『フタリノセカイ』飯塚花笑監督インタビュー

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*プロフィール*
飯塚花笑(いいづか かしょう)1990 年生まれ。群馬県出身。
大学在学中は映画監督の根岸吉太郎、脚本家の加藤正人に学ぶ。トランスジェンダーである自らの経験を元に制作した『僕らの未来』(2011)は、ぴあフィルムフェスティバルにて審査員特別賞を受賞。国内のみならず バンクーバー国際映画祭等、国外でも高い評価を得た。大学卒業後は「ひとりキャンプで食って寝る」(TV 東京)に脚本で参加。フィルメックス新人監督賞 2019 を受賞するなど活躍している。2020 年 4 月、「映画をつくりたい人」を募集するプロジェクト『感動シネマアワード』のグランプリ作品6作品のうちの1つに選ばれる。
『僕らの未来』PFFアワード2011審査員特別賞、『青し時雨』、『海へゆく話』沖縄国際映画祭2016 優秀賞

『フタリノセカイ』
脚本・監督:飯塚花笑
出演:片山友希、坂東龍汰、クノ真季子、松永拓野、
保育園に勤める今野ユイ(片山友希)と実家の弁当屋を手伝っている小堀真也(坂東龍汰)は、出会ってすぐに恋に落ちた。将来結婚する約束を交わし、幸せな日々を過ごしていたが、真也には、ユイに伝えていないことがあった。それは、体は女性、心は男性のトランスジェンダーだということ。真也が時折見せる思い詰めた顔に不安を感じていたユイは、ある時、その理由を知る。
https://futarinosekai.com/
(C)2021 フタリノセカイ製作委員会
作品紹介はこちら
★2022年1月14日(金)新宿シネマカリテほか全国順次公開


―映画はトランスジェンダーの当事者である飯塚監督だからこそできた作品ではないかと思いました。私はたまたま映画を一般の人より多く観ているので、LGBTについての知識もいくらかありますが、深くは知りません。
『きこえなかったあの日』の今村彩子監督に、私たちが「聞こえない方にできること」を尋ねたときに「まず聞こえない人がいるということを知ってほしい」と言われました。飯塚監督もトランスジェンダーのことをもっと知ってほしい、と思われますか?


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そうですね。僕も知ってほしいと思います。この映画でも描いていますように元々男性として生まれて生きて来た人とは違う部分は、ありますので。みんながトランスジェンダーの知識を持っていて、こういう人間が気づかないけど身近にいるかもしれないという想定の中で話が進んでいったりですとか、そういう配慮があるともっともっと生きやすくなると思うことが多々あります。
僕の描くものでは、自分のパーソナリティと切っても切り離せない部分がおおいにあります。いろんなタイプの方がいて、自分のパーソナリティを隠して生きている方もいらっしゃいますが、僕の場合は特に隠すつもりもなく、トランスジェンダーであることは自分自身の一部であり特性だと思っています。抵抗感はないので、記事を読まれる方も僕のパーソナルな部分も含めて読んでいただければより理解が深まったりするのでは、と思います。

―ありがとうございます。では映画についての質問を。今劇場にかかるということは、コロナ禍の前に撮った作品ですか?

撮影自体はコロナの前です。2019年の6月に11日間で撮りました。編集まで終わっていて、音の仕上げの段階でちょうどコロナで自粛に。

―撮影が終わっていてよかったですね。6月でも雨のシーンはなかったですが。

奇蹟的にかわしたんですよ。「僕らほんとに行いがいいね」と(笑)。外で撮影していて次のシーンで中に入ろうと言った瞬間に降り出したり、逆に室内のシーンをやっているときに雨だから次のシーン撮れないかなと言って終わったら、雨が上がったり。

―それは映画の神様に可愛がられたんですね。

ほんとに神様いるんじゃないかって。あれで運を使い果たしたかもしれない(笑)。

―いやいや、これからもいい行いを積み重ねて、ヒットに結びつけてください。ロケではあのお弁当屋さんと上の信也の部屋、保育所がメインでしたね。

最初は予算的にも、営業しているお弁当屋さんを借りて2日間で撮り切るしかないか、とそういう案で動いていたんですが、やはり10年の歴史を2日間でまとめるのは無理ですし、映画として良くないよねと。元々中華屋さんだった、1階が店で2階にあの住居スペースがある建物を見つけて、作りこみました。高崎フィルム・コミッションさんと制作部が頑張ってくれました。高崎で撮影して全面協力していただいたのに、ある地方都市という設定で高崎らしいところが写っていないんですが。

―最初のほうに保育所に勤めるユイがイザナギ、イザナミのお話をする場面があり驚いたのですが、あのアイディアはどこから出たのでしょう?

物語の最初に、これから起きることに関わる象徴的なお話を持ってきたいとずっと考えていて、絵本や童謡など見たり聞いたりしました。日本書紀(古事記も)を現代語訳したものがあって、ああいう話になるんですよ。あそこで表現したかったのは、幼少期から家族を持つのが幸せだよとか、男の人と女の人がいて、最終的にこういう形になるんですよ、という「刷り込み」がこの世の中にあふれかえっているという象徴としてああいうものにしたんです。

―キャストの方々が素敵でした。片山友希さんのユイ、坂東龍汰さんの真也、若いときのまっすぐでピュアなところなど、おばあちゃん目線でよくケンカするなぁ、若いなぁ、可愛いなぁと観ていました。お2人のキャスティングはどういう風に決まったんでしょうか?

そもそも「友希を主演とした作品を撮りたい」と、芸能事務所のブレスの社長である狩野さんから相談を受けて、その後『フタリノセカイ』を提案しました。坂東君に関しては、狩野さんからご提案があって。最初はシスジェンダーである彼にトランスジェンダーを演じられるのか?という不安はあったのですが、色々と資料を見させていただいて、トランスジェンダーの特性を持っていると感じたので、キャスティングに至りました。
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―松永拓野さんの俊平くんもとても印象に残りました。3人の喫茶店でのシーンに泣けました。飯塚監督の以前の短編にも出演されていますね。

すばらしい役者さんです。やんちゃな役が多いんですけど。この役は松永さんでないとできなかったです。

―この映画にはトランスジェンダーだけではなく、子どもを産む人、欲しくてもできない人、理解する人、しない人と、いろんな立場の人、エピソードがたくさん入っています。監督が体験したこと、見聞きしたことが多いかと思いますが、モデルになった方がいらっしゃるんですか?

特にモデルという人はいないんです。やはり身の回りの、僕と同じトランスジェンダーの「結婚ができない」「子どもができない」ということで、パートナーから別れを切り出されたというのが「あるある」というか、よくある話なんです。
10年前だと、精子提供していただいてトランスジェンダーが子どもを育てるというケースはあまり聞かなかったんですが、最近はよく聞くようになりました。

―やっぱりここ数年で周知が進みましたか?
そもそもトランスジェンダーが父親だと認められなかったんですよ。今まで精子をもらってパートナーが出産しても、父親として認められなかった。それが2013年から認められるようになった。一度最高裁までの裁判になって、そこで父親と認める判決が出て、そこから変わったんです。


―ほんとにもう次から次へと壁がたちはだかりますね。
私はやはり親の立場で観てしまうんですが、この映画の真也のお母さんはとても理解があるように見えましたが、ユイに「わかったふりしないで!」と言われるシーンがあります。ギクッとしました。
親ってどうしたらいいんだろう、どこまで理解できるだろうと思いました。子どもにしても親になかなか打ち明けられないということがありますね。


もちろん一番身近な人間から否定されるかもしれないということがあります。僕の友人の中にも親が理解してくれなくて、そこから絶縁状態になってしまうとか、そういうパターンもありました。言ってみないとわからないじゃないですか。うちの両親もそうでしたけど、思った以上に拒否反応を示しました。僕はもうちょっと受け入れてくれるという風に期待してカミングアウトしていたんですけど。よその子が当事者であったら、そこまで拒否しない。いいんじゃないくらい。それがわが身になると、「やっぱり孫の顔を見たい」とかある種の幸せ像を持っているんですね。なかなか受け入れられない時間がありました。

―前例も参考になることもあまりに少なくて知らないことばかりです。でも今まで人間が生きて来た中で必ず(LGBTの人が)いたはずなんです。これまで表現することも、パートナーに出逢える機会もないまま人生終えてしまった人がたくさんいたんでしょうね。

「自分がそうだ」と言ったらそれこそ差別されて「お前はおかしい」と言われる時代では、そういう人たちはアンダーグラウンドの世界に行くか、自分の心を偽るしかなかった。80歳90歳になってカミングアウトした方の記事を読んだことがあります。ずっと心のうちに秘めてきて、奥さんが亡くなられてから初めてカミングアウトされた。

―やっと言える時がきて。言えて重い荷物をおろした感じでしょうか。

ようやく言えたって、その勇気もすごいですよね。差別されてきた時代を生きて、ようやく言える時代が来て、それでも言うことのハードルって高かったと思うんです。

―合わない靴だって少しの間も履いていられません。身体や心の入れ物がちがうってどんなに辛いか、例えようがないですね。昔だったら、命がけのことですし。

国によっては同性愛が違法となり、死刑となる国もあります。異常だから治せというところもあります。

―真也の胸が見えるシーンがあります。とても綺麗なんですが、造形したんですか?

あれは”エピテーゼ”と言う、たとえば乳がんの方とか、病気や事故で身体の一部をなくした人のために作るものなんです。坂東くんの身体に合わせて型を取って作りました。すごく綺麗で最初見たときびっくりしました。本物にしか見えないんです。
ちょっと大きすぎたかなと思ったんですが、彼の肩幅に合わせるとあのサイズになるんです。

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―坂東さんめったに経験できないことですが、なんとおっしゃっていましたか?

喜んでました(笑)。でも真面目な話、真也はトランスジェンダーで自分には胸があってほしくないと思って生きている人物です。実際に胸をつけたり、胸をつぶすような服を着てもらったりしたときに呼吸が苦しくなるとか、胸が目立たないように猫背になるとか、そういうことが彼の役者としての肉体の感覚として、腑に落ちたと思うんです。

―あの胸をどこで見せるかが難しかったんじゃないでしょうか?

それはものすごく議論しました。脚本の段階でもそうでしたし、最終的な編集の段階までかなり議論しました。物語の序盤では一切真也がトランスジェンダーだという痕跡を見せていません。実は撮影の素材では早い段階で見えるシーンも描いていました。ただ早い段階でわかってしまうと、サスペンスにならない。真也は何か隠しているけど、何なんだろう?というのが生まれないので、これはもうちょっと後ろまで引っ張っていったほうがいいんじゃないのということになって、編集で切りましたね。

―ユイの結婚相手が憎まれ役でした。眼鏡女子が好きな人でしたね。

実は、眼鏡は象徴的に使っています。ユイが眼鏡をかけているときは、ある一つの「既存の価値観のフィルターを通して世の中を見ている」んです。

―ああ、真也くんと一緒にいれば外せるんですね。あの夫はユイが外した眼鏡をかけさせる。

そうです。裏設定なんですけどユイを自分の価値観で縛るんです。

―この映画、ジェンダーのことだけじゃなくて、そんな風に男女や結婚生活のことも描かれていて面白かったです。脚本は何稿で書き上げましたか?

僕の中ではあんまりかからなかったんです。何稿書いたかな?5,6稿。

―俳優さんたちもそうそうジェンダーを扱った映画に出るわけではないでしょうから、きっとこの作品で知識が増えて勉強になったのでは?

片山さんはこの役をやるとなったときに、最初に勉強しなきゃと思ったそうです。やっぱり知らないことなので。役としてどうするという以前に「知る」というところからスタートしたというお話はしていました。
(宣伝・高木 片山友希さんがおっしゃっていたんですけど、「監督の“性同一性障害の診断書”を常に読み返していました。そのほうが、いろんな本を見るよりはきっと気持ちが理解できるだろうから」って)

―ユイは知らないで好きになってしまうわけですけど、坂東龍汰さんは初めてトランスジェンダーの役をしなければいけないので、もっと大変だったでしょうね。ラストもあるし。

ラストもあるし(笑)。
(宣伝・高木 坂東さんも撮影に入る前から監督といろいろ議論もされていたそうです)
そうそう。

―ラストは脚本ができたときから決まっていましたか?

決まってなかったですね。とにかく僕が思っていたのは、他にはない「二人だけの世界」を作りあげる…それは他の人にとっては幸せでないかもしれない、でも2人にとってはほんとに幸せなんだと。2人の”オリジナルの幸せ”にたどり着く…そのゴールだけは見えていたんです。
僕が映画を作っていく中で、”いろんな幸せの可能性を見たい”という思いがものすごく強くありまして。それは今までの映画にさんざん描き尽くされている幸せを、またこの映画の中で描いてもそれはもう描きなおしでしかなくて、あまり意味がないと思っていました。僕はあのラスト、“希望”だと思っているんです。あのシーンをツボだと言った方もいらしたので、観た方々によって感想は違うと思いますけど。

―ここで終わりか、と思ったシーンがありました。そこはこれまでならラストになるシーンですが、その先がありました。え、と思ったけれど、これは新しいかなと。
キャストの皆さんと話し合いながらあのラストになったんですね。


ふつうはあそこで終わりますね(笑)。僕自身の観たい世界がどうしてもあって。肉体で決められている性とかいうものに、やっぱり人は縛られて生きていると思うんですよ。女性の身体を持っているから貴女は女性。女性らしい身体を持っているから自信が持てますよ、みたいな。逆に男性らしい肉体を持っているから男性で。
だけどこれからは、「どんな肉体・容姿を持っていても、精神は自由になっていかねばならない」と思っていて。最後真也が選択した方法は、言葉で言うと頭の理解が追い付かないかもしれないんですが、男性として誇りを持っての行動なんです。僕は次の時代の幸せの形になりうるんじゃないかなと思います。

―世の中が少しずつ進んできましたが、監督は望んだ生活ができていらっしゃいますか?

いち当事者としてですか? 映画の中にもありますが、保険証には性別が書いてあるんです。僕は戸籍を変更していません。変更するためにはいろんな手術をしなくてはいけないんです。身体の自由はやっぱり守らなきゃいけない、そして精神も自由でありたいというどっちもセットの自由が必要だと思っています。身体にメスを入れなければ男性と認められないなんて変な話なんですよ。
女性と書いてある保険証を病院で出しますと、まず「あなた誰ですか?」っていうところから始まる。お役所とかもそうですけど。そういうところで躓くことが生活の端々であります。

―これからだんだん周知されていけばわかってもらえるようになるんじゃないでしょうか?数がまだ少ないからだと思います。

数、はあると思います。映画は群馬という設定なので、まだ病院で名前を呼ばれてしまっていますが、都内だと人口が多い分、トランスジェンダーの方に接する機会が多いのか、配慮が進んでいます。必ず苗字だけで呼ぶとか、最初に書く問診票の性別欄に「女性、男性、その他の性」という項目があったりとか、それは都内の方が多い気がします。地方との差は感じます。
困っていることは殆どないですけれども、これからパートナーと結婚したいとか、その時々によって問題は起きてくるかもしれません。何が待っているかはなってみないとわからないです。

―この映画の後のご予定は?

長編一本の編集が終わったところです。90年代にものすごい人数のフィリピンから出稼ぎの人たちが来日して、日本人と結婚して生まれた子どもがたくさんいます。今度はフィリピンハーフの男の子の話です。

―楽しみにしています。今日は長時間ありがとうございました。
(まとめ・監督写真 白石映子)

★飯塚監督の自伝的作品『僕らの未来』はU-NEXTで配信中

=取材を終えて=
初めてお目にかかった飯塚監督は明るくてとてもよく笑う方で、脱線してしまう私にも丁寧に答えてくださっておしゃべりが弾みました。今日は私の「知る」の第1歩です。
イザナギ・イザナミのお話をネットで探してみましたら、日本書紀より古事記の「国生み」の話が近かったです。思えば子どものころからステレオタイプな男女、家庭像、夫婦像を幾度となく刷り込まれてきたのですが、それは神代の昔からだったわけです。
その長い歴史に抗うことは並大抵ではありません。多様性がやっと話題にのぼるようになったこのごろ、マイノリティの方々が暮らしやすい社会はマジョリティにも居心地がいいはず。年取るにしたがって、誰もがマイノリティになりますから。
芝生で遊ぶ子供がレインボーフラッグ(LGBTの旗)を掲げて走っているシーンがあります。LGBTの方々をはじめ、誰もが人間として尊ばれ、生きていける世の中をそれぞれが作っていかなくては、と思いました。(白)

あなたの街にも香川1区があるかもしれない~『香川1区』大島新監督インタビュー

『香川1区』は2021年秋に行われた第49回衆議院議員総選挙で香川1区に焦点を当てたドキュメンタリー作品です。衆議院議員・小川淳也氏(50歳・当選5期)の初出馬からの17年間を追い、キネマ旬報ベスト・テンの文化映画第1位を受賞し、ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットを記録した『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020)の続編的位置付けとして、いまや全国最注目といわれる「香川1区」の選挙戦を与野党両陣営、各々の有権者の視点から捉えています。
大島新監督に作品について語っていただきました。

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――『なぜ君は総理大臣になれないのか』がとても面白かったので、本作もとても期待しておりました。拝見してみると想像していた以上に面白く、156分があっという間でした。

そういっていただけるとほっとします。私はせっかちなので、自分がお客さんの立場だったら2時間を大幅に越える作品は遠慮したい(笑)。大分長くなってしまったと思いつつ、でも自分たちとしてはぎゅうぎゅうに要素を詰めたのです。

――もともとは4時間超えだったそうですね。

最初の編集では4時間11分でした。編集担当者と(プロデューサーの)前田(亜紀)と私、監督補の船木の4人で何度も試写を繰り返して短くし、自分たちなりに何とか3時間くらいにはしたのですが、そこから先が進まない。そこで初見の宣伝の担当者や劇場支配人に見ていただいて意見をうかがい、4、5日寝かせてからまた編集を進めました。

――第49回衆議院議員総選挙は10月31日に行われ、年内に東京の3館で先行上映されました。編集期間が短くて大変だったのではありませんか。

年内の公開はポレポレ東中野さんとの約束で、投開票日から2カ月以内に出そうという話になっていました。

――お約束の段階では代表選があることは想定していませんよね。

それはまったく考えていなかったので、正直、まいったなと思いましたね。ただでさえきついスケジュールがさらにきつくなってしまったのは予想外でした。しかし、話題が続いていくし、ドキュメンタリーとしては面白い展開になったと思います。

――総選挙が終わって、「さあ編集!」と始めたところに代表選と言われたわけですね。

選挙中から撮った映像を編集担当者に渡して編集を始めてもらっていたので、同時進行ではありました。

――選挙に勝った場合と負けた場合で作品の流れがかなり変わってくるかと思いますが。

もちろん結果によって前半の構成が変わってくる場合もありますが、そういうことはあまり考えなかったですね。ドキュメンタリーで結末が分からない仕事は山ほどやってきていますから。
何が起きるかわからない。起きたところで考えればいい。そこに対応していくしかないという感じです。

――本作は『なぜ君は総理大臣になれないのか』の頃から撮ろうと考え始めていたのでしょうか。

小川淳也さんのことは公開するかどうかは別として、その後も取材は続けようと思っていました。もともとは彼の人物ドキュメンタリーですから。ただ、次があるとしても5年か10年というスパンで考えていました。そもそも、『なぜ君は総理大臣になれないのか』がここまで反響を呼ぶとは思っていなかったのです。
ところが2020年9月に菅内閣が発足して、平井卓也さんがデジタル改革担当大臣という看板大臣になられた。同じ時期に小川さんは新しい立憲民主党の所属になり、そのときに報じられてはいませんが、代表選挙に出ないかという声があったんです。しかし彼は比例復活当選なので、そういう立場にないとして見送ったということがありました。やはり選挙区で勝っていないとダメなんですよ。ですから次の選挙は小川さんにとって、今まで以上に重要になりました。しかも若いころから50歳を過ぎたら身の振りを考えると公言していましたから勝負どころです。平井さんと小川さんはとても対照的な候補者なので面白い。香川1区は注目されるなと思ったのです。
また個人的には自民党の強さって何だろうという気持ちがありました。自分が投票した候補者が勝ったことがない。私は東京8区ですが、今回、初めて勝ちました。そんな感じなので、自民党はなぜ強いのか。小川さんが戦っている相手の強さは何なのか。これもすごく大きなモチベーションになりました。両陣営、特に有権者をちゃんと捉える。そんな映画ができないかと思い始めたのが本作のきっかけです。

――今回は小川さんだけに焦点を当てるのではなく、香川1区の選挙戦を与野党両陣営、双方の有権者の視点から捉えています。前作の続編というには視点がちょっと違いますが、続編という認識でよろしいのでしょうか。

はい、それで構いません。お付き合いの長さがありますから“小川さんの挑戦”という軸はありますが、それに加えて、いろんな陣営を取り上げたのです。

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――新しい政治を目指す小川淳也、それを後押ししている大島監督。古い日本の政治を体現している平井卓也、それに関わるオールドメディアの四国新聞記者といった構図が見えた気がしました。

もちろんこれまでのお付き合いがありますから、小川さんには好意を持っていますし、信頼もしています。一方で平井さんにもインタビューしましたが、おっしゃっていることに平井さんなりの理があると思いましたし、自民党を支持している方にも当然、何らかの事情や思いがあることは理解できます。ですから取材者としては両陣営をフラットに撮らなければいけないと思っていました。しかし、前作まで私は取材者であり、記録者でしたが、前作を撮ったことで、小川さんの陣営に行けば、「映画のお蔭で」と言われ、平井さんの陣営に行くと「映画のせいで」と言われ、ある種の当事者になってしまったのです。
ですから対立を浮かび上がらせたいという意識はまったくなく、むしろどちらの思いもちゃんと記録して伝えたかったのです。それが平井さんの側があのような対応になってしまった。それを素直に見せただけで、狙いがあったわけではありません。

――平井さんの政治資金パーティー券に関すること、期日前投票のことについて取り上げていましたが、その内容に驚きました。

取材期間中に話が持ち込まれたのですが、パーティー券に関して言えば、告発者の方がやむにやまれぬ思いで話をしてくださったんです。「地元のメディアに話しても握りつぶされるだけだろう。大島監督であれば何らかのことを講じてくれるにちがいない」という思いだったそうです。もちろん私たちなりに裏を取らなくてはいけませんし、そういった作業をした上で、これは社会的に世に出す意味があるという判断をしました。

――“小川さんはいい人、平井さんは悪い人”のように見えてきてしまいました。

それに関しては残念でしたよね。平井さんにはもっとカッコよくいてほしかったと思いました。

――平井さんからPR映画だと言われ、監督が平井さんに話をしに行かれました。前作と比べて、本作は監督の感情の起伏も作品に現れている気がしましたが、いかがでしょうか。

それはあるかもしれませんね。ただカメラが入ったり、編集をしたりしている時点で絶対に作り手の意図は入る。完全にフラットな状態というのはないと思っているので、介入度合いの見え方の差だと思います。私の視点で切り取っている映画ですから、感情の起伏が作品に現れていても抵抗はありません。

――町川順子さんの扱いが少ない気がしました。

選挙区における存在の大きさがまったく違うので、当然だと思います。
テレビは放送法があるので同じようにしなくてはいけませんが、今回は映画なので自分が撮りたいものを撮るだけ。テレビ的な“公平中立”ということにとらわれる必要もありません。
テレビの報道は仕方ないのですが、そういうことに縛られているからつまらないのですよ。私はテレビではできないことをやろうと思っていました。

――町川順子さんが維新の会から出馬することを表明した際、小川さんが出馬取り消しを要請しました。そのことについて、政治評論家の田﨑 史郎さんからひとこといただいたときの小川さんの激高ぶりに驚きました。これまでの小川さんとは違うような気がします。

私も驚きましたね。ああいった姿はこれまで見たことがなかったですから。ただ今から思えば、あれはとても彼らしい。思い詰め過ぎてしまったんです。
それは小川さんだけでなく、平井さんもそうですよね。8月に取材したときは平井さんにも余裕があって、お話もしてくださいましたが、情勢調査で小川有利と出てくるとネガティブキャンペーンを始めました。
今回、改めて、選挙のプレッシャーは本当に人間をむき出しにさせるなと思いました。小川さんは毎回、選挙で厳しい戦いをしていますが、今回は特にそうでした。だからあんな感じになってしまったのかなという気がします。

――撮影していてもこれまでの選挙とは違うのを感じましたか。

感じましたね。今回の選挙で6期目になりましたが、5期目とそれ以前では周囲の期待値がまったく違います。国会の質疑に立ち、“統計王子”と呼ばれて世間の注目が集まったことに加えて、映画の公開でも注目が集まった。今回の総選挙は絶対に負けられないというプレッシャーがかなりのしかかったのだと思います。
しかもこれまでは解散が急で、選挙まで1ヶ月くらいで考える暇なく走るしかなかったんです。それが今回は3ヶ月くらいではないかと言われていたのが、結局4ヶ月くらいになった。だからじっくりと選挙運動をしていたところに、急に維新の会から候補が出てきて、混乱したんでしょうね。

――2003年に初めて会ってから2021年11月で足かけ18年。小川さんにずっとカメラを向けてきたわけですが、監督からご覧になって小川さんの変わったところ、変わらないところはありますか。

ここ数年、周囲が小川さんを見る目が変わったのは感じますが、小川さん自身は変わっていないですね。年齢に応じて成熟した部分はあるかもしれませんが、ここが大きく変わったというところはないですね。

――ドキュメンタリーは事実を追い続けて、並べるだけでは成立しません。そこには人間ドラマがあります。しかも、『なぜ君は総理大臣になれないのか』『香川1区』の2作品にはエンターテインメント性もあります。エンターテインメントとして成立させるために何か工夫をされているのでしょうか。

私はいつもドキュメンタリーとして面白いものを目指しています。面白くないと社会的な意味があっても広がりませんから。私なりに構成、取捨選択、並べ方を考えていますが、それが工夫と言えるのかどうか…。

――公開前に50館以上での上映が決まっていました。ドキュメンタリー映画としては異例のことですが、それだけ期待が大きいのだと思います。そのことにプレッシャーは感じませんでしたか。

劇場側は前作に対する期待値で決めてくださったと思います。だから前作より見劣りするものは作れないと思っていました。しかし、途中から“前作とは違う後味の作品になりそうだな”と思えてきたので、前作は意識せず、自分が信じた方向に向かって作っていこうと考えました。

――公開初日を迎え、手応えはいかがでしたか。

ポレポレ東中野で舞台挨拶をして、サイン会もしたのですが、大勢の方に並んでいただきました。うれしかったですね。声を掛けてくださる方の怒りや涙、どう捉えていいのかわからない動揺など、感情がすごく揺れたのを感じました。またTwitterなどの投稿を見ても確実に伝わっているなと思いました。今回の映画はいろんな要素が入っていたので受けとめ方は人によって違うと思いますが、手応えは確かにありました。

――次も小川さんの映画でしょうか。

前作と本作はスパンが短くて、かなり走り抜けた感じがあります。『香川1区』は始まったばかり。前作のように広がっていくのか、どんな化学反応を生むのか。まだわかりません。
また映画は見た人たちが育ててくれる。前作でそれを感じました。今回もきっとそういうことがあるのではないかと思います。まずはそれを受け止める。それから次に何を撮るのか、小川さんを撮ることを含めて、考えたいと思っています。

――他の作品を撮りつつ、取材だけは続けていくというのもありですよね。

30代の頃はバッターボックスに立つことがすごく大事と思い、いろんなところに取材に行き、いろんなものを作っていましたが、もう50代です。1本1本、身を削りながら作るところがあるので、気力体力が30代と同じようにはいきません。しかも自分自身が作ってきたものがハードルを上げている。「はい、次回作はこれです」とはなかなか簡単には言えないですね。

――見る側としたら小川淳也三部作にしていただけるとうれしいですけれど…。それでは最後にこれからご覧になる方に向けてひとことお願いいたします。

政治家を主人公にしている映画ではありますが、有権者の映画でもあります。あなたの街にも香川1区があるかもしれない。そういう視点でご覧いただけたらうれしいです。

<プロフィール>
大島新
ドキュメンタリー監督、プロデューサー。
1969年神奈川県藤沢市生まれ。
1995年早稲田大学第一文学部卒業後、フジテレビ入社。
「NONFIX」「ザ・ノンフィクション」などドキュメンタリー番組のディレクターを務める。
1999年フジテレビを退社、以後フリーに。
MBS「情熱大陸」、NHK「課外授業ようこそ先輩などを演出。
2007年、ドキュメンタリー映画『シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録』を監督。同作は第17回日本映画批評家大賞ドキュメンタリー作品賞を受賞した。
2009年、映像製作会社ネツゲンを設立。
2016年、映画『園子温という生きもの』を監督。
2020年、映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を監督。同作は第94回キネマ旬報文化映画ベスト・テン第1位となり、文化映画作品賞を受賞。2020年日本映画ペンクラブ賞文化映画部門2位、第7回浦安ドキュメンタリー映画大賞2020大賞、日本映画プロフェッショナル大賞特別賞を受賞した。
プロデュース作品に『カレーライスを一から作る』(2016)『ぼけますから、よろしくお願いします。』(2018)など。
文春オンラインにドキュメンタリー評を定期的に寄稿している。

『香川1区』
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監督:大島 新
プロデューサー:前田亜紀
撮影:高橋秀典
編集:宮島亜紀
音楽:石﨑野乃  
監督補:船木 光
制作担当:三好真裕美
宣伝美術:保田卓也
宣伝:きろくびと
配給協力:ポレポレ東中野
製作・配給:ネツゲン
2022年 / 日本 / カラー / DCP / 156分
© 2022 NETZGEN
2021年12月24日より東京・ポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋にて緊急先行公開中
2022年1月21日(金)より全国公開
公式サイト:https://www.kagawa1ku.com/

シネマジャーナルスタッフの大瀧幸恵さんが『香川1区』の作品紹介をしています。
ゆきえの”集まれシネフィル!”
https://cinemajournal1.seesaa.net/article/484861778.html

『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』フランソワ・ジラール監督インタビュー

『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』はロンドン、ワルシャワ、ニューヨークを巡る、極上の音楽ミステリーです。アカデミー賞®ノミネート俳優ティム・ロスとクライヴ・オーウェンが主人公のマーティンとドヴィドルを演じています。
メガホンをとったフランソワ・ジラール監督にお話をうかがいました。
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<プロフィール>
フランソワ・ジラール François Girard
カナダ・ケベック州出身。1984年にゾーン・プロダクションを設立し、数々の短編映画やダンスを主題としたミュージックビデオを手掛ける。『Cargo(90‘)』で長編映画デビュー。98年の『レッド・バイオリン』ではジェニー賞8部門を制し、東京国際映画祭最優秀芸術貢献賞を受賞。2007年には、日本・カナダ・イタリアの合作映画『シルク/SILK』を監督。また、日本では東京ディズニーリゾートに誕生したシルク・ドゥ・ソレイユの常設劇場の演出も担当。作家・井上靖の小説「猟銃」を女優・中谷美紀を迎えて舞台化。その他映画作品では『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』等がある。

<story>
第二次世界大戦が勃発したヨーロッパ。ロンドンに住む9歳のマーティンの家にポーランド系ユダヤ人で類まれなヴァイオリンの才能を持つ同い年のドヴィドルが引っ越してきた。宗教の壁を乗り越え、ふたりは兄弟のように仲睦まじく育つ。しかし、21歳を迎えて開催された華々しいデビューコンサートの当日、ドヴィドルは行方不明になった。
35年後、ある手掛かりをきっかけに、マーティンはドヴィドルを探す旅に出る。彼はなぜ失踪し、何処に行ったのか? その旅路の先には思いがけない真実が待っていた。

――本作の監督をお引き受けになったのは、プロデューサーのロバート・ラントスからのオファーだったとのことですが、ご自身のどんな部分に期待してのオファーだったと思いますか。

音楽やヴァイオリン、時代物ということで私のところにオファーが来たのだと思います。自分のキャリアを考えて、最初はお断りしました。ロバートからは「なぜ?」と聞かれましたが、「オファーしてもらった理由がそのままお断りする理由です」と答えました。
今、当時を振り返ってみると、表層的な部分しか見えていなかったと思います。脚本や原作を読み、ヴァイオリンや音楽の物語ということを遥かに超え、この作品は過去のある悲劇を描いた物語で、しかも私たちがその悲劇を忘れつつあることに気がついたのです。この悲劇を多くの人に伝え、記憶に留めてもらうことに自分も貢献したいと思い、オファーを受けました。

――原作者ノーマン レブレヒトから何か要望はありましたか。

ノーマンから特に要望はなく、むしろこちらから彼に聞きたいことがたくさんありました。彼は音楽業界では有名な音楽評論家です。この作品の音楽面に関して、最初にディスカッションしたのは実はノーマンでした。ユダヤ文化についての一般的な知識は持ち合わせていましたが、それだけでは足りません。音楽面を中心にいろいろ教えていただきました。
ほかにもプロデューサーのロバートにはブタペストのシナゴーグ(ユダヤ教の公的な祈禱・礼拝の場所)に連れていってもらい、キッパ (ユダヤ人の帽子)をつけてお祈りの時間を過ごしました。他にもユダヤの文化や音楽の専門家、歌でお祈りを主導する主唱者の方々にいろんなことを教えていただきました。よく知らないことを手掛けることで様々なことを学べるのも映画作りの醍醐味です。
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――作品の核となる「名前たちの歌」という曲がとても印象に残りました。今でも頭の中をリフレインすることがあります

あの曲はハワード・ショアが生み出してくれました。彼は主人公たちと同世代。50年代初期に自分のシナゴーグで聴いた曲が同じような感じだったそうで、そのときの衝撃を今回のオリジナル曲に落としてくださっている。そのために何度もミーティングを行い、主唱者や専門家に話を聞き、自分の領域も含めてさまざまな分野を掘り下げていった努力がすごかったですね。そうやって長い時間を掛けてヴォーカルバージョンとヴァイオリンバージョンを作り上げ、それから他の楽曲もできていきました。

――ホロコーストの跡地トレブリンカで初めて撮影を許可された映画作品とのことですが、トレブリンカで撮影できたことの意義をどうお考えになりますか。

私の作品はいつも脚本を何度か通しで読んで、“こうして撮りたい”、“これが必要だ”ということをみんなで確認していきます。しかし、このシーンに関しては、どう撮ったらいいのかわからなくて、後回しにしていました。とはいえ、いつまでも何もしないでいるわけにはいきません。まずは美術担当のフランソワ・セグワンと一緒にトレブリンカに行ってみました。
すると、このシーンはグリーンバックを使ってフェイクで撮るわけにはいかないことがすぐにわかりました。「役者をここに連れてこなくては」と思い、それをプロデューサーたちに伝えると納得してくれました。
ところが、トレブリンカの管理団体から撮影を断られてしまいました。その気持ちもわかります。聖なる場所ですから、何か間違った形で映し出されることがあるかもしれないという躊躇があったのでしょう。信用してもらうために、“自分のためではなく、そこで亡くなった方、被害者の記憶のため撮りたい”という思いを長い手紙にしたためたところ、許可が下りました。自分の映画作りのキャリアの中で最もエモーショナルで心動かされた日となりました。
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――監督がこの作品を通じて伝えたかったことはどんなことでしょうか。

演劇であろうが映画であろうが、自分の作品の成功は必ずしも金銭的なことではありません。今はたくさんの作品が作られています。その中で人の記憶に残っていく作品になってほしい。これは言い換えれば、誰かの心にメッセージを刻んでいくということでもあります。
この作品ではホロコーストで行われた悲劇を記憶に留め、亡くなった方へ追悼の気持ちを伝えたい。第二次世界大戦を生き残った方がどんどん亡くなっていき、近い将来、誰もいなくなってしまいます。それとともに戦争の記憶も薄れていく。これはヨーロッパだけではなく日本も同じだと思います。その中で映画の作り手としてだけではなく、人間として “人間は恐ろしいことをしてしまうことがある”と覚えておかなくてはいけません。そうでなければ、きっとまた過ちを繰り返してしまいます。日本の方にもそのことを覚えておいていただければと思います。

(取材・文:ほりきみき)


<取材を終えて>
キノフィルムズの方から声を掛けていただき、フランソワ・ジラール監督にzoomでインタビューいたしました。20分間の持ち時間で何を質問するか。映画の作品構成、キャスティング、監督の作品への思いといくつかの質問を用意し、1問目の答えをうかがった上で判断することに。監督はこちらの質問に丁寧に答えてくださる方だったので、質問は最小限に絞り、監督の思いを中心にお話をうかがいました。キャスティングについても聞きたかったのですが、この点はきっと他の媒体が聞いてくれているはず!とばっさり諦めました。しかし、この作品の核にあることについてはしっかりと話がうかがえたのではないかと思っています。

『天才ヴァイオリニストと消えた旋律』
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出演:ティム・ロス、クライヴ・オーウェン、ルーク・ドイル、ミシャ・ハンドリー、キャサリン・マコーマック
監督:フランソワ・ジラール
脚本:ジェフリー・ケイン
製作総指揮:ロバート・ラントス
音楽:ハワード・ショア
ヴァイオリン演奏:レイ・チェ
2019 年|イギリス・カナダ・ハンガリー・ドイツ|英語・ポーランド語・ヘブライ語・イタリア語|113 分|映倫区分:G(一般)
配給:キノフィルムズ
© 2019 SPF (Songs) Productions Inc., LF (Songs) Productions Inc., and Proton Cinema Kft
12 月 3 日(金)、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国公開
公式サイト:https://www.songofnames.jp/

『JOINT ジョイント』小島央大(こじまおうだい)監督インタビュー

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*プロフィール*
1994年神戸生まれ、NY育ち。東京大学建築学部卒。
映像作家の山田智和の下でアシスタントディレクターを1年半経て、独立。以後、MVやCM、企業VPやVJ、LIVEなど、ジャンルや形態に囚われず、アイデア豊かな様々な映像作品を監督。情緒的な演出と、映画的で上質な色使いを得意とする。
これまで主に手がけてきた作品には、「BUMP OF CHICKEN - Small world MV」「NEWS - 未来へ MV」「amazarashi - 世界の解像度 MV」「Daiki Tsuneta x Pasha de Cartier」などがある。
インスタ/ツイッター:@denjiroudai

『JOINT』
刑務所から出所した半グレの石神(山本一賢)は、個人情報の「名簿」を元手に、特殊詐欺用の名簿ビジネスを再開する。真っ当に生きたいと望む彼はベンチャービジネスに介入し投資家へ転身を図るも、稼業から足を洗うのは至難の技だった。そんな石神の周囲でうごめく、関東最大の暴力団と外国人犯罪組織の影。それぞれの抗争に挟まれた石神。白か黒か曖昧な世界で、“何者か”になろうともがく石神は、いかなる決断を下すのか―――
https://joint-movie.com/
(C)小島央大/映画JOINT製作委員会
作品紹介はこちら
★2021年11月20日(土)渋谷・ユーロスペース他全国順次公開!

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◆記事の中でラストに触れています。ネタバレを避けたい方は鑑賞後にお読みください。

―監督のプロフィールがちょっと珍しいので、そこからお伺いしていいですか?

神戸で生まれて、3歳でアメリカに行きまして、そこからニューヨークが10年間。中2で静岡に戻ってきて、大学に入るタイミングで、家族で東京に引っ越してきました。

―第一言語は日本語ですか?英語ですか?

日本語は、家族内では話せたんですけど、外では全然。漢字も全然わからなくて勉強して中学校で話せるようになりました。家では日本語ですが、ほぼほぼ英語でした。

―脚本を考えられるときは?

両方同時進行だったりします。台詞を考えるうえでは日本語が適切なんですけど、構成は英語で考えたりします。ほかの映画(洋画)の脚本を英語で読んで研究しているので、そちらがわかりやすくて自分の中では英語で書きます。

―大学は建築科でしたのに映像の仕事に来られたんですね。

卒業するときに、建築のほうに就職するかどうか迷って結局しませんでした。そのときに映像をやろうと思って、そこからいろいろ勉強はしました。映画を撮る前は特に、毎日映画を観ていろんな人の撮り方とか研究はしたんです。

―自主勉強ですね。映画学校じゃなくて。

自主勉強(笑)。友達が日本映画大学にいたので、4年のころはそっちの友達の自主製作にちょっと参加したり。

―それで輪郭がわかりますね。

ぼやっと(笑)。卒業してからはCMやミュージックビデオを作っている山田智和ディレクターの元でアシスタントを1年ちょっとしました。最初は全然ダメでしたが自分の作品も作りながら勉強して、次第に仕事が増えていった感じですね。食べて行けるようになるまで1年はかかりました。

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石神武司(山本一賢)
―長編第1作で初めての一般公開作品ですね。

はい、長編は初めてです。短編は自主製作で公開はしていません。
この映画は山本さんやジンチョルさんたちを集めたうえで、「映画作ろうよ!」という意気込みで始まりました。そこからまわりで支援してくれる方たちがいたり、「凄い映画になりそうだ」と言ってくれたりして盛り上がっていった感じです。
自主製作感をなくして、もはや”商業映画”という気持ちで作ったほうがクオリティも高くなってそこからの展開ができるんじゃないかと、意識も変わりました。

―詳しくリサーチされたそうで、ドキュメンタリーみたいに進んでいくところはハラハラしながら観ました。最初の長編作品にこういう犯罪を扱った映画を作られたのはどうしてですか?

日本での犯罪界の構造と、やっていることの特徴が日本独自なものがあると思いました。振り込め詐欺とか、日本人の独特の平和ボケだったり、社会への謎の信頼感だったり油断があると思っていて。僕が住んでいる場所がニューヨークで、緊張感が違う。同じような振り込め詐欺がアメリカではできない。
それぞれの国に応じて犯罪の形式や犯罪グループの動き方があって繋がりもある、というのがすごい面白くて。日本で撮る場合、何が特徴的かなと思ったのが、「個人情報」のこと。
みんなSNSをやっているけれど、それが裏でどのように使われているかも意識しないし、無関心なところもあったりする。そこを題材にしたら面白いかなと。

―半グレとか暴力団とかはどうやって調べたんですか? 危なくなかったですか?

危なくはないです(笑)。ヤクザのドキュメンタリーとか観ながらも、半グレもその中にいるし、いろんな界隈の姿も観つつ、犯罪の繋がりとかを何かしら噂で聞いているとか、そういう人たちを伝手から伝手へ探して。ちょうど撮影するところに車で「もしもし詐欺」をやってた人たちが逮捕されてて、なんかタイムリーだなぁと。ニュースにならないニュースもありつつ、ちゃんと素材はあったのでそういうのを調べ尽くしましたね。

―クランクインとアップはいつ頃ですか?

撮影始めたのが2019年2月14日のバレンタインデー(笑)。脚本もできていないし、撮影日数もあやふやで、これは滅茶苦茶時間がかかるなぁと、そこから意識の切り替えがありました。さくっとは撮れないなと思いながら、その規模感、スケール感とかをうまく出せたらいいなぁと思いました。そのころチャンバさんものってきてくれて。
撮影はバラバラで、たしか4ヶ月くらいかかって、1ヶ月休み、8ヶ月くらいのスパンで撮りました。そこから編集をして、2020年2月にもう一回追撮をしました。ある程度編集したうえで、ここが足りないというのが出てきて、そこを補うシーンです。1年まるっと撮影していた印象です。もう一回編集してカラコレもやって、11月にピカデリーで先行上映をしました。まだ配給も入っていなくて完全自主上映みたいな。
いろんな人が観たいと言ってくれたので、その人たちの意見を取り入れて再編集もして、2021年3月には完全に終わりました。

―3月に大阪アジアン映画祭でも上映されましたね。

ピカデリーと大阪アジアンは編集と音が違うんです。ピカデリーでは150人くらいでしたが、映画を観ているときの没入感とか一体感を一緒に観ていて感じました。それが大阪でもあって反応が良くてありがたかったです。

―ご自分で出来についてはいかがですか?こだわったところもお聞かせください。

出来は自信あります。こだわったところは、自主映画でありながらも「胸を張る強さ」みたいなのが欲しいなと。作品のリアリティだったり、没入感だったり、世界観だったり、それ自体に強さや魅力があって、引き込まれるようなものにしたかった。それが実現できたとは思いますね。

―おめでとうございます。

有難うございます(笑)。

―1作目から満足できて。

満足はまあ、死ぬまでしないかもしれないです(笑)。

―ああ、映画ってそういうものなんですね。次々にしたいことが出てきて。

この作品の良さというのはあるなあと思います。

―キャストの方々と居酒屋で出会ったそうですね。それがなければこの映画もなかったわけですね。

そうですね。キャストが面白いから作れたというのがあります。もちろんコンセプトやテーマというのはあるんですけど。それぞれの役柄のそれぞれの界隈、韓国だったりヤクザだったりの色が出ていて、魅力的になっています。

―主人公・石神役の山本一賢(やまもといっけん)さんが、ちょっと昔の東映や大映のスターの雰囲気があると思いました。ちょっとしめっぽい感じで。

うん、そうですね。それはすごく感じて魅力的だなぁと思いました。

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―髭のあるなしでずいぶん印象が変わりますね。

ないときはすごい爽やかに見えて。やさぐれてるのに(笑)。髭の演出けっこう大変だったんですよ。演出っていうか、剃ったり伸ばしたり。
ロケ地の都合上、この日しかできないというときは「両方のシーン撮るぞ」となって、午前中髭ありで、午後は髭なし(笑)。そして「これから1週間生やしてください」と。

―え~、髭待ち!(笑)

髭待ち(笑)、一瞬付け髭にしようかなと思ったんですが、やっぱりバレるなあと思って(笑)。

―アップになるシーン多いですから付け髭はバレますね(笑)。

そこはちゃんとやろうと。生きてるシーンになりました。

―出てくるキャストの人たちがみんなキャラが立っていましたが、ご本人のキャラと監督の希望とをすり合わせて作られたんですか?

そうですね。元々こういうキャラがあるからこの人に、というよりは、この人だからこういうキャラがいいんじゃないかというのが、今回ちょうどハマった。それが奇跡でもあり、魅力に繋がったと思っています。演出的にいうと、キャストの話し方だったり、自然に出る特徴を指導していくやり方でした。感情的なシーンでも不自然にならないように、本人がそのままやっているようにやれば、ちょっとだけ調整することでヤクザに見えたり、半グレに見えたりします。

―台詞は脚本に書かれていたものですか?

決め台詞や重要な台詞は脚本にいくつかあって、それをつなぐ展開はわりとアドリブで。どうやれば自然につながるかを見つけていきました。

―たくさん人が登場する中で、芯になるのは石神武司とジュンギ、イルヨンですね。

グループ分けすると、その韓国人の二人と石神武司が最終的には一体化しているんですが、初めは、自分はそっちではないとなんとなく線引きしているんです。広野は地元の後輩だけど、ヤクザになってしまったので一つ距離を置いている。

―舞台はどこだったんでしょう?

一応渋谷周辺です。渋谷は「縄張り」が細かく分かれているところがあります。道頓堀劇場の角だけ全部違うみたいな。渋谷も緊張感のある場所であり、それにプラス、ベンチャー企業が集まっているし、代官山から表参道にかけてファッション業界が入っているし、すごい面白い場所なのでそれをイメージして作っています。

―印象的だった荒木の刺青のシーンなんですが、あの文字が読めないんです。なんと書いてあったんでしょうか?

「王侯将相寧んぞ種有らんや(おうこうしょういずくんぞしゅあらんや)」、王や将軍になるのに、生まれや血筋など関係なく本人次第でなれるものだっていう意味なんです(*)。
荒木役の樋口想現(ひぐちしょうげん)さんが刺青を入れたいと言っていて、「刺青のシーン撮りたいんだよね」と撮らせてもらいました。(ここでしばらく検索タイム)

*「史記―陳渉世家」に出てくる、陳渉(ちんしょう)という人物の名言。乱世のころ命令の刻限に遅れれば死刑というとき、どうせ死ぬならばと部下を鼓舞して反乱の口火を切った。やがて各地に反乱が拡がり秦王朝は滅亡した。

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荒木(樋口想現)

荒木はヤクザでありながら、自分の組に破門されて「見返してやるぞ」という気持ちが表れています。たまたまそれが意味合い含めてバッチリで、背中に入れるこの漢字が凄いカッコ良かったです。彫師さんも山本さんの知り合いの知り合いの実際の彫師の方で、映画に興味を持って出演していただけました。狭山のほうから自分の車で来られたんです。

―外でのロケがたくさんありますね。

渋谷なんかは申請しても撮れません。屋外はあまり大きくないカメラ2台でカットバックも同時に撮ったりしました。

―スタッフさんはどうやって集められたんですか?

短編を一緒に作った人、日本映画大学の友達とかです。最初から映画に対する情熱と勢いがありました。企画が出たのが僕が24歳のときで、みんなも若くてだいたい25〜23歳とか。この作品が出来上がるのが観たい!という気持ちで。すごく楽しかったです。
実際やっているときは、プロ意識を大事にしていました。その現場の雰囲気というのは作品に出ると思うんです。楽しみながらもいいものを作ろうと妥協しないでやっていたという記憶があります。

―撮影中、監督として「プロ意識を忘れない」ということのほかに気をつけていたことはありますか?

「リアリティをどう出すか」が全てだったので、この2時間ずっとリアリティを保てるように気をつけました。一瞬でも嘘っぽくなったらたぶん途切れてしまうと思って、その緊張感をどう維持するかということ。特に最後の銃を撃つシーンは、どうやればいいかすごく考えました。日本だと空弾を出す銃も借りられないし、どうすればいいんだろうといろいろ。
セリフや立ち振る舞い、撮り方から特殊効果、スタイリングからヘアメイクまで、映画制作の全工程で、少しずつリアリティを積み重ねることが重要だと考えていました。

―アクションのときはメリハリの利いた音楽が、石神が物思うときはじゃまにならない静かな音楽がついていました。監督が作られましたか?

元々作っていたんですが、今回は作る余裕がなかったので、トラックをいろいろ調べて買ったものを組み合わせて編曲して作っていきました。

―夜の撮影のせいか、青味の強いシーンが多い感じがしました。意識されたのでしょうか?

基本的にカラコレのときには、撮ったものに味つけようとはしていません。わりとそのままのほうがドキュメンタリー感が出るので。寒さや孤独さがあったほうがいいなと、カメラの段階でちょっと冷たく撮っているというのもあります。カメラの中の設定でできるんです。

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石神武司(山本一賢)、ジュンギ(ジンチョル)、イルヨン(チャンバ)

―「韓国は寒い」という台詞が2度出てきました。最後は結局どこへ向かったのでしょう?

あれは名古屋から韓国へ行くんです。ヤクザからも外国人組織からも狙われやすい立場になったので、いったん隠れようと。名古屋空港は足がつきにくい。

―足がつきにくい!?(笑) 名古屋から行くのはなぜ?と思ってたんです。
そんな情報はどこから?


知り合いが100人いれば、その知り合いがまた100人いるから、その中に一人くらい。

―あまりにリアルで、どこかから文句が来たりはしませんか?

何も暴露していないんで(笑)。

―クライムストーリーと、スコセッシ監督がお好きだそうですが、作品名をあげるとなんでしょう?

マイケル・マンの『ヒート』(1995)とか、スコセッシ監督の『グッド・フェローズ』(1990)が好きですし、あとはジャック・オーディアールの『預言者』(2009)が滅茶苦茶好きです。学校を卒業してからたくさん観ました。それまでも観てはいたんですが、映像を作る立場からは観ていなかった。日本では黒沢清監督の『回路』(2001)。これホラー映画で面白かったです。

―この映画の成功がまずは第一ですが、これから先、どんな映画を撮ってみたいですか?

クライムストーリーは好きだし、撮り続けたいと思います。今はミステリー系に凝っていて、ちょっとドラマミステリーを撮ってみたいです。

―ミステリーは脚本大事ですから、なしでは始められませんね。

はい(笑)。いろんな撮り方があるのでジャンル問わずいろんな作品をいろんな方法で撮りたいです。ホラー映画も楽しそうです。

―これからも楽しみにしています。ありがとうございました。

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=取材を終えて=
またまた若い監督さん登場です。犯罪を詳しく描いた作品なのでつい根掘り葉掘り伺いました。まるで孫を心配するおばあちゃん(笑)。小島監督ここしばらく大忙しだったそうで、ご覧の通りすご~く細いのです。おやつを差し入れておばあちゃんの役目を勝手に全うしてきました。
映画はドキュメンタリータッチで進み、半グレからカタギの一市民になりたいともがく石神に焦点をあてています。うまく渡っていける人は切り捨てるのがうまいのでしょう。クールだけれど乾いてはいない、情を捨てきれない石神は古いタイプなのですが、そこに人間味を感じます。窮地に陥ったとき、手を差し伸べたメンツにもグッときました。
小島監督が撮りたいというミステリーやホラーはどんな仕上がりになるのでしょう。これからも注目していかなくちゃ。
(取材・写真 白石映子)

『スズさん~昭和の家事と家族の物語』大墻敦(おおがき あつし)監督インタビュー

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*プロフィール*
1963年(昭和38)生まれ。桜美林大学教授。
1986年から2019年まで、NHKのディレクター・プロデューサーとして「文明の道」「新・シルクロード」「Brakeless JR福知山線脱線事故」「二重被爆」などのドキュメンタリーを製作。2018年に監督第一作となる、文化記録映画「春画と日本人」(キネマ旬報ベストテン2018年文化映画 第7位、第74回 毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画部門ノミネート)を劇場公開。現在、2022年の完成を目指して記録映画「国立西洋美術館」を製作中。

『スズさん~昭和の家事と家族の物語』
昭和26年(1951年)に建てられた木造2階建の住宅は、いま「昭和のくらし博物館」となり、当時の人々の暮らしを伝えています。館長の小泉和子さんの実家であるこの博物館には、母・スズさん(1910~2001年)の思い出がたくさんつまっています。娘によって語られる、母の人生。そこには生活の細部に工夫を凝らし、知恵を絞り、家族のために懸命に手を動かしながら生きてきた一人の女性の姿がありました。当時、当たり前に継承されていた経験や生活の知恵は、時代の変化とともに失われつつあります。母から娘へ、娘から今を生きる私たちへ。スズさんが遺してくれた3章からなる物語です。
作品紹介はこちら

監督・撮影・編集:大墻敦
プロデューサー:村山英世、山内隆治
出演:小泉和子(昭和のくらし博物館館長)
ナレーション:小林聡美
2021年/日本/86分/ドキュメンタリー/DCP/
©️映画「スズさん」製作委員会
★2021年11月6日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

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ー映画の始まりは?
私がNHKに在籍していた時代から知り合いだった”記録映画保存センター”事務局長の村山英世さんと、”資料映像バンク”の山内隆治さんが本作のプロデューサーです。たしか2019年12月、記録映画保存センターに「昭和のくらし博物館」の小泉和子先生からフィルムが寄贈されて、私が呼ばれて3人が集まり、これをどう利活用しようかと話し合いました。
ショートクリップみたいなものを作ろうか、教育的なコンテンツにしょうかとかいろんな話もしましたが、どれもあまりピンとこない。小泉先生の本「くらしの昭和史」 (朝日選書)を読んだところ、一家で横浜大空襲を生き抜いた経験談がありました。そういうところからスズさんの人物像が垣間見えて、一言でいうと素晴らしい人だなぁと思いました。
フィルムに残されているのは学術的な家事の記録なので、再構成してスズさんの一生を、横浜大空襲を踏まえて描くということが新しい形になるのかな、と思ったのが映画をつくろうと思ったきっかけです。

―その30年前の映像をご覧になって印象に残った場面はありますか?

場面でいうと、おはぎを作っているところは心温まるなぁと思いました。裁縫は自分でやらないせいもあってすごい技術だな、とは思うんですけども「How To」にはあんまり関心がもてませんでした。何に興味を持ったかというと「手の動き」ですね。お年を召されても手の動きがものすごくしっかりしていて、なおかつ美しい。そこには最初から心惹かれました。
あともうひとつ、本編の撮影後に追加で撮られた「それからのスズさん」という映像があります。寝たきりになられた後もずっと袋モノを作っていらした。見れば見るほど「自分もそうありたいなあ」と思います。人生の最後まで自分の能力を使って家族の役に立ちたいという気持ちで過ごされた姿にも心惹かれました。

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―この映画には、30年前の元々あったもの、間に挟まれるニュース映像、それと小泉先生のインタビュー映像と大まかに3種類の映像があります。この組み合わせや分量などはいつも監督とプロデューサーさんが話し合って進めたのですか?

ニュース映像は主に資料映像バンクの山内さんから提供されました。構成をつくり、その筋に沿って必要な資料映像のリストを作成しました。そして、私がたとえば「学徒出陣の映像がほしい」とか、あるいは「建物疎開や空襲の映像がほしい」というお願いをすると、山内さんが適切な資料映像を送ってくれました。それである程度編集しては、村山さんと山内さんに見ていただき意見を聞いて修正していきます。昭和30年代の子どもが遊んでいる風景を入れようとか、細かいオーダーを出しました。数十時間分、手元に集まりましたね。

―監督は全部ご覧になったんですね。

もちろん全て見ます。自分の映像製作者としての経歴を振り返るとNHKで1995年から9本シリーズで放送された「新・電子立国」というドキュメンタリー番組がありまして、そのプロジェクトに参加したことが転換点になりました。その企画者でありディレクターであった相田洋(ゆたか)さんに編集のてほどきをうけました。相田さんは、テレビドキュメンタリーの世界を代表するディレクターで文化庁芸術祭大賞をはじめとする数々の受賞歴がある方です。そのときに、自分が編集に向いていることを自覚しました。ラッシュを見る、書き起こしをつくるということになんの抵抗もないんです。

―楽しくご覧になれる?


楽しい、というよりは仕事なんです、なんていうかなぁ。

―苦にならない?

ああ、そうそう。全く苦にならない。ラッシュをみてカットごとに内容を書き出す「ラッシュ台帳」というものを作って見続けることが全然苦ではないんです。そして、編集をしてカットとインタビューとが組み合わさって、「カチャ!」とパズルがはまるみたいに「あ、うまくいった!」という瞬間がやっぱりあって、そういう瞬間をずっと求め続けるのが好きですね。

―きっと天職なんですね。

天職かどうかはわかりませんが、とても好きなのは事実です。NHKで勤務していて50代に入り制作現場を離れた頃から、自分で自分の映像作品をつくりたいと考え始めました。カメラを購入して、スチール写真に一時期凝ったりしましたけど、やはり動画作品をつくりたいな、と思いました。知人の紹介でクラシック音楽や文楽の短い尺の映像作品をつくっているうちに、前作の「春画と日本人」の撮影を始めることになりました。幸いなことに劇場公開していただき、多くの方々にご覧いただけたことを心より感謝しています。「春画と日本人」は、インタビュードキュメントのような形式の映画です。やはり、私は人の話に耳を傾けるのが好きなのだと思います。

―対象が多岐にわたっています。

テレビの仕事をしていると、どんなことにも興味をもちます。森羅万象を描くのがテレビですから。ただ、教養番組を主に制作していましたので、文化・芸術方面には特に関心があります。頭が理屈っぽいところがあって、表現の自由とか、社会がどうあるべきなのか、戦争ってなんなのか、戦争体験の記憶ってどう残したらいいだろうとか、そういう抽象度が高いテーマ設定を下敷きにした番組や映画が好きですし、目指していきたいと思っています。今、製作中の記録映画『国立西洋美術館』も、美術館の学芸員の方々の美を守る姿だけでなく、日本の美術館の将来像はどうあるべきか、という問題意識が底流にあります。

映画「スズさん」で、私が伝えたいのは「人が生きるとはどういうことなのか」。家事が大切とか、空襲が大変だったというも大切ですが、生きるということがテーマなんです。そして、充実した人生を送るためには、自分や家族の生計を支える技能が必要で、「手を動かすこと」で生計を立てられる、人を喜ばせることができるっていうのは人間にとって素晴らしいこと。それはすごく大事で、その能力は人が生きるうえで支えになるんじゃないかと思いました。
スズさんは横浜の農村の出身で、普通なら農家の奥さんになられたかもしれないですが、行儀見習いで女中奉公に出られた。そこで裁縫が得意だと自覚したんじゃないか、サラリーマン家庭の主婦になっても裁縫が家族を喜ばせる、家計を支える、という自信につながら、それが最後までスズさんの人生を支えたということではないかなと想像します。

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コロナ禍に無理矢理ひきつけるつもりはないけれども、どんなに苦しい時でも人はしっかり美しく生きていけるし、家族を支えられるんじゃないかなと思います。
私の父方の祖父母は終戦時北朝鮮にいたんです。祖父はシベリアに抑留されて帰ってこなくて、祖母は5人の子どもたち―父は中学生だった―を連れて命からがら引き揚げてきました。祖母は洋裁で子どもを育てて、みんな大学まで行かせています。なにか一芸というか、技能を持っているというのはすごいことです。そういう私のパーソナルな関心もあって、スズさんの人生は描いて伝える意味はあるはずだとの確信はありました。みなさんにご覧いただいく価値のある映画になったと思います。

―我が家のことを振り返っても重なることが多くて、とても懐かしく観ました。戦争中のことを知っている人は年々少なくなっていくので、ぜひ子どもたちにも観てほしいです。

和子先生のお話のなかで、スズさんとお姑さんが、建物疎開で強制的に立ち退きにあったあと、東京から横浜に疎開するのに大八車に家財道具を積んで往復したという証言には「ほんとですか!」と聞き返しましたよ。

―30kmを往復しなきゃいけなかった。きっと必死だったんでしょうね。

戦争を直接、体験している人たちは、近年、急激に少なくなっています。戦争体験の記憶をどのように次世代に継承していくのかということは、日本社会にとった大きな課題だと思っています。先日、神奈川県の高校生に映画を観てもらう機会がありました。戦争体験者の話を聞いたことがあるのか、映画から何を感じたのか、などアンケートに答えてもらい、ディスカッションをしました。授業で観ているせいもあるかもしれないんですけど、生徒たちはとても真剣に見てくれましたし、戦争経験の記憶の継承に深い考えをもっていることがわかりました。そして、子どもたちは私たちの想像を超えて「映画」からいろいろなことを読み取るので驚きました。食料不足の大変さや学童疎開の子どもたちの心情とか。映像と音声が大きな力をもっている、映像と音声によって呼び起こされる感情には意味がある、とあらためて感じました。

―すごくわかりやすいですし、いろんな方向から見られます。過去から現在、未来にもつながると思いました。

ありがとうございます。元はテレビ屋なので、どうしてもわかりやすくする癖があって。それがときどき映画っぽくないとかいろいろ言われるんです。(笑)。

―ドキュメンタリーはわかりやすい方がいいと思いますが。

色んな考え方がありますよね。説明しすぎるのもよくないし、観客に委ねすぎるにもよくないかもしれませんし、正解はないと思っています。意識しているのは、お客様に感じてもらうことです。映画をご覧になる方々は100人いれば、100人の感じ方があるのが当たり前だと思っています。そういう意味では、私の場合は、私の伝えたいことが一直線にまっすぐに強いメッセージとして伝わるよりも、私が写し取った事象を、劇場のスクリーンから一人一人がそれぞれ感じていただくことが大事で、受け取りかたは様々で良いと思っています。
すでに、横浜大空襲の日にあわせて5月下旬に横浜シネマリンで劇場公開していただきましたが、お客様からの感想に目を通すと、さまざまな感じ方、受け取り方をされたことがわかり、この作品に関して言えば自分なりには上手く行ったかな、と思っています。
客観ナレーションではなく、小林聡美さんにスズさんの声を担当していただき、和子先生との母娘の掛け合いにしたのも効果的だったと考えています。

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ー小泉スズさんと『この世界の片隅に』のすずさん、たまたまお名前が同じで、そのせいか日本全国にスズさんみたいな人たちがいたんだなというのが、すとんと入ってきます。

あちらは漫画が原作で偶然なんですけどね。小泉スズさんは典型的な昭和の時代の日本人女性だったのかなという気はします。残念ながらお会いしたことはありませんけど、和子先生のお話を聞くと世俗的な欲のない人だったのかなあと思います。主婦としてのレベルが高くて自信がある。難しい理屈をこねるわけでもなければ、高尚なことを言うわけでもないけれども、一人の生活者としてとても立派な人だったと想像します。『男はつらいよ』のさくらみたいに、普通に毎日毎日過ごしていることが幸せにつながる、そういうことを教えてくれてるんじゃないかなって思います。そういう人たちがたくさんいた時代だったなと思います。

―そうですね。そして減っていくんですね。

減っていきます。横浜で公開したときも、90代のお母さんを息子さんが車椅子を押して連れてきていました。一方で小中学生の子どもを連れた4人家族もいて、そういうことに関心のあるご両親かな。そういう時代があった、そういう生き方をした普通の人たちがたくさんいた、ということを次の世代に伝えることになったなら良かったと思いました。

―親が説明するより、子どもに理解しやすいです。

子どもは親の話は聞かないですからね(笑)。私の親は2人ともすでに亡くなったのですが、父から引き揚げの頃のことをもっと聞いておけば良かったと痛感しています。ただ、父親も辛い話は話しにくかったのだろうとは思います。

―特に戦争のことは言いにくいでしょうね。

今回、和子先生にインタビューすることで、私が両親にできなかったことをやらせていただく、という気持ちがずっとありました。
この映画をつくろうと腰が上がったのは、和子先生にお話をうかがった際に「お母さんが大好き!」って嬉しそうにおっしゃったことが大きかったですね。いいご家族だったんだなぁ。
そこには普通のドキュメンタリーで求められる波乱万丈の物語はないけれども、静かな伝わる物語があるということを思いますね。
この映画は男性だけで作った映画なので(笑)、「主婦礼賛」に受け取られるといやだな、という話をしていました。ご覧になった人から話を聞くと、「スズさんが一日一日の暮らしを大切にしているというメッセージはちゃんと伝わってきた」とのことでした。普遍性のあるメッセージと受け取ってくださったので、安心しました。

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―横浜ではもう上映されたんですね。

4月上旬に完成試写会をしたときに横浜シネマリン支配人の八幡温子さんをご招待してご覧いただいたところ、「5月29日(横浜大空襲の日)の前後にやりましょう」とすぐに上映決定してくださったんです。夏にもアンコール上映してくださったばかりです。
空襲といえば3月10日の東京大空襲が取り上げられることが多いと思いますが、横浜大空襲も大きな被害があった割には取り上げられないですね。もちろんローカルでは、空襲を記録する会の活動などが記事として紹介されますけども。ですから、映画は、製作を始めた頃から横浜で上映できればいいなとは思っていました。実現してたいへん嬉しかったです。

―ずっと映像のお仕事を続けて来られましたが、映像はこれからまだまだ変わっていきますか?

撮影機材の発達で、プロとアマとの境界線が溶けて無くなりつつあると言えます。もちろん、作品のクオリティはプロの方が高いのですが、クオリティの高いものが必ず多くの人々に見てもらえるのか、と言えば、そうとも言えなくなっていて、アマチュアの方が撮影した映像が、YouTubeでいきなり数億回再生という世界が現れています。
将来がどうなるかは誰にもわからないと思いますが、60分とか90分の長さのコンテンツは永遠に残ると信じたいです。豊かな情報量と大きなメッセージを受け取って心がかき乱されたり、美しい記憶として心に残すためには、映画館という空間と、そこにゆっくりと浸る時間が必要だと信じています。

―今日はありがとうございました。

=大墻監督 印象に残っている最近の映画=
『たゆたえども沈まず』(テレビ岩手)
『ミナリ』
『ファーザー』
『痛くない死に方』
『ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん』島田陽磨監督
『サンマ・デモクラシー』
『太陽の子』
『パンケーキを毒味する』
『ヒロシマへの誓い』
『カウラは忘れない』
『東京クルド』など


=取材を終えて=
2年前にできたばかりの新宿キャンパスへお邪魔してきました。
大墻監督が感銘を受けたというスズさんの手の動きの確かさ、無駄のなさは「身体で覚えたことは身体に残る」ということばそのままでした。繰り返した手仕事は手に残り、スズさんは最後まで気持ちよく働いたのでしょう。手抜き主婦の私は反省しきりです。私の手には何が残っているのやら。
お話をたっぷり伺った後、その足で久が原の「昭和のくらし博物館」を訪ねてきました。スズさんが丁寧に日々を送られた名残がありました。我が家にもまだある昭和の台所道具や、再現されたちゃぶ台の食事など、懐かしいものがたくさんでした。スタッフ日記はこちら
湯気の立つ食卓を大事な人たちと囲むことが、平凡だけど幸せなのだと思い出します。たとえ一人でも、温かいものを「いただきます」とお腹に入れてみましょう。身も心も温まるはず。
この映画を観ると、自分の周りの失われてしまったもの、失いたくないものに気がつきます。そういうものを大切にしようと思いました。
(取材・監督写真 白石映子)