『こころの通訳者たち』山田礼於監督インタビュー 

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*プロフィール*
山田礼於(やまだれお)フリーランスの映像作家。
「インド発ロンドン行直行バス」(82)、「野性のアラスカ 365日」(96)など大型TV番組で人間ドキュメントを数多く制作。その間東京大学のイタリア・ローマ遺跡発掘の記録を20年以上にわたって記録。さらに「孫のナマエ~鴎外パッパの命名騒動7日間」(14)などドキュメンタリードラマの演出も手掛ける。
映画作品は『〈片隅〉たちと生きる 監督・片渕須直の仕事』(19)、『ドキュメンタリー劇団桟敷童子~コロナとザシキワラシ』(21)。
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『こころの通訳者たち What a Wonderful World』
見えない人、聴こえない人、車いすの人、小さなお子様を連れた人、誰でも一緒に映画を楽しむことができる日本で唯一のユニバーサルシアターのシネマ・チュプキ・タバタでは、上映する全ての作品に映画音声ガイドと字幕をつけている。そんな映画館に「耳の聴こえない人にも演劇を楽しんでもらいたいと挑んだ3人の舞台手話通訳者たちの記録」を映画にしたいという話が持ち込まれた。映画館の代表の平塚千穂子をプロデューサーに、2021年9月、本作の撮影がスタートした。
この映像をどうやって見えない人に伝えられるか、聴こえない人、見えない人、どちらでもない人が入り混じり、お互いのわかるわからないを俎上にのせていく。
作品紹介はこちら
公式サイト cocorono-movie.com
© Chupki 
シネマ・チュプキ・タバタHP https://chupki.jpn.org/

★2022年10月1日(土)よりシネマ・チュプキ・タバタにて先行公開
10月22日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次ロードショー

―この作品を作ることになった経緯からお聞かせください。

映画にも出ていますけど、ドキュメンタリーを一緒にやってきた仲間で、越さんという女性ディレクターがいます。彼女が2012年2月豊橋の劇場で上演された舞台「凛然グッドバイ」の”舞台手話通訳者の記録”を撮った。これはウェブ上で見せる予定で、ほんとは5分くらいのものですが、そのためにちゃんと稽古のときから撮っていた。「こんな仕事やってる」と、それを見せてくれたんです。
短いヴァージョンは作るけれども、もう少し長いのができないかと思っているという話があって。
僕も見て「あ、面白い」と思った。
舞台手話通訳の女性たち3人がそれぞれプロの手話通訳士であったり、主婦であったりするんですが、たった一回の芝居の公演のために凝縮された充実した時間をともに過ごし、最後には抱き合う、感動するという姿が素晴らしいと思って。その時は手話そのものの細かいディティールとかは、僕自身全然わかっていなかったんです。でも何かこう、これは絶対面白いものになるだろうと思いまして、彼女たちの日常やインタビューを追加撮影して1本の映画にしたらどうだろうかと。1時間か1時間半くらいの作品はできるんじゃないかという話をしました。
で、イザやろうと思ったら、ちょうどコロナ禍でロケ取材が難しい状況になっていました。それでふと思いついたのがここ[シネマ・チュプキ・タバタ]。以前、私が『片隅たちと生きる』を作ったときにこちらでも上映させていただいて、まさにこの部屋(チュプキ会議室)で音声ガイドの字幕版を作る作業に立ち会って、「ああ、こうやって作るんだ!」って、すごくびっくりしたんですよ。

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「凛然グッドバイ」の1シーン

あと見えない人のために情景描写をするわけですが。それをどういう言葉で表現して台詞と台詞の間に入れていくかという作業でも映像の理解力というのか、深さというか、それに驚きました。
特にドキュメンタリーは構図だとか、そこにある一個一個の意味を考えながら撮るのではなく、流れの中で撮る、捕まえていくのが普通のやり方です。それを一度分解して、ここが重要だという部分を平塚さんは選んで、彼女流の言い方をするんですね。ある意味ディレクターとしては、「そこまで? そういう風に言っちゃうの?」みたいなところも正直言ってあったんです。それは勝手なことをしているのではなくって、深い理解と彼女なりのその映像に対する愛情がこもった言い方をするんだ、と納得がいきました。この人はすごいなと思っていたので、”手話通訳の舞台の映像”をここへ持ってきました。どういう返事が返ってくるかなと思ったら、わりとさらっと「いいですよ、やりましょう」と言ってくれてこちらが拍子抜けするくらいでした。
もう一つは、「映画」を作るには、お金がかかるわけです。全部がボランティアでは辛い・・・。
ちょうど文化庁のARTS for the future!(コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業。以下Aff)というのがありまして、僕らは600万のランクに応募しました。Affは監督がやりたい、と持って行くのではダメなんです(団体や法人という規制がある)。それで、平塚さんに「ここチュプキの制作で作れないか」ともお願いしました。「年内に作り上げて映倫を通して最低3日は上映する」という制約もありました。映倫も時間がかかるので、おのずと仕上げの日程が上がってきて、その中でさらにバタバタっと(笑)。

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平塚千穂子プロデューサー

意を決してここに来て、最初に話をしたのが2021年6月の末か7月の初めだったか。
映画にできるかもしれないと思った一番のところは、「これは単に見える人、見えない人の話ではなく主人公は通訳する人だ」と思ったからなんです。
そうすると、その人がいることで単なる通訳とかその人がどんな風にやるかではなく、人と人がわかり合う、コミュニケーションについての映画ができるだろうな、というそれだけは確信みたいなのがありました。それをやってくれそうな仲間を集めてくれた。
そこから先、僕は簡単だった。毎回違う人が出てくる(笑)。どんどんふくらんでくる。この人は何をしているのか、と撮りに行く。だいたい毎週水曜日に会議をやっていましたから、その合間に館山に行って話を聞いたり。聞くとそれぞれがほんとにドラマチックな自分のストーリーがあるんですよね。

―(宮崎)観た人が勇気をもらえると思います。

そのとおりなんですけど、僕は「こっちは見えている」というのは思い上がりで、彼らはもっと見えているんですよ。よっぽど聞いているんですよね。同じ映像を見たときに、見えない分だけすごく「聴く」んです。音のニュアンスであったり、表現の間だったりをものすごく感じてくれている。僕らは見えているので、漫然と聞いちゃう、見ちゃうということをしていたんだけど、彼らはそうじゃない。
zoomで会話をする中で一人の手話通訳の方が「セリフの間合いを長~く待っていて、思わず目をつぶっちゃった」と言うけれども、そんなことも「意味がある」って思われてしまうんだって、そんなギリギリのところで手話通訳やってるんだと僕もびっくりしたし、そんな中でやってたから「できた!」って最後に抱き合えたんだなってすごく思いましたね。
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彩木香里さん

―最初に「見えない人、聞こえない人と一緒に映画を楽しみましょう」というのに大いに感激したんです。

それは平塚さんです(笑)。

―そうでした(笑)。とにかくいろんな要素が入った映画でした。初めは舞台裏をずっと見せてもらえて、メイキングフィルムのようでもあり、出る方の背景にドラマを見たり、いいもの見せてもらった!と思いました。

そうですか(笑)。

―こんなにたくさんの素材を1本の映画に編集するのは大変でしたでしょう?

それは大変でした(笑)。でも本当は思ったほど大変ではなかったです。発言内容がうすっぺらかったりするともっと説明を足さなきゃいけないんですが、むしろ「濃い内容」がありすぎていっぱい落とさなきゃならなくてその整理をするのが大変だったかな。見える人も見えない人も一つ一つの発言、言うべきことをちゃんと持っていた、それぞれの言い方をしてくれた。だからある意味編集しやすかった。

―出演者への質問は監督がなさっていたんですか?

これはテレビのスタイルと同じで、スタッフはカメラマンと僕と二人だけなんです。僕がマイク持って聞き、答えるのをカメラマンが撮っていきます。僕はヘッドホンを着けているので、とてもよく音が聞こえている。その聞こえている音、意思を持って採っている音、聞こえてしまう音、それを自分の中で選んでいるんです。撮影が終わったときに普通は全部観て聞いて、人によっては書き起こすということをします。僕は書き起こすのはあんまり好きじゃなくてしない。その場で聞いていて残るものってあるわけです。何にも見なくても、彼はこういうことを言ってたと。そういう場面は確実に毎回あるので、それを集めていきます。
書き起こして理路整然となる文章では、見ている人に伝わらないんです。全然パーフェクトじゃない、それこそ言いよどんだり、文章になっていなかったりする言い方でも、それには力があるんです。そういう部分を僕らは撮影しながら探していく、拾っていく。
手話通訳が、手話だけでなく表情があるって言ってましたけど、喋っているのも全く同じで、あのときいい顔してたなぁという表情なんですよね。それを撮っていきます。
そういうことがあったから、短い時間だったけれども選ぶことができたかなと思います。

―監督はテレビのお仕事をどのくらい続けていらっしゃるんですか?


僕は26の時から45年。最初っからフリーです。性格的に会社とかダメなんです(笑)。僕が大学のときは学生運動の時代で、大学が封鎖されたりして学校へ来るな、みたいな感じでした。
本来は映画をやりゃよかったんですが・・・映画はものすごく好きで中学生ぐらいからひたすら映画を観ていたんです。しかし、映画が好きだからこそ撮る側になって作る苦労を知りたくない。ずっと映画ファンでいたいって思っていたんです。
そんなときに芝居に出逢って。芝居は生身で、目の前にお客さんがいてという中でやっている。それはそれでドキドキすることです。今思えばいい時代で、唐十郎の赤テントとか黒テントとかそこら中でやっている。ものすごく影響受けたし、役者も演出もやったんですけれども、芝居で生きていく自信はなくて。これは絶対食えないと思って(笑)。
それで岩波映画へ。フィルム触っていられればいいやって始めたけれど、特に何をしたいということがなかったんです。ただフィルムを切ってアセトンを塗って、それができることが嬉しかった。それで、細々と生きて行ければ…。
TVと出会ったのは、大学時代テレビ朝日(当時のNET)でずっとADをやっていたんです。それが月曜から金曜までの15分の学校教育番組。いいプロデューサーがいて、若い奴をロケに連れていってくれたんです。それでこういうのは面白いな、やりたいと思っていたんですね。
岩波でフリーの助監督として何本かやっていたときに、テレビである番組が始まるという話があり、テレビ経験があるということで挑戦したんです。最初が海外取材の番組で、26歳で初めてディレクターをやったのがこれです。それから5,6年日本で取材したことはなかった。だからどこに行ってもなんとかなるんだという変な自信だけはつきました(笑)。

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劇場前での山田監督と平塚プロデューサー

―(景山)プロフィールにある「インド発ロンドン行直行バス」といえば、沢木耕太郎の「深夜特急」(1986年/新潮社)ですね。

あれはすぐにはできませんでした。5,6年経ったころかな。ドキュメンタリーはだいたいいつも日曜日の午前中か、「素晴らしいい世界旅行」とかなんとか、日曜の夜7時半から30分くらいの番組がありました。ドキュメンタリーにエンターテイメント的要素を入れて撮れるかもしれないと、日テレがナショナルドキュメンタリー特集っていう1時間の番組を始めたんです。10時から11時というわりと大人の時間帯。その企画で初めて持って行ったのが、「インド発ロンドン行直行バス」前後篇で、1本目がインドからイランの砂漠まで、2本目がそこからロンドンまで。

―その海外番組のお話だけで本が1冊できそうですね。

ちょっと酒でもあったら止まらないです(笑)。いくらでも話せますけど(笑)。
我儘な人間なので、自分が楽しいことだけやってきた。どこの会社にも属さないで、いまだにそうですけれど何とか一人でやってきた。ただ、仲間だけはいたんですよね。フリーでやっていてもひとりぼっちではないんです。毎回カメラマンであり、録音であり、仕上げのスタッフとか。どこの会社でやろうが、そのチームでやるのでかなり自由にできたんですね。だから言いたいこと言いながら、勝手なことしながらずっとやってきました。

―今回の映画作りのお仲間は?平塚さんのほかに。

最初は越さん、娘くらいの年齢なんですがたまたま大学が一緒で前から知っていた。カメラマンはいつもずーっとやっているカメラマンともう一人。録音はお金がないので自分でやって。それだけで始めました。最悪さっき言ったAff(ARTS for the future!)からお金が出なくても、自分以外の日当ギャラが払えればいいや、って感じで始めたんです。

―完成して良かったです。おめでとうございます。

ほんとに良かったです(笑)。

―後はたくさんの人に届けたいですね。このチュプキのように設備のあるところで上映するのが、一番よく伝わると思うんですが。

僕も細かいことはわからないんですが、最近はスマホで音声ガイドが聞けるんです。そういう方面はすごく進歩しています。きちんと連動させてやれば地方の小さい映画館でもある程度似たような形で音声ガイドを付けて映画を観ることができます。こういうことができるんだ、と知られるといいと思います。実際の撮影期間は15,6日。後半は撮影しながら編集もしていました。

※参考 社会福祉法人日本ライトハウス
http://www.lighthouse.or.jp/iccb/udcast/


―この映画は完成した後に字幕を入れなくてはなりませんね。

そうなんですよ。それも字幕の数が何千とある。画面にたくさんの字幕が出るので、文字の色を変えたり斜体にしたり。一つ間違うとたいへんな騒ぎです。最終はいつになるのかな。去年12月に一応みんなでお披露目の試写会をやったりしました。

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会議中の出演者(彩木香里さん、白井崇陽さん、難波創太さん、近藤尚子さん、石井健介さん)

―たくさんの方が出演されていますが、どの方も印象に残りました。監督が入れこめなかったけれど、というエピソードがあったらこそっと。

それぞれドラマを持った方たちなので、面白い話はいっぱいあってそぎ落としていくのが大変といえば大変だったんです。
難波さんは特にいろんなことをやっているので、映画に入ってはいないですけど大学で絵画の授業をするんですよ。絵画を3つくらい出して何が描いてあるか、学生に説明してと言うんです。横長のフレームに斜めに橋が描かれていて、とかの説明で自分がそれをイメージできるかどうか。それはそれですごく面白いですが、残念なのは今の学生たちが言葉を持っていない。だからとても浅いことになってしまう。イメージを湧かせるところまで、なかなかいかない。
難波さんは「るくぜん」という自分のギャラリーを持っていて、あるアーティストを呼んで、そこで作品を作ってもらう。そこへみんなが来て観るというのをやったんですよ。それは自分も面白かったですね。

―立体は触ればわかりますが、絵画をイメージするのは難しいですね。ただ難波さんには下地があるから大丈夫そうです。(武蔵野美術大卒、映像作家でデザイナーでした)

彼はすごいです。元々映像の仕事をしていて同業者みたいなところがあるから、わりとそういう話ができるんですよね。なんでもやってるんですよ。

―難波さんは何でもできるので、見えないというのを忘れてしまいます。

食べるものを作るとかアートとかいうのはわかるんですけど、合気道で投げられているじゃないですか。見えないで投げられるってどうなんだろうと。道場の方に聞いたらば、自分たちもびっくりしているって。その前からやっていたのでなく、目が見えなくなってから始めたというのが驚くほどのことで。

―館山の石井さんが、「朝、目がさめたら目がみえなくなっていた」というのに、そんなことってあるんだ!と驚きました。こんなに若いのにほんとにショックだったろうと思います。
落ち込んでいたところを小さい娘さんのひとことで、立ち直れたというのにも感じ入りました。


逆にいえば若いからこそ立ち直れたし、いろんなことをやれている。その勇気ってすごいと思いますね。みんなができるかといえば、それは難波さんだからであり、白井さんだからで、個人なんですよね。

―こういう状況でここまでやれている人がいるというのは、他の人たちの励みになります。今大丈夫でも、誰でも年を取れば耳が遠くなり、目もかすんできますし。

―(宮崎)ここチュプキができたときから気になっていたんですが、なかなか田端まで来れませんでした。今回試写がここだったのでやっと来ることができて、音声ガイドをイヤホンで聞くのも初めてだったので、興味深かったです。
スマホで聞けるというのを聞いて3年前のピースボートの経験を思い出しました。

(*船内の日本人による講座、講演などを同時通訳で英語と中国語に訳して、その言語しかわからない人たちは音声ガイドのようにスマホで聞いていた)

そういう意味ではすごい進歩しているんです。
スマホは彼らに必要なんですね。月餅づくりで(難波さんのお店に)行ったときも、喋れない人と見えない人が一緒にやるんだけど、何かのときにスマホを出して、パパっとやる。

―(景山)さっきの試写で難波さんの連れているピース(盲導犬)のそばにいたんですけど、ピースが上映中おとなしく伏せていたのに、劇中で「立って」の声がしたらパッと立ったんです(笑)。
*難波さんの声に反応した仕事熱心なピースの逸話

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難波さんとピース

―(宮崎)私たちが観て、見えない人や聴こえない人を「こういうことなんだ」と理解することができます。だからいろんな人に観てほしいですよね。

全くそうです。僕は特に障害を持った人に観てほしいという気はないんです。「分け隔てなく誰でも観てください」とすごく思っています。だからそういう人たちの映画としてでなく、伝わるといいなと思っています。

―そのために何か工夫されたことはありますか?

編集しているときには映画として、ドキュメンタリーとしてどうか、ということの判断だけでしたね。逆にそこの間を埋めてくれるのが、字幕であり音声ガイドです。僕が信念として持っているのは「ドキュメンタリーというのは真実をそのまま伝えるんじゃなくて、作りものだ」ということです。しかも上質の作りものにしないと伝わりません。そうはっきり思っています。

―映画として、ドキュメンタリーとして面白く拝見しました。
今日はありがとうございました。


=取材を終えて=
出てくる方々がとても魅力的です。お一人ずつのドキュメンタリーができるのでは?と思うほど背後にはドラマが詰まっていました。気づくことがいろいろありました。演劇に手話通訳者がいる、というのも観て初めて納得がいきます。見えない方が周りの動きや気配をよく感じて、とらえているということも想像以上でした。これは説明を聞くよりも実際に観て、感じていただきたい映画です。
写真撮影をしながら山田監督の心の1本は何ですか?と伺いました。「洋画ばかり観ていたから1本は難しいな」と選んでくださったのは、ロジェ・ヴァディム監督の『血とバラ』(1960)。記憶に残っている最初の1本は、家族に連れられて観た『未知空間の恐怖 光る眼』(1960)だそうです。
★山田監督の新作は『ドキュメンタリー 劇団座敷童子~コロナとザシキワラシ~』です。ただ今、監督自ら配給・宣伝にまい進中。
こちらもまた魅力たっぷりの劇団員さんたちが登場します。コロナで大打撃を受けた興行界ですが、みなさんの不屈のエネルギーに圧倒されました。生の舞台が見たくなります。11月19日より横浜シネマリンにて公開決定!
https://sajiki-movie.com/

 
(取材:白石、景山・宮崎が同席。監督写真撮影:宮崎)

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