『実りゆく』出演:橋本小雪さん・中野聡子さん(日本エレキテル連合)インタビュー

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〈プロフィール〉
日本エレキテル連合
2008年に日本エレキテル連合としてデビュー。見るものにトラウマを与える狂気のキャラクターコントで、多くのファンを抱えるコンビ。2015年には“ダメよ〜ダメダメ!”で新語・流行語大賞の年間大賞を受賞。
橋本小雪
1984年生まれ。兵庫県出身。橋本は女優としても活動中「忘れてしまう前に想い出してほしい」(2017 RKB毎日放送)「私のおじさん」(2019 テレビ朝日)「ひみつ×戦士 ファントミラージュ!」(2019 テレビ東京)ほか、多数出演
中野聡子
1983年生まれ。愛媛県出身。ネタ製作担当。特技は日本画、趣味は小道具製作。
Youtubeチャンネル「日本エレキテル連合の感電パラレル

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Twitter https://twitter.com/elekitel_denki?lang=ja
★『実りゆく』10月3日(金)より長野県先行公開、10月9日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
ⓒ 「実りゆく」製作委員会

八木順一朗監督インタビューはこちら(リンク)
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/477196893.html
竹内一希さん・田中永真さん(まんじゅう大帝国)インタビューはこちら(リンク)
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/477481025.html


―日本エレキテル連合さんの動画をたくさん見せていただきました。まだ観切れていないんですけど、どれもとても面白くて癖になりました。

中野 嬉しいー。ほんとですか。
橋本 ありがとうございます。

―そのままショートショートになってるんですよね。コメディ映画祭などに出してほしかったです。

中野 映画に携わっている方にそういっていただけると光栄です。(映画紹介書いているだけです 汗)

―ほんとにそうなんです。あ、今日は俳優さんとしての話を伺うんでした。

中野・橋本 はい。

―お二人は長編になってからの登場ですね。最初に脚本を読まれた感想をお聞かせください。
夢を諦めて東京から故郷に戻った朱美役の橋本小雪さんから。


橋本 芸人の気持ちをわかっているマネージャーだからこそ書ける、面白い、そして感動できる作品だと思いました。私の役は、自分にないことをしなくちゃいけないなと思いました。色気であったり、ちょっとこうきつく言ったりとか、そういった性格だろうと。自分とは違うので大変かもしれないけれど、キーパーソンだと思いました。

―モテ役でしたね。

橋本 そうなんです、すごく。自分とは真逆ですけれども、そういう役ができたのはいいなと。

―朱美ちゃんの勤めるお店のママさん役だった中野聡子さんは?

中野 まず脚本を読んだときは“実る”だなと思いました。全体を通して―芸人さんもだしりんごもだし、監督自身もこれが初めての作品で、全部が実るーほんとにそのままだなぁと。橋本さんもものすごく自分にない役どころということで、苦悩して実らせていただいてピッタリのテーマでした。
私の役はー私だけ申し訳ないけれど、自由に好きにやらせていただいて(笑)。もうちょっと抑えた感じの台本だったんですけど、監督の意向を無視して「ちょっとやってやろう!」と、思いっきりやったら採用してくださって。楽しくやらせてもらいました。朱美ちゃんとは違って、自分に近いものがありましたので、やりやすかったです。

―普通のメイクのお二人を見るのが初めてでしたので、試写室で「ダメよ~、ダメダメ」の台詞でどっと笑いが起こるまでわかりませんでした。中野さんがママさん役だったのも後からわかりました。てっきり女優さんだと思っていたんです。

中野 それは最高の褒め言葉です。
橋本 嬉しい~。
橋本・中野 ありがとうございます!

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朱美ちゃん

―マネージャーさんが監督になって、どんな感じでしたか?

中野 もともと映画が好き、というのは知っていたんです。私たちのライブ映像なんかも撮ってくれていましたし。でもこんなに本格的な映画で、ちゃんと監督をやっていてその“肝(きも)”がすごいと思いました。たくさんのベテランのスタッフさんの、職人さん風のちょっと怖そうな方々に囲まれても動じなくて、その肝のすわり方にびっくりしました。
橋本 マネージャーが監督をするなんて初めてなんです。見た目もヒョロヒョロで(笑)。
中野 “ヒョロ吉”と呼ばれているんです。
橋本 そう、あだ名が“ヒョロ吉”(笑)。どっちかというと優しくて、ゴリゴリ押したりしない。手も出さないタイプで。優男だし、大丈夫かなぁと思ってたんです。もう始まったら、「これはどうですかね?」「これはこうしてください!」「はいOK!」って。”監督降臨!”でした。そのときはヒョロっとしてなくて、ビシッとしてカッコよかったですよ。ほんとに。

―八木監督が聞いたら喜ばれますよー。
エレキテルさんは「コスプレとメイクと小道具」で役に入っていく、と知りました。ゲームの主人公がいろいろな装備とアイテムで強くなっていくのと似ていると思いました。

中野・橋本 ああ~!
中野 それ、初めて言われました。その表現使ってもいいですか?(笑)

―どうぞ~。ロールプレイングしかできないんですけど、ゲーム好きなので(笑)。

橋本 ドラクエとか。
中野 私たちは何かを装備して、とにかく見た目で説明しちゃう。エフェクトかけまくってやっているので、映画はそれを一切取っ払った感じだったので、今回ほんっとに苦労しました。

―何かやりたくなる?

中野 やりたくなるんです。鼻毛描きたい!(笑)
橋本 アゴ出したい!(笑)

―自然に女優さんでしたよ。だって気が付かなかったですもん。

橋本 よかったです。

―これからも映画のお話があったらまた出られますか?

中野 そんなに素敵なことはそうはないと思いますけど(笑)。役者さんってすごい。何でもない普通の人も演じられるし、トリッキーな役も、通行人Aもできる。どんなにオーラがあっても消せる力があるんです。私たちにはそれがほんとにないんだなと痛感して「勉強して来たいな」と思って。(橋本さんへ)役者さんってすごいよね。
橋本 ほんとに。
中野 私たちは出ちゃうものね。自分たちの我(が)が。
橋本 うん。我が出ちゃうし、何かその「変なこと言いたい」とかあるし(笑)。

―サービス精神があるからじゃないですか?

橋本 あと照れくささがどこかにあるから、私たちもちょっとボケたりしたくなる。

―盛りたくなるっていうか?

橋本 そう、そうです。
中野 それをすることによって、きっと今回は邪魔をしてしまうんじゃないかと思ったので、それをどう消していくかという…
橋本 もうそれとの闘いでしたが、本番はそういうのを取っ払ってやれたので良かったです。

―機会があったらまたぜひ出てくださいね。

橋本・中野 はい、是非!

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ママさん

―YouTubeのお二人を遡って見てきたんですが、最初は7年くらい前ですね。早くから発信していて先見の明があると思いました。あの中でしかできないことってやっぱりありますね。

中野 舞台によっても違いがあるんですけど、かといってテレビコントも選ばれた一部の方たちしかできませんし、だったら自分たちで媒体を作ろうと。編集もできるし、ちょっとしたショートフィルムもできます。

―あのYouTubeに出すものって一旦事務所に見せないといけないものですか?

中野 一応コンプライアンス的なこととか、言ってはいけないこととか、そういうのはマネージャーに見てもらいます。自分たちも気をつけているので、だいたいOKが出ます。

―始めたころは「毎日あげてま~す」と。

中野 最初のうちはほんとに毎日アップしていましたが、さすがに大変になって減らしました。

―朱美ちゃんシリーズが目立ちましたが、たくさんのキャラがありました。でもテレビには出しにくいのもありますね。

中野 テレビはみんなが安心して見たいものですが、私たちはどうしても「毒」とか「哀愁」とかが好きなんです。みんなが楽しく笑えないこともあったりします。

―作るときは、自分たちとカメラさんだけですか?

橋本 今はもう二人だけで作っています。

―目の前にお客様がいなくてもノリは大丈夫ですか?

中野 私たちテレビコントで育ったので「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(加藤茶と志村けんの冠番組)とか。しかも、私たちの舞台って、笑うツボがみな違うんです。みんながどっと笑うのでなく、ポイントポイントで笑う人が違うので、動画作品に出して笑っていただけたほうがいいなと。だから動画の方が合ってたりする…
橋本 うん。合う。
中野 好きなところ見つけてください。
橋本 それぞれが楽しんでください、と。

―自分たちが全く違う人になって、発信するのがお好きなんですねぇ。クリエイターですね。

中野 私はずっと裏方志望で。 

―お二人仲良く長く続けている秘訣はなんでしょうか?

橋本 秘訣…やりたいことがあってそれを二人でやってきた、ってことだけ。
中野 面白いと思うポイントが一緒で、それがハマったんだと思います。
橋本 一緒に作っていくと自ずと仲良くなっていくんじゃないかな。

―すごくいい出会いをなさったんですね。出逢いといえば中野さんご結婚おめでとうございます。

中野 はい、この映画のモデルの松尾さんと結婚して、3回しか会っていません(笑)。籍を入れただけで、これから仲良くなっていこうかな、と(笑)。

―それもまたいいですね。ネタになるんですか?

中野 ネタに(笑)。勝手になっちゃってますね。
橋本 人生が面白くなるんじゃないかと思って、交際ゼロ日で結婚した。
中野 基準が「面白いか、面白くないか」。「面白いな」と思って。好きとかより。(笑)

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―みなさんに「大切にしていること」を伺っています。お仕事でも人生でも。
変わらずに大切にしていることがあれば。

橋本 真面目に答えていいんですか? 一言ですか?

―真面目にどうぞ。一言でも長くてもいいですよ。

橋本 大切にしていること。ええと、う~~んと。ちょっと待ってください。

―待ってます(笑)。

橋本 ええと、う~んと、待ってください(笑)。

―はい。それも書いときます(笑)

橋本 私はとても、“人よりできない”んです。それで人より千倍の努力をしないといけない、と頭に置いておくこと。「努力すること!」です。
中野 私は「ひとさまにお金をいただいて提供するからには、いただいた以上のものを出す」ということを大切にしています。自分なりの精一杯で、まだまだですけれども、「今できることの精一杯を提供する」。

―そのために心がけていること、努力していることがありますか?

中野 そのために努力しているのは…「一日サボれば自分にバレる。二日サボれば師にバレる。三日サボればお客様にバレる」芸人3箇条です。

―好きな映画があったら教えてください。子どものころからでも、最近でも。

橋本 『裸の銃(ガン)を持つ男』(1988年/アメリカ)というコメディ、この映画が好きです。
中野 たくさんあるんですけれども…北野武監督の『HANA-BI』(1988年)が大好きです。あの映画はどこを一時停止しても、切り取って額に入れて飾れる絵になるんです。どのシーンも美しいので。絵が美しい映画が大好きです。

―日本画をされていたんでしたね。

中野 ほんのちょっとかじりました。

―お二人とも絵がお上手ですよね。

中野 こちら(橋本)はマンガが。私は写実的なほうで。

―いいですねえ。いろんな方面に才能があって。

中野 おしゃべりっていう…芸人に一番必要なおしゃべりが一番下手かも。
橋本(笑)

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―自粛中はどうなさっていましたか? YouTube撮り?

中野 YouTubeと、単独公演(9月18~20日)があるので、それを毎日。こういう状況なのでどうなるかわからないですが。
橋本 ネタ作りと、構成を考えたり。出て行けないときは電話で、撮影もどうにかリモートでできないか、と考えたり。でも会って練習しないと“やった感”がないです。

―これからの目標は何でしょう?

中野 二人に共通しているのは「長編のコメディ作品を作りたい」というのが目標です。ライブがだいたい4分くらいなので。
橋本 ネタがね。
中野 70分くらいのを撮りたいなぁというのが、今の近い目標です。
お笑いを観に行くとだいたい90分くらいで集中力が途切れるんです。ちょうどいいのが70分くらいかなぁと。「あ、もうちょっと見たいな」というところで終わる。90分が好きなんですけど。

―映画でも90分の作品は多いです。中編が50分くらいかな?でも値段の付け方が難しいようです。

橋本 じゃあ長編にしよう(笑)。
中野 いろんな人の目に触れるコメディの長編で。内容は固まっていないんですが、私が完全に裏方に回って橋本さんをとにかく生かしたものを作りたいです。

―ひとり芝居ですか?

中野 何役もできるので。

―あ、撮影するならいくらでもできますね。それ楽しそう! 

橋本 そうですね(笑)。

―最後に中野さんも出るとか?

橋本 ちらっと(笑)。
中野 遅刻したり(笑)。

―でき上がったら教えてくださいね。取材に来ます。
今日はありがとうございました。


=取材を終えて=
日本エレキテル連合さんの動画をまとめて見て、そのフィールドの広さ、キャラの多様さに驚きました。未亡人朱美ちゃんシリーズが爆発的な人気になりましたが、あれはかなり大人向けです。ほかに大阪の二人、ケンちゃんクミちゃんや、教祖と信者や、可愛いぱにぽよちゃんと変な凸とか、た~くさんのキャラがあります。まだ観終わっていません。
それぞれの特徴を捕まえるのがすごく上手で、キャラが立っています。きっといつもよく人間観察されているのでしょう。中野さんのアンテナの張り具合と感度の良さ、それに対応できる橋本さん、とてもいいコンビです。初めてお目にかかったら、あのテンションの高さと全く違う、控え目で真面目なお二人。“盛りメイク”(笑)をとると、こんなに可愛くて素敵な女性たちです。
初めての映画出演でたくさん得ることがあったようすです。目標の長編を作り終えたら、またお目にかかりたいものです。その前にライブに行かなくては!(取材・写真 白石映子)

『実りゆく』出演:竹内一希さん・田中永真さん(まんじゅう大帝国)インタビュー

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〈プロフィール〉
竹内一希(まんじゅう大帝国)1994年生まれ、東京都出身
日本大学藝術学部卒業。在学中は日本大学藝術学部落語研究会に所属。
第12/13回全日本落語選手権、「策伝大賞」決勝選出
2016年6月コンビ結成、2017年4月デビュー。
結成直後の「M-1グランプリ2016」にて、アマチュアながら、3回戦進出を果たし話題を集めた。また、竹内は演技力の高さにも定評があり、役者としても活躍中!「行列の女神~らーめん才遊記~」(2020 テレビ東京)「特命!おばさん検事 花村彩乃の事件ファイルSpecial」(2019 テレビ東京)「ウルトラマンR/B」(2018 テレビ東京)SEA BREEZE WEBCM「Poolside Desteny」(2018)ほか多数出演 

田中永真(まんじゅう大帝国)
1993年生まれ、北海道出身
函館ラサール高校卒業。東京理科大学中退、在学中は東京理科大学落語研究会に所属。
2020年3月には、国立演芸場令和元年度「花形演芸大賞 」銀賞をコンビで受賞。
出演番組 はフジテレビ「ENGEIグランドスラム」「笑レース」、テレビ東京「日曜ちゃっぷりん」、TBSラジオ「マイナビラフターナイト」ほか多数。

ⓒ 「実りゆく」製作委員会
八木順一朗監督インタビューはこちら
☆『実りゆく』では竹内一希さんが主人公の実(みのる)役。
田中永真さんがお笑い芸人のライバルであるエーマ役です。


―お二人は映画よくご覧になりますか?
竹内 新しい、面白そうなの出たよ~っていうのが耳に入ると、「行ってみっか~」くらいの感じです。
映画館に行くというイベントはすごく楽しいので、たまに。
田中 全然観てないです。
―あ~(出鼻をくじかれる)。では一番最近観た映画はなんですか?
竹内 えっと三谷幸喜さんの『記憶にございません』。中井貴一さんが好きで、これは面白そうだっていうことで観に行きました。面白かったです。
―やっぱりコメディになりますか?
竹内 あ、そうですね。あと意外とディズニー作品とか好きです。コミカルなのが多いかもしれないです。
田中 僕はもう全然観ないです。最後に観たのはたぶん太田(光)さんが作った映画です。あれは先輩が作ったから。そのくらいのことがないと観ない。
―じゃあ、普段映画なしの代わりに漫才のネタ作りをされている?
田中 そんなに頑張ってないんですけど(笑)。そうするべきなんですけどね。
―田中さんのnote読んでいます。落語ネタが楽しいです。
田中 あ、ありがとうございます。
―竹内さんは?
竹内 僕はnoteはやっていないです。(instaでした)

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―今回映画は初出演ですよね。
竹内 はい、もちろん初出演です。(映画出演は)人生でゼロだと思っていましたから。
―竹内さんが”うっとり、ニコニコだった”と田中さんがコメントしていますが。
田中 いやほんとに(笑)。やる気があるとも違う。「主演だ~!」って言ってきたんですよ。
竹内 (笑)
田中 主演とかじゃないだろ、演技も全然やったことがない。
竹内 うん。
田中 ない中で、大きな映画の主役、メインをあてられて「主演だ~!」って喜んでるのがのんきすぎるだろって。
竹内 (笑)
―心配は全然なしで?
田中 もっとプレッシャーに感じたりとか、いろいろ考えこんじゃいそうなところなのに、ヘラヘラしてたんで。
竹内 うん。
田中 ヘラヘラしてんじゃねーよ!って。
竹内 (笑)
―それは2分半の予告編を作るときから?
竹内 そのときはずっとそうでした。予告編はのんきなまま終わってました(笑)。八木さん(監督)が言われた通りに。「長野に行きますよ」って車に乗って連れていかれて、「これ撮りますよ」「はい」って撮っただけなのに終わったら賞(主演男優賞)をいただいたりして。「そんな凄かったんだ!」ってその流れで、本編も入っちゃった感じがありますね。
―本編は何十倍もあります。映画の長さも、拘束時間の長さも。それでもプレッシャーも悩みもなしで終わったんですか?
田中(笑)
竹内 いや、まあ冗談というか、予告編のときに八木さんが「優勝したらほんとに映画撮れるんです」「うわ、いいですねぇ」「主演は竹内くんでないっすね。そこはちゃんと本物の人呼びます。村人Aでも出しますよ」。
―でない、って。
田中 そりゃそうですよ。
竹内 って喋ってて、僕が男優賞をいただいたので、八木さん僕を切るってことができなくなっちゃった(笑)。 しょうがなく僕を主演にしたんです。
田中 残念だな。
竹内 だからすごいテンション低く「竹内くんで行きます」…
一同(爆)
田中 しょうがねぇから。
竹内 「うぉーしラッキー!!」みたいな感じで。若干の「してやったり感」もあって(笑)。
―竹内さんが実(みのる)くんで続投なら、エーマくんも続投じゃないですか。
田中 そこに引っ張られて(テーブルの上のお菓子で監督、竹内、田中の3人を設定)
竹内 そうそうそう。
田中 ここの二つ(竹内・田中)はまんまで。まんまでいかないで、って…
竹内 (笑)そうだね。
田中 絶対にイケメン×イケメンで行ったほうがいいよって言ったんですけど。
竹内 もちろん。
田中 もう譲らないから、監督さん。
竹内 監督だから。(笑)
田中 役名がね、僕は本名が田中永真(えいま)で、役名もエーマなんですよ。あれも変えてくれって言ったんですよ。意味が分かんないんで。最初、「永真くんはエーマです」って言われたときに、「あ、けっこうまんまなのかな?」「そのまんま出てきていいよって意味で本名のまんまなのかな?」と思ったら、違う性格のキャラで。
―違いましたね。
田中 違いますよね。(監督が)「永真くん、エーマはこうなんですよ」って、誰の説明してるのかずっとわかんなくて自我がぶっこわれそうになった(笑)
竹内 あぶないすね。あれは。
田中 ね。(監督が)「エーマはそのときそういう対応じゃないんですよ」って(笑)
―エーマは僻む人でしたよね。
田中 そうそうこんなの(顔真似をする)
―私は先に映画を観てから、その後に漫才を観て、あれ全然キャラ違うと思いました。
田中・竹内 (笑)
竹内 穏やかですから。
―映画なのでドラマチックに作らないと、というのもあったんだと思いますが。
田中 あんなに感情を出すことは普段ないんです。それが大変でした。演技というよりは、「感情を出す」という基礎中の基礎みたいなのが全然できないんで。
―漫才でも穏やかですよね。強くつっこまなくてこの漫才ってちょっと違う。
竹内・田中 (笑)
―観ない間に漫才が変わったのかと思ったらそうじゃなくて、お二人がそうなんでした。いいですよね、優しくて疲れない。癒される漫才でした。
竹内・田中 (笑)ありがとうございます。

―映画の中にあの「ピンポンピンポン♪」が使われていましたね。
田中 それも勝手に使われて(笑)。なんか請求しようと思って(笑)。
―(映画が)当たってからね。当てないと(笑)。
竹内 あのネタは僕らにとって縁起のいいネタということがあって。「ピンポンピンポン」が最初にできたネタなんです。デビューのきっかけになったと言ってもいいネタです。プロになってからもフジテレビの番組で若手が闘って優勝した人が出られる――そのネタで優勝させてもらいました。
「予告編」の中でもそのネタをやって賞をいただいているんで、「このネタやると何かいいことあるんですよ」って、ポロっと八木さんに言ったことがあって。それにあやかっているんです。
田中 お前のせいだったのか。
竹内 (笑)それを使いたいと。
―でもいいじゃないですか。若くて元気な二人が残っていますし、もう取り戻せない時間なんですから。毎日そうですけど(笑)。全国に映画が行ったらこれまで知らなかった方にも(私みたいに)届きます。大事にしたい映画ですよ。
竹内 ほんとそうですね。
田中 もう乗っかっちゃったから、乗り続けるしかない。
―北海道でも上映してもらって(と田中さんへ)。
田中 うちの両親も観たがってるんですが、いまのところ観られる環境じゃないです。大きく旅行しないと。
竹内 そうか。
―映画館少ないですから。札幌までも遠いですもんね。
田中 札幌に行くなら飛行機に乗ってこっち来た方が早いんじゃないかな。
―舞台挨拶のときご両親呼ばれたらどうですか?そこで絶対何分か喋るんですよ。
田中 喋ることないんだよ、何にもね。
竹内 (笑)
―いや、ほんとに映画のエーマくんと雰囲気違いますね。
田中 あんな奴イヤじゃないですか。ヤな奴。(笑)
竹内 あのエーマはインタビューとかしたらイヤだろうね(笑)。
田中 もう、こうだろ(と顔真似)。
竹内 「そりゃ答えたくない」って言いそうだ(笑)。
田中 「なんすか、それ」って。ヤダよ、あいつ嫌いなんだよ俺。
一同(爆)
―怪我しましたしね。
田中 死ねば良かったよな(笑)。
竹内 思い切り轢かれたら良かった(笑)。
―ひどい(笑)。なんでそこで黒い版・田中が。
竹内 黒(笑)。結局こっちも。
田中 こっちも悪い奴だった(笑)。

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―今までマネージャーさんだった方が監督になるってどんな感じでしたか?
竹内 いやもう、変!変ですよ。ずーっと頭の片隅に何してんだろう?ってのがありましたね。芸人とマネージャーなんだけどな。
―切り替えるのは難しかったですか?
竹内 切り替わってたかどうか。
田中 監督は変ってたけどね。顔やっぱり違ってた。
竹内 そう!八木さんはびしっと。
田中 監督面してらぁと思ったもんね。
一同(爆)
竹内 二度とマネージャーなんかやるものか!って決意が伝わってきたんで。(笑)
田中 辞めたいんだろうなぁって思ったもんね。
竹内 俺らのマネージャーを探さないとって感じありましたね。(笑)
田中 いなくなっちゃうよってね。
竹内 この映画を撮るときは、他のスタッフさんたちの人数も規模も違うし、それで雰囲気を作ってもらいました。
「映画だ!」と撮ってるときから思えたので、みなさんのおかげで切り替えはできたかなと思います。

―東京のパートと長野のパートがありますが、撮影はライブなどの合間に?
竹内 東京のところをパパ―っと最初に撮って、長野に行って一気に終わりまで撮って。
田中 帰ってきてちょこっと撮って。ライブとかお笑いの(仕事)は全部なしで。その間全部断っちゃって。
竹内 マネージャーがお笑いの仕事をはねのける、という前代未聞のスケジューリングで。
田中 何のマネージャーなんだ?(笑)
―制作もされてたので大変なんですよ。
田中 大変ですね。
竹内 M-1グランプリっていう漫才の大事な期間だったんですよ、9月10月って。
田中 ちょうど予選がずっと、夏からやっているんですけど、ちょうど僕らとか若手のまだ売れてないくらいの人たちの。ここから勝てるか、負けるかみたいな、3回戦とか、準々決勝みたいなそこらへん。
で、もう一個上がれるかどうかで一年が変わるぞ、ぐらいの大事なところで直前の1週間とかに「長野行きます!」
竹内 「えー!!」(笑)
田中 「もっとこういう演技を」って。
竹内 2回戦は浅草の会場で、出番が終わった後にもう「長野行きますから」と車が待っている(笑)。攫われるようにして長野に行ったんですけど、M-1なんて何にも集中できなかった。
田中 何にも覚えてないもんね。えらいもんで。
竹内 これから長野に行くんだ~と思いながら漫才していたような感じで。結局2回戦は通って3回戦まで行けたんですが、2回戦で落ちてたら、たぶん喧嘩してました。ドタバタでした。
田中 ドタバタだったね。

―一生に何度もあることじゃないですよね。
田中 まあそうですよね。途中からはそう思って。いい経験だと思ってね。
竹内 ねえ。
―漫才のネタって経験が元になりますよね。これもネタにできるじゃないですか?
田中 映画監督?映画に出てみよう!
竹内 映画を作ろう!
―映画を作りたい人も多いですが、今お笑い目指している人たくさんいませんか?そういう人に何か言ってあげるとしたら?
田中 何もない…
竹内 全然ない(笑)
田中 でも、何か言わないとね。
―自分が言われて実になったことはありませんか?
田中 直接言われたことはないけど、「やめろ」とか「なんない方がいいよ」、「なるな」と人に言われて、やめるような人は、たとえやったところで売れない。もしも「芸人になりたいんですけど」って言われたら、「やってみればいいじゃん」って意味で僕は「やめたほうがいいよ」って言いますね。
―そこから自分の判断ってことですね。
田中 そこでもう決まる。一歩出るか出ないかって大きいんじゃないかな。
―自分で体験しなさい、と。
田中 そうですね。口で言ってわかることは少ないです。体験、体験で。
竹内 それぞれだしね、体験できることって。

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―お二人が目標にしてきた方は?
田中 タイタンの芸人でいて爆笑問題さんを挙げるのは月並みなんですけど。爆笑問題さんはほんとにカッコいいと思いますね。
竹内 タイタンに入ってより近くで仕事してどういう人か見る機会が増えて、元からファンでしたけど、やっぱりほんとに凄いんだなって思います。目の当たりにするので、より尊敬しました。
―そういう人の近くにいられるっていいですね。
田中・竹内 そうですね、ほんとに。
―タイタンに入るには試験があるんですか?
竹内 入るための明確な基準、みたいなのは特にない事務所なんです。
田中 僕らが入ったころは一応“ネタ見せ”というフリーの人のネタを見るのはあったんですけど、そこで絶対入れるというわけではない。当時はそんな感じでした。今は学校ができて、卒業したら仮所属にはなるようになりました。
竹内 僕らは高田(文夫)先生の一声で入れていただいた。
―結成が2016年、4年たちましたね。お名前も変えずにずっとそのままで。「まんじゅう大帝国」って、なんだろう?って記憶に残る名前ですね。
田中 僕らも変だなぁと思うんですが(笑)、わりと覚えてもらいやすい。

―ネタ作りなどで、これだけは譲れないこと、大切にしていることは?
竹内 なんだろう。僕はほんとに楽しんでお仕事できたらな、と。あんまり考え込んでもいい結論が出るタイプではないので、いろいろ大変な仕事もあるかもしれないですが、それも楽しんでできるようにしたいですね。
田中 ネタは二人でやるものなので、竹内がやりやすいようにっていうか、竹内のこと気を使ってはいます。楽しんでやるって言ってましたけど、ネタ作ってちょっと渡して楽しそうじゃなかったらボツにしてる。楽しそうにできてるのは、こっちのお陰もあるよって(笑)。ノリノリでやってるほうがこっちも楽しい。
―竹内さんは新しいネタもらうと、すぐ顔に出ます?
竹内 そうですね。ただそれは、面白い面白くないジャッジというよりは、理解できたか。わかんないと僕はほんとに不可解な顔になるんでそれでバレます。
田中 で、「ああ、何でもない。何でもない。うそ嘘ウソ…」
竹内 (笑)
―えー、言い訳しないでひっこめちゃうんですか?
田中 引っ込めますね。それで説明してわかった面白さってほんとの面白さじゃない。それでやられてもどっか説明臭くなったり、ウソ臭くなったりする。だからずっとご機嫌伺いながら。
―ああ~厳しいんですね。
田中 厳しいんですよ。
―どちらも。お客さまに「今のはね」って説明することはできないですもんね。
田中 はい。(二人の)考え方がけっこう違うので(とお菓子を並べて)、ここ(竹内)とここ(田中)がどっちも面白いと思ったらある程度大丈夫かな、というのがあるんで、ここ(竹内)にはねられたら、「いや、俺は面白いと思うんだけど」というここ(田中)の我は意味がなくて。この広いところ(二人を含めた大きな空間)でやりたいんで、だから顔が曇ったらダメ。
―そうやって作っているんですね。わかりました。とってもいいこと聞いちゃった。
竹内・田中(笑)

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―今なかなかライブも難しい状態ですね。
竹内 事務所のライブは大きいのが2か月に1回あります。今のところ一応コロナにも負けず。
田中 一回だけお休みしたけどね。
竹内 映画館でも観られます。(全国のTOHOシネマズに中継)
田中 銀座のホールにお客さまを入れてのライブで、それをそのまま中継します。
そちらは(対策を)いろいろやって少人数でやれたんですけど、普段出るライブは無観客もあって、配信だけとか。今のが面白かったのかどうかがわからない。
竹内 なんのこっちゃ?とか。
田中 もう開き直って全部やることもある。

―これから映画の話がまたあったら、出る気はあります?
田中 そりゃあね。
竹内 うん。
―ものによりますか?
田中 いやそんなことは言いたくない(笑)。(竹内さんへ)出るよね?
竹内 うん、出れるならバンバン出ますよ!映画でもなんでも。 何がきっかけでもいいので、「売れないと!」っていうのはずっと思っています。光代社長からも「まず売れて!」って言われたことがあって(笑)、作戦会議まんじゅう大帝国!一言めが「まず売れましょう」だったんで、話にならないんだな、今はって思いました。
だからこの映画をきっかけにお芝居の可能性も多少は増えるかもしれないですし、もちろん漫才も。何かひっかかってくれということでいうと、漫才だけにこだわらずにいろいろ頑張りたいと思っています。
田中 そうですね。なんか演技のお仕事とか。
「あんまりスケジュールおさえるの悪いか」とかそんなこと全然思わないで。
竹内 ああそうだね、ビシバシ仕事入れて。
田中 何でもいいからね。何でも出ますよ、って。こんくらいで良ければ。
竹内 そうだね。(笑)
田中 自信があるわけじゃないから。(笑)
竹内 そうそうそう。

―そのために何かスキルアップするとかは?
田中 どうやればいいかわからない。考えたことがないジャンルで、どうやって努力していいかわかんなくて。なんか(とこちらに目線が)…
―映画を観る、とりあえず他のも。
田中 あー、なるほど!そりゃそうですね(笑)、よく観ればいいんだ!
竹内 そうだ!(笑)
田中 俺、一個も観ずにこれだから。観たらもっと伸びる?
竹内 伸びるよね。
田中 伸びしろがある?
―と、思います。
田中 今後に期待!(笑)。
―その節は呼んでください。俳優として取材に来ます。今日も俳優なんですけどね(笑)。
今日はありがとうございました。とっても楽しかったです。


=取材を終えて=
長くお笑い番組を見ていなかったので、この取材ができることになって急ぎ「まんじゅう大帝国」さんの動画を探して観ていました。付け焼刃のため上がり気味で臨んだインタビューでしたが、若いお二人は丁寧にお返事してくださいました。ほとんど目の前で漫才を見ているようなやりとりで、笑ってばかりの贅沢な時間を過ごしました。ちゃんとライブを見に行かなくては。竹内一希さん、田中永真さん、初体験の映画を乗り切って、これも糧としてますます広い舞台に出て行かれることでしょう。応援しています。
いつも文章の間を一行あけるのですが、ご覧のようなテンポの良さでしたので、つめています。空気をお届けしたくて、30分間の取材をほぼ書き起こしました。(取材・写真 白石映子)

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『ホテルニュームーン』ショーレ・ゴルパリアンさんに聞く

イランのリアルな暮らしを観てほしい

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日本イラン国交90周年の2019年に完成し、昨年イランのファジル映画祭でお披露目された日本イラン合作映画『ホテルニュームーン』。日本での公開が、ようやく9月18日からに決まり、日本側のプロデューサーを務めたショーレ・ゴルパリアンさんにお話を伺いました。
映画美学校での試写の間にお時間をいただいたのですが、取材場所は1階のカフェ。
キアロスタミ監督が『ライク・サムワン・イン・ラブ』の撮影を前に、ここでショーレさんと打ち合わせしていた時に、2度お目にかかったことのある懐かしい場所です。

ショーレ・ゴルパリアンさんのご功績については、「2018年日本映画ペンクラブ賞特別功労賞」を受賞された時のレポートをご覧ください。

『ホテルニュームーン』
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© Small Talk Inc.

*ストーリー*
イランの首都テヘラン。大学生のモナは、小学校の教師を務める母ヌシンと二人暮らし。父は自分が生まれる前に山で友達を助けようとして滑落して亡くなったと聞かされている。モナはボーイフレンドのサハンドと一緒にカナダへの留学を画策しているが、母は門限も8時と何かと厳しく、言い出せないでいる。そんなある夜、母が化粧をして出かけるのを知り、そっと後をつけ、ホテルで見知らぬ日本人男性と会っているのを見てしまう。
母が隠したパスポートを家探ししていたモナは、若かりし頃の母が赤ちゃんを抱いて、先日会っていた日本人男性と一緒に映っている写真を見つける・・・
シネジャ作品紹介


◎ショーレ・ゴルパリアンさんインタビュー

◆日本イラン国交90周年記念作品
― まずは、日本イラン国交90周年の2019年に、『ホテルニュームーン』を完成させられましたこと、おめでとうございます。

ショーレ: 日本イラン国交90周年を目的にしました。いろいろあって公開は今年になったのですが、さらに、コロナがあって9月になってしまいました。日本大使館とイラン大使館に90周年企画として撮ることを報告して、90周年のマークをつけさせてもらいました。何かしてくれることは期待してなかったのですが、在イラン日本大使館は、イラン滞在中、2~3回皆にご馳走してくださいました。在日本イラン大使館のイラン文化センターは、女優のマーナズ・アフシャルさんが撮影の為に来日した時に、車を提供してくださいました。

― マーナズ・アフシャルさんは、2019年の東京国際映画祭で上映された『50人の宣誓』(監督:モーセン・タナバンデ)の主演を務められた女優さんですね。
2019年11月4日 Q&A
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©Persia Film Distribution

ショーレ:イランの商業映画の世界で有名な女優です。

◆筒井監督のイランの若者の映画を作りたいという思いで始まった
― 今回、東京藝術大学、大学院映像研究科教授でもある筒井武文監督と、イランとの合作映画を撮ることになった経緯を教えてください。
(★ショーレさんは、2014年から東京藝術大学グローバルサポートセンターの特任助教として、イラン人を講師に招いての特別講義などの人事交流に携わっています。)
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ショーレ:筒井さんと東京藝術大学で一緒に仕事をしていて、2~3回一緒にイランに行ったことがありました。もともと筒井さんはイラン映画をたくさんご覧になっていて、批評家としてイラン映画のことも書いてくださっていました。2017年に筒井さんをテヘラン大学映画科に案内したのですが、その時に撮影の現場を見たいとおっしゃったので、カマル・タブリーズィー監督の撮影現場にお連れしました。「エネルギーが違う、いつかイランで撮りたい」とおっしゃいました。そのあと、タブリーズィー監督と一緒に食事をしたときに、「テヘランを舞台に、イランの若者の話を撮りたい」と筒井さんが言ったら、タブリーズィー監督は「撮りましょうよ」と。そして、脚本はナグメ・サミーニーさんに書いてもらってはどうかという話になりました。ナグメさんが日本に来ていた時に筒井さんがお世話したし、私の親友でもあるし、タブリーズィー監督の映画の脚本も2本書いているという繋がりがありました。
その時、タブリーズィー監督は『Marmouz(英題:SLY)』というコメディを撮っていて、その映画のプロデューサーであるジャワド・ノルズベイギを紹介してくれました。ジャワドは私のことを知っていましたが、私は彼のことを知りませんでした。筒井さんと一緒にジャワドに会ったら、彼はインドとエンターテインメントの合作映画を撮ったことがあって、日本とも合作映画を撮ってみたいと言ってくれました。実はインド人にはすごく騙されたけど、ショーレも間に入っているし、日本人には騙されないだろうと日本との合作に乗り気になってくれました。それが2017年のことでした。2018年になってナグメに脚本をお願いしました。

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ナグメ・サミーニーさん 来日の折の講演会の様子はこちらで


― ナグメさんに脚本をお願いするときに、筒井さんからはどんな注文があったのでしょうか?

ショーレ:筒井さんはイランに行くとテヘラン大学で若い人と会っていたのですが、日本で紹介されているイラン映画には、ほとんど若い人が出てこないので、若い人を主人公にしたいとスタートしました。ちょうどナグメが国際交流基金(Japan Foundation)の招聘で6か月日本に滞在することになり、筒井さんはアドバイザーになって、よく会うことになりました。
母と大学生の娘の話をナグメが考えて、間に私が入って筒井さんと話して、日本との繋がりを簡単にではなく、ドキュメンタリー風に入れようということになりました。
私は、1991年~92年に、イランから労働者が大勢日本に来た時に、八王子のイラン人たちを取材したことがあって、現状をよく知っていましたので、ナグメにその時の話をしました。日本に来た中には女性もいたし、日本で受け入れた会社の社長の中には、いい人もいれば悪い人もいたなど、色々な話をしました。会社の社長が優しい人であれば、困っていれば助けたり、家に招いたりしていました。
映画には、その取材の時に知り合ったメヘディというイラン人が出演しているのですが、日本人と結婚して、今や彼は社長の右腕となっています。実際に彼が働いている八王子の工場で撮影させてもらいました。
日本でのことはすべて私が教えてあげたことからナグメが脚本にしています。

◆タブリーズィー監督は、私を救ってくれた仏陀
― ショーレさんがプロデューサーとして、かかわった映画は何本目ですか?

ショーレ:イランだけでなくてアフガニスタンやタジキスタン、クルディスタンなども含めて、12本くらいです。
ほんとにこれまで製作コーディネーターをいろいろしてきたのですが、本格的にイランの商業映画を作ってきたプロデューサーと組んだのは初めてで、スタッフがちょっと違って、こんなに苦労したのは初めてでした。
これまではアート系の映画がほとんどでした。アジアフォーカス福岡国際映画祭や釜山映画祭に出品される監督や、ジャリリ監督のように自分でプロデュースしている方などと合作を作っていましたので楽でした。今回は本格的に商業映画の世界に入ってしまった苦労がありました。

― 商業映画の世界でどんな苦労があったのでしょうか?

ショーレ: 筒井さんはぜひイランで撮りたい、日本部分は短くしましょうとおっしゃって、80%イランで撮りましょうということになりました。予算のことを考えると日本ではお金がかかりますし。
イラン側のプロデューサーは商業映画を撮ってきた人なので、口出しするのを止めるのが大変でした。芸術映画の監督は、映画のクオリティばかり考えるけど、商業映画のプロデューサーは、どうやって予算を抑えようということを考えます。一番助かったのは、タブリーズィー監督にアドバイザーになって間に入っていただいたことでした。すべてタブリーズィーさんに相談したり、まかせたり、怒ってもらったりして進めました。最後まで可哀そうでした。
ミーティングをすると、イランのプロデューサーがこんな場面を入れましょうということに対して、ナグメと私は、それはありえない、くだらないと思うことがあって喧嘩することが多かったです。2回すごく怒鳴って止めさせたことがあります。
筒井さんが「今、なんと言ってるの?」と聞いてくるのを、「今は喧嘩してるので、あとでまとめて教えてあげます」と言ったこともありました。
例えば、イランでは夫婦であることを証明しないとホテルで同じ部屋に泊まれません。結婚前の二人が一緒に泊まるというシーンがあると検閲で許可が取れないというので、そこは、一時婚という形でと説得したりしました。
また、婚外子を養子にすることについて、イスラーム法では認めてないので、イラン側のプロデューサーが難色を示しましたが、日本では可能と説明しました。
タブリーズィー監督が撮っている映画は芸術と商業映画の間ですから、よくわかってくれて、間に入って説得してくれました。

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カマル・タブリーズィー監督
2014年8月 「イラン 平和と友好の映画祭」でお会いした時の様子はこちらで

― タブリーズィー監督は、この映画にほんとに深く関わってくださったのですね。

ショーレ: 私がマーナズさんの日本撮影中、彼女の面倒を見られないと言ったら、日本まで一緒に来て、ずっと現場にいてくれました。私は彼のことを「悟りくん」と呼んでいます。私にとってタブリーズィー監督は悟りを開いた仏陀です。あとからあとから問題が起きても助けてくれました。素晴らしいイランのベテラン監督。すごくお世話になりました。日本との合作で、『風の絨毯』や、間寛平さんが出演している映画で沖縄映画祭でだけ上映した『ラン アンド ラン』の2本を作っていますので、日本のこともよくわかっています。
『ラン アンド ラン』は、イランで公開してすごくヒットしました。吉本が権利を持っていて日本で公開できないのがすごく残念です。

◆「イランのヌシン、日本のおしん」は偶然
― 母親の名前がヌシンというのは、イランでの「おしん」人気を意識したものですか?

ショーレ:たまたまナグメが最初からヌシンの名前で書いていました。

― 小林綾子さんが出演されているのも、イランの人たちは喜びそうですね。
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© Small Talk Inc.

ショーレ: 「イランのヌシン、日本のおしん」と後からSNSで話題になりました。
小林さんはおしんの小さい時を演じた子役だったけど、今は立派な役者です。プロデューサーがホテルでヌシンがおしんの写真を見ている場面を入れようというので、それはやめてくださいとお願いしました。
おしんはもう30年も前の話。二つの国の文化を近づけるのは、ほんとに大変です。私の苦労は目に見えません。間違いを起こさないようにするのは説明できないくらい大変でした。イラン側には、日本はこうじゃないという説明もしなくてはいけないですし。長年の経験が助けてくれました。
ナデリ監督とキアロスタミ監督の二人と仕事をした人は、すべての世界で何でもできるだろうとイランで言われています。ほんとに大変でした。二人と仕事をしたのは私だけです。筒井さんは楽でした。筒井さんのすごくいいところは、イランでイラン映画を撮りたいから、イラン人の助監督たちやスタッフの気持ちをわかろうとしてくれたところです。

◆イランの映画現場では何があっても何とかしてしまう
― それでも、筒井さんが折れなかったということはありますか?

ショーレ:日本では自分のテリトリーなので意見することもありましたが、イランではなかったですね。イランのスタッフはいつもそうなのですけど、皆、臨機応変にやってくれます。キアロスタミさんがよくおっしゃっていたのですが、日本のスタッフはガチガチで余裕がなくて対応できないことがあります。イランのスタッフは余裕があります。イランのスタッフは何があってもなんとか対応してしまいます。お金がなくても、雨が降っても! 筒井さんはイランで幸せそうでした。
監督補にモーセン・ガライ(Mohsen Gharaie)をつけてもらいました。映画は二本しか作っていませんが、2017年の釜山映画祭で、映画「Blockage]で最優秀新人作品賞しました。私の友人でよくわかってくれる人。絶対、この人をつけてくれないと映画を撮らないとお願いしました。モーセンが納得すると、筒井さんもなるほどと納得してくれました。

―イランと日本の製作現場の大きな違いは?

ショーレ:先ほども言ったのですが、性格的にはイランの方が余裕があります。皆がなんとかなると思う性格だから、リラックスできます。何回も経験しているのですが、『沈まぬ太陽』の時もなんとかなりました。日本では小さな問題が起きるとパニックになってしまいます。日本はきちんとし過ぎ。性格の違いだと思います。キアロスタミさんはじめ、日本の映画の現場を経験したイランの監督は皆言ってます。計算しすぎるし、型にはまっているから、ちょっと違うことをしようとするとパニックになってしまいます。誰かが遅れてくると、もうダメです。日本は難しい。日本の方は決められたことを厳格に守ります。映画は生き物。調子のいい時もあれば悪い時もあります。マーナズさんは大スターだから我が儘で、何度も来なかったり、遅刻してきたり、お腹が痛いからと帰ったこともありました。イラン人は平気だけど、筒井さんは困ってました。

◆普通のイランの暮らしがさりげなく描かれているのが好き
― 映画の中で、今どきのイランがちらちらと出てきましたね。例えば、整形手術の話や、警察に捕まったのは、また服装チェック?とか、タクシーをアプリで呼ぶ、海外への留学、おしゃれな「カフェ キオスク」など、今のイランが目立たないように入っていて、そういうところを日本人が見てくれるといいなと思いました。

ショーレ:それがまさに私の狙いでした。ナグメとも話したのですが、日本で紹介されているイラン映画は、芸術的で暗いものとか、政治的、社会的なものが多くて、私たちの普通の生活があまり描かれていません。イランに行った日本人が見るのは普通の生活。ナグメの上手なところは、それを目立たないように入れていること。柳島克己さんのカメラもそれをうまく捉えているし、筒井さんの思いもそうです。今のイランを説明しているのが、この映画の良さです。ほんとのイランを知りたければ、ぜひこの映画を観てほしいです。

― 住まいも、ヌシンのアパートメントはモダンな雰囲気、ヌシンのお母さんの家は、昔ながらの住宅でした。ショーレさんのお母さんの家もあんな感じですか?
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ショーレ:私の家はヌシンのアパートのような感じで、お母さんの家は昔風。小さいときは、あんな家で育ちました。
おばあちゃんの世代、40代の女性の世代、20代の女性という3世代の考え方の違いも描いています。ヌシンの友人のロヤはお金持ち、ヌシンは中流のシングルマザー。今のイランの社会を細かく入れています。こっそり恋人を作る娘もいるし。明るく、普通に生活感を出している映画です。キッチンやイランのお料理も出ていますし。
私は自分が関わった映画をあとから観ることはあまりしないのですが、この映画は何回観ても面白いと思います。

◆躾の厳しいヌシンは、私の母のよう!
― 大学生の付き合い方も今どきの感じですね。親が急に帰ってきて、恋人がクローゼットに隠れてましたね。

ショーレ:それって、皆、経験しているでしょう。帰ってこないと思っていたら帰ってきたとか。母と娘の話でどこにでもある話なので、自分のこととして観れると思います。

― 大学生のモナを演じたラレ・マルズバンさん、利発そうで可愛かったですね。

ショーレ:21歳から26歳くらいまでいろいろ候補があったのですが、オーディションの最後の最後に彼女が出てきました。筒井さんが選んだのですが、映画は初めてです。舞台の役者をしていて、オーディションなのに筒井さんと舞台の話ばかりしていました。筒井さんが頭がいいと感心していました。ただの美人じゃなくて、誠実で頭がいい子です。主役は初めてでしたけど、これからどんどん出ると思います。
撮影現場はイラン的にころころ変わるのに、ちゃんと対応していました。恋人サハンド役のアリ・シャドマンも、テレビや舞台に結構出ていて、よく対応していました。若手二人がほんとに素晴らしかったです。
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© Small Talk Inc.

― モナのパソコンをあけると、「ママ、見ないで」と大きく書いてあって笑いました。

ショーレ:躾が厳しいママへの反発ですね。映画製作が実現しませんでしたが、広島を舞台にした『貞子』はナグメの脚本で、あの時から彼女と親友です。日本に来ると、私の家に泊まるくらい。私の子ども時代に母がすごく厳しかった話もしましたので、ヌシンは私の母。イランの私の友達からみると、ヌシンはショーレのお母さんみたいねと言われます。母は厳しくて、門限もうるさかったです。8時を1分過ぎたと言われたこともあります。男の子と話していると注意されたこともあります。日本に来たヌシンは労働者だったから、私とは違いますが。

◆イランでは未婚で出産したことは口に出せない
― 日本に出稼ぎにきた中に女性もいたのに驚きました。

ショーレ:いました。女性がいっぱい働きに来ていたのを日本人が知らないだけです。
未婚で妊娠したら家に戻れないというのもイランの現実です。母親に出来ちゃったとは、今でもイランでは言えません。日本人には理解できないかもしれませんが。

― シェナースナーメ(政府の発行する身分証明書で、出生から亡くなるまで結婚や選挙投票の記録なども記される)の父親の欄はどうなってるのでしょう?

ショーレ:お金を払えば名前を借りることができます。映画が長くなるから、そこは入れませんでした。イラン人にはよくわかります。テレビドラマだったら、工場のイラン人に妊娠がばれて、生まれたら、誰かの名前を借りてシェナースナーメ(ID)を作ってイランに連れて帰るという場面を入れるところです。そうしないとパスポートも発行して貰えないから連れて帰れません。
イランのプロデューサーも、イランでの上映許可を取るのに検閲でいろいろ言われたら困るから、どうする?というので、一回、頭にきて、「イランバージョンと日本バージョンを作りましょうか」と言ったことがあります。イランではイランの規則があって、なんでもかんでも上映はできませんから。

◆イランは映画の天国。皆、役者!
― ヌシンが教師をしている小学校の生徒たち、可愛かったですね。

ショーレ:小学校での場面、よかったでしょう。ロケは半日。後ろに山が見えて、すごくいい場所でした。サーダバード宮殿より上の、エビン刑務所にも近い山のふもとにある学校です。突然行って、「撮影してもいいですか?」とお願いしたら、「いいですよ」って。子どもたちが可愛くて大好き! ほんとに即興でした。皆が1階の教室で勉強してるところの2階の教室を借りて撮りました。子どもたちのお母さんたちは、休憩中にマーナズを取り囲んでサインしてもらってました。

― 男の子たちは、突然その日に映画の撮影といわれたわけですね。

ショーレ:男の子たちは、何をやっているのか、わかっていません。キアロスタミさんの手法なのですが、監督補のモーセンが、まずカメラを教室に置いて1時間位ほっておきました。子どもたちは最初は珍しいけど、だんだん気にしなくなります。筒井さんが先生の席に座っていたら、子どもたちは筒井さんが珍しいから皆サインを求めて、全員にサインしてました。たぶん40枚以上! 一人一人名前を聞いて、モハンマドとかアリとか、もちろん日本語で書いてあげてました。それを1時間か2時間くらいやっていて、子どもたちはカメラがあっても平気になっていました。あの場面、すごく好きで、もっと長く入れてくださいとお願いしたのですが、これ以上長くならないと言われました。先生が部屋から出てくると、男の子たちがぱぁ~っと寄っていくところも大好きです。あの日はほんとに楽しかったです。

― ホテルもよかったですね。

ショーレ:田中社長が泊まっていたホテルは、山の手の日本大使館に近いアルゼンチン広場。ホテルニュームーンはバーザールの裏手の下町のホテルを使いました。撮影のために1日誰も泊めないで撮らせて貰いました。千円位で泊まれるホテルです。ベッド1つの部屋と、4つくらいベッドがあって家族で泊まれる部屋もあるホテル。筒井さんはあの地区が大好きでまた泊まりたいと言っています。
看板を変えていますが、フロントの男性はほんとにそのホテルの人。彼はほんとに上手で、抱き上げたいくらいでした。普段通りやってくれて、何度も撮り直したのですが、さりげなく自然に紅茶を出すのもすごく上手でした。「役者にならない?」と聞いたら、ホテルでいいですって。ホテルをやめる位なら消防士になりたいと言われました。電話をかけていたのも、適当に自分で作って話してましたが、ほんとに自然。イランは映画の天国。皆、役者です。
ヌシンが廊下で座って娘を待っている時に、外を奥さんと女の子が通る場面も、監督補がお母さんが娘を待っているシーンだから、親子を通らせたいなと、ちょうど来た親子にお願いして、何度か歩いてもらいました。嫌がらずにやってくれて、最後は「ありがとうございました!」って言って終わり。ほんとに映画の天国です。

◆編集のリズムもイラン的
― 鯉のぼりが家族の象徴として出てきましたね。

ショーレ:男の子の節句の飾りと思っていたら、永瀬正敏さんがお父さんお母さんと子どもと教えてくれました。
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© Small Talk Inc.

― 最後に鯉のぼりを出したのも永瀬さんのアイディアですか?

ショーレ:そうではなくて、イラン人の編集のソーラブ・ホスラビが日本のシンボルとしてアイディアを出してくれて、筒井さんもOKしてくれました。もともと桜と富士山はやめてくださいとお願いしていました。イランのプロデューサーが桜って言ったのを、絶対やめてくださいと。鯉のぼりだったら、イラン人は観たことがないし、家族の話なのでふさわしいと思いました。
編集のリズムもイラン的です。日本だともう少し遅いです。80%舞台がイランなので、日本部分もソーラブ・ホスラビにイランから来てもらって1週間位滞在して、筒井さん立ち合いのもと編集してもらいました。そのほうがイランのリズムが出ると思いました。
筒井さんから、もう少しリズムを落としたらと言われたこともありましたが、「イランのリズムはこれです」と納得してもらいました。あまりゆっくりだと飽きるでしょう。モナが家探しするときも、動きが早いでしょう。あのリズムに合わせています。
あの場面で、田中が持ってきたプレゼントを、モナが見つけるのですが、あの箱に入っていた2枚のスカーフを、最後の病院のシーンで二人がしています。ピンクをモナ、青をヌシンがしています。母親を許したので、日本人が持ってきたプレゼントをしているのです。

◆母子手帳は息子を産んだ時のものを提供
― あの箱に逗子市と書いた母子手帳が入ってましたね。

ショーレ:あれは私が息子を産んだ時のものです。ちょうど1990年の初頭。住所は書き換えています。

― 最初に出てくる日本風の木造の橋は?

ショーレ:あれは逗子です。私がよくいくカフェの近くです。どこにでもありそうな橋。

― どこにでもないですよ。風情がありました。

ショーレ:日本での撮影は、郊外の雰囲気のあるところを選びました。高台にある田中社長の家は、芸大がよく撮影に使っているゲストハウスです。工場は実際に八王子にあります。メヘディに電話したら、うちで撮影すればいいよと言ってくれました。

― イランに行って、日本に来ていたイラン人の友人を訪ねると、日本にいたときのアルバムを見せてくれて、仕事はきつかったけど楽しかった、社長が優しかったなどと話してくれます。

ショーレ:田中社長のような人が大勢いたと思います。この映画には日本人の優しさも出ていますよね。イラン人の優しさも出ていて、ほんとに優しい映画だと思います。柳島克己さんの撮影が上手だからカラーもいいですし。

◆イランのリアルな暮らしをぜひ観てほしい
― やっと公開されるのにあたって、観客の皆さんに是非伝えたいことは?

ショーレ:残念ながらイランのことはニュースからしか知ることができません。たまにNHKでイランの自然を見せる番組はあっても、日本の番組でイランの普通の生活を見せるものが少ないです。トルコなど周辺国だと、誰かタレントが普通の家に行く番組もありますが。 映画も映画祭などで上映されるものではイランの普通の生活があまり見えません。この映画は、イランの普通の人たちの暮らしに近いものを描いています。人物もリアルです。キアロスタミさんたちがつくるようなドキュメンタリータッチの劇映画とも違いますが。日本でもありえるようなシングルマザーが頑張って娘を幸せに育てたいという姿も描いています。

― ショーレさんは、長い間、イランと日本の架け橋として、映画を通じて様々な活動をされ、2018年には外務大臣表彰も受けていらっしゃいます。これからも日本とイランの架け橋としてご活躍を期待しています。

ショーレ:芸術映画を作ります。イランの商業映画の世界には入りません(笑)

― 芸術映画でも、ぜひイランの今を見せてくれるような映画を期待しています。今日はありがとうございました。

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スタッフ日記『ホテルニュームーン』ショーレさんにイランとの合作の苦労を伺いました (咲)


★取材を終えて
私が初めてショーレさんにお会いしたのは、1995年のアジアフォーカス・福岡映画祭でイラン映画特集が組まれた時。当時、私はまだ会社員でした。
第1回東京フィルメックス(2000年)の時、宮崎暁美さんから、『私が女 になった日』のマルズィエ・メシュキニ監督インタビューに同席してほしいと声がかかって、初めてインタビューを経験。その時の通訳がショーレさんでした。その後、本格的にシネマジャーナルに関わるようになって、ほんとうに多くのイランの監督や俳優さんの取材でお世話になりました。実は、ショーレさんご自身にきちんとお話をお伺いしたのは初めてでした。最初はちょっと緊張したのですが、商業映画のプロデューサーとバトルした話が可笑しくて、大笑い。イランの女性は強い!と、実感したひと時でした。
試写の終了近くにインタビューを終えたら、ちょうど筒井監督がいらっしゃいました。イラン側のプロデューサーとバトルしている時に、通訳してもらえなくて、そばでたじたじしている筒井監督の姿が思い浮かんで、なんとも微笑ましかったです。
筒井監督は、イランでの公開にあわせて、またイランに行って下町のホテルに泊まって美味しいイラン料理を食べるのを楽しみにしていたのに、コロナのせいで行けなくなり残念とおっしゃっていました。
イランと日本、それぞれでこの映画の受け止め方も違うと思います。それぞれの感想を聞いてみたいものです。

取材:景山咲子


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『ホテルニュームーン』原題: Mehmankhane Mahe No(英題:Hotel New Moon)
出演:ラレ・マルズバン、マーナズ・アフシャル、永瀬正敏、アリ・シャドマン、小林綾子、ナシム・アダビ、マルヤム・ブーバニ
監督:筒井武文 
脚本:ナグメ・サミニ、川崎純 
撮影:柳島克己 
編集:ソーラブ・ホスラビ 
音楽:ハメッド・サベット 
サウンド:バーマン・アルダラン 
美術:サナ・ノルズベイギ 
監督補:モーセン・ガライ 
プロデユーサー:ジャワド・ノルズベイギ、ショーレ・ゴルパリアン、桝井省志 
協力プロデューサー:山川雅彦 
2019年/日本・イラン/93分/1:1.85/カラー
制作プロダクション:アルタミラピクチャーズ 
製作:ガーベアセマン、アルタミラピクチャーズ、SMALL TALK 
配給:コピアポア・フィルム
© Small Talk Inc.
公式サイト:http://hotelnewmoon2020.com/
★2020年9月18日(金)よりアップリンク吉祥寺、他にて全国順次公開





『れいわ一揆』  原一男監督インタビュー

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原一男監督 プロフィール
1945年6月8日 山口県宇部市生まれ。
1972年2月 『さようならCP』でデビュー。
1974年4月 『極私的エロス・恋歌1974』完成。
1987年1月『ゆきゆきて、神軍』完成。
1994年4月 『全身小説家』完成。
2005年1月 初の劇映画『またの日の知華』公開。
2018年3月 『ニッポン国VS泉南石綿村』公開。
2019年 ニューヨーク近代美術館(MoMA)にて全作品特集上映。



『ゆきゆきて、神軍』などのドキュメンタリー映画で知られる原一男監督の新作『れいわ一揆』は、2019年の参議院選挙で脚光を浴びた「れいわ新選組」の候補者に迫るドキュメンタリー。女性装の東大教授・安冨歩氏をはじめ、個性的な10名の候補者が選挙運動に臨みます。原監督の新レーベル「風狂映画舎」の第1弾となる本作について、原監督に取材しました。
***『れいわ一揆』は4月17日公開予定でしたが、新型コロナウイルスの影響により公開延期になったため、本インタビューは3月に行いました。

ーーーーー大変面白く拝見しました。1人でも多くの方に観てほしい作品ですね。

有難うございます。撮影したフィルム素材の量が多く、編集し直したり、仕上げに時間がかかりました。カメラを回したのは、私とプロデューサーの島野の2人ですから。

ーーーーー編集作業は監督が?

編集のデモ田中さんの技術がスゴいんです!イラストの安倍首相と蝉のシーンは、文字と蝉の両方を動かしました。蝉が飛び立つ時に排尿しますけど、点線から放物線を描くのに1週間かかりました。排尿の行き先は総理にかけるしかないですよね。海外で上映した時には、安倍首相の「モノマネ」がウケました(笑)。

ーーーーー企画の発端となった安冨さんについては?

安冨さんが、故郷の堺駅前の演説で子ども時代の話をして涙ぐんだのが印象的でした。安冨さんにとって故郷は縁遠い筈だったのに。自身の心が動いたんでしょう。
安冨さんのお母さんが教育ママだったので、名前を呼ばれるだけで恐怖だったそうです。勉強する兵士のように育てられた、と聞いています。
ニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)で上映できた時、安冨さんが1番喜んでました。エリートとして勝ち取った肩書きのようなものとは違う喜びだったようです。「これで選挙が終わった」とも言ってました。
映画が完成してから気が付いたのですが、米国にいる時に安冨さんから映画化の依頼があり、最初に山本太郎代表へ映画について連絡した時の安冨さんの表情が微妙なんです。自分が主人公の映画だと思ったのに監督は群像劇と言っている。おかしいな?という感じ。安冨さんは私の作品は1度も観てないんですよ。米国のマイケル・ムーア監督が私に駆け寄るのを見て、映画化を依頼したくらいなんです。

ーーーーーれいわ新選組という政党については?


どういう政党かも知らなかった。ただ、内的葛藤として政治を追うドキュメンタリーなのでプロパガンダと言われることを懸念しました。資金はないけれども映画製作は即断しました。『ゆきゆきて、神軍』の時も、奥崎謙三のプロパガンダでもいいと思ってましたから。2019年の記録として政治の本質を深追いしたかった。政党からお金は貰ってないですよ。昼食代だって安い店で自腹か経費(笑)。

ーーーーードキュメンタリー作家は資金繰りに苦しむ?

米国のフレデリック・ワイズマンは、ドキュメンタリー作家でも金持ちですよ。ハーバードとパリに豪邸を持ってる。日本と違いますよね。

ーーーーー撮影期間は?

自作7本の中では最短の撮影期間。『さようならCP』より短いです。こんな気持ち良い現場はなかったです。候補者たちの発言が面白い。北海道で安冨さんが馬に乗っている場面は私がカメラを回しましたが、大変でした。馬の脚運びは速い!馬の前に回って撮っていると直ぐ追い越される。また走って行って撮る、の繰り返し。汗だくになりました(笑)

ーーーーー安冨さんの選挙運動に帯同しているピアニカ奏者が気になりました。

片岡祐介さんという音楽家です。安冨さんが音楽の知識があるので、2人は波長が合うみたい。MoMAの上映の時には、坂本龍一さんも気になっていたようで、演奏を褒めてました。浜松市の場面で楽器を弾いたのは、片岡さんが楽器を幾つか持っていっていたから、あのような場面が撮れました。


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『れいわ一揆』スタッフ&出演者たち(撮影 宮崎暁美)
第32回東京国際映画祭(2019)オープニングのレッドカーペットで


ーーーーーマイケル・ジャクソンの「スリラー」を踊るシーンは?

最初は曲も入れていたのですが、東京国際映画祭の上映に間に合わせるため、慌てて曲だけ切りました。楽曲を使用するだけで億単位のお金がかかると脅されたから(笑)モブシーンの映像を残し、肉声だけ。息遣いと足音だけアフレコで入れたました。4回連続ダンスしてもらい、息が上がってましたね。センターにいる親子も踊ったんですよ。風刺の意味でスリラーの場面を入れ、拍手・手拍子は私のセンスで。片岡さんが音で盛り上げてくれました。
MoMA上映の時、想田和弘さん(観察映画監督)も観に来ていて、スリラーのシーンがいい、と言ってました。

ーーーーー全体を通してリアリティ度が凄いですね!

今でも小川紳介さん(ドキュメンタリー監督の巨匠。’92年56歳没)が劇場の外にいるような気がする。小川さんの反応が怖いですよ。ただ、本作だけは一緒に観てて飽きないと思う。

ーーーーー対象との距離感は?

全くの中立というのは無理かもしれません。好きじゃないと最後まで撮れないでしょうね。先入観なく自然体を心掛けましたが、当選した時には気が付いたら涙ぐんでました。
選挙の2ヶ月後に候補者たちへ個別インタビューするシーンは各1時間もらってました。皆さん、本音を話してくれた。渡辺てる子さん(シングルマザー、元ホームレスの候補者)が「もう蓄えを使い果たした。以前よりも貧乏になったけれど、貧乏そのものが愛おしい」と語ってる姿は、編集していてもポロポロ涙がこぼれるんですよ。個別インタビューの場面は気持ちが溢れてます。

ーーーーー続編は?

2019年の一瞬は政治史の中で特筆に値すると思う。候補者10人の人選が絶妙です。候補者たちに「こうして」と演出したことは一切ありません。もうこれで完結。今後、撮る気はないですね。本作を大事にしたい。

【取材を終えて】
原監督のこれまでの作品は、年単位の長い撮影期間を経て生み出されてきました。ところが、本作は選挙戦を追ったドキュメンタリーのため、17日間という制約があり、異例の短期決戦だったわけです。安冨歩氏を中心に、10人の候補者たちの行動や言葉、表情を丹念に撮りあげ、緊張感とユーモア溢れる映画になりました。まさに娯楽性と社会性の幸せな融合。熱く語って下さる原監督のお話に共感しきりでした。新型コロナウイルスの影響で公開延期が決まった時には、”今年中に公開できるのかしら?”と心配しましたが、今回このように作品紹介と併せ、皆さんにお伝えする日を迎え、感慨深いものがあります。尚、8月31日には皓星社より、「れいわ一揆 製作ノート」が出版されました。
(まとめ・写真 :大瀧幸恵)


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作品紹介はこちら http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/474311582.html
監督・撮影:原一男
製作・撮影:島野千尋
出演:安冨歩、山本太郎ほか
2019年製作/248分/G/日本/DCP / 16:9
配給:風狂映画舎
(C) 風狂映画舎
公式サイト:http://docudocu.jp/reiwa/index.php
★20209月11日(金)よりアップリンク渋谷ほか全国公開★

⚫シネマジャーナルHP その他の原一男監督 関連記事

・2017年 山形国際ドキュメンタリー映画祭 
『ニッポン国VS泉南石綿村』紹介記事
http://www.cinemajournal.net/special/2017/yamagata/index.html

・山形国際ドキュメンタリー映画祭2017 各賞発表 
http://cinemajournal.seesaa.net/article/454107706.html

・シネマジャーナルHP 特別記事
第18回(2017)東京フィルメックス授賞式報告
http://www.cinemajournal.net/special/2017/filmex/index.html

『実りゆく』八木順一朗監督インタビュー

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〈プロフィール〉
1988年生まれ 岐阜県出身。幼少期に観た怪獣映画の影響で、映画監督を志すようになる。中学2年で、家庭用ハンディカムを用い、初めて映画を制作。以降、高校卒業までに計13本の作品を制作する。
その後、日本大学藝術学部映画学科監督コースに進学。大学の卒業制作で監督した映画を機に、現在の勤務先である株式会社タイタンに入社。以降、爆笑問題、橋下徹、辻仁成、太田光代などのマネージャーを務める。
2016年には、マネージャーとしてテレビ朝日「お願い!ランキング ゴジラファンNo.1決定戦!」に出場。視聴者投票でゴジラファン1位の座を獲得した。
同じ頃、社内での映像制作事業に着手。日本エレキテル連合、脳みそ夫、まんじゅう大帝国など、若手芸人のライブ映像や、DVD収録用のショートフィルムを制作し始める。
16年以降は、NHK「みんなの2020!バンバンジャパーン!」、TBS「一番だけが知っている!」、テレビ東京「新・美の巨人たち」など、社外のテレビ番組の制作ディレクターとしての活動をスタートさせる。
18年「第3回MI-CAN 未完成映画予告編大賞」で、監督作「実りゆく長野」が堤幸彦賞を受賞、その後本編の制作が決定した。本作が念願の初監督作品となる。(公式HPより)

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『実りゆく』ストーリー
長野のりんご農家の跡取り息子・実は、父親と2人で農園を切り盛りしながら週末になると東京へ出向き、お笑いライブに出演していた。そんな彼には、母親が他界してから笑わなくなった父親を笑顔にしたいという強烈な思いがあった。夢を実らせるべく、人生をかけたステージに臨む実だったが……。

2020年/日本/カラー/87分/G
配給:彩プロ
(C)「実りゆく」製作委員会
https://minoriyuku-movie.jp/
★2020年10月2日(金)より長野県先行公開
★2020年10月9日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開


―初監督作品の公開決定おめでとうございます。映画監督になるのが夢だったそうですね。

ありがとうございます。7歳くらいからリアルタイムで平成ゴジラシリーズを観ていました。それから遡って前の作品を観ました。映画の中でゴジラが死んでしまって、もう観られないのがあまりにも辛すぎて、自分が作ればまたゴジラに会える、じゃ監督になりたいと思ったんです。

―出たいじゃなく、作りたい!と。ゴジラ愛ですね。どこにそれほど惹かれたんでしょう?

やっぱり子どもだったので、強くて大きくてカッコいいものに憧れたんです。僕は岐阜県の出身なので、東京は映画の中でしか知りえませんでした。ゴジラの映画を観ると、都市というものが見えたので、そういう面白さもありました。

―日芸の映画学科に進まれて映画の勉強をなさったわけですが、芸能事務所のタイタンに入社したのは?

大学の卒業制作でお笑い芸人の話を作りました。中にネタを作る「ネタ職人」のお爺さんが登場するんです。部屋の中に有名な漫才師の写真がいっぱい貼ってある設定でした。特にコネもなく、いろんな事務所に電話をかけて写真をお借りしました。タイタンもその一つです。元々爆笑(爆笑問題)さんが大好きだったので、完成した作品と履歴書をタイタンに送りました。「映画を観て気に入ったら入れてください」と(笑)。
そしたら「ちょっと来なさい」と誘われまして、そのとき映像部署に行こうかという話をしていたんです。ちょうど田中さんのマネージャーが辞めていて「ちょっと一時的にマネージャーになってくれない?」と言われて、そのまま今もマネージャーです(笑)。

―すぐに映像制作の専門部署に行くよりは、全体が見える仕事ができてよかったかもしれませんね。人に会いますし。

そうですね。そういう意味では非常に良かったと思っています。
今回の作品もマネージャーとして向き合ってきた方々にいろいろ協力していただけました。結果良かったって感じです。

―この映画のきっかけになった「未完成映画予告編大賞」というのを初めて知りました。

2016年から始まっていて『実りゆく長野』は2018年の「第3回MI-CAN未完成映画予告編大賞」に出したものです。作品は堤幸彦賞、竹内くんが主演男優賞で、それぞれ賞状と賞金をいただきました。

―予告編にはタイタンの芸人さんたちが出演してくださったんですね。

予算がなくてみんなにいろいろ協力してもらって作った作品です。予告編は全員タイタンの人たちです。「お願いします!」「わかった!」と。

―2分30秒の予告編に脚本2時間分をつけるのだそうですが、その脚本は今回使われたのですか?

本編を撮るにあたって直した部分はいろいろあるんですけど、基本的な骨組み、話は同じです。
主人公のモデルが松尾さん(松尾アトム前派出所)で、設定は松尾さんから取りました。主人公がりんご農家の息子で、東京にお笑いの勉強に行っているというところだけ。
松尾さんのお母さんはお元気ですし、お父さんもあんなに堅物でなくて、よく笑う方です。設定以外は全て作りました。松尾さんは脚本作りやロケにも協力してくれました。

―受賞者は長編映画を作る後押しをしてもらえるんですか?

はい。受賞して嬉しかったというよりグランプリを逃した悔しさのほうが大きかったので、映画祭事務局の方が授賞に来てくださったときにそういう話をしました。「せっかくだから何か考えますか」と言ってくださり、太田社長も「私もちょっと思ってたのよ」と入ってくれて。後日打ち合わせして長編を作ることになりました。事務局とタイタンでスタートして、そこにいろんな企業が集まってくださった感じです。

―最初はプロデューサーなしとありましたが、制作費用の心配をしてくれる人がいないということですね。

タイタンがそれまで、映画作りをやってこなかったというのもありますし、映画祭の事務局もサポートはするけれど、制作プロダクションとして入るわけではなかった。僕がプロデューサー兼監督みたいに、いろんな方にお知恵をいただきながら映画を作っていくというところから始まりました。始まったはいいものの、何からどうすればいいのかもわからなくて最初は松尾さんと僕が駈け回っていました。

―予告編と本編では規模が違うのでたいへんでしたね。

しばらくプロデューサーはいなかったのですが、後からチームができていきました。太田光さんが2017年にオムニバス映画『クソ野郎と美しき世界』(稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾出演)の監督の一人になったときに、太田さんを支えてくれた制作会社geek sightが、当時の太田組のままこの映画にサポートに入ることになりました。
そのプロデューサーさんの人脈や各事務所さんとのお付き合いの中で、田中要次さん、山本學さん、三浦貴大さんたちキャストも決まっていきました。長野県のお話ですから、長野にゆかりのある方をという思いもあって、田中要次さんや島田秀平さんに出演していただきました。

―こういうキャストの方々が揃うと、初監督として緊張しませんでしたか?

めちゃくちゃ緊張しました!普段はマネージャーなので、こういうタレントの方と直接お話しする機会はないんです。喋ってはダメなので。

―え、喋ってはダメなものなんですか?!知らなかった…。

他事務所のタレントさんとマネージャーが喋るということは普段ありえないので、ものすごく緊張しました。でもやっぱりモノづくりというモードに入るとそうは言ってられないので、お願いして一緒にキャラクターづくりをしてきました。

―タイタンの芸人さんたちのほうも、さっきまでマネージャーだったのに、今から監督!という(笑)。

たぶん彼らも混乱していたと思いますね(笑)。

―いつも会っているまんじゅう大帝国さんや日本エレキテル連合さんたちには言いやすかったと思うんですが、この外の俳優さんたちとは演出にどんな違いがありましたか?

違いはやっぱりありました。たとえばまんじゅう大帝国とか、エレキテルとか、ほかのうちのメンバーもそうなんですけど、「素」を知っているのでそこから膨らませたキャラクターを元々すでに作っていたんです。なので、ある程度そのままやってもらえればキャラクターになれました。外の方は映画の中に登場する断片的なキャラクターで知っているだけです。ですから、その場で一からキャラクターを作りました。これは難しかったけれど、新鮮で楽しかったです。

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―予告編制作のときに、機材がなくてりんご農家の機械を使ったとありましたが。本編は?

制作プロダクションが入ったので、今度はちゃんとしたチームで機材も整っていました(笑)。
撮影は9日間で、メインスタッフは30人くらいでした。

―このストーリーの中にお祭りが出てきますね。

はい。お神輿や獅子舞、おかめ踊りとかいうのはそれぞれ、本当にあるものですがバラバラのもので全部一緒にやるわけではないんです。練り歩いてりんごを神社に奉納してというものは、本当はありません。

―まあそうですか! この儀式がすごく気になっていて、こういうのがあるんだ!と思っていました。昔の元服みたいに一人前になるとか、これからの覚悟をお披露目して責任を持つとか、真実味があります。創作なんですか~。

みなさん本当にあると思われています。

―本編の編集は?

楽しかったですね。予告編とはまた違って、これだけ長い物語を編集するということはなかったので、やっぱりカットのつながりとかでどんどんキャラクター同士の感情が繋がっていくのが「今ドラマが生まれている!」という感じがしてすごい楽しかったです。

―関係者・出演者のみなさんの感想はいかがでしたか?

結構喜んでくれて評判良かったです。松川町の有志の宣伝部として立ち上がってくれた人たちには一回試写をして観てもらえました。ほんとにみんな大喜びで、涙流して喜んでくれました。長野の人にたくさん観ていただきたいですね。

―『ゴジラ』の他にいつかはこういう映画が撮りたいとか、目標にする監督さんがいらっしゃいましたら教えてください。

もうほんとにレベルが高すぎるんですが、黒澤明さんが大好きです。誰が観てもわかりますし、竹を割ったような、ストレートなエンターテイメントというのはやっぱり黒澤さんだと思っています。黒澤さんみたいな作品を作りたいと思いますね。

―まだ30代初めですもの、これからですよね。もう一つお伺いします。座右の銘または、とても大事にしていることがありますか?

座右の銘ですか。うーん。
タイタンに入るきっかけになった卒業制作が『笑ったもん勝ち』という漫才の話です。「日々生きていく中でいろんな辛いことがあっても、いつか必ず笑いに変わる」というのをテーマにしています。僕は普段から「笑いがあれば大丈夫、それさえあれば生きていける」と感じていて、芸人の生き方っていいなと思っています。

―「笑いがあれば大丈夫、笑ったもん勝ち」はキャッチーですね!使ってもいいですか?

はい、どうぞ(笑)。

―今日はありがとうございました。

=取材を終えて=
朝いちの取材でしたが、初の長編を送り出す八木監督、言葉のはしはしに嬉しさがにじみ出ているようでした。映画好きな八木監督らしく、ストーリーも泣かせたり、笑わせたり、ちょっとしたしかけあり、観終わってほっこりする作品でした。誰もが楽しめる幕の内弁当みたいな、と言えばいいでしょうか。
八木監督は普段はタイタンの社員でマネージャーのお仕事をしています。「会社のプロジェクトなのでプレッシャーが大きくて(笑)」とおっしゃっていましたが、この第一弾を成功させて、第二弾で監督の故郷、岐阜の映画を作れるといいですね。テーマはもちろん「笑いがあれば大丈夫、笑ったもん勝ち」で。
コロナ禍になってから劇場で映画を観ていない、という八木監督。普段の暮らしや安心して劇場に行ける日が、早く戻ってきますように。
クラウドファンディング募集中です。りんごのリターンつきもありますよ~。
https://motion-gallery.net/projects/minoriyuku(9月11日23:59まで)


★映画ができるまでの日々が公式HPの監督コラム「実りゆくDiary」(https://minoriyuku-movie.jp/)に詳しいです。
★『実りゆく』インタビューまだ続きます。
 第2弾 まんじゅう大帝国さん
 第3弾 日本エレキテル連合さんもお楽しみに!

(取材・写真 白石映子)