『運び屋』公開記念 町山智浩氏スペシャルトークショー 詳細レポート


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90歳の老人が麻薬取締局の捜査をかいくぐり、幾度となく麻薬を運び、巨額の報酬を得ていた。この前代未聞の実話がベースになった映画『運び屋』は数々のアカデミー賞に輝く巨匠クリント・イーストウッド監督がメガホンをとり、10年ぶりに主演したことでも話題になっている。共演したのは『アメリカン・スナイパー』(2014年)でタッグを組んだブラッドリー・クーパー。イーストウッドの実娘アリソン・イーストウッドも主人公の娘役で出演した。
公開を前に、スペシャルトークイベントが実施され、映画評論家の町山智浩氏が登壇。イーストウッドにインタビューしたときの話も交えて作品を解説した。

<スペシャルトークショー 概要>

日程:2月22日(金)
会場:ワーナー・ブラザース内幸町試写室(東京都港区西新橋1丁目2−9 日比谷セントラルビル1F)
登場ゲスト(敬称略):町山智浩(映画評論家)

『運び屋』原題 “THE MULE”
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<STORY>
アール・ストーン(クリント・イーストウッド)は金もなく、孤独な90歳の男。商売に失敗し、自宅も差し押さえられかけた時、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。それなら簡単と引き受けたが、それが実はメキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だということを彼は知らなかった…。

監督:クリント・イーストウッド
脚本:ニック・シェンク
出演:クリント・イーストウッド、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシア、マイケル・ペーニャ、ダイアン・ウィ―スト、アリソン・イーストウッド、タイッサ・ファーミガ
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2018 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC


主人公はイーストウッド自身を投影したキャラクター

MC:この作品はアメリカでは1億ドルを超え、ヒットしているそうですね。イーストウッド作品で1億ドルをこえているのは、これまでに『許されざる者』、『ミリオンダラー・ベイビー』『グラン・トリノ』『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』の5作品。本作が6本目ということですが、主演も兼ねているのは『グラン・トリノ』以来でしょうか。

町山:『グラン・トリノ』が2009年ですから、10年ぶりですね。

MC:アメリカではこの作品はどのように受け入れられていましたか。

町山:みんな、“俳優イーストウッド”が見たいんですよ。アメリカのアイコンですから。やっと見れた感じですね。イーストウッド自身を投影したキャラクターで、半自伝的に見えますね。本人もそれでいいと言っています。

MC:女好きな設定も含めて、ユーモラスな感じですよね。

町山:90歳近い老人がメキシコカルテルの下でコカインの運び屋をやっていたという2014年に起こった事件がベースになっているのです。老人だから警察に目をつけられないといって、ものすごい金額の麻薬を運んでいたんですよ。
モデルになった人は、デイリリーという1日で枯れてしまう不思議な百合の栽培家でした。新種を次々に作って賞を独占してきた人で、その道ではかなり有名だったようです。でも、もう亡くなっているので、それ以外のことはわからない。イーストウッドと脚本家は、「この人がどういう人だったかという部分は作ってしまおう」ということで、犯罪のディテールに関しては事実、私生活の部分はイーストウッドを重ねていくというやり方をしたそうです。

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MC:脚本家は『グラン・トリノ』を手掛けた人ですよね。

町山:気心が知れた仲間です。イーストウッドはインタビューで「実はかなり家庭を蔑ろにしてきた」と言っていましたが、『運び屋』はイーストウッドの当て書きに近いですね。

MC:ちょっと反省している感じでしょうか。

町山:はっきりと「反省している。もうちょっと家族と一緒に暮らせばよかった」と言っていましたよ。リチャード シッケルが書いたイーストウッドのオフィシャルな伝記にも書いてありますが、イーストウッドはかなりの性豪なんです。14歳ころから現在まで、“SEXのダーティハリー”、“SEXのアウトロー”、“SEXのガントレット”などと言われている人です。自宅の近くに別宅を持っていて、そこでファンとしている。全然隠していないんですよ。正式な結婚は2人、それ以外に同棲が2人、子どもは8人で、ほとんど母親が違う。日系人の女性と結婚して、66歳のときに最後の娘が生まれています。それなのに、未だに女性とデートしているところを発見されたり、歩いているところを撮られたり。映画を撮るのは自己実現だと言っていますから、半分はイーストウッドだと思って見てもらったほうがいいかと思います。
この作品のすごいところは、イーストウッドの実の娘が出ているんです。アリソン・イーストウッドといい、最初の奥さんとの間に1972年に生まれました。でも、その直後にイーストウッドは奥さんと別居して、ソンドラ・ロックという70年代にイーストウッドの映画によく主演していた女優さんと10年ぐらい同棲をしたんです。アリソンはイーストウッドが父だと知ってはいるけれど、父としてのイーストウッドにほったらかしにされた被害者。そのアリソンが『運び屋』に出演して、父親に対して「あんたなんか父親だと思ったことはない。ほったらかしじゃないの。お母さんをひどい目に合わせて」と言っていますが、本当のことを言っていますよね。

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MC:そういう意味では贖罪というか、懺悔みたいな意味があるんでしょうか。

町山:あるんでしょうね。きっと。
アリソンは女優としてはとても能力が高い人で、11歳の時、『タイトロープ』という作品でデビューしています。この作品、イーストウッドが監督を気に入らなくて、クビにしてしまって、途中からほとんど自分で演出していますが、変な映画なんですよ。イーストウッドは奥さんに逃げられ、2人の娘を抱えたやもめの刑事で、アリソンが上の娘。風俗の女性ばかり狙う殺人事件が起こって、調査のために聞き込みに行くんですが、そこで風俗嬢が次々に誘ってきて、毎回SEXをする。そうやってイーストウッド演じる刑事が夜な夜な遊んでいる間、アリソン演じる娘が幼い妹の面倒をみていたのですが、アリソンはどういう気持ちで演じていたのかなと思うんですよね。映画の中で下の娘が何も知らないから「お父さん、勃起って何?」と聞くと、11歳のアリソンが「はははは」と笑う。11歳でそんな人になってしまうとは、イーストウッド家は相当大変だったんだなと思わせますね。

MC:『タイトロープ』にしても『運び屋』にしても、実の娘をそういう形で起用するのはすごいですね。

町山:しかも『タイトロープ』は変質者に自分の娘を縛らせている。普通の父親なら絶対にしませんよね。こうやって鍛えられた娘さんなので、この作品でも自分の胸に刺さるような役柄をビビらないでばっちり演じています。

歴史上の事実、面白いネタを片っ端から拾い、探しまくるネタ探しの人

MC:イーストウッドの作品は実話モノが続いています。この流れを町山さんはどうとらえていますか。

町山:イーストウッドは昔からネタを探しまくっている人なんです。『グラン・トリノ』に出てくるモン族の話はあそこでぽっと出てきたものではなくて、モン族がラオスの国境地帯でホーチミンルートを守る共産軍と戦っていた頃から情報を聞きつけていて、映画化しようとしていたと伝記に書かれています。
とにかく、歴史上の事実であるとか、面白いネタは片っ端から拾い、探しまくる。ネタ探しの人です。『父親たちの星条旗』を作るときに硫黄島で戦うアメリカ軍の資料を調べていたら、「じゃあ日本軍はどうだろう」と思い、徹底的に調べて、『硫黄島からの手紙』を作ったのですが、日本兵の描き方にまったく問題がない。どれだけ調査したんだというくらいです。あの過程で日本料理が好きになり、今でもお会いすると日本茶を飲んでいる。長寿の秘訣を尋ねると「日本茶!」とはっきり言いますよ。

MC:リサーチ派というのは意外な気がします。

町山:資料を読み込むのがすごく好き。『硫黄島からの手紙』や『アメリカン・スナイパー』で取材に行ったときに、アフガン戦争に反対していて、「アフガンについていっぱい調べたんだ。今までアフガンに外国の軍隊が攻め込んで行って勝利できた例がない。徹底的に調べれば、戦争なんてものはいい結果になることはないってわかるから、戦争なんかなくなるよ」と言っていて、リサーチから反戦するという非常に珍しい人です。

MC:感情で言っているわけではなく、理由があるわけですね。

町山:『アメリカン・スナイパー』も原作と全く違う。原作者のスナイパーは自分がPTSDという自覚がないまま書いている。ところが、途中で奥さんの「うちのダンナはイラク戦争に行って言動がおかしくなっちゃった」というコメントが挟まれている。イーストウッドはその部分から調査していき、PTSDの問題をクローズアップして、話を書き替えている。そういう点でもすごいリサーチ派ですね。

MC:現代に向き合っている方なんですね。

町山:インタビューのときに「男は一生懸命に仕事をして、それで評価されればいいんだとずっと思っていた。特に自分の世代はどんなに私生活がめちゃくちゃだろうと、周りに迷惑をかけようと、仕事で評価されればそれでいいんだと思い込んでいた。しかし、そういう価値観は終わったということがこの映画のテーマなんだ」と言っていました。この主人公はデイリリーで賞を取る。自分の求めている道で巨匠だからと威張り散らしているわけですが、それはイーストウッド自身がアカデミー賞を取ったり、映画作家として評価されたりしている部分を重ねていますよね。イーストウッドはキャッチアップという言葉を使っていましたが、「男が仕事だけで評価される時代は終わりつつあるという時代の流れに追いついていかないとみんなに嫌われるオヤジになってしまう。いい爺さんになれているかな、俺」と言っていました。

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MC:いいおじいちゃんになりたいんですね。

町山:だから娘と和解しようとしているし、スタッフに子どもたちを起用しているんですよ。実はここ何年かは、家族に対する贖罪みたいなことをしているし、映画自体も贖罪の話ばかり。若い頃、悪かった奴がその罪滅ぼしをするっていう映画が『許されざる者』や『グラン・トリノ』。イーストウッドはインタビューのときに「人の人生というのは1本の映画のようなものだ」と言っていました。映画で自分自身の人生をまとめ上げようとしているのかもしれません。

MC:待ちに待った俳優イーストウッドに出会える映画ですが、その点ではいかがですか。

町山:イーストウッドはキャラが2つあります。1つはダーティハリー系というかガンマン系の渋くて、しかめっ面していて、ほとんど喋らない。滅茶苦茶ハードなキャラ。もう1つはスケベで女にだらしない男。実はそのタイプの映画がかなり多いんです。『白い肌の異常な夜』は女性たちを弄んで、復讐されるという映画で、『恐怖のメロディ』は人気者のDJがちょっと女の子にイタズラしたら、その子がストーカーになって襲われる。『ブロンコ・ビリー』もそうですが、女にだらしなくて苦労するおっさんの映画を彼自身がうれしそうに作っている。『ルーキー』は女性に犯されたりしていましたけれど、自分で監督して、自分で演出して、うれしそうに縛られていましたね。ちょっと変な人なんですよ。『トゥルー・クライム』は女好きで人生が滅茶苦茶になった男。そんなのばっかりやっていますからね。誰にも頼まれずに、本人が好きで、スケベ親父の役をやっていますから。これは喜んで見てあげるべき。今回はその路線でとんでもないことをしています。

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MC:どんなことをしているんでしょうか。。

町山:この作品の中で運転しているんです。メキシコとの国境のアリゾナ州からデトロイト辺りまでアメリカを一番南の端から北の端くらいまで、毎回毎回、運び屋で走る。彼自身が運転しているんですが、インタビューでもイーストウッドは1人でボロボロのフォードで現場に現れる。普通、運転者とかつけますよね。アメリカでも80歳以上の人は運転免許証を諦めた方がいいという運動があります。高齢者の運転で事故が起きるからって。インタビューでそのことを聞いたら、「運転が荒いか荒くないかは年齢と関係ない。若い奴でも危ない運転してんじゃないか」と言っていました。意地でも運転する気ですね。

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MC:運転に自信を持っているんですね。

町山:この作品で、運転しながら歌を歌っているのですが、普段も鼻歌を歌いながら運転しているそうです。88歳過ぎても、鼻歌を歌いながらノリノリで運転している。びっくりしますよね。

最近は耳が遠くなっているけれど、演出は呆けていない

MC:イーストウッドはここ最近、アカデミー賞ノミネートの常連ですが、なぜか、今回はアカデミー賞に引っかかっていません。なぜでしょうか。

町山:『グラン・トリノ』も作品賞や主演男優賞を取ってもおかしくないと思ったんですけれどね。この作品ではそういうキャンペーンをしなかったみたいですから、もう自分は上がった気持ちなのかもしれません。

MC:僕はクリント・イーストウッドの作品が来るたびに「これが最後かも」と思いながら臨むんですが、ほぼ年一のペースで来ています。まさかの主演作も届きました。ご本人にお会いして、この人はまだまだ撮り続ける感じがありましたか。

町山:最初に会ったころに比べると、最近は耳が遠くなって、こちらが言っていることを何度も何度も聞き返すようになりました。補聴器付けるのが嫌らしくて、意地でも付けないみたいです。現場ではつけていると思いますけれどね。歩くのもすごく遅いですし。でも想像力はすごいと思います。この作品でもギャングの怖いシーンがあって、こういう演出はイーストウッドだなと思います。それと、空撮がすごく好き。イーストウッドの作品といえば、必ず空撮シーンがある。そういうところで自分のタッチを維持していて、演出は呆けていないと思います。

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MC:このペースで淡々と進んでいくのでしょうか。

町山:何で映画を作り続けているのかという話はインタビューでも出てきて、別にお金のためでもなんでもなくて、自分というものを表現するためなんだと言っています。枯淡の領域に入って、盆栽のようなものになってきている気がします。でも、枯れていないのがすごい。ギラギラした欲望がたぎっているところがイーストウッドらしい。スケベ心が長寿の秘訣ではないかと思いました。

MC:なかなかびっくりしますよね。

町山:まだ求めているのかよって思いましたけれど、やっぱりマグナムの人なんですよ。

MC:弾は尽きていない?

町山:イーストウッドの「お前は俺のマグナムの弾が尽きたと思っているんだろうけれど、試してみるか、小僧」ってね。まだ入っていると思いますね。
未だに笑わせようとしているところが偉いなと思います。尊敬されないように、されないように作っています。これ、大事だと思います。大先生として、立派な役者として人から尊敬を受けたくないと思ったから、こういう映画を作ったのだと思います。たけしさんがいろんなイベントで変な仮装で出てくるのと非常に近い映画です。晩年の森繁久彌さんが人生を語ったり、哲学を語ったりするのに反して、彼は恥ずかしいところを見せていくのが偉大。基本的に下ネタ映画ですから、しかめっ面して88歳の巨匠の映画を見るのではなくて、爺のエロ話だと思って見ていただければ大丈夫だと思います。お楽しみください。
(取材:堀木三紀)

続き『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』講演会 

前半はこちら(記事配分を変えています)

-で、映画ご覧になっていかがだったでしょう?

大西 そのカレとは全然違う真逆のキャラクターで、最初観てて、わがままだなと思ったんです。観ていくうちに鹿野さんの性格がだんだんわかってきて「鹿野さんらしく生きる」ために必要なことなんだな。それを命をかけてじゃないと、普通に暮らせなかったんだなと思いました。すごく正直というか。いまだに重度障がい者の方が自分らしく生きるってことは、実はあまり実現してないんじゃないかと思って。でも鹿野さんみたいに戦ってきた、いのちをかけて頑張ってきてくれたおかげで、たぶん法の制度も変わってきたと思いますし、私たちは鹿野さんの恩恵を受けているんじゃないかと感じました。あともう一個、日本人って、私もそうなんですけど、人に助けを求めるというのがすごい苦手で。たぶん健常者であっても、人の助けを得ずに生きてる人っていないと思うんですよね。鹿野さんは助けを求める勇気がすごいある方だなと思いました。
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-始まる前に楽屋でみなさんとお話をしたんですけれど、大西さんは呼吸器をつけたこともある?

大西 私もけっこう同じ様な状況だったことがあって、気管切開はしなかったんですけど(呼吸器を)口から入れていて、声も出なかったんです。でも口から抜けば声は出ると思ってたんですよ。(呼吸器を)抜いても結局声が出なくて、すっごく悲しくて泣いたんです。「セリーヌ・ディオンが歌えなくなる~」って泣いたら・・・

-はい?

大西 セリーヌ・ディオン。当時『タイタニック』がはやっていて(笑)、セリーヌ・ディオンが大好きだったんです。それが歌えなくなる~ってすごく泣いたんですよ。そしたら周りから「ふつう歌えないから」って言われて、なんか終わっちゃったんですけど(笑)。でも退院してからやっぱり行ったんです。

-カラオケに?

大西 歌いたくて。当時は強心剤を飲みながら(今はペースメーカーを入れている)生活していて、車椅子だったんですがカラオケに行ったんです。でも吐いちゃうんです。でも行きたいんですよ。障害を理由にできないことを一つでも減らしたくて。なんか納得できない。けっこう鹿野さんと似てる性格だと思いました。

-今のくだり、大泉さんどうでしょうか?

大泉 どうしてそこまでセリーヌ・ディオン?(場内爆笑)もっと楽なものでもよかったのに、セリーヌ・ディオンはねぇ、やっぱり健常者のかたでもなかなか。あなた何で歌っちゃうかな?(笑)でもねぇやりたいことあきらめたくないっていうね。この映画の中にも「カラオケ行きたいなぁ」っていう台詞がいっぱい出てくる。最後まで観ていただけると、そこもなかなか気持ちのいいエンディングが。

-大泉さんはこの映画で鹿野さんの生き方を通して、ご自身が影響を受けたことはありますか?

大泉 おっしゃるとおりで、日本人は特に海外の方々から見てもそうらしいですけど。私はよくインタビューで「娘さんにどんな教育をなさってるんですか?」と聞かれますと「特にないんだけど、ひとつ言えるとしたら人に迷惑をかけるんじゃないってことですかね」と言ってきました。逆にいえば人に迷惑をかけなければ何してもいいよ、っていう。
この本を読んで思ったのは、人に迷惑をかけるってことをそこまで怖れる必要はないのかなというね。今年は自己責任論みたいなのがあらためて語られるようになったけれども、人に迷惑をかけることを怖れるよりも、自分でできないことがあったら助けを求める、求められたときには助けてあげられる人になってほしいな。世の中がもっと人を許すっていうか、人の迷惑を許してあげる社会になっていくともっといいのかな。世界全体を見ても「許す」ってことが大事なのかな。
(渡辺さんに)いちいち(マイクを)切んなくても。臨戦態勢でいてください。(笑)

渡辺 切れてるの?(笑)
-今切れてますよ。さわらなくていいんですよ。
大泉 戦争ですから。(笑)
-戦争じゃないです。(笑)

渡辺 自立というのは、人の手を借りずに自分で何でもできることを自立っていうと思うんですよね。ところが重度の障がいがある人が、それをかなり拡げてくれた。鹿野さんとか、ああいう障がいがありながら自立生活をする人たちの自立がどういうものかというと、「自分の人生を自分で決める」。そのために他人とか、社会に堂々と助けを求めていいんだよ。それは、自立の一つの方法なんだよ、ということを常に社会に訴えかけてきたんですね。その考え方はさきほど大西さんも言われたように、健常者にも突き刺さる。
大泉さんが言われたように、日本は「人に迷惑をかけてはいけない」という社会的な規範がとても強い社会なので、自分の悩みや苦しみを人に言えず、人に助けを求められずにー弱味見せたくないからですねーそれで孤立している方にこそ鹿野さんのわがままがもたらす人間関係の豊かさ、そういうものを感じていただけたらなと思います。
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-大西さんいかがですか?

大西 え、何がですか?(笑)
-今の話を受けて
大泉 油断しないで!(笑)人の話も聞いてね。聞きながら自分何を話そうか考える。
-大泉さん、そんなバラエティみたいに叩き込まないで(笑)。そんな厳しい世界じゃない。怖い怖い(笑)

大西 やっぱり私たち障がい者がどんどん外に出て行って、いろんな人がいるよっていうのを知っていただきたいと思っています。私もこんな派手な衣装を着て外に出るのはそういう意味があって。かと言って、むりやり出なくてもいいかなって。鹿野さんみたいな生き方を全員ができるわけじゃない。出られる人が頑張って出て行って世の中を少しずつ変えていって、より良い世の中にしていくといいんじゃないかなと思います。

-あらためて鹿野さんのような障がい者が積極的に出て行くことで、周りが変わっていく。その点について最後に伺いたいんですが。大泉さん、まさに鹿野さんによっていろんな人が変わっていく映画ですけれども。

大泉 え、何がですか?(笑)
大西 ちょっとー!(笑)
大泉 何答えればいいんですか?(会場爆笑)
MCさん質問繰り返す
大泉 普段映画やってると「その映画で何か伝えたいことありますか?」と聞かれます。「特にないんだけど、楽しんでくれればいい」と思ったんだけど。この映画に関しては、そんなに強いメッセージがあるわけではないんです。この映画を観ることによって「ああそうか、障がい者の方もこういうふうに思ってるんだな」とか「障がい者とボランティアの関係がどういう状態が望ましいだろうか」とか、いろんなことを考えるきっかけになればいいなと思いますね。
「こんな夜更けにバナナかよ」というこのタイトルが、今はやっぱり「障がいがあるのにそんなわがままを言っていた」ということで、とっても面白いんだけど。
究極はこのタイトルが別にわがままには聞こえない社会が実現できれば、ほんとに障がいのある方にとってもいい社会だとは思います。どんな時間でもきちんとヘルパーとして働きたい人を潤沢に確保できて、それが仕事として成立していて、障がいのある方がそれを自由にお願いできる、そういう社会が一番望ましい。
日本だとまだまだ珍しい存在だけれども、それが太っている人もいれば痩せた人もいるというくらいに、たまたま障がいのある人もいるという社会になればいいなぁと、そういう何かのきっかけにこの映画がなればいいなと思います。

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-渡辺さん何かありますか?

渡辺 そうですね。そういうことが普通になるような社会は、私たち健常者も生きやすい社会なはずです。切実な問題を抱えた方たちの訴えというのは、社会全体に対する重要なメッセージを含んでいることが多いということです。
例えば駅にエレベーターがあるのも、今の時代当たり前のことだと思ってらっしゃるでしょうが、実はその地域の障害者の人たちが30年に上に渡って営々と設置運動をずっと続けてきたからこそなんんです。私たちは知らずにその利便性を享受している。
だから障がい者の人が生きやすい社会というのは、障がい者に特権を与えるとか、お金をかけるということじゃなく、社会全体が生きやすい社会になる。そういう広い視点で鹿野さんのわがままについても捉えていただければと思います。

-なるほど。大西さん。

大西 人ってみんなできることと、できないことがあると思うんですよ。みなさんがおっしゃったように、許すというかそういうことを許容できるような社会がまずないと、みんな生きづらいと思うんです。お互いもうちょっと理解し合えるような社会になってほしいなと思います。このボランティアと鹿野さんの関係は、本音で向かい合ってこられたからだと思うんです。本音もお互い言える社会になってほしいと思います。

-ありがとうございます。ここよりフォトセッションに入ります。渡辺さん大西さん、大泉さんのオーラが全開になりますから気圧されないように(笑)。

大泉 プレッシャーかけるじゃないですか(笑)。(場所移動して)写真撮るとき普通でしょ?
大西 足回しちゃダメですか?
-回していいですよ。(笑)
大泉 なんて陽気な方!
大西 ダメ?ダメ?(義足をぐるぐる回す)
大泉 全然こっちのほうがオーラあるじゃないですかー!

(取材席のカメラに順に目線を配って撮影)

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奥のムービーカメラに手を振る3人。大西さん足も振る。

-これは初めてのパターンです(笑)。
では最後に大泉さんからひとこと。


大泉 とても面白い映画だと思います。私たちが作りたかったのは、決して重い映画ではなかったんです。笑えるコメディの要素もたくさんありまして、おおいに笑っていただいて、そしてジンとするところはジンとする映画だと思いますので、多くの方に観てもらってそれぞれのお友達、お知り合いに伝えて観ていただいて、この映画が何かを考えるきっかけになるといいなぁと思っとります。
僕たちのような健常者もいろいろ思うところもあるでしょうし、障がいのある方がこれを観ることもあると思います。大西さんがおっしゃるとおりで、みんながみんな世の中に積極的に出たい人ばかりではないと思うけれども、鹿野さんの姿を見て思うところもあるでしょうし。全ての人たちにとっていい社会がくればいいなぁと思っています。どうぞ楽しんで観てただいて、沢山の方々に拡げていただければと思っております。よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

(取材・写真 白石映子)

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』講演会 

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2018年12月4日 東京・新宿ピカデリー
12月3日から9日は「障がい者週間」。この日厚生労働省の後援のもと、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』特別映画試写会が開催されました。上映前の講演会に主演の大泉洋さん、原作者の渡辺一史さん、ゲストとしてパラリンピックに参加した義足のランナー・大西瞳(ひとみ)さんが登壇し、障がい者の社会参加と自立支援について語りました。

大泉 本日はお忙しい中お集まりいただきましてありがとうございます。今日これから観ていただくということなので、映画を、ま、ほんとに軽い気持ちで観て楽しんでいただければと思います。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

-映画の原作でもあります「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」(文春文庫刊)を執筆し、ご自身も鹿野さんのボランティアをしていらっしゃいました原作者の渡辺一史さんです。

渡辺 今日はありがとうございます。私がこの本を出したのは2003年で、それから15年経っています。こういうふうに素晴らしい映画化が実現し、ほんとに私自身驚いています。鹿野さんという主人公を同じ北海道出身の大スターである(大泉洋:すぐほんとのことばかり言う)大泉さんが演じてくださるとは、私が書いていたときには誰も想像だにできなかったこと。ほんとにありがとうございます。じゃ今日は楽しんで観ていってください。

-続きまして、リオ2016パラリンピック陸上競技に日本代表として出場。現在では情報バラエティ番組のMCもつとめていらっしゃいます。多方面で活躍する義足のランナー大西瞳さん、お願いします。

大西 今ご紹介いただいたとおり、私は義足で陸上競技をしておりまして・・・ちょっと見せてもいいですか?(と右足の義足を持ち上げて)こんな感じで回ったりもするんです。こういう義足をつけて普段生活し、陸上競技もしています。今日はこんな素敵な場に参加させていただいて、もうほんと障がい者になって良かったな、という風に思っております。どうもありがとうございます。
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-大泉さん、ちょっとこの義足。渡辺さんも。このお洒落というかすごいカラフルな。
大泉 ねえ~
大西 そうなんです。
渡辺 アートですね。
大西 これ、生地を買ってきて作ってるんですけど、すごく可愛いですよね。
渡辺 デザイナーみたいな人はいらっしゃるの?
大西 あ、いないです。自分で選んで。(3人:自分で!へえ~)
大泉 思うじゃないですか、こうジロジロ見ちゃいけないんじゃないかとか。
大西 今日はほんとにジロジロ見ていただいて、はい、見慣れてください。
大泉 大西さんのほうから「障がい者になってよかった」なんて言われたらほっとしますよ(大西爆笑)。
あ、見ていいんだ、そういうことも言っていいんだとか。この映画もそうですけど、あらためて普通に接していいんだ、と勇気をいただきますね。

-ということで今日はよろしくお願いします。お座りください。

大泉 (大西に)座るのもシュッとね。いけるんですね。

-好きな柄に?
大西 そうなんですよ。海が好きなので海に映える柄がいいなと思って。
-「水曜どうでしょう」みたいな感じのやつをそこに。
大泉 どういう義足でしょう?水曜どうでしょう?(笑)
-よくステッカー貼ってる人がいるから。(笑)
大泉 それでぜひパラリンピックに出てほしいな。
大西 スポンサーになっていただければ。
大泉 「水曜どうでしょう」がスポンサーに? 番組そんな予算はないー。言えばあのヒゲ作るかもしれない。(笑)

-夢がある話ですね。さっそくお話うかがっていきます。まず大泉さん、身体の中で動かせるのは首と手だけでありながらも、ボランティアのみなさんに介助されながら楽しい自立生活を送っていた鹿野さん役を演じて、どのようなことを感じられたのでしょうか?

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大泉 最初やはり一番ひかれたのは「こんな夜更けにバナナかよ」というタイトルだったんですよね。要はボランティアの方々に24時間介助されないと生きていけない方が、どうしてそんなわがままが言えたんだろう?真夜中に「バナナ食べたい」って言って、ときに大喧嘩もして、ときにはボランティアに「帰れ!」ってよくおっしゃってた。なぜそんなことができたんだろう?やっぱり疑問、それを知りたいってところから始まったわけです。
本を読ませてもらったり、実際に鹿野さんに会っていた方々とお話をしているうちに思ったのは、鹿野さんの言ってたことは「わがまま」って言えることなのかな?っていうね。私もこの映画を撮り終えたときには、「こんな夜更けにバナナかよ」というタイトルが彼のわがままから出たことばにはもう聞こえなくなっていました。なんか不思議な体験でした。

-役者としても難しかったんじゃないですか?演じるうえで。

大泉 鹿野さんが亡くなってまだ16年しか経っていない。ですからこの映画に出てくるシーンには、実際に鹿野さんに起きたことでもあるわけなんですね。どんどん筋肉が衰えていく、最終的には呼吸する筋肉も衰えていくので人工呼吸器をつける。当時は人工呼吸器をつけるっていうことはイコール喋れなくなる時代だったんです。今なら喋れるんですけど。
だから人にお願いしないと生きていけない人が声を失うっていうことは、どれだけの恐怖だったろうと思うわけですけど。この映画の中に「どうすんの?あなた呼吸器をつけないと死ぬよ」っていうシーンがあります。「言ったんです」というお医者さんが隣にいてくれるんですね。だからその方に「どんな状態だったんですか?このときの鹿野さんは?」って聞きながら演じていく。
他にも鹿野さんのことを知っている人が周りにいっぱいいて、鹿野さんの話を聞きながらそのシーンに入っていける。なんかね、役者としてこんな体験はないな、という思いがありました。これから演じるシーンに行く前に「そのときの鹿野さんってどんなだったの?」と実際の話を聞いて泣けてきて。本番前に泣いてから本番演じるってことがあって。もちろん難しい役でもあったんだけども、役なんだけど、何なんだろうな。演じながら鹿野さんのドキュメンタリーに出ているような、鹿野さんを追っていくようなそんな不思議な体験でしたね。この映画は。

-渡辺さん深く頷いていらっしゃいましたけど。渡辺さんはもちろん鹿野さんを知ってらっしゃるわけで、大泉さんが演じた鹿野さんをご覧になっていかがでしたか?

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渡辺 背丈といい、顔つきといい似ても似つかないわけですけれども(笑)。同時に、不思議なことに瓜二つに見える瞬間があって、やはり鹿野さんと大泉さんが共同で作り上げた不思議なキャラクターということで、私は「鹿泉(しかいずみ)さん」と(笑)。

大泉 私はそのう「ひょっこりはん」に似てしまった(爆笑)
-あ、その前髪ぱっつんは似ていますね!
大泉 ひょっこりはんといえばひょこりはんに見えるし、鹿泉といえば、しかいずみに。(笑)

-それくらい渡辺さんから見たら似ていた?

渡辺 似ているとか似ていない以前に、スクリーンの中でこの人実在しているんじゃないかって思うぐらい生き生きとされていて。やっぱり俳優さんてすごいなぁと思いました。

-実際に鹿野さんの周りにいたボランティアの人たちの感想は渡辺さんに届いていますか?

渡辺 鹿野さんのお母さんはご存命で、80代でお元気なんです。お母さんはね、いつも大泉さんを見ると「息子が生きて帰ってきたような気がした」と言ってました。陰では別のこと言ってるんですけど(笑)。でもほんとに感動したと。ボランティアの方たちも関係者試写会というので観ていただいて「泣いた人?」と言ったら殆どの人が手を挙げて。「この映画ひとに勧めたい人?」って言うとまたほとんどの人の手が挙がる。

-そして実際に鹿野さんの間近で接していた渡辺さんに「障がい者の自立生活」についてのお考えを伺ってもいいでしょうか?

渡辺 はい。この映画、特に宣伝文からして「わがまま」ということが強調されているんですが、その「わがまま」っていうのをどういう風にとるか。さきほど大泉さんもおっしゃったように健常者にとっては障がい者のわがままにとれるんだけれども、当の鹿野さんにとっては、ごく普通の生活がしたいだけなんだということです。夜中にバナナ食べるのは、健常者にとっては自分で皮をむいて食べられるんですけど、鹿野さんはできないから人に頼む。それをわがままなのかどうかっていうのは、ちょっと考えどころなんですね。
ボランティアと鹿野さんは常に衝突とか対立とかあって、ボランティアは葛藤を抱えるわけです。バナナに限らず。そのときに、これ本当に鹿野さんのわがままなんだろうか?そうじゃないんじゃないか?って自問自答したボランティアたちはやはり長続きしたし、人間的にも成長していきました。
その反面「なんでこんなわがままなオヤジのボランティアをしなきゃいけないんだ」って辞めていく人も後を絶ちませんでした。
それと同時に、自分をさも良い人間、優しい人間であるかのように思っていたのに、夜中に起こされて「バナナ食べたい」って言われたくらいで腹を立てている自分、そういう問いを自分につきつけられた人は成長していって・・・。
鹿野さんのボランティアを経て、お医者さんになったり特別支援学校の先生になったりいろんな人がいます。
私も鹿野さんによって人生を変えられた一人なんですけれど。ほんとに人生が激変していくという、そういうドラマがたくさんあります。

-大西さん、この映画ご覧になっていかがでした?

大西 その前にここに呼んでいただいたのは何でだろうって考えていたんです。私進行性の難病でもないですし、あれ?って思ったら、思い当たる節が実はあって。元カレが筋ジストロフィーだったんです。松竹さんそこまで調べていたんだ!(笑)
大泉 そうじゃなかったみたいよ。
-違います!いやびっくりした!(笑)
大泉 ●春じゃないんだから(笑)
-雑誌名あげないでください(笑)
大泉 元カレまで調べてじゃなかったよ。
-考えすぎですよ。
大西 ちょっと安心しました。(笑)
-元カレが?
大西 はい、たまたま筋ジストロフィーで「ジョウシュク」が強い症状がでている子だったんですよ。手がなかなか上がらなくて、持ちづらかったり。そういう子に私荷物持たせてたりしたんですけど。顔の表情が薄くて、「たぶん今笑ってるんだろうな」っていうのがわからないような状況だったんです。付き合いが長くなるとわかるんです。「今笑ってるんでしょ?」「めっちゃ笑ってる」みたいな感じの方と付き合ったことがあったんです。
(続く)
後半はこちら(取材・写真 白石映子)

宮尾俊太郎《ロメオとジュリエット》トークイベント

8月25日(土)"METライブビューイング アンコール上映2018″開催中の東劇にて、《ロメオとジュリエット》上映前に宮尾俊太郎さんスペシャルトークイベントがありました。
 登壇者:宮尾俊太郎(Kバレエカンパニー プリンシパル) 
 司会:朝岡聡(フリーアナウンサー)
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☆宮尾俊太郎プロフィール☆
北海道生まれ。14歳よりバレエを始め、2001年に元パリ・オペラ座エトワールのモニク・ルディエールに見いだされ、フランス カンヌ・ロゼラハイタワーに留学。在学中にカンヌ・ジュヌ・バレエのツアーに参加する。2004年10月Kバレエ カンパニーに入団。『ドン・キホーテ』のバジル役で主演デビュー後、『白鳥の湖』『シンデレラ』『ロミオとジュリエット』『くるみ割り人形』『ジゼル』『海賊』『カルメン』などの主要作品で主演を担う。2015年よりプリンシパルを務める。TVドラマや映画、CMへの出演、ミュージカル出演など、バレエダンサーの枠にとらわれず、様々なメディアで活動の場を広げている。(資料より)


ー「ロメオとジュリエット」のオペラはフランスの作曲家が書いていて、ジュリエットは、ロシアのアンナ・ネトレプコという今世界中で一番人気のある人です。東劇の上のほうのアンコール上映(10月5日まで)の看板に出ている女性です。ロメオはロベルト・アラーニャ、マルセイユ出身のフランス人。共に大スター・歌手でございます。これはラブストーリーの中でも1,2を争う名作。宮尾さんは、いろんな場面を踊るわけですが、一番好きな場面はどこですか?

宮尾 有名なバルコニーのシーンはもちろん踊っていて酔いしれるんですけれども、一番気を使うのは最後の死ぬシーンですね。バレエはセリフがないので、自分の身体表現プラスオーケストラの音なんです。その音が相手を思う気持ちに聞こえたり・・・聞かせなきゃいけないわけですよ。そのへんがラストシーンになるにつれて繊細になっていくなぁと思います。

ーみなさん、まさか「ロメオとジュリエット」を知らないっていう人はいらっしゃらないですよね?

宮尾 いらっしゃいます?

ーいや、言えませんよw。宮尾さんの前で知らないなんて死んでも言えませんよ。w
シェークスピアの書いた物語です。基本的なところを申し上げておくと、舞台は北イタリアのベローナという町。ここにモンターギュ家とキャピュレット家という二つの家があって、ものすごく仲が悪い!それぞれの御曹司ロメオとお嬢さんのジュリエット。これが恋に落ちる、だけども上手くいかない。いいですか、みなさん。オペラってのはラブストーリーですが、決してうまくいかない。


宮尾 バレエもそうです。決してうまくいかない。そして誰か死ぬ、というw

ーこれはね。自分が恋するときには何にも問題がない、ハッピーなのがいい。わかったとたん両思いでお互いの家族も友だちも「良かったねー」という。めでたしめでたし。ところが、人の恋を見たり聞いたりするときはそうじゃない!人間というのは。うまくいかない、どーしてー?ひどーい!うっそー!ww これみなさん大好きだと思うんです。なぜならその方が面白いから。だから源氏物語だって、失楽園だってみんなうまくいかない恋物語ばっかりじゃないですか。

宮尾 普段お客様、みなさんが、そこまで私体験できないっていうのを代弁して、その気持ちを感じていただくっていう。
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ーさっき宮尾さんがおっしゃったバルコニーのシーンは、ロメオがジュリエットの屋敷に忍び込んでいく。ジュリエットが「なぜあの方はうちと仲が悪いモンターギュ家の方なの。その名前を捨ててほしいわ~」と独り言を言っているのを聞いて、ロメオは感激するわけです。それをどうバレエで?振り付けは決まっているんでしょうけど。

宮尾 そのセリフがお客様に聞こえてくるように、心の中でそのセリフを言いながら踊っています。16歳と14歳の若い男女の愛が止まらなくなっていく勢いと、その初々しさを大事にしています。

ーバレエって手の使い方が大事ですよね。「好きだ~~~」(と手を伸ばす)ww スピードとか。

宮尾 ありますね。最初初々しさを出すためには(手のふりをつけて)「好きって言えない」とか、「好き、あ、言っちゃった」とかいろいろあります。w

ーねぇ。これはオペラの歌手もそう。歌手だけじゃなく、俳優、女優ですから。だから動きがとても大事なんです。バルコニーの2人が語らっているときに、どんな動きをしてどんな表情をしているかというのも見所なんです。

宮尾 それでびっくりしたんですよ。先にDVDで見せていただいたんですが、オペラの方がシュッとされている。体格が大きいイメージだったんです。そんなに大きくない、そして、すごくよく動く!戦うシーンなんかも信じられないくらい動いていて、よくあれで息が切れない!僕もこの前初めてミュージカルに出させていただいたのでわかるんですが、あんなに激しく戦って息が切れないというのにびっくりしました。

ーとにかく動くんですよね。主役の2人もそうですが、仲の悪い両家が戦うシーンで脇の人たちが計算された動きで、戦い抜いていくんです。ここはうなっちゃうんですよね。

宮尾 今までオペラっていうのはそんなに動かないイメージだったんですけど、最近はこういうふうになってきて新しい迫力のある現代的な演出をされていて、そのうちダンサーなみに踊れるオペラ歌手が出てくるんじゃないかな、って思っちゃうんですよ。

ーほんとにね、昔みたいにばーんっと太った人が「私はもうすぐ死んでしまう」って言うんじゃなくw、美しい人が主役をするようになってきてる。棒立ちでなんて歌いません。この第4幕でロメオとジュリエットが、ベッドに入るシーンがあります。このベッドがね、宙に浮いてる。星空に浮いているようなベッドの上で愛し合いながら二重唱を歌っているんです。幻想的なまさに2人だけの世界って感じで。ベッドで見事に歌っているんです。
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宮尾 すごいですよね。ほんとに。落ちないか心配でしたけど。wとても甘美で美しいですよね~。シュッとされてるオペラ歌手の方は、この映画で「寄り」(アップ)になっても美しいんです。それを大きな画面で見て、とってもいいなと思いました。

ーライブビューングは高音質、高画質が売り物ですので、音楽はもちろん素晴らしい音で聞こえてきますけれども、今宮尾さんがおっしゃったように、アップになったりアングルが変わったりしたときに、実にいろんな演技や表情が見えてくる。リアルにわかります。
今日は5幕ありますけど、どの画面も画面に吸い込まれるように感じられると思います。それから、幕間(まくあい)に、インタビューがあるんですよ。


宮尾 あれも面白かったですねぇ。演じている人が戻ったらカメラがあって、みなさん嫌な顔ひとつせずてきぱきと応えていらっしゃって。あればっかりはこういったライブビューイングでないと見られないですよね。

ー普通は幕が閉まるとどんなふうに休んでるのかしら?と思うんですけど、さすがにスター歌手というのは「ハァーイ!」なんて言ってw またインタビュアーが歌手だからいいんですよね?

宮尾 そうですね。仲間ですから気持ちわかっていますから。

ーだから宮尾さんがね、終わった後に熊川(哲也)さんが出てきて、「今日どうだった?」なんて聞いたら?

宮尾 (明るく)「いや最高ですね!!」ってwww

ーこのインタビューは、ライブビューイングの売り物の一つ。登場した人たちの本音がすぐその場で聞ける、という。
「ロメオとジュリエット」の話に戻りますが、仲の悪い両家なのに恋に落ちた2人、ロメオがちょっとした諍いがもとで、ジュリエットの従兄弟を殺してしまう。それで追放になってしまうわけです。2人は結婚したいけど、ジュリエットには親の決めた婚約者がいる。神父に相談すると、薬をくれるんですね。一日だけ仮死状態になるけれどお墓で目覚めるから、日本みたいに火葬じゃないから、そうしたら2人で遠くへ逃げなさいと。ところが、こんな大事なことがなぜかロメオに伝わらない。


宮尾 携帯電話とかないですからねえ。w 

ーそ、メールもできない電話できない。で、仮死状態になっているジュリエットを見て、ロメオは「もう生きていけないー!」と毒を飲んでしまう。こっちは本物の毒で、効いてきてるときにジュリエットが目覚めて、毒を飲んでしまったといって死んでいくロメオに私も生きていけない!とグサッ。これがさっき言った死んで行くシーンのオーラス。死んだときって、動かなくなったらいい、ってもんじゃないですよね。

宮尾 いや、死んだ後は動かないんですwww 死ぬまでは動いてます。
真面目な話をしていいですか? 「ロメオとジュリエット」ってずっとどの時代でも愛されてきましたけど、人々の争いが消えないかぎり、この作品は愛されるていくんじゃないかと。争いがあるからこそ愛が浮き立って見えるので、そこにみなさんが感情移入できるところがある。争いがもしなかったらこの話はつながらなくなるんじゃないかなって思っちゃったんですけど。どう思います?

ーそれをいうならね、人間は恋愛が大好きなんですよ。一回愛して懲りた、もうしないとかよく言うでしょ?でもまた恋しちゃうんですよ。人間の世の中から、愛も恋も一回でOKってみんな思っちゃったら、バレエもオペラもなくなっちゃう気がするんです。

宮尾 最近厳しくなってきている浮気とかもそういったものもドラマの一つ?

ーまあ、それをしろってことじゃないんですよ。現実世界では、「愛のために死ぬ」ってことは普通できないのよ。どんなに相手のことが好きになっても、簡単には死ねない。だけど、頭の中では「愛のために死ねたらいいなぁ」とは思ってるんですよ。

宮尾 「愛のために死にたい!」という気持ちは、いつも自分でも持っています。
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ーそれをね、実現するのがバレエであり、オペラじゃないかって私思っているんですよ。疑似体験という。「ロメオとジュリエット」には、ドンピシャリ「愛と死」というテーマが入っている。音楽でも、演技でも、バレエでもしみじみ納得させてくれるんですよね。

宮尾 ほんとそうですよねぇ。いつも、舞台上でそういう愛のために死んでいるので、日常は抜け殻のようになっていますww

ー演じるってことに、それだけエネルギーは必要だってことだと思う。

宮尾 演者さんによってはその引き出しを増やすために、私生活もその近い状態にもっていくみたいな方もいますからね。

ーええー!精神状態を? 役作りというか、気持ちを作って盛り上げていくために?
今度10月に宮尾さんがおやりになる「ロメオとジュリエット」は、旧ソビエト時代の有名な作曲家プロコフィエフのですね。いろんな作曲家が心をとらえられて、オペラやオーケストラのために書いています。今日のオペラはグノーですが、プロコフィエフとの違いは?


宮尾 説明が難しいですけど、違いますね。先日仕入れた情報によると、プロコフィエフさんはアメリカに行って新しい技法を仕入れてソビエトに戻ったんですが、共産主義のもと自由に曲を書けない。実はアメリカで得た新しい技法を曲の中に入れていると聞きました。

ープロコフィエフは20世紀の作曲家ですからね。(宮尾 グノーさんは?)グノーは19世紀の真ん中あたりの人です。当時のフランスはとても華やかな時代。オペラの規模も大きくて、その中にバレエが入っていて一緒に楽しむ時代の作品なんです。ロートレックたちが描いた絵がありますよね。ああいう風な紳士淑女がパリのオペラ座に行って社交するわけですよ。すごく立派な建物で、中に入ると立派な階段があって、ホワイエ、ロビーが広い。イタリアの昔の劇場は玄関に入るとすぐ客席になっちゃう。フランスのガルニエ宮とオペラ座は世界で初めて鉄骨作りで作られたので大きいんです。休憩時間にボックス席から出てきてホワイエでお酒を飲んだり話したり、というのはオペラ座ができてから初めて始まったんですよ。

宮尾 シャンパンと生ハムとか。

ーさきほどDVDの感想を伺いましたが、そのほかに印象に残ったところは?

宮尾 セットですね。星座を意識して作っているセットと、現代的というんでしょうか、お洒落で豪華。これは凄いなと思いました。

ー衣装はたしかにクラッシクな感じなんですけど、回る舞台がちょっと斜めに傾いていたり、遠近法をうまく使った背景だったり後ですよね。

宮尾 そのあたり細かく“寄り”で見ていただけたら、楽しめると思います。

ーバレエの場合は舞台から正面で見るでしょ。(宮尾 そうです)オペラの舞台はセットに凹凸があったりするのが違いますね。

宮尾 バレエは舞台上でナチュラルな動きっていうのは少なく、バレエの基本に基づいた動きをしますので、あまり段差があったりするとそこから外れてしまう場合があります。ところがこの作品の戦い場面なんかは、みなさんが飛び上がったり飛び降りたりしています。

ー戦いの場面でロメオが向こうの御曹司(ジュリエットのいとこ)を殺してしまうんですが、ああいうところ迫力があって、日本の殺陣によく似た計算された動きの中でやっているんですね。

宮尾 けっこう本気で剣をふりまわしていて、リアリティがありました。

ーライブビューイングは1ヶ月くらい前に上演したものを鮮度そのままに高音質・高画質で見られるんですけど、さっき宮尾さんがおっしゃたポイントや、アップになったりアングルが変わったり、幕間のインタビューがあったり、見所がたくさんです。アンコール上映は10月5日まで、11月から新しいシーズンが始まり、その一番目が「アイーダ」です。今日ご覧になったアンナ・ネトレプコのジュリエットは10年前、アイーダのアンナが10年後。すっかり貫禄がついて。w バレエのプリンシパルも変わっていくことがありますか?

宮尾 あります。20代前半は勢いがあって、テクニックに走り勝ちですが、30代に入ってくると深みが出てきます。

ー声も同じ。若いうちは軽やかで、だんだん充実、重厚になってくる。アンナ・ネトレプコが歌う「私は夢に生きたい」という有名なワルツがあるんですけど、それが10年前。10年後は「アイーダ」を歌っている。どんな風に歌っているかは、11月にご覧下さい。

宮尾 いいですね。でも10年後は42歳です。引退している可能性が・・・重厚な踊りが踊れるようになって、僕もライブビューイングしていただけてるといいですが。

ー引退はまだまだ。バレエももちろんですが、俳優もなさっていますし、いろんな充実したフィールドに拡がっていくと思っています。

宮尾 そうですね。僕もミュージカルでもバレエでも「ロメオとジュリエット」やらせていただきました。後はオペラですね。www

ーそんな風にみなさまのモチベーションを刺激する「ロメオとジュリエット」でございます。どうぞお楽しみください。どうもありがとうございました。

宮尾 ありがとうございました。
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(取材・写真 白石映子)

グノー《ロメオとジュリエット》
上映時間:3時間28分
指揮:プラシド・ドミンゴ
演出:ギイ・ヨーステン
出演:アンナ・ネトレプコ、ロベルト・アラーニャ
(MET上演日:2007年12月15日)
配給:松竹 (c)松竹
https://www.shochiku.co.jp/met/news/956/

METライブビューイング アンコール上映2018
東劇アンコール上映はこちら
関西(神戸・大阪)アンコール上映はこちら
名古屋アンコール上映はこちら
配給:松竹 (c)松竹

「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2018 in 横浜」トークイベント

2018年8月19日(日)横浜美術館にて「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2018 in 横浜」と日本最大級のダンスフェスティバル「Dance Dance Dance@ YOKOHAMA 2018」とのコラボレーションイベントが開催されました。
ダンスにかかわるショートフィルム4本上映後、映画祭代表の別所哲也さんとダンスボーカルグループPrizmaXのボーカル、また俳優として活躍中の森崎ウィンさんのトークショーが行われました。以下ほぼ書き起こし。
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別所  1999年に「アメリカン・ショートショート フィルムフェスティバル」(現在は名称変更。HPこちら)という映画祭をスタートして、5年目の節目に横浜みなとみらいに「ブリリアショートショートフィルムシアター」をオープンしました。日常的にショートフィルムを観られる映画館として、また地域のコミュニティセンターとして10年間運営させていただきました。(2017年12月閉館、2018年2月よりオンラインシアターがオープン)

MC 横浜でのショートフィルムの上映ということで、お気持ちもひとしおではないかと思います。

別所 10年間コミュニティシアターとして、横浜に住んでいらっしゃる方、映画を愛する方、訪れる方々が交流する場になっていた気がします。2011年には東日本大震災があって、防災という意味でもこういう人が集う場所というのがいかに大切かというのを経験しました。全国から様々な方々、世界中の映画監督たちも映画祭を通じて、みなとみらいとシアターにお越しいただきました。

MC たくさんの方々に感謝感謝のお気持ちでいらっしゃるということですね。横浜といえば、森崎ウィンさんFM横浜でDJをされていて「WINのMAXで行こう!」(毎週月曜夜の23時30分から30分)聞いております。

森崎 そうなんです。いつもカミカミで(笑)。無理にテンション上げてやっています。4年前くらいに始まりまして、初めてのDJということで、すごいエネルギッシュだったんです。明日で28になるんですよ。別所さんを見て「落ち着いた大人」、「ダンディな芯のある大人」というのに魅力を感じまして。何であんなにハイテンションで始めたんだろうという…(笑)。

別所 反省してる?

森崎 反省しながら徐々に声を低くしています(笑)。

別所 確かに23時っていうのは夜中だし、ベッドに入る時間ですよね。

森崎 そうなんですよ。別所さんのラジオにお邪魔させていただいたときも、声がほんとに素敵で。僕はオープニングから(テンション高く)「WINのMAXで行こう!」(笑)

別所 素敵じゃないですか。やっぱり20代はそういう感じじゃなくちゃ。僕のJ-WABE TOKYO MORNING RADIOという朝の番組は12年やっているんですけど、そっちは「おはよう!モーニンッ♪」(笑)ナビゲーターとしても共通点がありましたね。これからも頑張りましょう!(握手を交わす)

MC 森崎さんも横浜に来る機会は結構あるんですね。横浜の印象は?

森崎 横浜は港町だけあって多様な文化が混じっていまして…近未来的なところを感じつつも開放感があって…でも人がすごくあったかくて。横浜でちゃんと朝まで一回飲んでみたいなって気持ちがあるんですが、なかなかその機会がなく。仕事だけじゃなく、次はプライベートでちゃんと来たいと思っています。
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MC 横浜で飲んでみたい、と。別所さんいかがですか?ご一緒に。

別所 ぜひ。横浜にはチャイナタウンもありますし、赤レンガ倉庫。歴史のある港町としてそれぞれ要所がありますから、そういった隠れ家的なところに自分のスポットを持っていたら・・・。

森崎 自分のべ、別荘ですか?(笑)

別所 いや、隠れ家があるとちょっとカッコイイなと、僕の目標でもあります。ぜひ一緒に飲みたいですね。お酒強いですか?

森崎 大好きです!

別所 何を飲まれるんですか?

森崎 最近ハイボールですね。

別所 あーハイボール、美味しいですね。

森崎 美味しいです!

別所 あ、ここでもまた共通点が!(笑)

MC 寝るヒマありませんね。(笑)
横浜の注目スポットといえばここ横浜美術館ですけれども。今日はショートフィルムを4作品ご覧いただきました。いかがでしたでしょうか?


森崎 ダンスを題材に映像化されているものはたくさんありますが、ショートフィルムで観るのは初めてです。普段僕も長くて4分くらいの曲を、ステージでパフォーマンスさせていただく機会が多いんです。映像を通して短い中でメッセージを、長編の映画よりも人の想像をかき立たせて自分を違う世界に連れて行ってくれる。素敵だなと思いました。

MC 気に入った作品は?

森崎 僕は『チビっこポールのダンスパーティー』(原題:shrimp)。和訳(字幕)では弟の呼び名「shrimp(エビ)」が「チビ」でした。僕にも弟がいて「チビ」って呼んでいるんですよ。今は僕より身長高くなっちゃいましたが。(笑)

別所 愛情こめて。

森崎 はい。皆さんご覧になられたんですか? じゃ言っても大丈夫ですね。「チビって呼ぶな」って自分の弟にも言われたことがあったりとか、弟が初めてデートに行く瞬間だったりとか、思い出される作品でした。ほんとにほほえましくて一番共感できて、気に入りました。

MC お兄さん目線でご覧になられていたわけですね。別所さんはどうご覧になりました?

別所 ダンスをどう取り上げているのかな、どうしてそこにこだわったのかな、と考えます。主催した側ですから(言いにくそう)…4作品の中では2つ目の『キルオフ』。これはジュヌビエーブさんという女性監督の作品。ダウン症の方がダンスというものを通じて、自分を表現する。家族との絆を考える。ダンスだけじゃなくてその向こう側にある人間が見えてくる作品でした。ほかのものもコンテンポラリーダンスとか、ダンスの要素としての扱い方はそれぞれ違うんですけれども、好きな作品というならこれになるかな。

MC あのキレの良さは、どこから来る情熱なのかと思いますよね。

別所 森崎さんもそうでしょうけれど、リズムとか、人が踊る熱みたいなものってだんだん相手にも影響を与えて行くんですよね。ダウン症を抱えた方の思いもありますし、それを何ていうんでしょ、それと共生しようという思い、(登場する黒人)男性の人種的なこと、多様なメッセージが含まれている気がします。

MC 6月に開催されたショートショート フィルムフェスティバルではたくさんのショートフィルムが上映されました。森崎さんはVR部門のプレゼンターをなさったんですね。

森崎 はい。呼んでいただいてありがとうございます。

別所 とんでもないです。スピルバーグ監督のVRに関する映画に出演されたので。まさにそのVRを取り上げたので、その世界観を物語として体感された森崎さんにぜひお越しいただこうということで壇上に上がっていただきました。

MC お気持ちはいかがでしたか?

森崎 緊張しました!僕が一つの作品に携わって、それからこう拡がっていくことが初めてでした。映画に出て終わりではなく、人と人の繋がりが見えない波動、波のように伝わっていくんだというのをあらためて実感できました。『レディ・プレイヤー1』のVRの部分、自分が伝えやすいところで入れたというのはありがたいことでした。

MC ショートフィルムはこれまでもご覧になっていましたか?

森崎 あんまり縁がなくてですね。別所さんにお話をいただいてから。これからもっとしっかりと向き合って行きたいです。VRセットが送られてきて事前に見るチャンスがありました。それで部屋の中でもうずーっと観ていました。(笑)

MC 森崎さんはこれから観ていきたいと。同じように思われているお客様もたくさんいらっしゃると思うんです。別所さん、ショートフィルムの魅力をお話しいただきたいです。

別所 これは何と言っても「短いこと」。映画は長さじゃなくて、3分とか5分でもハッとさせられたり、ドキドキしたり、共通のメッセージやその主人公に自分の思いと同じものを見つけたり。海外作品でも例えば恋愛観、結婚観、家族に対する思い、友情とか出会いとか別れとか「人間の本質にせまるエッセンスみたいなものが、ギュッと凝縮されて存在する」というのがショートフィルムじゃないかなぁ。
僕は森崎君くらいの年にハリウッドデビューをして、現地ロサンゼルスで映画の世界に触れました。そこでショートフィルムに出会ったので、僕にとっても原点です。
ショートフィルムには様々なものがあります。今日いかがでしたか?大きなスクリーンでシネマチックな体験をしていただけたと思います。今インターネットや様々なデバイスでもご覧になれます。横浜のシアターは閉館しましたが、今は「ブリリアショートフィルムオンライン」(無料/要登録)にアクセスして観ていただけたらなと思います。

MC 津川雅彦さんの追悼の作品『サイレン』を拝見しました。なかなか他で見られません。

別所 デザートムービー、ベッドタイムストーリー的に寝る前にご覧になったり、移動中、ランチタイムにちょっと観る。大切な人と分かち合って観るのもいいんじゃないかなと思います。2時間見ているのは大変ですが、ショートフィルムは短いですからあっというまです。

MC 6月に別所さんがおっしゃっていた「短い中で栄養を与えてくれるのがショートフィルム」という言葉に感動しました。そして今年元気を与えていただいたのが『レディ・プレイヤー1』です。話を戻しますが、森崎さん25歳のときなんですよね。別所さんの『クライシス2050』(1990)も確か同じ25歳、一緒なんです。

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別所 そう!僕25のときに撮影して戻ってきたんですよ。海外のプロジェクトに出たのが森崎さんが出たのと同じ時期なんです。はるか昔になりますが。

MC 25歳で見るハリウッドの風景ってどうでしたか?

森崎 日本でも映画に出していただくことはあるんですが、そんなに大きなバジェット(予算)の映画ではなかったです。そこからいきなりハリウッドに行ったときのギャップはすごく激しくて。言葉にしたらすごく生々しいんですけどほんとに「お金があるな」という感じでした。時間にも余裕があって、だからこそ「妥協しないで、その瞬間のベストを出しつくす」までチャンスをもらえる。それがショックでもありましたし、ありがたいと思いながら、とまどいもありながら現場にいたという感覚を今でも覚えていますね。

別所 とにかくスケールが大きいんですね。ぼくもSFXの映画でしたけど、宇宙船のセットがね、そのまま飛んで行くんじゃないかというくらい精密な作り方で。本当に信じられる、自分の想像力を生かせる空間づくりの前提がそこにはある。ラスベガスの砂漠でのロケがあったんですけど、昼の町(のシーン)を夜照明を焚いて撮ったりとか、もう必要なら夜を昼にするような勢いがありました。みんなが議論している中で「こういう撮影をしたい」「じゃあ道具を作ろう」「レンズを作ろう」とか、発想がぶっ飛んでいる。
日本だと「決められた時間・予算の中で知恵を絞ってどういう効果を出すか」にみんなが注力する。これも大事なことなんですけど。舞台でもそうかと思いますけど、お客さんを喜ばせるために、一から作っちゃおうという発想がハリウッドにはあるなぁと思いました。

MC 日本の映画作りとは全然違う?

別所 どっちがいい悪いではないんですけど、ハリウッドはそういった自由な発想で、必要なら道具も作る、コンピューターも用意するという、リミットがないというか。

森崎 そうですね。現地のCGスタッフさんはかなりの無茶ぶりをされていました。監督がその場でチェックしたいから、ということでVRのテントを作っちゃうんですよ。VRもまた作ってどんどん広がっていく。

MC 撮影期間中、何が現実の世界かわからなくなったりは?

森崎 夢のような世界過ぎて、地に足を着かせられない。普段だったら自分を振り返りながらできたものが、新しいものが多すぎて自分を見直す瞬間があまりなくて、とにかく話を追っていく。後は、くやしかった部分もたくさんありましたし。

別所 ええー!どんな?

森崎 僕の性格なんですけど。監督は演出的なことであまり役者のせいにしない、「ウィン全然ダメだ」なんてことは全くなく、逆にお褒めの言葉はいただけた…

別所 スピルバーグ監督に?

森崎 はい、いやぁ~。(照れ)

MC 「スピルバーグ監督に好かれてる」ってテレビ番組で…(会場爆笑・森崎さん動揺)

別所 大事だよ、大事!そういう俺様なところ(会場爆笑)!やっぱりほめてくれるっていうところありますね。

森崎 そうなんですよー(立ち直る)。それもあったんですけど、やっぱり主演の俳優の、役者としての凄さを目の当たりにしましたし。もし俺がその立ち位置だったときにできるのか?っていうと出来ないことが多くて。言語を始め、いろんなコミュニケーション能力とか、芝居とかそういうの考えると勝手にどんどんくやしくなって、あー絶対戻ってやる!って考えていました。はい。

別所 いいですねー。だって国際的にいろいろ活躍できるファクターを持っているんだし。何か月くらい撮影したの?

森崎 4か月くらい行きっぱなしでした。 ずっとロンドンの郊外で。

別所 最近のハリウッド映画は広く捉えないといけないんですよ。ニュージーランドやオーストラリアや南半球をスタジオに使うこともありますし。SFXの映画は結構ロンドンがあります。僕のときはずぶずぶにロサンゼルスだったので、スタジオはダウンタウンのメジャースタジオ、ロケは砂漠で、西海岸をウロウロしてました。

森崎 いいですね。イギリスでの撮影は田舎で周りに何もないんです。オフには何をしていいかわからなくて(笑)。車を貸してくれたので、無駄に5時間もかけて海を見に行ってました…1人だったので結果寂しいという(笑)。

別所 僕も一人でしたよ。ロサンゼルスのコンドミニアムに住んで全部自分でやって。最初のうちはプロデューサーが手伝ってくれましたが。アメリカも初めてだったので運転免許証を取るところから始まり、映画のイロハを全部そこで。全てが初めて。一人で行ったからこそ、いろんなことを体験して、自分なりに考える時間もあったと思います。

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森崎 そうですねぇ。(と先輩の一言一言に頷く)

MC PrizmaXのみなさんは撮影に入られるとき、どんなことをおっしゃっていましたか?

森崎 メンバーですか。全員男ですし、ちょっと男子校みたいなところもあったりしますし…

MC 素敵な男子校ですねえ!(笑)

森崎 誰かの仕事が決まったら「くやしい」と思うこともありますし、それがすごく伝わってきて。ただ心の底から「おめでとう」って言ってくれる。その代わり「見てろよ」ってことも感じられる。だから切磋琢磨できるんだと思います。

MC 別所さんハリウッドの先輩としてアドバイスを。

別所 何を?アドバイス?「日々いろんなことを経験して、感じて、表現して」というのが全てだという気がします。僕はハリウッドでジョージ・ルーカス監督に映画祭で出会って、それから現地で演劇の学校に行ったんです。そのときにActor=俳優の存在意義をいろいろ教えてもらって。言葉通りに「行動すること」とにかく行動しなさい、表現をするために動きなさい。心の動きもそうだし、日常生活でも感じたら行動する、それが大事だと。演技をするのがActorじゃなくて「行動する人」なんだってことを教えてもらったんです。
だからハリウッドの俳優さんって「Activist」活動家なんですよ。社会貢献や社会活動をする人がたくさんいるんですけど、それが彼らにはActorとシームレス(縫い目、継ぎ目がない)で繋がっていることなんです。日本では俳優っていうのは、きちんと準備されたところに行って演技をする人っていうイメージが多いんですけど。僕は行動する人っていうことで森崎さんにもスクリーンとか舞台の上だけじゃなく、「一人の人間として様々な行動をしてほしいな」と思います。

森崎 ありがとうございます。一個だけ聞いていいですか?

別所 一個じゃなくても(笑)。

森崎 あのう、ちょっと今考えているんですけど「人生の3年計画」っていうのを書こうと思いまして。
明日28になりますし。やっぱりちゃんとこう、表現するこの世界が好きですし、言うと生々しいんですけど「生き残っていきたい」(笑)。
常にトップのところに立つことって不可能なわけですし、波があるからこそいろんな引き出しも増えるだろうし。そんな中で自分の3年計画をたてたい。別所さんは20代の頃自分の計画とか書いたことはありますか?

別所 書いたことはないですけど、28のころどうだったかというと記憶がないくらい忙しかった。25で戻ってきて、26、7、8くらいはトレンディドラマ、今はそう言わないですよね。それで忙しくて28くらいのとき立ち止まろうとしたの。立ち止まっちゃダメ!(笑)

MC 出ました、アドバイス!(笑)

森崎 はい、わかりました。

別所 とにかくいただける仕事、いただける出会い、そこへ100%自分を持っていく。「習うより慣れよ」というんですけど、慣れてくるとせっかくいただいた仕事なのに、疲れたなとか、これヤダ、あれヤダとか言い出す時期に入りがちじゃないですか。男としてもこういう風になりたいなぁとかあるんですけども、こうなるべき、っていうのといただく仕事がちょっとズレていることがあるんですけど、どんどん飛び込む。それが求められている自分なんだと思って。

森崎 ああ~(聞き入って)…すみません。

別所 森崎さんにはダンスかもしれないんですけど、僕はミュージカルを学生演劇のときにやっていました。日本に戻ってからたくさんドラマや映画出させていただいて、ふっと気がついたんです。自分は舞台からスタートしたんだった。今話していて思い出したんですけど、30代にはどこかの舞台にきちんと立てる俳優になりたいな、と思いました。それに向かってドラマや映画を嬉しくやって来られたんです。
だから、森崎さんはせっかく出会ったダンスとか、そのグループの仲間とか、俳優としての自分だったりを大事にしていけばいいと思う。

森崎 ありがとうございました。

MC ダンスのお話が出たところで、ダンスの魅力について。

別所 「Dance Dance Dance」ですからね。

MC 森崎さん、ダンス始めたきっかけって?

森崎 中学2年生のときにスカウトされて事務所に入ったんです。それまではずっとサッカーをやっていたんです。毎週演技やダンスのレッスンがあって、それで初めてダンス…

別所 (いきなり)森崎さん、ちょっと手を見せて!おおお~~~!(会場笑)

森崎 左手が同じです。

別所 手相が同じです!!

MC ええ~~!そうなんですね。

別所 何ていうの?昔風に言うと「百握り」?

MC 「て」の字になってるんですね。はっきりしてるんだ。

森崎 そうです。「て」の字。

別所 一直線!一直線!すごーい!!どっかでDNA繋がってる??(会場爆笑)

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森崎 びっくりした~!自分以外の人の初めて見ました!(しばらく興奮冷めやらず、お互いに手を見る二人)

別所 みんなこれ、ツイッターで(笑)。 じゃダンスに戻って(笑)。

森崎 それ、どこまで話しましたっけ?(笑)事務所ですね。で、今続けているPrizmaXに出会いまして。PrizmaXもう歴史があったんですよ。ライブを見たとき、かっこいいなぁと思っていたんです。当時のマネージャーに「ちょっと歌ってみて」と言われ、ボイストレーニングに通うようになり、路上ライブがあるから振りを覚えてきて、と映像を渡され…メンバーには全体レッスンなどですでに会っていて仲良かったんです。「ウィン入ります!」とかもなく、いつのまにかグループにいたんです。それでどんどん人前で踊るようになって好きになっていきました。
もっとできるようになりたい、とか、同じメンバーでもライバル心とか抱くようになりました。「ダンスの魅力はこれだ!」と僕うまく言葉にできないんですけど、気づいたらやっていたってことです。はい。

MC 気づいたらやっていた…別所さん「踊る別所」は?(笑)

別所 あ、そこ繋げましたか?(笑) これはですね。ラジオやらせていただいて音楽が流れると、気持ちが乗るんですよ。自分が知ってる曲、気持ちがアガル曲、そのときに最初はちょっと体を動かして、それがだんだん激しくなって踊るようになりました。それがツイッターの映像になって、いろんな人が#踊る別所に反応してくださるようになったんです。

MC だってあれ面白いんですもん。みなさん#踊る別所で。(笑)

別所 こないだテレビの「ダウンタウンDX」で取り上げていただいて。踊るって鼻歌口ずさむのに似ていて、気がついたら踊っていて…。踊りの根っこは気がついたら動いていた。その先にアートとかあるんじゃないかな。

MC 気がついたら西瓜持ってたりとか?(笑)

別所 それはね、なんか用意してあると、これは一緒に踊りたいんだなと(笑)。

MC 今日は全身白ですけれども、踊る別所とか、ミュージカルの別所とか、切り替えていますか?

別所 特に切り替えていないですけど(笑)。朝ラジオのスタジオに行くと、良い意味でリスナーの方と同じプライベートな空間に1:1でいるような感じなんです。どっちかというとリアル別所、ありのまま、素のまま。そういうときってテンション上げてても、ない?

森崎 ありますね。疲れてるときも声出ないときもあります。でも声には全部出ていて、リスナーの方って見抜くんですよ。「大丈夫?」とか。

別所 そうそうそう。

森崎 その空間はプライベートで、一緒になれるっていいますか、全部見られているような感覚になります。

別所 だよねー。ラジオのほうが見られている、こっちの事がわかっちゃっている気がしますね。「がんばっちゃったの?」「お疲れですね」とか(笑)。ラジオのフィードバックは愛情があります。暖かいね。

MC 森崎さんは、PrizmaXのとき、俳優のとき、自分自身で気持ちを切り替えることは?

森崎 PrizmaXでいるときは自分で曲を書いたりさせていただける環境にありますので、自分を表現する、ある種こうありのままで、森崎ウィンとしていられることが多いです。自分の経験や培ったものを音楽にのせたりするのも自分のまんまです。
お芝居をするときは、全然違うキャラクターを演じる難しさを最近あらためて感じるようになりました。PrizmaXでいるときよりも台本をいただいたときの方が勉強しているかもしれないですね。役に自分との共通点を見つけたりもするんですが、中にいるキャラクターへのリスペクトから入るので。使い分けているというより、勝手に自分の中で切り替わっているのを最近感じます。

MC そんなに自然に変えていけるようになるものなんですか?人生の先輩として、別所さん?

別所 僕が歌手の方やパフォーマーの方を尊敬するのは、自分を表現するっていうところなんです。役者はもう一つを身にまとう。例えば僕別所哲也ならこう座るけれども、いただいたキャラクターだったらこう座っているのかな、とか、別の世界の表現をアドオンする。

MC まだまだお話伺っていきたいんですけど、実は会場のお客様から質問をいただいていまして、そろそろ時間なので、質問に移らせていただいてもいいでしょうか?いいですか?ではまず質問1から。
「お二人の尊敬している方は誰ですか?」


森崎 そうですね。最近増えた方で。僕昨日までミャンマーで、今朝帰ってきたんですけど、昨日ミャンマーの国の「観光大使」になったんですよ。

別所 おめでとう!素晴らしい!(会場拍手)

森崎 ありがとうございます。そのときの授与式で、駐ミャンマー大使の丸山市郎大使がスピーチをされたんです。最初は英語で後はずっとミャンマー語で。ミャンマーってそういう式のときも、みんな喋ったりしてるんですが、丸山大使のスピーチのときはサッと静かになったんです。その、人を引き付ける力に魅了されました。この人と一回ご飯食べたいなって思いました。(会場笑)純粋にすごく尊敬を覚えました。

別所 一回と言わず、ねぇ。

森崎 そんなにしょっちゅうお会いできる方じゃないんですよ。

別所 魅了するのは、スピーチの言葉?内容?

森崎 内容は、政府の偉い方が多いので、政府のこととかビジネスとかが多いんですけど。日本人なので日本語にしますっていうんじゃなかった、良い意味の裏切られた感というか、エンターテイメントを感じたんです。エンターテイメント性を出される丸山大使の人柄にすごく興味を持ちました。

MC 人を引き付ける力ね。別所さんいかがですか?

別所 え?(笑)尊敬する人ね。身近な人例えば父親とか、様々な尊敬する人がいるんですけど、映画っていうもので言えばやっぱりジョージ・ルーカス監督です。自分にとってすごい人。エンターテイメント、映画、人生観…そういうものの視野をバッと拡げてくれた人っていう思いがありますね。僕が映画祭を始めた当時、ジョージ・ルーカス監督にメールを送ったんです。何処の者かもわからない、僕のような日本の俳優にちゃんと応えてくれる。目線が高いでも低いでもなく、当たり前のように答えてくれる。
みなさんご存知かもしれないですけど、『スター・ウォーズ』を作っただけではなく、映画の様々な技術を開発したり、デジタル部分でも新しいことをやったり、まさにエポック・メイキングな人なんです。今ごく当たり前になっていることを、最初にゼロから1にし、1を100に変えていった人なんです。それが彼の力、そこから学ぶことは多いです。

MC ありがとうございます。それでは2つ目の質問です。
「表現者として今まで一番達成感を感じたのはどんなときですか?」
難しいですね。


森崎 えっと~達成感ですか(考え込む)。

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別所 ダンスだったらあれでしょ(やおら立ち上がって)、ムーンウォーク。マイケル・ジャクソン「ホー!」というだけじゃないんだよ。(アクションに会場大うけ)自分が何度も何度も練習して、今できてませんけど(笑)、できたときの達成感!

森崎 達成感…表現ですよね?えっと~「裏声が出せたとき」ですかね(笑)。ファルセット、裏声で歌うのが昔できなくて。それができたとき、それこそ森山直太朗さんの「さくら」。「僕は~♪」っていうの(客席が沸くのに向かって)歌わないよ(笑)。当時友達とカラオケに行って初めて歌えたときの達成感、今も覚えています。

別所 裏声出すのたいへんなんだよね。僕はジャン・バルジャンの歌がね、「うちへ~♪」っていうところだけ裏声で、これがたいへんだった。

MC 最後の質問です。
「お二人が映画で共演するとしたら、どういった役柄で共演してみたいですか?」


森崎 やっぱりこう、普段できないことをやるのが一つの醍醐味でもあるので。「別所さんの上司の役」とか。(別所 おお~!)オーディションとか、「用意、スタート!」とかやってみたいなぁ。逆転する。

MC・別所 いいですねぇ!

MC VR、仮想現実の世界。

森崎 そういうショートフィルム作りましょうよ。手相も見せる(笑)。

別所 そうだよ~。ドラマ関係の方使えますよ。手相が一緒の俳優~♪ 歳の離れた兄弟が出会ってさー‥‥(ふたたび手を見ながら盛り上がる二人)

MC 番号のついた引換券をみなさまお持ちですか?これから抽選して、当たった方にはサイン入りのオフィシャルグッズをプレゼントいたします。(手相話が止まらない二人へ)その手を抽選箱に入れていただけませんか(笑)?

別所 名司会者!!(笑)

抽選箱から2枚ずつ引き、ラッキーな4名の方々が決まりました。私もチケット買って入場しましたが外れました。
森崎さんは翌日の8月20日がお誕生日、ここでお祝いの音楽が流れ満場の拍手の中、大きな花束がプレゼントされました。スーツの下が黒地に花柄のシャツだった森崎さん、花束とお揃い♪と嬉しそう。


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森崎 めちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます!

別所 明日がほんとの誕生日!?

森崎 うちの事務所はサバ読むことはないので(笑)、本当に28歳です。

別所 抱負を。

森崎 こうやって別所さんはじめ、いろんな方と出会いができたのが嬉しいです。28歳としてもう少し落ち着きのある(笑)、ダンディな男の子、男の子じゃないな(笑)、男になれるよう、日々精進してまいります。これからもよろしくお願いいたします。(会場からおめでとう!の声と大きな拍手)

MC ありがとうございました。それでは別所さんからも、会場の皆様にひとこと。

別所 本日はお集まりいただきましてありがとうございます。ショートフィルムとダンスがどんな世界観を作っていくのか、みなさんと森崎さんと一緒に発見ができたこと。森崎さんとは手相も同じ、海外での映画体験も違った形ではありますが、共通していたこと。身体表現、ダンスの魅力をここ横浜の地で分かち合えたことを嬉しく思っております。「Dance Dance Dance@ YOKOHAMA 2018」の関係者の皆様にもお礼申し上げます。ありがとうございました。

=取材を終えて=
別所哲也さんは若いころからご活躍を見ていましたが、取材するのは初めてでした。何度か取材した森崎ウィンさんが熱いのは、かなりわかったつもり。別所さんはキャリアが長い分もっと熱かったです。しかもそれを持ち続けていらっしゃる!
二人が夢中になっていた手相ですが、ウィンさんの「ての字」はくっきり目立つので、「ますかけ線がある」のには気がついていました。強運を努力と情熱で切り開いていくタイプで、歴史上の人物、今なら企業家や芸能人に多い手相のようです。同じ手相の二人が似たような経緯を辿ったのも納得です。「大志を抱いて生きるのが最も相応しい」のだそうですよ。これからも目が離せませんね。ちなみに別所哲也さん1965年8月31日生まれ。ウィンさん1990年8月20日生まれ。年の差25歳の兄弟・・・ぎりぎりありえますね。抽選の説明をしている間にも、ストーリーを話し合っていたようなので、ショートフィルム実現するかも。楽しみにしていましょう。
ショートフィルムオンラインは文中にもリンクを張っていますが。こちらです。私もさっそく登録しました。たびたび作品が追加されますので、チェックをお忘れなく。
本日のMCさんグッジョブでした。なお、(笑)は殆ど壇上会場共に笑っています。(取材・写真 白石映子)


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