*プロフィール*
北口ユースケ/Yusuke Kitaguchi 1984 年 3 月 8 日生まれ。大阪府出身。
2006 年早稲田大学在学中に映画『カミュなんて知らない』(05)で俳優としてデビュー。俳優としての活動を続けながら、2016 年からショートムービーや WEB 動画の制作を始める。
処女短編「BADTRANSLATOR」が第一回やお 80 映画祭に入選。48 時間以内に短編映画を制作する Osaka 48hour film project で脚本・監督・編集を務めた作品『ノリとサイモン』が、監督賞・作品賞 2 位・観客賞1位を受賞。翌年の Osaka 48hour film project 2017 参加作品『ベイビーインザダーク』では、最優秀作品賞と脚本賞を受賞し、48hfp の世界大会である Filmapalooza では120を超える各都市の最優秀作品の中からベスト 15 作品に選出され、2018 年カンヌ国際映画祭ショートフィルムコーナーでも上映された。Osaka 48hour film project 2018 参加作品『THAT MAN FROM THE PENINSULA』では、監督賞、作品賞 2 位を受賞し、その後ベネチアで開催されたカフォスカリ国際短編映画祭、ダラスアジアン映画祭などでも上映された。また日本における人種問題を扱ったミニドラマシリーズ「TORINAOSHI」の第3話までがパイロット版として現在 YouTube にて公開中であり、再生回数は累計 120 万回を超える。
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朝比奈めいりさん、並木愛枝さんインタビューはこちら。
監督・脚本・編集:北口ユースケ
脚本:前田有貴
©2022「彼岸のふたり」製作委員会 higannofutari.com
★2022年2月4日(土)より池袋シネマ・ロサほか全国順次公開
★映画の内容にふれていますので、気になる方は鑑賞後にお読みください。
―この作品はコラボした衣装(上田安子服飾専門学校協力)を映画内で使うことが決まっていたそうですね。
シナリオも出来ていないのに、先に衣装を作るなんて前代未聞じゃないですか。こんな作り方をする映画はほかにないかもしれませんね(笑)。
―そして監督に声がかかったのは、以前48時間で短編映画を作り上げる「Osaka 48hour film project」に入賞していたので、縛りのあることの実績を見込まれたんじゃないか、と。どちらも初めて聞くことで、とても面白いと思いました。
課題を消化して作っていくのが得意なんじゃないかと思われたのかな。でもその縛りは、監督やりますと言ってからプロデューサーに後出しで言われた記憶があります(笑)
―コロナ禍中の制作ですね。誰もが大変でしたが、この映画は?
企画がスタートしたのが2019年。娘が誕生して一か月くらいのときです。その後、秋にキャストが交代したり脚本をガラッと書き換えたりして、2020年春にようやくクラインクインしました。その1週間後に緊急事態宣言が出てしまって再開できたのは、宣言が明けた7月です。2回目の宣言が出るまでのちょっとの期間で撮りました。撮影日数は、17日間です。ほんとに大変でした。
―そして可愛い娘を置いて(監督は育メンとお見うけしました)、撮影に通う毎日だったんですね。
現場にも連れていきました(笑)。ちらっとだけ出ているんです。養護施設で母役の並木さんと職員が話しているときに、庭で洗濯物を干しているのが妻で、おんぶされているのが娘です。妻も女優をやっているので、施設の子どもたちとのシーンももっとあったんですが、コロナ禍だったのでやめましょうということになってなくなりました。
―子役といえば、オトセの子ども時代を演じている徳網ゆうなちゃん(2013年生まれ)の目がとても印象的でした。朝比奈めいりさんも目が大きくて、二人とも目が決め手だったのかなと思いました。
そうですね。大きくて力強い目ですよね。やっぱり目は意識します。それだけで決めたわけではないですけど、
―この映画は辛い題材を扱っています。まだ経験の少ない俳優さんや子役への演出の際の気遣いは?
僕はもともと役者をやっていたので、感情を作り込みすぎることで精神が不安定になる危険さを学んできたし、自分自身も経験してきました。なので、そうではなくて行動から感情を作ることを心がけていましたね。
例えばバン!(両手で机を叩く)とするのは、日常では怒っているからそういう行動をするけれど、演技は逆で、先に行動をすることで気持ちを作っていきます。そうすることで自分の精神への負担が少ない状態で、観ている人に感動や影響を与えられる。そういった方法論をアメリカの演劇学校で学んでいたので、そこを徹底して作りました。どんなに辛いシーンであっても演技の楽しさは忘れてはいけないと思うので。
―子役のゆうなちゃんに、虐待シーンを詳しく説明するわけにもいかないと思いますが、具体的にどうやって演出し、撮影されたのでしょう。
あのシーンは(子どもと養父)別々に撮っているんです。ゆうなちゃんにはあんまり内面のことは言わずに、単純に視線を「こっち向けて」とか「視線の先にあるものをしっかりと見て」とか言うだけでしたね。とにかく具体的な行動だけを伝えました。
―オトセとソウジュンの名前はどこからつけられたのでしょう?
地獄大夫の本名の乙星(おとせ)と一休さんの本名からつけました。
―キャラクターの名前に多くの監督さんは悩むらしいです。
僕はけっこうテキトーです。いつも書いているときの直感でつけちゃったりしますね。登場人物に、子のつく名前が多いから別のに変えよう、とか、そのくらいです。
―並木愛枝さんのファンだったので、ラブレターを出して出演をお願いしたそうですが。
はい、そうなんです(笑)。大学生のときに『ある朝スウプは』や『14歳』を観て、こんな芝居をする人が日本にもいるんだ!とすごい衝撃を受けたのを覚えています。いつか機会があったら一緒にお仕事したいなとずっと思っていて、今回ついに夢が叶いました。
―監督作に俳優として出演はされないんですか?
実はこの作品でもワンシーンだけ出たんですけど、カットしました。別の作品になってしまいそうで(笑)。でもいずれは自分で監督・主演もやってみたいなとも思っています。
―いつか並木さんともがっちり俳優として共演したいですね。
そうですね。撮影現場でモニターを見ながら、僕も並木さんと一緒に演技をしたくて、朝比奈めいりさんや井之上チャルさんに嫉妬していました(笑)。
―僕もやりたい、と(笑)。例えばあの中だったらどの役がいいですか?ソウジュン?
あの中だったら…僕は、ソウジュンはできないと思います。とっかかりがないし、あの不思議な軽やかさみたいなのはドヰさんじゃないとできないです。よくあんなキャラクターを体現してくれたなと思います。僕がやるとしたらチャルさんに演じていただいた施設の人かなぁ。
―役の背景を詳しく考えて、俳優さんに説明されますか?
基本はお任せするんですけど、ヒントは与えたりしますね。今回の主演の朝比奈さんはほとんど演技の経験がなかったので、リハーサル以前に、演技の基礎レッスンみたいなこともみっちりやりました。基礎練の中で少しずつキャラクターを一緒に形作っていきましたね。
もう一組の親子の寺浦さんと眞砂さんも事前にリハーサルを何回か重ねて、その中でディスカッションしながら背景とかは作っていったかな。
―演じる人が納得できるように話し合って寄せていく。
俳優たちが、生理的に気持ちよく動いてくれないと、見ていて違和感が出るなと思って、基本的には現場でもカメラを置く前にまず動きをつけます。それも俳優たちが好きなように、気持ちがおもむくままにまずは動いてみましょう、という作り方をしていますね。
―オトセの父親については言及されていませんが、背景としてもいないんですね。
いないですね。特に背景も作りませんでした。
―ソウジュンが大人の男性の姿なのは、父親がいてほしいという想いが出ているのかなと思いました。
よく漫画で、頭や肩の上に天使と悪魔がいて、そそのかしたり、やめさせたりしますよね。あれにも似ています。
それに近いかも(笑)。実際オトセ自身の悩みから出たものですけど。
―自分から出たものだから、超えることはないんですよね。緊張する場面が続いて、ソウジュンが出てくるとなんだかホッとしました。
オトセの母は困った人ですが、並木さんの演技が細やかで、涙が光ったり、手が震えたりで動揺する内面が見えてきました。あれは監督が演出されたんですか?
並木さんに関してはそんなに細かいことは言わなかったかと思います。顔合わせするよりも前に、電話で1,2時間くらい色々役について話しました。並木さんからの質問はとても鋭いですし、そんな深い読み方をしているのかという驚きがたくさんありました。
―監督も監督として育ったということでしょうか
そうです。ほんとにそうですね。
―大阪で先行上映していますが、反響はいかがでしたか?
反響はよかったですね。リピーターの方もたくさんいらっしゃって。3月に凱旋上映をしますので、また地元でももっと多くの人に観てもらいたいです。せっかく舞台が堺なので堺でも上映したいですね。
朝比奈めいりさん、並木愛枝さん、北口監督
===「北口監督」ができるまで===
僕は小さいころから映画少年だったんですよ。幼稚園のころにホラーが好きで、布団に隠れながら、怖がりながら早送りしながら(笑)よく見ていました。テレビでやってた『バタリアン』とか『13日の金曜日』とかをビデオに撮って観ていました。あのドキドキがたまらないんです。
それからだんだん色んな作品を見るようになったんですが、高校生のときに浅野忠信さんの『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999)を観て、こんなにかっこいい日本人がいるんだ!自分も芝居をやってみたいなと思ったのが映画を志したきっかけです。
もともとあんまり人前に出たりとか、話をしたりするのが大阪人のくせに得意ではなくて、そういうコンプレックスも強かったので、リハビリも兼ねて演劇をやってみたいなという想いもありました。それが浅野さんの映画を観てから、俳優になりたいという思いが一気に膨らんで、演劇が盛んな早稲田大学に入って、演劇部やサークルを片っ端から見学したり体験しに行ったんですが、どれもやりたいのとはちょっと違うなと思って。舞台より、もっとリアルな映画の演技をやりたかったんです。そんな時に、恩師である柳町光男監督と出会いました。僕が行ってた学部とは違う学部の授業を担当されてたんですが、潜りで通って。その授業で溝口健二の「近松物語」を1カットづつ分析して、柳町監督が解説してくださるんですが、それがめちゃくちゃ面白かったんです。俳優というよりは作り手向けの講義だったんですが、とにかく面白くて、潜りだから単位も取得できないのに、その授業を一番熱心に受けてましたね(笑)。そこで溝口や成瀬巳喜男やトリュフォーを知って、映画の見方みたいなのを教わりました。当時は監督になろうとはまだ思ってなかったんですが、柳町先生との出会いが監督になる原点になってるかと思います。
在学中にその柳町監督作の『カミュなんて知らない』(2006)で俳優としてデビューさせていただいたんですが、やっぱりちゃんと基礎を学ばないと駄目だと思って、そこから塩谷俊さんのアクターズクリニックに通うようになりました。
大学卒業してからは、アクターズクリニックとアルバイトとオーディションだけの日々でした。全然オーディションも受からないし、バイトばっかりしててこのまま社員になってしまった方がいいんじゃないかみたいなことが頭をよぎるようになって、25歳くらいだったかな、先が全く見えなくて辛い時期があったんですが、そんな時にアクターズクリニックの特別ワークショップで、ロン・バーラスというアクティング・コーチがアメリカから来日したんです。
ロンのレッスンを初めて受けたときに、「求めてたのはコレだ!」ってものすごく感銘を受けまして、もう絶対にこの先生のもとで学びたいと。もう売れるとかどうこうより、とにかくその術を学びたいと思って、ロンがいたART OF ACTING STUDIOへの留学を決めました。
ロンも一昨年亡くなられたんですが、算数を教えるみたいに論理的に単純明快に演技を教えてくださって、それ以上に人生との向き合い方というか、生き方そのものを教わったように思います。人生で一番影響を受けた人かもしれない。本当にスターウォーズのジェダイマスターのような方で、生徒達はみんな、親しみを込めてヨーダと呼んでいました(笑)
監督はいつかやりたいという想いはずっとあったんですが、帰国してからとにかくロンから学んだことを実践する場が欲しかったので、自分で演劇のプロデュースを始めたんです。大阪でヒッチコックの「三十九夜」(さんじゅうきゅうや 原題:The 39 Steps)「ダニーと紺碧の海」「アメリカン・バッファロー」と3本の戯曲を自分で翻訳してやりました。
自分で主演もしながら演出をしていたんですが、稽古を重ねて自分が変わっていくことよりも、共演者たちが自分の言葉でどんどん変わっていく姿を観るのがすごい楽しくて、そっちのほうにだんだん喜びを感じるようになって行ったんです。ちょうどその頃デジタルカメラも手頃になってきてたので、自然と遊び半分で映像を撮るようになっていきましたね。
いつかはフィルムで撮ってみたいんですよ。俳優デビューした『カミユなんて知らない』がフィルム作品だったんです。初めての現場がフィルムだったので、やっぱり。
人生で一番繰り返して観たのは『パルプフィクション』(1994)です。この映画で英語の勉強をしたので、台詞も結構覚えてます。現地でもそう言うとみんな面白がってくれてました(笑)。「パルプフィクションで英語勉強したのか?嘘だろ?」って。
砕けた英語で、Fワードばっかり。だから演劇学校でもセリフに出てくるFワードの使い方が異様に上手いって褒められてました(笑)。
影響を受けた監督は、大学の卒論でも書いたんですがジョン・カサヴェテス。あとは成瀬巳喜男、コーエン兄弟、ヒッチコックとかですかね…挙げればキリがないですが。好きな映画はコーエン兄弟の『ファーゴ』(1996)です。自分が作りたい理想がたくさん詰まっているので、脚本を書く前とか書いてる途中とかに毎回見返してる気がします。
=取材を終えて=
初の長編を完成させた監督さんに取材することが多いです。北口監督も「初めまして」でしたので、いつも通り監督になるまでのことを伺いました。それが、北口監督の情熱にほだされて異例の長さになりました。「北口監督ができるまで」は囲みの予定でしたが、そうすると(見た目が)もっと長くなるので、やめました。熱を感じてくださいませ。
(取材・監督写真 白石映子)
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