『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』ジン・オング監督オンライン・インタビュー

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第1回Cinema at Sea沖縄環太平洋国際映画祭にて撮影

世界各地の映画祭で高く評価され、感動の嵐を巻き起こした『Brotherブラザー 富都のふたり』がついに日本公開になりました。監督は、プロデューサーとして社会的弱者やアイデンティティの問題を扱ってきたマレーシアのジン・オングが務めています。身分証を持たないために社会の底辺で生きていかざるを得ない兄弟の姿を描いた感動作です。ジン・オング監督に初監督を務めることになった経緯やこの作品に籠めた思い、映画人としての思いについてオンラインでお話をうかがいました。

【あらすじ】
マレーシアの首都クアラルンプールのプドゥ地区のスラムで兄弟のように暮らすアバン(ウー・カンレン)とアディ(ジャック・タン)。耳の不自由なアバンは市場の日雇い仕事で糊口をしのぎ、アディは裏社会と繋がり危なげな日々を送っている。ふたりには身分証明書(ID)がなく、真っ当な職に就けないばかりか、公的サービスを受けることも銀行口座をつくることもできない。トランスジェンダーのマニー(タン・キムワン)が何かとふたりを気にかけ、NGOのジアエン(セレーン・リム)がID取得のため奔走している。そんなある日、ジアエンがアディの実父が見つかりID取得の道筋がついたとの知らせをもたらす。だが、アディはなぜかそれを頑なに拒否し、ジアエンを突き飛ばしてしまう。

出演
兄アバン:吳慷仁(ウー・カンレン)台湾
弟アディ:陳澤耀(ジャック・タン)マレーシア
マニー :鄧金煌(タン・キムワン)マレーシア
ジアエン:林宣妤(セレーン・リム)マレーシア

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*監督プロフィール*王礼霖(Jin Ong)
1975年6月19日生まれ。マレーシア出身。
ムーア・エンタテインメント代表。プロデューサーとして「分貝人生 Shuttle Life」(17)、『楽園』(19)、『ミス・アンディ』(20)などを手掛けてきた。特に「分貝人生 Shuttle Life」は2017年の上海国際映画祭アジア新人賞部門で高く評価された。『Brotherブラザー 富都のふたり』は彼にとって念願の監督デビュー作となる。

◆プロデューサーから監督へ

――この映画の構想はいつくらいからあたためていたのでしょうか。
監督 2019年からです。まず監督としてマレーシアをベースにした作品を作りたい思いがありました。主人公は労働者階級で身分の低い兄弟にし、彼らがどういう状況・環境の下で生きていくのかフィールドリサーチを重ねていく中でどんどん固まっていきました。

――当初からご自身で監督しようというお気持ちだったのですね。
監督 2018年に大病を患って初めて死を近くに感じ、やり残したことはないか自問自答し、映画監督になる夢を思い出しました。そして、快復後はその夢の実現に向かって行動しようと思ったのです。

――それでプロデューサーは他の方を探されたということでしょうか。
監督 そうですね。今回プロデューサーは李心潔(リー・シンジエ)さんに依頼したのですが、もとから知り合いだったわけではなく、ただ彼女のことはマレーシア出身で中華圏でも活躍されているので名前は存じ上げていて面識はありました。彼女にその知名度を生かして生まれ故郷に貢献したい考えがあるという話を小耳にはさみ、未経験同士同じ思いで作品を作ろうということになり、プロデューサーとして加わってもらいました。

――リー・シンジエさんは、日本でも出演作が何本も公開されている女優です。出演もしてもらおうとは思いませんでしたか。
監督 最初はそういう考えがあったのですが、彼女が「プロデューサー業は初めてなので二足の草鞋ではなく職を全うしたい。(出演については)自分ではなくもっとポテンシャルのある若手にチャンスを与えたい」と。彼女は経験豊富な役者なので、現場に来たときには若手にアドバイスなどをしてくれました。

――脚本執筆段階で苦労されたことなどはありましたか。
監督 アイデアがあっても脚本化にはたいへんな専門性を要すると感じました。独善的にならないようプロデューサーからもたくさん意見をもらい、いろいろな人とディスカッションをしてブラッシュアップしていきました。映画は2時間しかないのでそこにあらゆる課題やテーマを盛り込むのは不可能。作品として成立させるため如何に取捨選択をしていくかが大変でした。

――初稿から削ぎ落した部分も多いのでしょうか。
監督 最終的なものは第3ヴァージョンで、だいぶ違う展開になりました。マレーシアのいろいろな社会問題を欠かせない背景としていて、それらはこの兄弟によって浮き彫りになります。しかし、その問題が実際に解決されているかどうか答えを出す必要はないのです。重要なのは、こういった残酷な現実世界で兄弟が互いを愛する気持ちや支え合う気持ちを諦めずに生きているということ、そこにフォーカスしていきました。

――この兄弟を支える存在としてマニーがいます。マニーをトランスジェンダーに設定した理由をお聞かせください。
監督 作中で考えてほしいテーマに身分や自己受容といったセルフ・アイデンティティの問題があります。プドゥにはさまざまな人がいて、例えば外国人労働者。その中には違法滞在の人もいますし、合法滞在でも過酷な労働環境の下でなんとか生きています。軽視されがちな存在であるトランスジェンダーもいます。実際にそういった人々が住んでいますから登場させました。そうすることで自己受容やアイデンティティについて考える枠を広げ、作品にもう少し力を与えられるのではないかと考えました。

――兄弟もマニーもすごくいいキャラクターで引き込まれますね。
監督 多くの観客が鑑賞後に涙を流してくださるのは、皆さんの心にも愛があるから残酷な状況下でも愛を諦めない人たちへの共感共鳴があるのだと思います。

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◆血の繋がりを超えた兄弟の絆

――撮影中に特に大変だったことをお聞かせください。
監督 ひとつ挙げるとしたら、やはり手話ですね。台湾とマレーシアでは手話の構成が全く違うことに後から気づきました(注:アバンを演じたウー・カンレンは台湾の俳優)。なので、兄弟役のふたりはかなり長い時間を手話の習得に費やしました。僕自身、手話が映画の中でこんなにも張力を持った言葉になるとは思いもよりませんでした。というのは、手話は往々にして我々が使用している自然言語(注:日常的に使用している話し言葉等)に比べてより簡潔になっています。如何に自然言語のように手の動きが見えるか、感情を指先に宿せるかというところでかなり役者と研究を重ねました。
あと、撮影現場で大変だったのは、カットをかける度にすべてのスタッフにティッシュを配って回らなければならなかったことですね。特に、最後の弟が兄に会うシーン、兄が自分の生活はそんな簡単ではないと強く訴えるシーン。そういった重要なシーンはカットをかける度にスタッフ全員が涙をポロポロ流していました。

――補聴器が壊れて手話だけのやり取りになるという、あそこは秀逸だと思いました。
監督 じつは、兄が自分の生活がいかに大変か訴えるシーンは最初のセリフから大幅に変わりました。撮影は順撮りで、そのシーンを撮る前に2週間の撮影があり、そこまでで積み重ねてきたものを踏まえた上でどうしたらより説得力を持たせられるか。そのことを撮影するタイミングで話し合って(セリフ等を)変えようという話は最初からしていましたが、セリフを変える度にウー・カンレンさんは手話を学び直さないといけないのでかなり苦労されたと思います。

――兄弟愛というものの、よくよく考えるとこのふたりは血の繋がった兄弟ではありません。しかし、本当に血の繋がった兄弟よりも強い絆で結ばれているという印象を受けます。そのあたりはいかがでしょうか。
監督 プロデューサーとして「分貝人生 Shuttle Life」や『ミス・アンディ』の中で血の繋がりのない人々が血縁を超えた中で如何に繋がることができるかという表現を試みました。そこからの流れと、僕自身の当事者としての経験があります。僕は1999年に一外国人労働者として台湾に行き、たったひとりで日々辛い思いをしていました。当時はフィリピンから来た外国人労働者と寝泊りをしていて、僕が人生で最も苦労したこの時期に自分を最もケアして温かさを与えてくれたのは、自分とまったく出自が違うフィリピンの人でした。そういう実体験もあります。血の繋がりを超えて互いを思いやる可能性については、引き続き探索していきたいと思っています。

――この一年間、この映画で世界各地の映画祭を回られたと思うのですが、それぞれの反応はどうでしたか。
監督 実際に回ってみて、人種を超えて兄弟の愛というものは人類共通だと感じました。欧米、特にヨーロッパですね。多くの観客が劇場を出るときに泣きながら僕をハグしてくれました。忘れられなかったのはポーランドで、父子で観に来てくれて、父親が見終わって「今年僕が観た中でもっとも美しい作品だ」と言ってくれました。また、イタリアでもあるカップルが涙をポロポロ流しながら感動したと感想をずっと話してくれました。言葉や人種を超えて共鳴共感できるものがある、そういう点では非アジア圏での印象が強く残っています。

――各地の国際映画祭では監督おひとりで登壇されたのでしょうか。
監督 宣伝で役者と一緒に行ったのは香港と厦門です。上映後のQ&Aで覚えているのはシンガポール・マレーシア・台湾ですが、特にマレーシアのQ&Aとメディアの反応は僕たちも目から鱗が落ちましたね。マレーシアは多民族国家で、特にマレー系の人々は中華系に対して必ずしも友好的ではありません。けれど、この兄弟を多くのマレー系の人々が愛すべき存在として捉えて質問してくれたり、ゆで卵を互いの頭で割るシーンを真似てくれたりしました。そういった反応を見ると、マレー系の人々もマレー人を演じた非マレー人にも民族や出自を超えたシンパシーを感じることができるのだと映画を通して実証されたように思います。

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◆マレーシアの映画人として

――監督として、またプロデューサーとしてずっと社会的弱者を扱った映画を送り出してこられました。その意義をどうとらえてらっしゃるのでしょうか。
監督 僕は中級階級の出身で、映画に出てくる兄弟よりも健康的で幸せに暮らせています。でも、自分が容易に手に入るものが異なる運命を背負った彼らの手には入らないことも目の当たりにしてきました。僕が長年仕事をしてきて思うのは、映画というのはストーリーテーリングをする上でとても有効的なメディアだということ。このメディアを介して、人々の関心が届かない市井で生きる人々――社会的弱者と言われる人々にはさまざまな生き辛さがありますが――その生き辛さをただ赤裸々に伝えるのではなく、彼らがどういった感情を抱いて生活しているのかということを、映画に携わる者として作品化していきたいと、それを信念として持っています。

――現在、特に関心を持っているテーマはありますか。
監督 マレーシア社会における難民と外国人労働者について、もう少し掘り下げていきたいと思います。もうひとつのプロジェクトとして、トランスジェンダーの人々ですね。性についても引き続き学びながら作品にできたらと思っています。

――監督のキャリアを拝見すると台湾との仕事が多いようですが、何か理由はあるのでしょうか。
監督 台湾は自分に映画作りのノウハウを教えてくれた所で、映画人としての原点であることは言うまでもありません。台湾は自由民主の地としていろいろなストーリーを描く上でほとんど制限がなく自由に作品をつくることができる得難い環境だと思っています。多くの友人がいて、台湾でプロダクションを設立したときも先輩方に手助けやご指摘をいただき、そうした温かい環境が僕を育ててくれました。今までの仕事の流れとして、台湾でインスパイアを受けたアイデアをマレーシアに持ち帰って発展させてきましたけれど、今後はもっといろいろな立ち位置でマレーシアと台湾のインターナショナルな共同作業ができるような、そういった懸け橋的なこともできたらと思っています。

――どうもありがとうございました。


(写真・取材:台湾影視研究所・稲見公仁子/写真はオンラインインタビュー時他、本邦初上映となった第1回Cinema at Sea沖縄環太平洋国際映画祭にて撮影)

台湾影視研究所の『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』ジン・オング監督記事 https://note.com/qnico_mic/n/n4ce57094ea25


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