『カラフルな魔女 角野栄子の物語が生まれる暮らし』完成披露試写会舞台挨拶

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角野栄子さん、宮川麻里奈監督


*プロフィール*
角野栄子(かどのえいこ)
1935年東京・深川生まれ。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経て24歳で新婚の夫とブラジルへ移住。2年間滞在して、ヨーロッパを旅しながら日本に帰国。ブラジルでの体験を「ルイジンニョ少年:ブラジルをたずねて」に書き、1970年に作家デビュー。『魔女の宅急便』(福音館書店)はアニメ作品として映画化され、その後舞台化、実写映画化された。24年にわたって書き継いだシリーズは2009年「魔女の宅急便その6 それぞれの旅立ち」として完結。特別編が3巻発行されている。
野間児童文芸賞、小学館文学賞等、受賞多数。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。2018年、児童文学の「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を、日本人3人目として受賞。2023年11月に「魔法の文学館(江戸川区角野栄子児童文学館)」が開館。
主な作品に『アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ』シリーズ、『リンゴちゃん』(ポプラ社)、『ズボン船長さんの話』(福音館書店)、『トンネルの森 1945』。最新作に『イコ トラベリング1948-』(KADOKAWA)などがある。
http://kiki-jiji.com(角野栄子オフィス)
https://www.instagram.com/eiko.kadono/(公式Instagram)

監督:宮川麻里奈(みやがわまりな)
1970年6月徳島市生まれ。東京大学教養学部卒。
1993年NHK番組制作局に入局。金沢局勤務、「爆笑問題のニッポンの教養」「探検バクモン」などを経て、‘13年「SWITCHインタビュー」を立ち上げる。「あさイチ」などを担当した後、現在は「所さん!事件ですよ」「カールさんとティーナさんの古民家村だより」などのプロデューサーを務める。一男一女の母。

作品紹介はこちら
(C)KADOKAWA
公式 HP https://movies.kadokawa.co.jp/majo_kadono
X(旧 Twitter) @majo_movie
Instagram:@majo_movie
MC:いとうさとり


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MC:ゲストのお二人にまずは一言ずつご挨拶をいただきたいと思います。角野栄子さんです。(拍手)

角野:皆さんこんにちは。お寒い中をいらしていただき、ありがとうございます。何しろ主役が 89 歳なものですから、皆さんあまり期待をなさらないように(笑)。映画はとても面白く出来ていまして、150%私を出してくださっているんじゃないかと思います。どうぞごゆっくりご覧くださいませ。ありがとうございました。(拍手)

MC:この作品で初の映画監督デビューとなりました宮川麻里奈監督です。(拍手)

監督:映画監督を思いもよらずやらせていただく事になり、どうしようと最初思いました。世界中の色々な女性、特に高齢の女性のドキュメンタリー映画を片っ端から観ました。結果、これは大丈夫だと確信しました。それは、こんなに素敵な女性(角野さん)は世界広しと言えども、いないなと。角野さんを映画にするのであれば、どんな形であろうと絶対うまくいくだろう。私は素直に、変に肩に力を入れずに角野さんの素敵さを伝える映画をつくれば良いんだな、と思いました。
この仕事を始めてちょうど 30 年になりますが、こんなに心から素敵だと思って撮影できる方、取材できる方に巡りあえたことは、30 年頑張ってきたご褒美かなと思えるような事でした。この作品は私から角野さんへのラブレターのつもりで作らせていただきました。皆さんも角野さんの素敵さをスクリーンから見ていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。(拍手)

MC:ありがとうございます。角野さん今日は素敵なお召し物を着てらっしゃいます。ね、皆さん?

角野:エイヤー!と着てしまえば、どんな色でも OK!(笑)今日はちょっと合わせました。着たいものを着ています。

MC:今日もピンクで。作品を観るとほんとに角野さんのご自宅がもう素敵で、憧れてしまったくらいです。
お洋服やメガネの選び方まで、お人柄が映し出されていました。初の大きなスクリーンの中に主人公として出演されて、作品をご覧になってどんな感想をお持ちですか?


角野:本当に皆さん頑張ってくださったな、と思います。カメラマンさんには、あまりリアリズムにいかないように(笑)と申し上げましたし、宮川さんにはあまり色々と聞かないで!と伝えました。初めての経験でしたので、これは楽しんでやらなくちゃいけないな!と思いました。ま、毎日楽しんでやろうとは思っているんですが、そんな気持ちでいたしました。
普通の、モノを書いている、普通の暮らしをしている私ですので、素材的には撮っても仕方が無い存在なのにと思っていましたが、宮川監督とカメラマンに、素材を 150%活かしていただいた結果だな、と思います。「ちょっと、詐欺じゃない?」と思うくらい綺麗に撮っていただきました。(笑)ありがとうございました。

MC:角野さんそんな風におっしゃっていますが、監督は、お子様との関係性で「救われた」と書かれているのを読みました。どういったところで、角野さんをほんとに「好きだな」と思われて今回カメラを向けられたでしょうか?

監督:今年 20 歳になる娘が小学生高学年くらいの時に「魔女の宅急便」の 6 冊シリーズを愛読していて、その娘が”「魔女の宅急便」が無かったら、うまく思春期を乗り越えられなかったかもしれないと思う”と言うんですね。角野さんの取材を始めることが決まってから聞いたんですね。娘にとって自分や友人関係で悩みが深まっていく思春期に、「魔女の宅急便」のエピソードを繰り返し読んだことが、娘にとっての精神安定剤みたいになっていたそうなんです。そこまで彼女に思い入れがあったなんていうことも知らずに、私は私で角野さんを素敵な方だな、と思って取材を始めました。角野さんはいつお目にかかっても愉快で、取材中に嫌な思いをすることは一度も無く、毎回幸せな気持ちを抱えて撮影から帰ってくるような取材でした。

MC:私も娘がいるのでわかるんです。「魔女の宅急便」という物語がすごく夢を広げてくれているんですよね。角野さんもそういう声をいっぱい聞かれているんじゃないですか?

角野:そうですね。留学なさる方や、東京に出ていらした方、高校を出て東京の学校に入る方や就職される方。そういう節目のある方が読んで、「自分に重ねて楽しませていただきました」というお手紙をずいぶんいただきました。私も若い頃に“エイヤー!”とブラジルまで行っちゃったから、その時の心細さやブラジルで生きていく気持ちが、そういう方たちの気持ちに重なっていたのかな、という風に思います。

MC:私もこの作品を観て「24歳でブラジルに行かれたんだ!」とびっくりしました。監督は掘り下げていらっしゃいますけれど、角野さんとふれあってどんなところをエピソードとして伝えられたら、と思ったんですか?

監督:ルイジンニョさんという角野さんのブラジル時代の恩人が映画の中に出てきますが、ルイジンニョさんとの再会は、前の週のギリギリまで来日いただけるか分からなかったんです。一度は諦めかけて、角野さんが自分で会いにいきませんか? と突然相談したり、最後は私がカメラを担いでルイジンニョさんのメッセージを録りにブラジルに行こう! と思ったくらい、もうダメかなと思ったことが何度もありました。それが、まさに奇跡の再会を果たされて・・・。今思うと、角野さんの想いが通じた魔法だったのかもしれないな、と思います。そうとしか言いようのないような。

角野:私も本当に奇跡だと思います。彼と別れてから60何年か経つわけですから。12 歳の少年だったんですよ。イタリア系のすごく可愛い男の子が、白いヒゲかなんか生やして羽田の空港に現れたときは、あれっ!?と思っちゃった。自分も年取ってるんですよね。それなのに彼ばっかり「おじいちゃんになっちゃったじゃないの」って思ったんですけど、話してみると、やっぱり彼らしい表現や、言葉のリズムが思い出されて。本当に良い機会を与えていただいたと思います。これからまた会いに行きたい、と思ってもちょっとねえ、遠いなぁ。

MC:このタイトルどおりの「カラフルな人生」を歩まれているんだなぁと思ったんですが、角野さん40 代までは黒い服、モノクロが多かったとチラッと聞きました。

角野:だいたいグレーとか、黒とかが洋服ダンスの中に多かったです。50 くらいの時だったかしら。赤い洋服を着たところ、意外にも好評だったんですよね。そこから赤い服を着てみようかな、と思ったと同時に、その頃同時に髪がだんだん白くなり、老眼でメガネもかけなきゃならなくなって。そんな寂しい時期を迎えた時に「つまんないな」と思ったんですが、白い髪って意外と綺麗な色に合うんですよね。それでこんな派手で(笑)、今日のあり様です。

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MC:いいですよね。こうやって「皆さんもカラフルな洋服を着たほうがいいです」ってことだと思うんです(笑)。角野さんが、ファッションで特に意識していることは何かございますか?

角野:80 歳くらいになった時に、洋服を選ぶが面倒くさくなったんです。何しろ買いに行くのが面倒くさい。試着っていうのがとても嫌になったんです。それで娘に着る服を頼んだところ、娘から「選んだもの文句は言わない?」とまず言われました(笑)。「はい、文句は言いません」と言ったけど、どうやら少しは文句を言ったようなんですが(笑)、そこから娘に一切、靴下からメガネから洋服まで全部を揃えてもらうようにしました。自分で選んでいると、三歩くらい家を出てから「これ、ちょっと色味合わないわ」と戻ったりするんです。
そういうことがなくなって、評判が悪かったら娘のせいにして(笑)、良かったら自分のせいにしよう(笑)、というつもりでやってます(笑)。

MC:アクセサリーから靴下まで、ほんとにチャーミング!

角野:靴下はね、私履かなかったんですよ。彼女が「靴下はどう?」と言うので履いてみたら、冷房のときも冬もいいんです。そして靴下って失敗しても1000円くらいでしょ(笑)?失敗することあまりないの。だからお洒落はまず靴下からやってみたらというお勧めです。

監督:撮影に伺っても、毎回「今日も可愛いですね!」と、お召し物の話から必ず入っていました(笑)。

MC:監督は何か影響されたりは?角野さんとの撮影で。

監督:そうですね・・・

角野:今度は宮川さんにピンクを着せちゃおう!(笑)これから。まずは靴下から。

MC:「いちご色」をテーマカラーにしているんですよね?

角野:今日は「いちごカラー」とはちょっと違うんですが、(色は)グラデーションなので。家を建てる時に、何か 1 つの色に決めたほうが良いですよと言われたんです。“赤”が良いと答えたところ、色にうるさい人が1人いまして、赤にも黄赤、紫の入った赤、色々あるからと言われ「じゃいちご色!」と言ったのが定着しちゃったんですね。だから、私の家はいちごっぽい赤です。

MC:(ポスターを見ながら)言葉選びがほんとに。

監督:これ(背景の色)、実際に、角野さんのご自宅の壁の色なんです。ポスター用にこういう風にしたわけじゃないんです。

角野:そうそう、うちの。

MC:どれだけお洒落な。もう一つ、角野さんが「好き」をずっと続けているって素晴らしいと思ったんです。それをちゃんと形にして伝えているというのが。好きを続ける秘訣は何でしょうか?

角野:私は「好きが決まらなかった人」で、大学を出てもブラジルに行っても何していいいかわからなかった。ブラジルではラジオの営業などをしていましたが、帰ってきましたら、大学の先生に「本を書け」と言われたんです。卒論しか書いたことないのに、初めて本を書くわけですから、コツコツ、コツコツと毎日書きました。

MC:監督、書き続けるってそう簡単に湧き上がってくるものじゃないですよね。

監督:映画にも出てくるんですけれども、本当に朝から晩まで書かれているんですよ。土日もいらない、必要ないんですよね。関係なく、休もうという気なんてさらさら無くて。本当に書くのがお好きなんだな、と思いました。天職だったんでしょうけども、天職になっていったんですよね、きっと。

角野:たぶんね。「疲れた」って言えないんです。だって好きなことやってるんでしょ、って言われるから。でも、私も疲れるのよ・・・(笑)。好きなことやってるんだから自分でも納得するし・・・そうねぇ、ほんとに書くこと好きだと思う、私。

監督:「撮影を楽しんでやろう」とおっしゃっていましたけど、本当に楽しんで書いてらっしゃるんです。遊ぶように落書きして・・・撮影していると角野さんが「ああなって、こうなってね」と言いながら、どんどんとそっち(物語)の世界にいってしまい(笑)、あ、なんか止まらなくなっちゃったと(笑)。言ってみれば物語が生まれる瞬間だと思うんですけど、それに何度か立ち会ったことがあります。ご自分で想像して膨らませているうちに、どんどんお話ができていっちゃう。横にいる私たちはある意味置いてけぼりになってしまったことが何度もありました。やっぱりそういう風にして、角野さんの中から物語が生まれていってるんじゃないかな。それを誰よりも楽しんでいらっしゃるから、80代になってからの作品の数もすごいですよね。驚くほど。

角野:そうねぇ、書きたいものを書いておきたいなと思うのと、私もやっぱり大変なときがあるのよ(笑)。だけど好きなことやっているんだし、考え方を自分の気持ちを自由にしてみると、こうだと思っていたことも、こっちに行っていいんだよ、行ってみようかな、という気持ちになるわけ。失敗したら戻ったら良いので、書き直すことは全然苦にならない。それだけは良かったなと思って。30枚書いても、書き直しOKなんです。(ええ~と声が上がる)書き直すとまた違う発見があるんですよね。それに出会いたい。出会えることが楽しい。パソコンで消えちゃうのはいやだけどね!(笑)。あれはもうやめてほしい。何回かやりましたよ、私。

MC:でも書き直すなんて、ね?私なんて「書き直すなんて!」って思っちゃいますけど。角野さん、今後あらたに挑戦してみたいことは?

角野:私ね、来年 90 歳なの。ちょっとこれ「売り」です! それでね、90 歳になった時に、すごいピュアなラブストーリーを書いてみたいなと思って。(おお~と拍手が起こる)できればね!でもねぇ、中学 1 年生くらいの初恋の思い出なんて忘れちゃっているわね(笑)、相手の名前も忘れてしまって(笑)、書けるかなあと思ってますけど・・・?

MC:楽しみにしております。ありがとうございました。(ここからポスターを挟んで写真撮影)
角野さんはお誕生日が 1 月 1 日、元旦でございます。
89 歳の誕生日を迎えたばかりなので、今回は制作陣から角野さんにプレゼントがございます。
(監督からお祝いの花束贈呈)
いちご色の花束です。せっかくなので、89 歳の抱負を教えてください。


角野:まずは元気で歩ければ良いなと思います。今、杖つかないでも歩けます。なるべく長く元気でいたいと思います。

MC:ありがとうございます。おめでとうございます。(拍手)
(花束を持っての写真撮影。ムービーに向かって手を振る)

MC:最後に角野さんから映画の魅力をメッセージとしてお願いできますでしょうか?

角野:お帰りのときに、皆さんスキップして帰ってください(笑)。今度私が写真撮ろうかしら。
ゆっくりご覧になって十分楽しんでお帰りいただければ、私はとても嬉しいです。宮川さんにいい映画を作っていただいて、わたしの一生の宝物になると思います。ありがとうございました。

盛大な拍手に送られてお二人退場。舞台挨拶は終了しました。

(ほぼ書き起こし:白石映子 写真:宮崎暁美)

映画『ハント』ジャパンプレミア  イ・ジョンジェ 初監督作品への思いを日本のファンに語る

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イ・ジョンジェ初監督作品『ハント』の記者会見に引き続き、一般のお客様をお迎えしてのジャパンプレミアで、舞台挨拶が行われました。

日時:8月31日(木)
場所:T・ジョイ PRINCE 品川
登壇者(敬称略):イ・ジョンジェ  
MC:奥原レイラ
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MC:『ハント』は、「イカゲーム」でさらに世界的スターとなりましたイ・ジョンジェさんの初めての監督作品であり、盟友チョン・ウソンさんとのダブル主演を果たしたことも話題になっている作品です。

皆さまお待ちかねだと思いますので、さっそくお迎えしたいと思います。『ハント』の監督であり主演を務められましたイ・ジョンジェさんです! 大きな拍手でお迎えください。

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イ・ジョンジェが登場し、大きな歓声があがります。
満面の笑みのイ・ジョンジェ。各方面に向けて何度もお辞儀。

― まずはお集まりのファンの皆様に一言ご挨拶をいただいてよろしいでしょうか。

イ・ジョンジェ:(日本語で)こんばんは。(また歓声があがります)
アンニョンハセヨ。日本で僕の映画が公開されるのはどれくらいぶりかわからないくらい、本当に久しぶりなんですけれども、再びこうして日本で公開をすることができて本当に嬉しく思います。また、日本の美しい観客の皆様とこうして出会うことができて、本当に本当に嬉しいです。今日はどうもありがとうございます。

― 本作、カンヌ国際映画祭で初めて一般の観客にお披露目となりまして、上映後7分間のスタンディングベーションだったと伺っています。映画を観たお客様の反応をご覧になって、どんなことを感じられましたか。

ジョンジェ:映画が始まって序盤のアクションシーンが終わって、『HUNT』と映画のタイトルが上がった時に、観客の皆さんが拍手をしながら「わーっ」と歓声をあげてくださいました。この作品を一緒に作った人とそして観ている観客の皆さんと一緒に呼吸をしている、そんな感じがして、本当に嬉しく思いました。

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◆脚本・監督を自分ですることになった理由
ー 日本でも拍手があるといいと思いますね。今回初監督作品ですが、監督を務め脚本も書かれていらっしゃいます。どういった道のりでしたか?

ジョンジェ:実は最初はシナリオを自分で書くつもりはありませんでした。優れたシナリオ作家の方がこの作品のシナリオを書いてくれたらいいなという風にも思っていましたし、また、この作品を素敵に撮り上げてくれる監督にシナリオを書いて頂いてもいいのではないかという風にも思っていました。
ただ、なかなか作家さんのキャスティングが上手くいかず、また素敵な映画を撮ってくださる監督のキャスティングもなかなかうまくいきませんでした。実際に直接私の方で訪ねてお願いしたりもしましたが、皆さんそれぞれ異なる理由から、この作品を引き受けるのは難しいと話されました。そして、大多数の監督がこの作品を映画化するのは難しいと話されました。観客の方達からたくさん愛される作品にするのは難しいのではないかという意見も言われていました。
でも、私の考えは少し違いました。最近はフェイクニュースも多く流れていますし、誤った信念を持つように、まるでおまじないをかけられるような、そんな言葉も世の中に溢れています。ですので、時々誤った知識や情報を基に行動を起こしている人々の姿を目にすることもあります。
そんな私たちの姿を考えながら、この映画を作っていったのですが、この映画の中に登場するジョンドとピョンホも信念を持っています。けれども、その誤った信念によって苦痛がもたらされます。そして、その誤った信念を正しく戻していこうという努力をする。そんな男たちの姿をしっかりと映画の中で描くことができれば、これはとても面白い作品になるのではないかという期待を持っていました。
ですので、自分でシナリオを書いてみようと書き始めました。そして、シナリオが完成したところ、内容については、自分自身が一番よく知っているわけですから、ならば、自分で撮ってみようという風に思いまして、勇気を出してこの作品の演出をすることになりました。



◆隣人で親友のチョン・ウソンとの共演には少し複雑な思いも
ー 初監督作品で、これを撮られたというのは、ほんとうに素直に凄いと思いました。
チョン・ウソンさんとダブル主演ですが、共演は約24年ぶりになります。共演されたご感想をお聞かせください。

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ジョンジェ:本当に親しい同僚であり、親しい友人であり、そして今はご近所さんでもあります。すぐ隣に住んでいる隣人でもあるので、なかなか複雑ですね(笑)。
チョン・ウソンさんは本当にかっこいい俳優です。そして、これまでもかっこいい素敵な映画にたくさん出演してこられました。今回の映画では、チョン・ウソンさん自身が見ても最近撮った作品の中で一番かっこいいなと思えるような作品、または観客の皆さんにとってもチョン・ウソンさんの作品の中でも本当にかっこいいなという風に思っていただけるような作品にしたいと思いました。
どうすればより正義感にあふれたキャラクターとして見せることができるのか、またどうすればより迫力のある男として描くことができるのか。そしてまたどうすれば、より胸の痛い、そんなキャラクターとして余韻を残すことができるのか、そんなことを様々なことを悩みながら、現場でも本当に多くの会話を重ねながら、ワンシーン、ワンシーンひたすらチョン・ウソンさんをかっこよく撮りたいという一念でこの映画を撮りました。

◆コロナ禍で東京のシーンは釜山で撮影
ー この後、ご覧いただきますので、是非ご期待いただきたいと思います。
本作、80年代の韓国が舞台になっていますが、東京のシーンも登場します。韓国での撮影だったと伺っていますが、東京を再現するにあたって工夫された点を伺いたいと思います。

ジョンジェ:実は日本の東京のシーンは日本の地方の小都市で撮ることを計画していました。以前、『黒水仙』という映画で日本に来て撮影をしたことがあるのですが、こんな風に日本で撮影できるんだという記憶がありましたので、日本で撮りたいと思っていたのですが、コロナ禍で断念せざるを得ませんでした。
釜山のとある道路を使って撮影をしました。交差点の何箇所かを車両統制をして撮ったのですが、日本は車両の道路の向きが韓国とは逆ですよね。なので、週末に撮影許可を取って、道路の車両統制をして、逆方向に車を走らせて撮影をしました。日本から20台ほど車を運んできたのですが、その場所で銃撃戦の撮影もしましたし、車は全て壊してしまいました。
日本で撮ったらもっと製作費は少なく済んだと思います。韓国で撮ったことによって制作費は増えてしまいました。大変苦労しながら撮った作品なのですが、日本の観客の皆さんにどんな風にご覧になっていただけるのかよく分かりません。僕たちは撮り終えた後に「それなりにそれらしく撮れてるんじゃないかな」と思ったのですけども、日本の皆さんにはぜひ注意深く観ていただければと思います。

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◆お寿司ととんかつサンドは確保
ー 日本への来日は先ほど約3年半ぶりという風に伺いました。日本で楽しみにしていることはありますか?

ジョンジェ:日本と言えばやはり美味しい食べ物がたくさんありますよね。たくさんなるべくいろんなものを食べて帰りたいなと思うのですけども、かなり今回スケジュールがタイトになっておりまして、もう今もその食べ物のことを考えただけでゴクリと唾を飲み込んでいます。それでもいくつかは食べて帰られるかなという風に思います。
お寿司屋さんもすでに予約をしています。そして先程は美味しそうなとんかつサンドを持ち帰ろうと思ってバッグの中に忍ばせました(笑)。

◆応援してくださる日本のファンの為に無理して来日
― 先ほど、記者会見で、なぜこれだけ多忙なのかの話が出ましたので、それはあとで記事になると思います。そんな多忙な中来てくださったのかと驚いてください。
美味しいものをたっぷり召し上がっていただきたのですが、最後に映画を観ていただく皆さんに一言お願いします。

ジョンジェ:コロナ禍によって、お互いに往来がスムーズにできなくなる状況がありました。それにも関わらず、韓国で僕がイベントをしたり、映画の公開があったりすると、その度にコロナの大変な最中にも日本からわざわざ韓国にファンの皆さんが来てくださいました。
今までもそんな風に日本からわざわざ韓国に来てくださっている大切な日本のファンの皆さんに本当に感謝の気持ちを持っていたのですが、ただ実は今「イカゲーム」シーズン2 の撮影をしているところでして、『ハント』の日本の公開に合わせて直接日本に来るのは、たやすい状況ではありませんでした。
こんな風に皆さんとお会いする場を持つのは難しいのではないかという風に思われていたのですけれども、僕にとっては大切な日本のファンの皆さんに日本で直接お目にかかるというのは、本当に特別な意味のあることでしたので、『イカゲーム』のチームの方達にねだって2日だけ時間を下さいとお願いをしまして、こうやってスケジュールを取らせてもらいました。

日本でこうして直接ファンの皆さんにお会いすることができて、本当に本当に嬉しいですし、いつも感謝の思いを持っているのですが、それをいくら言葉で伝えて表現しても十分ではないという風に感じています。感謝の気持ちと同時に申し訳ない気持ちも持っているのですが、今日こうして皆さんに直接お会いすることができて、胸がジーンとするような感じもありますし、本当に胸がいっぱいです。今日は本当にありがとうございました。

これからも機会があれば、できる限り本当に嬉しい気持ちで日本にまた来たいなという風に思っています。今日は皆さんにこの『ハント』を楽しんでご覧いただければという風に願っています。また次の作品がありましたら、必ずまた、こうやって日本に来て皆さんにご挨拶したいと思います。ありがとうございました。

*フォトセッション*
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まずは、マスコミ向けのフォトセッション。

その後、ファンの方たちにも、1分間の撮影タイムが設けられました。

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最後に、イ・ジョンジェ氏、ズボンの後ろポケットからスマホを取り出し、満席の客席を背景に自撮り♪ また歓声があがりました。

通訳さんが訳している間には、客席のあちこちに目を配らせアイコンタクト。
ほんとに笑顔が素敵で愛想のいいイ・ジョンジェ氏でした。


★ジャパンプレミアに先立ち開催された記者会見の模様はこちらで!
映画『ハント』 イ・ジョンジェ監督記者会見


写真は、facebookアルバム イ・ジョンジェ初監督作品『ハント』記者会見&ジャパンプレミアもご覧ください。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.791557082971879&type=3

報告・撮影:景山咲子





ハント  原題:헌트  英題:HUNT
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© 2022 MEGABOXJOONGANG PLUS M, ARTIST STUDIO & SANAI PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

監督・脚本:イ・ジョンジェ
出演:イ・ジョンジェ、チョン・ウソン、チョン・ヘジン、ホ・ソンテ、コ・ユンジョン、キム・ジョンス、チョン・マンシク

1980 年代、安全企画部(旧 KCIA)の海外次長パク(イ・ジョンジェ)と国内次長キム(チョン・ウソン)は組織内に入り込んだ"北"のスパイを探し出す任務を任され、それぞれが捜査をはじめる。
二重スパイを見つけなければ自分たちが疑われるかもしれない緊迫した状況で、大統領暗殺計画を知ることになり、巨大な陰謀に巻き込まれていく・・・

2022年/韓国/DCP5.1ch/シネマスコープ/韓国語・英語・日本語/125分/PG12
字幕翻訳:福留友子・字幕監修:秋月望
配給:クロックワークス
公式サイト:https://klockworx.com/huntmoviejp
★2023年9月29日(金) 新宿バルト9ほか全国ロードショー



『めんたいぴりり パンジーの花』公開記念舞台挨拶

6月9日(金)新宿バルト9にて、公開記念の舞台挨拶が行われました。
MC:伊藤さとりさん

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左から:博多大吉さん、瀬口寛之さん、富田靖子さん、博多華丸さん、余貴美子さん、森永悠希さん、江口カン監督


作品紹介はこちら
笑いあり涙ありの福岡発の人情物語。みんな言いふらかして映画ば、応援して〜!
(C)2023「めんたいぴりり」製作委員会
https://mentaipiriri.com/
★2023年6月9日(金)より新宿バルト9にて公開中
●前作『めんたいぴりり』初日舞台挨拶(2019/1/27)はこちら
●前作の江口カン監督インタビュー(2019/1/10)はこちら


―先週九州で先行公開されましたが、今日は九州出身の方もたくさん来ているんですよね。手をあげてください。そうじゃない方も、この『めんたいぴりり』を愛してくださっている方々、ご来場いただきました。ありがとうございます!
ではさっそくみなさんから一言ずつご挨拶いただきます。
まず初めにふくのや店主海野俊之を演じられました博多華丸さんです。

華丸 こんにちは!本日は数ある娯楽施設の中から当劇場、しかも『めんたいぴりり』をチョイスしていただきましてまことに御礼申し上げます。短い間ではございますが、ゆっくり楽しんで、映画も楽しんでいただきたいと思います。本日はよろしくお願いいたします。(拍手)

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―おかみさん海野千代子を演じられました富田靖子さんです。
富田 みなさんこんにちは、富田靖子です。今日は『めんたいぴりり』を選んでいただき、ほんとにありがとうございます。実は今回次男の勝(菊池拓眞)もあそこに座ってくれて(客席を指す)、私は次男が作ってくれた折り紙の小物をつけてまいりました。
とてもあったかい作品になっていると思います。珍しく恋の話もありますので、ぜひ楽しんでいってください。(拍手)

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―今回重要な役割の八重山さんを演じられています瀬口寛之さんです。
瀬口 みなさんこんにちは、瀬口寛之です。本日はありがとうございます。
こうしてみなさんにお届けできる日を迎えることができて、たいへん嬉しく思っています。あったかい作品になっていますので、この後お楽しみください。よろしくお願いします。(拍手)

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―スケトウダラの妖精を演じられています博多大吉さんです。
大吉 どうもこんにちは、大吉でございます。みなさんから「スケトウダラで来ないんだな、女装で来い」みたいな感じで言われますけれども(笑)。映画の中で僕もちらほら出ていますが、事前に言っておきます。「こいついったいなんなんだろう?」と考えるだけ時間の無駄だと思いますので、華麗にスルーしながら楽しんでいただきたいと思います。今日はご来場ありがとうございま~す。(拍手)

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―今回ゲストとして、ヒロインの元彼あつしを演じられました森永悠希さんです。
森永 みなさんこんにちは、ありがとうございます。今回あつし役を演じさせていただきました森永悠希です。今日こうやって皆様の前でご挨拶させていただけることがほんとに嬉しいです。ありがとうございます。短い時間ではございますが、よろしくお願いいたします。(拍手)

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―もうお一人ゲスト参加していただきましたたこ焼き屋台の店主、吉田ツル役の余貴美子さんです。
 余貴美子です。みなさんもう何年も一緒にやられていて、一つのチームが出来上がっている中で、ゲストとしてお邪魔させていただきました。物語の登場人物のようにみなさん優しくてほんっとにいい方たちで、いいお話で。私の荒れている心が本当に癒されました。撮影が終わってお別れするのが悲しかったくらいです。私の心、人の気持ちを優しくしてくれるような良い作品ですのでどうかお楽しみください。(拍手)

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―そしてこの作品の生みの親になります江口カン監督です。
監督 今日はみなさんどうもありがとうございます。僕の大好きな『めんたいぴりり』をまた作ることができて、こうしてみなさんに観ていただくことができ、そして再び”ふくのやメンバー” プラス、余さん森永くんとここに立てることを幸せに思っています。今日はよろしくお願いします。(拍手)

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―映画の公開おめでとうございます。(客席から「めんたい!」と声がかかる)華丸さんと靖子さん、2013年にドラマがスタートして、映画になったり舞台になったりして、10年になるわけです。ずっと『めんたいぴりり』に参加されて、久々の映画の現場、どんなお気持ちでしたか?

華丸 最初やったときは、もちろん続いたらいいなとは思っていましたけど、ここまで賞味期限が長いとは(笑)。
去年の夏に撮影に入ったんですけど、ふくのやのメンバー、10年経っても奇跡的にあか抜けないんで(笑)、ずっといい意味で成長を止めているんで(笑)。だから10年前と変わらない雰囲気で撮影ができたので、ほんとに変わらない良さをあらためて感じます。
富田 10年前にはなるんですが、いつも通りにちゃぶ台の自分の席でご飯を食べれる、いつも通りに撮影ができたという感じです。スケトウダラさんのメイクが毎回すてきになっていって、そこだけは楽しみにしておりました。
大吉 そうですね。10年前とは僕も年齢が違いますので、あの頃は40代ですが、今はもう50代なので、今回めちゃめちゃメイクが濃いです(笑)。濃いですけどもね、やらしていただきました。
華丸 ちょっと最近はあか抜けてました(笑)。ふくのやメンバーはね、奇跡的にあか抜けない(笑)。

―ここに”ふくのやメンバー”の瀬口さんがいらっしゃいますけど、今回はメインどころのパートがございました。
瀬口 はい、わたくし八重山が恋をしまして(笑)。台本読んだときは「大丈夫かな?」と思いましたけれども。頭に浮かんだのが、10年前のドラマの中でおかみさんが「一生懸命生きとる人間に綺麗も汚かもなか」って言うセリフがあるんです。それが浮かんできて…
富田 覚えとらん(笑)
瀬口 一生懸命恋をしようと思って、頑張りました!あの言葉大好きなんです。
富田 忘れた…今回はもう世界の中心で叫んでいますから、森永(あつし)さんと八重山さんが。大人女子「きゅんきゅん」です。
華丸 いつから福岡市早良区が世界の中心になったんですか?(笑)室見駅と藤崎駅の間あたりのあそこが?(笑)
富田 あそこが中心で、2人が叫んでいるのがもう「きゅん」です。

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マリ(地頭江音々)とあつし(森永悠希)

―『めんたいぴりり』に今回ロマンスが描かれているんですが、森永さん、こうやってメンバーと共演してどうでしたか?
森永 10年愛されている作品の中に入らせていただけるっていうのが、すごい。やっぱり制作陣にも愛がないといけないし、見てもらっている方々にも愛されてないといけない、でないとここまで続けることってできないですし。短い期間だったんですけど、ほんとに愛がたくさんある現場だなって思います。”ふくのやのメンバー”にも愛をたくさんいただいて参加できて幸せだと思いながら過ごさせていただきました。
―どんな愛情をもらったんですか?
森永 富田さんとかすごい話しかけてくださってて。
富田 はい。おかみさんとしてマリさんと八重山さん、森永(あつし)さんを盛り上げるために。
瀬口・森永 ありがとうございます。

―余貴美子さんも今回はゲストで、たこ焼きで苦労されて。
 はい、たこ焼きいっぱい焼いて練習しました。たこ焼きを焼くのと、屋台を引くのと、あと福岡の言葉をいっぱい勉強しました。初日が(従業員 松尾竹吉役の)斉藤優さん(パラシュート部隊)と一緒だったんです。夜に福岡の空港に着いて、そのまま撮影だったので最初に会った福岡の人が斉藤優さん。
華丸 彼、出身は大阪です(笑)。福岡在住の大阪人。
 そうなんですか。言葉も教えてもらって。今日いらっしゃらないんで寂しいんですけどね。
―華丸さんや富田さんとご一緒していかがでしたか?
 ほんとにやさしくて気を遣っていただいて、気ぃ遣ってますよね?
華丸 気ぃ遣ってました。(笑)大先輩ですから。
 ほんとに映画の中のような人たちなんですよ。この方たち、ほんとに。
―華丸さん、余さんが作られたたこ焼きは召し上がったんですか?
華丸 そこのシーンは少なめだったんです。食べさせていただいたことは、あります。はい。
―いかがでした?
華丸 すばらしい。日本一!(笑)

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―大吉さん、あの(スケトウダラの)シーンが出てくるといつも嬉しくなるんです。今回あのシーンを撮るために何か役作りとかは?

大吉 みなさん役作りって役柄とか背景を考えて、台本を読み込んでみたいな、話を聞いていたので僕もやろうと思ってたんです。最初から僕出てくるんですけど、ライバル企業の商品を持って出てくるんですよ。何度読み込んでも意味がわからない(笑)。首をかしげながら江口さん…監督に「いいんですか?」って聞くとOK出すんですよ。みなさんには厳しいけど僕には甘い。
監督 いち観客になりきっちゃいます。
大吉 ほんとに大丈夫かな?って。
―毎回、大吉さんと華丸さんのシーンはアドリブじゃないかと思ってるんです。
大吉 今回はどうやったっけ?(華丸さんへ)
華丸 えー、一応その~箇条書きがあるみたいな感じ。「全部おまかせ」って書いてあるんです。(キャスト・会場ざわめく)
大吉 華丸とのシーンはアドリブで全然いけるんですけど、後半のゴリけん(でんさん役)とのアドリブは地獄に等しいです(笑)。華丸さんは何か返ってくるんですけど、ゴリけんは、まさかの「黙る」っていう(笑)。黙秘権使ってくる(笑)。なかなか大変でした。
そのへんも「これ、いいのかな?」って思ったら監督が「OK!」ってすぐ出すから、ちょっと心配な楽しい部分でもあります。ぜひ注目していただけたら嬉しいです。
―そこはもう江口監督が大信頼しているわけですね。
監督 決して職務放棄しているわけではなく、それが一番面白くなるんで、はい。僕は楽しんで見てるだけです(笑)。
富田 大吉さんには優しかったんですけど、こわいですよ。キャストにはめっちゃ厳しい。
大吉 だから申し訳なかったです。大変だったでしょ、みなさんは?(みなさん頷く)
富田 はい。(笑)
大吉 八重山さん思い出すだけで汗かくのやめてください(笑)。めっちゃ汗かいてる。
富田 これが「めんたいぴりり」のめりはりだとは思うんですけど、ゴリけんさんがお二人(スケトウダラと)のシーンの後に、いつもお二人でものすごく長い時間反省会をされているんです。
―次に演じる時のための反省会なんですね?
大吉 そうですね。後は僕が遠まわしにゴリけんに「降りてくれ」って(笑)。もうそろそろ引っ越しとか(笑)。

―今話題の「サンクチュアリ」(江口監督作。Netflixで配信中)を見ている方もいらっしゃると思うんですよ。映画だと『ザ・ファブル』もございます。全く違う作風のこの『めんたいぴりり』を作り続けているというのは、江口監督にとって『めんたいぴりり』というのは、どういう存在なんでしょうか?
監督 これ以外は、”血まみれの力士”(Netflix『サンクチュアリ-聖域-』)が出てきたり、”殺さないと言って殺しちゃう殺し屋”(映画『ザ・ファブル』)が出てきたりというようなのが多いんで、こういう優しくていい話を作らないとですね、僕の人気が危ういなと思って(笑)。
華丸 つじつま合わせなんですか?(笑)
監督 「バランス」と言ってください(笑)。
華丸 バランス?
監督 僕の中の優しさをこのために何年間か取っておいて、これにバンっとぶつけるというか。
―そこは華丸さんはどういう風にお考えですか?
華丸 ほんとにはっきりしているというか。「サンクチュアリ」をご覧のみなさんはそれを求めて来られたら、ほんとに何もない(笑)。
大吉 何もない。ちょっとだけ流血シーンがあります。質が違います。
華丸 暴力シーンがないです。そこはご了承いただきたい。とても平和な。
―いつかシリーズの中にアクションシーンとか華やかなのがあるかもしれませんね。
華丸 いつかはね、「ファブル」にも狙われてみたいです(笑)。
―そうなったらすごい展開だと思います。

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―福岡の物語がこうやって全国に広がっていくっていうのもすごいことだと思うんですよね。
そこは華丸さんや富田さんどんな風にお考えですか?

華丸 九州の福岡県のみのドラマだったんで。しかも朝ドラじゃなくて、「ブランチ・ドラマ」みたいな、55分。ローカル枠のところだった地域限定のドラマが、少しずつ、10年かけてこうやって世に出て新宿で舞台あいさつ。感激しております。福岡で先週舞台挨拶だったんですけど、マイクの本数が全然違うんですよ(笑)。福岡はマイクが3人に1つ(笑)。全部東京にあります!ものは。
ね、ここにあったか!って(笑)。日本の中心でこうやってやらせていただけることに成長を感じています。マイク一本ずつ(笑)。
富田 小物やセットもね。

―富田さんもファミリーがこうやって全国に広がって知られていくっていうのは嬉しいんじゃないですか?
富田 そうですね。キャストも今まで子どもたちはずっと福岡、博多、九州の子が多かったんです。今回次男は東京の子で、これまで博多の言葉を耳にしたことがなかったんですけど、2日か3日経ってると普通に博多弁を喋っていました。こうやって『めんたいぴりり』が言葉の枠をどんどん越えて、日本のいろんな方に愛されたら嬉しいなと思います。
―ほんとにそう思います。瀬口さん、地元の方たちも見ていると思います。今回こうやってメインどころになるというのは感慨深いんじゃないですか?
瀬口 ちょっと恥ずかしい気持ちもありますけど、頑張ったんで友達とかみんないろんな人に見てもらいたいです。
―反響は届きましたか?
瀬口 今のところ身内からだけです。
―これからどんどんね。楽しみですね。
富田さん、今回恋のお話があるちょっと甘口な『めんたいぴりり』のお話というのをご覧になって、どういう風に感じられましたか?

富田 いやー10年経ったなぁと思うのは…そこに私たちの恋の話は入れませんでした。
華丸 もう…
富田 もう良か、って感じで。ちょっぴり寂しかったです。愛の話には入りますけど、恋の話はやっぱり若いみなさんにお任せしてって感じで、ちょっと後ろできゅんきゅんしていました。

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―大吉さん、客観的にどうでした?
大吉 華丸さんから今度の話は「八重山さんのラブストーリーだ」って聞いたときは「無理だ」(笑)。「そんなの誰が観るんだよ」って楽屋では言いましたけど、試写会で観たときはジーンとしましたね。
八重山さんのアップめちゃくちゃあるんですよ。大画面で八重山さんが演技するのは…ストーリーも面白いんですけど、ここ10年くらいの軽~いお付き合いはあるので、あ、軽いって言い方はあれですけど(笑)。ずっと勝手に応援してたので「ああ、良かったな、八重山さん」と思ったし、「もっと頑張れよ、笹嶋(ふくのや従業員笹嶋辰雄役:福場俊策)!」とも思いました(笑)。今日来てるのに、舞台にあげてもらってないんで(笑)。頑張ってね。みっちゃん(ふくのや従業員岡村ミチエ役:井上 佳子)も来てるんです。代わろうか?って言うたんですけど。
もう見どころいっぱいです。話がいっぱいあるよね。
華丸 今回はそうですね、トータルで3つの話が。パルプフィクション的なね(笑)。
富田 余さんの(演じる)ツルさんの恋の話と、八重山さん、森永(あつし)さんの恋の話、ちょっと喧嘩しちゃったかなという私たちの話。
華丸 うん。いろいろ幕ノ内弁当になっています。楽しんでいただきたいと思います。
―きゅんきゅんしながら、ほっこりして涙が出るような作品です。ぜひみなさん楽しんでいってください。ありがとうございました。(拍手)

主題歌の流れる中、中心に集まってフォトセッション、パネルありパネルなし。観客の撮影タイムも

―これからご覧になるみなさまへ、華丸さんからメッセージをお願いします。

華丸 今日、朝から生放送やって来たんです。ゲストは安藤サクラさんで『怪物』の紹介をしました(笑)。公開初日にこういうこともあるのはある意味「縁」だと。10年続く作品も僕は「怪物」だと思います。「怪物」対「魚卵」で(笑)頑張っていきたいと思います。(拍手)
(まとめ・写真 白石映子)

=取材を終えて=
前作から4年経っての第2弾です。テレビドラマからだと10年、大きくなった子どもたちは交代しましたが「ふくのや」のみんなが変わらずにいてくれたと、ほっとします。大将は相変わらずお人よしののぼせもんで、おかみさんはそんな夫をしっかり支えています。
舞台挨拶も映画の雰囲気そのままに、和気あいあいとしています。ほんとはキャスト&会場の(笑)がもっとあるのですが(笑)だらけになってしまうので、省略しています。記者席でも笑い声が上がるので、録音にかぶって聞き取れなかったり。
華丸さんの「頑張っていきたいと思います」で綺麗にしめくくられたのですが、その後に実はこんな会話も。

華丸『怪物』を観に行ったんですけど、映画の宣伝で『リトルマーメイド』予告編が流れていたんです。
あれ、大吉さん出てない?
大吉 僕(笑)。
華丸 あれ!?(笑)

おあとがよろしいようで。

『光をみつける ヴァイオリニスト穴澤雄介からのメッセージ』舞台挨拶

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*プロフィール*
穴澤雄介[ヴァイオリン奏者/ヴィオラ奏者/作・編曲家/講演家]
 1975年千葉県生まれ。心臓と目に障害をもって生まれ、高校時代にほぼ視力を失う。筑波大学附属盲学校高等部本科音楽科、同専攻科音楽家卒業。コロナ以前は年間150本以上のライブ活動のほか、学校関係を中心に年30回以上の講演活動を行う。2020東京・2022北京オリンピック・パラリンピック時のNHKユニバーサル放送TV特番にコメンテータとして出演するなど、ダイバーシティ(多様性)・SDGs時代の要請にも応える。

永田陽介[監督・編集 日本映画TVプロデューサー協会会員]
1961年生まれ。撮影スタジオの世田谷109スタジオ、西武百貨店を経てビデオソフト黎明期のビデオ企画制作販売までを手掛ける会社に入り、海外映画など数百の商品を手掛ける。
1991年、作家・映画監督 村上龍氏の映画『TOPAZ-TOKYO DECADENCE-』の制作プロデューサーを担当、海外での映画賞やセールスに成功する。俳優・映画監督の勝新太郎氏の依頼で編集した、勝新太郎の最期の舞台『夫婦善哉~東男京女』はリマスター版が日本映画チャンネルで放送公開された。

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(C)2022 FUJIYAMACOM

作品紹介はこちら
公式HP https://anazawa-cinema.com/

6月7日(土)恵比寿の東京都写真美術館ホールにて、このドキュメンタリーの主人公穴澤雄介さん、出演&ナレーションの元小結・相撲解説者の舞の海秀平さん、永田陽介監督の舞台挨拶がありました。司会は構成も担った桂いちほさん。ほぼ書き起こしでお届けします。
上映会場は6月15日(木)から30日(金)田端の「シネマ・チュプキ・タバタ」に代わり、以後順次全国公開の予定です。
穴澤雄介さん、永田陽介監督のご挨拶の後、ナレーションをつとめた舞の海秀平さんが拍手の中登場しました。


 舞の海さん、ひとことどうぞ。
舞の海 みなさん こんにちは~(拍手)
 当初、舞の海さんには、ナレーションだけをお願いする予定だったのが、穴澤さんが駄々をこねたんですよね?
穴澤 ナレーションをお引き受けしていただいたのはすごく嬉しかったんですけど、ナレーションだけ担当されると、私はお会いできない!(会場笑)
「やだやだ~!会えないとやだ~!」と駄々をこねたんです。監督に「対談の時間を設けませんか?」と提案をさせていただきまして(笑)。
 監督、お二人の対談は、初対面の方がいいという判断だったそうですね?
監督 はい。穴澤さんと舞の海さんは初対面でした。ご本人と会うのはぶっつけ本番がいいんじゃないかと、お寺の和室をお借りして撮影しました。
 みなさん映画をご覧になったからわかると思うんですけど、穴澤さんの喜びようがね。まるで、子どもが憧れの人に会うみたいな感じでした。
舞の海さん、会う前は穴澤さんのことはご存じなかった?
舞の海 そうですね。全くなかったです。
 最初、どんな印象でしたか?
舞の海 最初はですね。やけに明るい人だなぁと思いました。(穴澤さん爆笑)
お洒落ですし、この人はなぜこんなに物事を前向きに考えられるんだろうと。私とそこは正反対でしたね。
 正反対?
舞の海 私は常に後ろ向きで(笑)。
穴澤 相撲は後ろ向きだと負けちゃう(笑)。
 最初は30分くらいの予定だったそうですね?
穴澤 30分って言われました。
 ところが実際は2時間くらい喋っていた(笑)。もう、だからね、監督が編集するの大変でしたよ。

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永田陽介監督

監督 皆さんドキュメンタリー映画をたくさん観ていると思いますけど、予測不可能なこととかね、いろんな事件が起こったりする。あの対談もぶっつけ本番でしたから、どんな話になるのかわからない、そこをとらえています。こちらは非常にスリリングでしたし、何回観ても面白い会話ですよね。
舞の海 そうですか?
監督 はい。
舞の海 私も、どういう展開になっていくのかわからなかったんですけど、お話ししているうちに「あれっ、ここ感覚が一緒だな」とか、共通するところがたくさん出て来て、あっと言うまでしたね。
穴澤 そうですね。
 舞の海さんがすごく聞き上手なうえに、質問上手なんですよね。
舞の海 いやいや、そんなことないです。
 うまいこと起承転結があるように話を運んでいただいたので、使いどころが明確でした。

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舞の海秀平さん

 穴澤さんとの対談が終わられた後、印象は変わりましたか?
舞の海 うーん、「この人ってほんとは、目が見えるんじゃないか」って(会場笑)。
なんかすごく、こう・・・昔から知り合いだったような感覚になりましたね。それと、知られているだけじゃなく、心の中まで見られているような。そういう、普通の人にはない鋭い感覚の持ち主なんだなと思いました。
 と言われて、穴澤さん的にはどうですか?
穴澤 いや、鋭くないですよ(笑)。でも嬉しいですよ、親近感持っていただけるのは。これはもう「”対談映画”でいいんじゃないかな」っていうくらい対談していただいたので。
 そりゃ、お客さんが困る(笑)。穴澤さんの大好きな大相撲の話が多かったですよね。
穴澤 極力、控えていたんですよ。ええ。
 ほんとに穴澤さん相撲が好きで。先日穴澤さんのライブが7時くらいからあったんです。リハーサル終わって控室に私もいたんですけど、ちょうど結びの一番くらいで、真剣にスマホを聞いているんです。
穴澤 みなさん私の楽屋に訪ねてこられると、「すみませ~ん。本番前の集中力高めている時間なのに」って言われるんですけど・・・相撲が流れているんです(笑)。
緊張感なくてすみません。さっきはソフトバンク(野球)の試合を聞いてました(笑)。

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桂いちほさん、穴澤雄介さん

舞の海  相撲を聞きながら、頭の中でどういう映像が出てくるんですか?
穴澤 合っているかどうかわかりませんけれども、アナウンサーさんの実況を聞きながら、こんな感じに組んでいるのかなって、"想像"します。
舞の海 はあ。
穴澤 私の場合ラジオが多いんですけど、取組み終わってから、改めてアナウンサーさんが説明してくださいますよね。あれがやっぱりすごく頭に残ります。
舞の海 ああ、そうですね。細かい描写がありますね。
穴澤 あれ、すごいなと思って。やっぱりVTRを見ながら喋っているんですか?
舞の海 あれはですね、見てないんですよ。スローが流れるのを待っていると、時間がかかるので、終わった次の瞬間からアナウンサーは喋り出します。
穴澤 じゃあ記憶で全部喋るんですね。
舞の海 そうです、そうです。
穴澤 すごい!
舞の海 若手のアナウンサーは、結構ざっくり。そういう説明をせずに(笑)、大雑把ですね。
穴澤 ちょっと違うんだけどなって、正直思ったりします?
舞の海 思いますね。ラジオなのになぁって(笑)。若い人ですからこれから経験を積んでいくんでしょうねえ。ベテランはすごいですね。
 舞の海さんは、「ラジオを聞いている人にわかるように」と気をつけている事はありますか?
舞の海 特に穴澤さんとお会いしてからは、「こういう風に説明したら想像できるのかな」とか。難しいときもありますけどね。
土俵際でもつれたりしたときに、もう自分のこの乏しい語彙だと説明できない、ってこともあります。
 大体もう一瞬で決まってしまうことの方が多いから、その中で説明や解説するというのはねえ。
穴澤 もともと舞の海さんの解説はわかりやすい。私、本にも書かせていただいたんですけど、舞の海さんは、仕切り線の間が70cmとか、土俵の直径は4m55cmとか、数字を出してくださるんです。これは視覚障碍者的にも、ラジオ的にもすごくありがたいことです。
舞の海 ほう。
穴澤 見えている方でも、そういうのをご存じないですよね、たぶん。
すごく想像もできますし、あれはちょくちょく入れていただいた方が(笑)。
舞の海 わかりました。今日来てよかったです。解説も行き詰っていて・・・(会場笑)。
穴澤 ほかの解説者の方はあんまりおっしゃらないから、舞の海さんの特権じゃないですけど、もう出るたびに言ったほうが(笑)。だって、その日初めてラジオ聞く人もいるわけですから、毎回おっしゃるくらいでもいいかもしれない。

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 ちょっと映画の話に戻して(笑)。
穴澤 あ、すみません!
 舞の海さん、今回ナレーションをやってみた感想などを。
舞の海 もっとたくさん喋るのかなと思ったら、意外と少なかった。ちょっと物足りないかなと思ったんですけど、でも私が主役じゃないので。少し、何かこう味付けになって、お役に立ったならよかった。
監督が鋭くてですね。ちょっと速かったり、言葉がちょっと強かったりすると・・・私は大雑把なのでこれでいいかなと思ってると「もう一回」って(笑)。さっきと今と同じなんじゃないかなと思ってもやっぱり違うんでしょうね(笑)。
監督 何年もやってると(笑)。
舞の海  逃しませんね。
 今日映画をご覧になった皆さんは、舞の海さんのナレーションがすごく聞きやすい、耳にすーっと入ってくるお声だったんじゃないかと。(拍手)
舞の海 ありがとうございます。
 最初は、硬い感じがするんですけど、対談を終えた辺りから声が柔らかい感じに聞こえるんですよね。穴澤さんとの関係が深まった感じに聞こえて、すごく素敵だなぁと思いました。
穴澤 舞の海さん、もともと声がいい。
監督 そうなんですよ。
舞の海 嫌ですけどね、自分の声が。
 たぶん歌もうまいんですよね。
穴澤 と、思います!
舞の海 いやあ~。
 CDとか出されてませんでしたか?
舞の海 いや、まだ。
監督 まだ?(会場笑)期待したい。
穴澤 お手伝いさせていただきます。(拍手)

 ということで穴澤さん、もうそろそろ時間なんですけど。
穴澤 え!もうそんなに時間経っちゃってるんですか!
監督 今日、ヴァイオリンを持たされているということは、演奏をしていただける?
穴澤 あ、まだ準備ができていないんで、もうちょっと舞の海さんにお話しいただいて。
 映画の中に出てきましたけど、耳の聞こえない方が穴澤さんの演奏を(見て)「素晴らしい演奏だ」と言う場面があるんですが、音だけじゃなく演奏している姿が、すごく伝えようとしているエネルギーみたいなのか見えるのかなと思ったんです。
舞の海 私も知ってしまったからか、四角四面に弾いているのではなく、じわ~っとしみ込むような感覚になりますね。
 監督、穴澤さんの色んな曲を場面、場面で使われていますけど?
監督 そうですね・・・
(穴澤さんスタンバイ)あ、もういい?
穴澤 すみません、準備できちゃいました(笑)。
(会場拍手)
穴澤 ありがとうございます。じゃあスポーツ好きの話が出たので、スポーツにちなんだ自作の曲を。映画にも登場しています。2020年の東京オリンピック、パラリンピック(NHK放送)、ユニバーサル特番のときに長く出演させていただいているんですけど、その出演日の最後に「穴澤さん、パラアスリートの皆さんにエールをこめて」と言われて弾いた「伴(とも)に走る」。これは、ブラインドランナーとガイドランナーが一緒に伴走する、その絆を書いた曲です。

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♪「伴(とも)に走る」
(演奏終了後)
 やっぱり生演奏はいいですね。
ではフォトセッションです。映画のためにぜひ宣伝していただいて。
(声かけに応じて会場の皆さんに笑顔を向けるゲスト)

 では最後に、皆さんから一言ずつ。
監督 たくさんおいでいただいてありがとうございました。天気がよくて良かったです。引き続きよろしくお願いします。(拍手)
舞の海 今日はみなさん、ありがとうございました。穴澤さんの考え方で、好きな言葉がありまして「置かれた環境の中でベストを尽くす」という。現役終わって、その気持ちがなくなっておりました。もう一度、穴澤さんの言葉を大切にしながら、私もこれから、死ぬまで暇つぶし(会場笑)をしながら歩いてまいりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
監督 ぜひCDを出してください。(拍手)
穴澤 本日はみなさんありがとうございました。こちら「東京都写真美術館ホール」は11日(日)までの上映で、15日(木)から30日(金)は田端の「シネマ・チュプキ・タバタ」。
7月4日から大阪での上映も決まっております。関西方面にお友達のいらっしゃる方はぜひお伝えいただけたら嬉しいです。私も大阪のほうへ舞台挨拶に行けるかと思います。引き続きよろしくお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)

(写真・まとめ:白石映子)

『教育と愛国』舞台挨拶 5月14日(土) シネ・リーブル池袋

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―大阪から斉加尚代監督と澤田隆三プロデューサーにおいでいただいております。
大きな拍手でお迎えください。(拍手)


斉加 毎日放送の斉加尚代(さいかひさよ)と申します。今日は大切な休日にこうしてご来場下さいましてありがとうございます。昨日、初日を迎えましてとても緊張していたんですが、音楽評論家の湯川れい子さんが駆け付けてくださって、開口一番「空気を読まない女性だからこれが作れたのよね」と言ってくださったんです(笑)。さらに「わきまえない女の連帯だ」。今大阪の教育現場で子どもたちを見つめていて、この教科書をめぐる現状、教師をめぐる現状を伝えなきゃいけない。この違和感を多くの人たちと共有しなきゃいけない。そういう思いにかられて完成させた作品でした。

本作は2017年7月にテレビドキュメンタリー「教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか」という番組を元に追加取材をした作品です。私たちMBSのドキュメンタリーチームは、一人のディレクターが年間3本~4本作り続けているものですから、番組を作った後、すぐ映画にする気持ちにはなかなかなりませんでした。
なぜ映画にしたかというと、新型コロナウィルスが襲ってきて感染拡大するにつれて大阪だけではなく、教育現場の先生方が政治主導によって翻弄され疲弊する、元気を失っていく姿をまのあたりにしたからです。
なんとか教育の独立性を担保することに意識を向けていかなければ、教科書の中身も子どもたちの学ぶ権利も奪ってしまうような方向へ歩み出してしまうのじゃないかと危機感を覚え、なんとかしてこの映画をみなさんにお届けしたいと思いました。
テレビでは視聴者とお会いすることはごく限られています。映画にしたのはこうやってみなさんとお会いしたかったからだと思います。高い壇上からで申し訳ないんですけれども、本作を通じて教育について語り出していただきたいと願っています。

殊にこの映画では、「教科書でこどもたちに戦争をどのように伝えていくか」ということを大きなテーマの一つにしました。この映画がプレス発表されたその日に、ロシア軍がウクライナに侵攻しました。ウクライナでは子どもたちを含めて罪のない人たちが、暮らしと命を奪われるような状況が続いています。本物の、むごい、人々の命を奪ってしまう戦争が起きるとは全く思ってもいませんでした。
今「愛国」という言葉がすごく生々しく目の前に立ち上ってきています。ロシアでは10年ほど前からプーチン大統領の意向を受けて「愛国教育」がなされてきました。それもこの映画を制作してからあらためて知ることになりました。
教育は政治と一定の距離をとらないといけないという普遍的価値は、20世紀におびただしい戦争を重ねて、日本だけでなく世界の人々が手に入れたものじゃないか、とあらためて思います。戦後、教育基本法は「世界の平和を実現する」という理想を掲げて、日本の教育は出発しました。
現場の先生たちはこれまで一生懸命に戦後教育を支えてきたのですが、2006年(教育基本法改定)以降日本の教育がどうも違う方向へ走り出したのかもしれない、という違和感をずっと持ってきました。
具体的にいうと、1990年代の大阪の学校の職員室は子どもを真ん中に置いて、先生たちがつばを飛ばして活発に意見交換をしていたものです。今では職員室は静まりかえって、校長先生が教育委員会から降りてくる伝達をするだけです。自由に議論ができない職員室、自由にモノが言えない先生たち…そんな先生たちの元で子どもたちはこれからどうなってしまうんだろう?私自身何かできることはないか?そんな思いでこの映画を作りました。
湯川さんといろいろお話したこととか、こみあげてきて長くなりましたけれども、今日はほんとにどうもありがとうございました。(拍手)

澤田 映画のプロデューサーをしました澤田といいます。監督の斉加とは大阪の毎日放送の報道情報局、同じ職場にいます。2015年から2年間、毎週1本のレギュラー、ドキュメンタリー番組「映像シリーズ」のプロデューサーをやっていて、斉加がディレクターをしていました。その2年間で斉加が7本作りました。そのうちの1本がこの映画の元になったテレビ版の「教育と愛国」で、サブタイトルが「教科書でいま何が起きているのか」です。その後5年間私は離れたんですが、斉加はそのまま丸7年大阪でドキュメンタリーを作り続けています。このテレビ版をやった後も「バッシング」とか共通するテーマを追いかけて、「今この国で、こういうちょっとおかしなことがある。気持ち悪いことが起きている」という事象を日頃から掘り起こし続けています。
と言っても彼女はイデオロギー的に、安倍政権とか政治的なスタンスで反対して出発しているのでは全くなく、彼女自身が言ってた「こんなおかしなことが、なぜ?」というところから取材活動をしています。観ていただいた映画の冒頭、「道徳」の教材の中で「男の子が街のパン屋さんで、焼き立てのパンを買って帰る」というごく自然ないい話であったものが、誰がそういったのか知らないけれども、パン屋じゃあかんと。なぜかそれが和菓子屋になって。教科書検定の理由では「国や国土を愛する態度が不適切である」と。そこの奇妙さというかおかしさ。笑い話になるような話ですが、それが出発点になっています。
彼女はライフワークとして大阪の教育の取材を続けてきましたので、元々見てきた教育の問題、教科書の検定のあり方、さらには検定後の教科書についてさえ、政治の意向で書き換えが行われていることに気がつきます。言ってみればパンがまんじゅうになったどころか、今やまんじゅうに毒まで入れられてきている。そういう状況を彼女は察知して2021年に追加取材をしてこの作品に至ったと思います。

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私も60になりますけど…テレビがどうもつまらないというのは私たちと同世代の人間、ここに来ていただいている中にも同じように思われている方が多いんじゃないかと思うんですけども。「テレビはつまらない」というのには、まあいろいろな理由があると思います。報道系でいうと「冒険しない」。上というか空気を読んでしまうんですね。「空気を読まないからこういうのが作れるのよね」とはさすが湯川さんで、その通りでありまして。やっぱり空気を読む人がどんどん増えていっている、これはどこの組織でも、社会全体がそうなんでしょうけど。テレビ番組を作っている現場で「あれがダメだろう、これがダメだろう」「こういうことやって、上に怒られたらどうしよう。自分の評価が下がる」とかそうやって会社の中で空気を読んでしまっている気がします。そういうこともあって自局の番組はほとんど見なくて、見るとしたらNHKかBS。NHKがいいとはいいませんけど。他局のドキュメンタリー系は見たりはしますが、バラエティとかは人生の残り時間を考えたら時間の無駄やと思っていますので(笑)、会社には申し訳ないけどほとんど見てないです。
そんな中で人によってはやや嫌われるような番組を続けてこられたのは、ひとえに“斉加という問題意識を持った取材者”がいるかどうかだと思うんですね。私はプロデューサーとして、後ろからちょっと押すだけで。これからは、テレビ局の中でも一人一人がどれだけ今の世の中を見て「これだけはやっぱり視聴者に伝えたい」と。それを「映画にしてさらに観客に伝えたい」と、思いを持ち続ける。そういうのが自分たちに合ってるのかと思います。
今回初めて映画を作らせてもらって、テレビと映画の違いを劇場で感じています。テレビも視聴者からのリアクションを色々といただくんです。感想、お怒りなど最近はメールか、お電話、手紙でお名前も書いてあったりなかったり。
映画の場合はこうして劇場に時間をかけてわざわざ来ていただいて、お金を払って観ていただく。今日は100人以上入っていらっしゃるそうです。高いところからで失礼ではございますが、お顔を拝見できるというのは制作者冥利に尽きます。「なんじゃこの映画は」とか「長い」とかいろいろな思いがあるにせよ、ですね。こうして観ていただいて、批判も含めて、様々な思いを持ってくださる人を目の前にできるというのは、映画ならではの体験であり喜びです。長くなりました。どうも有難うございました。

―テレビ版を見ていない方もけっこういらっしゃると思うので、テレビ版を作られた経緯と、今回映画化するのに、どういうところを追加されたかというお話を少しいただければと思います。

斉加 テレビ版は2017年の7月に放映したんですが、ちょうどその年の3月に道徳教科書の検定内容が発表されて「パン屋さんが和菓子屋さんに書き換えられた」ということを知ったんですね。インターネットの中で「あんパンだったらどうなんだ?伝統と文化の尊重なんじゃないか」、「パン屋さんの怒りは収まらない」という声が聞こえてきました。たとえば戦後学校給食はずっとパンで、子どもたちの需要を満たしてきたんです。文科省ともずっと固い関係のあったパン業界は「なんてことをしてくれるんだ、私たちが愛国心に照らして不適切だというのはどういうことなんだ」と、とっても怒っておられたんです。
一方で学生さんから、「そんなに和菓子が大事だっていうんだったら、給食に和菓子出してくれ」って(笑)。確かに私も給食で和菓子は食べたことなかったなって思ったんです。素朴ないろんな声をインターネットの中で見たり、直接聞いたりする中でちょっとクスッと笑ってしまう出来事なんだけれども、ここに教科書検定制度の問題点が凝縮しているんじゃないかと思いました。
知人の絵本作家さんは、道徳教科書のイラストに、“ザリガニ釣りをしている子どもたち”を描いたら、教科書編集者が真剣な顔で「ザリガニじゃダメなんです(外来種だから)。川エビにしてください」(笑)と言われて、作家さんはすごく困惑したそうです。「川エビ見たことないのに」と思いながら調べて一生懸命描き換えたと聞きました。教科書を制作する現場が国の意向、ときに政治家の顔色をうかがいながらでないと作れない、そんな現場になっているのではないか? 社会の同調圧力とかそういう空気が教科書に象徴されているのではないか?ということで、テレビ番組を制作したんです。
その中でも沖縄県の渡嘉敷村の集団自決(強制集団死)の記述が2006年度の高校日本史の検定で書き換えられ、「軍の関与という部分が消された」というのも私の中では強く印象に残った出来事です。戦争の記述と道徳のパン屋さんのことはまるで違うんですけれども、実は繋がっているということに着目して企画書を書きました。
当時取材してすぐ、「これは!」と思ったのが「学び舎」の中学歴史教科書を採択した私立中学校に200枚300枚というハガキが押し寄せていたということです。「学び舎」の教科書は書店でも手に取って見ることができます。ご興味があればぜひ。
子どもたちから問いが発せられるように、読み物として非常に面白く作られている教科書ですけれども、そこに”反日”というレッテルを貼って抗議ハガキが押し寄せる。その圧力がどのくらいか感じとっていただけたと思うんですけれど、圧力に翻弄される人たち、圧力をかける人たち、その両方を描くことによって、この教育をめぐる現状が映し出せないかと考えました。テレビは視聴率というものが一つの物差しとしてあります。視聴率をとるためには通常、強い、何かものすごく躍動的な映像というのを求めがちなんです。本作を制作するにあたっては、見えない圧力、見えない政治介入をどうすればリアルに感じていただいて、見えるようにできるのか。そこを苦心して制作しました。
映画の企画書を書いたときは、コロナ禍が爆発的に拡がっていて、当社の番組予算も削られたり、スタッフも人員削減されていくような中でなかなか企画が前に進まない時期でした。
そのときに、テレビ版を知ってくださっていた社外の方たちが「なんとしてでも映画にすべきなんだ」と、声をかけてくださいました。社内外の多くの方たちが支援をしてくださって、この映画は完成しました。とても感謝しています。さらに語りを俳優の井浦新さんが引き受けてくださったんですが、それも限られた予算の中で、多分引き受けてもらえないんじゃないかと、恐る恐るお願いしたんですけれど、企画書を読んで「やりましょう」と。今日もインスタグラムに「この映画観てください」とご自身の文章で書いてくださって、移動の車中で拝読して胸がいっぱいになりました。この映画はテレビ版を見てくださった方たちが映画へ押し上げてくださり、今こうして出逢えた皆さんが映画として歩き出すその背中を押してくださるんだと思っています。

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「映画は好かれる権利も嫌われる権利もある」と劇場支配人が仰っているのを耳にして、「嫌いになる権利もある」っていう言葉で私の気持ちは楽になったし、重圧からだいぶ解放されました。
たとえば「愛国」という言葉を考えたときに、自分の中から湧き上がってきて「故郷が好き」とか「この国が好き」という気持ちは否定するものじゃないし、むしろポジティブに受け止める言葉だと思うんです。ところが、上から「国を愛しなさい」と降りてきたときに、「いや、私はこの国嫌いなの。こうこう、こういう理由があるから」と言えない社会は私は嫌だなと思っています。
たとえば家族でも「お父さんお母さん大好き!お爺ちゃんおばあちゃん大好き!」という子どももいれば、いろんな事情で「大好き」と言えない、「嫌いなんだ」って言う子どももいて、そういう子どもも受け入れられる先生、教室、そんな社会のほうが生きやすい、と思うし、子ども一人一人が「自分でいること」を肯定できる社会であってほしいと思っています。
大阪は、在日コリアンルーツの子、中国や他国のルーツの子どもたちがたくさん公立の学校に通って学んでいます。そういう子どもたちにも配慮する教育を先生たちは掲げてきました。みんな違って、それでいいんだと。違うけれどもお互い理解し合おう、という教育をしてきたはずなんです。教科書を広げたときに「この教室にはいろんなルーツの子どもがいるけれども、じゃあ歴史をどう教えよう、と先生が悩んで、真面目な先生ほど苦しむという、そういう事態がすぐそばに来ているということ。私はそれを映画にして伝えなきゃいけないと強く思いました。
すごく長くなりました。大阪の先生たちは頑張っているんです。けれどもその一方ですごく苦悩しています。教育の自由が今崩れかかっている、奪われかかっているという危機感をお持ちです。

―澤田プロデューサー、制作の観点から何かありませんか?

澤田 彼女が取材してきた、撮ってきた映像は番組制作の途中に観るんですが、そのたびに驚きの連続で。学び舎の教科書を使ってる学校に来た菓子箱いっぱいの抗議ハガキ。うわーこんなに来てるんやと、これは絶対とりあげようと。それから日本書籍、私ら年代的にこの教科書だったんですけど、そこが倒産していた!ニュースで見た記憶がなかったので、びっくりしました。理由が慰安婦のことを書いてあったために、東京23区中21区に採択されなくて、あっというまに倒産するという、こんなことが起きてるんや!ということ。どういう完成になるか、そのときは分からなかったけど、「驚くべきことが起きてる」ということで、放送する価値あるなと。
ラッシュという、完成前の1時間以上の繋いだものを観たときはさらにさらに驚きの連続でした。東大の大先生のインタビューとか、学び舎の本を採択した学校に抗議ハガキを送ってた市長のあっけらかんとしたインタビューとか。ナレーションとか入る前のラッシュでそれだけ驚いた。私も何十本とテレビのドキュメンタリーをしてきたんですけど、初めての経験で。
その結果テレビ版はそれなりの評価をいただきました。映画版はさらに追加取材をして、教科書以外の部分も盛り込んでできた作品です。
さきほども申し上げましたが、映画は一人一人の皆さんによって大きく育てられていくものじゃないかなと思っています。今日観ていただいていろいろ感想はあると思いますが、ここは知ってほしいな、よかったなという部分がありましたら、どうかお知り合いの方たちにSNSでも何でも結構ですので、発信して横に繋げていただけたら、作った者の望外の喜びです。北海道から沖縄まで42館(8/1時点で60館)で上映しております。よろしくお願いできればと思います。

―時間ですので販売物の宣伝をさせていただきたいと思います。

澤田 こちら(映画パンフレット)38pもあって分厚くなってしまったんですけれど、こちらにシナリオとナレーション全文、インタビューも載っています。これ見ていただいたら復習になります。私が書いた斉加、彼女の真の姿とか(笑)。暴露はしてない(笑)。

斉加 はい、はい(笑)。
先月「何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から 」というちょっとドキッとするタイトルなんですが、集英社新書から出版されました。久米宏さんも推薦してくださっています。これを読んでいただけたら2015年の「なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち」というドキュメンタリーからこの映画、本作に至るまでの私の取材の舞台裏をご理解いただけると思います。ぜひこの書籍も手に取っていただけたらありがたく存じます。
今日はほんとにどうもありがとうございます!(拍手)

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⻫加 尚代監督インタビューはこちら

『教育と愛国』が公開されて2ヶ月あまり。ロングランを見越して、途中で発表しようと大事に持っていた舞台挨拶の書き起こし記事をお届けします。
すっかり遅くなってしまいましたが、行けなかった皆様にも、当日のお二人の熱量をそのまま受け取っていただけるのではないでしょうか。斉加尚代監督と澤田隆三プロデューサーは、今も熱心に舞台挨拶にトークにと全国へ出かけています。
東京ではキネカ大森、下高井戸シネマで上映中。全国での上映館については公式HPの劇場情報でお確かめくださいませ。
(まとめ・写真:白石映子)