オーストラリア先住民映画祭 2024 『家畜追いの妻 モリー・ジョンソンの伝説』 リア・パーセル監督インタビュー

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2024年2月3日(土)ユーロスペースにて、オーストラリアの先住民の監督たちによる珠玉の5作品を上映する1日限りの映画祭が開催されました。夏のオーストラリアから来日されたリア・パーセル監督とプロデューサーのベイン・スチュワートさんにお話を伺いました。東京をとても気に入ってくださったようです。

*オーストラリアの先住民の方々は、かつてアボリジニーと呼ばれていましたが、最近は「アボリジナル・ピープル」と変わっています。文中ではこの映画祭に冠された「先住民」としました。

*プロフィール*
リア・パーセル(Leah Purcell)監督・主演
豪クイーンズランド州出身。ゴア族、グンガリ族、ワカムリ族の血を引く、オーストラリアで最も尊敬・賞賛されているアーティストの1人。一般作品、先住民作品を問わず、多くの演劇、テレビ番組、映画作品で、俳優、脚本家、監督、プロデューサーとして活躍する。25年以上にわたるキャリアにおいて関わった作品に、『Box the Pony』、『The Story of the Miracles at Cookies Table』、『Don’t Take Your Love to Town』、『Police Rescue』、『Redfern Now』、『Wentworth』、『Jindabyne』、『Somersault』、『The Proposition』など。
直近の出演作品は、2023年サンダンス映画祭にて上映された『Shayda』などがある。また、Amazonのミニシリーズ『赤の大地と失われた花』では、シガニー・ウィーバーと共演した。Sony Pictures TV USAとFoxtel Australiaによるオーストラリアの新ドラマシリーズ『High Country』では主演を務めている。賞も獲得した小説「Is That You Ruthie?」の舞台化を脚本家・監督として進めており、同作品は2023年12月に、クイーンズランド舞台芸術センター(QPAC)で上演。

『家畜追いの妻 モリー・ジョンソンの伝説』
1893年、オーストラリア奥地。モリー(リア・パーセル)は夫の帰りを待ちながら、女手一つで農場を守っている。そこに首枷をはめられた先住民脱走犯ヤダカが現れる。ふたりの間に思いがけない絆が生まれ始め、それまで秘密にされてきた、モリーの生い立ちの真実が明らかになっていく…。
◎アジア太平洋映画賞2021 審査員特別賞を受賞

―以前から語り継がれてきた物語だそうですが、これまでに映画化されていなかったのでしょうか?

監督:これは元々「家畜追いの妻」というヘンリー・ローソンの短編小説(1896年発表)でした。ヘンリー・ローソンはオーストラリアでは誰もが知っている、たいへん有名な詩人・文豪です。
原作は9ページしかない短編です。子どものころ親から語り聞かされ、私自身この話を頭の中で想像できたものでした。ローソンは白人男性の視点で、その土地に暮らしている女性についての話を書きました。
私はこの短編を40年間ずっと大切にしてきました。初めて映画を作るにあたって、私のメンターから「自分が知っていることを書きなさい」というアドバイスを受けていました。それで、この短編を元に先住民の視点から、先住民である私の家族の話を加えてこの映画を作りました。

―監督のオリジナル・ストーリーになったんですね。

監督:はい。私の家族の話になったんです。もう少し説明しますと、プロデューサーの視点から「どうやったらこの作品を多くの人々に見てもらえるだろうか」と考えたんです。ローソンの「家畜追いの妻」はオーストラリアでは、16歳から80歳の人たちまで、ほんとによく知られている作品なので、観客はたくさん来てくれるだろうとは思いました。原作に忠実に映画化された作品と思って観たら、きっとびっくりされたことでしょう(笑)。

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―観客の感想はどんなものでしたか?

監督:この映画をとても好きになってくれました。驚いて「感動した!」と言ってくれて、多くの人が「これは真実の歴史だ」と受け止めてくれたのです。

―白人と先住民では感想に違いがあったかと思いますが。

監督:この映画の中で、二つの話を同時に作ろうと考えました。先住民に向けたもの、それ以外の方に向けたものです。先住民の方について言えば、この作品を観て勇気づけられるような、力を持てるような映画にしたいと思いました。非先住民の方には、私たち先住民の先祖の苦痛が、政治的な観点からでなく、心、魂の観点からわかるように作ったつもりです。これは私の曽祖父や祖母や母たちの話ですから。

―観客の方々が喜ばれたというのが想像できます。(今回は特別な上映会ですが)先住民の方が主人公になる映画は、これまで作られてきたのでしょうか?

監督:この作品は私の映画のデビュー作品です。俳優として出演した作品、短編もありますが、私のテレビや舞台は先住民の視点を大事にしています。というのも、先住民は映画界の中であまり表現されてこなかったからです。心や魂の観点から先住民の話を取り上げ、届けていきたいと思っています。例えば、『レッド・ファーン・ナウ』『クレバー・マン』『クッキーズ・テーブル』など。
これまで、商業作品で先住民が主人公ではない作品を作ったことはありますが、映画作品で主人公にしたのはこれが初。先住民を取り上げた作品を執筆、監督するのに情熱を捧げています。

―映画の中で女性がとても弱い立場にあったとわかりましたが、当時あのように過酷な目に遭っている女性は多かったのですか?

監督:そうです。今日(こんにち)でもそうです。

―日本は女性の地位が世界でも低いことで有名になってしまいました。オーストラリアには女性監督はたくさんいらっしゃいますか?

監督:私がラッキーだったのは、ちょうど監督デビューしようとしたころ、”スクリーン・オーストラリア”のトップが女性だったのです。それもあって選定のときに、女性の新人作家に支援がいきわたるようにしてくださった、ということがあります。

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―日本の映画界では、女性監督は大体1割しかいません。オーストラリアはいかがですか?
(監督、ベインさんと話して)

監督:40%くらいです。(思わずOh~!と拍手、パーセル監督はYe~!)

―女性は、ほかのスタッフとしてはいますが、なかなか監督にはなれないことが多いです。

監督:今、オーストラリアではたくさんの女性が映画業界に進出しつつあります。脚本を書いたり、監督したり、プロデューサーをしたりと多くなっています。

ベイン:”ジェンダー・マターズ”という大きな活動があります。女性がもっと前面に出られるように支援をするものです。

監督:多文化的な観点からもいろいろな背景の女性が活躍しつつあります。先日私が関わった映画の製作では、5つのセクションに分かれて作りました。プロダクションのチームに5人の女性監督がいましたし、部門のトップは全員女性です。私が作った二つのエピソードでは、中国人の女性脚本家と、ベンガル人の男性脚本家でした。

ベイン:『ヒア・アウト・ウェスト(Here Out West) 』という映画です。多文化的な大変すばらしい作品です。

―それは日本で観られますか?ぜひ来年の映画祭で拝見したいです。
(この映画祭の反響如何のようです)
―(宮)日本では2003年に『裸足の1500マイル』(2002/オーストラリア/フィリップ・ノイス監督)という映画が公開されています。同化政策で親から引き離されて施設に入れられた先住民の子どもが、故郷に帰ろうとする物語でした。監督のこの映画の中でも、白人の女性がモリーの子どもたちを施設に入れようとする場面が出てきました。


監督:私の祖母の物語を映画に入れたのです。祖母は「盗まれた世代(Stolen Generations)」の子どもでした。5歳のときに母親から引き離されました。それ以来、母親に2度と会えませんでした。彼女が70歳になって初めて、68歳になっていた弟に再会できたのです。この映画の中で紙が出て来て、燃やされていましたね。(先住民の親権を否定し子どもを施設に送るための文書です)
同化政策は政府の方針です。先住民やその伝統や文化、皮膚の色さえ無くして、子どもたちに白人の視点から考えさせようというものです。私たちはそんな政府の意図に反して、自分たち先住民の精神を世界に届けようとしています。

―映画の中で、警官の妻ルイーザがモリーの味方になり、モリーも心を開いて話すようになります。これは監督のオリジナルですか?

督:ルイーザとネイトの夫婦は原作の小説にはなく、私が生み出しました。非先住民の観客にどうやって私のメッセージを届けようと考えて、作ったキャラクターです。モリーが心を落ち着け、安心してルイーザと話します。ルイーザは当時の女性たちに先立って、女性が声をあげられるように新聞を通じて訴えかけていました。

―先住民と白人の二人に友情が生まれることに感動しました。オーストラリアは早くから、女性の権利を獲得する運動が始まっていたと知りました。大戦後にようやく女性の投票権を獲得した日本とはずいぶん違います。

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監督:私の本の中には、ルイーザ・クリントフをもっと詳しく取り上げた章があるんです。ルイーザの着想を得たのは、実は南オーストラリア州が、女性の権利、投票権において非常に先進的だったということがあったからです。もうひとつ、ルイーザは原作者のヘンリー・ローソンの母親の名前です。彼女は1850年代に女性の権利や家庭内暴力―彼女もそうだったのでしょうー。―男性の飲酒問題も新聞で取り上げています。「DAWN(夜明け)」というその新聞は映画に登場させています。
ローソンの小説は書き手の男性の視点から書かれていましたが、私は女性を主人公に、女性の視点から書きたかった。小説では「家畜追いの妻」とだけで名前がありません。モリー・ジョンソンという名前を与えました。

―結末はモリーにとって悲劇ですが、そこにルイーザたち女性がかけつけてくれたのにホッとしました。

監督:意図的に女性が力を持てるような終わりにしました。

―とても励みになりました。

監督:GOOD!

―私たち、女性ばかりで作った映画ミニコミが始まりなんです。
―(宮)女性映画人を応援しようと作った雑誌です。1985年ころから。
―で、みんな年をとりました(笑)。


監督:「賢くなった」って言いましょう(笑)。

―ああ、ありがとうございます。言い方(次第)ですね。
―(宮)箒で家の前を掃いていたのは、どういう理由なのでしょう?掃除には見えなかったので。

監督:理由はいくつかあります。
1つは辺境地のため、夜に動物などが家に近づいてくるので、その足あとや痕跡が砂の上に残るように。
2つ目は夫から暴力を受けていたためのPTSDです。心持を表しています。
3つ目は警官を殺してしまったので、その証拠を消すため。

―ロケーション、住まい、衣裳などについてお聞かせください。

監督:まず家についてですが、モリーの小屋は1893年当時の貧しい人の家、として作りました。家も衣装も貧しいうえ、忙しいのであちこち修繕の必要な感じにしています。ヤダカの衣装もそうですが、その土地にある樹木(スノウガム)からとった色で作っています。
小屋と警察署の牢屋は、完全なセットとして作ったものです。撮影中に山火事があって、近づいてきていたので、私たちは延焼しないように小屋を守りました(笑)。

―モリーは街から遠く離れた山の上の一軒家で、一人で家と子どもたちを守っています。ああいう環境は当時普通だったのですか?

監督:はい。「家畜追い」は牧畜業者から家畜を預かって、買い手まで送り届けるのが仕事です。その間妻は家と子どもを守らなければなりません。モリーの場合は”ジョンソンの妻”という社会的な地位は与えられていましたが、非常に危険で困難な暮らしだったと思います。夫が長い間留守なので、お金も食べ物も尽きて大変な状態でした。
今の時代でも辺境の土地に住む人にとっては、関連する話です。

ベイン:家畜追いは「カウボーイ」のような職種で、いったん家畜を移動し始めると何か月、長いときは半年も留守にします。(もう一度ベインさん力説)この映画プロジェクトの良い点は、監督の努力によって古典的なヘンリー・ローソンの原作に二つ変更を加えたことです。原作では「家畜追いの妻」と書かれていた人に“モリー・ジョンソン”という名前を与えたこと。もう一つは「黒い蛇」を男性の先住民“ヤダカ”に替えたことです。それで物語の流れを大きく変えているのです。

監督:「ヤダカ」の話は、私の曽祖父に基づいています。

―また来年この映画祭が開催されますよう願っています。ありがとうございました。

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(取材・写真・白石映子、宮﨑暁美)


『フィリピンパブ嬢の社会学』白羽弥仁監督、中島弘象さん(原作者)インタビュー

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*プロフィール*
白羽弥仁(しらは みつひと)監督
1964年、兵庫県芦屋市生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒。1993年に公開された『She’s Rain』で劇場映画の監督デビュー。その後『能登の花ヨメ』(2008)、『劇場版 神戸在住』(2015)、 『ママ、ごはんまだ?』(2016)はサンセバスチャン国際映画祭、ヴィリニュス国際映画祭に正式出品された。以降も、『みとりし』(2019)、『あしやのきゅうしょく』(2022)と精力的に映画を撮り続けている。日本映画監督協会会員。讀賣テレビ番組審議委員。

中島弘象(なかしま こうしょう)原作者 
1989年愛知県春日井市生まれ。中部大学大学院国際人間学研究科国際関係学専攻博士前期課程修了。会社員として勤務するかたわら、名古屋市のフィリピンパブを中心に、在日フィリピン人について取材。講演、執筆、テレビやラジオなどの取材協力も多数行っている。著書に『フィリピンパブ嬢の社会学』(新潮新書 2017年)『フィリンピンパブ嬢の経済学』(新潮新書 2023年)がある。

『フィリピンパブ嬢の社会学』
大学院生の中島翔太は、フィリピンパブを研究対象にし、生まれて初めてパブを訪れる。取材に通ううちに、フィリピンの家族に送金を続け明るく逞しく働くミカと仲良くなった。フィリピンの家族にも紹介され、ますますミカを大切に思う翔太は、来日するため偽装結婚していたミカの事情を知り、こわごわヤクザの元に乗り込むことになった…。
https://mabuhay.jp/
★2024年2月17日(土)より全国順次公開

―白羽監督が原作を読まれて、映画にしたいと熱望されたと伺いました。映画化が決まってクランクインされるまで、どのくらいかかりましたか?

監督 4年かかりました。2018年に原作を読んで、すぐに原作の中島さんに連絡を取って、2022年に撮影にこぎつけました。今回はこれまで組んだことのなかった三谷さんがプロデューサーです。私も(映画界に)30年いるので、三谷さんにもどこかで会っているんです。撮影とか照明とかのスタッフは、やっぱり今まで自分とやったことのある方ですね。

―前の2本は監督が脚本も書かれていましたね。今回は大河内聡さんです。

監督 はい。大河内さんと付き合いは10年以上になるのかな。名古屋にも来たもんね?(中島さんへ)
奥さんがカンボジア人なんですよ。それでどうだ?と言ったら「カンボジア人はフィリピン人より真面目です」なんて(笑)。原作を読んでいるから「(フィリピン人のように)バイタリティがあって、ガーンと来るタイプじゃないんだ」と。そういう国際結婚をしていて、いろんな苦労があるだろうから、ニュアンスは僕よりわかるだろうということで。

―中島さんは映画化のお話を聞いていかがでしたか。

中島 いろんな話はあったんですよ。ドラマとか漫画を描きたいとか、映画は白羽監督だけでした。話が来てもやらないということが多かったんで「やるんかなぁ?」って感じで。でもやるんだったらお付き合いしますよ、と監督にはお話しました。

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―「フィリピンパブ嬢の社会学」を読みました。中にドラマがいっぱい詰まっているので、これは映画にしたいだろうなと思いました。ラブストーリーにもできるし、社会派ドラマにもできるし、いい原作を見つけられましたね。で、キャストが重要ですよね。主人公のお二人は似た感じの方を探されたんですか?

監督 いや、そんなつもりは毛頭なくて、ものまねショーではないので。たとえばものすごく有名な人物の映画化だったらそれは考えなくちゃいけないけども、そういうわけではないので。映画に出てもらって絵になる動きをしてもらう、ということを前提にオーディションしました。

―前田航基さん、一宮レイゼルさんに決めたのは?

監督 前田くんについて言えば…。この映画はラブストーリーだけども、アクション映画にしたかったんですね。走ったり転んだり、あるいは階段から落ちたり、というアクションで見せていきたいなと思っていました。あの体型で女の子にバチーンと叩かれたり、転げ落ちたりするのは絵としては面白いだろうと。いろんな意味でカッコ悪いところをさらけ出したりする映画なんです。前田くんは大阪だし、ニコニコしているだけで面白そうな感じ。
映画を撮っててわかったんですけど、フィリピンパブに入って女の子がダーッといるのを見たとき、あの子の目が泳ぐんですよ(笑)。あの驚きようと目の動きはほんと良かったです。

―それは前田くんがほんとに初めてだったから自然に。

監督 おそらくそうだと思います、その素直さが出たんですね。
レイゼルさんはオーディションで、もう何百人見た中の最後の最後だった。名古屋、東京とオーディションして、みんな「帯に短し、たすきに長し」で、もうプロデューサーも助監督も「フィリピンに探しに行こうか」と言ってたところに彼女が来た。

―まあ、ドラマチック!

監督 そうなんですよ。とりあえず台本読んでやってみて、というと非常に適応能力があった。全員一致でしたね。

―レイゼルさんは映画のオーディションを初めて受けたんですね。

監督 もともとはモデルですし、東京の人でもないです。金沢から来てました。
家族ともども、10歳のときに来日した生粋のフィリピン人です。

―日本で育っているので、日本語は流ちょうですよね。金沢弁が出るくらい?

監督 そこは加減してやりました。ただね、あの人緊張するとセリフがガタガタするので、ちょうどよかった(笑)。僕は金沢や能登で映画を作っているので、金沢弁や能登弁を知っているんですけど、彼女はどうも東北っぽい訛りがあるんですよ。語尾の上り下がりが違うので、直すのが大変でした。

―中島さんは主人公役のお二人にいつ会われたんでしょう?

中島 撮影の前日ですね。初めて会ったときは僕の妻“リアル”ミカと(笑)一緒に。お見合いみたいな感じになっていましたね。監督が言われたようにものまねではないので、前田さんとレイゼルさんが自分たちの世界を作ってくれればいいと思っていました。でもやっぱり(僕たちを)元にやっていただくので、お互いになんか変な感じでした(笑)。「僕たちのことでいいんですか?」向こうも「僕たちでいいんですか?」みたいな(笑)。そこを監督はニヤニヤ笑って見ている。

―2022年のクランクインのとき、コロナのほうは?

中島 8月30日でした。

監督 まだコロナ禍中で、みんなマスクして本番のときだけ外して、またマスクして。

―ロケはほとんど春日井ですか?あとフィリピン。

監督 名古屋、春日井で2週間、フィリピン4日ですね。フィリピンのコーディネイトは行ったり来たりしてやって、事実上はこの人(中島さん)が。

中島 原作者ではなかなかいないと言われたんですが、全日程付いて行って。3日目くらいから「会社どうですか?大丈夫なんですか?」って心配されました。フィリピンでは現地の方と監督の簡単な通訳とかもやりました。

―フィリピンのロケの時に出てくる方々はご親戚…?

監督 ご親戚です。レイゼルさんのホントの親戚です。従妹だったり…

―あら~、すぐ集まるもんなんですか?

監督 すぐ集まるんです。フィリピンに行ったら気づくんですけど、普通のおうちにお邪魔しても「あんた誰だっけ?」という人がいるんですよ、必ず(笑)。遠い親戚だったりするんですが。これは関西で言う「いけいけ」、「別に、みんなファミリーじゃん?」っていう感じなんですね。だからレイゼルさんもフィリピンに帰ったのが久しぶりだったみたいで、撮影が始まる前の日に里帰りしたんですが、そのときお土産を配っちゃったんですって。映画のシーンで使うので「回収してくれ!」(笑)。カップラーメン開けないでくれてよかった。もう一度親戚の皆さんに集まっていただいて、お土産をまた配った(笑)。

―映画とおんなじなんですね。知らない人まで並んじゃったりするんでしょうか。

監督 あ、あるかもしれないですよ。あのね、撮影やっていると物売りが来るんですよ。天秤棒かついで、(中島さんへ)「あの白いの何て言うの?」

中島 「タホ」。豆腐に黒蜜をかけてあるもので、朝ごはんに食べたりします。

監督 それを現場に売りに来るんですよ。甘くておいしいんです。そういうところ非常におおらかです。

中島 日本みたいに境目がない。低い、というか。「何かやってるから行ってみよう~」って。

―敷居高いどころか、ない? 家には敷居あります?

中島 ありますよ。防犯上は日本よりすごいしっかりしていますけども、フレンドリーです。バイクタクシーの人も、その場で(撮影を)お願いして、行き帰り走ってもらいました。

監督 「トライシクル」というんですが、荷物と人間の境目がないというか、なんでも乗せる。2人が乗っているじゃないですか、僕とカメラマンはここ(その前)、4人乗って運転手さんがいるから5人。

―それでも走るんですか。すごい。
フィリピンの作品は最近映画祭などで入ってきますが、こちらから向こうに行って映画を撮るのにご苦労はなかったですか?


監督 一番困ったのは撮影許可がおりないことでした。後でわかったのは街のボスみたいな人に挨拶しておけばいいんだと、それは学習しましたね。第2弾があれば中島さんが挨拶に行ってくれるらしい(笑)。

中島 え~!(笑)

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―原作にかなり忠実でした。愛のためとはいえ、ヤクザさんと話をつけにいくのは怖いですよね。

中島 「ホンモノの人」って独特の空気があるんですよね。初めは優しそうにしていたけど、牙を見せるみたいな。あれはなんとも言えないですね。
もめごとに入っていったら、素人も何もないですよ。だけど、彼らも上がいて、上にばれたくないから自分たちで何とか解決しようと思ってやっていた、ってことに後で気づきました。

監督 そこのところを映画で説明するには、ちょっと長ったらしかった。ややこしかったんで、ああいう風にしたんです。

―私も本を読んで、こんなにややこしい話だったんだとわかりました。人がいっぱいで誰がだれやらわかんなくなりまして(笑)。

中島 あれはちょっと映画だと…

監督 原作のほうが登場人物多いんです。それこそ配信のドラマみたいに長くやれればいいんですけど。映画は人を少なくしてあります。

―あの方がわかりやすかったです。何より良かったのは、二人が途中で別れたりせずきちんと結婚して。

監督 途中で大喧嘩はいっぱいあるよね。

中島 いやもう、喧嘩しかないですよ。ふりかえってみれば。(笑)

―「感謝しかないです」じゃなく「喧嘩しかない」?(笑)

中島 いがみあってますよ。(笑)

―文化の衝突ですね。

中島 「文化の衝突」といえば聞こえはいいですけど、夫婦ってそんなもんじゃないですか。

―(話を振られて)目が泳ぐ…。

中島 いいときも悪いときもあって、「雨降って地固まる」みたいな感じですよ。

―結婚なさって何年になりましたか?

中島 2015年なので、8年くらいです。

―お子さんの写真がありました。

中島 子どもは二人で、あと6月に生まれます。まだ早いって言いながら、結婚1年で本を出して、そこから就職したり、毎年毎年常に新しいことをやってきたりで、まだ8年かという感じはあります。もっと長かったなという気がします。

―中身がつまって濃い日々だったんですね。

中島 監督とこうやって出逢って感謝しているのは「自分の知らないところに監督に連れて行ってもらえていること」。新しい発見ばかりじゃないですか。会社勤めして8年もやっていたら、大体惰性でやれることが多くなります。
監督と出逢ってからは「そんなことやるんですか!?」と思いながらも、やってみたら「あ、できますね。なんとかなるもんですね」(笑)。結婚してから8年間、ずっとこの言葉の通りです。

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―私もミカさんが「いつも笑顔でハッピーなほうに考える」のを観ていて、いいなぁと思いました。日本人って、こうポジティブに考えず、つい心配が先に立ってしまいませんか(私だけではないはず)。

監督 まだ起こってもいない悪いほうに考える。

―なんででしょうね。A型多いから?(笑)

監督 いや、社会がそうなってきましたね、この30年40年。日本がどんどん貧しくなってる証拠だと思うんですよ、それが。それこそ80年代までは浮かれてたわけですよ。もっと言うとこのままこれが続いて、日本はニューヨーク中のビルを買いあさってしまうんじゃないか!?というのが、ドーンと下がったじゃないですか。そういうのが今の日本を小さくしていると思いますね。

―はい。それに上の人のいう事をよく聞きますよね。もめごと嫌いだし(これは自分でした)。

監督 よく聞くというより他人任せ。政治にしてもなんにしても、参加しないで文句を言う。

―SNSができて匿名性が上がってからその傾向が強くなったと思います。

監督 そうですね。自分のせいじゃなく、人のせい。社会が悪い、自分が貧しいのも辛いのも社会が悪い。それは違うんじゃないの?この映画はその点では主体性を持った二人の男女が…まあこの先幸せになるかどうかは別として…

―あ、そんな。ね?(と中島さんへ)

監督 映画、「映画の中」ですよ!(中島さん爆笑)
それでもなんとかなるんじゃないの?って行くところがね、僕からの一つのメッセージです。

―中島さんもそうですか?観客に掬い取ってほしい、感じてほしいこと。

中島 そうですね、心配ごとが多いから、外国人とかに責任を押し付けたい。治安が悪いとか、そういうことで外国人はちょっと…という。そうひとくくりにする人多いじゃないですか。人間だから合う人、合わない人はいます。それを例えば「あの人はフィリピン人だから」とかいうのでなくその人を見てほしい。

―違うからわからない、だからわかろうというほうへ行くといいですね。

監督 この映画ができたこともそうなんですけど、世の中いい風には変わってきていると僕は思います。多文化に関していうと、意識はずいぶん変わってきました。ダルデンヌ兄弟の映画とか、フランスの映画とか観ると、あっちのほうが移民に対する排他意識がもっときつい。宗教が違うからなんだけども。
その点でいうと、日本は少しずつだけれども変わっています。一番は人口減少社会ということがあるから、一緒にやっていかなきゃ産業が回らない。背に腹は代えられない大前提があるにせよね。

中島 身近に外国人が増えましたね。僕の場合は家族ですが、いつも行くコンビニでも働いている人がいます。触れ合える機会が増えたっていうことじゃないですかね。監督から声かけていただいたときに、「日本映画にコンビニのシーンがあっても、店員は絶対日本人なんだよ。外国人の店員がいてもおかしくないのに。そういうところを変えたいんだ」と聞いて、そうだなと思って。

監督 東京を舞台にした映画やドラマにしても、全然そういう外国の人が出てこない。出て来ても、脇役か、そこにポンといるだけでパーソナリティはないわけです。それはもうね、何を見とるんだ、と。たとえばコンビニで働くセネガル人と、孤独な日本の女の子が恋に落ちる話があっていいはずなんです。だけど、こっち側(外国人)のパーソナリティは無視。表現の世界においては、そのへんはまだまだ。僕は今回、どうしてもそこはやりたいと思った。

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―この映画はもっと早く出て来てほしかったです。

監督 4年かかりました(笑)。ただ、この間に社会も変わったんですよ。タイムリーだったと思います。

―パブに縁はなかったですし、知らないことばかりでした。あんなに働いて手元にわずかしか残らないのも、故郷の人たちにこの苦労を知ってほしいと思いました。フィリピンで上映はしないんですか?

監督 します!しなきゃいけません。未定ですが、プロデューサーが折衝中です。

―良かった~!こっちで頑張っている人が報われると思うんです。 

監督 フィリピンに限らず、ベトナムやいろんなアジア圏でそれができればいいなと思います。

―これ、とっても勉強になりました。観客の社会学ですよね。次、経済学も待っております。

監督・中島 (笑)

―いろんなことがいっぱい詰め込まれた作品でしたが、とても繊細でもある。作るにあたって監督が気遣われたところは?

監督 原作は、全て中島さんから見た世界で、ミカさん側からではないんです。映画にするにあたってはそうでなく、ミカさん、フィリピンのみなさんから見た世界も加える、と。あるいはフィリピンのみなさんが日本でどういう風に生活しているかという部分を入れたかった。ショッピングモールで買い物したり、デートしたり、望まない妊娠の問題があったりという、原作にはない場面も入れました。 

―それはやっぱり、フィリピン人の方々にリサーチされたんですね。

監督 あのね、この人(中島さん)に連れていってもらったんです。フィリピンパブに脚本の大河内もみんなで。

―監督も初めてで? (中島さんへ)目が泳ぎました?

中島 泳いでました(笑)

監督 初めて私の横についたフィリピン人のホステスが、タブレットを持って来て「ちょっと見て、これ私の子ども」って言うんですよ。
「旦那は?」「どこにいるかわかんないです」って。

―旦那さまは日本人ですか?

監督 日本人です。赤ちゃんは「フィリピンに帰って産んで預けてきた」って言うから、それをそのまま映画の中に持ってきました。

―日本のホステスさんだったら子どもがいるとは言わないでしょうね。

監督 そう。そのくらいあけすけだったし、「その上で」っていうのもあるかもしれないけど、銀座のホステスさんとは違うパンチ力がありましたね。

中島 それがまたいい、っていう人もあるんですよ。包み隠さずに言ってくれるのは彼女たちのプライドですよね。その人が好きになって付き合うこともあるし、あとから「え!」ってこともあるとは思うんですけど。苦労しても苦労って言わないで、頑張るしかないって。

―あの心の広さ、バイタリティはすごいです。

監督 国がもっと過酷だっていうことです。そこに比べればってことです。1万円、2万円稼げば、それはフィリピンで何十倍もの価値になる。一方で、この先経済成長でどんどん変わっていくはずなんですよ。日本人が見下しているかもしれない人たちと、今度は逆になるぞと考えないと。いずれ日本人は、もうすでにそうですけど、出稼ぎに行ってるわけじゃないですか。こんな円安で。逆転する社会があるかもしれない。

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―この映画はちゃんと社会を写しているけれども、全然説教臭くない。

監督・中島 娯楽映画です。

―可哀想がってるわけでもないし、このキャラクターにすごく救われました。

監督 前田くんいいんですよ、ニコニコして。

―『奇跡』から観ているので、お兄ちゃんの前田くんを観るのが楽しみでした。ミカさんも良かったです。
お母さんが強硬に反対するので、自分だったらどうするかと思いながら観てしまいました。エンドロールにお母さんの写真が出てきますね。


中島 「経済学」のほうも読んでもらうと、母が大活躍。

監督 名古屋の劇場にも、お母さんしょっちゅう来てたね。

中島 来てましたね。

―味方になると母親は強いです。

監督 あと、それこそ孫の顔ですよね。孫の顔見たらってことです。経験ないけど(笑)。

―そうなんですか、なんでも経験ですよ(笑)、経験しないとわかんないこといっぱいありますよね。
中島さんも、大学で研究しなかったら、こちらの人生には来なかったし、奥さんに会わなかったし。

中島 そうですねぇ。出会ってわかろう、としなかったらないですね。
出会った人はいっぱいいたんですけど、一歩先へ踏み出したのは僕だけだった。

―何かに踏み出すときのお話って面白いですよね。(監督になろうと踏み出すきっかけは後述)
お二人はどのくらいお年の差がありますか?


監督 だいぶ違いますよ、僕は59です。

中島 僕は35です。父が59か60です。

監督 じゃあ親子くらいなんだ。でも僕にとっては「先生」なので。

中島 いえいえ。

―こうやって年の離れた人もお仲間になって。

監督 三谷プロデューサーもそうですけど、周りの関係者がほとんど年下になりましたね。ずっと若手だと思っていたのに、気が付けば最年長。

中島 でも僕からしてみたら大先輩の方々に学べる貴重な機会です。

―これまで関わらなかった映画の世界ですもんね。

中島 これがきっかけで将来何が起こるかわからないですよね。だから何でもやってみるっていう、できるだけ多くのいろんな世界に気づくっていうことがとても大事だなって思います。

―映画に関わったことで、ほかの映画の観方が変わりませんか?

中島 変わりますね。

監督 こんなに大変か、と。

中島 大変だとか、このシーンどのくらい撮ったんだろう。この角度もこの角度もあるとか(笑)。

―制作側の目になるわけですね。(そろそろ時間)
では最後のシメに、続編の「経済学」のほうを期待してよろしいでしょうか?

監督 どうしましょうね、春日井にお金持ちが・・・

中島 春日井以外の地域で撮っても面白いですね。

―場所を引っ越す? 芦屋どうですか?お金持ちいます。

監督 いや、芦屋じゃ成立しない、この話は(笑)。

中島 東海3県あたりで。

監督 岐阜、岐阜でやろうよ。あの美濃加茂市で。

中島 美濃加茂市長さん。

監督 この映画を激賞してくださったんです。

―それは嬉しいですね、ぜひ実現しますように。
今日はありがとうございました。


(取材・写真:白石映子)

=映画少年と大森一樹監督=

―監督が映画監督になろうと踏み出すときのお話もちょっとだけ聞かせてください。

監督 それはもうね、大学は日大なので初めっから。芸術学部演劇科でした。

―そちらに行こうと思ったきっかけは何でしたか?映画とか出会いとか。

監督 一昨年大森一樹さんが亡くなられましたね。(監督・脚本家/1952ー2022年11月12日)
僕が中2のとき、大森さんが25歳でデビューされた『オレンジロード急行』(1978)という作品があったんですよ。当時とても不遇だった鈴木清順監督(1923-2017)が、10年ぶりの映画『悲愁物語』を撮っていて、その両方に原田芳雄(1940ー2011)さんが出ているんです。僕は神戸なんですが、中学2年生のときに神戸の映画館の催しで大森一樹、鈴木清順、原田芳雄が対談するって企画があったんです。

―今考えるとすごい豪華ですね。

監督 豪華なんです。中学2年生でいそいそとそこへ行って、2本映画を観て、原田芳雄を観てすっかり吸い込まれました。それまで洋画ばっかり観ていたので、こんなに両極端な日本映画…鈴木清順のとてもわけのわからない映画、大森一樹の軽やかで洋画のタッチの映画…それを見たときに、そこへ入っていけそうな気がしたのかな。そこからですね、自分も自主製作を始めました。で、大学で16ミリ映画を撮って。

―『オレンジロード急行』と『悲愁物語』を中学生で観た。中2?中二病?(笑)

監督 ある種の「中二病」ですね。思い込みの強さで。

―幸せですね。そういうものに出会って。

監督 私はそうかもしれないけど、周りは不幸だったかもしれないですね。

―親が期待したほうに行かなかった、と。

監督 そういうことですね。まあだいたいそうでしょ? みんな「息子が映画監督?!よし、やりなさい!」なんて言う?ありますか、そんな。

―食えないだろうと思っちゃいますね。

監督 わけがわからないですよね。

―やっぱりお父さんお母さんの知らないところで、守備範囲から外れていますし。

監督 この人(中島さん)もそうですよ(笑)。

―外れた息子同士のお二人で(笑)。後もう少し続きを。

監督 大森さんが東京の映画監督でなく、神戸にいながら映画監督になったっていう、これが大きいです。東京に行って、立派な大学出て、助監督になってということではなくてもと。(京都府立医科大学に在学中から自主映画を撮り、助監督経験なしに『オレンジロード急行』で商業映画デビュー)

―大森監督は「心の師匠」みたいな?実際に師事したりは?

監督 兄貴分でした。現場についたりしたことはないですけれども、付き合いは長かった。この映画のエンドロールで「スペシャルサンクス 大森一樹」って入れているんです。

―見逃しました。も一回観ます。

監督 というのは、大森さんは大阪芸大の映像学科の学科長で、機材をこの映画のためにお借りしたんです。フィリピンのマニラでロケしているときに電話がかかってきて、こっちは撮影中でものすごく忙しいときだったんで、「はい!頑張っていまーす!」くらいで切っちゃったんですね。それが最後の電話になってしまって、それは非常に後悔しています。まさか、そんな亡くなると思わなくて。
これの前に撮った映画『あしやのきゅうしょく』のときは、大森さん「うちから一番近い撮影現場だ」って言って毎日来ていました。ちょっとうざいくらい(笑)。春休みでしたし。
「次、どこ行くんや?」って言うから、もうスケジュール渡して(笑)。

―まあ。意見を言うわけでなく、見ているんですか?

監督 言うんですよ(笑)。あれ、子どもの映画なんですが、
「あの子は目線が外れてる」。
「素人の子どもに目線とか言わないで下さいよ。意識したほうが硬くなるから」って反論しました。
そしたらもうずっとモニターの前にいるんですよ。座っているのをどけとも言えないし(笑)。

―現場が楽しかったんでしょうね。

監督 僕もそういうのがとても嬉しかったです。1978年の中学2年生がこうやって一緒に現場にいて、「やめてください!」って言ってる漫才みたいな関係がね。想像もつかなかったですね。

―なんて幸せなつながり!

『白日青春-生きてこそ-』 アンソニー・ウォン(黄秋生) 初日舞台挨拶

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マレーシア出身のラウ・コックルイ(劉國瑞)監督の初長編映画『白日青春-生きてこそ-』。70年代に本土から香港に密入国したバクヤッ(白日)と、パキスタン難民の両親のもとに生まれた少年ハッサン(中国名:莫青春)の物語。実の息子とは確執を抱えている、ちょっと頑固な老齢のタクシー運転手を演じた香港の名優アンソニー・ウォン(黄秋生)が、日本公開初日に駆けつけて舞台挨拶に立ちました。

日時:1月26日(金) 16時40分の回上映後 18:31~
場所:新宿武蔵野館 スクリーン1(新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3F)

登壇者:アンソニー・ウォン(黄秋生、62歳)
聞き手:江戸木純
通訳:サミュエル周


映画を観終わったばかりの満席の観客の前に、江戸木純さんが登壇。

江戸木:アンソニーさんの演技に皆さん感動されていると思います。ここに来ていただいていますので、素晴らしい時間を過ごせればと思います。 
さっそくお呼びしたいと思います。日本公開を盛り上げる為に来日してくださいました。皆さん、盛大な拍手でお迎えください。アンソニー・ウォンさん、どうぞお越しください!

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紋付の羽織風の素敵なファッションで登場!

黄秋生:コンバンワ! (拍手) この場を借りてお礼申し上げます。わざわざ観にきてくださって! 皆さんと一緒にいられて嬉しいです。 ほんとうにありがとうございます。
会場の皆さまの中で、中国語のわかる方は?
(ちらほら手が挙がる)
あまり多くないですね。 アリガトウゴザイマス。謝謝、多謝!


江戸木:この作品、最初に出演依頼を受けた時に、どう思われましたか?  脚本は完成していたのでしょうか?

黄秋生:前の作品『淪落の人』をやった信頼できる制作会社からオファーがあって、新人の作品だと聞いて、会ってみましょうと。ちょうどその時、何もやることがなくて暇で、コロナもあって、これ以上撮らないと演技が出来なくなると心配に思っていました。脚本を読んだら、この物語ならと。ただ、読んだ時に、ロジカルな問題があって、足りないところもありました。監督に会ったら、監督はとても紳士で、ここは直した方がいいのではと話すと受け入れてくれました。

江戸木:アンソニーさんが演じられた白日というキャラクターは悩みを抱えた複雑な役柄でしたが、演じる上でもっとも注意した点や、難しかったことは?

黄秋生:そうですね・・・ 演じるにあたってあんまり考えすぎないようにしたことでしょうか。例えばブルース・リーは、相手を一発で倒しますよね。でも倒す前にあれこれとカンフーを見せたりはしないと思います。だから自分も同じような気持ちで撮影に挑みました。

江戸木:夜の撮影がかなり多かったですが、思い返して一番大変だったシーンは?

黄秋生:一番大変だったのは、車の中で息子と泣く場面でした。とても寒いのに短パンを穿いていて、お腹も空いてました。近くにラーメンの屋台があったから注文したのですが、出来上がったころにスタンバイしなくてはいけなくて、ラーメンがのびてしまうと思ったら、泣いてしまいました。

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江戸木:サハル・ザマンさんはじめ中国人以外の方との撮影が多かったですが、エピソードは?

黄秋生:撮影現場は、とても和やかな雰囲気でした。ハッサンを演じたサハル君ですが、広東語で天ぷらのことを「ザハ(Za ha)」というので、天ぷら(ザハ)と呼んでました。一緒にゲームしたりしてましたが、とてもいたずらっ子でした。ひたすら歌って、子どもが歌ってはいけない歌も教えたりしました。 難民の父親役を演じたインダージート・シンは、ほんとはものすごいお金持ちで、一緒にご飯を食べた時にご馳走になりました。 母親役のキランジート・ギルは、美女でモデルです。最終的には皆さんとものすごく仲良くなりました。

江戸木:監督にとって長編デビュー作でしたが、彼ならではの特徴的な演出は?

黄秋生:演技指導はなかったです。もし演技指導されたら、「やめなさい」と言ったでしょう。演技指導したいなら、学校を開きなさいと言いたいです。監督には、ほかにやることがいっぱいありますから。監督はとても賢い方で、そういうことはしませんでした。現場ではいろいろ話して、監督には、いろいろ意見を出しました。撮影監督や照明担当からもアドバイスしていましたが、よく聞いてくれました。撮影現場はとても順調でした。私はずっとこういう芸術を愛する監督と仕事をしたいと思っていました。

江戸木:タクシー運転手が主人公ですが、香港映画で特徴的によく出てくるキャラクターです。アンソニーさんが出演された『タクシーハンター』(ハーマン・ヤウ監督、1993年)という映画もありました。タクシー運転手という職業に何か象徴的な意味があるのでしょうか?

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黄秋生:特別象徴する意味はないと思います。単に撮りやすいからだと思います。タクシー運転手なら、1台の車で一人でもすみます。バス運転手だと乗客も大勢必要ですし、航空機のパイロットだとさらに大変です。監督は気づいてないけど、自転車ならもっと楽でしょう。

それでは会場からの質問を・・・というところで、逆にアンソニーから「質問していい?」とさえぎり、「一番後ろの列に誰もいないのは? チケットを売ってないのですか?」 マスコミ用に空けてあったのですが、「香港では逆で一番前には誰もいません」とのこと。

黄秋生:一つ条件があります。質問した人は、10枚のチケットを買って、友人に配って映画館に連れ戻してください。
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*会場からの質問*
なかなか手が挙がらなくて 「皆、恥ずかしがり屋ですね。10人だと大変そうですから、5人にしましょう!」とアンソニー。

― 台湾の第59回金馬賞で最優秀主演男優賞を受賞された時に、サハル君も連れて一緒に舞台にあがったのが印象的でした。

黄秋生:天ぷら君は新人賞にノミネートされていたけど逃してしまって泣いてました。僕の受賞が発表された時に、直感として、小さい子にはこのような機会はなかなかないと思って、彼を連れて舞台にあがりました。ところがそのあと香港で彼が受賞して、僕は逃したのに、僕を舞台に連れてあげてくれなかったから僕は怒ってます!

― 南アジアの人たちは香港社会でどういう存在ですか?

黄秋生:お断りしておきたいのですが、研究している専門家ではないので、僕個人の意見です。香港では、エリアによって住み分けがされています。私のエリアにもそういう人たちはいません。多くの香港人は、こういう人たちを色付き眼鏡で見ています。悪いことが起こるのではと警戒したりします。香港では難民ではなくて南アジアからの移民が多いです。友人には南アジア系の人もいます。貧しい人もいますが、一部はお金持ちです。皆、いい人です。天ぷら君のお父さんは出前の仕事をしているけれど、教養があって礼儀正しい人。ほんとは金持ちです。

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我々が相手を見る時、世の中、いい人もいれば悪い人もいる、金持ちもいれば貧乏もいる、肌の色などで判断するのでなく、人を見てほしいと思います。

江戸木:まだまだ聞きたいことは山ほどあるのですが、これからフォトセッションにさせていただきます。

黄秋生:こちらから観ると恐ろしい光景が・・・ 一番後ろの左端の方の顔がみえません。
(それって、私のことでした。フォトセッションの準備をしようと思って下を向いていたのです。顔をあげたら、手を振ってくださいました♪)

*フォトセッション*

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劇場から花束贈呈


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マスコミ向けのフォトセッションのあとに観客の皆さんにも撮影タイム

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ハートを作ったり、サービスたっぷりのアンソニーに、どよめく皆さんでした。

取材: 白石映子(写真)  景山咲子(文・写真)



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『白日青春-生きてこそ-』アンソニー・ウォン(黄秋生) インタビュー
写真:宮崎暁美
秋生ちゃん節炸裂で言いたい放題でしたが、若い監督のことも応援しているのを感じることのできる発言の数々でした。
ぜひお読みください。


Facebookアルバム
『白日青春-生きてこそ-』アンソニー・ウォン インタビュー&初日舞台挨拶
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『白日青春-生きてこそ-』
公開中
配給:武蔵野エンタテインメント
PETRA Films Pte Ltd (C)2022
公式サイト:https://hs-ikite-movie.musashino-k.jp/
シネジャ作品紹介http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/502193789.html


『白日青春-生きてこそ-』 アンソニー・ウォン(黄秋生) インタビュー

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香港の名優アンソニー・ウォン(黄秋生) 久しぶりの出演作『白日青春-生きてこそ-』。
70年代に本土から香港に密入国したバクヤッ(白日)と、パキスタン難民の両親のもとに生まれた少年ハッサン(中国名:莫青春)の物語。監督は、マレーシア出身で、18歳の時に香港に来て以来、約10年、香港を拠点に活動しているラウ・コックルイ(劉國瑞)。

1月26日よりの公開を盛り上げるため、アンソニー・ウォンが5年ぶりに来日。 初日には新宿武蔵野館で舞台挨拶に立たれましたが、前日にインタビューの時間をいただくことができました。
取材: 宮崎暁美(M:写真)、景山咲子(K:文)


◎アンソニー・ウォン(黄秋生) インタビュー

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K:アンソニー・ウォンさんにお目にかかるのは、2009年2月3日(火)の『PLASTIC CITY プラスティック・シティ』記者会見以来のことで、ずいぶん前のことになります。   

黄秋生:あ~ ほんとだいぶ昔ですね。

K:『八仙飯店之人肉饅頭』以来、アンソニーさんの迫真の演技にいつも感銘を受けています。特に、『淪落の人』は、あの年に観た映画のベストでした。

黄秋生:ありがとうございます。

◆演技を忘れてしまいそうで出演を引き受けた!
K:『淪落の人』は、フィリピンのメイドさんとの物語でしたが、『白日青春-生きてこそ-』(以下『白日青春』)は、パキスタンの家族との物語で、私にはとても身近で嬉しい映画でした。イスラーム文化が好きで、香港に行くと必ず、ミッドレベルの古いモスクに行きます。 ヒルサイドエスカレーターが出来る前から行ってました。 モスクのそばにパキスタンの人たちが住んでいて、行くと、ミルクティーをご馳走してもらってました。イスラームの人たちは、ほんとに心優しいです。 これまで、香港映画でパキスタンの家族が出てくるものは少なかったので、『白日青春』には、とても興味を持ちました。 この映画はどうして引き受けられたのでしょう?

黄秋生:なぜ引き受けたか・・・ですが、実は、暇で暇で、やることがなかったのです。そんな時にたまたまオファーしてくれたのが、よく知ってる信頼できる映画会社で、映画に出ないと演技を忘れてしまいそうなので、どんなテーマの映画でもいいから出演しないといけないと。それで引き受けたのです。

M:プロデューサーの一人、ピーター・ヤムさんとは、2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で『乱世備忘 ― 僕らの雨傘運動』の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督にインタビューした折に同席されていて、お会いしました。 
3人のプロデューサーがいますが、それぞれ役割分担があったのでしょうか?


黄秋生:ピーターとは、この映画の製作にあたっていろいろ連絡を取っていましたが、あとの二人の方はよく知りません。配給会社の方かもしれないですね。

◆詩からつけた主役二人の名前「白日」と「青春」に、あらためて感心!
M:タイトルの『白日青春』ですが、清の詩人・袁枚(えんばい)の「苔」という詩の一節で、映画の中では小学校の授業で教えていましたが、香港の授業でも教えるくらいの中華圏では有名な詩なのですか?

白日不到処
青春恰自来
苔花如米小
也学牡丹開

日の当たらないところにも
生命力あふれる春は訪れる
米粒のように小さな苔の花も
高貴な牡丹を学んで咲く


黄秋生:どうでしょうか・・・

M:主役二人の名前をこの詩からとっていますし、皆が知っている詩なのかなと。

黄秋生:監督はマレーシアの華人で、この詩は監督の好みだと思います。
実は、今回、取材を受けるまでこの詩のことは気にしませんでした。取材で聞かれて、詩の内容のことも知って、名前にもそういう意味があったのかと初めて勉強になりました(笑)。

K:アンソニーさんも詩を書かれると聞きました。

黄秋生:ここに(書いた詩が)たくさんありますよ。(と、机の上に置いてある巾着を指されました。中にある携帯に入っているのでしょうか・・・)
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K:ご自身も詩を書く立場として、この詩は好きですか?

黄秋生:(ポスターに書いてある詩をしげしげと眺めながら) 先ほどのインタビューの方も、この詩が好きだとおっしゃってました。 なんとなく、この詩は日本的だなと思います。日本の美学でしょうか。細かいことをいわずシンプルなところ。この詩もそんな感じがします。日本の繊細さはいいのですが、中国の文化の中では、ひねくれた繊細さがあることがあります。この詩はそこまでは至ってないと思います。 詠んでいて、とても清らかで、雅まではいかないけれど、平凡ではない。言い方が悪いかもしれませんが、こんな素敵な歌と、映画の内容が合わないように思います。この詩は、「生きてこそ」というより、生命力や美しさを表していると感じます。
主役の二人の名前の付け方は見事だと思います。 白日と青春の由来を知らないと映画が何を語っているのかわからない。でも、詩の内容と違って俗っぽい世の中。思うには、純粋に監督の個人的な趣味です。いつもこの監督は、映画の中に個人的な好みを入れたがるんです。

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◆若い監督に物語をより深めるアイディアを提供
K: 今回の役は、がんこで、ちょっと嫌な老人の役でした。 監督からは、どのような要求があったのでしょうか?

黄秋生:監督がいうには、この老人はダメな奴ではないんです。同じ人物や出来事に対しても、監督と私の見方は時々違うんです。 例えば、監督は、この人物をみるときに、息子とうまくいかなくて、相手にしない。でも、それは表面的なことなのですよね。息子がどうしてそういう態度をとるのかというシチュエーションを考えないといけない。なぜうまくいってないかの理由をちゃんと把握しておかないといけないと監督に言いました。

K: 中国から川を渡ってきた時に持っていたコンパスをずっとお守りのように持っているのが切なかったです。 あの時に亡くなってしまった妻への思いを心に秘めているロマンチックな男だと思いました。

黄秋生:脚本には、奥さんと泳いできたとは書いてなくて、私が提案しました。「泳いで香港に入国した」とだけ書いてありました。義理のお父さんから聞いた話なのですが、学生の時、同級生たちと一緒に一生懸命泳いで密入国したのですが、振り返ってみるといなくなってしまった人が何人もいたと聞いたので、提案してみました。

K: その話が加わったことで、ぐっと話が生き生きとした感じがします。

黄秋生:創作するときの源になっているのは、自分自身の経験か、知人などの経験です。個人の経験だけですと限られていますから。


◆ザマン君に、アンソニーになんとアドバイスしたか聞いてみるといいよ!
K:パキスタンやインドの方と一緒に演技していますが、お母さん役のキランジート・ギルさんが、アンソニーさんと話す前は怖いと思っていたけれど、話してみたら、とてもいい人だったとインタビューで語っているのをみつけました。キランジートさん、とても魅力的ですが、どんな方ですか?

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黄秋生:大変な美女で、礼儀正しくて、英語の先生をしているのですが、こんなに綺麗な先生の教え子は、皆、英語が上手だと思います。しかもモデルさんでもある。ほんとにいい役者ですよ。 独特のエレガンスな気質も持っている人。

K:ハッサン役のサハル・ザマンの演技が素晴らしかったです。 彼の演技はいかがでしたか?

黄秋生:とても賢くて、可愛くて、ものおじしない。家での躾もしっかりできていて礼儀正しい子です。躾がいいというと医者などの子だったりしますが、驚いたのですが、この子のお父さんは、出前をしている人なのです。

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K:演技について、彼にアドバイスしたことは?

黄秋生:それは監督の仕事です。彼とコミュニケーションをよく取ってました。子どもには演出はいらないと思います。子どもはよく知ってます。2~3話したら、わかる。一緒にゲームをよくしました。誰が勝つかといえば、子どもですよね。 現場はいつも遊んでいた感じです。逆に、彼にインタビューする機会があったら、アンソニーにどんなアドバイスをしたかを聞いたらいいと思うよ!

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★取材を終えて★
『淪落の人』、『白日青春ー生きてこそー』と、このところ、日本で公開される秋生ちゃんの出演作はヒューマンなものが続いている。本人は「暇でやることがなかったから」などと答えていますが、きっと自分自身の思いがあってのことだと思うのです。それにしても役名の白日について、「苔」という詩の中からとった名前というのを、日本に来てから知ったと言っていたけど、ほんとかなあ。監督は、そういうのを説明しないのかなあ…。
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プロデューサーのピータ・ヤムさん(写真左端)の名前に聞きおぼえがあったので探したら、2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で『乱世備忘 ― 僕らの雨傘運動』の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督にインタビューしたおりに同席していました。インタビューの後も、監督やプロデューサーと香港のことを話しました。最後に映画祭事務局で、チャン・ジーウン監督とピーター・ヤムさん、それにゲストサポートボランティアの方の記念写真まで撮ったので、インタビュー記事の最後に載せました。これまでいろいろな方にインタビューしましたが、同席されたプロデューサーの方の写真を載せたのは初めてだったので印象に残っています(暁)。


2日間にわたって、びっしり取材を受けていた秋生ちゃん。私たちが部屋に入っていくと、メイクのお直し中でした。オーラがすごくて、すぐに声をかけるのをためらう程でした。通訳の周先生の訳す言葉がとても丁寧なのですが、おそらく、べらんめえ調。同じような質問を受けてきたと思うのですが、たっぷり答えてくれました。さすが役者魂! 秋生ちゃん節炸裂で、言いたい放題でしたが、若い監督のことも応援しているのを感じることができました。
お母さん役のキランジート・ギルさんは、イランの女優ゴルシーフテ・ファラハーニーにも似た素敵な方なのですが、秋生ちゃんも大変な美女とべた褒めでした。
翌日の舞台挨拶も、客席から何度も笑いが起こりました。 秋生ちゃんが、ほんとに老人に見える『白日青春ー生きてこそー』。 ぜひ劇場でご覧いただければと思います。(咲)



『白日青春-生きてこそ-』 アンソニー・ウォン(黄秋生) 初日舞台挨拶
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『白日青春-生きてこそ-』
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『99%、いつも曇り』瑚海(さんごうみ)みどり監督インタビュー

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*プロフィール*
瑚海 みどり(さんごうみ みどり)1972年生まれ。神奈川県出身 俳優、声優として活動中。2020年より映画制作を学ぶ。
映画美学校にて脚本・監督術を学ぶ。
宇治田隆史氏の「自分で思ってないことを書いてはダメ。自分が本当に思っていることを書いてください」という言葉を忠実に守っている。
好きな映画:『戦場のメリークリスマス』小学生のときに観て、デヴィッド・ボウイの写真集を買って学校にも持って行ったほどお気に入り。

監督作品
『ヴィスコンティに会いたくて』(2021年)
THEATER ENYA×佐賀県LiveS Beyond映像作品募集企画 第1回演屋祭金賞
監督・脚本・主演
https://www.youtube.com/watch?v=iRaenuTs1gk
『橋の下で』(2021年)
監督・脚本・主演
Amazon Prime Videoテイクワン賞審査委員特別賞
https://www.youtube.com/watch?v=LQqvEw1nKcM

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『99%、いつも曇り』
監督・脚本・主演
https://35filmsparks.com/
第36回東京国際映画祭「Nippon Cinema Now」部門上映作品。
★2023年12月15日(金)よりアップリンク吉祥寺にて上映中
作品紹介はこちら

白:TIFF(東京国際映画祭)での『橋の下で』上映を見逃してしまって、瑚海監督の作品を拝見するのはこの映画が初めてでした。
15年前に「アスペルガーじゃない?」と言われたことがこの映画を作る力になったそうですね。


監督:ある劇作家の演出助手についてた時、「私もアスペルガーだけど、あんたもそうだと思うよ」と言われたんです。ええ!って。
私の認知としては、アスペルガーって「才能のある人」。才能あるけれど、凸凹しているからちょっとバランスが悪くて、コミュニケーションがうまくいかないこともあるっていう印象でした。
自分ではそこまでではないけれど、「変わってる」とは言われがちだったんですが。気にしていたときにワークショップでの飲み会で「私アスペルガーなんですけど、瑚海さんもたぶんそうですよ」と急に言われたんです、アスペルガーでしょと当事者から2回続けて言われたので、いよいよそうなのかもしれないと。

白:調べたことはないんですか?

監督:調べたことはなくて、今回映画を作るにあたって、自分はどうなのか、とオンラインでテストがあるじゃないですか、調べたりしたらそこまで(はっきりした)のは、いかなくて。だけど、IQを調べたりすると、いいところはぐんと良かったりするんです。ただ数学は全くダメなんです。零点とっちゃったりするような。でも英語はよかったり。

白:おんなじです。語学や、絵とかもの作りとかはいいんですよね。

監督:やっぱりそうなのかなと思ったんですよ。耳から入って来たものはどっかへいっちゃうんですけど、ビジュアルは残る。名前言われても忘れるけど、名札がついていると覚えていられる。

白:映画として面白くしなくちゃいけないから、脚色しますよね。どこらへんが監督の体験かな、ここはフィクションかなとつい思っちゃいまして。

監督:水道出しっぱなしでどっか行っちゃうはないです(笑)。

白:私はお鍋をよく焦がします。そばにいても他のことをしていると集中しすぎて匂いがするまで気づかなかったり。忘れ物も多いです。

監督:火は気をつけていますが、集中しがちっていうのはありますね。(そういう傾向が)母親から来たかなと、一緒に暮らしていて思うんです。母親もよく何の気なしにいやなこととか、ポンポン言うので。「そういうところがアスペルガーだって言ってんのよ!」と最近はこちらが言ってますね(笑)

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白:調べると「自分のせいじゃない」と落ち着くかもしれないですよ。脳の回路が違うそうなので自分ではどうしようもないじゃないですか。この映画でも就職で苦労する場面があってすごく共感しました。うまくいくといいなぁと。

監督:私も役者をやめていたこともあるんです。何か他にあるんだろうかと行ったり来たり、踏ん切りをつけてここまで、映画を作るところまでくるには時間がかかったんですよ。グラフィックデザインの事務所に勤めたこともあって、うろうろウロウロするんだけども、やっぱりここなんだっていう風に戻ってきて。書いたり、ものを作ったりすると評価されて、また厳しいことを言われたり、傷ついたりするんじゃないかとすごく怖かった。やっと、年取ってそんなこと言ってたら死んじゃう、と。4年半前くらいに、私頭蓋骨骨折してるんです。
 
白:交通事故で?

監督:酔っ払って自転車に乗ってバーン!とぶつかって。

白:あらー!自損ですね。

監督:自損なんですよ。うちの近所でやっちゃったので、警察が来て「これ飲酒運転ですよ」って言われたらしいんです(記憶がない)。目が覚めたら「処置終わりましたよ」って。こっちは「え、なんですか?」、べろんべろんに酔っぱらってて「うっ、気持ち悪い!」みたいな状態で。こんな生き方していたら死んじゃうなと思って覚悟を決めまして。
頭蓋骨割れた(!?)状態でオーディション受けに行って、受かって「映画出る!」と2週間で退院しました。もっともっとやらなきゃいけないと思って。
その時なんでそんなに反省したかというと、友達が言うには酔っ払って「F●●K YOU!」てずっと言ってたらしいんです。それはおそらく自分に対して言ってたんだろうと。その、自分がうだつがあがらずにいることとかで、自分にイライラしていたんだろうなと。で、覚悟を決めたんです。

白:監督、独演会やれます!面白いです。(笑)!

暁:そんな風に行ったり来たりした経験が、きっとこの映画に生きてます。東京国際映画祭の挨拶でも「ある程度年齢がいってから監督になりました」とおっしゃっていましたが。そういう経験があって映画を作っているから、若くして作った人とは違う重みというか、深みがあります。
しかも、監督で役者でもあるということで、自分の作りたい思いと演じる思いが一致してうまくできているなと思いました。

監督:ありがとうございます。ま、リアルではありますよね。本人が感じていることを自ら演じているから、脚本読んだだけで何かやるよりも、自分がやりたい微妙なところを投影してできます。
これから、自分じゃなくほかの俳優にやってもらうときに、どれだけ監督として演出できるのかっていう怖さはあるんです。
映画美学校にいたときに、「違う人にやってもらった方がいい。自分が演じないで監督することを勉強しなさい」って、みんな先生も言ってたんです。一回だけ同期の子とホラー映画を作ったんですけど、自分が出ていた方が面白くなるんじゃないかな、と思ったんです。自分の映画だったら、主役じゃないにしても、どこかで自分が出ていた方が「私カラー(色)」が少し出ると思うので、やっぱりいつかどこかで、そういう風にやっていきたいなと。

暁:カメオ出演じゃなくて。主役じゃなくても、主役を食っちゃうような感じの役者さんっているじゃないですか。それがいいと思う。

監督:夏木マリさんが『ピンポン』っていう映画で、近所のおばさんをやっているんです。主役は男の子たちなのに、そのシーンがものすごく焼き付くみたいな。

暁:そういう演技になるんじゃないかなと予想します。
白:目指すところ?

監督:目指すところです。次回の話、まだ誰もお金を出してくれるとか、プロデューサーもついていないんですけども、考えているのがあって。そこもなぜかやっぱり自分が主役で(笑)、おばさんなんだけれども。そういうのを考えています。誰か脚本を気に入ってくれたら、ほかの人がやってもいいと思う。

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白:この映画はどんな風に作られたんでしょうか?

監督:昨年の令和4年に、コロナ禍で何か芸術作品を作るのであれば応援しますよ、というAFF(ARTS for the future!)2があったんです。AFF1がその前の年にあって、もう一年やるらしいというのを耳にしたんです。1は尺(長さ)の規定がなかったんですが、2は「60分以上」で映画館で上映しなくちゃいけないというルールがあったんです。それだったら、人に観てもらったほうがいいし、中編で中途半端になるよりも長編で本気で挑んでいかなきゃと。
一昨年これ(Amazon Prime Videoテイクワン賞)がありましたが、2位の私には助成金はない。でもその勢いで何か作らないと。美学校も1年でやめちゃったので誰にも強制されないから作らなくなっちゃう。人って何かないとやらないんですよね。ヤバイなヤバイなと昨年の1月くらいから考えていたんですが、お金の当てがない。ちょうどその時に助成金の話が入ってきました。思えば思うほど情報が入ってくるんですね。で、企画を立ち上げて・・・。
私、冬になると寒くて動けなくて(笑)ホットカーペットの上でゴロゴロしてyoutubeとか見ていたら、アスペルガーの人たちの動画がいっぱいあったんです。生活ぶりとか、こんなヘマしましたとか、生きづらいですよねとか。これは私がやるっきゃないでしょ!15年もスマホにアスペルガーって入れてるんだから~!(そのころアスペルガーでしょと言われた)って。
2月くらいからだんだん固まってきて、二階堂さん(夫の大地役)には「俺も出してくれよ」って言われてて、ちょい役でなくもっと濃い役を、「あ、旦那さんで行こう!」と。
3月~5月にかけてば~~っと脚本を書きあげました。その後も改稿は何度も何度もしたんですけど。助成金の申請はまたyoutubeで勉強して(笑)。

白:youtubeえらい!(笑)

監督:えらいでしょ(笑)。こんな書類を出すとか、いろんなこと教えてくれるんですよ。なんとかかんとか、いろんな人の見て申請しました。企画もフィックスしてきて、全部一人でやって。
手伝ってくれるって言ってくれたんですけど、もし思う通りにいかなかったとき、きっと人のせいにするなと思ったんです、自分が。それでパンクしそうになりながら自分でやっていました。助成金がおりるとも何とも返事が来ないうちに、どんどんキャスティングしてしまって(笑)。秋にはお金があると思うので、と全部ブッキングして(笑)。7月くらいからロケハンも。撮れるかどうかわかんないけど、先走ってやっていました。

暁:撮影そのものは何月ですか?

監督:9月半ばくらいから9日間でやったんです。

暁:え、9日間で!
白:場所はそんなにあちこち行ってないですね。ご町内って感じで。

監督:彼女の閉鎖的な、クローズドの世界を描きたかったので。もっといろんなところへ行けばよかった、という人もいたんですけどそれだと開放されちゃうわけです。この人は開放されてない。この人って(笑)私ですけど。一葉はずっと家で悶々としてるとしたかったので。
唯一出かけるのが、あの里親のセンターにちょこっと電車乗って行くだけ。

白:この舞台は・・・
暁:(エンドロールにある)フィルムコミッションは府中とか国分寺になっていましたよね。近くに住んでいました。


監督:あ、そうです。府中で。ロゴを入れておいたほうが、道路や土地の使用許可が出るみたいなことを言われて。

白:どこだろうと思ってつい地名のわかるものとか探しますね。電信柱の住所とか、看板とか。

監督:どこでわかるかというと、電車に乗っているとき「国分寺」どうのこうのと言ってるんですよ。あれでわかる人はわかるんです。ほんとはあそこ削りたかったんです。どこかわからない土地にしたかったんですけども、ちょうど音がすごく良くって。いいか、わかっちゃっても。どっちにしろJR乗ってるし。

白:地名がわかって、納得するだけなんですけど。オタクですね。

監督:そこでどういう生活が営まれているか想像しますよね。

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白:一葉さんって結構強烈なキャラクターで、髪とかファッションとか派手ですね。あのモヒカンヘアにはびっくりしました。

監督:あれになる前はこういう全然スラっとした(今のような)頭をしていました。青い髪の人とか、ファッションが奇抜な人が多いんです、こういう傾向の人は。やっぱりビジュアルが得意だから。
それでいこうと思ったときに、髪型どうしようか、ただの刈り上げじゃ面白くないなとこれになったんです。パーマかけて。

白:面白い方に行くんですね(笑)。

監督:私の選択がね(笑)。

白:より面白い方へいった髪が伸びるまで、ほかの仕事に差し支えなかったんでしょうか?

監督:両方刈り上げているので、普段は下ろしていました。2か月後くらいにお母さん役が来たんですよ。中は伸びてないんですけど、大丈夫ですか?って聞いたらパーマものばすから大丈夫ですよって。それでお母さんやってきましたけどね。

白:お母さん役もされるんですねえ。

監督:普通にやってますよ~(笑)。これはワンシーンなんですけども、映画24区の作品で、片岡仁左衛門さんの息子さんの千之助さん(初めて主役)のお母さん役で、「あんた、もう。ちょっといい加減にしなさいよ~」なんて言っています。
*<ぼくらのレシピ図鑑シリーズ第3弾>『メンドウな人々』(安田真奈監督)

白:綺麗な息子と綺麗なお母さんじゃないですか。

監督:またまたぁ~(笑)

暁:今回のを観た後、そちらを観ても同じ人だとは思えないかもしれない(笑)。

監督:そうかもしれないです。髪も全然違うし。

暁:この写真(授賞式)を撮って、その顔のイメージで『99%、いつも曇り』のチラシを見たら「あれ?この人かな、違うかな」って(笑)。

監督:髪型ってすごく印象変えますよね。この頭やってから気に入っちゃって、くるくるパーマです。

白:一葉さんはもちろん、ほかの方々も個性的で面白いです。

監督:ありがとうございます。私自身がマイノリティ…と言っちゃアレなんですけど、そういう人を気に掛ける傾向もあって。ホームレスのオジサンに弁当買ってきて「おっちゃんも大変だよな~」なんて言ったり、一葉もそういう傾向がある。

白:いろんな人を呼んでカレー食べちゃったり、ね。
人当たりいいというか、いろんな人と付き合えるのはアスペルガーの人のイメージと違いますね。

監督:でも私は人見知りなんですよ。それが転じてわけわかんない方へいっちゃう(笑)。

白:お母さんの話は出てくるけど、お父さんは全く出てきませんね。

監督:早くに亡くなっちゃってるという設定です。私の父も2年前に亡くなっているんですけども、私の中では母親っていうのはものすごいキーパーソンなんです。いろんなことに口出して煩いわりには、見守っているのか?
と思えばまたやいやい言ってくる。いいのか悪いのか、わからない存在。

白:親ってそんなもんですよ(笑)。

監督:そんなもんですかね?(笑)なので、母親がキーになる。

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白:この旦那様が父親代わりみたいな気がしたんです。年もすこし離れている大人で一葉の保護者のような感じ。

監督:前の旦那さんをイメージして書いているんですけど、すっごく優しい人だったんですよ。

白:(ぼそっと)なんでそんないい人と別れたの? って近所のおばちゃんみたい。(笑)

監督:そうなんです。それ、別れた後に本人も言ってましたよ。「なんで僕たち別れたんだろうね」って。別れた後も仲良しだったんですよ。ただ向こう再婚しちゃったので、退きまして、やいやい言わないようにしようと思って。
ほんとに大事にして可愛がってくれていたので、そういう意味では自由にさせられ過ぎて我儘になって別れちゃったんですね。
彼が見守ってくれているという、そこのところを入れていますね。

白・暁:いい旦那さんでえらいと思いました。なかなかいない。

監督:いいよねー。その、前の旦那さんが言っていたのは「可哀想と可愛いが、一緒って僕は思っていて」。私を見て可哀想と思うのは「わけわかんないけどバタバタしている」とき。それがなんか可愛いと。8歳離れていたんですけど妹というよりは、子どもみたいに。
一葉もそんな風に若いときに出会って、子どもっぽいままでいられるんです。

白:「ちゃん付け」、違った!「君付け」で呼んでいましたね。

監督:大地君。私も君付けで呼んでたんです。思いっきり自分の生活を反映してる(笑)。

暁:社会の中で「結婚したら子どもがいて当然」みたいな周りからの圧力があって、子どもができない夫婦にとっては悩みであるということがありますが、この映画でも「やっぱり子供がほしい?」ということが出てきます。最後は「私たちは私たちでいいんだ」って落ち着いたのでホッとしました。人の意見に左右されずに自分の意思で決める。そういうところが20代、30代の若い人たちにアピールするんじゃないかと思います。
「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」っていう言葉があります。「産むか産まないか、いつ何人の子どもを持つかを自分で決める権利」という意味らしいですが、何も突っ張った主張はしていないし、監督がそう思ってなくてもそれに辿り着いた映画でもあるなと思いました。

https://www.gender.go.jp/about_danjo/basic_plans/1st/2-8h.html

白:(暁へ)その言葉使うのやめなよ(笑)。
暁:私も使いたくないのよ、覚えられない英語だから(爆)。


暁:そういう「産むか産まないかを人に左右されず、自分で決めることが大事」ということをアピールできる映画だと思うんです。今でもあの叔父さんのようなことを言う人はいますよね。悪気はないまま言っちゃう。

監督:ものすごく日本の教育にも感じるところがあって、戦後もう一回日本を立ち直らせようとして、おんなじ方向を向いてわーっと働かされて高度成長してきた。もともと日本って、抑え込んでいるような教育というか、先生が一方的にしゃべってそれを子どもたちはノート書くだけ。お互いにコミュニケーションをとったり、私の考えはこうです、と言えない状態で今まで来ていると思うんですね。
だから、個性っていうのをないがしろにしてきている。産めよ増やせよという政策をとってきて、人間を人間として扱っていないような、コマみたいに。

暁:出生率がどうのこうの、とか。

監督:数年前も子どもを産まない女性は(LGBTカップルも)「生産性がない」って。

暁:今でもこういうことを言う人がいるんだ、とびっくりしました。

白:それも政治家ですからね。

監督:ああいうことを普段から軽口叩いているから、言っちゃうんですよ。

白:あとから撤回しても遅い。嘘つけと思ってしまう。
(政治の話題で盛り上がる)

白:詐欺の話もちゃんと出しましたね。時流の話題。
いろんな人との間に壁を作らない一葉さんがすごくいいです。

*ここで(暁)が登場人物を勘違いしていたことが発覚して、しばらく登場人物の説明が続く。監督はちゃんと描きわけています。

白:そういう人たちが、ひとつところに集まってカレー食べているというのがいいです。あんまり観たことがない珍しい風景で。

監督:映画でなんか気になるのが、たとえばアスペルガーの人を取り上げたら、その人以外はみんな普通の人でその人だけを浮き上がらせる、みたいな。それ、嘘だと思うんですよ。だって周りにもっといろんな人いるじゃないですか、そこが日本の映画のイヤなところ。だからできるだけリアルに…リアルかって言ったら全員がマイノリティみたいなことはなかなかないわけですけど。
でも、一葉は日常こういう人たちと付き合って生きているんだ、ってところを描きたかった。

白:わざとらしくなくて、一葉ならこうするだろうって自然な流れだったんです。だから好きな映画ですね。

監督:いい方にとらえていただいてありがとうございます。「そんなことあるの」って言う人もいますが。

白:「そんなことあるの」って言ったら、映画って「そんなこと」だらけですけど。

暁:それを「映画的」っていうね。それが映画の中で自然に存在しているように表現できるかっていうのは全然違うよね。


白:私は、監督が「見える化」していると思ったんです。黙って外に見えないようにしている人は、きっといっぱいいるから。映画は間口を広げてくれたはずです。

監督:ありがとうございます。事件がどこででも勃発したらそれは映画的になりすぎちゃうけど、事件としては一個くらい。なんとなくバラバラしている人たちが集まってそれぞれ暮らしてる。

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白:あのセンターの対応も、雨の中一葉が足引きずりながら出かけたのに、担当者に電話一本かけたらどうなの、って思いました。ああいう目に遭ったことが?

監督:中身は違う話なんですけど。
区役所って登録すると稽古場として使わせてもらえるんです。更新のときに、メンバーのハンコを捺してもらわないといけないんですが、コロナでもあるしそれができないので、問い合わせて確認して「免許証のコピーとか送れば良い」写メ持ってったんです。そしたら窓口に出てきたおばさんが、「ハンコがない」と言うので、それは電話で確認したと説明しても、何回も同じことを言うんですよ。「じゃ私が文房具屋でハンコ買って勝手に捺せばいいんですか。そういうことじゃないでしょ。担当の方に聞いてください」って言ったら、「今回は大丈夫です」って。なんなの、この人って。それで、「10秒数えて」どころじゃない、どんどん強くなって言っちゃいましたよ(笑)。

白・暁:あれ面白かった(笑)。
白:「アンガー・マネージメント」ですね。実際には?


監督:普段ですか? やらないで言っちゃいますね(笑)。でも今は抑えられるようになりました。

白:一葉さんは怒るほうに行くんですね。

監督:黙るほうですか?

白:黙るほう。いちいち言っちゃってたら(人間関係破綻してしまう)、私は今ここにはいません(爆)。

監督:「なんでもかんでもポンポン言わないで、少し考えてから言うことにしろ」って前の旦那さんにも言われてました。

暁:いろんなエピソードがきっと経験したことなんだろうな、それが生きていて面白く観られました。

監督:リアルっぽいですね。ほんとのことじゃないの?って思いました?

白:はい。小説もそうですよね。経験を元に脚色して作っていくし。映画は、2時間でおさめるのに多少都合よくなることもあるでしょ。この映画はいろんな人が出てきますが、あまりに突拍子もないようなことはなくて身近にあることを入れ込んで上手にまとまっていると思いました。

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監督:とっても大事なセリフを他の役者が言い間違った箇所があるんです。私はお芝居中で聞き逃していたんですが、助監督の女の子が「このセリフ合ってます?」って言ってくれてわかった。
そこは2字違いで、全然意味が違っちゃうんです。セリフの意味はすごく大事にしているので彼女がいてくれてほんとによかった!
熱の入ったお芝居が続いていたので、同じものは撮れない。どうしよう~とすごい騒いでいたんですが、整音の人に頼んでそこだけアフレコにして、うまく合わせてもらいました。

白・暁:全然気づきませんでした。
白:いいこと聞いちゃいました。
暁:整音ってそういうことができるんだ!


監督:じっくり見ていると口の動きが合っていなかったりするんですけど。でも観客は別のところを見るだろうと(笑)。
実はもう1箇所あって、そっちは整音で削ってもらったんです。冒頭で甥っ子が一人出てきます。一葉が「うるさい!」と怒っています。その子と最初の公園の女の子は姉弟にしていたんです。一周忌のところ、最後の楽日の撮影だったんです。参加した女の子が、撮影が始まる前に怪我してしまって登場できなくなりました。それで設定を変えることにして、みんなでわーわー話しあって、3時間くらい押しました。
怪我が治ったので、やっぱり出てもらおうと公園の女の子の部分を追加撮影しました。台本は10分くらいで書いて(笑)。

白:まあ香港映画みたい(笑)。

監督:一葉の変な「ぶり」もわかってインパクトもありました。
話が長くなったんですけど、子どもたちがいるっていうことの体(てい)で先に撮ったので、居酒屋の場面で「子どもたちと遊ぶ」って言っているんですよ。台本は「子と遊ぶ」だったんですけど、言いにくいから二階堂さん「たち」をつけちゃってる。それは編集で気がついて、今度は減らすんです(笑)。

白:編集って面白いですねー。映画は9日間で撮って、そんなアクシデントがあっては、編集には時間かかったでしょう。

監督:編集はですね。急いで作って音楽つけてもらわなきゃいけない、みんなに見せなきゃいけない、っていうのがあったんで、うわーっと10日くらいでしました。実は撮影が終わって疲れちゃったので、これから編集に入るのに何かはずみをつけたいと思ってディズニーランドに遊びに行ったんですよ(笑)。そしたらコロナになっちゃって(笑)。

白:なんでそんな余計なことを(笑)

監督:そうそうそう(爆)。そしたらもう家にいるしかなくなって、1日15時間くらい編集して。で、10日間であがった。

白:缶詰になって逆に良かったんですね。あれ?熱は出なかったんですか?

監督:出たんですけど、集中するとものすごい集中するから、ずーっとやってましたよ。面白いものはできたと思うんですね。ちょっとずつちょっとずつやるよりも、一気にやったほうがいい。

暁:編集も自分で全部? 全部できるのは強いですね。

監督:全部やりましたね。もちろんほかの人にやってもらって良いものができることもあると思うんですけど、遠慮が入ることもあるじゃないですか。自分だったらババっと切る。切りすぎて、カメラの子に「カットが短い」って言われたんですけど、「いーんだよ」って(笑)。無駄にインサートとか入れてモタモタする映画嫌いで、急に月とか入れてきたりね(笑)。「そんな雰囲気とか要らない」ってスパスパ切っていきました。

暁:自分で切ると逆に長くなる人いますね。
白:そっちが多いかも。思い入れありすぎて切れない。

監督:「110分は長い」とは言われました。最初は80分くらいで作ろうかと思ってたのに、てんこ盛りにしたのでだいぶ長くなっちゃって。

白:エピソードが。
暁:でもそれだけあっても、あれもこれもって感じはしなかった。流れの中でこういう事件が起こって、っていう。
白:そうそう。とっ散らかってる感じはしないの。


監督:ありがとうございます。自分で編集して面白いなと思ったのは、例えばですよ。音楽がわーってなったところでパチンと切る。オチみたいにする、っていうの。里親支援センターの自動ドアの前で開かなくてジャンプしたりするんですが、上のほうにポチ(ボタン)があるんです。そこでポチ、ウィーン(ドアが開く)音楽が切れる、とやっています。

白・暁:もう一度観直します。もう一時間過ぎてしまいました。今日はありがとうございました。

(取材まとめ:白石映子 監督写真:宮崎暁美)


=インタビューを終えて=

映画だけでなく、政治や年金や、将来のことまで話は広がりました。表情豊かで、声色も変える監督のお話はほんとにおもしろくて、笑っているうちに時間があっというまに過ぎました。ネタバレになってしまうところはぼかしております。
私自身「アスペルガー症候群ではないか」と疑っているのですが(昔はそんな言葉聞きませんでした)、調べたことはありません。一葉とは傾向が違うけれども、似ているところが多くとても共感しました。
なんでも分類されるのは好きではありませんが、傾向がわかれば対策もできるというものです。発達障害といわれる子どもたちが、大人になって自分で生きていける居場所を見つけられますように。理解が拡がって、自分の得意なものを生かせますように。(白)


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本誌105号(2022年発行)の表紙に瑚海みどり監督の写真を使わせていただいたのですが、これは第34回東京国際映画祭(2021)で瑚海監督が「Amazon Prime Video テイクワン審査委員特別賞」を受賞した時の写真です。授賞式での瑚海監督の表情がすてきだったので使わせていただきました。監督に105号を渡したいと思っていたのですが監督の情報がわからず、映画美学校での試写の時に事務局に聞いてみようかとも思ったのですが、そのうち監督作品で会える時が来るだろうと思っていました。そして、この作品で出会うことができました。今回、白石が瑚海みどり監督にインタビューすることを知り、ぜひ105号を渡したいと思い、白石と共にこのインタビューに参加させてもらいました。
表情がゆたかだったのは、俳優や声優を経験してきたからだと知りました。また、いろいろな経験や体験をしてから映画監督に挑戦したということで、作品にそれらの経験が生きていると思いました。自分で主人公を演じていますが、自身の思いを人に演じてもらうのではなく、自分で演じることで正確に思いを役に込められ、これまでやってきたことを生かせる。一石二鳥です。今回の作品では、それが生かされていると思いました。加えて編集も自分でできるというのは、今後とも映画を作っていくのに大いに役立つと思います。少しづつ経験を積んで、映像作家として活躍していってほしいです。(暁)