今年で設立60周年となる日本映画ペンクラブ。
映画を愛し、評論・報道・出版・放送・制作・マルチメディアなど様々な分野で映画に関する仕事に就いている方たち約160名の会員が選んだ、2018年度の日本映画ペンクラブ賞等の授賞式が開かれました。
期日:2019年3月12日(火) 午後6時より
会場:コートヤード・マリオット銀座東武ホテル
司会:宮内 鎮雄氏(元TBSアナウンサー)
まずは、日本映画ペンクラブ代表の渡辺祥子さんによる開会の辞。
映画少年、映画少女の頃の気持ちで今も映画になんらかの形で携わっている、まさに映画好きの会員たちが選んだ賞であることを強調されました。
◆2018年日本映画ペンクラブ賞
独立行政法人 国立美術館 国立映画アーカイブ
*授賞理由*
2018年4月 独立行政法人 国立美術館・映画専門機関「国立映画アーカイブ」は、これまでの東京国立近代美術館フィルムセンターから改組され、新たな位置づけで設置された。フィルムセンターは、これまでも映画の収集・保存・公開・活用を行ない、映像世界に多大な貢献を行ってきたが、装いも新たに、「映画を残す、映画を活かす。」を主要ミッションとし、日本の映画文化振興のためのナショナルセンターとして、一層の機能強化を目指すとされる。一般映画ファンから研究者まで 多くの人々のための、自由で柔軟な映像文化の中核機関としての充実と今後への期待を込めて。
村川 英さんより花束贈呈
京橋フィルムセンターと呼ばれていた学生時代から、ほんとにお世話になりました。
先人たちが苦労して作り上げた結果をよく存じております。
大学で教えるようになってからは学生を連れてよく参りました。
今後も是非、映画界の拠点となって、いい意味で私たち映画人を鼓舞していただければ大変ありがたいと思っております。
受賞者:独立行政法人 国立美術館 国立映画アーカイブ 田島尚志館長
由緒ある名誉ある栄えある賞をいただき、国立映画アーカイブを代表して心より感謝申し上げます。大きな励みとなる賞だと思っております。デジタルの時代になり、フィルムかデジタルか、保存か未活用なのかなど二者択一を迫られる大変な時代になりました。
「チャップリン」の著書で有名な映画史家デイヴィッド・ロビンソンが、ある雑誌の中で、「野兎と一緒に走ることと、猟犬と一緒に兎を追いかけることは同時にはできない、二つのことを一緒にできないならば、まず保存せよ」と述べていて、大変感動しました。保存と未活用を同時にやらなければいけない大変難しい時期にきております。そのことを映画のジャーナリストの皆さんが理解してくださって、我々の励みになるような今日の賞をくださったと理解しております。
写真左端:田島尚志館長
◆2018年日本映画ペンクラブ賞 特別功労賞
字幕翻訳・プロデューサー ショーレ・ゴルパリアン
*授賞理由*
イラン出身 1979年初来日。「友だちのうちはどこ?」(アッバス・キアロスタミ監督)以降イラン映画の普及に尽力、多くのイラン映画の日本ロケも実現させる。その一方 山田洋次作品や「北の国から」シリーズなど、日本映画のイランへの買い付け・紹介も行い、その功績から2018年には外務大臣表彰を受ける。くしくも日本・イラン外交樹立90年を迎える2019年。その長年の功労に対して。
推薦者である齋藤敦子さんより花束贈呈
字幕の翻訳をやっておりまして、最初にイラン映画の翻訳をやったのは、キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』と『そして人生はつづく』の2本でした。その時はまだショーレが関わっていただけなくて、大変苦労しました。その後、ショーレが発見されまして、キリスト教以前と以後という区分がございますが、日本の映画界では、ショーレ以前と以後では、がらっと変わりました。こんなにたくさんのイラン映画が日本で観られるようになったのは、すべて彼女のお陰だと思っています。ありがとう。
受賞者:ショーレ・ゴルパリアンさん
心から皆さんに感謝しております。この会場には、様々な形で仕事をした方たちがいて、齋藤さんをはじめ皆さんとお会いできて嬉しいです。
日本には、33年ほどいます。5歳の時にママがくれたペルシア語に訳された日本の昔話を読んで、絶対日本の侍の嫁になりたいと思って、日本に行きたいと思いました。20歳の時、日本に行こうとしたら、お母さんから「もっと近い国はないでしょうか?」と言われましたが、日本に来ました。日本に来たら、日本の人がイランのことをあまり知らないとわかりました。イランでは、皆、日本映画を観て、日本のことや日本人のことをよく知ってました。1990年代に入ると、皆さん覚えていらっしゃると思いますが、イランから労働者がたくさん日本に来ました。ニュースはイランの悪口ばかりでした。そこで私は思ったんです。イランでは日本のことが映画の力で紹介されました。私も映画の力でイランを紹介しようと決めました。まず字幕のお手伝いをして、キアロスタミ監督やマフマルバフ監督などを日本で紹介したり、日本の現在の姿がわかる映画をイランに紹介したりしました。映画を使って両国の文化を繋いだことがとても自分の身に合うと思いますし、嬉しいです。
これからも頑張ってやろうと思いますので、皆さんよろしくお願いします。
◆2018年日本映画ペンクラブ賞 特別奨励賞
映画監督・俳優 齊藤工
*授賞理由*
2001年斎藤工として俳優デビュー。以降多くの映画作品に出演。また 映画情報番組のMCとしても幅広く活躍。2014年からは移動映画プロジェクト「cinema bird」、「ワールド・シアター・プロジェクト」など、多くの映画啓蒙活動に関わる。2018年「blank13」で長編作品監督デビュー。俳優だけの活動を超えた行動は、同世代の俳優や業界にも多大な影響を与えている。今後の更なる活躍を期待して。
推薦者である中山 治美さんより花束贈呈
私は記者として役者としての斎藤さんの方を取材することが多くて、フェロモンでイタリア女性をメロメロにしたことなど記事にしています。今回の授賞は、ご本名の方の難しい漢字の齊藤工さんとしてのものです。監督、プロデューサーなどのほか、移動映画館プロジェクトを2014年からされています。震災がきっかけだったとのことですが、あまりにも地方に映画館がないので、どうやったら映画を観れるだろうと、幼い子どもたちに映画を観せたい思いで映画館を連れていってしまう。軽やかに活動をされています。
一俳優という枠を越えて活動することは、日本の映画界では時間もなかなかないし、売名行為だという人もいるのですが、そういうことを越えて、齊藤工さんの活動が俳優や映画人を引っ張っていってくださることと奨励賞を差し上げることに決めました。
受賞者 齊藤工さん
普段、出演するドラマやバイト探しをして暮らしているのですが、もともとは映画が大好きな少年で、今もその延長線上にいます。
移動映画館ですが、始めた理由は大それたことでなくて、自分が映画館のあるのが当たり前の中で暮らしてきて、映画で疑似体験をしてきたのが、そういう環境にない子どもたちがいることに気づいて、自分がその地域の子だったらということから発案したんです。一個人がアイディアを持っても、実行するのには大勢の方たちの力がいります。個人の名前で賞をいただきましたが、多くの方とのファミリーツリーが受賞したと思っています。
映画製作も俳優、写真家活動も同じで、一個人で出来ることの限界を知り、他者と関わることで、足し算、掛け算でいろいろなことをして数十年経って、形にしてきたと思っています。
様々な形で映画と向き合おうと思って、映画を包囲してきたと思います。少し映画が振り返ってくれたかなと思います。
海外で移動映画館をした時に印象的だったのが、マダガスカルやパラグアイなど、映画の文化がない地域での上映で、子どもたちが初めて映画を体験する瞬間に立ち会ってきました。映画が先進国の一部の娯楽なのだなということを知りました。映画は誰のものかと思うと、映画でいろんな疑似体験をして未来の選択肢を増やすことができる力が映画にはあるので、できるだけ果ての地でも上映したいと思っています。
俳優を英語でactorといいますが、行動する人という意味です。論じるより行動して映画の可能性に自分なりに関わっていければと思っております。本日はありがとうございました。
◆2018年日本映画ペンクラブ60周年記念特別賞
岩波ホール
*授賞理由*
1968年 開館 当初 芸術性の高い文化活動の為の多目的ホールとして営業。 1974年 エキプ・ド・シネマ(商業ベースにはなりづらいと考えられている名作を上映することを目的)を開始。以降文化的に質の高い映画を上映する映画館として機能。2018年 50周年を迎え、56か国・地域の250本以上の作品を上映。常に良質な映画を独自の視線で上映し続けている功績に対して。
大竹洋子さんより花束贈呈:
私は日本映画ペンクラブの会員で、これまでにも花束を差し上げるお役目が多かったのですが、私自身、岩波ホールにずっとおりましたので、岩波律子さんに花束をあげることにはまさかならないと思っておりましたら、まさかになりました。私が差し上げても喜ばれないのではないかと思ったのですが、律子さんがいかによく頑張って岩波ホールをやってらっしゃるかを申しあげたくて、引き受けました。ご存じない方が多くなりましたが、高野悦子さんという女性がいました。私はずっと子分で、鬼の大竹、仏の高野と皆さんから言われてきました。私は岩波ホールを定年退職した最初の人間です。
50周年に当たって、どんな映画を上映するのか非常に関心がありました。ほんとうに見事なプログラムを作ってくださいました。私が岩波ホールに入った頃は映画の黄金時代で、上映する映画、どの映画もドアを開けるとすぐ満員になってしまう。入れなくて帰る人の方が多い時期もありました。そんな頃にヒットしたヴィスコンティの『家族の肖像』や、香港の『宗家の三姉妹』などの作品を企画するのかなと思っていたら、そういう作品は一切やらないで、非常に地味で、これまで上映したくても、なかなか上映できなかった国の名画を上映してくださいました。
高野悦子さんはとても華やかな方で赤い洋服しか着ないような方でしたので、その後を引き継いだ岩波律子さんはどんなに大変かと思いましたが、実の姪ですし、高野さんのこともよくわかっていて、ほんとに頑張ってくださいました。
これからも岩波ホールをどうぞよろしくお願いします。
左:大竹洋子さん 右:岩波律子さん
受賞者 岩波律子さん
大竹さんから過分なお言葉をいただき恥ずかしい気持ちです。高野悦子はがむしゃらな人で、皆でついていくのが息切れがするような人でした。亡くなりましてから、無我夢中でやってきました。私が頑張ったというより若いスタッフがすごく頑張ってくれて、私が支えられてきました。
50年も続いてきたのは、ここにいらっしゃる映画ジャーナリストの方たち、映画を作ってくださった監督たち、配給会社の方たち、そしてお客さまがあってのことだと思います。初期の頃は、歴史の古い規模の大きな配給会社にお世話になってきましたが、近年は、歴史が2~30年の規模の小さい配給会社の方々と一生懸命仕事をしてきております。当たる映画でなくて、自分たちがほんとに好きな映画、日本で紹介すべき映画を配給しようと頑張っている方たちです。
映画館ですので、お客様のことも少しお話したいと思います。女性の観客が多くて、熱心に来られています。女性は一人でいらっしゃることはまずなくて、女友達やカップルでいらっしゃいます。帰った後には、「あの映画よかったわよ」と広めてくださいます。ところが、男の方は一人で来る方が多くて、中には奥さんに引っ張って来られる方もいるのですが、感動を大事に自分の胸に収めて、広めてくださらないんです。
珍しく男の方でいっぱいになったのは、最近では『阿片戦争』。司馬遼太郎が好きな感じの男性方がむっつりとお待ちになっていたのが印象的でした。
上映中の『ナポリの隣人』ですが、配給会社の方が日本で上映すべき映画とおっしゃってくださったけど、むっつりした男性が主人公の映画でどうかなと思っていましたら、ほんとにお客様がいらしてくださってます。この間、映画が終わって出てきたおじいさんが、外で待っていたおじいさんに「どうだった?」と聞かれて、「良かったよ」とおっしゃっている姿を目撃して、口数少ない男の方どうしなのにと感動しました。
監督さんが大切に作られた映画をお客様にお届けするだけでなく、何が正しいのかわからなくなった世の中で、一緒に勉強しましょうという気持ちで上映しております。
◎日本映画ペンクラブ会員選出ベスト発表
☆各部門の第2位~第5位の作品については、日本映画ペンクラブのサイトでご確認ください。
◆日本映画部門 2018年第1位
『万引き家族』
パリで編集作業中の是枝裕和監督に代わり、是枝監督と5回目のタグを組んだプロデューサーの松崎薫さんが受賞。
日本映画ペンクラブ代表の渡辺祥子さんより授与:
日本映画ペンクラブでは、年に一度、ベスト5を選ぶのですが、すごく皆、映画にはうるさいんです。その中で1位に選ばれたのが『万引き家族』でした。観終わった後で、いいね、好きという人がとても多かったんです。おめでとうございます。
松崎薫プロデューサーに、堀木三紀さんから花束贈呈。
松崎薫プロデューサー
私の立場では興収を気にしないといけないのですが、始める前に、監督から、この作品はあまり公衆受けしないで、そっと好きな人に差し出したい作品にしたいと釘を刺されました。低予算で押さえないといけませんでしたし、監督にもご負担をおかけしました。派手な宣伝もするなと言われました。ほんとに、そっと差し出すつもりでやってきたのですが、まさかこんなに多くの方にご覧いただけることになるとは夢にも思わず、監督の言葉を借りれば、「作品が我々の手を離れて素晴らしい旅をした」と思います。世界中で多くの方にご覧いただき、幸せな作品になったと一同喜んでおります。
60年という伝統のある日本映画ペンクラブの厳しい目を持った皆さまから選んでいただき、光栄に思っております。関係者一同を代表してお礼申しあげます。
是枝裕和監督からのメッセージ
この度は、ベストに選んでいただき、日本映画ペンクラブの皆さまに心からお礼申しあげます。『海街diary』に続き2度目の受賞で、自分としてはまったくタイプの違う作品を評価いただいて、ほんとに嬉しく思っております。本日はパリで新作の編集作業をしておりますためにお伺いできず申し訳ごさいません。次回作のことをお話するのは間違いかもしれませんが、来年は外国映画部門での受賞を狙えればと思っております。本日はありがとうございました。
◆外国映画部門 2018年第1位
『スリー・ビルボード』 (監督:マーティン・マクドナー)
20世紀フォックス・アソシエイトディレクター 平山義成さん:
マクドナー監督はじめとするフィルムメーカーの皆さんに代わりまして、御礼申しあげます。私が担当している作品は必ず試写室で拝見します。映画を言葉で語る方々の表情を見て、また、お仕事で書かれたものを拝見して、常に刺激を受けております。一番厳しいプロの目を持った皆さんから賞をいただけることが最大の栄誉だと思っております。
◆文化映画部門 第1位
『沖繩スパイ戦史』 (監督:三上智恵 大矢英代)
三上智恵監督
ほんとうに感動しています。こんなに伝統ある賞の、しかも60周年の節目の年に選んでいただいて光栄です。映画少年や映画少女の皆さんが好きとおっしゃってくださった一番に選ばれて、こんなに嬉しいことはありません。
今日、私は沖縄から参りましたが、もう一人の監督、大矢さんは現在アメリカに留学していまして来られませんでした。今日は私が2人分しゃべろうと思います。
私も大矢も、那覇の放送局でテレビ報道に携わってきました。私は20年やってきましたが、二人同じ気持ちでいるのは、ずっと沖縄で取材していると、軍事植民地のような状況を何十年続けなければいけないのかという思いです。早く沖縄を解放しなければならないとあせりながら現場を走り回ってきました。それが、10年位前から、沖縄を解放するとか負担を軽くするというレベルではなく、アメリカの中国に対する軍事戦略の戦場の一つとして沖縄が見られていること、今は日本全体が戦争に巻き込まれるという状況が沖縄にいるとあからさまに見えてくるので、それを全国の皆さんに伝えないといけないという思いで、4本の映画を作ってきました。今回の作品は、もろに沖縄戦の厳しい映画になりました。沖縄戦がどんなに悲惨かはこれまでにもずいぶん学ばれたことと思います。沖縄戦がなぜ悲惨だったのか、なぜ止められなかったのかは、まだほとんど学ばれてないと思います。なぜ悲惨だったのか? それは軍隊が住民を守らなかったからです。パニックになった日本軍がたまたま沖縄の人を殺してしまったという簡単な話ではありません。見捨てられた軍隊が住民を巻き込んでやる戦争は、たまたま沖縄で起きた悲惨なことではありません。れっきとしたマニュアルがあったことで、旧日本軍の体質ややり方が今も引き継がれていたらどうなるだろうか。差し迫った問題として、沖縄にいると警告を発せざるをえません。沖縄が対岸の火事ではなく、沖縄が燃えているだけでなくて、皆さんの服にも火がついているのですよとお伝えするために、映画を作っています。それでもまだ、沖縄大変ねと、自分たちの問題ではなくて、まだまだ民主主義の中にいて国は自分たちを守ってくれるという日本本土とのギャップを感じています。ですので、沖縄戦の中から、一番効く処方箋を全国にお届けしなくてはと、この映画を作りました。
少年ゲリラ兵に仕立てられていった少年たちの取材をまだ続けていて、明日は厚木に住んでいる91歳のおじいさんのところに話を聞きにいきます。
齊藤工さんが映画はたくさんの選択肢を与えてくれるものとおっしゃいましたが、ほんとにそうだと思います。この映画は、小学校高学年から10代の子どもたちに特に観てもらいたいと思っています。ほんとに素敵な賞をありがとうございました。
*****
最後にフォトセッション。
そして、その後は、和やかな懇親会の場となりました。
齋藤敦子さんとショーレ・ゴルパリアンさん
スタッフ日記 イランのショーレ・ゴルパリアンさんが日本映画ペンクラブ賞特別功労賞受賞 (咲)
http://cinemajournal.seesaa.net/article/464654333.html
取材:景山咲子