『左様なら』石橋夕帆監督インタビュー

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石橋夕帆監督プロフィール
1990年11月11日生まれ。神奈川県出身。さそり座。AB型
2012年から短編作品を制作、2015年監督作品『ぼくらのさいご』が田辺・弁慶映画祭コンペティション部門に選出され、映画.com賞を受賞、横濱HAPPY MUS!C 映画祭で音楽映像部門最優秀賞を受賞。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭、福岡インディペンデント映画祭、小田原映画祭、新人監督映画祭等の映画祭に入選。 2016年『それからのこと、これからのこと』を監督。同年6月にテアトル新宿、シネリーブル梅田で開催された田辺・弁慶映画祭セレクション2016で監督作品の特集上映を行う。 2017年、『atmosphere』『水面は遥か遠く』『いずれは消えてしまうすべてのものたちへ』『閃光』を監督。『水面は遥か遠く』がショートショートフィルムフェスティバル&アジア2017ミュージックショート部門奨励賞を受賞。
Twitter:@chan_pon11/instagram:@yuhoishibashi
Web:https://www.yuhoishibashi.com

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監督・脚本 石橋夕帆
原作:ごめん
出演:芋生悠、祷キララ、平井亜門、日高七海、白戸達也、大原海輝、こだまたいち
『左様なら』作品紹介はこちら
(c)2018映画「左様なら」製作委員会
★2019年9月6日(金)UPLINK吉祥寺ほか全国順次公開

◎映画『左様なら』公式ファンブックを上映館で販売します。
出演者スチルをたっぷり掲載。コメントや対談、インタビュー、設定資料のほか原作者・ごめんによる書き下ろし漫画も掲載。作品の世界観を楽しめる豪華112ページ!

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―初の長編ですね。

そうですね。これまでは年に1~3本のペースで作ってきていて、既存の短編作品が10本弱あります。

―思春期の男の子女の子のお話が多いようですが、それはどうしてでしょう?何か置き忘れたものがありましたか?

その思いもありますし、昔から少女漫画が好きで、そこでは学園ものが多かったんです。その影響は受けています(笑)。

―今回の原作は“ごめん”さんの漫画でしたね。出版されたものでなくネット掲載ですか?

今もネットに掲載されています。「左様なら 漫画」で検索すれば見つかると思います。ファンブックにも掲載させて頂いてるんですけど(と自主製作の公式ファンブック(*)を広げてくださる)。枠線も手描きの初期のものです。(ごめんさん初の単行本「たとえばいつかそれが愛じゃなくなったとして」KADOKAWAより8月30日発売 ブログはこちら

最初は映画の企画と関係なく、主演の芋生悠さんがごめんさんを紹介して下さったんです。ごめんさんと「何か一緒にしたいですね」ということになって「ごめんさんの漫画を私が映画に、私の映画をごめんさんが漫画にしよう」という話になりました。

―これ(18pの漫画)が長編映画になったんですね!

ごめんさんに「(原作を)自由に解釈して大丈夫です」と仰って頂き、本当に自由に脚本を書いてしまいました(笑)。漫画ではメインの登場人物は由紀(芋生悠)・綾(祷キララ)・慶太(平井亜門)くらいのものなので人物を大幅に増やしてますし、原作では描かれていない部分も多く存在します。なので原作がありながらも、かなりオリジナル色もある作品になっています。この本の中にはそういった映画版の設定を元にごめんさんが描いてくださった漫画も入っていて、人物設定やスタッフ対談など、読み物も多めです。凝った内容にできたかな〜と思っています。ファンブック、劇場でお求めいただけますので是非(笑)。

―あ、相関図と座席表がある!生徒がたくさんいるので、自分で書こうと思ったくらいです(笑)。何人いましたか?

役名のある生徒は男子10人、女子12人、それにエキストラ的要員の子が男女2人ずつの26人です。私が学生の時は30名弱くらいでしたが、今子どもが減っているので、きっとこのくらいかなと(笑)。

―受験の話が少しだけ出てきたので、あの子たちは高校2年生かしらと思っていました。

1年生なんです。原作は中学3年生でしたが、ちょっと繰り上げました。1年でも2年でも成立する話です。芋生悠さん、祷キララさんとやりたいという思いがあったので、高校生の設定にしました。そして芋生さん・祷さん以外でいってもこの世代の役者さんとご一緒したいと思っていたので。撮影したときは下が17、8歳から上は25〜6歳くらいまでと幅がありました。

―制服を着ると多少の年の差は消えてしまいますね。生徒たちがみんな個性的で、一人一人のキャラがたっていました。あの子たち全部必要なんですよね。あんなにたくさんの俳優さんが出演するのは初めてかと思います。大変でしたでしょう?

初めてですね。でもキャスティングはあんまり迷わなかったです。メイン2人とほか数人は先にオファーして決めていて、それ以外の生徒役はみんなオーディションでした。この人数ですので、現場に入る前にそれぞれとちゃんと話す時間を設けたいなと思っていて。一人一人の設定を細かく書いた資料をキャスト全員に渡して共有していました。
これもファンブックに載ってるんですけど(笑)キャスティングが固まってから当て書きした人物設定表で、バックグラウンドとして落とし込んでいる内容は役と本人の半々なんです。ただ綾の部分だけは、綾を演じる祷さんと芋生さん、スタッフが知っているだけでほかのクラスメートには伏せていました。

―(設定を読んで)わ、ものすごく詳しい!猫の名前まで(笑)!

気持ち悪いですよね猫の名前まで書いている監督って(笑)。映画には出てこない猫です。ほかにも家が中華料理店とか、細かい設定があるけれど劇中では全然出てこないんです。
これまでの作品でも毎回ではないですけれど、こういったものを作る事が多くて。特に『左様なら』では、各々が自分のバックグラウンドを持って現場にいてくれたらな、という願いもこめて設定を作りました。これをもとに個々とか、グループごととか全体で話をしました。

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―教室の座席も大事ですよね。

教室の席順はリハーサルでみんなで決めました。「この役とこの役の教室での距離感どう思う?」とか「この距離だと悪口(の台詞)言ってるの聞こえちゃうかな?」とか話しながら(笑)。
台詞も演者さんに聞きながら直しましたね。私の書いた言い回しが時代錯誤してないかどうかとか(笑)リハーサルでエチュード(即興演技)をしてもらいつつ、それを台本に反映したり。台詞を一言一句正しく読む必要はなく、現場で変わってもいいという自由度はありました。

―海あり山ありの外景はどこでしたか。

舞台は神奈川か静岡あたりであろうという、海辺の学校の雰囲気を出しているんです。沼津ロケでは漁港のすぐそばの民宿に泊まりました。男子寮、女子寮みたいにして4日間合宿です。過酷でみんな遊んでいる暇もなく、寝につくみたいな。

―過酷な修学旅行(笑)。だからあのチームワークができたんでしょうか?リアル同窓会と別に映画の中の1年D組の同窓会ができそう。

その空気をだれ一人として壊さなかったのが大きいですね。この作品をこの時期に、このタイミングでこのメンバーでできたというのは、みんなの中に残るだろうと思います。
学校ロケは沼津の廃校だったので、図書室だけ私の出身校を使っています。人気(ひとけ)のない海は小田原。ほかの屋外は通いでちょこちょこ撮影しました。自宅も使っていますし、ライブハウスは大岡山です。
撮影は7月でしたが、途中から秋にして制服を替えたかったんです。服が替わったほうが綾が死んでからの時間経過が分かりやすいかなぁと。

―私も高2のとき級友が病死しました。今までいた人がいなくなってしまうのは、とても大きな事件でした。この映画では綾の死や、由紀がハブられることが淡々と描かれています。

そうですね。かなりフラットに描いています。

―綾の死後もまるでイベントが過ぎたみたいで。

綾の死もイベントなんです。この作品の中では。
私個人で込めた思いとしては「芸能人の誰それが亡くなりました」というときに、今すごくみなさん大騒ぎするなと思って。たとえば、俳優さんとか声優さんとか、誰かしら著名な方が亡くなったとき。日頃からその人の大ファンというわけでもないけど、心底悲しんでいる様子でツイートして。その3分後には全然別のことをつぶやいていたり・・・。
そういう悲しいこととか、人が死ぬこととか、本来ならけっこう大きなトピックスのはずのものが、なんか一過性の話題だけになって流れて、どんどんいろんな話題に移り変わっていきます。ニュースやツイッターは特にそうかもしれません。それって今の時代の空気なのかなと思っていて。若い子こそ、そういうSNSが生活を大きく占めているし、たぶん生きている感覚自体もそれに近くなっている部分はあるのかなと思って。

―かけがえのない毎日なのに、消費されていく感じがします。スマホ時代になって、なかったときと全く生活が違ってしまいました。

そうですねぇ。スマホとかSNSありきの世界ですね、今。
ツイッターとか匿名だと顔の見えない相手に対してものすごくきつい。それがすごく苦手なんです。「それ、本人の目の前で言えますか?」という。生の人付き合いもその感覚に近づいちゃっているのかな、という恐怖感があります。

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―教室で読まれる「左様なら」の詩がすごく印象的です。

ごめんさんがこの映画のために書き下ろして下さったんです。ごめんさん、お若いのにとんでもなく語彙力があって…落語や古典、日本の美しいことばが好きな方なんです。「さようなら」の語源が「左様なら」からだというのも本作の題名を通して初めて知りました。

―逆光の映像がきれいでした。人物の描写のあと、よく山や海のシーンが数秒間入りますね?上手だなぁと思って。

ありがとうございます。撮影監督さんと編集さんの力です(笑)。編集は週一回くらいのペースで編集さんのおうちに通いました。
どの作品でも、わりとよく景色のインサートをはさみます。室内だけで展開しているときに「こういう地域のこういう場所でこの物語が起きている」と世界観を伝える意味もありますが、あとはテンポ感も重視して、間を作りたいときに意図的にはさんでいます。

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―どんなきっかけとモチベーションでここまで来られたのでしょう?

映画始めるまでそんなに映画も好きじゃなかったし見てもいなかったんです(笑)。それが大学2年くらいまで。しかも今も映画人のみなさんに追いついてないと思うんですけど・・・。

―何があったんでしょ?

いや、それが(笑)。なるべくコンパクトに話すようにします。
それまでずっと女4人でバンドをやっていたんです。私はボーカルで、ギターも一応弾いてましたがぶら下げている程度(笑)。中1から始めて、大学2年の途中くらいでバンドを解散することになったんですが、ライブが一個残っていまして。もうみんなでライブする空気でもなかったので、「一人でなんとかするね」ってその場で言って。知り合いをゲストに呼びつつ、4〜5曲を作りライブをしました。その時作った曲のイメージから物語を思いついたんです。
バンドを辞めて突然やることがなくなってしまったし、この衝動に乗っかってとりあえず映画を撮ってみよう、と思って。ど素人なので「撮りたい」って言ったら周りは「嘘でしょ、撮るわけないじゃん」って感じだったんですけど、いざ撮ると断言したら友達がみんな協力してくれて。すごく恵まれていました。その当時は大学3年で、もう完全に自己流ですね。

―バンドの映画を作ったんですか?

いえ、中味としては岩井俊二監督の『PiCNiC(ピクニック)』に影響された感じのちょっとファンタジーな映画なんです(笑)。テレビで一瞬流れた『PiCNiC(ピクニック)』の映像を観て、「映画ってこんなに自由なことができるんだ」と思いました。
映画監督になりたいのかも、この先も映画を作りたいのかもわからなかったんですけど、とりあえず1本やろうと。どうしたいのかを自分の中で整理したいと思って、翌年2013年に映画の学校、ニューシネマワークショップに半年通いました。まだ学生だったからいろんな衝動で動けたのが大きかったかも。今の10倍くらいフットワーク軽かったですね(笑)。
そのころから「年に1本は必ず撮ろう!」という自分ルールを決めて…そうしないとなあなあになって続かない気がしたんです。…って言いつつちょっと甘いところもあるんです。「撮影はこの年にしたからギリOK」とか(笑)。多い時は年に3本撮った年もあったので周りから「多作」とか言われます。

―これまでずっとぶれずにやってきたことはなんですか?

基本的に同じことを映像で表現してきたと自分では思っています。ずっと大事にしてきたのは「言葉にできない感情」や「生きている上でとるに足らないこと」なんだけれど、その尊さを描きたいという。これだけは一貫してこれたかなぁ、と。それは別に道徳的なメッセージでもなんでもなく、ただ自分にとってはそういったものが大事だっただけで。

―そういうのってあんまり大人になっちゃったら撮れない気がします。

私、心はたぶん小中学生のままかもしれないです(笑)。これ年齢重ねるごとにギャップが辛くなってくるんですけど、妙にピュアなところがありますね(笑)。

―ぜひそのまま大切になさってください。監督は今映画1本ですか? ほかのお仕事もされているんでしょうか?

映画だけでは食べていけてません。でも今年に入ってから映像の案件で監督させて頂く機会が増えました。ウェブ系のコンテンツではインディーズの俳優さんとのお仕事が多いです。そういった機会をいただけるのは大きいです。今のうちにいろいろな方と会って、先々映画でご一緒したいです。

―ご縁はどこでつながっていくかわからないですものね。スタッフや俳優さんとのご縁を大事に、たくさんの繋がりを作ってください。これからどんな映画を作っていきたいですか?

今あるものは自分の持ち味として残しつつ、ほんとはもっと違う作風も目指したい部分もあります。どういうジャンルの作品というのではなく、到達したいのは手塚治虫さんたち昔の漫画が持っているような凄みや怖さ。あの時代の漫画家さんは戦後いろんなものがない中の想像力で作られた。今のクリエイターにはあの怖さはなかなか作れないのも。でもそれはしかたのないことではあります。生きてきた背景が違うから。そういうことを私がそのまま再現できるとは思っていないけれど、今の時代を生きていく中で、別の形でそういうことができないかなぁと思っています。

―食べていけても、生きづらいのは今も変わっていませんね。ひょっとしたら昔より生きづらいかもしれません。

今また違った生きづらさがあるのかもしれませんね。『左様なら』では学校やクラスと場所で起きていることとして描きましたが、生きている上で感じる違和感やもどかしさみたいなものはいくらでもあって。それに対する100%の答えなんてきっとないんですけど、それでも考える。自分なりに腑に落ちる部分を探してみる。そういう事の繰り返しできてるよなぁと思います。

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―撮影を始めるときと終わるときの掛け声はなんでしょう? 大きな声で言えるようになりましたか?

「用意、はい!」と「カット!」です。声出るようになりましたが、貫禄不足です(笑)。でも今どの部署の人ともフラットに話せるという意味では、「これはこれで良し」と思いながら(笑)。まだまだ若輩者なので、現場では技術部さんなど、経験豊富な先輩方から学ばせて頂くスタンスでいます。

―とにかく「決断して責任を取るのが監督の仕事」と伺っています。

迷っていないフリだけはしています(笑)。自信ありげに。

―それは必須ですね(笑)。
今日はありがとうございました。


=取材を終えて=

またしても最初の予定をオーバーした取材になりました。クラスメートが亡くなってしまうエピソードやいろいろな悩みに、自分の学生時代を思い出しました。柔らかい傷つきやすい年代の子たち。ひとりだけでなく、ほんのちょっとずつでいいからみんなが、人の痛みをあと少しの想像力で思いやってと、願っています。「それはオトナになったから言えること」って突っ込まれそうだけど。
ごめんさんの繊細な原作を、想像力+創造力そして妄想力で、みんなに届く長編に育てた石橋夕帆監督はとてもパワフルな方でした。石橋組の思い出は俳優さんたちの中にいつまでも残ることでしょう。
話していくうちにわかったのが、石橋監督実は小さいころから漫画家になりたかったということ。ノートにずっと漫画を描いていたのだそうです。ずっと年上の私も、手塚治虫漫画を見て育ち、漫画家に憧れた時があり、漫画話で盛り上がってしまいました。昔の漫画には今の漫画にない凄みや怖さがあった、という話になりました。この先、石橋監督がそんな作品を送り出してくださるのを楽しみにお待ちします。
(取材・写真 白石映子)

『太陽がほしい 劇場版』班忠義監督インタビュー 

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班忠義(パン・チョンイー)監督


『太陽が欲しい』
東京 UPLINK渋谷 大好評につき、上映延長中〜9月6日(金)
大阪 シネ・ヌーヴォ 上映中〜8月30日(金)
他、全国順次公開。
神奈川 横浜シネマリン 9月14日(土)〜
長野 上田映劇 9月23日(月・祝)〜
詳細 https://human-hands.com/theater.html

監督・撮影:班忠義(パン・チョンイー)
編集:秦岳志  
整音:小川武  
音楽:WAYKIS
出演:万愛花、尹林香、尹玉林、高銀娥、劉面換、郭喜翠、
   鈴木義雄、金子安次、近藤一、松本栄好、山本泉

公式HP https://human-hands.com/
製作:彩虹プロダクション
後援:ドキュメンタリー映画舎「人間の手」、
   中国人元「慰安婦」を支援する会
配給・宣伝:「太陽がほしい」を広める会
2018/中国・日本/108分/BD/ドキュメンタリー

本作品について
班忠義監督は、日本軍による戦時性暴力の被害にあった中国人女性の支援活動と並行して20年間撮りためてきた証言の映画化を決意。この企画に賛同した750人の支援者の協力を得、5年の歳月をかけて映画『太陽がほしい 劇場版』を完成させた。
班忠義監督は1958年生まれ。故郷、中国遼寧省撫順市で、近所に住む日本人残留婦人と知り合い、交流を続け1987年日本に留学。その中国残留日本婦人のことを書いた「曽おばさんの海」で、1992年、朝日ジャーナルノンフィクション大賞を受賞。その2年後、支援団体、市民の力で、中国残留日本人に対する帰国促進が議員立法の形で実現。
曽おばさんとの出会いががきっかけで、戦争被害者を調査していた班監督は、1992年、東京で開催された「日本の戦後補償に関する国際公聴会」のニュースを通して、中国人「戦時性暴力被害者」の存在を知る。日中戦争当時、日本軍兵士に性暴力を受けたという中国人女性万愛花さんの証言と、体に残された傷跡にショックを受け、日中戦争の真実を知るため、万愛花さんを始め、日本軍兵士によって性被害を受けた女性たちを中国に訪ねるようになる。2000年に中国で被害を受けた韓国人女性の故郷への思いを描いた『チョンおばさんのクニ』を完成。2007年には『ガイサンシーとその姉妹たち』を公開。その後も支援活動と平行して取材を続け、これまでの取材の集大成として『太陽がほしい』が作られた。
シネマジャーナルHP 『太陽がほしい 劇場版』作品紹介

班忠義監督インタビュー

ー 故郷で残留日本人に出会ったことが、現在の活動につながっていると思いますが、中国における日本軍性暴力被害者を20年に渡って取材してきて思うことは?

班監督 1992年「日本の戦後補償に関する国際公聴会」で万愛花さんのことを知りました。愛花さんが「私は慰安婦ではない!」と叫び失神する姿をTVのニュースで見て、衝撃を受けました。後日、別の集会に参加し、愛花さんの証言と、体に残された傷跡にさらに大きなショックを受けました。
 その後、1995年に日中戦争の真実を知るため、万愛花さんを始め、日本軍兵士によって性被害を受けた女性たちを中国に訪ねました。最初は1、2年のつもりだったのですが、その後も通い続け20年にもなりました。

ー 中国にいた時は慰安婦など性被害者のことは、まだ若かったから知らなかったですか? 

監督 私は1992年の国際公聴会で初めて「慰安婦」という言葉を知りました。でも万愛花さんは、この慰安婦という言葉をすごく嫌っていて「私は慰安婦ではない!」と叫びました。
 中国の場合、現地の女性たちが日本軍の部隊に連れ去られて、民家やトーチカなど、慰安所でないところでレイプされたというケースが多いです。中国人女性の被害について言えば、そのほとんどは「慰安婦」というより、「性暴力被害者」と表現した方が適切ですね。
 日本軍は進軍してゆく道々、地域の女性たちを拉致、監禁し強姦しました。日本軍が自ら女性を探し出したこともあれば、傀儡中国人を使ったこともありました。監禁期間も、数日から数ヶ月と幅があり、本当に様々なケースがあったのです。
 韓国や日本、その他の植民地などから中国に連れてこられた女性たちは都市部の慰安所で、中国人女性は前線の駐屯地周辺の村々で、どちらも日本軍の兵士たちによって深刻な被害を受けていたのですが、中国の人たちの多くは、慰安所にいた「慰安婦」を敵国(日本)側の人間だと思っており、慰安所の悲惨な状態も知らなかったため、「慰安婦」という表現に抵抗があるのだと思います。
ー 班さんが取材したのは山西省が多いですが、たぶん他の地方でも、同じような状態だったのではないでしょうか。

監督 日本軍がいた地域を全て調べたわけではないですが、日本軍がいた場所には同じような被害があったと思います。村に進軍して部隊を解放すると兵士たちは、女をあさりに行った」という元日本兵の証言もあります。このような監禁を伴わない、一時的な被害を受けた女性の多くは声を上げず、黙ってしまっています。そういう人が実はたくさんいるのです。

ー 韓国でも長い間、性被害を受けたり、慰安婦だったことを長い間話せないでいたわけですが、中国の場合は、村の中で「あの人は性被害を受けた」ということを村の人が知っているような状況はあるわけですよね?

監督 そうですね。日本軍に性暴力を受け、それによって村人から差別をされる。悲しいですが、二重の被害を受けることになります。そういう状況もあり、女性は自らの被害を言い出せなかったのだと思います。
 被害を名乗り出ると、女性に純潔さを求め、女性に厳しい家父長制度の中で、女性にも落ち度があったんじゃないかと言われたり、汚れた存在のように扱われたりする。そのような雰囲気は今もまだまだ残っていると感じます。

ー 台湾の『蘆葦(あし)の歌』は観ましたか?
*シネマジャーナル102号に吳秀菁監督インタビュー掲載

監督 はい、観ました。

ー この映画の中にありましたが、台湾の場合は、ケースワーカーの人たちが協力しあって、性暴力を受けたり、慰安婦だった方たちの傷を癒すような活動を長年やっていましたが、他の国ではそういう活動を聞いたことがないですね。

監督 韓国のナヌムの家など、同じような活動をしている団体もありますよね。でも台湾はもっときめ細かい活動をしていたようですね。

ー 元々は台湾の元慰安婦の方たちが、日本政府に対して賠償請求の裁判を起こしたけど勝てなくて、被害者の方たちはよけい傷つき、泣き寝入りの形になってしまったことが出発点のようです。日本人としては、せめて、戦争による性被害を受けた女性たちが、いろいろな国にいるということを、忘れずに伝えていかなくてはということと、こういうことが起こらないように二度と戦争を起こさないように行動しなくてはならないと思っています。
こういう記録映画も重要な伝達手段です。この映画を作るのに750人の協力者がいて映画ができたとパンフに書いてありますが、それだけの協力者がいて出来上がったということですね。<劇場版>となっていますが、劇場版でないものもあるのですか?

監督 あります。劇場版は1時間48分(108分)ですが、その前の自主上映用「完全版」は2時間47分と長いんです。完全版は20年の活動の中で知り得た、中国人女性への性暴力被害に関する情報をなるべくたくさん詰め込んだのですが、その結果、複雑になってしまい、初見の人やこの問題に初めて触れる人にとって難しい作品になってしまいました。そこで、劇場版は中国における戦時性暴力の特徴を伝えることに焦点をあてて、再編集をしました。

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ー だんだん被害者も加害者も亡くなってきてしまって、その方たちの証言を聞けなくなると、そういうことがあったということを信じられない人たちが出てきてしまって、最近は、また戦争に向っているのではないかと状況も出てきました。

監督 周辺諸国に対し、ナショナリズムをあおるような状況が出てきましたね。マスコミの韓国に関する記事などを見ると、だんだん表現が過激になってきています。あいちトリエンナーレ2019で起こった「表現の不自由展・その後」をめぐる問題では、名古屋の河村市長の「日本人の心を踏みにじられた」という発言や、一般の方からの脅迫もありました。
 先の戦争で、国民は真実を知らされないままに、戦争に繋がる世相がどんどん作られていったわけですが、そのような歴史的な過程を把握していなければ、再び戦争が起こらないよう歯止めを働かせることができません。時代の雰囲気を見誤らないように、日本人の判断能力が問われています。今、歴史や過去を知らないという人が増えてきています。目の前のことだけ見て、感情に走ると戦争の危機はやってきます。社会問題や近隣諸国との関係をグローバルに見られる視点に立つことが大事だと思います。

ー 20年やってきていろいろあったと思いますが、その中から思い出深い話などを教えてください。

監督 この映画は、『ガイサンシーとその姉妹たち』(2007)の姉妹編というかA面とB面のようなものです。万愛花さんはガイサンシー(蓋山西)と同じ時期、同じトーチカに監禁されていました。95年に初めて被害女性たちの元を訪れた時には、ガイサンシーはすでに亡くなっていて、支援することができませんでした。他にも、水を組むのも大変な山の上に住んでいた方で、住居を麓に移そうと、その準備をしている間に脳溢血で亡くなった方がいました。もう少し早く行ってあげられたらと今でも後悔しています。すべての被害女性に支援の手を差し伸べられれば良かったのですが、自分の拠点は日本にあり思うようにいかない部分もありました。各地の女性たちには「1年に1度は必ず会いに行く」と約束していましたが、被害女性の多くが健在だった時には、年に3〜4回、現地に赴くこともありました。彼女たちは70~80代と高齢で、毎回、次回の訪問時に生きているかどうかわからないような綱渡りの状態でした。今も4名の被害女性が存命で、支援活動を続けています。

ー 20年に渡る取材を108分にまとめるというのは大変なことだったと思いますが、記録を残すという意味で、今回、使わなかった映像を使って、新たな映画もぜひ作ってください。

2019年8月3日より、東京 UPLINK渋谷、大阪 シネ・ヌーヴォ、愛知 シネマスコーレにて3館同時ロードショー。

参考 
これまでの中国での性暴力被害者に関する班忠義監督作品

『チョンおばさんのクニ』2000年
中国残留韓国人女性を追ったドキュメンタリー。チョンさんが17才の時、男に大田織物工場へ働きにいかないかと誘われ、朝鮮半島から連れていかれたのは、中国武漢市の慰安所。韓国には帰れず、中国で結婚。しかし、病気になり、祖国への帰国を希望。彼女を帰国させるべく、日本の団体が奔走し、祖国へ旅立ったけど、半世紀を越えて思い続けた故郷に彼女の肉親はおらず、昔の面影すらなかった。帰国の事がマスコミに大きく報道されたことも手伝って、少女時代の親友、姉妹にも会えた。しかし、皆が歓迎してくれたとは言えなかった。ガンが進行し、死ぬ前にまた中国に残した息子や孫に会いたいという彼女の希望はついに実現しなかった。

『ガイサンシーとその姉妹たち』2007年 
日中戦争時代、日本軍の陣営に連れ去られ、性暴力を受けた女性たち。清郷隊という日本軍協力者の中国人が村々を回って、若い女性を連れ去り、日本軍陣営に連れて行き監禁したという。
山西省一の美人を意味する「蓋山西(ガイサンシー)」と呼ばれた侯冬娥(コウトウガ)。その呼び名は彼女の容姿のことだけでなく、同じ境遇に置かれた幼い〝姉妹たち〟を、自らの身を挺して守ろうとした、彼女の優しい心根に対してつけられたものであり、その後の彼女の人生の悲惨を想ってのものだった。
*シネマジャーナル71号で紹介

取材を終えて

班忠義監督は、とても正義感の強い優しい人だと思いました。20年以上に渡り、この問題に取り組み、ただ単に記録するだけでなく、生活支援や医療支援も続けてきました。支援者がいたからやってこられたとおっしゃっていましたが、でもそんなに長く続けるためには、強い意志と覚悟が必要だったことでしょう。めげることもあったかもしれません。でも彼は続けてきました。
班監督は、中国での性暴力被害者に対するドキュメンタリーを、これまで3本公開してきましたが、このドキュメンタリーも含めて、被害者だけでなく、加害者だった元日本兵の証言も複数記録し、両方の発言を出すことで信憑性にこだわってきました。証言する人が亡くなってきて、戦争被害、日本の戦争加害について、否定的に考える人が増えてきているという状況に対して、大変貴重な証言を集めたといえる。被害者だった方たちも証言するのにかなり勇気が必要だったと思うけど、加害者だった元日本兵の方たちも、証言するには勇気が必要だったと思う。証言してくれる方たちをよく探しだしてきたと思うけど、自分を信用して証言してくれた人たちに対し、きちっと伝えていかなくてはという思いも語っていた。
「日本だけが悪いんじゃない。戦争になれば、どこの国もそういうことがある」という人もいるし、日本人としてはできれば日本人がこういうことをしたということを認めたくないという気持ちもわかるけど、実際起こしてしまったこと。勇気を持って証言してくれた人たちの思いを私たちは忘れずに、思い出したくないものに背を向けてはならない。2度と戦争を起こさないよう努力していかなくてはと思う(宮崎暁美)。



『無限ファンデーション』大崎章監督、西山小雨さん(音楽・主題歌)インタビュー

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大崎章(おおさきあきら)監督プロフィール
1961年・群馬県生まれ。『ソナチネ』(北野武監督)『2/デュオ』(諏訪敦彦監督)などで助監督、『リンダ リンダ リンダ』(山下敦弘監督)では監督補を務める。『キャッチボール屋』で監督デビュー。次作『お盆の弟』がヨコハマ映画祭で4冠に輝いた。

西山小雨(にしやまこさめ)さんプロフィール
仙台出身・東京在住。人気インディーズバンド"雨先案内人"のキーボード担当だったが、作詞作曲に興味を抱いて2014年からソロ活動を開始する。ピアノやウクレレを弾きながら日々の思いや出来事を独特の世界観で自由に歌う。『無限ファンデーション』でMOOSIC LAB 2018ベストミュージシャン賞を受賞。HPはこちら

『無限ファンデーション』
監督:大崎章
音楽・主題歌:西山小雨
撮影・編集:猪本雅三(いのもと まさみ)
録音:伊藤裕規
照明:松隈信一
出演:南沙良(未来)、西山小雨(小雨)、原菜乃華(ナノカ)、小野花梨(百合)、近藤笑菜(笑菜)、日高七海(千明)、池田朱那(亜子)、佐藤蓮(智也)、嶺豪一(担任・滝本)、片岡礼子(未来の母・今日子)
作品紹介 http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/468751781.html 
★2019年8月24日(土)よりK’s cinemaほか全国順次公開

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―最初は小雨さんのMVを作るはずだったのに、映画になってしまったそうですが?
監督 なってしまった?!(笑)。
小雨 私には「なってしまった」です。今となっては嬉しいことなんですけど、当時はMV(ミュージックビデオ)をお願いしたのが始まりなんです。 大崎監督が私の友達のバンド”ザ・ラヂオカセッツ“の『HOME
AND HOME』のMVを撮られていて、そのイントロから泣いてしまったんです。そして「こんなに素敵なのを私にも作ってください」と直にお願いしました。「お金かかるよ」とあしらわれたんですが(笑)。
監督 冷たかったわけじゃないんだけど…。
小雨 でも、その後に私のライブを見に来てくださって「どれを撮りたい?」と聞かれたとき、最後に歌った「未来へ」と言いましたら、監督も同じ意見だったんです。
監督 僕は音楽詳しくはないですけど、「未来へ」はオーケストラのようにすごく広がりがある曲。特に中盤のピアノが大好きで。聞いていてじわーっと世界観を感じて「いいなぁ。このMVを作りたいなぁ」と思ったんです。(小雨:やった!)その後も何度も何度も電話でやりとりして、見積もり出したりしてね。
小雨 思い出してきました。
―それはいつのことですか?
監督 2017年の2月に初めてお会いしました。
小雨 ライブに来て下さったのはその年の6月、初めてのワンマンライブの時ですね。
―映画として始まったのは?
監督 松本花奈(まつもと はな)さんに、MVの脚本を書いてもらったらすごく良かったんですよ。その年の冬だったかな。“MOOSIC LAB 2018” の直井さんに「これ長編になりませんか?」と聞いたら「なりますよ」って。でもその話を小雨さんに全然してなくて(笑)。
小雨 事後報告でした(笑)。監督が電話の向こうからすごい嬉しそうな声で「映画になりました!」って。なりました??
監督 嬉しくて言ったんです。そのときまだ資金繰りも全然考えてないのに、なんとかするんだ!みたいな気分で。バカだなぁ。「映画になる」って言ったら喜ぶと思ったんですよ、勝手に。そしたら「は?」って感じで。
小雨 あははは。「映画になる?つまりどういうこと?」です。全然自分が出演するなんて頭にもなかったし、想像もできなかった。MVならともかく、映画っていうものに出るのは女優さん、と思っていました。
―演技経験は全くなしで?!
小雨 はい。ないどころか、マイナス(笑)。
監督 MVの脚本がファンタジーで、小雨さんの登場シーンが多かったんですよ。演技がうまいとか云々かんぬんよりも、小雨さんという人物が持っているこのキャラクターが出てしかるべきだし、出てもらって歌ってもらうしかないなと思いました。
―全編即興劇ということですが、たとえば最初に未来ちゃんと小雨ちゃんが出逢う場面があります。あの流れでは、どういう道筋がたてられていたんでしょうか?
監督 よく覚えています。「歌声が聞こえている」「未来 リサイクル施設の中に入っていく」「未来と小雨 出会う」その3行くらいしか書いていないんです。
小雨 以上です(笑)。ずっとそんなのです。(監督笑う)A4用紙5,6枚くらいの。箇条書きです。(結局9ページの構成台本になった)
―いったいどうやって、演技指導とか演出をしていたんでしょうか。
監督 現場での指導はほとんどしてないです。正直言って。
―監督の頭の中にやってほしいことがあるんですね?
監督 やってほしい感覚はあるんですけど、それすらも言わないようにしていました。それを言うと、そのとおりにやってしまうから。それも嫌だったので、とにかくお任せしていました。2人が会うシーンがすごく好きなんですよ。本人は嫌だって言っていますけど。
小雨 見てられないんです(笑)。
監督 それがすごく初々しいんです。あのシーンの良さは、説明するといくらでも出てくる。未来ちゃんがあの塀の向こう側に行くっていうのは、意味があるんです。
―ぴょんぴょんしていましたね。
監督 自転車を台にしてあそこをよじ登って行く。
小雨 そうなの? 絶対無理でしょー!
監督 リサイクル施設の入口は出していませんから、“別世界に行く”というイメージなんですよ。男の子が秘密基地遊びをするでしょう? どんどん進んでいって別世界で怪物と出会う。そんなイメージ。ま、それはおいといて。
小雨ちゃんはそこですごく嬉しそうな顔するでしょ?そこから未来ちゃんの精神が開いていくんですよね。だんだんだんだん。それがすごく意味がある。
―小雨ちゃんはどういう子なんだろう?不登校の子なのかなと想像したりしました。あそこは本物のリサイクル施設なんですか?カラフルなゴミ袋など、てっきり美術さんの仕込みかと思っていました。
監督 本物です。みんなにそういわれるんですけど、分別のために色分けされています。あとは小雨ちゃんの仕込み。
小雨 もちろん色味は配置してくださっているんですけど、ペットボトルはこの色とか、普段実際に使われているものです。
―小雨ちゃんは初め高校の制服ですが、後で未来ちゃんからプレゼントの衣装を着ますね。すごく嬉しそうでしたが。
小雨 照れた~!あれ(笑)。
―照れたってことは自前じゃないんですね?
小雨 もちろんです。
監督 衣装さんが作ったものです。自前っぽかったっていうことは似合っていたってことですね。
―はい、あれでライブをされているのかと。
小雨 劇中でも言ってたとおりあんなにひらひらしたもの着たことがないんです。ほんとに照れていました。あのまんまで、なんにも演技になってないんです(笑)。
―小雨さんも演技指導はなし?
小雨 なんにも教えてもらえませんでした~(笑)。なんにも言われなくて、息の仕方どうしてたっけ?みたいなことですよ。
―中にナノカちゃんのオーディション場面がありますね。条件を与えられて、即興演技をします。ああいう感じなのかなと想像していました。ではあのシーンは未来ちゃんに声かけられて、自然に反応しているってことなんですね。
小雨 「シーン何番です」と言われて、台本を持って移動してそのト書きのみを参考に。
あとは7日間合宿があって、演劇部員たちは毎晩毎晩ミーティングしてましたね。枕を並べて。
―あの子たちは2人きりじゃないから。
小雨 そうなんですよ。このシーンは誰がどこまで突っ込んで、どの方向に行くのがいいんだろうみたいに、たぶんやってたんですけど、私は別のスタッフ部屋のほうで。

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(C)2018「無限ファンデーション

監督 小雨さんはポテンシャルが高かったと思うんですよ、絶対に。でないと初めてなのにあのお芝居できない。リハで、ウクレレ弾きながら未来ちゃんと会うというシーンが良かった。小雨さん緊張してたというんですけど。
南沙良さんのほうもすごく度胸がすわっていて、すぐできる。この二人ならできる、と思いました。
―私もそこで(小雨ちゃんに)掴まれました。この人なんて可愛いんだろうって。
小雨 もう、自分だと目もあてられない(笑)。
監督 そんなことないよ。
小雨 普段ライブに来てくださってるお客様が「そのまんまだね」って。
―だからいいんじゃないですか(監督と声がそろいました)。中で「不思議ちゃん」って言われてましたけど、人間っていうより別世界の人って雰囲気があったんですよ。エルフみたい(見たことはないですが)な感じで。
監督 それはそうなんですよ。言われます。
小雨 いろんな人から言われました。人じゃないもの、妖精とか(監督:座敷わらしとか)・・・。
監督 それをね、その雰囲気を自然に醸し出してさすがだなと思いました。そこは狙い通り。
―小雨ちゃん部分はファンタジー、演劇部の部分はリアル。その兼ね合いも思ったとおり?
監督 明確に意識はしていないですけど、この映画の一つの側面はそこなんですよ。“現実とファンタジー”、“子どもと大人”。そして演劇部員と先生と小雨ちゃんが後からつながる。もともとあった脚本の中にはその要素が入っていましたし、それがないと絶対に面白くならないなと思いましたし、僕の好きな世界観でしたからみんなやっていただきました。
―俳優さんに任せるというのは、期待もあるし、どんな反応が出てくるかわくわくしますよね。でも逆にリスクもあるかと思いますが。
監督 やり直したシーンもいくつかあるんです。そんなにはないですが。
小雨 一発OKが多くて。
監督 なんでかというと、彼女たちがこれは一発でなくちゃいけないなと、かなり本気を出してやってくれた。一回一回のシーンで出してくれました。一番重要なのは瑞々しい芝居がやれているか、それは毎回判断していました。
リスクは、“予定調和”になりかねない、ということかな。でもみんな相当上手でした。何がバランスよかったかというと、個性があったこと。例えば原菜乃華さんはボキャボラリーが豊富ではないけれど、言葉に強い力があって、それがすごく出てくるんですよ。彼女は子役としてやってきたんです。小野花梨さんも子役からでキャリアがあったから、リアクションとかを考えてやっていた、というのが後ですごくわかった。あのペンキをかける百合ちゃん役の、あの子がすごく考えて、悩んでたかなと。悩みの発端は「即興なんてできない」ということだと言ってました。(ここの詳細は後述)
―子役からの人たちにしてみたら、これまでにない経験だったでしょうね。
監督 全員初めてです。彼女にしてみたら、今までこんなことはないし、ちょっと怒り気味だったです。
―もがいているうちに自分のエネルギーで乗り切ったのかな。じゃあ監督が想像した以上になったわけですね。
監督 想像した以上のベクトルが出ましたね。
―合宿の効果もありましたね。
監督 合宿になった時点でそこはちょっと予想しましたけど、だからみな同じ部屋にしました(笑)。
―あの子たちがみんな一斉に喋りだしたらたいへん。自分たちで調整したんですね。男の子が一人いましたけど、口はさむ隙がなかったですね。
小雨 あれは社会の縮図ですね(笑)。
監督 たしかリハのときは彼ももっと喋っていたんですけど、聞いたら「これは無理だな」と(小雨さん:笑)。本番は喋らないほうがいいなと思ったんでしょう。
―「まあまあ」となだめ役でちょっと。
監督 最後に出てきて男気を見せましたけど。
小雨 全然なだめられてない(笑)。私が俳優だったら、なんかやらなきゃとか喋らなきゃとか絶対思っちゃうんで、「喋らない演技を選べる」っていう時点ですごい。それってすごい選択。いるだけで演技になっている。
監督 それ!空見てたりして。ちゃんと目につくんですよね。劇が「シンデレラ」だったので、王子様役一人だけなんですよ。
小雨 男性弱い~(笑)。先生も押されてる(笑)。
―未来ちゃんが答案に何も書いてないのに「大丈夫、大丈夫」って。大丈夫じゃないですよ。この先生大丈夫か?(笑)。
監督 そうそう、あそこおかしいですよね。もっと怒ったほうがいいのに(笑)。
小雨 笑っちゃう。
―あの先生の独白も。でもあれで初めてつながるんですよね。
監督 あの独白はこの映画の「裏のミソ」なんです。未来ちゃんが小雨ちゃんとなんだか(性格が)似ているという。
―あのほわーんとしたところが。
監督 なんでここでしゃべるのか、っていうと、なんとなく似ているから。この子にだけしゃべりたくなる。急にそう思ってしまうんですよ。
―面白いですね。その裏、裏話?メイキング作りましたか?
監督 裏は面白いですよ。でもメイキング作る余裕もなくて誰も回してなかったんです。もったいないですが、そういうもんですよ(笑)。
とにかくワンシーンが長いんです。使っている部分が3分だとしたら前後10分くらいは回しています。それはいいシーンもいっぱいあります。
―合宿が1週間で、撮影期間は?
監督 撮影も1週間です。そうなんですけど、僕にとっては半月どころか1年以上かかってようやく7日間の撮影にこぎつけた!ってイメージなんです。初めて小雨さんと出会ってから、できあがって編集して8月24日にロードショー公開ができる。それまでの全てが僕にとっての製作期間です。編集はそんなに大変じゃなかったかな。素材は一発OKも多かったし、どこをどう切るかっていう大変さはありましたが。
小雨 カメラもあって2台でしたし。そんなにカットも切り替わらないで、ほとんど使われていますよね。
―カメラさん、音声さんはいかがでしょうか? 即興劇ならではのご苦労があったのではありませんか?
監督 カメラはね、ある種天才なんです。猪本さんっていって、こういう実験的なのが好きな人で、相当気合入っていました。もしこの猪本さんと録音の伊藤さんを連れてきたら、その件に関してよくしゃべると思いますよ(笑)。
小雨みんなマイクをつけてるわけじゃないですから。
―(即興では)大勢のシーンでは誰がいつ喋るかわからないですよね。
監督 わかんないので、その(マイクを)二本こうやってて(持つしぐさ)。その職人芸!
小雨 ほんとにすごいんです。
―監督はカメラを覗いている?
監督 僕は、モニターよりも現場のほうを、全体を見ていたかな。
―で、カメラさんに指示を出すんですか?
監督 出してない(笑)。出してないというとまた語弊があるんだけど(笑)。
小雨 出してるところ見なかった(笑)。
(ここで小雨さんの時間があと10分、とわかる)

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―では、小雨さんに。これまでの映画の経験がないということですので(小雨:ないですねぇ)観客としての映画体験をお聞かせください。子どものころから観た中で好きな作品はなんでしょうか?
小雨 子どものころからか~。子どものころは『ネバーエンディング・ストーリー』(1985)とかファンタジー好きでしたねぇ。あれは何度も観ました。ファルコンの「耳の後ろがかゆいんだ」っていうセリフが大好きで。白い龍が、前足が短くて手が届かないの。耳の後ろかけないから、って主人公にかいてもらうの。今までの中だと、北野武監督の『菊次郎の夏』が一番好きです。
―自分が重なるようなヒロインはいませんでしたか?
小雨 いやいや。そんなおこがましい。私ほんとに自分が映画に出るっていうことをこの人生で経験するなんて、全く思ってなかったですし。自分が主人公になると思ったことがないタイプ。この映画の場合、菜乃華ちゃんは自分が主役だと思ってやっているじゃないですか。役の中でもそうだし、たぶん彼女の性格もそうだと。
沙良ちゃんや私とかはわりとそうでもなくて、だから重ね合わせるなんてとんでもないです。ただ、観てあこがれる。
―この映画ができあがって観たときは?
小雨 自分の演技のところは目も当てられない。ほかの女優さんたちの言い合いのシーンとか、あそこでうるっとくるのもありつつ・・・撮影7日間ずっと泣いてて。泣いているシーン「涙どうやったの?」って言われるんですけど、私シーンのないときもずっと泣いてて(笑)。周りが進んでいくのに私は取り残されているみたいな感覚があって、ほんとに沈んでたんですよ。
―あらまあ。自然に出てきた涙なんですね。
小雨 ほっといたら涙が出ているんです。それを思い出しては泣いていましたね。
―いつもそんなに涙もろいんですか?
小雨 いやー、そんなことないんですけど。
―映画の中の小雨ちゃんだったんですね。
監督 すごくないですか?初めてなのに、それができたって。もう素質があるし、ポテンシャル高かったってこと。
―ほんとですね。あの歌もすごく印象に残るんです。語りかけるような言葉とか、あれはほとんど自分のつぶやきがそのまま出てる気がしたんです。わざわざ作ってるのでなく、こぼれて出てきましたみたいな。
小雨 ああ、それが一番嬉しいです。
―思ったことがぽろっと口からこぼれて、メロディにのったんだなって。それで「あ、ライブが観たい!」と思って(ライブチケットつきクラウドファンディングさせていただきました)。
小雨 ありがとうございます。お待ちしております。
―ここを観て!というシーンは?
小雨 えー、私が出てないところ(笑)。自分のシーンでここは好き、というのなら、未来ちゃんが衣装を作って着せてくれたシーンです。あれはほんとに嬉しかった!私の本音ですし、それを受けた未来ちゃんの本音がぽろっと出たシーン。
―このシーン自然で、2人の相性がいいんだろうなと見ていました。「よしよし」ってしながら泣いているシーンも。
小雨 あれは完全に私の涙のハードルが下がりまくっていた時期で、「先に泣いたらごめーん」と思っていました。わりと未来ちゃんと私、もしかしたら沙良ちゃんとも性格が近いんだと思います。そんなに友達がいっぱいいる社交的なタイプでもなくて、なんかこう自分の好きなことに打ち込んでいるのが、気持ちも楽だし楽しい。そういうちょっとした孤独さがあって、恐らくそこが通じ合ってて、テンポも似てるのかなって。
―いい配役でしたね、監督。
監督 後でその話を聞いたときに「しめた!」と思った(笑)。先生の裏設定(前述)がありましたから、実際に似ているって聞いて嬉しくて。意外とそういうこと多かったんです。この映画。ちゃんと、役者さんの性格付けがうまい具合にいった。実際の性格に近いというか。
―出てしまうんでしょうね。即興でやっていたらいやでも出てしまう(笑)。
監督 そう。
小雨 出しやすい役にちょうどなっていた。沙良ちゃんも、洋服作ってたり。
監督 あれ、偶然なんですよ。スケッチブックは彼女にほんとに描いてもらったんです。それがとっても上手で。
―小雨さん、会えて嬉しかったです。ライブでまた。映画はもう出ませんか?
小雨 出たいです。脚本のあるやつ(笑)。
監督 はい。今度は脚本のあるもので。
 (小雨さん退出)

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―では監督続けてお話を。即興の映画は初めてです。もう少し詳しく伺っていいですか?この作品を即興劇にしようと思ったのはどこからなんですか?
監督 今回の場合は予算がはまらなくて、さっき言ったシナリオを元にして撮るには、当時集めたお金の3倍かかると、3倍かからなくとも絶対赤字でうまくいかないという状況でした。越川道夫プロデューサーに「即興で、7日間で撮ればできる」と言われたんです。
―越川プロデューサーのアイディア?
監督 アイディアっていうか…「苦肉の策」!
―以前即興で撮られたことがあったんでしょうか?
監督 越川さんでなく、僕です。諏訪敦彦(すわのぶひろ)監督、即興映画の巨匠で、去年ジャン=ピエール・レオ主演の『ライオンは今夜死ぬ』(2017/日仏合作)、来年『風の電話』が公開される方がいます。僕はこの監督の日本での作品全てに助監督として参加しています。
―ああー、それではノウハウっていうか、どんな風かはご存知だったんですね。
監督 未体験では無理ですね。越川さんはそれを知っていたんです。それで面白いと思って「やりましょう!」と。
―そこで「面白い!」って思うところがすごいですね。チャレンジャーです。
監督 ありがとうございます(笑)。「面白い!」って立ち上がったこと、今でも直井さん(企画)が言うんですけど、ほんとにそう思ったんです。みんなは「無理だ」と思っていた(笑)。でもマネージャーが「それだったらインデペンデントの実験的な映画に、うちの南(沙良)を出す意味がある」って言ってくれたんです。
―話題性がありますよね。誰もやってないことをやる。それも若い女の子ばかりで。
監督 だから「これをできるのは世界で俺しかいない!」って。その瞬間、その状況で、やりたい、挑戦しようと思った。そこからすごく気が楽になりました。もうやるしかない。
―もう背水の陣ですね。
監督 ほんとにおっしゃるとおりです。そうです。
―チャレンジしがいがありましたね?
監督 ありました!俳優陣は10人出ているんですけど、全員たいへんだったと思うんです。ほんとに。自分たちで、自分の演出を考えてやるんで。
―自分もみんなも生きるように。
監督 みんなのことを考えたのは小野花梨さん。「すごく考えてた」ってコメントを出してくれてびっくりしましたね。最後に「監督に感謝します」って言ってくれた。現場では「わかんない」って最後まで言ってて、そういうコメントをくれたってことは、彼女もこの映画の経験で考え方が少し変わったのかもしれないです。
―それってほんとに得難い経験だったと思います。俳優さんを育てたと思いますよ。
監督 そう言っていただくと嬉しいです。
―そんなやり方をしてくれる監督さんてなかなかいないじゃないですか。ワークショップならともかく。
監督 それは言われました。賛否両論あるんで「ワークショップみたいなの作りやがって」ってすごく言われました(笑)。
―でも若い俳優さんのためになったと思います、私は。獅子が子どもを崖から落とすようなものじゃないですか?
監督 まあ、何人も怒っていましたけど(笑)、こっちもおっさんなんで、できないふりしてそのまま撮りました。
―俳優さんを信じていたからですよね。
監督 信じました! それはカメラも録音の人もそうです。「こうしろ、って絶対言わない」という姿勢なのでどうなっても信じるしかない。みんなすごく頑張ってくれました。画(え)から伝わってきますから。
―俳優も監督やスタッフにこたえたいと思うでしょう。2人3脚じゃなくて10人11脚?
監督 スタッフも入れたら30人くらいですね。
―30人でできたんですか~!
監督 もっと少ないかもしれない。
―さきほど『左様なら』(石橋夕帆監督)の試写を観たばかりです。高校生がいっぱい出てきて、一度にいろんな場所で話しているんです。このたくさんのセリフはみんな脚本にあるんだろうなと。
監督 僕のと真逆なんですよ。演出がすごく細かい。それでいて自然なんです。僕にはこの技できないです。
―その中に『無限ファンデーション』の子が2人いました。近藤笑菜さんと日高七海さん。どちらの作品も観てほしいです。2015年の『お盆の弟』は大人ばかりでしたが、今回の作品はきゃぴきゃぴの女の子ばかりですね。
監督 中年の男性を描いた『お盆の弟』は、自分のことでもあるので苦しかったですね。今回は違う。
高崎映画祭の志尾総合プロデューサーが「大崎さん、若い女の子の映画合うよ」と言ってくれたんです。「合う」と言われて自信つきましたね。違う視点で言うと、若い女の子とあまり年の差感じないの。自分が話していて。だからやりやすかったです。彼女らの意見を聞くのが好きだし、「一緒にやってる感」がすごくあって楽しかった。映画は年関係ないなって思いました。若い人が出る映画っていうのは、自分の脳をフル回転させなきゃいけないし、いい経験でした。また作りたいです。
―今日は長時間ありがとうございました。

=取材を終えて=
席についたとたんに大崎監督の眼鏡に目が釘付けになり、思わず「面白い眼鏡ですね」と口走ってしまいました(せめて「素敵」と>自分)。赤いフレームで変わったデザインなんです。そこで気を悪くせず、すぐ「イレギュラーですけど」とその経緯を語ってくださる監督、優しい方です。『ゆれる』(2006/西川美和監督)にチンピラ役で出演して、赤いトレーナーに合わせてこの赤いフレームの眼鏡にしたのだとか。「最初からイレギュラー!と」と笑う小雨さん。映画と同じに可愛い方です(役名も同じなので、劇中の役は小雨ちゃん、ご本人は小雨さんと呼んでいます)。取材はそのまま(笑)多く、話に花が咲いて予定時間を大きくオーバーして終わりました。
最後に大崎監督に好きな映画を伺いましたら、間髪入れず『ブルース・ブラザーズ』(1980)と『時計仕掛けのオレンジ』(1981)とお答え。日本映画では、小津監督の名作『晩春』(1949)が大好きとのこと。中でもお気に入りのシーンは、京都の宿で父親(笠智衆)と結婚を控えた娘の紀子(原節子)が布団を並べて話すところ。

「私、お父さんと一緒にいるだけでいいの」
「いや、それは違う。そんなもんじゃぁないさ。これから佐竹くんと新しい人生を作りあげていくんだよ。それが人間生活の歴史の順序というものなんだよ」
情感をにじませて二人のセリフをソラんじる監督。(拍手)
なんだかお得感いっぱいの取材になりました。「娘にこんなセリフを言ってもらえそうですか」とまた余計なことを言うと「僕は映画と結婚したんです」と。花の独身の大崎監督でした。独身を謳歌しつつ、若い男の子がたくさん出るのも、シニア向けのも作ってまた取材させていただきたいです。

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青空色の「未来へ」スペシャルドリンク

☆8月10日夜、クラウドファンディングのリターンのイベント、小雨さんのソロライブに行ってきました。涙の小雨ちゃんではなく、笑顔いっぱいの小雨さんの歌をたっぷり聴いてきました。「未来へ」のMVも無事完成、最後にお披露目されました。
(取材・写真:白石映子)