詩と共に生きる私たちイラン人は、
2+2は4じゃないと思っています。
国民的に論理的じゃないのです。
2+2は4じゃないと思っています。
国民的に論理的じゃないのです。
モフセン・マフマルバフ監督の『子どもたちはもう遊ばない』 と、娘ハナ・マフマルバフ監督の『苦悩のリスト』が、2本同時公開されるのを機に、モフセン・マフマルバフ監督が来日。 お話を聞く機会をいただきました。
前回、モフセン・マフマルバフ監督が来日されたのは、『独裁者と小さな孫』の公開にした2015年10月のことでした。
『独裁者と小さな孫』インタビュー
取材:景山咲子
ヴィジョン・オブ・マフマルバフ
『子どもたちはもう遊ばない』
監督:モフセン・マフマルバフ
(C)Makhmalbaf Film House
エルサレムの旧市街を彷徨うモフセン・マフマルバフ監督。
長年続くイスラエルとパレスチナの紛争に解決の糸口はあるのか・・・
作品詳細は、こちら
『苦悩のリスト』
監督:ハナ・マフマルバフ
(C)Makhmalbaf Film House
2021 年 米軍撤退~タリバン再侵攻。
恐怖政治から逃れようと空港に殺到する人たち。
ロンドンにいるマフマルバフ監督は、芸術家たちを救い出そうと奔走する・・・
作品詳細は、こちら
配給:ノンデライコ
企画:スモールトーク(ショーレ・ゴルパリアン)
公式サイト:http://vision-of-makhmalbaf.com/
★2024年12月28日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて
◎モフセン・マフマルバフ監督インタビュー
― ようこそまた日本にお越しくださいました。9年があっという間に過ぎました。
映画を拝見して、エルサレムで暮らす人たちが、平穏に暮らしたいと願っているのに、それが実現しないことを監督も人々も憂いていることをずっしり感じました。
私は、1991年5月に10日間ほどイスラエルを旅したことがあって、エルサレムの町の独特な雰囲気を懐かしく思い出しました。まだ分離壁もなくて、和平が近いかもという時期でした。
◆目の前に舞い降りてきたアフリカ系パレスチナ人のアリ
― 偶然出会われたというアフリカ系パレスチナ人のアリ・ジャデさんは、私の思い描くパレスチナ人とは全く違うキャラクターでした。素敵な出会いだなと思いました。
監督:ほんとにそう思います。 アリを私の前に座らせてくださったように思います。
― 神様が贈ってくださったのですね。
監督:いろいろな人とバザールで話したのですが、アリの前に行って、しゃべっている話にびっくりしてカメラを回しました。ほんとに偶然でした。
― まさに神様の思し召しですね。アリさんには映画をご覧いただいたのでしょうか?
監督:はい、送って観ていただきました。感謝しますと、お礼を言ってきました。
◆イスラエル建国前を知る温和なユダヤ人に登場いただいた
― ユダヤ人のベンジャミン・フライデンバーグさんは、先祖代々暮らしてきた家系で、イスラエル建国前にパレスチナ人と交流してきたお祖父さんやおじさんの話を聞いて育った方です。ご自身もパレスチナ人と交流されています。そのような経歴の方を紹介していただくようにお願いしたのでしょうか?
監督:イスラエルには二つのタイプの人がいます。過激な人と、そうでない普通の人。普通の人の中でも、昔からあの地に住む人を探してもらいました。アリとのバランスも考えました。
― ベンジャミンさんはもの静かで、ユダヤ人の「鷲鼻で狡猾」というイメージとは全然違いました。
監督:以前にイスラエルで『庭師』(2012年)を撮った時に、40人位のユダヤ人と40人位のアラブ人と知り合いました。皆、静かな方で、ネタニヤフがイスラエルを代表している顔でもないし、ハマスもパレスチナを代表しているわけではないです。
◆もっと1948年のパレスチナの悲劇を知ることのできる映画を!
― 1991年にイスラエルを訪れた時、1泊目に泊まったテルアビブの海沿いのホテルの窓の下に、大きなモスクが見えて、行ってみたら、囲いがしてあって、取り壊しが決まっていることがわかりました。かつては、その大きなモスクに集まるほど大勢いたムスリムが、この地を追われたことを思いました。
イランのセイフォッラー・ダード監督が、1994年に作った『生存者』(原題:bazmandeh)という映画を数年前にみました。1948年にイスラエルが建国されて、そこに暮らしていた人たちが、かつてはユダヤ人とも交流していたのに、ムスリムもクリスチャンも追い出されたことが描かれている映画でした。ユダヤ人のホロコーストのことが描かれた映画はたくさんあって、「ユダヤ人の悲劇」が、映画を通じて私たちの心に深く刻まれています。一方、パレスチナの人たちが、住み慣れた地を追われた悲劇「ナクバ」を描いた映画は、ほんとうに少ないと感じています。
侵略された側の人が見ると、憎悪を生むだけですが、歴史をちゃんと認識していない若いユダヤ人や、世界の人たちに見てほしいと思います。映像は力がありますから。
監督:その映画は観ていないのですが、『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(日本公開:2025年2月21日 公式サイト:https://transformer.co.jp/m/nootherland/)では、イスラエル軍がパレスチナの人たちを突然攻撃して殺したことが描かれています。ぜひ観てください。
― 私たち日本人は小さい時からユダヤ人の悲劇を「アンネの日記」や、多くの映画で教え込まれてきたように思います。第二次世界大戦でドイツが敗戦して、ユダヤ人が強制収容所から解放され、ユダヤ人のための国を作ろうという話になった時にマダガスカルやアルゼンチンも候補にあがったそうですが、結局、パレスチナの地にイスラエルという国を作って、住んでいたパレスチナ人を追い出すことになってしまいました。イスラエル軍にやられっぱなしの今の状況を見ると、もっと歴史を学んでほしいと思います。
監督:イランはパレスチナを軍事的に救うのでなく、そういう映画をもっと作って見せれば、世界的にパレスチナのことを知ってもらえたと思います。
- イランでは、「世界コッズの日」 に、毎年、映画『生存者』がテレビで放映されていたそうです。
*注:「世界コッズの日」 (コッズは、エルサレムのこと)
ホメイニ師が、イスラエルによる占領からのパレスチナ解放のために意を表する日として、ラメザーン(断食)月の最後の金曜日を「世界コッズの日」と定めた。
監督:イラン人はパレスチナのことをよく知っているから、見せる必要はもうないでしょう。
◆詩そのものを語らなくても、詩の香りを映画に入れる
― 最後の方でベンジャミンさんが語る「他者を思え」という詩は、有名な詩でしょうか?
監督:マフムード・ダルヴィーシュというパレスチナの詩人のものです。
*ここで配給ノンデライコの大澤さんが、この詩人の詩集の和訳も出ていることを教えてくださいました。
「パレスチナ詩集」マフムード・ダルウィーシュ 四方田犬彦訳 筑摩書房
― 映画の中でマフマルバフ監督が語っている言葉が、詩そのものではないけれど、とても詩的に感じます。
私の後輩でペルシアの詩を研究している女性から、マフマルバフ監督にぜひ伺ってほしいと質問を預かりました。
イランの女性詩人フォルーグ・ファッロフザードの詩の一節に
「耳には双子の赤いさくらんぼのイヤリング
爪にはダリアの花びらをマニキュアにして
ある路地には
わたしを愛してくれた少年達が 今も
くしゃくしゃの髪と細い首と痩せた足のまま
ある夜 風が連れ去ってしまった少女の
少女の純潔なほほえみを想っている」
というのがあって、これはマフマルバフ監督の『サイレンス』(1998年)で、主人公の面倒を見ている少女がまさにこの最初の2行を表現しているシーンがあります。
(ペルシア語でショーレさんに詩を朗読していただいたのですが、聴きながら、にっこり笑って、耳に手をあて、イヤリングがぶらさがっているさまを表すマフマルバフ監督でした)
マフマルバフ監督はフォルーグ・ファッロフザード以外にも、映画製作の上でインスピレーションを受けた詩人はいますか?
監督:大勢います。かつて家族のために映画学校を開いた時に、1か月 毎日詩について勉強したことがあります。いろんな詩人の詩を数日ずつ集中的に学びました。3日間フォルーグ・ファッロフザード、次の3日間ナーデル・ナーデルプール、また次の3日間ソフラーブ・セペフリーという風に。なぜ勉強したのか。一つの詩からイメージを作ることができるかどうかを教えていました。イランの詩は、言葉だけでなく、韻を踏んでいます。リズムがあるのをどうやって映像にできるかも教えていました。詩をそのまま映画に入れてなくても、詩を作った詩人の想いをどうやって映像に入れられるかを考えます。例えば、8分の短編『風と共に散った学校』(1997年)の中で、牛につけたベルが鳴りますが、あれが「詩の香り」です。
― 映画の中で詩そのものを語っているわけではないのに、詩的なものを感じるのは、そのためですね。 イランの人たちは存在自体が「詩」ですね。
監督:楽しい時にも詩を語るし、悲しい時にも詩を語ります。国民性です。頭がいい人なら、2+2=4ですが、私たちイラン人は、2+2は4じゃないと思っています。国民的にロジカル(論理的)じゃないのです。
◆「死」を目にして「生」を探すパレスチナの子どもたち
― パレスチナ人と書かれたTシャツで踊る10代の子供たちは、笑顔が素敵で、インティファーダで石を投げるパレスチナの子供たちのイメージとは違うものでした。
繰り返し流れるムハンマド・アッサーフの「Dammi Falastini(My Blood is Palestinian/私の血はパレスチナ人)」という曲が今も頭の中をぐるぐる回っています。ムハンマド・アッサーフは閉じ込められたガザの町から、「アラブ・アイドル」に出演して注目され、アラブ圏のスターになった人です。(映画『歌声にのった少年』に描かれた人物) あのダンスをしていた子どもたちに明るい未来が早く来るといいなと思いました。
監督:今でもあの子たちは踊っています。死を目の前で多くみると、生を探します。イラン人も大変なことが起こると、ジョークにして気持ちを吹き飛ばします。
*この取材中、時々、電話がかかってきて、「取材中、申し訳ないけれど、タジキスタンに逃れているアフガニスタンの知人から助けてほしいという電話なので」と、対応するマフマルバフ監督。
『苦悩のリスト』が、まだ続いているのです。
― 山形国際ドキュメンタリー映画祭のクロージングで上映された折に『苦悩のリスト』を拝見したのですが、小さな男の子がハナさんの息子さんだと知って驚きました。私の知っているハナさんは10代でしたので。真剣な顔で電話に出ている監督が、お孫さんがそばに来ると「おじいちゃん」の顔になっているのが微笑ましかったです。
監督:もう、可愛くてね・・・ (と、スマホで写真を見せてくださいました)
― ハナさんにも、どうぞよろしくお伝えください。
今日はどうもありがとうございました。お会いできて、ほんとに嬉しかったです。
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