『蹴る』中村和彦監督インタビュー

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中村和彦監督プロフィール
映画監督。福岡県出身。早稲田大学第一文学部在学中に助監督を経験、そのまま映画の路に進み大学を中退。2002年に『棒-Bastoni-』で劇場用映画監督デビュー。その後サッカー日本代表のオフィシャルドキュメンタリーDVD『日本代表激闘録』シリーズ(2004~2017)のディレクターを担当しつつ、2007年に監督第2作目、知的障がい者サッカーのワールドカップを描いた『プライドin ブルー』(文化庁映画賞優秀賞受賞)を発表。2010年にはろう者サッカー女子日本代表を描いた『アイ・コンタクト』(第27回山路ふみ子映画福祉賞受賞)を公開。
本作『蹴る』が障害者サッカードキュメンタリー3作目となる。(クラウドファンディング 監督紹介より)

公式HP https://keru.pictures
★2019年3月23日(土)ポレポレ東中野にて公開
(C)「蹴る」製作委員会
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*電動車椅子サッカー*
電動車椅子の前にフットガードを取り付けて行うサッカーです。自立した歩行ができないなど比較的重度の障害を持った選手が多く、ジョイスティック型のコントローラーを手や顎などで操りプレーします。性別による区分はなく、 男女混合のチームで行います。国際的な呼称は「Powerchair Football」となっており、スピードは時速10km以下と定められています。直径約32.5cmのボールを使用、繊細な操作で繰り広げられるパスやドリブル、回転シュートなど華麗かつ迫力あるプレーが魅力です。(電動車椅子サッカー協会HPより)
http://www.web-jpfa.jp/football/


-監督はサッカーの映画を続けて撮られていますが、サッカー少年でしたか?

子どものときはサッカーも野球も好きでした。中学でサッカー部か野球部か迷ったんですけど、兄がサッカー部だったもので、同じのをやりたくないと中高とも野球部にしました。でもサッカーに未練がずっとありました(笑)。Jリーグができたじゃないですか、それでサッカー好きがずっと続いています。
サッカーをやってきたと思われるんですが、理屈は詳しいけれどサッカー部の人に比べたら全然です。

-障がい者のサッカーを撮るようになったのは?

映画の仕事はずっとやってきていて、映画を作りたい+サッカーが好きという流れがドッキングしたんです。この作品の前にサッカー日本代表の「サムライ・ブルー」のオフィシャルDVDを作る機会がありまして、このときに撮り方などを学びました。それまでになかった障がい者のサッカーの映画が作れるんじゃないかと、まず知的障がい者のサッカー『プライドinブルー』(2007年)を、それからろう者のサッカー『アイ・コンタクト』(2010年)を作りました。

-その「アイ・コンタクト」(岩波書店)を読みました。女性(選手)たちが個性的で強くて可愛かったです。
*「デフリンピック」=聴覚障害者のために開催される4年に一度のオリンピック=の女性選手たちを取材して書かれた本です。

はい、自分で書いています。女子の日本代表があるのが、ろう者女子サッカーだけだったんです。『アイ・コンタクト』で「もう一つのなでしこジャパン」を描いて、『蹴る』でさらに「もう一人のなでしこジャパン」を描いたという流れです。

-この作品の中には、ブラインドサッカー(視覚障がい者のサッカー)日本代表選手がちょっと出てきますね。次にそちらにいくのかなと先読みしてしまいました。

いや、ブラインドサッカーは十分注目されているんで、そちらはもういいかなと(笑)。誰もいってないところにいきたい。ドキュメンタリー映画ってそういうものかなと思いますし。
今は少し状況が変わりまして、電動車椅子サッカーも誰もいってないってほどではなくなりました。

-電動車椅子サッカーは、横浜クラッカーズの永岡真理さんに注目されたときからの取材ですね。最初の映像はいつのもので、それは使われているんですか?

撮りたいと思ったのが2011年の7月で、お願いして撮影を始めたのが8月中旬からです。
最初の映像は使ってないんじゃないかな。作品の中で一番古い映像は、2011年の秋、大阪で開催された日本選手権大会で優勝したときの映像です。一番新しいのが“ドクターがレントゲン写真を見せている”シーンで2018年の1月末、最後に撮影したものです。

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永岡真理さん

-試合が激しいのと、転倒した場面に驚きました。カーブしてバランスが崩れるんでしょうか?

あれは2012年の第4回パワーチェアーフットボールブロック選抜大会です。自分でも撮っていてびっくりしました。
カーブでバランスが崩れるのではなく、床が滑る滑らないということだったり、重心が高い位置にある車椅子だったり、いろんな要素がからんで転倒に結びつきます。
床が滑ると競り合っても問題ないのですが、床面のグリップ力が高く滑らないと転倒することがあります。湿度の関係もあって乾燥する冬には起きないようです。今は車椅子も改良されていますし、交通事故のようにめったに起きないものなんです。びっくりしますよね。
最初は編集どうしようか、全くわからなかったんです。あそこから始めて最後をワールドカップで終わらせようとそれだけは決めていて。

-永岡真理さんは、小さい頃の画像よりだんだん支えが多くなってきているように見えますが、病状が進むのですか?

ああ、それもよく誤解を受けているんですけど、SMA(脊髄性筋萎縮症)と筋ジストロフィーはかなり違うんです。どちらも遺伝で先天性ですがSMAは神経の方の病気で、筋ジストロフィーは筋肉の病気。SMAは以前病名に進行性という言葉がついていたようですが、現在はとれています。永岡さんはSMAで、生まれてから一度も歩いたことがありません。東武範さんは筋ジストロフィーで、子供のころは歩けていて小学生から車椅子になり、十代後半から電動車椅子を使っています。
海外では矯正手術をして背骨をまっすぐにしている人がいます。日本ではあまり手術する人はいなくて、背骨が曲がったままの人が多いです。

-外国チームの症状が軽いような感じがしたのは、そういう手術をしているからなんですね。

実際わりと重い人が少ないんですけど、不自然なくらいに姿勢がいい人は手術していると、わかる人にはなんとなくわかる。

-監督が”手話”を覚えたり”介護”の勉強をされたりした、ということにすごい!と感心しました。勉強家ですね。

勉強家というか、ほかにやる手段を知らなかった。ちゃんと正確にインプットしておかないと、ちゃんとしたものができないと。介護の資格に関しては実益もかねていました。身体の構造とかもちゃんと知っておきたかったし。直接選手の介護をしたわけではないですけど、同じような症状の人の介護をすることで、筋ジストロフィーの人、脳性まひの人のことが理解できたりもしました。

-知識や意識があるからこそ、距離が縮まったということもありますよね。これがただの第三者としての撮影だったら違ってくるんじゃないでしょうか?

やっぱり普通なら撮れないところを、「撮っていいですよ」といってもらえた場面はけっこうありました。

-選手の方々の試合のシーンにはとても驚きましたし、感動しました。家での生活も紹介していて「サッカー」をきっかけに、知らない世界を見ることができるというのが、すごくいいなあと思いました。

そうですね。サッカーが入り口になっているので、見やすい、入りやすいということもあると思います。

-家族やガールフレンドや恋人、支える人たちがたくさん登場しているのも、ぐっと胸に響きました。ここに出てくる方々は、病状は深刻でも周りに恵まれていますね。

周りのサポートがあるからこそできることで、なかったらできません。それはもう本人たちも充分よくわかっています。
最初は周囲の人たちをあんまり撮ろうとは思っていなかったんですけど、どうしても彼ら一人だけではできないことですし。
はじめ「自立」っていう言葉(の意味)がよくわからなかったんです。彼らのいう「自立」は、家族の手を離れて家族以外の人たちに介助を受けてやっていくことなんです。
家族だけが介助するというのは限界がある、家族以外の人から介助を受けることが福祉の基本原則、そこがなかなか理解されていない。「家族がやればいいじゃないか」という意識を突破していかなきゃと。映画から離れてしまうんですけど、みんながそう思うこと、それが重要なポイントだと思います。

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-監督は初めて障がい者の人たちに会われたときに、構えたり、緊張したりしませんでしたか?体験がなくてどう接していいかわからない人が多いと思うんです。

緊張しましたよ。緊張したっていうか、オロオロしました(笑)。目線が合わなくて、どうしていいかわからない。

-やっぱりそうなんですね。今はいかがですか?

もう障がいあるというのも忘れちゃっています。特にサッカーの話をしていると「お前、これだから駄目なんだよー」と(笑)。こないだも「お前たちが主軸にならなきゃ」とか酔っ払ってからんだりしていました(笑)。

-監督もどっちかというと理論派で、コーチになれるんじゃないですか?

屁理屈派です。コーチはいいや、です。屁理屈派っていうのはあんまりいいとは思っていないので(笑)。

-6年間追い続けて、素材は何時間分あったんでしょう?

よく聞かれるんですが、あまりにも膨大ではっきり判らないんです。前作の3~4倍撮っている気がするので、だいたい1000時間くらいというアバウトな返事で。

-そんなにたくさんで、どんな映像があるか、覚えているものですか?

覚えているのとそうでないのがあります。覚えていて探して見ると、自分の記憶が膨れ上がっていてそれほどでもなかったりとか(笑)、逆に全然気にしていなかったのを見たら、これはいい!とかいうことがあったり(笑)。

-何月何日どのシーンを撮ったとメモされるんでしょうか?

メモだけですね。あと記憶とですね。だいたい塊りでこの辺のはこれ、と。
最初はテープで撮っていて、後でカード。ハードディスクに取り込んで保存するんですが、20テラで足りなくて結局40テラに。(1テラ=100ギガ)取り出すのはいいんですけど、読み込むのが大変。読み込めなかった分は、別の人にゴールシーンだけ探してもらったりしました。自分だけではとても無理で、妻にも見てもらったんですが、それは殆ど使わなかった。

-せっかくの内助の功を。編集は基本的に監督お一人なんですね。どのくらい時間がかかったのでしょう?

夏くらいから始めて6~8ヶ月くらいです。とにかく完成させないといけなかった。文化庁の助成金を申請していたので、絶対に完成させないと助成金がもらえないんです。だから締め切りがなかったら、あと半年とかかかっていたんじゃないかな。

-いくらでも手をかけたくなると、監督さんよくおっしゃいます。無事に間に合って助成金をいただけておめでとうございます。

ありがとうございます(笑)。

-これがDVDになったときに、映画本編に入れられなかった特別映像が入る、ということは?きっとたくさんあるでしょうね。

それは・・・その編集をすること自体がまた大変(笑)・・・永岡さんのチーム、横浜クラッカーズのゴールシーンとか使おうと思ってたのができなかったので、そのシーンは可能性があるかもしれません。
東くんと吉沢くんの寝返り介助のシーンを撮ったんですよ。寝袋を持っていって、夜中の介助のために横で待機していました。それを絶対使うつもりだったんですが、結果として流れの中にうまくはめられなくて使わなかったんです。

-国際試合でのクラス分けが二つしかないのが不思議でした。

映画の中でも東選手がもう少し分けたほうがいいんじゃないかと言っています。だんだんそうなっていくかもしれないですね。障がいの程度が大分違うので、将来的には変わって行く可能性はあると思います。
ただ東くんは想定外の存在なのだと思います。あれはドクターの力がなかったらありえないです。呼吸器はつけたほうが安定するので、安全なんですよ。でも外国の選手で呼吸器つけて出ていた選手は一人だけで、それもあんまり試合に出ていません。

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東武範さん

-東さん凄い人なんですね。飛行機に乗れない方もいましたね。とっても理論派で。

あの飯島さんは、飛行機に乗れないだけで、国内の電車の移動は大丈夫です。日本一の選手だと思いますよ。
東くんも理論派なんです。真理さんはそうじゃない。

-永岡真理さんは「日本代表になる人ってみんな多分命がけでやってるんですよ」と言っていました。本当に熱くて強い人ですね。

強い女性なんですけど、うまくいかずずいぶん落ち込んだ時期もありました。

-選手の方が8人、選出にもれた方が3人で主要な方々は11人。サッカーのイレブンですね。

あ、たまたま(笑)。二人目の女子選手の内橋翠さんとか、あまり描ききれなかった方々がいます。

-映画は完成しましたが、今後もう撮影はされないんですか?

撮るのは無しで、試合があれば行ってカメラでなく肉眼で見ています。

-障がいがあっても、呼吸器つけながらでもサッカーをやりたいという、あの意気込み、力はどこから出てくるんでしょう?

生き甲斐という生易しいことより、「生きることそのもの」なんだと思います。周りのサポートがあって、ドクターがいてこそできることですが。

-あの方々が今どうしているか、消息を教えていただければ嬉しいです。観た方は気になると思うので。

引退したのが竹田さん、チームのコーチをしています。ヨッシーと呼ばれていた吉沢くんも選手を引退して、小学校に行ったりして普及活動をやっています。有田くんは映画にあるように、「ボッチャ」に行きました。パラリンピックの中で一番重い障がいのある人がやっているのがボッチャなんです。あと他の選手は今も続けています。
(*日本ボッチャ協会 http://japan-boccia.net/how_to_boccia.html

-監督の次のご予定は?

あるんですけれど、今はこの作品を軌道に乗せることです。みなさんの応援をよろしくお願いいたします。
とにかくこのポレポレ東中野に来て観ていただかないと。

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日本代表選手団(2017年7月 アメリカワールドカップ会場)


-映画の道に進むのにきっかけになった映画がありますか?

直接的には『竜二』(1983年/川島透監督)というやくざ映画です。金子正次さんが脚本・主演をやっていて、この1本だけですぐ亡くなってしまったんです。小さい映画なんですけど、細かい日常や喜怒哀楽の感情を描いていて、映画っていろんなこともできるんだな、と思いました。だから最初はフィクションのほうでドキュメンタリーは考えもしなかったんです。大学時代にいろいろやっていたことの延長線上はドキュメンタリーをやったほうが自然だったかもしれないんですけど。直接ではなく間接的にきっかけになった映画はいっぱいあります。

-目標にした監督さんはどなたですか?

一番尊敬しているのは成瀬巳喜男監督です。一番好きなのも間違いなく成瀬監督。海外ではロベール・ブレッソン監督。一番好きな映画は『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(1986/ジャン=ジャック・ベネックス監督)。

-だんだん近づいていくところですか?

女性をきちんと描きたいというのは常にあります。名前をあげた人に共通しているのは「女性をきちんと撮れる」こと。「綺麗に」「魅力的に」撮れるっていうのが好きなので、自分の中では繋がっているんですよ。

-『蹴る』の永岡真理さんはとっても魅力的でした。今日はどうもありがとうございました。

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北沢洋平さん、永岡真理さん

◆インタビューを終えて
この映画で出会わなかったら、電動車椅子サッカーを知らないままでした。永岡さん、東さんはじめ選手の方々が、もう一つのワールドカップを目指して励んでいるシーンに胸が熱くなってしまいました。「生きることそのもの」と中村監督が言われたことばが、すとんと落ちてきます。怪我のないように、これからも楽しまれますように。
選手のみなさんが使っている電動車椅子は「ストライクフォース」というアメリカ製で百万円以上。乗る人に合わせるフィッティングをしますので、その改造費用も加わります。バンパー(フットガード)を外して日常に使えるので車椅子買い替え(耐用年数による)の時期であれば補助金も受けられるとか。ケースバイケースなのだそうです。
このところよく話題になる「クラウドファンディング」についてもうかがいました。その会社により違いますが、中村監督が応募したところは、目標金額を達成すれば1割、しなければ2割の手数料を払います。ほかに「All or Nothing=目標金額に達しなければ出資者に返金する」というファンディングもあります。『蹴る』は目標額をクリアし、上映するための宣伝活動費ができました。あとは劇場で観ていただけること、口コミが応援になります。
電動車椅子サッカーは全国にチームがあります。永岡さんは横浜、東さんは鹿児島のチーム所属です。観戦に行って、自分のゆるすぎる日常にカツを入れてこようと思います。(写真・まとめ 白石映子)

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北澤豪氏、永岡真理さん、中村和彦監督
@2018年東京国際映画祭レッドカーペット(撮影:宮崎暁美)

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