『おっさんずルネッサンス』髙野史枝監督インタビュー

2010年1月11日(土)名古屋名演小劇場にて公開

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高野史枝監督

シネマジャーナルに名古屋から寄稿している高野史枝さんですが、もう25年くらいになります。その高野さんが監督第一作の『厨房男子』を作ったのが2015年。そしてこの作品の中に描かれていた大府市の「メンズカレッジ」という講座とこの講座卒業生の「男楽会」に参加する男性たちをさらに追いかけたのが、この『おっさんずルネッサンス』です。
*『厨房男子』高野史枝監督インタビュー記事はこちら

定年後の生き方のモデルは大府(ここ)にある!

働いている人には必ずやってくる定年後の生活。仕事一筋できた人は「効率第一」だったり、「経済効果だけを見てしまう」など、会社や組織の中で、そういう考え方が染み込み、地域とのかかわりやコミュニケーション不足、孤立感などを感じている人もいるかもしれません。
人生100年の時代、定年後の生活に不安はありませんか? 女性に比べて男性のほうが定年後の生活をどのように暮らすかに不安が大きいのかもしれません。「楽しいセカンドライフ」をどのよう送るか、こんな定年後の「悩めるおっさん」たちに、愛知県大府市の施設「ミューいしがせ」では、20年以上前から「メンズカレッジ」という講座を開いています。ここで男性たちは、「生活自立(料理・家事)」「地域活動」「健康」など、セカンドライフに必要なことを学び、活動を通じて友達を作ります。年間23回ある講座は全て無料!
「おっさんずルネッサンス」は、 愛知県大府市で意識変革と生活の自立を果たす「おっさん」たちを主人公にしたドキュメンタリー映画です。
「おっさんずルネッサンス」には、幸せなセカンドライフを過ごすためのヒントがたくさんあります。大府発のこの映画は定年を迎えた本人だけでなく、向き合う女性や家族の共感もきっと得られることでしょう。 そして意外にも「花が似合う」おっさんたちの明るくいきいきした表情を観にいってみてください。

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公式ブログより
 名古屋市の南に隣接する愛知県大府市(人口9万2000人)。このまちにある施設、「大府市石ヶ瀬会館(ミューいしがせ)」では、20年以上前から「メンズカレッジ」という男性対象の講座が開かれている。30人の講座生は、1年間一緒に料理を作り、講座や講演会に参加し、遠足に行き、活動を通じて友だちになる。卒業生は「男楽会(だんらくかい)」という自主活動グループを作り、料理技術をさらに磨いたり、様々なボランティア活動の中心になって活動を続ける。男楽会の会員は、それぞれの家庭でも、習った家事の腕を生かし、料理、洗い物やアイロンかけなどに積極的に取り組むので、家族からは感謝され、孫たちにも良い影響を与えている。
メンズカレッジと男楽会の会員およそ60人が、協力して積極的に取り組むコロッケ作り。コロッケは石ヶ瀬コミュニティの夏まつりの模擬店で販売されるが、美味しさで定評があり、すぐに売り切れる人気商品だ。今年(2019年)も2600個のコロッケは完売した。4月に始まったメンズカレッジでの学びも、9月には半分を終えた。今年参加した受講生は、それぞれ自分たちの半年間の変化を語り始めた・・・・

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髙野監督が撮りたかったもの
この映画を撮っている髙野監督は、ミューいしがせとは大変つながりが深く、長く映画講座を担当し、前作『厨房男子』では、大府市の男楽会を登場させました。 監督は「ミューいしがせがやっているこんな講座や活動が、日本中のどの地域にもあった ら、家族からハミでたり、引きこもりになるおっさんは間違いなく減る。男性たちが機嫌よく幸せになれば、それは周りにいる女性たちの幸せにつながる」と考え、この映画の製作を思い立ちました。何よりも「大府のおっさんたちの明るい顔を、日本中の人にお見せしたい!」と意気込んでいます。多くの市民の協賛を得て、「おっさんずルネッサンス製作実行委員会」も出来、サポート活動を続けています。 大府発のこの映画は、きっと現在の日本の「おっさん」たちだけでなく、今後必ず「その時」をむかえる男性や、その人たちと向き合う女性や家族の共感を得ることでしょう。

シネマジャーナルHP 『おっさんずルネッサンス』作品紹介
『おっさんずルネッサンス』公式HP

高野史枝監督インタビュー

Q1:『おっさんずルネッサンス』は、監督が2015年に製作された『厨房男子』に続く2作目のドキュメンタリー映画ですね。製作に至るまでの経過を教えてください。

高野史枝監督:前作の『厨房男子』は、「私の親しい男性(夫、息子、友人、友人の配偶者など)が料理を作り、みんなで一緒に食べる」という、わかり易い映画でした。そんなシンプルさが気に入っていただけたのか、名古屋の映画館で1か月の上映が叶い、その後も大阪や京都、神戸、横浜などの劇場で上映、映画祭へも出していただけるなど、「ビギナーズラック」な作品になりました。劇場公開が終わった後も、日本中あちこちの自主上映会に招かれてお話する機会に恵まれましたが、その時、観客の皆さんの反応が抜群によかったのが、「定年後のおっさんたち45人が挑む2500個のコロッケ作り」というパートだったんですね。「なぜみんな、あんなに仲良く楽しそうなんですか」「高齢者がコロッケをうまく作るのにビックリ!あの腕はどこで身に着けたの?」…と関心を持って感想や質問をしてくださるのは、登場人物と同年配(60~70代)の男性諸氏。その年代の方々は、「定年後の人生をどう生きたらいいのだろう。その参考にならないか」という切実な気持ちで映画をご覧になっていたんでしょう。
その反応に出会い、「そうだ!私は定年後の人生を生き生きと過ごす人たちを、大府でたくさん見ている。あのおっさんたちの生き方を『映画で見たいな・・・』と思う人は大勢いるかもしれない…」というアイデアがヒラメキました。それが運の尽き…ではなく(笑)、「おっさんずルネッサンス」製作のキッカケになりました。舞台になる愛知県大府市の施設、「石ヶ瀬会館(ミューいしがせ)」からも、ご協力いただけるというお返事があり、『厨房男子』でコロッケを揚げていたおっさんたちからも、「ええよ~やろまい。(やりましょう。名古屋弁です)」という「ご許可」が出たので、取り掛かることになった・・・というわけです。

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Q2:大府市のおっさんたちを「撮りたい!」と思った一番の理由は何ですか。

監督:まず何より「表情が明るくていいな」と思ったところ。ほら、高齢の男性って、眉の間にしわ寄せて、不機嫌そうな顔してる人が多くないですか? 大府市のメンズカレッジ、男楽会のおっさんたちは「眉間にしわ」寄せてません。威張ることなく、コミュニケーションを取るのが上手で、基本楽しそう。ひとことでいうと、「いい顔してる」人が多いんです。
長らく大府市の「ミューいしがせ」で映画講座を担当していて、前作にも出てもらって、大府のおっさんたちとすっかり仲よしになりました。皆さんとお話しているうち、「料理が上手く、女性と偏見なく話ができるステキなおっさんが大府に多いのは、たまたまじゃない。彼らが『ミューいしがせ』の講座や活動に参加しているからなんだ」と分かってきたんです。もちろん講座の内容が素晴らしいという事なんですが、もう一つ、おっさんたちに影響を与えているのが、メンズカレッジの姿勢だ」と考え付きました。
ここでは「前歴は一切問わない、言わない。上下関係のない平(たいら)な関係)」が前提になっているんですね。これって、男性が集まる組織ではかなり珍しい。活動には全員が加わり、仕事は公平に分担します。ここではみんなが社会の裃(かみしも)を脱ぎ捨て、一人の人間として向かい合うことからスタートしています。市長がコロッケ作りに参加しても、先月まで県議会議員だった人が出し巻き焼いてても、みんな平気で「下手だな~」「アンタ、家でもっと料理せなイカンわ」と、ハラハラするほど遠慮がない。権力や肩書、上下関係から解放され(「会社の毒気が抜けた」・・・とでも言えばいいでしょうか)、家族や周りの人の役に立つ喜びを知り、友だちと一緒に人生を楽しんでいる明るい顔したおっさん・・・こんなチャーミングなおっさんたちだからこそ、撮りたくなったんです。

Q3:大府市の皆さんの、熱心な応援があったようですね。

監督:はい。その通りです。今回「ミューいしがせ」を中心にした関係者の皆さんは、この映画の製作を本当に熱心に応援してくださいました。製作を決めるとすぐに、25人からなる「おっさんずルネッサンス製作実行委員会」(実行委員長・広川希依子さん)を立ち上げて毎月会議を持ち、大府市、大府商工会議所、大府市社会福祉協議会へ後援のお願いに行くときも、企業へ協賛のお願いに行くときも、必ず同行してくださったんです。地元の人間ではなく、顔もなく、当然信用もない私に対し、すぐに後援を決めてくださったり、応援カンパを出していただけたのは、この「後ろ盾」の皆さんへの信用以外の何物でもありませんでした。その後も製作資金集めについて一緒に悩んだり、撮影したい場所や人にはすぐに繋いだり、申請や許可を取りに走ったりと、普通ならフィルムコミッション(*)がやるような事もこなしてくださいました。ほんとうに、実行委員会の皆さんがいなかったら、この映画は出来ませんでした。
「ありがとうございました」と、心からお礼がいいたいです。
(*)映画製作の撮影支援をする機関。地方公共団体や観光協会が事務局を担当し、撮影場所のアドバイスや申請業務をサポートする

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Q4:今回の映画製作で苦労されたところは・・・

監督 一つ目は、撮る対象との距離ですね。特にメインで撮る予定の男楽会の皆さんとは、あまり遠慮のない関係。撮影でカメラが回ってても気にせず、全くいつも通りなのはありがたいんですが、カメラのこっち側にいる監督の私にも気楽に話しかけてくる(まあ、ワタクシメなど「監督」だなんて認識がないんでしょうが…)コロッケ作りの時、棒アイスを食べながら料理をやってるおっさんたちを撮ってたら、「アンタも食べやあ」と、私のところまでわざわざアイスを持ってきてくれた…(「あ、ありがと」と、つい受け取る私も私ですが)。「今の、もう1回やって」とお願いしても、「めんどくさい、ヤダ!」・・・よく知るためには仲良くならなくてはならないし、仲良くなりすぎると遠慮がなくなるし・・・・難しいものです。
二つ目は、自主映画を作っている人なら全員持ってる悩み、「製作資金不足」です。はい、私もそれに苦しんでいます。第一作目の時は、「何をやればいいか」ということすらわからず、一人でキリキリ舞いしてクタビレ果てたニガ~い経験があるので、今回は知人友人の様々なプロを総動員し、PR関係などは全部お願いして、労力の軽減を図りました。これでかなりのラクと責任転嫁はできたけれど、プロに頼んだ以上、最後にその請求書は必ずやって来るという事に気づきませんでした! 結局、最初にお話した「資金不足」という根源的な苦労は舞い戻ってきたのでした。
ジョーク好きな友達は、会うたび「いつ家売るの?」と挨拶してくるし・・・売りたくないんですけど~(泣)。

Q5:撮影中のエピソードはありますか。

監督:撮影に行った日本福祉大学の坂道で、ころころすってーん!と見事に転び、肋骨にヒビが入ったこと、編集に時間がかかり、2ヶ月近く外出しないで(歩かないで)机に向かっていたら、ある日突然、弱った膝裏の筋肉が「ピキッ!」と切れたこと、撮影に夢中になっていて、行く先々で眼鏡を忘れ、4つあった眼鏡が1つになったこと・・・あれ、これってエピソードじゃないですね。単なる「加齢現象」でした。失礼・・・。
そうそう、撮影担当のノンちゃん(城間典子)はイケメン好き。おっさんの中でも、特にご贔屓の「押しメン」がいて、微妙に彼のシーンが多かったような気が・・・(笑)。探してみてください。

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Q6:女性監督は、女性を主人公にして描くことが多いのですが、監督の作品は、なぜ2作とも男性が主人公なんですか。

監督:私は「映画界にもっと女性監督やスタッフが増えなくてはならない」と、ずっと言い続けてきて、とうとう自分も監督になってしまったようなヤツです。それは「女性監督は女性の発想が理解できるので、男性監督とは違う視点で女性像が描けるはず。映画でそれが見たい」という自分の思いが強かったからなんです。ここ10年近く、女性監督の数は飛躍的に増え、毎年行っている「大阪アジアン映画祭」では、2019年コンペ部門に入選した14本の作品中、8本が女性監督の作品だった…というほどになりました。
ご質問の通り、女性監督は女性を描くことが多いです。男性監督が勝手に「解釈」した女性ではなく、女性監督が描いたリアル女性像を見て、男性が女性への理解を深める・・・という状況が、もっと進んでほしいです。それと同時に私は、「女性はこんな男性が好き。男性にこうなってほしいと思ってるのよ~」という直接的なアピールもしたいな・・・と思ってました。ドラマではなく、ドキュメンタリー映画なら、それができるんじゃないかな・・・と思って『厨房男子』(2015年)を作りました。内容はズバリ、「女性は料理する男性が好き!」。わかりやすいですね。では、「おっさんずルネッサンス」という映画で、私がしたいアピールは何か?それは、「男性がシアワセに暮らしていないと、女性もシアワセになれない」です。結婚している人なら、夫の定年後は顔を突き合わせる時間が増えます。そんな時、夫が「やることも行くところも友人もなく、終日ムッツリして家から出ない」「しかも食事は3回キチンと食べる」という状態になったら、妻はきっと「こんな生活ゼッタイいや!」と思うに違いありません。こんな夫も大してシアワセではないでしょうが、妻もまた不幸せです。実際私の女友達など、「定年後、夫が毎日家にいるかと思うと恐怖」「そうなったら離婚を考える」と広言してます。
でも、大府の「ミューいしがせ」の「メンズカレッジ」講座生、そこを卒業した「男楽会」の皆さんはぜんぜん違います。やることがいっぱいあり、家族にも地域にも溶け込んで、楽しく暮らしています。こんな「豊かなセカンドライフ」を送るおっさんたちをお見せしたかった!
 これが、男性を主人公にした「おっさんずルネッサンス」を作った理由です。

Q7:この映画を、どんな人達に、どんな風に見ていただきたいですか。

監督:やはり、定年が視野に入ってきた男性、その配偶者や家族の方に、ぜひ見ていただきたい!
定年後を過度に恐れるんでもなく、楽観視もせず、「今までとは違った人生が始まるんだな。そのために考えておかなくてはならないことがあるんだな(経済的な問題は知りませんケド)」と、知っていただけるといいなァ・・・と思います。実際、この映画にはいろいろなヒントがあると思いますしね。自分の親がこの年代に差し掛かった30代、40代の若い方も、「親へのアドバイス・励まし」のためにご覧になっておくといいんではないでしょうか。親が無気力になり、元気に暮らしていないと、結局負担は子どもの肩にかかってきますから・・・。
また、自治体の「生涯学習」「高齢者関連部署」の方々、地域の公民館や女性会館などの担当者の方々に見ていただけたら、地域で求められているものを知るきっかけになり、今後の支援活動がより的確なものになるんではないかと思います。まあ結局、「皆さん見てくださいね~」に尽きますが・・・。
『おっさんずルネッサンス』パンフレットより転載
写真クレジット:おっさんずルネッサンス製作実行委員会
まとめ:宮崎 暁美

『だれもが愛しいチャンピオン』ハビエル・フェセル監督インタビュー

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*ハビエル・フェセル監督プロフィール*
1964年スペイン・マドリード生まれ。マドリード・コンプルテンセ大学でコミュニケーション学の学位を取得。著名なジャーナリストで、監督、脚本家でもあるギレルモ・フェセルを兄に持つ。1990年代半ばにいくつかの短編を監督したのち、『ミラクル・ペティント』(98)で長編デビュー。子供に恵まれない老夫婦と宇宙人の奇妙な交流を描いたこのSFコメディで、ゴヤ賞の新人監督賞にノミネートされた。
フランシスコ・イバニェスの人気コミックを実写映画化した長編第2作のスパイ・コメディ『モルタデロとフィレモン』(03)では、ゴヤ賞の編集賞、美術賞など5部門を受賞している。その後はゴヤ賞で作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞など6部門に輝いた『カミーノ』(08・ラテンビート映画祭)を発表。『モルタデロとフィレモン』のシリーズ3作目にあたる長編アニメ『Mortadelo y Filemón contra Jimmy el Cachondo』(14)では、ゴヤ賞のアニメ映画賞、ガウディ賞の長編アニメ賞を受賞した。

『だれもが愛しいチャンピオン』作品紹介はこちら
2018年/スペイン/カラー/シネスコ/118分
(C)Rey de Babia AIE, Peliculas Pendelton SA, Morena Films SL, Telefónica Audiovisual Digital SLU, RTVE
★2019年12月27日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて順次公開

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フェセル監督はこれまで1999年、2008年に映画祭などで来日されています。今回到着してまず京都に行かれた監督、「24時間ではとても足りません。また何回でも行きたいです」とのことでした。
(通訳:比嘉世津子さん)


―明るくて元気な映画で、これまでの障がい者が主演の映画の印象をひっくり返してくれました。

知的障がいのある方というのは、世界の見方がとっても前向きです。楽しくて、キラキラと光っているものとして見ています。そういうところが自分たちに元気を与えてくれるのだと思います。
みなさんが先に辛いとか苦しいとか思ってしまうのは、たぶん彼らのことをよく知らないからです。今回は、現実の彼らの考えや行動をできるだけ出そうとしました。彼らを知れば知るほど、彼らとのコミュニケーションはほかの人よりも簡単だとわかります。なぜかというと、彼らは頭でなく心でコミュニケーションをとるからです。

―私の知っている障がいのある方も裏表がなく、嘘を言わない、純真な心の持ち主です。

みんな常に本当のことを言います。それが攻撃にならないのは、彼らが裏表なく誠実だからなんですね。今の社会は知的には発達してきたかもしれませんが、精神的には本当に愚かになってしまっています。彼らの純粋な言葉を聞く耳を持つということ、彼らがどれだけ社会に貢献できるかということが、この映画を作ったことでよくわかりました。

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―今回600人もの中からオーディションで出演者を選ばれたそうですが、重要視したことはなんですか?

キャスティングは柔軟に行いました。脚本はあったのですが、最初の主な出演者は7人でした。とても面白いと思った人たちを入れたら9人になりました。たとえばグロリアです。脚本には女性はいませんでした。その中に彼らの個性、話し方、まなざし、人生の経験などそれらを入れ込みました。
マリン役のヘスス・ビダルは知的障がいではなく、視覚障がい者です。彼を入れて10人のメンバーです。

―ヘススさんが一番先に出てきた方ですね。とても印象に残りました。グロリアは予定外に入った女性メンバーなんですね。

みんなそれぞれ魅力的な人々です。
グロリアは私が出会った中でも美しい人だと思います。常にエネルギッシュで力強く、同時に優しさと大きな心を持っています。グロリアはダウン症で小柄なんですが、彼女がこのチームに加わると、物語を動かす力になるということがわかりました。

―この10人のメンバーは本当に個性的で、大きかったり小さかったり、見た目もバラバラです。意識して選ばれましたか?

もちろんキャスティングのときに似たような人はさけて、この人が唯一と思われる人を選びました。そして一人ひとりみんな違う、そういう人が一つのチームを作るところが面白いのです。
600人の人たちの組み合わせ次第で、違ってくる。いろんな物語ができるわけですね。
リメイク権を売るときにつけた唯一の条件は「ほんとの知的障がい者を採用する」ということです。それを抜いてしまったらこの映画の魂はなくなってしまいますから。

―撮影するうちに脚本が変わっていくことはありましたか?

撮影自体はなるべくシンプルに、彼らに注目して行いました。思いがけなく起こることを逃さないように努力しました。この映画の中にある面白いことの大半は、テストのときに彼らから即興で出たことなんです。それを本番に入れ込みました。だから彼らはもうこれは自分たちの映画だと、どんどんいろんなことを提案してくれるし、やって見せてくれました。

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―台詞も彼らの中から自然に出てきたものが多いのですか?

キャスティングした後で書き直した脚本には、普段の言葉を入れ込んでいます。誰かを演じているのでなく自分自身であり、全てが現実のドキュメンタリーのように撮れたと思います。映画の中にグロリアが男性に「馴れ馴れしく呼ぶな」という場面があったのですが、それは実際、彼女とプロデューサーのやりとりで言った言葉なんです。

―試合のシーンがたいへん盛り上がって、観ていてハラハラしました。どんな風に流れを作って撮影されたのでしょう。

知的障がい者のバスケットボールのチームは実際にあって、彼らの試合を見ていたのですが、彼らの目的は勝つことではないんです。実力の差があったとしても、お互いにとても信頼しあっています。それを映画で見せることが目的でした。
もちろん流れというのはある程度決めてはありました。けれどもできるだけ彼らが自由にゲームをして、ほんとにそれを楽しんでいられる環境を作りました。

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―バスケットボールのルールは同じものですか?

いいえ。それぞれの障がいによって違うルールがあります。たとえばボールを持ったまま走ってもファウルにならない、とか。
そしてとても面白いルールがあるんです。「20点以上入ったら、それ以降の点は相手チームに入る」というものです。

―え?? それは大きな差をつけないということでしょうか?

そうです。レベルの差がありますから、あまりがっかりさせないように。それは普段の生活でも大切な教訓になるんです。

―初めて聞きました。それでみんなが仲良く楽しんで終わるんですね。

そうそう。ですから映画のラストは私が作ったフィクションではなく、知的障がい者のチャンピオン・リーグでほんとにあったことです。2位になってもここまで来たことを喜び、相手チームが勝ったことも喜ぶ。プロのチームでは負けると自分を責めたりしますが、それと違って互いに喜び合うんです。

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―日本では、親たちが亡くなった後の子どもたちのことを心配しています。スペインではその点福祉が充実しているのでしょうか?

スペインも同じです。これは世界中同じだと思います。ですから社会の中に障がい者の人たちのできる仕事、居場所が必要です。家族というよりは、社会参加の機会があり、社会の中で根付くことが一番大事です。彼らは非常に働き者で、誠実で信頼できる人たちなので、社会に対して大きな貢献ができると考えています。

―ありがとうございました。

=インタビューを終えて=
この映画が大好きで、監督が来日されると聞いてすぐに取材をお願いしました。ハビエル・フェセル監督はお髭の似合う素敵な方でした。魅力あるメンバーの1人1人について伺いたかったのですが、時間が足りず。撮影が楽しく実りあるものであったのは作品を観るとわかります。
バスケットボールのルールの違いは初めて知ることでした。勝ち負けにこだわらず、試合そのものを楽しむ姿勢はなんと素敵なのでしょう。世界も日本も効率よくお金儲けすることばかりに走って、その間に大事なものをぼろぼろと落としてしまっているような気がします。その代表のようなマルコの姿に、いろいろと思うことがありました。最後の質問に「障がいのある子どもたちを残していく親の気持ちは世界共通、だからこそ社会の中に彼らの居場所を作らなくては」とのお答えには、深く共感しました。
スペイン語の響きは聞きやすいし、親しみがあります。ムード歌謡にもよく使われていました。覚えたら楽しそう~。どうぞ映画館で”アミーゴス”を応援してください。(取材・監督写真 白石映子)

『サイゴン・クチュール』グエン・ケイ監督インタビュー

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グエン・ケイ監督 プロフィール
脚本家として活躍後、アメリカ、日本(NHK「kawaii project」)、イギリスで映像分野で実績を積む。ベトナムへ帰国して、“Tèo Em”の大ヒット後、2013年に脚本家集団 A Type Machineを創設。ゴ・タイン・バン主演のアクション映画『ハイ・フォン』では歴代興行成績を塗り替えるほどの大ヒットを飛ばす。一大ブームを引き起こした本作では脚本と監督を担当。 最新作はヴィクター・ヴー監督の“Mat Biec(原題)”をプロデュース。
『サイゴン・クチュール』(原題:Co Ba Sai Gon)
紹介記事はこちら
2017年/ベトナム/カラー/100分
(C)STUDIO68
配給:ムービー・アクト・プロジェクト
HP http://saigoncouture.com/ 


―69年というと自分の青春時代で、当時のメイクやファッションなど似ていて懐かしいです。60年代後半から70年代は、日本ではベトナム戦争の時代という印象が強いのですが、この映画は戦争中を思わせる場面はなく、明るい暮らしを描いています。これは狙ったものですか?

そうなんです。あれは私の反戦の精神を表しているつもりなんです。戦争で一番辛かったのは男性だと思うのです。戦場に行かなければならなかったし、行かない人もまた自分たちの暮らしを守らなければなりませんでした。女性たちも戦争の時代の中でも、決して自分たちの務めを忘れませんでした。それは伝統を発展させること、自分たちのルーツを守ることです。
文化というのは、いつもいつも流れていて戦争中でもそれを守るのは止めてはいけないことでした。あのころビートルズも歌っています。「Ob la di,ob-la-da,life goes on♪」って。ライフゴーズオン、人生は続くんだ、ということですね。

―アオザイ仕立ての老舗にはモデルがありましたか?

日本も同じだと思うんですが、アーティスト、たとえば日本でも飾り職人とか代々受け継がれていく家業というものがありますね。アオザイも同じで、主にそれは女性が受け継いでいきます。そういうお店はたくさんあって、どこか一軒ということではなく、全部がモデルになっています。

―エピソードが母と娘ですね。日本では家業は息子が継ぐことが多いです。ベトナムは女性が強くて、能力も高いんですね。

大阪のおばちゃんと同じなんです。女が強い(笑)。

―さきほどの戦争のことですが、男性ばかりでなく、女性も戦場で男性と一緒に戦っていましたよね。ベトナムの女性は強いなとそのころから思っていました。その流れはあるでしょうね?

ベトナムには4000年の歴史がありますけれど、最初は母系家族でした。中国からの影響を受けて、父系家族となったわけです。でもやはり本質の母系家族に加えて、戦争中男性がいなくなったことで女性の価値はあったんです。それが続いていて現在の社会においても、いろいろな企業のトップに女性が就いています。たとえば航空業界ではベトジェットエアー、銀行業界にもいらっしゃいます。
          
―この映画が監督第1作ですか。

監督として1本目の作品です。ベトナムの映画界はまだ男性が支配しています。私にとってはとてもラッキーなことにスタッフがほぼ女性で、監督デビューのとても良い機会になりました。
この1本目に出会えるまで非常に長い時間待ちましたので、これで良い結果を出そうと努力しました。このおかげで、2本目3本目と続くことになっています。

―今回の脚本は監督が主に書かれて、ほかの方々(脚本:A TYPE MACHINE=8人の女性脚本家集団と資料に)に意見を聞いたということですか?8人ってどういうことなのかな?と不思議で。

今回は書き直したのでとても急いでいました。最初私の役割はスクリプト・ドクター(みんなで書きあげたものを最終的に見る)だったのですが、昨日のインタビューで言ったように、初めは姉妹の話だったのが、母と娘の話に変わったので全部書き直さなくちゃいけなくなりました。これは時間がかかるので、私一人でやることにしました。それでドラフトができるたびにその8人のチームに見てもらって進めていきました。
書くのは1人で後はコメントをしてくれるんです。多くても2人までですね。チームとして同時に4,5本のプロジェクトを抱えていて、それを8人でやっているということなんです。

―スタッフ・キャストとも女性が多い作品ですね。

プロデューサー、脚本、それにこの作品には大スターの女優が6人も出演しています。一人ひとりが主役を張れるような人たちが、1本の映画に全部顔を出してくださいました。それだけ私たちの意図をくんで、同意してくださったということです。
 
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―ゴ・タイン・バンさんはどんな方ですか?

彼女はとても強い女性です。10才のときに家族とノルウェーに移住し、20才でベトナムに戻ってキャリアを始められました。その後ハリウッドにも行って映画の仕事をしています。あまりに強いので、高圧的だという風にいわれることもあります。彼女は多くの経験や能力を持っているので、この映画のキャストや製作期間、衣装などについてもいろいろなリクエストをみんなに出してきました。
ただ、ゴ・タイン・バンさん、それに衣装デザインとプロデューサーでもあるトゥイ・グエンさんみんなに、この映画は伝統的衣裳のアオザイを尊重するという共通の目的がありました。それを達成するために意見を交換して映画を作ってきました。一緒に仕事をしてたくさんのことを学ぶことができましたし、とても成長しました。良かったと思っています。

―ほかに女性監督はいらっしゃいますか? 

少ないですね。一つ上の世代ですと、デイ・リン・クオ監督、ベト・リン監督がいますが、最近作品は作られていませんね。私と同じような年代でいうと、ラブストーリーのルック・バン、アート系だとグエン・ホアン・ディエップ(*)がいます。ゴ・タイン・バンさんも1本監督しているんですが、作ってみたら大変だったので、もう監督はやらないそうです。
例えばですね。監督が女性であってもカメラマンは男性なんです。そうすると男性のほうが強く言ってきます。

―女性カメラマンはいないんでしょうか?

世界的に言って、カメラマンと照明は男性ばっかりなんです。

―(宮・白同時に)日本にはいますよ。

カメラマンになりたい!(笑)

―京都で作る予定の第3作を日本の女性カメラマンで作るのはどうでしょう?

いいですねぇ。
(ここで、高野文枝監督作品のカメラマンだった城間典子さんの話になる。京都在住なので、ご縁ができるといいですね)

*アジアフォーカス福岡2016で上映
『どこでもないところで羽ばたいて』2014年/ベトナム・仏・ノルウェー・独/98分
原題:Đập cánh giữa không trung/ 英題:Flapping in the Middle of Nowhere


―第2作はどこまで進んでいますか?

脚本はもうできています。2020年3月に撮影予定です。お話は、アメリカに住んでいる17,8歳の娘が主人公です。親がいないという設定で、ハリー・ポッターのように意地悪なおばあさんの家にいます。実は彼女の本当のおばあさんはアオザイ作りの名人だったと知ります。彼女もアオザイを作りたくてもアメリカで学ぶことはできず、ベトナムへ帰ります。そこで、30代で亡くなったおばあさんのゴーストに出会うことになります。

―なんだか楽しそうな作品です。この作品との繋がりは?

繋がりはないのですが、同じようなエピソードがあってタイムスリップします。最後の皇帝がいた時代に戻るんです。(ベトナム帝国皇帝バオ・ダイは1945年8月30日に退位を宣言)

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―この作品で、現代にタイムスリップしたニュイは未来の自分に会います。これまでのタイムスリップやトラベルでは、自分に会うのはタブーでした。若いニュイは過去に戻って、真面目に励むわけなんですけど、そうすると未来に影響があって大きく変わるはずです。そこを2で描くのかと想像していました。

お~、これもいいアイディアですね。ちょっと書いておきます。(と別室にいく監督。紙とペンを手に戻りました。いつもアイディアをすぐ書きとめるのだそうです。ここで時間いっぱいとなりました)

―今日はどうもありがとうございました。
(取材・写真:白石映子、宮崎暁美)

=取材を終えて=

グエン監督から開口一番に「今まで日本の女性は結婚すると仕事をやめてしまうのだと思っていましたが、間違いだということがわかりました」と言われました。こんなシニアコンビの取材は初めてでしょうね。
宮崎が「シネジャはボランティアで32年続いているミニコミ誌です」と説明すると驚かれました。差し上げた102号の表紙がちょうど『サイゴン・クチュール』だったので監督いっそう喜ばれ、良かった~。
黒いスーツ姿の監督に「今日はアオザイじゃないんですね」と言うと「持ってきましょうか」とすぐ立たれます。後で見せていただくことになり、本題へ。
インタビューが終了してから、アオザイを見せていただきました。昨日のお話の背中側がどうなっているのか、やっとわかりました。ゆるみの幅左右に紐を通す小さな輪が7,8個ずつ。上から下へ編み上げ靴のようにコードをクロスさせて調整します。残ったコードはウエストあたりで蝶結びに。「サイズがよく変わるので、デザイナーのトゥイ・グエンさんに作ってもらいました。オートクチュールです」とグエン監督。たくさんの色とりどりの花はかぎ針で一つずつ編まれた可愛いものでした。あらたまった席に着て行かれるそうです。(白)

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1969年というと、私は高校3年生で、ちょうどベトナム戦争が激化していた頃。日本でも連日、ベトナム戦争のニュースがTVで流れ、報道雑誌などにも頻繁にベトナム戦争と人々の姿を写した写真が掲載され、本や文章にもたくさん書かれていました。それらを見ていた私は何かできないかと思い、べ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)のデモに参加するようになりました。そんな経験があり、ベトナム戦争後の復興は常に気になっていました。そしてベトナムは私の人生、生き方にとって大きな影響を受けた国になりました。
映画に興味をもつようになってからもベトナムを描いた映画というと観にいっていました。ベトナム戦争関連の映画がどうしても多かったし、他の国の人がベトナムを描くときも、商業映画であれ、ドキュメンタリー映画であれベトナム戦争が舞台だったり、伏線だったり、枯葉剤の影響だったり、どうしてもそういうことからは離れられずにベトナムの変化を見てきましたが、その後、アート系の映画も上映されるようになりました。
そして、第11回大阪アジア映画祭2016でベトナム映画特集があり、そこで『超人X.』のようなアクション映画、『ベトナムの怪しい彼女』のようなコメディタッチの映画が上映され、ベトナムにもとうとうこういう映画が出てきたと思いました。そして第13回大阪アジアン映画祭2018で『仕立て屋 サイゴンを生きる』と出会いました。おしゃれでポップ、でもそれだけでなく重厚さも感じさせる作品でした。これはぜひ日本で公開してほしいと思っていたら、『サイゴン・クチュール』というタイトルで日本公開されることになり、とても嬉しく思いました。大阪では監督にお会いできなかったのですが、今回、監督にインタビューできると聞いてぜひお会いしたいと思いました。こんな映画を作った監督はまだ若い女性でした。これが第1作と言っていましたが、この後、3作まで予定があるとのこと。とても頼もしく思いました。でも、ベトナムではまだまだ女性監督は少なく、それ以外の部門はもっと少なく、撮影をやっている女性はまだいないとのことでした。次作は京都で撮るとのことなので、ぜひ日本の女性撮影者と組んで映画を作れたらいいなあと思いました。(暁)

『ある女優の不在』 主演女優ベーナズ・ジャファリさんインタビュー

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第20回東京フィルメックスで、特別招待作品として上映され、主演のベーナズ・ジャファリさんがコンペティション部門の審査員として来日されました。 上映の行われた11月24日にインタビューの機会をいただきました。

『ある女優の不在』   原題:Se rokh 英題3 faces
監督:ジャファル・パナヒ
出演:ベーナズ・ジャファリ、ジャファル・パナヒ、マルズィエ・レザイ

*物語*
人気女優ベーナズ・ジャファリのもとに、見知らぬ少女から悲痛な動画メッセージがパナヒ監督経由で届く。女優を志して芸術大学に合格したのに家族に反対され自殺を図るというのだ。ベーナズはパナヒ監督の運転する車で、少女マルズィエの住む北西部アゼルバイジャン州のサラン村を目指す。山間のじぐざぐ道で結婚式に出会い、誰かが自殺した気配はない。マルズィエの家を探しあてるが、3日前から家に戻らないと母親が困り果てていた。芸人に対する偏見が根強い村で、弟も姉が女優になることに猛反対で荒れ狂っている。
やがて、マルズィエが町外れで暮らす革命前に活躍した女優シャールザードのところに身を寄せているのを知る・・・
シネジャ作品紹介

2018年 カンヌ国際映画祭 コンペティション部門 脚本賞受賞

2018年/イラン/ペルシア語・トルコ語/カラー/ビスタ/5.1ch/100分
配給:キノフィルムズ
公式サイトhttp://3faces.jp/
★2019年12月13日(金) ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

ベーナズ・ジャファリ
イラン国内にて、TV,、映画など幅広く活躍している人気女優。日本公開作品では、サミラ・マフマルバフ監督『ブラックボード 背負う人』(2001年)にHalaleh役で出演。
映画祭上映作品では、 『シーリーン』(キアロスタミ監督、2008年東京国際映画祭)『ガールズ・ハウス』(シャーラム・シャーホセイニ監督、2015年東京国際映画祭)、『恋の街、テヘラン』(アリ・ジャベルアンサリ監督、2019年アジアフォ―カス・福岡国際映画祭)に出演している。


◎インタビュー

― 東京フィルメックスの審査員として来日され、嬉しい限りです。東京はいかがですか?

ベーナズ: 日本は憧れの国だったので、ほんとに嬉しいです。

― 審査員としての来日なので、長く滞在できますね。

ベーナズ:たったの2週間しかビザがおりないの。
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◆完璧な脚本を持ってパナヒ監督の故郷で撮影
― 『ある女優の不在』は、パナヒ監督らしい映画でした。パナヒ監督が、綿密に書き込んだ脚本だとわかっているのに、もしかしてこれはドキュメンタリーなのかと思わされる箇所もあります。ベーナズさんは、パナヒ監督からオファーを受けたとき、結末まで書かれた脚本をご覧になったのでしょうか?

ベーナズ:ファーテメ・モタメド・アリアーさんに出演してもらう予定だったのに、急に駄目になって、私に突然オファーが来ました。脚本には、すべて書かれていたけど、ファーテメさんに当て書きされていたので、多少、私に合わせて書き換えてくれました。例えば、少女を叩く場面は、私ならもっときつく叩くと、変えてくれました。

― 撮影は、パナヒ監督のお母様、お父様、祖父母の生まれた村で行われたそうですね。パナヒ監督は、ロケ地での状況にあわせて、エピソードを映画に加えたということもあるのでしょうか?

ベーナズ:カンヌでも何度も聞かれました。パナヒ監督は映画を撮ってはいけないことになっているので、スピーディに撮らないといけません。決まった撮影期間の中では、偶然を取り入れて撮り直す余裕はありません。カット割りもすべて完璧に決まった中で撮影しました。
親戚がいっぱい住んでいるところなので、皆が撮影に協力してくれました。撮影していることを隠すこともできました。映画に出ている人も親戚や知り合いが多いのです。
撮影許可は助監督の名前で、あの村で短編を撮るという形で取っていました。一度、村を出たところで警官に捕まったのですが、私が降りていったら、「ジャファリさんですね」と言われたので、「テレビの撮影です」と言って、うまく逃げました。ちょうどドラマの撮影が終わったところで、ドラマでの役柄で髪の毛を赤く染めたままでしたので。


(私が一生懸命メモを取っているところを、スマホで動画を撮るベーナズさん)

◆アジアフォーカス出品作に出ていた
― 今年のアジアフォ―カス・福岡国際映画祭で上映された『恋の街、テヘラン』にも出演されていましたね。 『ある女優の不在』を観た時には気がつかなかったのですが、今、ご本人にお会いしてわかりました! 結婚式場のカメラマンをしているニ―ルファ―ですよね。

ベーナズ: そう! ニ―ルファ―。
 (ここで、映画の中で歌われていた「ニ―ルファ―」の歌の出だしを歌ってくださいました。)

― 少し飛んでる女性で、この映画のベーナズさんと同一人物と思えませんでした。どちらのキャラクターがご自身に近いですか?

ベーナズ: 女優という本人役で出ているから、もちろんこちら(『ある女優の不在』)でしょう!

(でも、実は、東京フィルメックスの記者会見の最後にとても陽気な面も見せてくださって、ニールファーに近い面もあると思いました。)
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◆尊敬する監督だから、出演を即決
ー 映画製作を禁じられているパナヒ監督の映画に出たのは、とても勇気があると思ったのですが、出演することに、なんの躊躇もなかったですか?

ベーナズ: カンヌ国際映画祭に参加して帰国してから、当局に呼ばれました。「なぜ、撮影禁止のパナヒ監督の映画に出演したのか?」と聞かれたので、「あなたたちの規則ではパナヒ監督は映画を撮ってはいけないのでしょうけど、私には私の役者としてのルールがあって、尊敬している監督の映画だから出て学びました」と言ったら、大丈夫でした。

ー すごく心配していましたが、お咎めなしだったのですね。

ベーナズ:イランではその時に何も言われなくても、3年後に言われるかもしれません。または、3年位、オファーが来ないなぁ~、自分は駄目だな~と思ったら、実は当局が何かお達しを出していたということもあるかもしれません。

― 今のところ、オファーはあるのですか?

ショーレ: メヘルジューイ監督の新作映画に出てますよ。

― 今回の、フィルメックスでメヘルジューイ監督の『牛』が上映されますよね。メヘルジューイ監督には、2004年のアジアフォーカス福岡国際映画祭で『ママのお客』が上映された折にお会いしました。もう15年も前のことですが、今、お元気ですか?

ベーナズ:82歳になられましたが、お元気ですよ。

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◆猫背を師に叩かれ、女優になる決意をする
ー ベーナズさんは、20歳頃から女優をされていますが、いつごろから女優になりたいと思っていましたか? 何か、きっかけになった映画や、出来事は?

ベーナズ: 最初、美術の専門学校でグラフィックを学んだのですが、その後、大学で演技を学びました。ほんとに役者になりたいと思ったのは、その時、先生だったゴラーブ・アディネさん(注:メヘルジューイ監督の『ママのお客』(2004年)のママ役の女優で、やはり2004年のアジアフォーカス福岡国際映画祭でお会いしています)から、背中を曲げて座っていたら、ポンと背中を叩かれて、「役者になるんだったら、ちゃんとまっすぐ坐りなさい」と言われました。女優はすべての仕草を普段から見られているのだとわかりました。これから役者になるのだったら、煙草も吸えない、唾も吐けない、ちゃんと歩かないといけない、ちゃんと座ってないといけないと。アディネさんに叩かれて、私も役者になれるんだ、女優になろうと思いました。
今、私自身、演技を教えているのですが、いつも生徒に言うのは、役者になったのは有名になりたいわけじゃなくて、演じることが好きだったから。写真をビルボードに載せたいわけでもないし、大きなポスターもいりませんと、いつも言ってます。私が役者になったのは、先生たちのお陰です。大学では、エディネさんのほか、舞台で有名なサマンダリアンさんや、映画監督のバハラム・ベヘザーイ氏などに教わりました。


― 素晴らしい先生たちに恵まれたのですね。

ベーナズ:ほんとに、そう思います。今、自分の生徒はかいわいそうです。

― 映画やテレビで演じながら、教えることもしているのですね。

ベーナズ:今、専門学校二つで教えていますが、私はまだ役者として半熟なので、絶対先生と呼ばないで、一緒に学んでいるのだからと生徒に言ってます。何かに先生は誰と書く機会があっても、私の名前は絶対書かないでと。ほかの役者さんは舞台で演出をする方もいますが、私は演出をしたいと思ったことも、演出したこともありません。まだまだ役者として完璧でないので、演技を学んでいる身です。

◆革命前の名優は、革命後の世代にも英雄
ー イラン革命から、40年が経ちました。今や、革命前を知らない世代が国民の半数以上を占めると思います。ベーナズさんもまだ幼かったので、革命前の記憶がないと思います。
この映画に出てきたシャールザードや、 ベヘルーズ・ブスーギのように、革命後、活動を禁止された人たちの存在を、若い世代はちゃんと知っているのでしょうか? 

ベーナズ:私たちにとって、ベヘルーズ・ブスーギは今も英雄です。父が大ファンです。日本の三船敏郎のような存在です。私たちの子ども世代も知っています。今でも、テレビで古いベヘルーズ・ブスーギが出ているモノクロの映画を放映していたら、ほかのことはしないで、テレビの前に座って最後まで観ます。

― もっとお話を聞きたかったのですが、残念ながら時間が来てしまいました。これからの活躍も楽しみにしています。
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取材:景山咲子



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東京フィルメックス 『ある女優の不在』 主演女優ベーナズ・ジャファリさんQ&A(11/24)






『種をまく人』竹内洋介監督インタビュー

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*竹内洋介監督プロフィール*
1978年埼玉県生まれ。芝浦工業大学卒。一般企業に就職後2001年に退職してアメリカで航空機免許を取得、さらにハワイで滑空機の免許を取得。2002年パリに渡り、油絵を学ぶ。その後半年間アフリカを旅し、2004年に帰国。
2006年初短編『せぐつ』を発表。2016年初長編『種をまく人』を自主製作。世界各地の映画祭にノミネートされ、第57回テッサロニキ国際映画祭では最優秀監督賞、最優秀主演女優賞(竹中涼乃)を受賞。第33回LAアジア太平洋映画祭では最優秀作品賞、最優秀脚本賞、最優秀主演男優賞(岸建太朗)、ベストヤングタレント賞(竹中涼乃)の4冠に輝いた。

『種をまく人』ストーリー
高梨光雄(岸建太朗)は3年ぶりに病院から戻り、弟・裕太(足立智充)の家を訪れた。姪の知恵(竹中涼乃)やその妹でダウン症の一希(竹内一花)に迎えられ、久しぶりに団らんの温かさにひたる。知恵は光雄が聞かせてくれた被災地のひまわりの花と幼い一希の姿が重なる。知恵は一希を愛する心の優しい姉だった。翌日、光雄は知恵と一希を遊園地に連れていくことになった。ひとしきり遊んで、光雄がちょっと目を離したとき悲劇が起こってしまう。

監督・脚本:竹内 洋介
撮影監督:岸 建太朗
助監督・制作:島田 雄史
撮影・照明 : 末松 祐紀 
録音・サウンドデザイン 落合 諌磨
カラリスト:星子 駿光
出演:岸建太朗(光雄)、足立智充(裕太)、中島亜梨沙(葉子)、知恵(竹中涼乃)、杉浦千鶴子、岸カヲル、鈴木宏侑、竹内一花(一希)、原扶貴子、植吉、ささき三枝、カウン・ミャッ・トゥ、高谷基史

2017/日本/カラー/ビスタ・DCP/117分
配給:ヴィンセントフィルム
©YosukeTakeuchi
http://www.sowermovie.com/
★ 2019年11月30日(土)より池袋シネマ・ロサにてロードショー
毎週水曜日・日曜日はバリアフリー用日本語字幕付き上映


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―着想のきっかけは東日本大震災の被災地に咲いていたひまわりと、姪ごさんの誕生だと資料で読みました。姪ごさんはこの映画に出ていた妹の一希ちゃん役で当時3才。お姉ちゃん知恵役の竹中涼乃ちゃんが当時10才。もうずいぶん大きくなられたでしょう。

2011年の大震災の半年後に、岸さん(撮影監督兼主演)と一緒に被災地に赴いたのですが、荒れ果てた砂地に咲くひまわりを見ました。その時脳裏に走ったイメージは鮮烈でした。それから翌年の2012年に姪っ子の一花(いちか)が生まれます。撮影から4年経過したので一花はいま7才、小学2年生になりました。言葉もまだたどたどしいですが彼女なりのスピードでゆっくり成長してます。とても可愛いですね。涼乃ちゃんはもう中学3年生になっています。

―2016年に完成、海外を中心にいくつもの映画祭にノミネートされて、受賞もされました。その後生活は変わりましたか?

生活が変わった実感はまるでないです。聞くところによると、テッサロニキ国際映画祭で受賞したあとは日本では少し話題になっていたようですが。ただそのときスウェーデン(ストックホルム国際映画祭映画祭)にいたので、あんまり日本の状況がよくわかりませんでした。

―テッサロニキ国際映画祭ではコンペティション部門で最優秀監督賞と最優秀主演女優賞を受賞されましたね。テッサロニキってどこ?と調べましたら、ギリシャなんですね。

テッサロニキはギリシャ第2の都市で、テオ・アンゲロプロス監督作の撮影場所としても使われていた港町です。僕も撮影監督の岸さんもテオ・アンゲロプロスの監督作品が大好きなので、「あ、これは(永遠の一日)のラストシーンの撮影場所だ!」などと毎日興奮しながら港を歩きました。そして幸運なことに、テオ・アンゲロプロス作品のほぼ全ての撮影監督を務めたヨルゴス・アルヴァニティスさんに出会いまして、実際の撮影場所でお話しを聞かせていただくことができたんです。それは一生の宝になりました。

―映画監督になる前にも世界のあちこちに行かれていますね。放浪癖がありますか?

それはあるかもしれませんね。学生時代にサン・テグジュペリの「人間の土地」や「夜間飛行」などを読んで、その世界にのめりこむうち、彼の作品の根幹を理解するには、実際に飛行機を操縦してみないとわからないと考えて、それでアメリカへ飛行機の免許を取りに行ったんです。

―そこで飛行機に繋がるんですか。謎がとけました。ハワイにも行かれていますね。

当時、日本で自家用飛行機を飛ばすのにはかなりのコストがかかったんです。でも飛行機とグライダーが合体したモーターグライダーという航空機があって、それならば日本で比較的安く空を飛べるということを教えて頂き、ハワイでグライダーの免許も取得したんです。アメリカで取得した免許は日本で書き換えることができるので、帰国後に日本で自家用飛行機とグライダーの他に、モーターグライダーの免許も取得しました。アメリカは土地も広く、飛行機での移動も比較的一般的なのですが、日本で自家用飛行機を持っていても飛べる場所が制限されてしまいますし、飛行機の文化が日本で根付くことはないでしょうね。最近は空撮もドローンが主流ですが、でもいつか自分が乗る飛行機で空撮をして見たいと言う夢はあります。

―次は絵のためにフランスに留学されて。

幼いころからいつかフランスで絵を描きたいという漠然とした夢があって、アメリカから戻った後は、アルバイトをしてお金を貯めてフランスに行ったんです。1年半くらいパリでひたすら油絵を描いていたのですが、その過程でゴッホの絵に出会ったんです。その時の衝撃は言葉で言い表せませんが……その長年の思いが本作で結実したと言えるかも知れません。

―『種をまく人』にも繋がっているんですね。その後アフリカにも行かれました。

それもサン・テグジュペリの影響とナショナルジオグラフィックという雑誌の影響なんですが……。サン・テグジュペリの本の中に砂漠に不時着する話があって、学生時代からその世界観に惹かれていたのですが、とにかくサハラ砂漠に行きたいという思いがあって、サハラ砂漠を横断しようと思っていたんです。フランスからまず飛行機でエジプトに入って、その後スーダンから横断を予定していました。ただ当時スーダンと隣国のチャドという国が内戦状態だったのでビザが取れなかったんです。そこで方向をエチオピアに変え、エチオピアからケニアに行きました。その後、セネガルに飛び、モーリタニア、モロッコと陸路で北上して行きました。ただモロッコは交通機関が発達しすぎてつまらなかったので、現地で自転車を購入して、野宿しながら1000キロくらいひたすら自転車で旅を続けました。

―自転車で1000キロ!

本当は自転車でパリまで行く予定だったんです(笑)。でもヨーロッパの人混みの中を野宿する勇気がなくて断念しました。野宿で一番怖いのは人なんです。だからモロッコの時はなるべく町から離れた場所で野宿していました。でも自転車を盗まれる夢を毎日見るんです。それでぱっと目が覚めたら、自転車を抱いて寝ていたりしました。今思えば当時は無茶苦茶なことばかりしていましたね。常識のかけらもありませんでした。 

―まあ、病気もせずに無事で何よりでした。丈夫なんですねぇ。

アフリカでは「ナイル川の水を飲んだ人は病気にならない」という逸話があって、ナイルの上流の水を飲んだ後は、本当に身体が強くなってアフリカでは一度も病気にかかりませんでしたね。日本に戻ってからは、絵を描く仕事がしたくて一度アニメーションの会社に入ったのですが、そこはすぐ辞めてしまいました。その後、当時京橋にあった映画美学校に入ったんです。当時はドキュメンタリー科とフィクション科があって、僕はフィクション科のほうへ入りました。初等科と高等科とあって最長2年受講できるのですが、初等科の1年目に16㎜のフィルムで15分の作品が、ショートショートフィルムフェスティバル(SSFF)にノミネートされました。それが初の短編映画監督作品です。

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―今回の作品が初長編ですね。絵を学んだ後、映画の道に来られたのは何かきっかけになる作品があったのでしょうか? 

当時はこういう映画を撮りたいというより、自分の表現を映画という形式でやってみたいと考えていたんです。学校に入ってみて思ったのは、究極的にはカメラと被写体があればとりあえず映画は撮れると言うことです。本当はそんなに簡単ではないのですが。でもそれが始まりですね。

―監督と脚本の両方をなさっていますが、監督は絵を描かれるので、脚本を書きながら絵がぱーっと浮かぶんでしょうか?たとえばこのラストシーンのひまわりみたいに。

だいたい同時ですね。シナリオを書きながら絵が浮かびます。
映画『種をまく人』の全体のストーリーができたのは2013年くらいだったと思います。フィンセント・ファン・ゴッホという画家の絵にフランスで出会い、徐々にゴッホの人生の苦悩や思想に引き込まれていき、初の長編映画を撮る時は必ずゴッホをモチーフにした作品にしようと思っていました。「ゴッホの人生を現代日本に置き換えて、もし彼が絵画という表現を持ち合わせていなかったらどう生きたか」ということを思いついて、そのイメージをもとにシナリオを執筆して行きましいた。

―ゴッホに関する実話などは盛り込まれているのですか? 

いくつもありますが、その一つに、「ある町で少女のデッサンをしていたら、その子が妊娠してゴッホが疑われた」という話があったんです。結局犯人はどこかの牧師だったらしいんですが、ゴッホは風貌からも真っ先に疑われて、それでもそのことを否定せず罪を受け入れたんです。というか抵抗しようがなかったのかもしれませんが。ただ、この物語の一つのモチーフに、その逸話が大きく影響しています。

―そうでしたか。ホームページには聖書の言葉も引用されていますね。

ゴッホはプロテスタントのカルヴァン派の厳しい牧師の親の元で育って、彼自身聖職者を目指していた時期がありました。ゴッホは牧師見習い時代、ボリナージュという炭鉱の町で伝道活動をしていたんです。聖書に書いてあることを忠実に実行するために、自分の衣服やお金を貧しい人たちにすべて分け与えたそうです。自分は身なりも気にせず、納屋などで暮らしながらも愚直なまでに伝道活動に力を入れていたんです。ただその極端な行動が教会から批難されて、結局排斥されてしまいました。結局そのことで聖職者を諦めて画家を目指すんですが、絵を描き始めてからもゴッホの根底には聖書の言葉やキリストへの憧れがずっと残っていくことになります。主人公の光雄という人物は、まさにゴッホのそういう部分を受け継いでいるので、聖書と光雄は切っても切り離せないですね。それでタイトルも「種をまく人」という聖書にも書いてある一説から拝借しました。

―ひまわりとゴッホと好きなものがつながっているんですね。長い間あきらめずに大切にしてきたもの。

初長編なのでやはり色んなものが詰め込まれてますね。ゴッホはもちろん、被災地で見たひまわり、震災の翌年に生まれた姪っ子の存在。こういったものが融合して出来上がっていると思います。特に、当時3才だった姪の姿をどうしても映像として残しておきたいという気持ちがありました。

―夫婦の会話のエピソードにはモデルがいましたか?

モデルは特にいません。兄夫婦は全然逆の性格です。とても仲睦まじい夫婦なので、劇中の夫婦は僕の完全な想像です。
ただ脚本を自分で書いているので、登場人物一人一人に少しずつ自分が投影されるのは当然で、それぞれのキャラクターに少なからず何かしらの自分の性格の部分は入っていると思います。特に主人公の光雄はゴッホがモデルなので、ゴッホについてずっと考え続けてきた自分にとっては一番近い所に光雄はいますね。

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―イランのアミール・ナデリ監督がこの作品を褒めていらっしゃいますね。

ナデリ監督はテッサロニキ国際映画祭の審査委員長で初日に観にきてくださったんです。審査委員長ですから、審査が終わるまでは直接話すことはできないんですけど、受賞した後はいろいろとお話する機会を頂きました。特に役者の演技について評価してくださって「自分に全ての権限があったら、役者全員に賞をあげたい」と絶賛してくださいました。

―その絶賛された役者さんのキャスティングは?

岸さんの知り合いも含まれていますが。ほぼオーディションで決めました。森さん(キャスティングディレクター)が厳選して集めてきてくれた資料から選考し、その後オーディションを数日かけて行い、演技は当然ですが、役者同士のバランスなどを見ながら時間をかけて決めていきました。森さんの言葉には随分助けられましたね。迷ったときに、いつも冷静で的確な意見を言ってくださるので。

―岸さんは俳優と撮影を兼任されています。もうおひとりカメラマンがいらしたんですね。

岸さんが登場する場面は、岸さんが撮影監督をした映画でフォーカスマンや撮影をしていた末松くんという優秀なカメラマンが撮っています。二人は、そもそも普通の俳優とカメラマンという関係じゃないんです。お二人には、撮影監督とその女房というくらいの強い信頼関係があるので、そのことが画面ににじみ出ているのかも知れません。
それで言うと、岸さんと僕にも同じことが言えますね。僕らが出会ったのは9年ほど前で、彼の監督作『未来の記録』(2011)を見たのが縁でした。映画を見たとき、あるシーンを境になぜか涙が止まらなくて、その映画に強い衝撃を受けたんです。それで岸さんに長い感想のメールを送って。それから意気投合して、シナリオを一緒に書いたり、彼の作品にもスタッフで関わったりしました。なので僕らは、この映画の作り始める段階でとても強い関係が築けていたんです。一人のスタッフや俳優と言うよりも「同志」という感じです。
ちなみに、順番で言うと撮影をお願いしたのが先です。「未来の記録」では岸さん自身が撮影もしてて、初長編映画を撮る時は、必ず岸さんにカメラをお願いしたいと決めていました。
僕らはいつの間にか映画の準備を始めていたので、いつだったかは忘れましたが、光雄役をお願いしてからは、この作品におけるカメラの意味性についていろいろ話しました。撮影監督と主演を同時にやるということについて。分かりやすく言うと、岸さんは光雄として撮影していたんです。光雄の目線で知恵を撮るということの重要性を深く考えて行きました。

―岸さんはゴッホの風貌に近づけるために一年を費やしたそうですが。

随分前から修行僧のような生活をしてましたね。三食、同じ時間に同じ量だけ食べて、1日1ページずつゴッホの書簡集を読み、それに応答する手紙を毎日書き続けたそうです。実はこの映画のラストに、光雄から弟の裕太に当てた手紙を出す予定だったのですが、どうせなら岸さん本人に書いてもらおうと思って。役作りにもなりますしね。その準備だけで半年以上かけたと思います。撮影の一週間前に手紙は出来上がって、実際撮影もしたのですが、結局、シーンとしてはカットしてしまいました。
ちなみに僕は岸さんに30キロ痩せて欲しいとお願いしいて、実際は22キロくらい減量してくれました。ある日、ほぼ骨と皮になった岸さんに「もうちょっといけますね」と言ったら、「きみは俺を殺す気か」と(笑)。この映画は40キロくらいのカメラを一日中担いでもらったりしていたので……。思えば、岸さんにはかなりの無茶を強いましたが、それが出来たのも信頼関係の強さではないかと思います。

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―竹中涼乃ちゃんはどこが決め手でしたか?

オーディションに来た子はみんな事務所に所属している子たちだったんですが、子役の子達というのは入ってきた瞬間にそれぞれの性格が分かってしまうんですね。無理に明るく振る舞う子や、異常に媚びを売って来る子、事務所の教育だとは思いつつ、僕はあまりそういうのが好きになれなくて。その中で数人、自然な顔を見せるおとなしい子たちが数人いたんです。その一人が涼乃ちゃんでした。最終的には3人まで候補を絞り込んだのですが、スタッフや、すでに決まっていた大人の役者たち全員一致で涼乃ちゃんに決まりました。でも正直、彼女を最初に見た時の直感ですでに決まっていた感はありましたね。

―泣くシーンの演出はどんなふうになさったんでしょう?

ここで泣いてほしいとかは一切言いませんでした。泣きたくなければ泣かなくて良いし、言いたくない言葉があれば言わなくても良い。といった感じで、嘘はつく必要は一切ないと思ったんです。ただ彼女は本気で泣くのが特技なようで、そのようにお母さんはおっしゃってました。きっと入り込んでしまうのが持ち味なのだと思います。びっくりしたのは、かなり感情的なシーンで、何度か撮り直せざるを得ない時もあったのですが、それでも彼女は同じように本気で泣けるんです。すごい才能だと思いました。

涼乃ちゃんには前半の事故前までの台本しか渡さず、その後はその場その場で状況を説明していきました。簡単に言うと、昨日はこういうことがあったから、これからこうなるんだよ。という風に説明するのですが、シナリオ上で嘘をつくような場面でも、どうするかは涼乃ちゃんの気持ちにまかせて、嫌だったら言わなくてもいいと伝えるんです。そこで周りの大人の役者たちが協力して彼女を追い詰めて行くわけですが、だから、彼女の演技をどう引き出すか、それについて俳優たちと随分話し合いました。彼女から、最もピュアで嘘のないありのままの感情をどう引き出すのかという。感情を一番大切にしたかったので、彼女を中心にスケジュールを立ててほぼ順撮りで撮りました。ですので、涼乃ちゃんはまさに映画の中で知恵の人生をそのまま生きていたのだと思います。撮影の後半で一度すこし体調を崩したりしてしまいましたが、それでも最後まで頑張ってくれましたね。彼女を発見できたことは、本当に大きなことでした。

―子どもながらさすがにプロの役者さんなんですね。本当のことを打ち明けた娘に対するお母さんが怖かったですが、こういう台詞は言えませんとか役者さんからはないんですか?

そういったことはまったくなかったです。疑問に思ったことはちゃんと話し合って決めていきました。結果的にほぼシナリオ通りに演じています。あと全員の役者さん同士が事前に関係性を深く築く作業をしていて、撮影の合間には、家族として一花と接したりして、常に疑似家族というか、親密さを失わずに取り組めたことは、全員の演技に生かされていると思います。

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―子どもがいると特に空気って大事ですね。

涼乃ちゃんも前半の段階では、すごく一花との時間を楽しく過ごして仲良くなっていたので、実際の妹のように思っていたんじゃないですかね。だから事故のシーンの後は、築き上げたその感情を抑えることが出来なかったんだと思います。

―お父さん(裕太)はお母さん(葉子)に比べると静かな役ですが、間に挟まっている立場ですね。兄のことも娘のことも信じたい。

足立智充さんの役はこの映画にとって最も重要な立ち位置です。ゴッホにとっては彼を支え続けた実弟のテオをモチーフにした役です。足立さんの役はいわゆる一見フラットなキャラクターなんですが、それでいて一番苦しいものを背負うことになる人物なんです。彼の立場になってこの映画を見ると、より辛いと思います。

―岸さんのお母さん役は、実のお母さんがなさっているんですね。

一応は面接し、ちゃんとセリフを読んでもらってオーディションのようなことをしてもらっています。その上でキャスティングしました。シナリオ上は彼女にまつわる話がいろいろあって、光雄一家のことも深く掘り下げているんです。そのエピソードも全て実際撮影しているんですけど、映画の構成上切らざるを得ませんでした。

―カウン君が出たのは、岸さん繋がりですね。(『僕の帰る場所』藤元明緒監督/岸さん撮影)

男の子役もオーディションはしたんです。でも良い子がいなくて。それでカウン君のことを思い出したんですね。「僕の帰る場所」の短い映像を一度岸さんから見せてもらっていて、その時の彼の演技の素晴らしさがずっと残っていました。ただ年齢が当時合わなかったので考えていなかったのですが、実際の年齢より大人びていて、違和感なく知恵の同級生を演じることができました。

―メイキングや撮影日記はありますか?

人がいなくてメイキングは作っていません。ふだんアイディアとかメモするんですけど。撮影日記ってみんな書くんですか?

―監督が書かなくても、どなたか。もし将来本など出すことになったら、記録は必要じゃないですかー。

じゃ2作目のときはぜひお願いします(笑)。

―この次の作品は?

脚本はつねに書いています。まだ撮影の予定はないんですけど、常に書き続けてはいます。
たぶん今回と同じように小さい規模の映画を同じように撮ろうと思っています。

―では、これから作品を観る方へメッセージを。

この映画はあまり説明が多くありません。あえて説明をなるべく排除しています。説明は様々なことを狭め、限定的に伝えてしまうことがあります。ちゃんとじっくりものごとを見てもらいたい。目の前にあるものが全てではない。そういったところを感じて、そして考えてもらえたら嬉しいです。
隣にいる友達、親とか子どもとか、身近にいる人への気遣いというか、自分が感じていることを一度疑うことも大切だと思うんです。今の人たちは安易に白黒つけたがります。そこを決めつけないで、いろんな視点で物事を見てもらいたいですね。正常とか異常とか、障がいがあるとかないとか、そういうところをはっきり線引きしたがる現実があります。でもそうじゃなくて、一人一人の本質の部分をちゃんと観ることが大切なんだということを、この映画を通して感じて、そして考えてもらえたら嬉しいです。

―はい。ありがとうございました。


=取材を終えて=

前振りがたいへん長くなってしまいましたが、外国でのエピソードがいろいろ出てきて面白くってつい聞き入ってしまいました。お話を伺ううちに、2001年9・11テロで、ワールドトレードセンターに激突したハイジャック犯も、竹内監督と同じようにロングビーチにいくつもある学校の一つで航空免許を取っていたのだと知りました。自家用機の免許でジェット機を操縦していたんですね。そのすぐ後に免許を取りに行った監督含め外国人は白い目で見られたそうです。そのせっかくの免許なのに、日本の空も砂漠の上も飛ぶ機会がないとは、ちょっともったいないです。サン・テグジュペリは、1944年に偵察機で出撃した後戻ることはありませんでした。長く行方不明のままでしたが、2003年に地中海から乗機の残骸が引き上げられて、彼のものと確認されたそうです。サン・テグジュペリとゴッホを愛する監督は、放浪癖(すみません)じゃなくて、冒険好きなロマンチストなのでしょう。
劇中、知恵のクラスで先生が読む「椋鳩十の詩」は病床での言葉を、夫人が書きとったものだそうです。飛行機で風と一体になって飛ぶ人、キャンバスに暮らしを描きとめる人、どちらの目にも似たような風景が映っていたのではないかと思うのです。この作品も同じように優しいまなざしが感じられます。
竹内監督は、また外国に行きたいそうです。蒔いたひまわりの種が芽吹くように、脚本のアイディアのメモが少しずつ増えて、いつか次の作品につながりますように。(取材・写真 白石映子)


 松風になりたい
 日本の村々に
 人たちが
 小さい小さい喜びを
 おっかけて生きている
 ああ美しい
 夕方の家々の
 窓のあかりのようだ 

 椋鳩十「松風の詩(うた)」より