『ウクライナから平和を叫ぶ~Peace to you All~』ユライ・ムラヴェツJr監督インタビュー

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*プロフィール*
1987年、スロバキアの小さな町、レヴィツェに生まれる。高等芸術学校で写真を学び、その後、国立ブラチスラヴァ芸術大学(VŠMU)映画テレビ学部カメラ学科で映画撮影と写真を学ぶ。
現在、フリーランスのディレクター、撮影監督、フォトグラファーとして、ドキュメンタリーを中心に活動。極限状態、戦争紛争、自然災害を、人間や社会的な側面に焦点を当てながら記録することを専門とする。これまでに数々の賞を受賞している。
スロバキアで最も優れたカメラマンが集まるスロバキア撮影監督協会のメンバーでもある。
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監督・脚本・撮影/ユライ・ムラヴェツJr.
配給:NEGA 配給協力:ポニーキャニオン
©All4films, s.r.o, Punkchart films, s.r.o., RTVS Rozhlas a televízia Slovenska
★2022年8月6日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

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ロシアがウクライナへ軍事侵攻を開始して5ヶ月、世界中の耳目を集めていますが停戦の話し合いも解決も進まないままです。島国の日本と違ってロシアや西欧諸国と国境を接するウクライナでは、これまでどんなことがあり住民たちはどんな思いでいたのでしょう。
7月20日、長く取材を続けて2016年にドキュメンタリーを制作したユライ・ムラヴィッツJr監督にリモートでお話を伺いました。(白石映子)
通訳:橋本Kralikova玲奈 

―この映画を作るにあたって、どんな風に準備し、取材をされましたか?

僕は元々あまりリサーチをするタイプではありません。割と行き当たりばったりで、行ってから決めることが多いんです。今回は戦争という大きな出来事が起こったので、まずはそこに行こうという気持ちがありました。先にもちろんインターネットなどで調べますし、ドネツク側の入国許可やウクライナ側の撮影許可の手配などはしましたが、場所に着いてからその場で考えて決めていく即興的な作り方をしていました。出てくる方々も現地で知り合った方々ばかりですので、特別な準備というのはしていません。

―戦争で傷ついている方々を取材されるので、とても気を使われたのではと思っています。心がけていたことがありましたら。

このような仕事をしている人間にとって「共感力」や「コミュニケーション能力」はとても大切ですし、自然に持っている人でないとこういう仕事はできないのではと思っています。
相手の状況が悪くなることがないように物事を見極めたり、自分の言葉を選んだりすることも大事です。今いるところで、これを言っていいのか悪いのかを考え、自分や周りの人にとって危険なことを口に出さないように気をつけていました。

―子どもからお年寄りまでたくさんの方が出てきました。行き当たりばったりとのことでしたが、会った人から紹介されて繋がっていくようなこともありましたか?

ほとんどの登場人物は両陣営を旅している間に偶然出会った人が多いです。僕が一番興味深かった方は、マイダン(広場)デモの後、亡くなった若者の携帯電話を預かって、かかってきた電話に応えていた女性です。映画の中では声だけの出演です。マイダンの後出版されたインタビューを集めた本で、そういう仕事があったという記述を読みました。ぜひ出演してほしいと思いましたが、女性については具体的なことが何も書かれていなかったんです。本を書いたアンドロコビッチさんと僕の友人の写真家と一緒にリサーチを始めました。半年くらい経って、ウクライナ側からその女性についての記事が見つかったと知らせがありました。記事を書いた人にコンタクトを取って、ようやく彼女を見つけました。
元々彼女が電話を通してやったことについての話だったので、映画の中でもそれを再現してみました。彼女とはいまでも連絡を取っていて、2022年の戦争の始まりの頃に会いました。とても面白い人で、現在はボランティア団体の代表をしていて、質の良い軍需品を集めて軍隊の前線へ届ける仕事を熱心に続けているそうです。

―スパイと疑われ逮捕された息子とそのお母さん、村に一人残っていた目を怪我したお婆ちゃんが泣いていたのが印象に残りました。携帯電話の女性とは2022年に会われたそうですが、他の方々とはその後会われましたか?

連絡がついたのは、手足を失った退役軍人のスラーヴァとアンナというカップルです。キエフ(キーウ)に住んでいたんですが、戦争の始まりのころに家(高層アパート)と車にロケット弾が落ち、避難して現在はイタリアに移住しています。彼らには再会できました。
他に映画には出ていませんが、ドネツクで車を運転してくれた男性から2月に連絡がありました。アル中のホームレスの男性の撮影をした教会のある地区用に、避難するために防弾チョッキを集めてほしいという依頼があり、送るためにやりとりを続けていました。撮影した中には残念ながら、もう壊滅して消えてしまった街もあり、繋がりが残っている人もない人もいます。

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―全員の方についてお聞きしたいくらい、どうしているのか気になりました。最初に乗った車のフロントガラスに「TV」と貼ってありました。これはテレビ番組として放映されたのでしょうか?反響はいかがでしたか?

自分たちは元々「メディア」という資格で、ドネツクに取材に入りました。チェックポイントなどで、一般車だと普通一日以上待たされるところでも「メディア」「テレビ」とあると早く通してもらえるんです。そういう背景もあって、あのように表示して移動していました。
チェコの映画祭では、学生の審査員が選ぶ賞をいただきましたし、チェコでもスロバキアでも高校で巡回上映されて、3万人以上が観てくれました。高校生は自分の考えが作られていく過程にありますから、そんな段階の若者に観てもらえたというのは、僕にとってもたいへん嬉しいことでした。
2月に戦争が始まる前から国営放送で放映されていて、戦争が始まってからは、スロバキアで作られた(ウクライナ戦争に関連する)数少ない映画の一つであるということで、2週間繰り返し放送されました。反響はかなり良かったと思います。

―放映されたのは、今回上映される映画と同じですか?

はい、テレビ局側に編集はしない形で放映許可を出しています。

―拝見していて、ところどころに入っている監督が撮影された写真が楔のように胸に刻まれました。編集のときに、写真の挿入箇所を決めていかれたんですか?

基本的には編集室で作り上げていく形でした。写真に現場の音をつけていくとドラマチックになるということがわかりましたので、その手法を使いました。撮影に関しては、その場所を最大限に活用することを心掛けています。普段はまず環境と、そこにいる人たちをいろいろ映像で撮ってから写真を撮りましたが、写真と映像を同時進行で撮ることもありました。その後完成版のようにコラージュのような形で編集していきました。

―監督は写真家でいらっしゃいますが、写真と映像の良いところをそれぞれ教えてください。

写真と映像はどちらも自分にとって表現するツールです。どちらも現実を記録するという意味でとらえています。写真家か映像作家かということでは、自分は“ドキュメンタリスト”であるという認識が一番強いかなと思っています。僕は写真のほうが若いときから興味があって記録写真の撮影を続け、映像はかなり後になってから始めたので、写真家のほうが近いとも感じています。

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―映画の中で「みんなへ平和を」という歌が繰り返し歌われています。あれはどこの歌で、誰が歌うものなんでしょうか?

僕にも歌の出所というか、歌がどのようなものであるかは正確にはわからないんです。劇中では、キリスト教の一派で「セブンスデー・アドベンチスト教会」の中で歌われていたのを撮影して使いました。2015年に撮影したときに手伝ってくださったボランティア団体の方が、この教会を母体に活動していたと聞いて伺ったときにこの歌に出逢いました。
何より美しい歌ですし、普通の、知性のある人間はやはり平和を求めるものですので、この歌を聞いた瞬間にタイトルにしようと思いました。映画のタイトルというのは難しくてなかなか決まらないのですが、この歌のメッセージ性に惹かれました。

―最後にスロバキアの映画事情を教えていただけると嬉しいです。

とても難しい質問ですね。スロバキアはソ連の衛星国だったので、その影響がまだ残っている面がたくさんあります。特に経済的あるいは精神的な面ですね。大衆文化以上の質の高い文化という面では、西欧のレベルまで達していないというのが現実です。それでも映画の制作を後押しする奨学金システムなどはありますし、金額は西欧諸国よりは低いですが、制作ができるのはありがたく思います。映画館に関しては、みなさん通っていたんですけれども、過去2年間はコロナの影響で離れてしまいました。これは世界的な問題です。これからどのように元に戻っていくか、というところですね。

―今日はありがとうございました。この次はぜひ新しい作品で日本においでください。

(取材・まとめ 白石映子)

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