本を読んでいるときの孤独は人間に与えられた最上の時間
映画『マイ・ブックショップ』は戦争で夫を亡くした女性がイギリスの海辺の町に亡き夫との夢だった書店を開業しようと奮闘する姿を描く。原作は世界的に権威のある文学賞の一つである英国のブッカー賞を受賞したペネロピ・フィッツジェラルドの「The Bookshop」で、『死ぬまでにしたい10のこと』などで知られるイザベル・コイシェ監督がメガホンをとった。2018年スペイン・ゴヤ賞では見事、作品賞・監督賞・脚色賞を受賞。コイシェ監督にとって『あなたになら言える秘密のこと』に続き、2度目のゴヤ・作品賞となった。
公開に先立ち、試写会が実施され、上映後のトークショーに実家が本屋さんという、作家・林真理子さんが登壇。本屋とはどんな仕事なのか、自身の体験を踏まえて語った。
<トークショー概要>
日時:3月1日(金)
会場:シネスイッチ銀座 〒104-0061 東京都中央区銀座4丁目4−5 旗ビル
登壇者:林 真理子(作家)
作家、エッセイスト。コピーライターを経て、1982年エッセイ集「ルンルンを買ってお うちに帰ろう」が処女作にしてベストセラーになる。1986年「最終便に間に合えば」「京 都まで」で直木賞。以降、数々の文学賞を受賞してきた、日本を代表する女性作家。週刊 文春の人気連載「夜ふけのなわとび」も幅広い層に支持されている。1993年刊行の「本 を読む女」は本屋さんを経営していた自身の母をモデルにしている
『マイ・ブックショップ』原題:The Bookshop
<ストーリー>
1959 年のイギリス。書店が 1 軒もなかった保守的な地方の町で、夫を戦争で亡くした未亡人フローレンスが、周囲の反発を受けながらも本屋のない町に本屋を開く。ある日、彼女は、40 年以上も邸宅に引きこもり、ただ本を読むだけの毎日を過ごしていた 老紳士と出会う。フローレンスは、読書の情熱を共有するその老紳士に支えられ、書店を軌道に乗せるのだが、彼女をよく思わない地元の有力者夫人は書店をつぶそうと画策する。
監督・脚本:イザベル・コイシェ
出演:エミリー・モーティマー、ビル・ナイ、パトリシア・クラークソン
2017/イギリス=スペイン=ドイツ/英語/カラー/5.1ch/DCP
© 2017 Green Films AIE, Diagonal Televisió SLU, A Contracorriente Films SL, Zephyr Films The Bookshop Ltd.
公式サイト: http://mybookshop.jp/
★3月9日(土)シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA他にてロードショー
本屋は思いの外、重労働。しかし、触れ合いがある
—作品をご覧になっていかがでしたか。
うちの母は文学少女で、作家になりたいという夢をずっと持っていたのですが、叶わなくて。結局、本を売るようになって、小さい小さい田舎の本屋のおばさんで一生を終えたのですが、その意志を継いで、私が作家になりました。
この作品はいじわるされるフローレンスがかわいそうだと思うかもしれません。しかし、本への情熱が違う形で引き継がれていくってことが救いになっていましたね。 (主人公を手伝う)少女が私自身に見えてきて、最後の方は図らずも涙が出てきてしまいました。本当にいい映画だなと思いました。
—ご実家が本屋さんだったそうですね。何か思い出はありますか。
本屋にまつわる思い出はたくさんあります。うちの母がよく言っていました。本とタバコがいちばん儲からないって。本ってすごく重いんですよ。映画を見ていると、主人公は若いこともあって楽し気にやっていますが、うちの母なんて、「どっこいしょ」と言ってやるくらい重労働なんです。
私の子どもの頃は今みたいにトラック便じゃなかったので、駅まで本を取りに行かないといけなかった。これがけっこう重い。手に2個くらい持つと子ども心に重いなと思いました。
駅前の通り200mくらいの間に本屋が3軒あったんです。それでも本がすごく売れていて、暮れになるといつも「主婦の友」といった婦人誌が1誌につき150冊くらい売れたんです。付録に家計簿がついていたからですが、どっと送られてくると付録をはさむ作業が大変。それを毎回、やっていましたね。私は覚えていませんが、私が付録をはさみながら「お母さん、本って冷たいね」と言っているのを誰かが聞いていて、結構、何度も言われた覚えがあります。
イギリスは買い取り制だと思いますが、日本は世界でも珍しく、返品ができる委託みたいな制度になっていますので、売れない本は送り返すんですが、その作業も本当に大変。私は母を見ていて、「どうしてこんなに辛い仕事をやっているんだろう」と思ったことがありました。母は「本屋は気概がないと体が動かない仕事。儲からないし、重労働。腰が曲がってしまう。しかし、触れ合いがあると思うからやっているんだ」と言っていましたね。
本屋はみなさんが考えているような優雅な仕事ではないと思いますよ。本屋の娘でないとわからない苦労もあるんです。でも、新刊書がこっそり読めたりして、それがうれしかったなという思い出もあります。
私は小さな書店を見つけると必ず入って、新刊書を2冊くらい買うようにしています。私にはそのくらいしかできないですけれど。
—林さんにとって、ご実家の本屋さんは一人遊びの場だったのでしょうか。
それはないですよ。お客さんが来るし、在庫を片付けたりしなきゃいけないんです。
私が山梨に帰って、同級生と静かに飲んでいると、「あっ林真理子だ。昔、お前んちの本屋で買ってやったぞ」とか言われるんです。そういうときに本屋って嫌だなと思いますね。
娘がライバル? 母は90歳を過ぎても書きたい気持ちを持っていた
—お母さまは何歳まで現役でお店をやっていたのでしょうか。
母は2年前に101歳で亡くなりましたが、70歳までやって、店を閉めました。そのときに本屋の権利を別の方に譲ったと思います。
—1993年に出された『本を読む女』はお母さまから聞いた話を書いたのでしょうか。
母は当時としては珍しく東京の学校に出してもらって、女学校の先生をしたり、いろんな人と交わって、出版社に勤めたり、大陸に渡ったり、いろんなことをしていましたが、最後は平凡な本屋のおばさんで死んでしまいました。けれど、それなりに夢はあったと思います。
—お母さまは才媛で、樋口一葉の再来と言われていたそうですね。
若い頃に「赤い鳥」に何度か入賞して、鈴木三重吉先生に「とても素晴らしい才能だ」と言われたそうです。その後、地元の新聞に「樋口一葉の再来現る」と載りました。樋口一葉はご両親が山梨なので、勝手に山梨由来の作家ということになっているんです。
—林さんが作家になって、お母さまはさぞかし喜ばれたことでしょうね。
みなさんにそういわれますが、実は違うんです。うちの母は90を過ぎた頃になって、「私は戦後すぐ、作家になるために鎌倉アカデミアに行こうと思ったけれど、おばあちゃんから『旦那がまだ戦地から帰ってこないのにダメ』と言われて断念した。もし、あの時に行っていたら、真理ちゃんよりもっとすごい作家になっていた」と言ったのです。作家への夢は衰えることがないんだなとびっくりしました。「お母さん、(書きたければ)書けばいいじゃない」と言ったら、「私は作家の母親になっちゃったから、書けないことがいっぱいある」と。うれしいところもあったとは思いますが、ライバルとして見ていたところがあったのだと思います。
—林さんが作家になったのは、やはりDNAでしょうか
うちの娘はまったく本を読みませんし、本なんて嫌いと言っていますからわかりませんね。母親のDNAというより本屋の娘という環境だと思います。
本屋には本屋の企業努力がある
—林さんがもし自分の好きな本屋さんが作れるとしたら、どんな本屋さんにしますか。
私、本屋さんは嫌ですね。重労働なのに、給料は安いし。本屋さんがどんどん消えていって、私が住んでいる街からも大好きな本屋さんがなくなってしまっています。
この作品は1950年代ですが、今、本屋をやると言っても銀行がまずお金を貸してくれないでしょう。こんな衰退産業やめなさいというと思いますよ。
—最近、個性的な本屋さんが街にでき始めていますが、どんな風に見ていらっしゃいますか。
個性的過ぎる気がします。私が望んでいるのは、普通の本屋さん。普通の品揃え、普通の新刊書と雑誌が買えて、棚に個性の強い本があるという本屋が好きですね。
私がずっと好きだった本屋さんがあったのですが、「ここに行くとなんで私が好きな本がこんなにあるんだろう」と思っていました。私はドイツの近代史が好きで、ヒトラーやナチス関係の本があると確実に買ってしまうのですが、私が買いそうな本がいつも揃っているのはなぜだろうと思っていたら、本屋さんの方で「これは林さんが買うだろう」と仕入れていたんです。同じ町内に三谷幸喜さんが住んでいて、「この本は三谷さんが買うだろう」と思われる演劇論みたいなものも揃っています。企業努力ですよね。三谷さんも買うけれど、近くに江口洋介さんも住んでいて、三谷さん用に仕入れていた本を江口さんも買っていたそう。演出の本だから俳優さんは買わないかなと思っていたら、江口さんはそういう本も買っていらしたそうです。
お客さんがどういう本を買っていくかは本屋さんの秘密、トップシークレットだと思います。その本屋さんが店を閉めるときに、近くに住む作家の坪内祐三さんや平松洋子さんが集まって、居酒屋さんに一席設けてみんなでお疲れ様会で飲んだのですが、そのときに酔っ払ってしてくださいました。
本屋さんがなくなったので、最近、Amazonでも本を買うのですが、「あなたが好きな本はこうでしょ」って出されるのがすごく嫌。幼女が殺されたりすると警察が「こんな本を買っている人はいますか」と本屋に情報の提供を求めると思うんです。それはちょっと嫌だなと思います。
—ご自宅の本棚を見せたい派でしょうか、それとも隠したい派?
私は隠したい派。電車で読んでいる本ももちろん、カバーをかけています。
私の家は細長い敷地に建っていて、母屋と仕事場は長い廊下で繋がっているんです。それが全部、天井まで書庫になっていて、2000冊くらいありますかねぇ。仕事場も一面本で溢れています。床にもすごいです。普通の本屋さんくらいの本があります。でも、人には見せていません。
人間が本を読んでいる姿は美しい
—本屋大賞についてどう思われますか。
ある人がある文学賞の選考会で本屋大賞について、「本屋に売りたい本と売りたくない本があるのか」と言っていましたが、ちょっとわかる気がしました。本屋大賞って賛否両論ありますが、最初の頃は本屋さんが手作りのようにやっていて、直木賞から漏れたいい本を取り上げたいと言われました。私は直木賞の選考委員を18年くらいやっていますが、直木賞の選に漏れたけれど、本当にいい本だから売りたいというのであれば、それはその通りだなと思います。ただ、みなさんご存知ないと思いますが、最近、博報堂が入っていて、代理店に仕切られていて、初期の感じがなくなってしまって、ちょっと残念に思うことがあります。
—本屋大賞は続いていくと思いますか。
続いていくと思います。活性化のためにいいことだと思いますが、直木賞より売れると言われても、こちらは文学賞で、本屋大賞は別の思惑で選んでいるから別物です。直木賞を批判のタネにしないでほしいですね。
—若い人の本離れについてどう思っていますか。
今日、ここにいらっしゃるのは本が好きな方ばかりだと思いますが、今は楽しいことがたくさんあるから、私たち作家も万策尽きている感じです。この映画がきっかけに本を読むようなってくれればいいと思います。
たまに電車の中で本を読んでいる方を見かけると、人間が本を読んでいる姿は美しいなと思います。スマホをやっていると首が下がってしまいますが、本というのは首の位置がもう少し自然。姿勢がきれいです。
—ある作家が、ついふらっと本屋に入ると自分の本があるか確認してしまうと言っていました。
それをするのはよっぽど売れている人だと思いますよ。小さい本屋だと置いてくれなくてもしょうがないと思っていますが、中堅どころに行って、置いてないと「なんで私の新刊書を積んでくれないの?」と腹が立つことが多いので、精神衛生上、行かないことが多いですね。どこで買うかと言ったら、小さい本屋とすごく大きい本屋。腹が立つのは中堅どころ。
—その中堅どころがなくなってきています。
そうなんですよね。腹が立つことが少なくなってきています(笑)。
本屋さんに行くと、これを買うつもりだったのに、こんなのもあったのか、あんなのもあったのかとつい手が伸びる。それが本屋さんの素晴らしいところ。この映画の冒頭に「人は物語の世界に住むことができる」というセリフがありましたが、あれは名言だなと思いました。
人って孤独を嫌がることが多いですが、本を読んでいるときは孤独じゃないと思います。今の私たちは孤独をとても嫌いますが、本を読んでいるときの孤独は人間に与えられた最上の時間と私は思っています。
日本には本による豊かな文化基盤がある
—本はどこで読みますか。
本はどこでも読める。新幹線に乗るときは本を2~3冊持って行って読みますし、普通の電車の中でも読み、テレビを見るときに読み、寝る前に読みます。
私は時間にすごく正確なんですよ。みなさん、「うそ!」とおっしゃるかもしれませんが、30分くらい前に行ってドトールやスタバでコーヒー1杯飲みながら、読みかけの本を読むというのが非常に幸せなときです。
—最後に映画についてひとことお願いします。
この映画、ファッションが素晴らしいですね。主人公のお店を手伝ったクリスティーンのピンクのカーディガンの可愛いこと。中のブラウスとベストの色が合っていませんが、すごく可愛い。50年代ならではのプリントとプリントの合わせ方が素晴らしい。
ブランディッシュのコートの着方、帽子のかぶり方、紅茶の飲み方も紳士ですね。1950年代ですからイギリスにはちゃんとティータイムが設けられていて、たかだか近所の人とお茶を飲むのに、ブランディッシュはネクタイ締めてジャケット着て、ちゃんと白いクロスを掛けている。そういうところに時代を感じます。
この作品を見ると、本に対する親交があり、本を読むということが日常的ではあるけれど尊敬される行為だった。非常に良い時代だったと思います。
先日、パリに行ってシンポジウムに出たのですが、パリでは作家は生活できない。インテリしか本を読まないので、3000~4000部しか売れないのです。だから、作家は大学の先生も兼ねています。作家が銀座のクラブに行ってシャンパンを飲み、豪邸を建てるのは日本だけ。うちは豪邸ではないし、シャンパンも飲みませんが(笑)。
日本には本による豊かな文化基盤がある。私たち作家も支援しようといろいろなことをやっているのですが、これを支えてくれているのが本屋さん。この作品はそんな本への愛おしさが込められています。
(取材:堀木三紀)
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