「ぬるま湯でカエルをゆでる」(中国の諺)
知らないうちに自由が奪われていた!
知らないうちに自由が奪われていた!
『時代革命』
原題:時代革命 Revolution of Our Times
監督:キウィ・チョウ
2019年、香港で民主化を求める大規模デモが起きた。10代の少年、若者たち、飛び交う催涙弾、ゴム弾、火炎瓶……。壮絶な運動の約180日間を、監督自らヘルメットを被って追ったドキュメンタリー。
「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、時代の革命だ)」「香港人、加油(頑張れ)」と声を上げて抗議する若者たち。中核的な組織体やリーダー不在の運動だが、SNSを駆使し、機動的に統制されている実態も明らかになる。立法会、地下鉄駅、香港中文大学、香港理工大学などの場面が積み重なり、組み合わされ、運動の大きなうねりを記録していく。
作品紹介 http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/490705719.html
配給:太秦
2021年/香港/カラー/DCP/5.1ch/158分
公式サイト: https://jidaikakumei.com/
Twitter @jidaikakumei
★2022年8月13日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
キウィ・チョウ(周冠威)
2004年、香港演芸学院電影電視学院演出学科卒業。2013年、同学院で映画製作の修士課程を修了し、自身初の長編映画監督作となった『一個複雑故事(とある複雑な話)』は、第 37 回香港国際映画祭に出品。また 2014 年、芸術開発協議会新人賞を受賞。2015年には、オムニバス映画『十年』の一篇「焼身自殺者」を監督。物議を醸す映画で、中国の官報に批判したものの、35 回目の香港電影金像奨で最優秀映画賞を獲得し、現在はNetflixで配信されている。2020 年、彼の二作目となる『幻愛』(邦題:『夢の向こうに』)が香港で劇場公開。パンデミックの渦中にもかかわらず台湾金馬奨で最優秀脚色賞を受賞、39 回目の香港電影金像奨では「最優秀監督」を含め、計6つの賞にノミネートされた。
◎キウィ・チョウ監督インタビュー
2022年7月22日(金)リモートで香港にいるキウィ・チョウ監督にお話を伺いました。
◆サプライズ上映の東京フィルメックスと同じバージョン
― 東京フィルメックスで、直前に上映が発表されたのにも関わらず、すぐに売り切れとなりました。満席の観客といっしょに画面にくぎ付けになりました。今回、あらためて試写で拝見しましたが、東京フィルメックスで観たものから編集が少し変わったような気がしました。今回の日本公開にあたって、意図的に変更したところがあるのでしょうか?
監督:バージョンは同じです。特に手を加えていないと思います。字幕が若干変わって、登場人物の顔にかけたモザイクの量が増えたかもしれません。
◆気が付いたら自由を奪われていた
― 1979年に初めて香港に行き、とても気に入って、その後70回以上、訪れています。1997年7月1日の香港返還の瞬間も香港で体験しました。旅人として、返還後、徐々に変わっていく姿を見てきましたが、それは、例えば町で普通話がよく聞こえてくるようになったとか、お店で中国のお札がそのまま使えるといった程度のことです。返還後、香港の人たちは日常生活において、いつごろから、どんな点で、中国政府の影響を感じるようになったのでしょうか?
監督:「ぬるま湯でカエルをゆでる」という中国の諺があります。ぬるま湯だとカエルは火にかけられてゆでられていることがわかりません。 返還後、8~10年位は、自由が奪われていっていることに、香港の人たちは自覚がなかったと思います。『時代革命』の冒頭で、なぜ運動を起こしたのかを語っています。自由主義を求めてのことです。
英国植民地時代の香港は、経済も発展していて文明も進んでいる町でしたが、政治的な民主主義はありませんでした。1997年7月1日の返還で、1国2制度となり、自分たちで自分たちの運命を決められると思っていました。自由と民主主義は保証されると思っていたのです。ところが、中国政府は自由や民主主義を香港の人たちに与えないという態度です。香港政府も中国に合わせて、民主主義を与えないという状況です。すでに手の中にあった自由が失われていくことになったのです。
過去にいくつかの運動がおこりました。大きなものでは、2014年の雨傘運動、 2019年 時代革命です。もう1点、香港にいる人たちは、1989年の天安門事件をみて非常に衝撃を受けています。はっきりと伝わったのは、中国共産党政権は自国民も殺すということです。
―「ぬるま湯でカエルをゆでる」という諺から、気がつかない内に自由が奪われたことをずっしりと感じました。『光復香港(香港を取り戻せ)」というスローガンですが、デモに参加している若い人たちは、返還前の香港を実際に体験していません。若い人たちにとって、取り戻したい香港とは?
監督:1997年までは、香港の歴史を見ると、少しずつ進歩して自由になって幸せを感じていました。ところが返還後は、逆にどんどん後退し、自由も失われていって幸せでないのを感じるようになりました。若い人たちもそれを感じ取っていると思います。
― イギリスから返還され、行政のトップがイギリス人から香港人に代わるということで、一部の行政の人たちにとっては喜ぶべき状況になったということでしょうか?
監督:97年にイギリスから返還されて、主権が中国に移され、共同声明で国防と外交を除き高度な自治を持つことになったのが、一国二制度という形です。 その高度な自治が守られなくなったのです。
― 映画の最後に出てきた歌の「必ず夜は明ける。自由香港、栄光あれ」という歌詞が皆さんの気持ちを象徴しているように思いました。いつ作られたのでしょうか?
監督:この歌が作られたのは、2019年9月です。
◆香港警察と黒社会の密な関係
― 香港映画が大好きで、たくさん観てきたのですが、香港警察と黒社会との繋がりを描いた作品も結構ありました。今回、3番目の項目「香港警察と黒社会」で、元朗駅での黒社会の人たちによる暴力シーンを観て、今も繋がりがあるのだと実感しました。
監督:おそらく元朗駅の事件も、知らず知らずのうちに警察と黒社会の関係が密接になっていたのだろうと思います。雨傘運動の時にも、個別の事件で警察と黒社会が手を結んでいるのではないかと話していたのですが、全面的に表れたのは、元朗での事件です。2019年7月21日に起きたことなのですが、映像があるのに、警察は事実無根だとまだ認めない。警察は本来、市民を守り、治安維持に尽くさなければいけないのに、法を守るべき警察が市民を殴って黒社会と手を結ぶという皮肉な話です。それも大々的に行うということが信じられませんでした。
― 国家が何をするかわからないということですね。
監督:明らかに国家犯罪ですね。 国が罪を犯しているのです。
◆平和裏に闘争する人物も収監される
― 雨傘運動は、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)教授の提案によって始まりましたが、タイ教授は、この映画の中でもたびたび登場し、みずから提唱した民主化の運動が平和的なものから暴力的なものになっていくのを歯がゆく思ってみていたことが伝わってきました。自らは鉄格子の中にいたとのことで、この学生たちの運動の流れを止めることができなかったようですが、香港大学教授を解任され、刑務所に入り、釈放されてから、どのような形で運動にかかわっているのでしょう、今も理論的な柱ではあるのでしょうか。
監督:残念ながら、今も刑務所の中です。2014年の雨傘運動にかかわったことで2019年に逮捕されました。時代革命の最初の数か月はまだ刑務所にいて関われませんでした。釈放されましたが、2021年に再び逮捕されました。平和的に闘っていくことを主張する人も逮捕されたという状況です。これからなにができるでしょう。何もできない状況です。とても残念なことです。
ともに傷を負って、2019年には両方の主張は若干異なっていたのですが、互いの理解が進んでいるのではないかと推察しています。
2019年に流行ったのが、「香港人の絆は傷と苦難で結ばれているよ」というものでした。
◆水面下でも動けない現状
― 2020 年 6 月 30 日、国家安全維持法が施行されて、香港の人たちを取り巻く環境が大きく変わりました。 毎年行われていた天安門事件追悼集会に、あれだけ多くの人が参加していたのに、集まることもできなくなりました。海外に移民してしまう人も多いですが、香港にとどまっている人たちは、皆、息を殺して暮らしているという状況なのでしょうか? 水面下での動きはあるのでしょうか?
監督:香港の人たち全体でしょうか? それとも私自身?
― 監督ご自身が知っている範囲で教えてください。
監督:おそらく今は水面下で何の動きもないと思います。街頭に出て何かするということができません。刑務所に放り込まれている「手足」と呼んでいる大勢の仲間たちの裁判を待っている状態です。どうやって彼らを助けることができるのかを考えている状況です。今の体制に反対するメディアの声は、まったくなくなりました。 政治的な組織だけでなく、多くの市民組織、例えば学校の教師の労働組合などもほとんどが解散させられました。国家安全維持法の取り締まりが厳しいので、そのような団体の責任者のほとんどが逮捕されてしまいました。私の知る限り水面下で何ら動きもありません。
― 映画の中で闘いながらも新年を迎えるカウントダウンを行う姿が出てきました。かつては時代広場などでカウントダウンをしたり、冬の花火を楽しんだり、ハイキングやバーベキューを楽しんだ時代があったと思います。また心から楽しめる時代がくればと願っています。
監督:私もそういう風に期待しています。 今、現実的な問題としてコロナで集まれません。
条例にもとづいて、短時間に大勢が集まってカウントダウンをしたり花火を見る許可がでません。
一方、二つのケースがあって、デモ、集会など政治的主張をする集会は厳しい規制。お祝い事についてはゆるやかで、コロナが収束すれば認められると思います。
― 香港の皆さんが自由に暮らせる時代が来ることを願っております。本日はありがとうございました。多謝。
監督:こちらこそありがとうございました。 多謝。
取材:景山咲子
なお、この個別インタビューは、前日の試写後のトーク(下記)も踏まえて行いました。
◎『時代革命』 キウィ・チョウ監督 試写後のトーク
2022年7月21日(木) 2時半からの試写後、オンラインで登壇
場所:渋谷・ユーロライブ
太秦 代表取締役社長 小林三四郎氏より代表質問が行われました。
― この映画をなぜ作ろうと思ったのでしょうか?
監督:香港のことについて、世界の人々に知ってほしい、曲げられた事実を知ってほしいと思いました。僕自身、私たちの家「香港」について何かできないかと考えたときに、映画作家としてドキュメンタリーを作ることにしました。僕だけでなく、香港人は皆、美しい香港を守りたいと、いろいろなことを考えています。僕自身は映画を作ることでした。
もう一点、映っている一人が、「逮捕されるところを撮影してほしい」と言いました。 撮影することが彼を守る手段でもあると思いました。事実を曲げられ逮捕されることもあります。歴史を守るため、彼の言った言葉を映画に撮ることも事実を残すことでもあると思いました。これも映画を撮った理由です。
― 抗議をした若い人たちの活力や原動力のすごさをリアルに感じました。気迫が私たちを感動させました。エネルギーの源はどこにあるのでしょう?
監督:希望も一つの原動力です。希望をなくしたくないからこそ、今でもあきらめずに進んでいます。
別の側面からいうと、「絶望」でもあります。自由を失ってしまうことは絶望につながります。絶望だからこそ見える希望も原動力になっていると考えます。
― 2019年、いろいろな形で暴動が起こりました。どのように撮影を進めたのでしょうか?
監督:撮影方法の中でもっとも重要視しているのが、ストーリーと人物です。ストーリーの中で人物との因果関係もきちんと描きました。2点目として、人物の中にリーダーがいないことで理性と感性を映し出すことができたと考えています。 たくさんの人物が必要となったのが困難なことでもありました。人物の理性を保ちながら、感性も映すことが大切でした。学者なども取材しました。
― 日本で公開することで監督ほか皆さんの安全をとても心配しています。
監督:映画のタイトルだけでも、目を付けられます。 それでも日本のメディアの方には、今まで通り発信してほしいと願っています。
― 最後に会場にいるメディアの方たちに、一言お願いします。
監督:台湾でも上映され、蔡英文総督も観てくださいました。この映画は香港だけでなく、台湾、日本、世界の映画となっています。ぜひ皆さんご覧ください。
― 監督、くれぐれも安全に気を付けてください。ありがとうございました。
監督:アリガトー
報告:景山咲子
◆キウィ・チョウ監督 合同取材
7月22日(金)個別インタビューに先立ち、3誌で行った合同取材です。
(私の質問は、個別インタビューに入れ込んであります)
Y:日本でいよいよ公開されますが、どんな思いですか?
監督:まず、日本の皆さんに感謝します。香港を描いた映画が日本で、しかも映画館で公開されるのが嬉しいです。香港では公開できないでいます。映画館で見ることが私自身できていないので、日本の観客がうらやましいです。
Y:どんなところを観てもらいたいですか?
監督:香港を応援するため、関心を寄せるために観に行きたいとよく言われます。映画の中で何を語っているかですが、自由とは何か? 努力とはどういうことなのか? そしてそれを得るために立ち向かっていく勇気です。求めているのは万国共通の普遍性や価値観です。自由・民主主義の法治社会を求める姿を描いています。 映画は決して香港のためにだけ撮ったのではなく、映画を観てくださる一人一人が感じ取って、今の世の中をどういうスタンスで見るかに関心を寄せてほしいと思います。心の部分をぜひ見ていただいて考えてほしいと思います。
K:撮影から今まで時間が経って、その間に変化があり、ウクライナ戦争も起こりました。観る観客に対して、知っておいてほしい変化は? 伝えたいことは?
監督:まず世の中の変化ですが、今、グローバルな時代。一つの国で起きたことが世界に影響します。2019年の香港の出来事が世界にある種の警鐘を鳴らしていると思います。香港は自由な法治社会でした。それが、中国が野蛮な統治社会にしようとしている。 ある種の警鐘を鳴らしたと思います。 今、ウクライナで戦争が起きていて関心が寄せられています。日本は平和。日本の方が映画を観て、どう感じてくださるか・・・ 関心をもってほしいと思います。
『時代革命』は、私が初めて手掛けたドキュメンタリー映画です。今まではずっと劇映画を作ってきました。今回、劇映画を作る準備をしていたら、運動が勃発して、ドキュメンタリーを撮りました。このドキュメンタリーを撮ったために、劇映画のための資金が集まりにくくなりました。
K:映像が様々な撮り方をされていますが、どのように撮影されたのでしょうか?
監督:映画の中でたくさんのデモに参加した人に個別インタビューしています。ターゲットにした人たちをカメラを持ってついていって撮りました。このやり方ですと、関係者と近いところで映像を撮ることができます。 カメラを通してデモに参加している人々に寄り添うように撮ると、上映するときに、私の目線に近いところからデモに参加している人を観客も見られると思いました。また、大画面ですので、ワイドショットはほかのメディアから提供してもらいました。
Y:激しいデモの中にいて、監督ご自身が経験された印象深いことは?
監督:忘れがたいことがたくさんあります。私自身、警察が発砲したゴム弾に当たったことがありました。カメラを持ってデモ参加者の後ろにいたら、突然「伏せろ!」と声がかかったのですが、伏せなかったらゴム弾が頭に当たってしまいました。 恐怖を感じ、生命の危険も感じました。幸いヘルメットをかぶっていましたので、ケガはしませんでしたが、こういった運動は命の危険と隣り合わせだと実感しました。
K:『Blue Island 憂鬱之島』のチャン・ジーウン監督にもインタビューしましたが、香港の映画の製作状況が厳しくなっていと聞きました。上映中止に追い込まれる映画もあるとのことですが・・・
監督:私の対応ですが、『時代革命』は私のやり方の一つです。撮影した当時もすでに製作は困難な状況でした。当時「光復香港、時代革命」というスローガンがさかんに使われていました。そのうちの「時代革命」をタイトルにしたのが、私なりの対抗です。過去2年間、「光復香港、時代革命」とネット上でいうだけでも、刑務所行きです。私は映画を撮りたい、映画を密かに撮って、香港の外で上映するという形を取りました。
K:台湾に移住して活動している人たちもいます。イランなどでも亡命して海外で映画を作っている人たちもいますが、監督はあくまで香港で撮り続けるおつもりでしょうか? 海外で撮ることも視野に入れているのでしょうか?
監督:『時代革命』を製作し終えたときには移民しようかと考えて、家族と話しました。最終的に香港に残ろうと決めました。香港にいて私の役割を果たしていきたいと思います。その決断が正しいかどうかはわかりません。語れる範囲は狭いけれど、語り続けていきたいと思っています。多数の香港で暮らしている人たちが求めたいことを、どんな対価を払っても言い続けたい。 私はキリスト教を信じていて、何も恐れることはない。唯一恐れるのは神様のみです。中国共産党を恐れることはありません。
C:ただただ、監督に当局の手が及ばないよう、ご無事を祈っています。
監督:ほんとうにどうもありがとうございます。
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*取材を終えて*
2020年に国家安全維持法が施行されて、今や、水面下でも何もできない状況だということが、ひしひしと伝わってきました。 私の大好きだった香港は、今や変貌してしまったのだと悲しくなりました。
先日、BBCで香港の前行政長官の梁振英インタビューを観たのですが、一国二制度は非常にうまくいっているというスタンスで終始一貫発言していて、なんとも腹が立ちました。最後に「あなたは香港人ですか? 中国人ですか?」と問われて「私は香港で生まれ香港で育ちました」とだけ答えていました。うまく逃げたなと思いました。
香港人が香港人らしく暮らせる日がくることを切に願います。
香港返還25年 大雨だった1997年7月1日を思う (咲)
http://cinemajournal.seesaa.net/article/489403875.html
景山咲子
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