『英国総督 最後の家』インド人学校での特別授業 

~祖国の分離独立の歴史を背景にした宗教の違いを越えた恋物語に沸く~
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1947年2月、英国統治からの独立前夜のインド。
大英帝国総督官邸に着任した最後の総督マウントバッテン卿一家。
総督秘書官のヒンドゥー教徒のジートと、総督令嬢の世話係のイスラーム教徒の女性アーリアの恋の物語が、独立後のインドを巡る政治家たちの駆け引きを背景にダイナミックに描かれた『英国総督 最後の家』。
作品紹介:http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/460910410.html

インド独立70年を迎えた2017年に製作され、インド独立記念日(8月15日)に併せ、8月11日(土・祝)より日本公開となる本作の公開を前に、7月12日(木)、西大島にあるインドのインターナショナルスクール「India International School in Japan」で、在校生徒を対象に母国の重要な歴史的転換期を認識してもらう目的で、特別授業が開かれました。

小学生から高校生までの年齢の生徒1200人が学ぶインド人学校。
午前中の低学年を対象にした上映会では、おしゃべりする生徒たちが多かったそうで、映画はちょっと難しかったのかもしれません。
私たちは、午後の14歳~18歳の生徒たちを対象にした特別授業を取材。
映画のどんな場面に反応するのかも知りたくて、1時20分からの上映会から参加しました。
(私自身は、試写で観ていましたので、今回は2度目)
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35度はありそうな暑い真昼間、冷房のない体育館での上映会でしたが、生徒たちは静かに映画に見入っていました。

その生徒たちが初めて笑ったのは、マウントバッテン卿の夫人が官邸の台所に行き、料理人たちに「いろいろな信仰の人にあわせたインドの料理を作ってくださいね」とお願いしたのに対し、料理人の一人がヒンディー語で「せっかく洋食を習ったのに」とぼやいた時のことでした。
(私にはわからない、ちぇっ! といったニュアンスだったのかも)

官邸の所有物もインド80%、パキスタン20%できっちり分けることになり、台所でナイフやフォークを数える場面でも笑いがおきました。

そして、どっとどよめいたのが、ジートとアーリアの初キスの場面。
離れ離れになった二人が駆け寄って抱きつく場面でも、「ヒュー! ヒュー!」と掛け声を上げて拍手。
(実は、この場面、初めて観たときに、アーリアはイスラーム教徒だし、あの時代にこの場面は許されるのかなと思ったのですが、あの時代だからこそ「有り」なのですね。)

インド独立で国旗がはためいたときには、もちろん大きな拍手。
最後まで、おしゃべりすることもなく、皆、真剣に映画に見入っていたのが印象的でした。


◆特別授業
上映後、大妻女子大学、淑徳大学兼任講師でインド史を教えている関口真理さんを講師に特別授業が開かれました。
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インドの伝統衣装サリー姿で関口先生が登壇すると、皆、大きな拍手で迎えました。

関口先生: 英語? ヒンディー? どちらでお話しましょう?
(冒頭、男性のインド人の先生が英語で挨拶していたので、どうやらここでは英語が公用語のよう。この後、関口先生は英語で授業)

◆この映画のこと、分離独立のこと
関口:私は日本人です。インドとのハーフでもなくて、夫がインド人でもありません。
映画はいかがでしたか?

生徒たち:Great! (大きな拍手)

関口:歴史的なことを背景にしていて、インドにとっても、世界にとっても重要な話でしたね。この映画の中の歴史的なストーリーは、恐らく皆さん知っていると思います。皆さんどう?

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生徒:マウントバッテンの奥様の働きぶりがよかった。
生徒:独立に携わった重要な人物たちの動きを知ることができてよかった。

関口:デリーの元総督邸、今は大統領官邸ですが、行ったことのある人?

(数人の手があがる)

生徒:休暇のときに、家族と行きました。

関口:映画の中で特に印象的だった場面は?

生徒:ラブストーリーがよかった。総督の奥様がよかった。
(総督の奥様、かなり評価が高いです。実は、私は映画を初めて観たときに、奥様の働きについて、特に印象に残ってなかったのでした)

関口:分離独立の時に、とても困難な状況がありましたが、皆さん自身のおじいさんたちや家族から話を聞いたことはありますか?
パキスタンやバングラデシュの方から移住してきた先祖のいる方は?
(ほとんど手があがらない) ここにはいないようですね。
映画を観て、これを機会に家族に聞いてみてくださいね。分離独立の時の話はとても重要です。勉強してみてくださいね。次の世代にも語り継いでいく必要があると思います。

◆好きなインド映画は? 俳優は?

関口:この映画以外のこともお話しましょう。インド出身の家族と日本に住んでどんなことを考えているかなど聞いてみたいです。 ボリウッド映画はどうやって観ていますか?

生徒: インターネット!
生徒:日本の映画館!
生徒:『バーフバリ』を映画館で観ました。

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関口:好きなスターは?

生徒:シャー・ルク・カーン!  (何人もが同意の拍手。私も拍手♪)
『ヴィールとザーラ』が一番好き。

生徒:僕は、『Chak De India』が好き。
(2007年 インドの女子ホッケーチームの話。東京国際映画祭で上映されました)

生徒:僕は、アジャイ・デーヴガンが好き。独立のために闘った話が好きです。
(タイトルは聞き取れませんでした)

生徒:僕はアーミル・カーンの『Rang De Basanti』

男の子たちから次々に好きな俳優の名前があがりましたが、女の子たちは恥ずかしかったのか、手があがりませんでした。

関口:日本の文化はいかがですか?
日本でもインドのお祭り「ディワリ in 東京」を開催していますが、参加したことはありますか?
(少し手があがる)

生徒:江戸川区のクリケットチームに参加してます。

関口:逆に私に質問をどうぞ!

生徒:なぜインドの歴史を学ぼうと思ったのですか?
関口:ビートルズの歌を聴いて、ジョージ・ハリスンがラヴィ・シャンカールを師としていると知ってインドに興味を持ちました。でも、ネパールの村にいる日本の医師のことを知り、最初にネパールのことを学びました。

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皆さんも日本にいるので、将来、日本とインドのためにどんなことが将来できるか考えてくださいね。

授業の最後に生徒さんたちと一緒に記念写真

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取材:宮崎暁美(写真) 景山咲子(写真・文)

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★取材を終えて★
会場に一人だけ、スカーフを被った女の子がいて、ムスリマに違いないと、「アッサラーム アレイコム」と声をかけました。
出身地を聞いたら、南インドのケーララでした。
ケーララといえば、イスラーム映画祭3で上映された『アブ、アダムの息子』の舞台で、サリーム・アフマド監督が「私たちはアラビア語の単語も結構使います」と言っていたのを思い出し、聞いてみたら、やはりアラビア語の単語は使うとのことでした。
学校にイスラーム教徒はそれほど多くはないけれどいるとのこと。彼女のクラスの半分はネパール出身と聞いて、ちょっと意外でした。
校庭で声をかけてきてくれた女の子二人も、一人はバングラデシュ、もう一人はパキスタン出身でした。
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学校の入口には日の丸とインドの国旗が飾られていますが、まさに、分離独立前のインドの各地の出身の子どもたちがこの学校に通っていることがわかりました。
それぞれに複雑な思いで『英国総督 最後の家』を観たのではないでしょうか。
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学校の壁には、生徒たちの作品が飾られていました。どこかエキゾチック。

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駅に向かう途中で、遅いランチ。やっぱり今日はインド料理よねと!

最後になりましたが、このような素敵な企画を立ててくださった配給や宣伝の担当者の方たちに感謝です。そして、暑い会場で、できるだけ涼しい場所を探してくださったり、冷たいお水のボトルをくださったりしたことにも! ほんとうにありがとうございました。(咲)



最近、歴史に残すエピソード映画がいくつも公開されていますが、この作品もインド独立前後の話を知ることができる話でした。それを日本在住のインド系の学生が見るという企画があり、その取材とのことでとても興味を持ち、Kさんと二人参加させてもらいました。日本にインド系の生徒を集めた学校があるということ自体知らなかったし、小学生から高校生まで1200名もの生徒が通うということにびっくり。なにより、江東区の大島地区にこんなにもインド系の人々がいて、駅のそばにはインド・ネパールなどの料理店もたくさんあり、このあたりがいつのまにインドタウンになったんだろうと思いました。大久保、新大久保あたりが中華系、コリア系の人が集まるタウンになったと思ったのが20年くらい前だったから、やはりこの町もそういう歴史があったんだろうなと思いました。
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学校の体育館に行ったらものすごく暑くて、冷房慣れしてしまっている身には、この2,3時間がとても大変でしたが、配給、宣伝の方が風の通るところに案内してくれました。風がとてもありがたかったです。そして、昔はこの暑い中で運動をしていたのだなと、かつての自分のことを思い出しました。生徒たちは、たまにおしゃべりする子たちもいましたが、それでもしっかり画面を見ていました。やはり自分の国の歴史にかかわる話だったからでしょう。家族から聞いている人もいるかもしれないけど、日本だって戦争のころの話を聞いていない子供たちがほとんどになっている時代。きっとインドも同じでしょう。自分たちの国がこのようなことを経て、独立したということを知るのはとても大事なことだと思いました。でもあとのQ&Aタイムでは意外にシャイな子供たちでした。あまりインドの映画、見慣れていないのかもしれません。それにしても、インド系の学生が1200名も通う学校が江東区にあるとは全然知りませんでした。また新しいことを知りました。映画も、再度観ないと、けっこう難しかったです。(暁)



『乱世備忘-僕らの雨傘運動』立教大学での先行特別試写会に陳梓桓(チャン・ジーウン)監督登壇

2018年6月11日(月)17:00~20:30
立教大学 池袋キャンパス 5号館1階 5121教室

映画『乱世備忘-僕らの雨傘運動』は、陳梓桓監督(当時27歳)自らが、雨傘運動(2014年9月に香港の高校生・大学生が中心となり「真の普通選挙」を求めて行われた運動)で出会った香港の普通の若者たちと行動を共にした79日間の記録。
本作を通して「香港」そして「アジア」の未来について考える機会にしたいと、立教大学で特別試写会が開催され、上映後、来日中の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督による講演と質疑応答が行われた。


『乱世備忘 僕らの雨傘運動』 原題:亂世備忘(Yellowing)
★2018年7月14日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
監督 陳梓桓(チャン・ジーウン)
音楽 何子洋(ジャックラム・ホ)
制作 影意志(雨傘運動映像ワークショップ)
配給 太秦
監修 倉田徹
2016|香港|カラー|DCP|5.1ch|128分
公式サイト:www.amagasa2018.com
シネジャ作品紹介 http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/460532836.html

陳 梓桓氏
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映画監督、香港城市大学政策、行政学科を卒業した後、香港バプテスト大学で映画、テレビ及びデジタルメディア学科修士課程修了。ジョニー・トー監督主宰の新人監督発掘コンペティション「鮮浪潮」にて賞を獲得。『乱世備忘—僕らの雨傘運動』は長編デビュー作。2016年、台湾金馬奨ドキュメンタリー映画部門にノミネートされた。


◆陳梓桓監督トーク

聞き手:倉田徹氏(立教大学法学部教授・アジア地域研究所長)

倉田:ようこそお越しくださいました。

監督:ありがとうございます。大勢の方にいらしていただきまして嬉しいです。

*偶然前線に立ったことから記録映画が出来た
倉田:雨傘運動の映画を作るのは難しかったと思います。もともとあの運動は計画とは違ったものだったと思います。最初は静かに座り込みしていましたが、その後、警察と衝突し、催涙弾が使われて、結局あのような運動になりました。元々シナリオのない映画で、まったく予想できない状況の中で撮られたのだと思います。そもそも陳さんは現場に映画を撮ろうと思って行ったのか、デモの参加者としていらしたのか、どちらだったのでしょうか?

監督:デモ参加者として現場に行きました。映画を撮らなくても行きました。何が起こるのかわからない状況で行きましたので、何が撮れるかもわかっていませんでした。警察に押される感じで、間に挟まれて前線に1時間立つことになりました。

倉田:もともとシナリオのない映画で、たまたまデモの現場で彼らと出会い、映画ができあがったといえますね。

監督:香港で起こっている運動を撮ろうと考えていました。当時、台湾で起こった「ひまわり学生運動」を撮ったドキュメンタリーを台湾で観て、運動を記録した映画は重要だと思いました。

倉田:陳さんご自身の小さいころからのホームビデオの映像も使われていました。監督は現在、31歳。1997年の返還の時は、10歳。政治への関心はどのように育てていらしたのでしょう?

監督:返還のときの記憶はあまりありません。小さすぎて、香港の歴史や、何が起こっているかなど、よくわかっていませんでした。中学に入ってから、天安門事件のことを知り、大学に入って、政治を学びました。大学生の時にデモに参加するようになりました。2010年の高速鉄道に反対するデモが最初でした。それがきっかけで政治への関心が芽生え始めました。映像を撮ることを始めていましたので、デモを撮りました。政治の勉強はしていましたが、政治の仕事には就きたくないと考えていました。上の世代の人たちが、20年かかっても何も実現できていないのを見ていましたから。卒業して仕事に就きたくなくて、大学時代から映画が好きでしたので、その道に進もうと思いました。その後、政治や社会の問題を撮るようになりました。

*庶民の町 旺角(モンコック)と政府機関のある金鐘(アドミラルティ)
倉田:本作は雨傘運動の二つの舞台、旺角(モンコック)と金鐘(アドミラルティ)で撮影されています。モンコックは九龍側にあって、個人商店や露店や風俗店などがある庶民の町。池袋のようなところですね。アドミラルティは香港島にあって、政府の所在地です。それぞれの特徴は?

監督:モンコックは、草の根的、アドミラルティはエリート的、意見も違います。地域的な違いもあります。モンコックは自発的に始まったので積極的です。アドミラルティはステージがあったりして、運動を始めたリーダーたちが多くいました。同じような形で始まったけれど、運動の方向に関して、理解が違ってきました。

倉田:モンコックとアドミラルティ、どちらが好きですか?

監督:モンコックが好き。魅力があります。ヤクザっぽい人、土方っぽい人がいて、普段話さないような人と政治談議できたりしました。

倉田:日本の報道はアドミラルティのリーダーがいて、学生がいてという様子を大きく伝えていたと思います。この映画では、報道では伝わらなかったような、若い人たちが自発的に色々なことを行っている様子が映し出されています。学園祭のような雰囲気も感じました。一方で、監督は警察に殴られてもいます。楽しさと怖さと、色々な思い出があると思います。今、思い起こして、どんな思い出だったでしょう?

監督:一つの形容詞で語るのは難しいと思います。いろんな感情が入り混じっています。最初は希望を持って参加してました。人と出会って楽しい思い出もあります。前線で怖い思いもしました。最後は運動が成功しなくて虚しい思い。4年経って、遠い過去のような気もします。香港や外国でこの映画を観てもらうときには、当時の参加していた精神を思い出して考えてもらいたい。

*タイトルにこめた思い
倉田:タイトルに「備忘」を入れた思いは?

監督:映画の最後にラッキーが話した言葉です。20年経って、自分が警察のような立場になっていたら殴ってくれ。そんな風になってしまうのが怖いから、映画を観て注意してくれと。ドキュメンタリーを撮った時の思いを留めておくことが大切と「備忘」と付けました。社会を変えたいと思った気持ちを留めておきたいです。

倉田:英語のタイトル 『Yellowing』は?

監督:黄色はこの運動を代表する色。運動への思いが続くようにと、ingを付けました。写真は色あせていきますが、運動の記憶も時間が経つにつれて色あせるのではと。過去を忘れないようにという思いを込めています。

倉田:日本の観客へのメッセージをお願いします。

監督:この作品は香港の若者を撮ったものだけど、自分のことに置き換えて観てほしいと思います。台湾で上映した時には、ひまわり学生運動、マレーシアで上映した時には選挙、日本でも観る方が自分のことに引きつけて観ていただければと思います。

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◆会場との Q&A

― (香港出身の立教の男子学生) 日本に来ていて、運動に参加できませんでしたので、監督に感謝します。返還から50年の年には、私も何もできない若者ではないと思います。自分たちがどんな社会運動をしているのかと思います。

監督:運動が起こりうると思います。いつの時代にも若者たちが世の中をより良く変えていこうとすると思います。私たちも、この運動に参加する中で成長しました。香港も中国とのかかわりが増えていく中で、自分たちの理想を失いかねません。学生の運動は学生中心ですが、社会の多くの世代の指示が必要です。ラッキーは、先生になって下の世代を育てている立場です。映画を上映することで、この運動を知らない人に伝えることができます。思いを繋ぐことができます。

― (北京出身の女性) 民主主義のあり方や、中国の政治の在り方を考え直すことができました。雨傘運動には、当時の政治についてはっきりとした目標を持った人もいますが、まわりの雰囲気で参加した人もいるかと思います。社会運動の視点からどう思っていらっしゃいますか?

監督:数万人規模の大きな運動になった場合、はっきりとした目標を持った人も、そうでない人もいると思います。それぞれに参加する理由が違います。民主主義を勝ち取ろうという人、催涙弾を見て、学生を助けたいという人、なんだか楽しそうだからという人もいます。映画の中にも、大学生のレイチェルと中卒の学のない男の子の会話の中で、「人類学って何?」というやりとりがあります。違う人たちが集まって、新しい考えを持つようになることが民主主義に繋がります。

― 大陸で上映される予定はありますか?  DVDになりますか? 

監督:大陸では正式な上映はされていません。大陸の観客に観てほしいと思っています。香港ではDVDを作っているのですが、大陸には出せていません。もしかしたら、ネットで海賊版が出回っていて、大陸の人が観ているかもしれません。


フォトセッション
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◆最後に
倉田;ご来場ありがとうございました。4年前の香港の民主化運動を身近に思い出す機会になったことかと思います。今後も香港に関心を持っていただければと思います。

監督:この映画を日本で正式に公開できるのが非常に嬉しいです。香港では正式に公開できませんでした。ですので、配給できたことに感謝したいと思います。雨傘運動に参加した人たちのことも応援していただければと思います。


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イベントが終了すると、多くの観客が監督に挨拶したいと列を作りました。
私は最前列に座っていたので、運良く3人目でお話することができました。でも最初の二人が中国語で話していたのに、私は広東語で挨拶だけして、あとはつたない英語。「昨年、山形国際ドキュメンタリー映画祭の折に取材をした宮崎暁美が、今、香港に旅行中で、監督にお会いできないのが残念ですと伝えてくださいといわれました」とお話するのが精一杯でした。
会場の外で、新潟から取材に来ていた上塚氏にお会いしました。 1993年に飲茶倶楽部主催の香港電影旅団で知り合った方です。返還目前で香港人気が沸騰し、香港映画も日本で全盛時代を迎えていた頃を懐かしく思い出しました。
もうずいぶん長い間、香港に行ってないのですが、最後に行ったときにも中国の影響を肌で感じました。今や、どんな状態になっているのでしょう。『乱世備忘 僕らの雨傘運動』は、香港の人たちが自分たちの香港を守りたいという思いのずっしり伝わってくる雨傘運動の記録映画でした。日本では今、国を正しい方向に持っていこうと政府に対して発言する元気のある人がどれだけいるでしょう・・・ (景山咲子)




韓国籍を放棄して『ワンダーランド北朝鮮』を撮った女性監督チョ・スンヒョンさんトークイベント

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撮影:宮崎暁美

『ワンダーランド北朝鮮』が6月30日よりシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開されるのを前に、チョ・スンヒョン監督が来日。5月14日夜、講談社の講堂でトークイベント付き上映会が行われました。

日時:5月14日(月)午後7時~9時半迄
場所:講談社 講堂(東京都文京区音羽 2-12-21 6階)
主催:ユナイテッドピープル、クーリエ・ジャポン

上映の前に、このイベントの主催者で、本作を配給するユナイテッドピープルの代表関根健次さんより挨拶。
本日のイベントは、告知して2日で満席になりました。毎日、北朝鮮のニュースが流れています。南北融和会談に先駆けて、韓国と北朝鮮30分時差があるのを、時計を合わせました。私自身は、ビザが下りなくて、まだ北朝鮮には行ったことがありません。チョ・スンヒョン監督は、もともと韓国の女性。ドイツに長く暮らして、ドイツ国籍を取って北朝鮮に行きました。どんな人が住んでいるかという興味だったそうです。今回は、ドイツから初来日されました。

続いて、講談社の「クーリエジャポン」の井上編集長の挨拶。
この会場は講談社の講堂で、飾られているのは歴代の社長の肖像画です。「クーリエジャポン」は世界の多様性を伝える雑誌。今は、Webを中心にしています。無料で見れます。世界に出て行く人の背中を押せるような内容を目指しています。


◆『ワンダーランド北朝鮮』上映
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2016年/109分/ドイツ・北朝鮮
配給:ユナイテッドピープル 
公式サイト:http://unitedpeople.jp/north/
★2018年6月30日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
作品紹介

上空から眺める北朝鮮の大地。
ここにはどんな人たちが住んでいるのだろう?
北朝鮮の人は角の生えた赤い鬼と聞かされて育った1966年生まれのチョ・スンヒョン監督。
地元の協力者に従っての取材で、何が見れるか?
韓国出身の私は、どう見られるか?
不安に思いながら北朝鮮に降り立った監督。
まず、白頭山に向かう。
朝鮮民族の生まれた地。金日成の生誕地でもある。

ぞじて、北朝鮮に住む「普通の」人たちに会う。
プール勤務のエンジニアの男性。地熱発電を利用したウォータースライダーもある大規模プール。一日2万人が訪れる。
26歳の軍人。16歳から軍に入り、今は軍幹部として家で暮らせる。婚約したら除隊するという。
公務員画家。工場で働く女性を描いているが、モデルより美しい顔。
縫製工場で働く若い女性。独創的な服を作りたいという。それがデザイナーという職種だと知らない。
平壌から80キロ南にある800世帯が暮らす共同農場。堆肥を有効に循環利用したエコな暮らし。
将軍様の写真が飾られた幼稚園では、子どもたちが元気に学ぶ・・・

  

◆上映後 トーク

チョ・スンヒョン監督がにこやかに登壇。
まずは、司会の方から代表質問。

司会:なぜ韓国籍を放棄してドイツ国籍を得てまで、この映画を撮られたのですか?

監督:コンバンワ。 韓国の国籍を捨ててまでとおっしゃいましたが、私にとって国籍は心の中にあるもので、紙一枚のものです。ドイツ国籍を取るのに、9ヶ月かかりました。韓国のパスポートに無効の印を押された時の音を今でも覚えています。ドイツ国籍のお陰で、韓国にも北朝鮮にも自由に行き来できるようになりました。映画を撮るのにドイツのテレビ局が支援してくれることになったので、ドイツ籍を取りました。国籍を捨てたというと、ドイツでは笑ってくれるのですが、日本では笑って貰えませんね。
ドイツに私が渡ったのが、1990年。ドイツが統一した年です。東独にも行けるようになって、行ってみたら、まるで北朝鮮に行ったような気分でした。分断国家が統一して、うらやましいなと思いました。今は、北朝鮮も私にとって行ける場所になりました。
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撮影:宮崎暁美

司会:検閲は、どの位行われたのですか? また、引っかかった場所は?

監督:テーマについて、事前に話したのですが、その時に特に強調されたのが、政治的な部分を描かないでほしいということでした。私も政治的なことよりも、日常を描きたいと思っていましたので問題ありませんでした。検閲は逃れられないのですが、1箇所だけカットされました。元山の縫製工場の中でアメリカの輸出先の名前がクローズアップされたところは、外してほしいといわれました。撮影後、完成版を平壌に送ったところ、2点だけカット要請がありました。プールのシーンでビキニ姿が映っている場面と、元山の町の風景の中で、貧しいおばあさんが台車を押している場面は外してほしいといわれました。修正にお金がかかると言ったら、理解してくれて、カットせずに済みました。撮影中も、撮ったものをいつもチェックしてもらってました。

撮影に入る前に4回行って、場所や人物を決めました。その間に信頼関係もできました。
隠し撮りはしないという姿勢を貫きました。撮りたいシーンを提案して、撮らせてもらいました。

◆会場とのQ&A

― 撮影対象は当局からの指定ですか? 暮らし向きのいい人たちでした。今、公開されている『タクシー運転手  約束は海を越えて』で描かれているドイツ記者は光州事件をゲリラ取材していました。

監督:私は映画監督です。人々の話を聞くという役目があります。私が知りたかったのは、人々の日常です。当局が指定してくれた人になるのはわかっていたので、こういう人を取材したいと提案しました。30代のインテリ男性、2~3歳のお子さんを持っている工場で働く女性、田舎の農家の人、という風にリクエストしました。撮影前に当局が用意した方たちと会ってみました。インテリ男性は二人紹介されました。大学の教員の30代の方は、ルックスがあまりよくなかったので、プールで働く男性にしました。
お子さんのいる女性は、最初に会った方はシャイでインタビューがうまくいかなくて、工場の中で私自身が選びました。
映画を観た方からは、いいところしか映っていないので、ほんとの姿ではないのではという人もいます。映画の中で、画家が実際のモデルではなく、美しい人に置き換えて描いている場面があります。いいものしか見せない社会です。将軍様式学習方法は、北朝鮮の個性です。皆さんなりに行間を読んでいただければと思います。

◆最後の監督メッセージ
映画を撮ってから、複雑な心境です。ドイツでも一部の方からはプロパガンダだと指摘されましたし、これまでと違う姿を見られたという人もいました。私自身のため、韓国の人々のために撮りました。パク・チョンヒ大統領の時代(任期:1963年12月17日~1979年10月26日)、北朝鮮の人は赤い顔で角が生えている鬼だといった教育を受けました。北朝鮮の脅威を利用して民主化を押さえ、右派政権が政権維持をはかりました。
この映画は、韓国では特別枠で上映されたけれど、公開はされていません。日本で一般公開が決まって、驚くとともに、ほんとうに嬉しいです。


トークを終えて、会場の皆さんを背景に自分を撮りたいと、自撮りするチョ・スンヒョン監督でした。

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チョ・スンヒョン監督 プロフィール
Sung-Hyung Chu
1966年 韓国、釜山市生まれ
ソウルの延生大学でコミュニケーション論を学んだ後、美術史、メディア学、哲学を学ぶため、1990年、ドイツのフィリップ大学マールブルクに留学。卒業後、ドイツのテレビ局で編集の仕事に携わる傍ら、ミュージックビデオや短編ドキュメンタリーの制作を行う。
現在、ドイツのザールブリュッゲンの単科大学HBKsaar教授。映画制作を教えている。

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トークを終えて、暁さんたちと会場近くの中華料理屋さんで食事をしていたら、インタビューを終えたチョ・スンヒョン監督がユナイテッドピープル代表の関根健次さんたちと一緒にいらっしゃいました。トークの時よりも、さらに笑顔の監督でした。(撮影:景山咲子)