『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』井上淳一監督インタビュー

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*プロフィール*井上淳一 監督・脚本
1965年生まれ。愛知県犬山市出身。早稲田大学卒。在学中より若松孝二監督に師事し、若松プロダクションで助監督を務める。1990年監督デビュー。
主な脚本作品『男たちの大和』『パートナーズ』『アジアの純真』『あいときぼうのまち』『止められるか、俺たちを』『REVOLUTION+1』『福田村事件』
監督作品『戦争と一人の女』『いきもののきろく』『大地を受け継ぐ』『誰がために憲法はある』

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『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』
1980年代、若松孝二が名古屋に作ったミニシアター“シネマスコーレ”。
映画と映画館に魅せられた若者たちの青春群像劇。
http://www.wakamatsukoji.org/seishunjack/
©️若松プロダクション
作品紹介はこちら
*ほぼ書き起こし。ラストにも言及していますので気になる方は鑑賞後にお読みください。

―井上監督ずっとお忙しかったですね。飛び回っているという感じです。

それまでがヒマな人生だったので(笑)、還暦手前で少し取り戻しています。

―公式ブック(¥1000)がすごく充実していて、こんなに書いてあるのに、ほかに何を聞けばいいのか困っています。書かれていないこと…。

書いてないことは喋っちゃいけないことなんですよ(笑)。

―それはそうですね(笑)。淳一少年可愛いかったですね。

ありがとうございます。あれは杉田雷麟(らいる)くんが可愛いんです。

―井浦新さんは続投で、新しく杉田雷麟(らいる)くん、東出昌大さん、芋生悠(いもうはるか)さんといいキャスティングですよね。芋生さん演じる金本さんの存在がすごく大きいと思いました。
金本さんの元になる女性はいたんでしょうか?


いないです。単純に映画を作るときに、ジェンダーバランスとかじゃなく物語のバランスとして女性が要るじゃないですか。実名でやるときに、当時の彼女を実名で出すわけにいかない。いくらなんでも。なおかつそんなままごとみたいな恋愛は面白くない。誰か作ろうと。
厳密に言えば男社会なので、あのころはシネマスコーレのバイトすら、最初は女性いないんですよ。10年後くらいに来たのが李相美(イサンミ)さん。彼女が最初に「本名で働いていいですか」と言ったという話を聞いてて、やるなら「在日」にしようと。
いつもこうやって社会的なことをちょっと入れたがる、やりたがるんで、僕は。

―それで左翼って言われちゃうんですね。

そう、左翼って言われる(笑)。最近は反日って言われてますから。でも、荒井晴彦さん曰く、「反日は最低限のたしなみ」ですから(笑)。
で、「指紋押捺」のことを入れようと、そっちが先でした。愛知県って在日の人がわりと多いんですよ。戦時中に航空機産業が多かったから。犬山市の僕の小学校のクラスで4人くらいいて、在日も何も全然気づかないんです。通名ですし。それが中学になって大きくなると、「あいつ在日だよ」みたいなことになってきて。16歳になったら机並べていた奴があんなこと(指紋押捺)やらされているわけじゃないですか。そんなことすらも知らなかった。
指紋押捺のことを知ったときも、自分は無関心だったなと。あのころ姜尚中(カン サンジュン)さんが指紋押捺拒否闘争をしてたんですよね。フィクションの人物を作るならそういうことをやろうと。
もう一つは、僕たちは「男」だという、高~い下駄を履いていたことを、ほんとについ最近まで知らなかった。言っちゃえば「いいな、女の方が得だ」みたいに思っていたくらい。
金本という「女性」の存在で、自分を含めた男たちを相対化したい。あの頃なんて、衣裳メイク、スクリプター、編集助手くらいにしか女性はいなかったんで、それはやりたいと思った。

―金本さんがいることで広がって、深まったと思います。

この映画は金本の物語なんですよね。彼女だけが変わるし。淳一はわずかな変化(笑)。人が変わることが映画なんで、当然みんな変わる。でも、2時間くらいの物語で、人ってそんなに大きく変わらないんじゃないかと常々思っていて。今回は立ち位置が5ミリくらい変わっていたということを図らずも描けたんじゃないかと思っています。

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―金本さんと淳一くんがいて、ラブはないけど対立があります。
そして若松さんと木全さんという大人がいてくれます。新さん、見た目似ていないのにどんどん若松監督に見えてきました。


前のときは、どこかものまね感があったんですよ。それは実年齢より10歳若い若松さんだし、全員が知らない時代の若松さんってこともあった。あの若い衆とも年が10歳しか離れていない兄貴分の若松さん。はじめて若松さんを演じるプレッシャーもあっただろうし。
今回は2回目だってこともあるし、新さんが実年齢の若松さんと全く同じ、48、49。しかも新さんのあの座長体質というかね。あの感じが父と子、疑似親子になっているんで。そういうことも全部良いように作用していたんじゃないですかね。

―若松監督ってとにかく弟子希望者がいっぱいいる人なんですね。人が集まってくる。

集まってくるし、「俺が手を汚す」(若松さんの自伝)の中でとか「こんなに監督デビューさせてやったんだ」って言ってるから、なんかみんな騙されるんですよ(笑)。「あ、俺もなれるんじゃないか」って。あのころはにっかつしか助監督採用していなかったんで。
映画の中にあるように、ピンクと自主映画から才能が出て来たっていうのは実はそこしかパイがなかったから。にっかつに行ったって年に一人か二人しかデビューできない。何年かかるの?みたいな世界です。

―テレビはまた違いますしね、やっぱり映画撮りたいんですよね。
名画座をやりたい木全さんが、何度も危機に瀕しながらなんとか持ちこたえました。


ほんとですよ。今日がシネマスコーレの41周年なんです。開館記念日なんです。

―41周年!書いておかなくちゃ。2月19日。

ああやって、東京でもミニシアターができてきて、当時はまだミニシアターって言葉はなくて、単館系とか言ってたけど、地方でブロックブッキングからはみ出た映画の受け皿になったり、中国映画やインディーズの映画が上映できるようになった。

―「届けたい」と監督はおっしゃいますよね。

それが「届く人にも届かない」んですよ。残念ながら。だから”せめて”届けたい。この映画はともかく、今までの憲法とか福島の映画って、9条なくすなとか原発反対という人にしか届いてないんです。本当に届けたい人は、実は違うわけじゃないですか。本当は憲法や原発なんか興味がないって人に届けたい。届く人っていうのは届けたい人ではないんですね、これが。
この映画も、やっぱり一番にはかつての井上みたいな若い人に観てほしいけど、なかなかそういかない。ジレンマとの闘いです。どうやったら届くのか、映画を作って宣伝するたびに同じことを思いますけど。

―実在の人を描いたと知ると、このエピソードはどこまでほんとにあったんだろうと、つい思ってしまいます。

木全さんは80%ほんとと言ってますけど(笑)。「早稲田の名前をとっとけ」はほんと。新幹線も乗ったんですけど、一人ではなかった。高校の2年先輩でけっこう影響を受けた人と一緒だったんです。映像をやりたいと東京の専門学校へ行ってたのが、ちょうど夏休みで帰ってきていた。若松監督に弟子にしてくださいと言って、一緒に飯食って、これから監督は終電で東京に戻るところだと知ったら、「じゃ、今から俺も新幹線で東京に帰る」というわけですよ。それ、ズルいじゃないですか、僕が声かけて道を開いたのに2時間も一緒に乗っていくのかよって。それで、僕も一緒に付いて行こうと思った。先輩のところに泊まればいいし。

―監督は先輩が行くと言わなかったら乗らなかったんですか?

うんそれはさすがにね。どこかに気持ちはあった。弟子にしてくださいと言っても、それだけじゃそこらにいる映画青年だとは思ったんですよ。若松さんも慣れているからうまくあしらう。
乗っていって映画のフレームを手でやってくれたのは、その後若松さんにずっとつきあってても、2度とそういうことはなかった。多分サービスだったんですよ、あれは。なんかついてきちゃったしみたいな。

―弟子になる前の子ですし。若松監督優しいですね。

優しいんですよ。ついてこられたら困る、みたいなことはあったかもしれないけど。「うちは給料払えないけれども、4年ちゃんと大学に」というのは、めちゃめちゃなように見えて、全然そうじゃなかったですから。
いつも言っているけど、「父親未満師匠以上」だったんですよ。その時、入場券で入って、それで乗ったんですけど、最後は東京駅で「それで出てこれたら弟子にしてやるよ」と言って自分だけ降りていきましたけど。本当についてこられたら困ると思ったんだと思います。そこまで書いてたんですけど、キセルの話をやると、新幹線が借りられなくなるからと泣く泣くカットしたという。

―今は天国の師匠ですね。おいくつで亡くなられたんでしたっけ?

1936年生まれで2012年だから、76歳。荒井さんがこないだ喜寿の会をやって、あんなに元気だから。
若松さんまだ撮れたのに、と思いますけどね。

―監督も若松さんのお年までまだまだですよ。会えるときには「これだけ撮ったよ」って持っていかなきゃ。

ほんと。「お前、どれだけ俺で商売したんだ」って絶対言います(笑)。

―おかげ様でたくさんの人が育って、亡くなったあともこんなに力になってくれて。

なかなか幸運ですよね。毎年毎年命日には上映会やったり、実名で2本も映画作られる監督ってそうはいませんから。

―稀有な人ですね。パワーがいつまでも残っているようで。

また、僕たちが安く作るんで。普通ならこれ通らないです。たとえば大島プロとか、東映とかで何かやろうとしたら2億3億です。我々は1千万とか2千万でやりますから、それも大きいんだと思うんです。

―だから集まってくる方がいますよね、手伝わなきゃ、助けなくちゃって。

と思います。でも甘えちゃダメなんですけどね。ずっと甘えて…新さんに「甘えるのもこれが最後ですよ」って公式ブックに書かれてしまいました(笑)。

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―公式ブックのスタッフさんの対談が面白かったです。知らないうちにいろんなところで助けられていたってことですね。どうやってお返ししていきましょう?

ほんとに。
いつも大きいやつを、ちゃんとしたギャラでと思うんですけど。編集の蛭田さんなんて、ずーっと安いギャラでやり続けているんですよ。

―ご本人が楽しくて納得してやってくださるんでしょうか。作品があたって収入が入れば、バックできるんですか?

インセンティブ契約していないんで難しいことは難しいんですよ。だいたいそこまで儲からない。やれるとしたら受賞したときに分けるとか。めちゃめちゃ安くやってもらっているので、やりたいんです。『カメラを止めるな』みたいなことが起こればいいけど。
(ここでいろいろ具体的な数字が出てきて、台所事情はほんとに厳しいと知りました)

―プロデューサーをするともっとシビアにきますね。

実際今までプロデューサークレジットしてないだけで、みんなやってますからね。ただ僕は予算管理ができない。
「10万では厳しい、あと5万」とか言われると「じゃ仕方ないなあ」と言っちゃうタイプなんです。でもそれやったら我々の低予算では絶対できないんですよ。片嶋一貴(プロデューサー)がすごいのは、絶っ対に譲らないんです、そこを。だからギャラを払ったとしたって、片嶋さんに頼んだほうがいい。僕はもう一番向かないんです(笑)。

―あ、なんかわかるような気が(笑)、可愛がられてお金の心配しないで育ったぼんぼんで。

片嶋さんだってぼんぼんなんですよ~。
若松さんのお金の管理を一番学んでいるのは片嶋さんです。間違いなく。
横で聞いててひどいこと言うなって思います(笑)。

―若松監督はそんなにお金に厳しかったんですか?あ、毎日売り上げの報告していました!

厳しいもなにもお金のことしか考えてない(笑)。それが最優先。
やっぱり自分でやってわかるんですけど、僕たちはせいぜい3,4年に1本。『福田村事件』からは続きましたけど。
それを若松さんはあんな風に、年に何本もやって、人にも撮らせて。それだけお金にシビアじゃないとできないんですよ。

―監督だけやればいい、ってわけじゃなかったんですね。

そう、全部。あの人こそ全部やったんです。車だって自分で運転してますからね、現場で。監督は少しでも休みたいわけですよ。その分、映画観ないし、本読みませんが(笑)。

―若松監督の映画は自分の中から湧いてくるんでしょうか?

それこそ何か起こったときに「自分なら」という野生の勘がある。
足立さんや僕たちが言ったことをピッと「いいとこどり」するその勘はものすごい。
『トラック野郎』(鈴木則文監督)の中で、マルキ・ド・サドの「サド」のことを、星桃次郎(菅原文太)が「佐渡」だと思うシーンがあるんですけど、あれ若松さんもほんとに思ってましたからね。「佐渡」って(笑)。
僕は若松さんと出会ってから『トラック野郎』を観て、ああトラック野郎、若松さんと同じだなあと思いました(笑)。

―詳しいところと知らないところと差があるんですね。

だけど、ほんとに知らないことは知らないって言う人だったし、全然カッコつけない。僕たちになんでも聞いたし、フラットでした。

―偉ぶらない。怒鳴るけど(笑)。映画の中で、淳一くんずいぶん怒鳴られていました。

怒鳴られてました。ただ、事実かどうかを言えば、河合塾の映画のときはあんな怒鳴らずに粛々と自分で監督やっていました。何も言わずに(笑)。こないだ僕の半年後に入った助監督が、映画やめて今アイドルビデオ撮ってるんですが、観て「身につまされすぎて・・・」って。
僕は「オーライ、オーライ」って電信柱にぶつけましたけど、そいつはロケによく使われる渋谷のホテルで「オーライ、オーライ」ってやったら出て行く途中のベンツにぶつけたんです。そしたら、出て来たのは京本政樹だったという。若松さん怒った怒った。ベンツがガシャってへこんでね。
今、白石(和彌監督)がよく言ってるのは、若松さんが「原田芳雄さんに怒れないから、助監督を怒って現場をしめたり、何かを伝えようとしていたけど、それはパワハラですよね」。でも彼も僕も若松さんにされたことをたぶん一度もパワハラだと思っていないんです。この映画で一番心配しているのは、パワハラ肯定だと思われたらいやだな、ってことです。井上というサバイバーが、懐かしんでる・・・。

―私は全然そうは思いませんでした。思う人もいるかもですが。

僕も思ってない。僕たちは残っているけど、志半ばで辞めた人が大多数なわけです。経済に負けたりはしていくんだけど、怒鳴られて辞めたってことはない、たぶん。
この何年かパワハラに敏感だったじゃないですか。でも、この映画ではそう思う人は少ない。それはなんだったのかなってことを考えてもらえればと思います。
よく「パワハラかパワハラじゃないかは愛があるかないかだ」って言われるけど、僕はそういうこと言われると、ちょっと待って待って!「愛の便利使い」するなよって。
だけどやっぱりあの若松さんの何かではあるわけですよ。あの人は怒鳴るのは現場だけで、普段は、僕たちにメシとってくれたり、作ったり。人が美味しいって言ってくれるの好きだし。最上級の人たらしなんですよ。

―お料理して食べさせてくれるんですか。

するんですよ、何でも。外で食べると高いから(笑)。
その辺は徹底してる。

―木全支配人がロケのときに温かいものを食べさせたかったっていうのと通じますね。

気持ちは一緒なんですよ。安くてもちゃんと美味しくて温かいものをっていう。木全さんは作らないけど。スコーレの隣の弁当屋さんからケータリングみたいに出してもらって、みんなに食べろ食べろと言って、芋生さんと僕の分が残ってないときがあったんです。
僕が福田村のプロデューサーだったときに弁当食べていたら、普段何も言わない片嶋さんが「井上、プロデューサーは一番最後に食べるもんだ」って言ったんですよ。足りなくなるといけないからって。
木全さんはそういうところ全く関係なくて(笑)。僕も言いましたけどね、木全さんに。そしたら「ああ、わかったわかった」って。次の日、見てたら最初のほうで食べてた(笑)。

―悪気はないんですね。

ほんとに全然悪気はない(笑)。若松さんとのお金のやりとりをしてると、みんなおかしくなるんですよ。めちゃくちゃシビアだから。木全さんは30年もそれをやってきた。そういう人だからできたんですよ。
ミニシアターの支配人って意外とそういう人が多いんですよ。ぽよ~んとしている。だってお金のことにシビアになっていたらできないもの。木全さんはその一番の親分みたいな人でぼや~っとしてる(笑)。

―何度かお目にかかりましたが、いつもニコニコしていて木全さんって怒ることあるのでしょうか?

あの人が怒るときはよっぽどですよ。
それを東出さんが見事に演じてくれたので、ほんとにありがたかったです。東出さんをよく見てるとあの無防備さを含めて似ている。東出さんは優しくて無防備なのでモテちゃうんです。「福田村」も助けてもらいましたし、またもう一回がっつりとやりたかったんです。東出さんの本質みたいなものと、これは木全さんに合うんじゃないかとどこかで思っていましたね。

―ほわほわ~っとした木全さん役は、いつものカッコいい役とは違う東出さんでした。

最初は主役だったんです。自分の話をやるつもりはなかったんで。
木全さんに対立と葛藤がないので話を作れなかったんですよ。そう言うと最近文句言うんですけどね。「対立と葛藤がない」んじゃなくて、「対立しないし、葛藤しないんだ」って。若松さんといちいちバトラないので作れないんですよ。しょうがないから井上話を。

―サブのつもりだったんですね。こちらは「対立と葛藤」がある。

そしたら東出さんはだんだん主役ではなくなって、どこか「触媒」のような形になった。これはもし、事務所が入っていたら「約束が違うじゃないか」ってなったと思うんですよ。実際に東出さんが名古屋に撮影の3日前に来て、木全さんにずーっと聞き続けるわけです。「木全さんそう言いながら怒るときあるでしょう?」って。でも、木全さん、「ないよないよ、そんなこと~。時間の無駄だし」としか言わなくて、挙げ句に「こんな役やったことないでしょ~。得するよ~」みたいな。。
そんな中で、東出さんが「これはちゃんと触媒のほうをやろう」とモードチェンジしてくれたんでね。正直言うと名古屋に来て「シネマスコーレで一日働きます」って言ったのに、来なかったんですよ。そのときは東出さん降りるんじゃないかと思いましたが、でも全然そんなことはなく。
俳優部全員に「名古屋弁でやらなくていい」って言ってたんですよ。なぜかと言うと名古屋が舞台の映画『そばかす』(22)で、名古屋弁が名古屋弁に聞こえなかった。方言指導もあったと思うんですけど、イントネーションが全然違う。それだったらやめようと思って。
誰かが聞いたらしいけど「標準語で覚えてきたけど、木全さんに会ったら標準語だと木全さんにならない」と言ってたんで、たぶん来なかった一日で全部名古屋弁に入れ直したんですよ、間違いなく。
方言指導もいないし、テープもないのによくやったなと思って。

―名古屋弁をどこで勉強されたんでしょう?

もうね、不思議なんですよ。木全さんにだって、撮影3日前のそこでしか会っていなくて、『シネマスコーレを解剖する』ってドキュメンタリーしか観ていないのに、あそこまで特徴をとらえている。

―姿勢も、猫背になってて。

オーラ消して。現場に新さんと二人いるとみんな「新さんカッコいい!」になるわけです。新さんは若松さんだからオーラ全開でいってるから。だから役者ってすげぇなって。

―スイッチのON/OFF自在なんですね。新さんも若松さんでなければオーラ消すんでしょうね。

と思います。「福田村」のときはまた違う。どっちかと言えば東出さんの方がオーラ全開だった。あれはエロエロだから。それは、芋生さんと雷麟くんも、うちの地元で上映会やったときに来てくれて、スコーレのボランティアスタッフが二人を見て「えっ、こんなにオーラ全開!」ってみんなが驚いていましたから(笑)。舞台挨拶のオーラ出すモード。撮影のときは井上と金本だしオーラ消してた。すごいですよ、あの人たちは。

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―キャストが多いですね。

一個は福田村チームです。重なってる。それは福田村が非常に悲惨な現場で…悲惨だったんですよ、低予算で。最後のほうになって、僕が「新さんと東出さんと雷麟くんで(次の作品を)やる」って話が広まったら(田中)麗奈さんが「井上監督の現場見たい」と言うので、「見に来たら、出てくださいって言っちゃいますよ」って冗談めかして言っていた(笑)。コムアイさんも相応しい役がないんで「音楽やってください」「音楽はできないけど出してください」って、それで木全さんの奥さん役に。それがまず一個。
竹中(直人)さんは、夏に石井隆さんの追悼上映でシネマスコーレに行ったんですよ。木全さんに「絶対口説いてください。昔と同じ役です」。木全さんが口説いた。ただ片嶋さんがマネージャーにギャラの数字を「何かの間違いでは?」って言われたらしいですよ。

―ゼロの数が(笑)? それでも出てくださったんですね。

そう。(田口)トモロヲさんは岡留(安則)さん(噂の真相編集長)。ドラマ「不適切にもほどがある」を見てたら、いろんな小道具をちゃんと出すわけです、作りこんで。低予算の僕たちはできないので、人とか名前で行くしかない。岡留さんは、実際にあの飲み屋にいた人だったので書いた。誰にしようと思って「トモロヲさん」。事務所の社長が、高校の先輩なんですよ。しかもなんと教育実習で母校に来た時に僕は生徒だったんですよ。ちゃんと教育実習日記に書かれていて僕のクラスだったのがわかりました。その高校も撮影で使わせてもらえました。
トモロヲさんは、書いてもいいと思うんですけど木全さんがギャラをお渡ししたときに、「これ井上君にカンパだから」って。いったい俺たちの現場はどう思われているのかと。

―ベテランの方はわかるのかも。

ありがたいですね。あと、BoBA(田中要次)さんは、シネマスコーレ組なんです。僕が若松さんと一緒に忘年会に行くと「僕国鉄の職員なんですけど、俳優やりたいんです。原田芳雄さんが好きで、東京に行きたいんです」と若松さんに挨拶していました。 **国鉄分割民営化1987年

―国鉄職員だったんですか。ものわかりのいい「お父さん」役で。
(実の)お父さんは今だにものわかりよくて、ずっと応援してくれているんですよね。


はい、今だに。淳一のあの実家はうちですし、メイクルームとしても使ってるし、こないだの上映会では近所にチケット100枚近く売ってるし。あの親なくして、いまの僕はありえない。

―お父さん嬉しかったでしょうね。

いろんなところに書いてますけど、「お母さんが生きてたら」ってずっと言ってます。
お母さん役の有森(也実)さんは――うちの母親は松平健がすごく好きで、2011年に御園座で「暴れん坊将軍」をやったときに有森さんがヒロインで出ていたんです。チケットを頼んだらすごくいい席をとってくださった。終わって楽屋に伺ったら、ガウン着た有森さんにカステラやコーヒーご馳走になりました。うちの母親はいたく感激したわけですよ。しかもパンフレットに松平健のサインをもらってくれたりとか。
ちなみに母の妹、叔母はそのサインを見て「高いサインだったね」(笑)。今までこの子にかかったお金がこのサインで戻ってきたって(笑)。
母親なんて誰がやっても不満じゃないですか、どうしようかと迷って「あ、うちの母親が唯一会ったことのある人」にしよう、と有森さんに頼んだらOKでした。
『Single8』(2023/小中和哉監督)でもお母さん役でワンシーンだけ出てきます。有森さん2年続けて実在のお母さん演じているんですよ。有森さん、いいんですよね。ある種の気風の良さ、微妙な尾張弁がすごくいいんです。誰がやっても不満なんてとんでもない。有森さんにやってもらえて良かった。

―尾張弁使える方なんですか?

いやいや。尾張弁は衣装合わせのときに「井上さん吹き込んで」ってテープ渡されて僕が吹き込みました。

―犬山と名古屋のことばはちょっと違いますか?

若干違いますね。岐阜が近くなってきますから。木全さんは大学時代京都で過ごしているから(同志社大学卒)関西弁がちょっと混じっているんです。純粋な名古屋弁ではないです。でもあれが木全さんなんです。

―それを東出さんがちゃんと再現しているという。

びっくりしましたね。これもいろんなところで言っているけど、2日目くらいに木全さんになったなと思ったことがあったんですよ。木全さんに「そっくりでしょ?」って言ったら(ふり真似して)「いやいや、俺はあんなに手なんか動かしとらん」(笑)。

―やりながら(笑)。

まわりが全員「やっとるやろ」ってツッコんだ(笑)。前に「方言テープ吹き込んでよ」って言ったら「俺は名古屋弁喋っとらんて」ってめちゃめちゃ名古屋弁で。

―楽しそうで、こそっと撮影中を覗きたかったです。

面白かったですよ。新さんの若松さんなんだけど、なんか若松組みたいな雰囲気もあったし――本番中に新さんが「井上!」って言って僕が「はい!」と返事したんです(笑)。
みんな本番中なのに笑ってて、僕は「なにを笑うんだろう?」「井上さんが返事したんですよ」って。

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―そして、井浦さん本人が出てきますよね。

はい、それはやろうと思っていました。いろんなインタビューで初めて聞かれました。これ。

―え、だって聞きたいですよ。

だから、びっくり、です。なんで誰も聞かないんだろうって思ってた。
これは不思議なわけですよ。木全さんがいて東出さんがいて、僕がいて雷麟くんがいて、新さんは若松さんを演じている。これは、どっかでこの映画の「入れ子構造」をやりたいなと思って、新さんも面白がってくれて。ただやっぱりしんどいって言ってましたよ。あの日のことを思い出さなきゃいけないから。

―あれは順撮りで最後に撮ったんですか?

いや、違います。撮影は12日間しかありませんが、ケツから3日目。いや4日目。
砂丘で話すのは最終日でした。その砂丘からが大問題だったんですよ。
編集してテンカラットって新さんの事務所で、みんないる中でラッシュを見たら、ほぼほぼ全員が砂丘以降「切れ!」って言ったんですよ。細谷さんなんて「宣伝お願いします」って観たときに「切ったらやる」みたいなこと言ったんですよ。(細谷さん「切ると思います」だったと訂正)
そこまでは誰も何も言わずに、あそこを切る切らないだけが繰り返しずっとみんなで議論され続けた映画だった。
公式ブックに入ってるシナリオには書いてあるんですけど、追悼上映会で木全さんの横に若松さんが立って以降、まだあったんですよ。あそこでカットの声がかかって、そうすると撮影クルーがいるのが分かる。で、クランクアップになって、僕が若松さんと抱き合うという。撮影ではちょっとグッときちゃったんですけど、その後、シネマスコーレの表になって、みんなで記念撮影になる。と、そこにかつての淳一みたいな少女が来て「弟子にしてください」と。そうやって続いていくというシーンがあったんです。その子も良かったんですけど、さすがにそれは切りました。
でも、みんな、それだけじゃ満足しない。砂丘以降切れの声はかなり大きかったです。

―今もですか?

今も言う人は――プロほど言いますね。「やっぱり要らない」って。
ただあそこで終わるとね、もしかしたら「よくできた青春映画」と言われるかもしれない、もしくは「かなりよくできた青春映画」と言われたとしても、小品だと思う。何かそこにフックを残したいなと思ったんです。
恥ずかしいですけど、僕は猫をたくさん飼ってきて、母が死んだときに、猫たちがいっぱい死んで”喪失慣れ”してたんですよ。あれだけ可愛がったものも死んだら会えなくなる、これも恥ずかしいけど「僕が死んだら会えるね」って思ったりするじゃないですか。そこのところで、死んだ誰かがいつも見守っていると思うというか…。
この映画を若松さんだったらどう思うか、とずっと思うわけで、そういうことはちょっとやってもいいかな、と思ったの。これは実名の作品でしかできないだろうと。
だから、白石が〈映画芸術〉に書いちゃったけど、1作目のラストは亡くなった若松さんが先に亡くなっためぐみに会う。二人が歩いて行くラストだったんですけど、白石がホンの段階で「絶対やめよう!」って(笑)。で、今回は残しました。
マーベルとかがそういうことを平気でやっているから、意外とみんなが反発するものではないと思う。たくさんの人が観てくれるとあそこで泣いたと言う人もいるし。でもそれまでは反対派ばっかり。9:1で反対だったら、僕もさすがに切るけど体感では6:4。だから残すと言ったけど、ほんとは8:2だった(笑)。でも、今は3:7くらいな感じですよ。

―今日はありがとうございました。

ピンク映画について
最初に若松さんが「ピンク映画は終わりだ」って言ってるシーンから言うと。
若松さんの感覚の中では、「自分がやっていた社会的なことはできなくなったんだ」ってことだと思うんですよ。もっと言うなら、それを足立さんみたいにうまく取り入れてくれる人もいなくなっちゃったしね。それで若松さんの中では終わってたんですけど、それとは別に、廣木(隆一)さんや滝田(洋二郎)さんのような才能がぐわーって出て来た。そこしか開かれてなかったから。
AV(アダルトビデオ)でヒットした代々木忠は、ビデオ撮りのを、キネコ(フィルムに変換)にしてやってたんです。それはドラマじゃない。AVをスクリーンでやっているだけ。
にっかつも同じような道をたどって消滅するんです。ピンクはよくわかんないけどまたゆり戻す。名画座もレンタルビデオで苦しかったけれど、一番打撃を受けたのはピンクとロマンポルノと思いますよ。AVでリアルにやってるから余分なドラマ観なくて済む、みたいな。家に帰ってそこだけ早送りすればいいみたいな。そこを映画がまねしちゃったんですよ。


(取材:白石映子)

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