに行政を動かしました。陰ながら支えている人たちの熱意が動かしたことを記録に残したい。なくなっていく地方鉄道の沿線の人たちに、何か動くきっかけになる題材になるのではと思いました。

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*ローカル線に対する思い

― 実は私も写真が好きで、北アルプスや安曇野の写真を撮っていて、1981年から1985年の約5年間は大町市や白馬村で働きながら写真を撮っていました。北アルプスを眺めながら走る大糸線(松本⇔糸魚川間)が好きでしたが、今年3月大糸線(糸魚川、小谷間)が廃止されるかもしれないというニュースを聞いて、なにかできないかと思っていた時にこの映画を観て、私もなにかできるかもしれないと思いました。この映画を観て、この星さんのような試みを大糸線沿線でもやったらいいのではないかと思ったのですが、私も何十年にもわたってこの地方の写真を撮ってきて大糸線も好きだったのに、山や景色の写真は撮っていても、大糸線と景色という組み合わせでは撮ってこなかったなとこの映画を観て思いました。なにか、ほかのローカル線に対するアドバイスがあったら聞かせてください。

監督:うれしいですよ。まさに私がこれを作った時の気持ちというのはまったくその通りです。何かの助けになればと思って作っていました。この時代のテーマでもあります。ぜひ、只見に行ってほしい。それがほかの地域にも波及すればいいと思います。

― この映画を観て大糸線に対して何かをしたいと思ったけど、電車が走っているのは見ていたけど撮ってなかったし、地元にいた時は車で移動していたので大糸線には乗ってこなかった。電車に乗っているのは学生がほとんどで、あとは年寄りばかり。若い人や大人は皆さん車でした。電車に乗っても降りてからどうするというのがあって、大糸線は大好きな路線ではあったけど、住んでいた時には移動はほとんど車でした。

:ローカル線は、全国同じ問題を抱えています。だから只見線の復活は奇跡だと思います。一つの支え、お手本になると思います。

監督:そこが映画の力。本を読んだりしてもなかなか動かない。ドキュメンタリーの力だと思います。

― こういう方法もあったかと思いました。

:ローカル線に採算性は必要なのか? 日に6本。満員でも採算は取れない。それでも作ったことを考えてほしい。外国から来てくれても乗ってくれなくて、只見線は赤字でも評価してほしいのは、周辺で泊まってくれてお土産や食事でお金を落としてくれる。経済効果をもたらしてくれる。経済活性化すれば問題ないでしょうと。
外国から来る人たちはまっすぐ只見線に来るわけじゃない。各地を経由して来てくれる。日本全国でお金を落としてくれる。スイスの山岳鉄道も同じ。鉄道だけだと赤字。世界中からスイスにやってきてお金を落としてくれる。只見線の収支だけで考えてはいけない。
これも皆さんわかっていないところがあります。日本の交通機関、列車もあるけど、バス、自動車、船、航空機といろいろありますが、道路は自治体が作って無料で使えるし、飛行場だって、港湾だって自治体が面倒をみているんですよ。根本的な基盤・インフラまでやらされているのは鉄道だけですから。これは不公平でしょ。鉄道だって、基盤は国や公共機関が作って、運用は民間に任せるのが本来のやり方。世界でみんなそうですから。それが日本だけ特殊。温暖化の時代、列車で一括して運んだほうがいい。よけいなエネルギーを使わなければ温暖化にも役立つわけだ。これからはますます重要になってくる。それを民間にまかせていたらローカル線はなくなってしまう。国鉄が民営化されて、災害でダメになると車に移行してしまう。日本では廃線になったところに人がいかなくなる。全部残してとは言わないけど、観光などに役立つところは国の責任で残しておいてほしい。

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*地域活性化の力

― 星さんやいろいろな人に取材して、エピソードがありましたらお聞かせください。

監督:撮影に入って、本腰になるきっかけになったのが、雪の中に蝋燭を立てた雪月列火(せつげつれっか)なのですが、朝からずっと雪の中で用意するんですよ。暗くなって1本の列車が入ってくるのを待って、列車の中を覗いたら一人も乗ってなかった。でも、これを作った人たちはずっと手を振って見送っていました。それを見た瞬間、只見線を応援する人たちを応援したいと思いました。翌年は豪雪地帯に雪がまったくなかった。橋が流されたのも、気候変動の一旦だと思っています。地球温暖化の面からも、何か感じてくれればと思います。もう一つ、星さんがやっているのは、町づくりや町おこし。何もないところに何かをみいだし活性化するという問題は全国に通じます。星賢孝がみつけた宝物。只見線と絶景、そして霧幻狭を見つけ出して磨いて来た。なにもない田舎を生まれ変わらせるだけの要素を見つけ出した。そこを見てほしい。

― 住んでいていつも見ている人にとっては、見慣れたなんでもない景色でも、都会やそういうのを見たことがない人からすれば、この景色はなんだろう。すごいという思いがある、それって大事ですよね。

監督:旅に来る人は日常ではなく非日常を求めてくる。自然は恐ろしいこともあるけれど、美しさもある。温暖化による影響から、自分たちの暮らしも、なにか変える時期が来たんだぞということも伝わればいいなと思います。

:只見線は今年(2022)10月1日に全線開通するわけですから、この機会を逃さないで、いろいろな形でPRできたらと思います。コロナで今、ストップしてしまっているけど、来年は海外展開をと思います。NHK「COOL JAPAN」で「アフターコロナに行きたい外国人が選んだ人気の観光地」で只見線と霧幻狭が第2位でした。これからは行政も一緒にやらないと。奥会津、只見は日本の宝だと、マスコミの声は大きいので、ぜひ言ってもらえれば高まってくると思います。

― デジタルが出てから20年余り。写真はどのように整理をされていますか?

:もっと前の出始めのころからデジタルで撮っています。フィルムはお金がかかりますから、もう30年位前から切り替えてやっています。目的がはっきりしているから。只見線だけを追ってきました。

― 私はSNSをやっていないので星さんの仕事を知らなかったです。こういう方法で広げていく方法もあるんだなと、この映画を観て思いました。

:海外から来た人たちは、列車には乗らないのでJRの売り上げには貢献しないけど、SNSで世界に広げてくれる。だから広告塔。そっちの価値が大きいんです。でもその価値は統計には出てきません。

監督:10月1日の開通がゴールじゃない。そこからが大変なことです。あれだけの写真が撮れるスポットがいくつもある。だから乗る鉄道ではなく撮る鉄道というか、撮るポイントが観光地になるという鉄道があってもいいんじゃないかなと感じました。只見線はレールと駅舎は地元、運行と運営はJRという初めてのケース。そういう面からも注目してほしい。生き残り方策の例になればと思います。

― 地方再生の方法としても注目できますね。

:只見線が活性化して行くにはJRも変わっていかなくてはいけない。今までと同じやり方ではだめだと思うけどJRは国鉄時代と同じ。お役所仕事。変わらない。

監督:田舎には何もないと言われますが、都会に無いものがいっぱいあるのも事実。田舎の活性化に、この映画が生かされればと思います。


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(C)星賢孝

取材・記録 景山咲子 まとめ・写真 宮崎暁美


取材を終えて
只見線愛にあふれた星さんの話に引き込まれました。星さんがやっているSNSというのがどういうものなのかよくわからないけど、インスタグラムなのかな? インスタグラム開けてみたけどあまりに写真が多くて、ずっとアクセス中で見ることができませんでした。「星賢孝 写真」で検索してみたらこちらはすぐに出て来て、素晴らしい写真がたくさんありました。でも「SNS」というのはこれではないのですよね。いずれにせよ、只見線が開通したら行ってみたいけど、きっとしばらく混んでいるのでしょうね。やっぱり秋に行ってみたい。でも秋は映画祭シーズンなので行っていられないか…。行くなら山形国際ドキュメンタリー映画祭(開催は10月10日前後)のない今年かな。
7月26日(2022)の新聞に、国土交通省の有職者会議が25日に、赤字が続くJR各社のローカル線の在り方についての提言をしたという記事が載っていた。1キロあたりの1日平均乗客数が「1000人未満」の路線、赤字が続くローカル線は見直しの対象になる。「廃止は前提にせず、存続やバスへの転換などに向けたJRと自治体の協議を促す」と書いてあったけど、只見線も大糸線もその中に入っていた。この映画がそれを見直す起爆剤になるといいのだけど(暁)。

インタビュアーの暁さんの準備が整うまでの時間、只見線に50年前に乗ったことがあること、大学の先輩に奥会津出身の星さんという人がいて、冬に一緒に、郡山から会津若松まで乗ったことがあって、トンネルを抜けたら雪景色だったことなどをお話ししました。星姓は奥会津でも特に桧枝岐に多いと教えてくださいました。
ご自身の撮った素晴らしい写真をもって、上海や台湾に観光客誘致に行った星さんの行動力がすごいのですが、今回、お話を伺って、それがただただ只見線や奥会津だけのためでなく、日本各地にも波及効果があることを思ってのこととわかり、ほんとにスケールの大きい方だと思いました。(咲) 




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