「金曜ロードショーとジブリ展」

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日本テレビ放送網株式会社 杉山美邦氏、スタジオジブリ 鈴木敏夫氏、
特別協賛 KDDI株式会社 竹澤浩氏


6月29日(金)天王洲アイル寺田倉庫にて、内覧会と会見が執り行われました。満員の記者席を前に、お三方がそれぞれにジブリとのなれそめからこれまでの関わりについて、語られました。詳細はまた後日。
(この写真のみ白石撮影)


★開催概要★
■金曜ロードショーとジブリ展 東京展
会期:2023年6月29日(木)~9月24日(日)
会場:東京・天王洲 寺田倉庫 B&C HALL/E HALL
通常チケット:大人 ¥1,800(税込)/中・高校生 ¥1,500(税込)/小学生 ¥1,100(税込)
特典付きチケット:大人 ¥2,700(税込)/中・高校生 ¥2,400(税込)/小学生 ¥2,000(税込)
             ※日時指定予約制、チケットはローチケ、日テレゼロチケで購入できます。
公式サイト: https://kinro-ghibli.com/
お問合せ:ハローダイヤル TEL:050-5541-8600(全日9:00~20:00)
主催:日本テレビ/ローソンチケット/ディスクガレージ/第一通信社/TOKYO FM
特別協賛:au(KDDI株式会社)
特別協力:スタジオジブリ
協賛:寺田倉庫/図書印刷


PART1 “金ローとジブリ“のヒストリーを辿る

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(C)Studio Ghibli

ジブリ作品が日本テレビで初放映されたのは1985年。『風の谷のナウシカ』でした。それ以来200回以上に渡ってジブリ作品を放映してきた足跡を辿ります。作品と同じときに流行していたエンターテイメントの数々。キャラクターグッズやゲーム、CD、書籍なども並んでいます。具体的なものを見てまわると、思い出がより一層鮮やかによみがえってきます。

PART2 ほぼ全作品の絵コンテを展示!

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(C)Studio Ghibli

PART3 初登場!ジブリ映画ポスタースタジオ
階段を上ると、懐かしい作品のポスターがずらりと並んでいます。ポスターの主人公になりきって自分仕様写真を撮影できるスポットが嬉しい。さらに特別協賛のau(KDDI)の協力により提供されたARコンテンツ、アプリ「SATCH X」をダウンロード(無料)し、『借りぐらしのアリエッティ』ポスター付近のARマーカーを読み込むと、アリエッティと同じ目線で巨大な植物と虫たちが溢れる世界をARで体験できます。

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(C)Studio Ghibli

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(C)Studio Ghibli

観るだけでも大迫力の腐海。造形家 竹家隆之氏の手掛けた三次元の世界。平面を立体にするには、想像力と創造力がより必要です。足を踏み入れたとたん思わずうわー!と声が出るか、驚きのあまり声を飲んでしまうかのどちらになるでしょう?目の前にある世界を、隅々までご覧ください。前述のアプリ「SATCH X」をダウンロードしておくと、”あることが起きます”??
どうぞお楽しみに。

■富山展も開催決定!
日程:2023年10月7日(土)~2024年1月28日(日)
会場:富山県美術館
チケット:日時指定、詳細は後日発表
主催:富山県、金曜ロードショーとジブリ展富山展実行委員会(富山県美術館、北日本放送、北日本新聞社)

アルテ・エ・サルーテ演劇「マラー/サド」東京公演

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2022年10月10日 イタリア文化会館

池畑美穂


イタリアのボローニャで活動をしているアルテ・エ・サルーテアソシエーションには、エミリア・ロマーニャ州立ボローニャ地域保健機構精神保健局の利用者が在籍している。
2022年、特定非営利法人東京ソテリアは、文化庁他の助成金を受け、アルテ・エ・サルーテアソシエーション、ボローニャ精神保健局と日伊協同演劇プロジェクト「世界精神保健デー 普及啓発事業 」を実施した。

アルテ・エ・サルーテアソシエーションに所属している”Teatro di Prrosa”(散文劇団)は、ボローニャ市内の劇場を拠点にし、年間2作品ほどの演劇作品を制作、イタリア国内を中心に作品を上演、また、スペイン、中国、日本での海外公演も行なってきた。

今回、日本で上演された『マラー/サド』は、18世紀のフランスのシャラントン精神病院をモチーフにした劇中劇である。

自由と公民権運動を訴え、ルイ16世からの王政を終らせたフランス革命は、市民の革命により、自由、差別のない社会が求められた。今回の上演では、自由に向けての音楽、イタリア側の俳優達の映像、そして、若い世代から熟年世代までの幅広い年齢層の当事者による日本側の俳優達の生の歌と演技が融合していた。

この公演へ向けて、日本人演者達は、オンラインと対面で舞台稽古を継続、公演直前には、イタリア、ボローニャへ赴き、現地で、リハーサルを行なっている。

監督と脚本は、イタリア人監督のナンニ・ガレッラの脚色により上演されている。

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アルテ・エ・サルーテ劇団は、本拠地であるボローニャにあるアレーナ・デル・ソーレ劇場にて、ペーター・ヴァイスのオリジナル台本を脚色した『マラー/サド』の他、シェクスピアの作品、また、2022年は、イタリアの著名な作家であるパゾリーニの生誕100周年を記念し、パゾリーニ原作の作品等、バラエティー豊かな作品を20年以上に渡り、上演をしている。
また、『マラー/サド』の中のシャルロット・コルデー役のように現役の著名な俳優達が客演することもある。

ボローニャでは、精神保健局の事業として、表現活動のプロフェッショナルを養成することを目的にアルテ・エ・サルーテアソシエーションを創立、長い養成期間を経た精神障害当事者達は、プロの俳優として劇場と契約をして活動をしている。

日本においては、2018年に東京ソテリアが、アルテ・エ・サルーテ劇団を招聘し、『マラー/サド』を公演、2019年には、同作品への出演者を決めるオーデションを国内で行い、普段は、ディケアーへ通所したり、障害者雇用で働いている精神障害当事者達が参加した。その中の一部が演劇稽古を継続している。

また、東京ソテリアでは、こころの病をもつ親とその子どもたちへのサポートをおこなっている“こどもソテリア”を利用しているこども達を中心としたこども劇団333を運営している。10月10日は、『マラー/サド』作品をわかりやすく紙芝居仕立てにした読みきかせを劇団の子ども達と一緒に前座としておこなった。
将来の当事者俳優として育成していくこともよいと思われる。
イタリアポロ―ニャでは、当事者でも専門職があり、民間でピアサポーターとしても働くもある。
ほかにもアートサークルなど、イタリアの芸術の街のように、文化と芸術の都で、オペラや、美術館など当事者も多くの楽しみたかがある。

2013年以降、東京ソテリアでは、ボローニャ精神保健サービス視察ツアーを実施し、ボローニャ市を視察している。

2016年からは、2年に及び、東京ソテリアでは、ボローニャ精神保健局、ボローニャにあるエータベータ社会的協同組合と提携し、「日伊精神障害者就労支援プロジェクト」実施した。日本人の当事者達は、1か月交代で、がボローニャに滞在しながら、パスタやお菓子作りを働きながら学んだ。また、余暇の時間には、ボローニャ精神保健局の外出プログラムへも参加した。ボローニャ精神保健局では、利用者の文化的活動が進展的で、ボローニャの劇場での観劇もしている。

障害者権利条約の8月の国連障害者権利委員会のジュネーブの対日監査での勧告では、日本が世界基準から遅れている部分として、強制入院が減少していないこと、社会定期入院入院に数が減らないこと、地域での社会参加や、共生社会、精神保健福祉包括ケアシステムが上手に循環していないことなどがあげられる。

また、制限された権利として、文化面でも美術館やその他の公的施設での障害者手帳の使用する権利や、手帳の申請率も全体の20パーセント程度で、精神障害の当事者の手帳を申請することや、福祉サービスとして他の身体、療育手帳に増して、日本人の偏見や差別意識が強く、手帳の申請も障害者雇用に特化した部分で、割り切って雇用のために3級を取得するだけである。

イタリアでは、強制入院をする場合、二人の医師の判断、市長の承諾、その市長は、48時間以内に裁判所へ通報しないとならない。

この強制期間は、7日間で、延長が必要な場合、同様の手続きが必要となる。ボローニャには、精神保健局が運営する精神科病床を併設した総合病院が4つある。
イタリアでは、精神科の平均入院日数は、10日間で、地域のなかで、治療、生活をしていくことが基盤となっている。 
日本は、平均在院日数が、281日である。

イタリアでは、精神科医であり、“哲学者”の渾名でも呼ばれたフランコ・バザーリアが精神医療改革運動を行い、1978年、イタリアの精神保健法である通称“バザーリア法”が制定された。この法律により、精神病院の新規入院が禁止され、のちにイタリア全土の精神病院は、廃止となった。入院病床は、総合病院の中に設置され、病床は、各病院に15床までと規定されている。この法律を元に各州が地域精神保健サービスを管理、運営している。

ソーシャルファームは、イタリアで始まり、他のヨーロッパ国々へ広がったと言われているが、東京ソテリアは、イタリアや他国との地域精神保健を通した交流から学んだ経験も活かしながら、東京都のソーシャルファーム事業へ応募、そして、正式認証を受け、在日外国人の精神障害を持つ就労困難者を主な対象とした“ソテリアファーム”事業を開始し、新宿区四谷にマフィン、グラノーラ、焼き芋、季節の果物・野菜等を販売する店、そして、キッチンを運営している。ここでは、在日外国人の精神障害当事者、留学生らがスタッフとして、シフト制で働いている。

マフィンを製造するキッチンとお店は、徒歩数分の距離にあり、東京都の最低賃金の支払い、また昇給も見込まれた職場環境の中で、心のケアも職員がサポートしている。

ソテリアファームの店舗は、東京都のソーシャルファーム事業の認証を受けて、2021年に開店したものである。

東京都のソーシャルファーム事業は、令和元年にソーシャルファーム条例が発令され、令和3年の初年度には、28事業、翌年には、12事業が認証を受けた。
認証には、従業員の総数に対し、就労困難者(障害者、引きこもり、生活困窮者、高齢者、矯正施設の出所者、高齢者、ひとり親など)と認められる人を20パーセント以上雇用すること、法人格を有すること、登記や、年度末の決算が条件付けされている。

毎年事前説明会後、秋にエントリーがあり、プレゼンテーションと、審査があり、審査で許可が出ると、事業の開始になる。基本的に、就労困難者の雇用と、社会保険がつく30時間就労を目安に、雇用契約を結ぶ事業所も多い。補助金があり、企業を目指す場合にも、手段の1つだと思われる。

・ソーシャルファ―ムとは・・・就労困難を抱える方が多く、企業の一つの形である。一般的な企業と同様に自立的な経営を行いながら、就労に困難を抱える方が必要なサポートを受け、他の従業員と共に働いている社会的企業のことである。
1970年代にイタリアで誕生した。海外において、ソーシャルファ―ムと呼ばれる社会的企業が多数存在しており、現在では、ドイツ、イギリス、フランスなどにも広がり、ヨーロッパ全体で約10000社、また、韓国にも約3000社存在する。障害者雇用と、就労困難者が、一般労働者と共に仕事をしている。

・アルテ・エ・サルーテ劇団は、ボローニャ精神保健局の利用者である精神障害を持った当事者がプロの俳優として活動する劇団である。ボローニャ精神保健局(州立)保健予算、そして、劇団が契約をしている劇場の予算が活動及び劇団員の収入の資金となっている。表現・芸術分野にて、精神障害者が専門的養成を受け、プロとして就労することを目的に2000年に設立された。


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2022年 世界精神保健デー 普及啓発事業 アルテ・エ・サルーテ「マラー/サド」~世界各地の精神科病院と表現活動をつなげるプロジェクト~
https://soteria.jp/a/5451



『シネマスコーレを解剖する。』公開決起集会 LOFT9 Shibuyaにて

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当日出演した人たちと、プロデューサー、監督などスタッフの方たち

若松孝二監督が1983年に創立した名古屋のミニシアター「シネマスコーレ」。木全純治支配人を追ったメ~テレ(名古屋テレビ放送)ドキュメント「メ~テレドキュメント 復館 ~シネマとコロナ~」を映画化した『シネマスコーレを解剖する。~コロナなんかぶっ飛ばせ~』が2022年7月2日に新宿のK's cinemaで公開されるにあたって、記念のイベント「公開決起集会」が6月10日(金)にロフト9渋谷で行われた。当日は若松孝二監督、シネマスコーレゆかりの映画人がゲストで出演し多いに盛りあがった。シネマスコーレができたきっかけ、若松孝二監督と木全純治支配人の関係、シネマスコーレと新人監督、俳優さんとの関係、インディーズ作品はシネマスコーレからなど多岐に渡って興味深い話が出た。

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木全純治支配人(左)と若松孝二監督 ©︎メ〜テレ

「ミニシアター・シネマスコーレは来年、開館40周年を迎える。今まで幾度も苦境に立たされてきたシネマスコーレだったが、コロナ禍では休業をよぎなくされた。そのコロナ禍のシネマスコーレを追ったドキュメンタリー映画『シネマスコーレを解剖する。』が7月2日よりK's cinema で公開。それに向けて、改めて若松孝二とは、若松プロとは、シネマスコーレとは何かを考えたい。なぜ若松孝二は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』以降、あれほど映画を撮り続けられたのか?」というテーマの元、集まった人たち。若松孝二没後10年、シネマスコーレ開館39年のいま、若松孝二、シネマスコーレゆかりの映画人が集合。始まる前は人がまばらだったが満員になり、さらには追加の椅子も登場した。

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開会のあいさつをする木全純治支配人

映画紹介
シネマジャーナルHP 
作品紹介『シネマスコーレを解剖する。~コロナなんかぶっ飛ばせ~』
『シネマスコーレを解剖する。~コロナなんかぶっ飛ばせ~』HP

第一部「若松プロを解剖する」
登場者
大西信満(俳優)
足立正生(脚本家・監督)
竹藤佳世(映画監督)
木全哲(若松プロ)
木全純治(「シネマスコーレ」支配人)
司会・井上淳一(脚本家・映画監督)

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左から井上淳一さん、竹藤佳世さん、足立正生さん、大西信満さん、木全純治支配人、木全哲さん

最初に若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』のメイキング映像が流されたあと、登壇者が、メイキング映像をめぐって若松孝二監督のこと、撮影中の話から始まった。
撮影中の若松監督の厳しさ、今だったらパワハラで訴えられてもおかしくない「最初から最後まで、コンプライアンスに引っかかるような内容しかない」なんて発言も。若松監督の作品に何回も出演し、一番怒鳴られていただろうという大西さんは「現在であれば、まちがいなく告発していますね」とも語る。メイキングを作った竹藤さんは「旅に出て3日目くらいから、じゃまだ、あっちいけ、帰れ!」ですからねと語る。そして長年、若松監督作品の脚本を担当してきた足立正生さんは「ゴミ箱に破いて捨てた僕が書いた脚本、もう一回書けっていうんだよ」なんて話が出た。
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長年若松監督と仕事をしてきた足立正生さん(脚本家・監督)

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若松監督作品多数に出演した大西信満さん(俳優)

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メイキング映像を撮った竹藤佳世さん(映画監督)

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若松監督付きだった木全哲さん(若松プロ)

そして、若松監督が名古屋にシネマスコーレを作り、木全純治さんに支配人を依頼した時の話。木全さんは若いころ東京池袋にあった文芸坐(現新文芸坐)で働いたあと名古屋に帰っていた。1983年、若松監督が名古屋に映画館を作るにあたって、誰か任せられる人がいないか人づてに聞き、木全さんに電話したという。木全さんは知り合いではなかった若松監督から、突然電話が来て、シネマスコーレの支配人をやらないかと言われ引き受けたといういきさつを話した。シネマスコーレが開館したあとは、毎日売り上げを電話で若松さんに報告。それが約10年続き、そのあとはファックスで1週間ごとの報告になったといっていたけど、それはどなたかの後押しがあってのことだったらしい。それまでは毎日電話だったと話していた。びっくり。その後、社長が木全さんに変わった時の話も。そして2012年に若松監督が交通事故で死去。
今回、若松プロで映画修行をしていた息子の木全哲さんも出演し、こういう場での初めての親子出演となった。息子さんは10代の頃から若松プロで働いていたという。若松プロではなかなか続く人がいなかったようだけど、司会の井上さんは5年近く働いていたそう。今でいうパワハラがすごかったらしい。そして長年若松監督と仕事をしてきた足立さんが「よくもあんなひどいやつと、29年も一緒にやってこられたな。若松監督とは対照的なほんわかした雰囲気の木全さんだからやってこられたんだろう」と愛情こめた言葉。

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木全純治支配人

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若松監督の下で働いていた司会の井上淳一さん(脚本家・映画監督)

第二部「『シネマスコーレを解剖する。』を解剖する」
登壇者
奥田瑛二(俳優)
片岡礼子(俳優)
根矢涼香(俳優)
久保山智夏(俳優)
松浦祐也(俳優)
司会・中村祐太郎(映画監督)

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左から中村祐太郎さん、根矢涼香さん、奥田瑛二さん、片岡礼子さん、根矢涼香さん、松浦祐也さん

なぜシネマスコーレは映画ファンのみならず、あれだけ多くの映画人を引き寄せるのか?シネマスコーレは映画監督ならず、俳優の人たちも多くひきつけられている。なぜシネマスコーレに引き付けられるのかを語った。
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奥田瑛二さん

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片岡礼子さん

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根矢涼香さん

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久保山智夏さん

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松浦祐也さん

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司会・中村祐太郎監督

奥田瑛二さんは「こういう映画は初めてみた。コロナ前の自分とコロナが過ぎたらこれまでの自分とは違う自分を見出すだろう。明日につなげてくれる映画を撮ってくれたなと思う」と語り、片岡さんは「ものすごくパワーをもらいました」、根矢さんは「映画館の名前を言って、支配人や副支配人の顔が浮かぶ映画館はシネマスコーレしかない。唯一無二の存在」と。久保山さんは「スナッククボチカと言って、俳優自身がたこ焼きを売ったり、イベントをやらせてもらえる映画館というのはあまりない」、松浦さんは「地方の映画館もこのコロナ禍で大変な苦労をしていると思います。この映画、地方の劇場を通していろいろなことを考えられると思います」と語った。

『シネマスコーレを解剖する。~コロナなんかぶっ飛ばせ~』スタッフ
村瀬プロデューサー「だんだん世の中尖っていたものがそぎ取られて丸くなっているというのが気持ち悪い。若松さんの声を蘇らせるのなら今しかないだろう、なー菅原と、菅原を巻き込んで、この作品を作りました。木全さんは、若松さんとはキャラが違うんで、最初はどうなるかと思ったんだけど、撮ってきた映像を観ると、木全さんがだんだん若松さんぽく見えてきた」と語り、菅原監督は「映画を通して、今のコロナ禍で息苦しさに立ち向かおうというのが見えてきて、いまだに若松監督の反骨精神が生きていると感じました」と語っていたのが印象的だった。

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村瀬史憲さん

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菅原竜太監督

スタッフ
製作総指揮:村瀬史憲
監督:菅原竜太
音楽監督:村上祐美
撮影:水野孝
編集:本地亜星 田中博昭
音楽:松本恵 
MA:犬飼小波
効果: 河合亮輔 ほか

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シネマジャーナルHP 作品紹介コーナーにアップした、『シネマスコーレを解剖する。~コロナなんかぶっ飛ばせ~』にも書きましたが、私が木全純治さんと知り合ったのは1994年の第三回NAGOYAアジア文化交流祭でした。それ以降1996年に始まった「あいち国際女性映画祭」から名古屋に通っていますが、木全さんは1回目からこの「あいち国際女性映画祭」のディレクターでもあります。そして、大阪アジアン映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭、東京国際映画祭など、各地の映画祭でも、アジアの作品が好きな私は木全さんとよく会います。この映画では、映画祭で観る顔とは違う映画館支配人としての木全さんの姿を見ることができました。

*参照記事 
・シネマジャーナル本誌30号 (1994)
「張暖忻監督に会いに名古屋のアジア文化交流祭に行く」

・シネマジャーナル本誌31号 (1994)
「第三回NAGOYAアジア文化交流祭報告」

・このイベント第一部司会の井上淳一監督には『誰がために憲法はある』の時にインタビューしています。その記事は本誌102号に掲載。また表紙にもなっています。
また、シネマジャーナルHPでも紹介しています。
『誰がために憲法はある』井上淳一監督インタビュー(2019/4/9)

記事まとめ・写真 宮崎暁美

『唐人街探偵 東京MISSION』 公開直前イベント

6月24日(木) アンダーズ東京
     (虎ノ門ヒルズ最上階52階 ルーフトップスタジオ)
登壇者(敬称略):妻夫木聡、鈴木保奈美、浅野忠信、三浦友和

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この作品は、中国の旧正月初日の2月12日に公開されるや、初日に約10.1億元(約164億円)の興行収入を記録。その歴史的・超ヒット作『唐人街探偵 東京MISSION』(原題:唐人街探案3)が、日本公開される。この作品はシリーズ3作目。1作目『唐人街探案』の舞台はタイ・バンコク、2作目『唐人街探案2』はニューヨーク。そして大ヒットシリーズ3作目の舞台は日本・東京。
中国の探偵コンビを演じるワン・バオチャンとリウ・ハオランに加え、妻夫木聡演じる日本の探偵、タイの探偵役トニー・ジャーも加わりヤクザ絡みの密室殺人事件解決のミッションに挑む。妻夫木聡は『唐人街探案2』の最後に出演。他にも中国で人気のある日本人俳優が出演している。

『唐人街探偵 東京MISSION』情報
出演:王宝強(ワン・バオチャン)、劉昊然(リウ・ハオラン)、妻夫木聡、トニー・ジャー、長澤まさみ、染谷将太、鈴木保奈美、奥田瑛二、浅野忠信、シャン・ユーシェン、三浦友和、劉徳華(アンディ・ラウ)
監督・脚本:陳思誠(チェン・スーチェン)
供:Open Culture Entertainment アスミック・エース 
配給:アスミック・エース

『唐人街探偵 東京MISSION』作品紹介 シネマジャーナルHP
『唐人街探偵 東京MISSION』公式HP

『唐人街探偵 東京MISSION』 公開直前イベント

7月9日(金)全国公開の中国映画『唐人街探偵 東京MISSION』(原題:唐人街探案3)公開直前イベントが、6月24日に開催され、事件解決率世界第3位の日本人探偵・野田昊役の妻夫木聡、双子の妹で検事の川村芳子役と、姉で裁判官の川村晴子役を一人二役で演じた鈴木保奈美、事件解決率100%のエリート警視正・田中直己役の浅野忠信、密室殺人事件の解決を野田に依頼するヤクザの組長・渡辺勝役の三浦友和が出席した。大がかりな日本ロケが敢行された撮影秘話が語られ、貴重な撮影話を聞くことができました。

完成した作品について

妻夫木聡「撮影は2年ほど前に実施。コロナで公開はだいぶ遅れてしまいましたが、日本が舞台なので、日本で公開されるのは心からうれしいです。完成した作品は、テンポ感も素晴らしく、こんなに日本で遊んでくれたのかと思うくらいに暴れまくってくれました」と語り、「中国語のセリフがいっぱいなんだろうなと思っていたんですが、台本を見たら翻訳機を付けててあんまりしゃべってないじゃんと拍子抜けしました。『唐人街探案2』が終わってからずっと中国語の勉強をしていたので、監督に言って日本語のセリフを中国語に変えたりしてもらいました」と、日中ハーフという役どころを示すエピソードを。

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鈴木保奈美「楽しい映画なので、日本の皆さんに観てもらえることになって、とてもうれしく思っています。最初、話をもらった時、『唐人街探案2』のニューヨーク編を観て、なんて面白いものを作っているんだろうと思い、これを東京で撮ったらどんな面白くしてくれるんだろうと楽しみにしていまして、非常にカラフルで、スピーディーで、結構ハチャメチャなんだけれど、何も考えずに笑って楽しめる作品だなと思いました。皆さんの熱演も素敵です。妻夫木さん始め、長澤さん、染谷君など、みんな怪演という感じで皆さんとてもステキでした」と微笑みながら語った。

浅野忠信「撮影も面白かったですが、出来上がった作品も腹を抱えて笑ったし、小さい頃に観たジャッキー・チェンの映画を思い出す懐かしさもありました。そんな映画に出られるのはめちゃくちゃうれしかったですね。だけど何で僕は悪者なんだろうと思いました」と苦笑い。

三浦友和「いろいろな言葉の違いがあって最初は大変だったんですが、慣れてくると映画を作るということに向かっていけるようになりました。詳しくは知らないですけど、日本の大作の10倍くらいの製作費をかけているわけですが、こういう感じは日本では撮れないと思いました。笑いのツボがちょっと日本とは違うかなというところもあったのですが、まあ楽しめるかなという作品になっています」

アジアの総力を結集して作られた壮大な物語ですが、撮影の中で驚いたできごとは? という質問に対して

妻夫木「見たことのない機材が多かったですね。最初の空港のシーンとか1週間くらい撮影していたのですが、プログラミングして撮っていて、ああ、人間がもう動かさないんだということがあったり、1千万円くらいかかるドローンを使用したり、どうしても渋谷交差点のシーンを入れたいんだということで、セットも1億円以上をかけて作っています。映画の為ならば何でもやるぞ!という気概を感じました」と高いクオリティ作りに感心しました」

鈴木「中国側のスタッフの皆さんが若くて才能のある、仕事ができる方ばかりでした。ほんとうに真面目に熱心に仕事をしていました。通訳さんもたくさんいて、私たちのことを尊重し、親切に丁寧に接してくれて感動しました。皆さんタイトなスケジュールで大変だったと思いますが、とても気持ちよく撮影できました。しかも皆さん日本のことが大好きで、個人、個人で仲良くなりたいと思える人たちでした。今、この場に中国側のスタッフがいないことが不思議なくらいです」

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浅野「監督のパワーがすごかったです。元々俳優をされていたみたいで、説明もうまくて、ちょっとしたニュアンスも見逃さなくて、力がみなぎってました。監督がやったほうが早いんじゃないかってくらい演出を含めてとてもわかりやすく、その熱量に僕も火が付きました」
*婁燁(ロウ・イエ)監督の『スプリング・フィーバー』に出演するなど、元々は俳優として活躍をしていた。

妻夫木「言われることもありましたが、監督の演出は言葉で説明するのではなく自分でまず演じてみて、こういう風にやってというんです。俺がやるより全然上手で、誰よりもわかっている監督がやるので、そこを目指してやらないといけないというプレッシャーもありました」

三浦「やっぱり監督のパワーに驚きました。監督の立ち位置も違うし、実際にものすごく才能もある人でした。この中で銭湯のシーンがあるんですが、日本じゃありえないことが出てきて『日本じゃ絶対ありえない』と抗議したのですが認められず、映画ができあがってみると、こういうふうな映画なんだからまあ成立はするかなと、良しとしています」

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印象的だったシーンとか撮影事項

妻夫木「やっぱり、また秋葉原で人気アニメ『聖闘士星矢』のコスプレ姿を披露するシーンですかね。プライベートでは絶対にすることはない、完璧なコスプレでした(笑)。あそこまで堂々とコスプレ姿で歩けたのはこの映画だからこそですね。秋葉原もあまり行ったことがなくてどんな街かわからなかったけれど、想像以上に訪れる人々を楽しませる街。役を通じて秋葉原を楽しませてもらいました」

鈴木「私は出ていないのですが、空港のシーン。名古屋のビルで撮ったのですが、すごい大がかりな撮影で、機材もすごく、またスピーディなアクション。監督がこだわっていて、もう一回、もう一回と言って、またやるの? これは大変だなと思いました」

司会「あの冒頭のシーンはどうやって撮られたのか、観た方きっと気になると思うんですよね。とてもスピーディですし、ハートダッシュがすごいんだけど、そこについていくのが楽しいと思えるように撮っていて、失敗は許されないようなそんなシーンでしたよね」

妻夫木「さすがにひとつのカットでずっと追いかけていって、一発で撮るのは難しいので、何カットも撮っていますが、上手につないでいますね。シーンを追いかけていますが、観てくださった方はわかると思いますが、1,5倍速くらいしているんじゃないかと思うくらい、皆さんアクションがめちゃくちゃ速いんですよ。昔の中国映画そうだったよねって思うくらいスピーディで、恐れを知らないアクションなんですよね。それくらい熱量たっぷりに仕上がっていますね」

浅野「浜離宮ですね。僕は初めて行ったので、日本にこんな綺麗なところあったんだというくらいびっくりしました」

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作品にちなみ「探偵に解決して欲しいことは?」という質問に対して

妻夫木「笑い話にしてはいけないけれど、コロナを解決してほしい!それが今一番思うこと」「もう少し映画に寄り添うとしたら、どうやったら宣伝を介して映画がヒットするのか、その方程式みたいのをみつけて解決してほしいです」

鈴木「今日のために履こうと思っていたお気に入りの黒いスカートが行方不明。探してほしい(笑)。かなり長い間探していて、こんなことしてちゃいかんと思って、別の洋服に着替えて来ました」と会場を沸かせた。

浅野「10代の頃に探偵に依頼したことがあるんです。おじいちゃんがアメリカ人で、ちょっとした情報しかなくて、会ってみたくて、それで探偵の会社に電話したら断られました」

司会「その後、他でみつけてくれましたね。まさか探偵に依頼していたとは思いませんでした(笑)」

三浦:しゃれになるものが思いつくかなくてと言って「おかしいと思っているのは、何でずっとオリンピックをやろうと思っているのかな」と東京オリンピック開催に疑問を呈し、「理由を話してくれない。理由も教えてくれないのは、何故なんだ? これを何とかして欲しい」とコロナ禍でのオリンピックに皮肉を。

司会「最後に、この映画を楽しみに待ってくれている方に向けて妻夫木さんからお願いします」

妻夫木「僕自身この作品を観終わってから、日本人である自分でさえも<こんな日本があるんだな>というような知らない日本が出てきて、新しい発見がありました。それは海外から見た日本という姿で、少し誇張された部分もあるんですが、そういう部分さえも笑わせてくれる熱量で皆さん今回の作品に挑んでいます。最後ホロリとさせてくれるところもあったりしますが、映画館がまるで遊園地になったかのような感覚にとらわれるくらいエンターテインメントな作品になっています。ぜひこの作品は劇場の大きな画面で観てほしい」と日本公開に期待を込めてまとめ、公開直前イベントは終了しました。
取材・写真 宮崎暁美


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イベント会場を出た東京タワーの見えるテラスで 公式写真より 

TBSドキュメンタリー映画祭 先行特別上映会&トークイベント [香港、沖縄、今と未来へ/香港2019×生きろ 島田叡]

日下部正樹監督×佐古忠彦監督「TBSドキュメンタリー映画祭」
先行特別上映会&トークイベント


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倉田徹・立教大学教授、日下部正樹監督、佐古忠彦監督、伯川星矢さん


2021年3月18日(木)より21日(日)まで「TBSドキュメンタリー映画祭」がユーロライブで開催されています。それに先立ち、3月15日(月)東京・渋谷LOFT9 Shibuyaで、民主主義が揺らぐいま注目される「香港、沖縄、今と未来へ」として『香港2019—あの時、何があったのか―』と『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』というテーマで先行上映とトークショーが行われ、日下部正樹監督、佐古忠彦監督、トークゲストが登壇し、映画の見どころについて話しました。

■トークゲスト
 日下部正樹監督(『香港2019—あの時、何があったのか―』/「報道特集」キャスター)
 佐古忠彦(『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』監督)
■ゲストスピーカー:倉田徹(立教大学教授)、フリーライター 伯川星矢(香港出身) 
■司会:皆川玲奈(TBSアナウンサー)

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・シネマジャーナルHP TBSドキュメンタリー映画祭情報
・TBSドキュメンタリー映画祭 公式HP
・『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』公式HP
 2021年3月20日 ユーロスペースほか全国順次公開
 2021年3月6日 沖縄桜坂劇場にて先行公開

当日はまず『香港2019—あの時、何があったのか―』 特別編集版上映後(10分程度)、日下部正樹監督、香港問題に詳しいゲスト倉田徹・立教大学教授、フリーライター伯川星矢さん(香港生まれ香港育ち)によるトークイベント。
後半は『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』『米軍アメリカが最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』2部作で戦後沖縄史に切り込み、最新作『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』が話題の佐古忠彦監督と、日下部正樹監督によるトークが行われた。司会は皆川玲奈さん(TBSアナウンサー)。

トーク前半

『香港2019—あの時、何があったのか―』

2014年に起きた民主化要求デモ「雨傘運動」、2019年の逃亡犯条例修正に端を発するデモ、2020年「香港国家安全維持法」が施行され民主化活動家とされた人々に実刑判決が下され、1997年の英国から中国への香港返還の時に約束されていた1国2制度が反故にされ、高度な自治が脅かされる香港で何が起きているのか…。

日下部監督はオレンジ色のジャンパーで登場し、「このジャンパーは、今、拘束されているジミー・ライ(黎智英)さんにもらったものです。ジミー・ライさんが1995年にアップルデイリー(蘋果日報)を創刊した時、私はちょうど香港支局にいて、ジミーさんにインタビューに行き、それいいですね。余っていたら売ってくださいと頼んだら、もう余っているのはないよ。私が着ているのをあげるよと言われ、ジミーさんが着ているのをいただいたものです。ジミーさんが収監されている今、とても意味をもつようになってしまい悲しい思いです」と意外な縁を最初に語った。
 
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日下部正樹監督:映画は、2019年報道特集でオンエアしたものをまとめたもので、ディレクターの努力のたわものです。日々の香港ニュースは衝突シーンとか、そういうのが主体ですが、その裏にはもっといろいろな事情やいきさつがあって、本編ではさらに深く紹介しています。
なぜこういう長い映画を作ろうと思ったかというと、日々の香港ニュースという形だと衝突シーンとかが主体になってしまい、それだけ観ていたら若者たちは暴徒としかみえないけど、長い映像になれば歌が生まれたりとかいろいろなシーンがあり、深く掘り下げています。理工大学の占拠のシーンなどは警察と真正面から対峙するというようなシーンもありました。結果的には警察にかなうわけがない。でも、そのすぐ後の2019年11月の区議会選挙では、これまでの香港では考えられないような70%の投票率で、民主化を掲げる人たちが80%を占め圧勝するわけです。これまでの香港では考えられないような数字です。これでいくらなんでも香港政府も中国共産党も耳傾けるだろうなと思ったのが2019年だったわけです。
これでいい方向に向かうのではないかなと思ったのですが、まずコロナで抗議活動が抑え込まれます。そして2020年6月に国家安全維持法の導入があり、ジミー・ライさんや周庭さんなどが逮捕されてしまった。これまで香港には高度な自治が認められていたのに、今年に入って全国人民代表者会議で香港の選挙制度が変えられてしまい、愛国人が香港を治めるという言い方で、香港の高度な自治が変わってしまった。香港にあった自由の質が変わってしまった。価値観が変わっていくのを感じていると危機感を語った。私の駐在時代、人生で一番楽しかった。自由というよりは、あそこは国家というのを意識しないで済む土地だった。昔のカイタック空港(啓徳空港)は、あんな狭い空港で分刻みで飛行機の発着があり、活気に満ちた街だった。
タイやミャンマーのデモ活動を見ると香港の若者たちの行動の影響を強く感じる。2014年の行動は「雨傘運動」と呼ばれているが、2019年の行動には名前がない。2019年からの抗議活動はまだ終わっていないのでまだ名前がついていない。今はまだ光が見えないけど、これからも香港を見ていきたい。『香港2019—あの時、何があったのか―』では香港の若者の姿を描いた。これに続く作品を作る時は、また違う世代を主役に描くかもしれないと、日下部監督は次回作への思いを語った。


倉田教授:これはわずか2年前の出来事です。香港研究を20年以上続けてきたけど、この2年で予想もしないような大きな抗議活動が起こりました。そしてコロナ禍、国家安全維持法の施行と、若い人達の命がけの姿を大きな画面で観せていただきました。
これまで香港の区議会選挙というのは生活問題を扱うことがほとんどで、投票率も40%程度。地元の有力者を選びましょうというような形の選挙でした。でも2019年11月の選挙はこれまでとはまったく違う形の選挙になりました。あの時の区議会の選挙は単純に一種のデモなんですよね。民意をを数字でわかる形で出そうと。投票した人が300万人を越え、その中で民主派が200万人を越え、投票所に長い行列を作って投票をするという香港の人々を見て、これこ民主主義を求め、人々が立ち上がった選挙だと思い、これこそ民主化運動だと思いました。と香港にとっての2019年の意味を語った。しかし、2020年6月の国家安全維持法の施行により、政権に歯向かうことや、外国との連携が恣意的に禁止され、抗議活動ができなくなってしまい、さらに先日の全国人民代表者会議では香港の選挙制度を変える決定が推し進められ、国家の安全という言い方で中国政府のお墨付きの人しか選挙に出られないしくみを作ってしまった。中国政府はもともとそういうことを狙っていたかもしれないけど、香港返還以来30年ははっきりとは出してきてなかったから、香港はその中で夢を見てきていたのにそれが全部打ち消され、香港にとって不幸な時代になってきてしまった。逃亡犯条例、国案法、選挙制度の変更と中国という巨大な権力が、今後どうなっていくのか想像もつかない。それを知るためにも香港を注視する必要があると語っていた。

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伯川星矢さん:この特別編のデモの現場の映像を観て、もう2年たったんだという思いと、今の現状を考えるとありえないことが日常になってしまっているという思いがおこりました。本来であれば、自由の都市香港の人たちが街に出てきてデモをしている。そうして今は街に出られなくなってしまった。どうしてこうなってしまったんだろうと、香港人の一人として改めてそう思わざるを得なかった。
2019年の区議会選挙では、私も香港人の一人として投票しに行きました。これまで地元の親中派の人たちに有利だったんですが、2019年の選挙では若い人たちが多く当選し、これまでの選挙を覆しました。そこに希望を感じた瞬間でもありました。その時、警察に封鎖された香港理工大学に新人議員たちが入ろうとしたが入れなかった。しかし若い人たちが香港の民意に答えようと香港全体の議題について考え、動いたのは新しい動きだったと、2019年の区議会選挙のあとの香港について語った。
去年12月に香港に入ったけど静かでした。政治的な影響というより、コロナの影響で店舗がなくなってしまっていた。実家の近くに警察の寮があるけど、そこの塀が高くなっていて、監視カメラも多くなり、電気もこうこうとつけるようになっていました。市民が襲ってくるのを恐れているのかと思いました。
自由を売りにしていた香港が、不自由な場所となって自ら光を消すような場所になってしまうのかと思った。中国のようであって中国でない、国のようであって国ではない。そんな香港の立場がどうなっていくのか。経済都市である香港の価値が下がってしまえば、中国にとってもマイナスだし、香港人としてのアイデンティティも揺れている。
“今日の香港、明日の台湾”といわれているが、香港人は香港の姿を世界に知ってもらうことで、中国式統治はこういう形なんだと示しているのかもしれない。台湾に1国2制度を導入したらこうなると、自分たちの姿を通して暗示しているとも思う。今、希望は見えない。どうなっていくかわからない。でも香港人は賢く生きていけるかも。海外にいる香港人も、各々の活動を通して違う風景をもたらすこともあるかと期待していると語った。

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*参照 
シネマジャーナルHP、香港雨傘運動、香港民主化運動を扱った、作品・監督インタビューなどの記事

・『革命まで』 2015年 香港
山形国際ドキュメンタリー映画祭2015にて
郭達俊(クォック・タッチュン)監督&江瓊珠(コン・キンチュー)監督インタビュー
http://www.cinemajournal.net/special/2016/kakumeimade/index.html

・『乱世備忘 ― 僕らの雨傘運動』 香港/2016年
山形国際ドキュメンタリー映画祭2017にて  
アジア千波万波 小川紳介賞受賞
陳梓桓(チャン・ジーウン)監督インタビュー 
http://www.cinemajournal.net/special/2018/yellowing/index.html

・『乱世備忘-僕らの雨傘運動』立教大学での先行特別試写会に陳梓桓(チャン・ジーウン)監督登壇 2018年07月15日
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/460534957.html

・『乱世備忘 僕らの雨傘運動』 陳梓桓(チャン・ジーウン)監督インタビュー(公開時)2018年07月22日
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/460641864.html

・香港・日本合作ドキュメンタリー映画 「BlueIsland 憂鬱之島」 クラウドファンディング
陳梓桓監督 最新作完成のため
http://cinemajournal.seesaa.net/article/480944683.html


後半

『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』

3月6日(土)沖縄・桜坂劇場の先行公開で、大ヒットスタートだった佐古忠彦監督の最新作『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』の予告編が上映され、佐古忠彦監督と、引き続き日下部監督が登壇し、後半のトークイベントが始まった。
*沖縄の戦後史に取り組んだ『米軍(アメリカ)が最も恐れた男その名は、カメジロー』『米軍アメリカが最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』の2部作を作った佐古忠彦監督の最新作が『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』

「住民側から戦争を描いた作品は数多くあるが、『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』は権力側の人間から見た戦争を描いている。

日下部監督の賛否両論あるけどという問いかけからトークは始まった。

佐古忠彦監督:内地、本土から行政官として戦前、戦中最後の沖縄県知事として権力側の人間として批判される立場ではあるけど、権力側にいた人間も個人としての姿、人間の姿があるはず。どういう立場でもって何をなした人なのか。昔話かもしれないけど、今日的なテーマも含まれている。
そして現代にも通じる“リーダー論“というテーマもあるんだろうなと思います。官僚はいかにあるべきかという視点もあります。
主人公の島田叡は写真数点が残るのみで、本作で使用されている映像資料は全てアメリカが撮影した資料(1フィート運動によって集められた)。数点の写真しか残されていない中で、どう島田叡という人物を描き出すか。それが自分の挑戦だと思った。沖縄戦の経過は陸軍や海軍の電文などによって戦況がわかるように描いている。今回牛島司令官が島田知事にあてた手紙の写しなども出てきます。そういうところに歴史の謎を解く鍵が含まれています。歴史の評価というのも描いています。住民にとっての戦争も描いていますが、官僚から描いたというのは珍しいと思います。摩文仁の丘の慰霊の塔に、この島田叡さんの名前も彫られています。あの戦争直後の日本軍や日本政府に対する沖縄の人達の感情からすると、ここに厳しい目を向けられるべき本土の人間なのに(内務省から指令を受けて沖縄を統治する県知事として沖縄に来た)、ここに名前が残されているということにどんな意味があるかに着目。島田叡という人は軍の権力の前で抗っていたということだと思います。
沖縄の人たちは戦場になり右往左往させられたわけだし、生きるということ。命と向きあった人たちの物語ともなっています。迷い苦しみ、なんのために生きるのか。現代にも通じる命の大切さを伝えたい。22人の方の証言を入れているのですが、その中の一人が少年兵として沖縄戦を戦った元沖縄県知事の大田昌秀さんです。軍と県の関係で悩んだ島田さんですが、大田さんも時を越えて、その問題に苦しんだと思います。
沖縄戦というのは、問い返すべきものがたくさんある。命に向き合った人々の話は、必ずや皆さんの心の中に何かを残してくれると思います。多くの人にご覧いただきたいと思っていますと佐古監督が本作にかける思いを語り、会場は大きな拍手に包まれた。

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日下部監督:沖縄と香港、台湾、朝鮮は境遇が似ている。同じ国の中にいるけど、自分たちとは違うという意味で近いところがあると思う。またそういう意味で戦前戦中に体制の側にいた人については厳しいまなざしを持たないといけないけど、体制側の人間と決めつけてしまうと見えなくなってしまこともある。行政官の中には、内地でがんじがらめだったので、台湾や満州などでは自分の行政官としての理想を追っていた人も数少ないけどいた。こういう人もいると紹介すると、日本は植民地でいいこともしたじゃないかと言う人に利用されるのは怖いけど、でもそういう事実も提示していかないとと思います。
沖縄の人たちに対して私たちはどれだけの重荷を負わせてしまっているか。沖縄の地上戦というけど、あれも軍の判断ミスですよ。軍はフィリピンの次は台湾だと、軍の資材を沖縄から台湾に移してしまって、それで沖縄の悲惨な地上戦になってしまったわけですから。そして多くの沖縄の人たちが犠牲になったその責任は誰も取っていない。歴史を知るには様々な視点から見ることが大切と示してくれるような作品と語った。

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 TBSドキュメンタリー映画祭は、3月18日から4日間、渋谷のユーロライブで行われ、『香港2019—あの時、何があったのか―』は21日に、『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』は18日に上映されます。また20日からユーロスペースで公開されています。

・シネマジャーナルHP 特別記事
『米軍アメリカが最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』
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