山岡瑞子監督(オフィシャル画像)
11月21日、日本外国特派員協会にて『Maelstorm マエルストロム』の試写と山岡瑞子監督の記者会見が行われました。
(以下オフィシャルレポートより)
2002年NYの美大を卒業してすぐ交通事故で脊髄損傷により下半身付随となる大怪我を負い、突然それまでの日常を失った山岡監督。自身のパーソナルな題材を描こうと思ったきっかけについて聞かれ、「この状況を描かなければいけないと思ったきっかけは、脊髄損傷者のNPOで事務の仕事をしていた頃、亡くなった方のお名前を会員リストから削除する作業が私の担当で、静かに亡くなっていく人々を常に感じる日常の中で、ある戦う女性を主人公にしたアメリカ映画を観ました。試合中にバランスを崩した彼女が、打ち所が悪くて頸椎を損傷してしまいます。その後彼女を安楽死をさせるというエンディングでした。厳しい状態でも生きるヒントが欲しいと思って観に行ったのに、死刑宣告をされたように感じました。この状態で生きたことのない映画を作っている人達に、気安く終わりにして欲しくないと思い、自分なりに作ってみたいと思うよう
になりました」と明かしました。
更に「自分がこれからどうしていきたいかと悩み、デンマークに10か月間留学した時、映像制作に出会い撮影させて頂いた脊髄損傷患者の方から『外に出ていって、人に出会い、同じ人間だと理解してもらう責任が我々にはある』と言われ、私も、同じ怪我をした人の中にいるのではなく、人に出会っていく生き方に変えよう、と思いました」と語り、車椅子で外に出ていく中で苦労した経験についても「通らなければいけない道だと思っていました。事故は別に理由もなく起きて、損傷部位の位置でその人の障害のレベルは決まり、その客観的事実を医師から宣告されます。そこで感傷的になって、ただ泣いているだけだったら何も進まない。そういう現実を我々は生きているわけです」と、当事者として本作を描いた覚悟をのぞかせました。
多様な喪失が描かれていることについては「映画を作ると決めてから、カメラを持ち歩くようになりました。そうしたら不思議と色々なものが変化していったんです。私たちの生活はこうやって喪失を繰り返し、そういう事態を経験するにつれ、私達の生きている時間で、過去と同じ時間は一瞬もないということがわかりました。」と話し、「自分のこれまで考えてきたことを、それぞれの時代の最低限の言葉で記録に残すということを、まずやり遂げることが大事でした。完成するまで5年半ずっと、夜中に周囲の音が静かになった時に、自分の部屋で自分の声をレコーディングしては書き出し、ナレーションを書き直しては何度も同じことを繰り返しました。二度とあの生活はしたくないです(苦笑)」と製作の苦労を語りました。
また、製作の原点について「私が表現者に戻りたくて、それは私がアートやアーティストの人達との時間で救われたという気持ちがあったからです。留学時代の恩師から、アーティストの役割というのは社会に問いかける存在だと教わりました。それは答えを押し付けるのではなくて、『こういうことがあるけど、皆さんどう思いますか?』と、提示する役割だと私は理解したんです。」と打ち明けた。
最後に「事故は私たちの日常に繋がっています。私は20年ぐらい車を運転していますが、目の前で自動車と自転車の事故を4〜5回見たことがあります。そのぐらい私たちの日常に繋がっているのに、その後に何が起こるのか、みんな知らないままです。たまに過剰に可哀想がったり、逆に無理難題を要求して来る人もいて、そういうものをちょっとずつ壊していけたら良いかな、と思っています」と語り、記者会見は終了しました。
●12月2日(土)~8日(金)横浜シネマリンにて公開
〒231-0033 横浜市中区長者町6-95
TEL 045-341-3180
https://cinemarine.co.jp/
●『Maelstorm マエルストロム』山岡瑞子のアート・ワークス
映画に登場する山岡監督のアート作品の展示
12月2日(土)~10日(日)13:00~18:00
高架下スタジオSite-Aギャラリー
横浜市中区黄金町1-6番地先
TEL 045-261-5467(黄金町エリアマネジメントセンター)
https://koganecho.net/spot/site-a
★作品紹介はこちらです(白)。
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