『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』 長倉洋海さんインタビュー

~ アフガニスタンでマスードに出会った意味を噛みしめる ~

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『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』
出演:長倉洋海
ナレーション:山根基世
監督・撮影:河邑厚徳

公式サイト:https://enpitsutojyuu.com/
★2023年9月12日(火)〜9月24日(日)東京都写真美術館ホールほかにて公開


河邑厚徳監督に『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図全14 部』公開時にインタビューさせていただいた折に、次の作品が写真家・長倉洋海さんを追ったドキュメンタリーと知りました。
長倉洋海さんといえば、アフガニスタンの北部同盟のマスード司令官はじめ、世界各地の人びとの素敵な表情を捉えた写真を撮られていて、大好きな写真家。 ぜひお話を直接伺いたいとお願いしていたのが実現しました。
【取材】撮影:宮崎暁美(M) まとめ:景山咲子(K)


◎長倉洋海さんインタビュー

◆マスード亡き後も「山の学校」でアフガニスタンと繋がる
K: 同志社大学時代に、探検部でアフガニスタンの遊牧民の調査に行かれたそうですが、その時には、どの地域にいらしたのですか?

長倉:ほとんどの大きな町を回りました。ハイダバード、バーミアン、ヘラート、カブール、ガズニ、ジャララバード、カンダハールなど。パキスタンのペシャーワルからハイバル峠を越えて入りました。

K: マスードに会いに行く時にも、パキスタンのペシャーワルから馬を借りて入られたのですね。

長倉:ペシャーワルから山のほうに移動して馬を借りました。当時、ペシャーワルには、イスラーム戦士のオフィスがたくさんありました。

K: マスードというカリスマ性のあるリーダーがいることは、長倉さんの写真を通じて知りました。2001年9月9日、 9.11同時多発テロの2日前に暗殺されたのがとてもショックでした。あれからアフガニスタンでは、アルカーイダやタリバンなどいろいろな勢力がひしめきました。
長倉さんのマスードの写真も好きなのですが、なにより、長倉さんの捉える子どもたちや人々の笑顔が好きです。劇中の「好きだという思いが伝われば、英雄も子供も笑顔で心を開いてくれる」という言葉が心に残りました。

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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス

M: 実は長倉さんと同じ1952年生まれです。ベトナム戦争の反戦運動に参加したことから、岡村昭彦、石川文洋、沢田教一、ロバート・キャパなどのベトナムでの写真を見て、私も報道写真家を目指したいと思ったのですが、とうとう戦地には行けなかったので、長倉さんの「遅れてきた戦場写真家」という思いがとてもよくわかります。 ベトナム戦争は終わりましたが、残念ながら、今でも各地で戦争や紛争は続いています。 それをずっと撮られてきたのは凄いなと思います。長倉さんの写真展には何度も行っているのですが、最初のころの写真展でマスードの写真を見て素晴らしいと思いました。その時に長倉さんとマスードのことを認識しました。マスードのことを日本に知らしめた写真展だったと思います。 継続して撮ることの大切さを、映画を観てつくづく思いました。

K: マスード亡きあとも、「山の学校」を支援する形でずっと現地と繋がっていらっしゃるのだと、幅広い活動をされているのを遠くから見守ってました。 子どもたちがどんどん大きくなっていくのを写真に収められていて、彼らにとっても宝だと感じます。旅先で写真を撮って、送るといいながら送らないことも多いのですが、ちゃんと届けてらして、ほんとに嬉しいことだと思います。今は画像データですぐ送れるけれど、印刷されたものは違う良さがありますね。

長倉:手間かけてプリントしたものですからね。


◆マスードの目指した多民族国家はいつか実現する

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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス

K: 「山の学校」を支援されてきて、習っていた子が先生になって戻ってきて、軌道に乗ったから、2020年の年末に、2023年で支援を止めると決めていらしたのに、タリバン復権で状況が変わりましたよね。
「山の学校」が男女共学だから狙われたのでしょうか?

長倉:やはりマスードのエリアだから狙われたのです。マスードが目の敵にされているからです。

K:マスードの息子さんも、とてもカリスマ性のある雰囲気の方ですね。

長倉:国内での抗争を続けながら、タリバンやアルカーイダやISISなどの脅威を外に訴えつつ戦っています。世界が何かしないと、アフガニスタンの女性の問題も変わらないので、国連がジェンダー・アパルトヘイトの問題として捉えています。タリバンは時代錯誤な人たちだと思います。

K: タリバンを構成するパシュトゥーンの人たちは保守的で、特に女性隔離の考えが強いですよね。民族的な慣習だと思うのですが、それをイスラームの考えと誤解されるのは違うと思います。

長倉:14億人近くのイスラームの人たち全体をみれば、女性参政権も得ているし、勉強もしているし、タリバンだけがなぜそういう考えなのか。女性だけでなく、少数民族や外国人に対しても差別的な考えを持っています。多民族国家なのを受け入れないといけないと思います。皆で一緒にやれる国造りが必要です。女性の力が大切。人口の半分は女性です。アフガニスタンは、戦争で痛めつけられてきましたし、電力も周辺国から買っています。マスードの目指した国造りは多民族国家であり、そうした国造りの為の人材を育てるのが「山の学校」です。アフガニスタンを変えていけると考えていたのです。

M: そういう方向に変わっていくのかなと思っていたのですが、私たちからみても状況は悪くなる一方です。中にいる人たちはどんな思いかと憂います。・

長倉:タリバンが復権して、8月15日でちょうど2年になります。国民は大変だったと思います。なかなか変わらないけれど、きっとアフガニスタンは変わる、必ず良くなると思っています。


◆アフガニスタンを見ることは、世界を見ること

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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス

M: 山の学校への道路はよくなったのでしょうか? 

長倉:半アスファルトでだいぶん出来上がっています。

M: 道路が出来て便利になると、皆、町に出ていってしまうという現象もあると思います。

長倉:世界のどこでもそういう傾向はありますが、あの村の人たちは村を愛しているので、その心配はないと思います。道がよくなって、下に降りるのも楽になって、急病人も運べるし、高校へも行きやすくなりました。すごく石が多くて、工事でさらに丸い石がとがっています。

M:上の学校に行く人も増えたのでしょうか?

長倉:高校に行ったり、留学したりしていますね。

M:「山の学校」では、タリバンにパソコンも壊されたそうですが・・・

長倉:立派なモニターもあったのですが、しょうがないですね。山の学校も理想通りにいけばよかったですが、アフガニスタンが世界とつながっているからこそ、アラブからアルカーイダやISISなどの反米の過激派が集まり、戦争の中で生まれた孤児がパキスタンでタリバンとして育てられました。世界の政治や経済の矛盾や問題が弱いところに来てしまったのではないかと思います。住んでいる人には大変なことですが。
アフガニスタンを見ることは、世界を見ることに繋がっていると思います。ただ支援をしただけじゃなく、教わったことも多い。これからもアフガニスタンを見つめていくけれど、アフガニスタンの人たちも僕たちを見つめてくれる。相互作用があります。支援することで学ぶこともある。一方的な植民地と宗主国の関係、搾取し搾取されるという関係でなく、お互いにいい意味で影響し合うのが世界の理想。いろいろな国があって民族がいて、違いがある中で一緒にやる意味は何なのか。多様性こそ豊かさ。ですので、アフガニスタンが多様性を拒否するのはおかしいと思う。本当は豊かなのだといいたい。パシュトゥーン、タジク、ハザラなど多様な民族がいて、衣装や伝統芸能も素晴らしいものをもっています。そこから他の国の僕たちも影響を受けたし、新しいものを作り出す原動力にもなっています。仏教遺跡を破壊したりする行為はよくないと思います。


K:かつては、アフガニスタンの小学校で、パシュトゥー語とダリ語の両方を教えていた時代もありました。お互いにコミュニケーションをとれました。今では考えられない状況です。

長倉: 時間や効率の面で世界が狭くなるというより、世界がモノカルチャー化しているのは悪くなる兆候ではないかと思います。世界各地の先住民の文化も淘汰されようとしています。オーストラリアや南米の先住民など様々な文化をリスペクトすることが地球の豊かさに繋がると思います。ウクライナの戦争でも、ロシアが自分たちの価値観で支配しようとしています。
「山の学校」の子どもたちの笑顔や目指していたものを見せることに意味があると思っています。タリバンがカブールを制圧する前のアフガニスタンを映画で見てもらって、本来のアフガニスタンの持つ豊かさや世界を考えるきっかけになればと思っています。
マスードと僕との出会い、マスードが考えていたことを僕が受け継ぐというほどではないにしても、関係を続けてきたこと。マスードが亡くなってもう20年以上になるけれど、17年間のマスードとの付き合い、そしてその後23年、トータル40年アフガニスタンに関わってきたことが僕の人生にとって意味がある。亡くなられた時に終わらせてしまう出会いもあるけれど、そこから次の道が見えてくる。マスードが亡くなって終わりだと思っていたけれど、彼の考えていた教育、それを苦労して引き継いでいる「山の学校」があって、ここだと。人生の道はどうなるかわからない。人生の道はくねくね曲がっています。


K: 一つの出会いはとても大きいと思います。誰と出会うかはとても大事。長倉さんの人生を見て、こういう生き方に憧れる若者がいてもいいなと思います。今の若い人は、あまり外に出ないような気がします。

長倉:今、時代がそうなってしまったのですね。スマホの中に閉じこもってしまっているような感じがありますね。

K: 画面の中での出会いより、対面で出会ってこその良さがあると思います。
シャルワールカミーズ姿の長倉さんは、すっかり現地に溶け込んでいました。私の知り合いの先生は、シャルワールカミーズを着ているとハザラと間違えられると言ってますが、長倉さんはマスードと同じタジクにも見えます。
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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス


私はアフガニスタンに行きたかったのに、行き損ねました。アフガン研究会などで前田耕作先生のお話などもよく聞きました。

長倉:前田先生も亡くなられて残念ですね。ほんとうにアフガニスタンのことが好きで、本もたくさん書かれていて、ご存命なら、これからもまだまだアフガニスタンの文化の大切さを紹介してくださったことと思います。運が良ければ跡を継ぐ人がきっと現れると思います。


◆故郷・釧路での長倉商店塾
K: 今、釧路で商店塾を開かれているとのことで、どんなことをされているのかとても興味があります。

長倉:若い人や知らない人たちにいろいろなことを伝えることができるという嬉しさがあります。
マスードとのことももちろん伝えています。出会いの意味は、その時にわかることもあれば、時間が経ってわかることもあります。当時刻みこまれた種が、胞子のように僕の中に残っていて、芽を出したり花が開いたりすることもあって、それを伝えていきたいと思っています。


M:劇中、釧路の映像があって、とてもよかったと思いました。

長倉:塾の授業の様子も撮影したのに、映画ではカットされていました。

K: どんな授業をされているのか、とても興味があります。
この映画は、若い人にとっては人生の師になると思います。皆さん、ためらわずにやりたいことに飛び込んでほしいと思います。そして、人との出会いを大事にすることを学んでほしいと思います。
長倉さんのこれからのご活躍にも期待しています。今日はどうもありがとうございました。



長倉洋海(ながくら ひろみ)
1952年10月26日、北海道釧路市生まれ。

写真家。1980年、勤めていた通信社を辞め、フリーランスとなる。以降、世界の紛争地を精力的に取材。中でも、アフガニスタン抵抗運動の指導者マスードやエルサルバドルの難民キャンプの少女へスースを長いスパンで撮影し続ける。

戦争の表層よりも、そこに生きる人間そのものを捉えようとするカメラアイは写真集「マスード 愛しの大地アフガン」「獅子よ瞑れ」や「サルバドル 救世主の国」「ヘスースとフランシスコ エルサルバドル内戦を生き抜いて」などに結実し、第12回土門拳賞、日本写真協会年度賞、講談社出版文化賞などを受賞。

2004年、出演したNHK「課外授業・ようこそ先輩『世界に広がれ、笑顔の力』」がカナダのバンフテレビ祭にて最優秀賞を受賞。2006年には、フランス・ペルピニャンの国際フォトジャーナリズム祭に招かれ、写真展「マスード敗れざる魂」を開催し、大きな反響を呼んだ。




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『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』 河邑厚徳監督インタビュー


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