『教育と愛国』舞台挨拶 5月14日(土) シネ・リーブル池袋

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―大阪から斉加尚代監督と澤田隆三プロデューサーにおいでいただいております。
大きな拍手でお迎えください。(拍手)


斉加 毎日放送の斉加尚代(さいかひさよ)と申します。今日は大切な休日にこうしてご来場下さいましてありがとうございます。昨日、初日を迎えましてとても緊張していたんですが、音楽評論家の湯川れい子さんが駆け付けてくださって、開口一番「空気を読まない女性だからこれが作れたのよね」と言ってくださったんです(笑)。さらに「わきまえない女の連帯だ」。今大阪の教育現場で子どもたちを見つめていて、この教科書をめぐる現状、教師をめぐる現状を伝えなきゃいけない。この違和感を多くの人たちと共有しなきゃいけない。そういう思いにかられて完成させた作品でした。

本作は2017年7月にテレビドキュメンタリー「教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか」という番組を元に追加取材をした作品です。私たちMBSのドキュメンタリーチームは、一人のディレクターが年間3本~4本作り続けているものですから、番組を作った後、すぐ映画にする気持ちにはなかなかなりませんでした。
なぜ映画にしたかというと、新型コロナウィルスが襲ってきて感染拡大するにつれて大阪だけではなく、教育現場の先生方が政治主導によって翻弄され疲弊する、元気を失っていく姿をまのあたりにしたからです。
なんとか教育の独立性を担保することに意識を向けていかなければ、教科書の中身も子どもたちの学ぶ権利も奪ってしまうような方向へ歩み出してしまうのじゃないかと危機感を覚え、なんとかしてこの映画をみなさんにお届けしたいと思いました。
テレビでは視聴者とお会いすることはごく限られています。映画にしたのはこうやってみなさんとお会いしたかったからだと思います。高い壇上からで申し訳ないんですけれども、本作を通じて教育について語り出していただきたいと願っています。

殊にこの映画では、「教科書でこどもたちに戦争をどのように伝えていくか」ということを大きなテーマの一つにしました。この映画がプレス発表されたその日に、ロシア軍がウクライナに侵攻しました。ウクライナでは子どもたちを含めて罪のない人たちが、暮らしと命を奪われるような状況が続いています。本物の、むごい、人々の命を奪ってしまう戦争が起きるとは全く思ってもいませんでした。
今「愛国」という言葉がすごく生々しく目の前に立ち上ってきています。ロシアでは10年ほど前からプーチン大統領の意向を受けて「愛国教育」がなされてきました。それもこの映画を制作してからあらためて知ることになりました。
教育は政治と一定の距離をとらないといけないという普遍的価値は、20世紀におびただしい戦争を重ねて、日本だけでなく世界の人々が手に入れたものじゃないか、とあらためて思います。戦後、教育基本法は「世界の平和を実現する」という理想を掲げて、日本の教育は出発しました。
現場の先生たちはこれまで一生懸命に戦後教育を支えてきたのですが、2006年(教育基本法改定)以降日本の教育がどうも違う方向へ走り出したのかもしれない、という違和感をずっと持ってきました。
具体的にいうと、1990年代の大阪の学校の職員室は子どもを真ん中に置いて、先生たちがつばを飛ばして活発に意見交換をしていたものです。今では職員室は静まりかえって、校長先生が教育委員会から降りてくる伝達をするだけです。自由に議論ができない職員室、自由にモノが言えない先生たち…そんな先生たちの元で子どもたちはこれからどうなってしまうんだろう?私自身何かできることはないか?そんな思いでこの映画を作りました。
湯川さんといろいろお話したこととか、こみあげてきて長くなりましたけれども、今日はほんとにどうもありがとうございました。(拍手)

澤田 映画のプロデューサーをしました澤田といいます。監督の斉加とは大阪の毎日放送の報道情報局、同じ職場にいます。2015年から2年間、毎週1本のレギュラー、ドキュメンタリー番組「映像シリーズ」のプロデューサーをやっていて、斉加がディレクターをしていました。その2年間で斉加が7本作りました。そのうちの1本がこの映画の元になったテレビ版の「教育と愛国」で、サブタイトルが「教科書でいま何が起きているのか」です。その後5年間私は離れたんですが、斉加はそのまま丸7年大阪でドキュメンタリーを作り続けています。このテレビ版をやった後も「バッシング」とか共通するテーマを追いかけて、「今この国で、こういうちょっとおかしなことがある。気持ち悪いことが起きている」という事象を日頃から掘り起こし続けています。
と言っても彼女はイデオロギー的に、安倍政権とか政治的なスタンスで反対して出発しているのでは全くなく、彼女自身が言ってた「こんなおかしなことが、なぜ?」というところから取材活動をしています。観ていただいた映画の冒頭、「道徳」の教材の中で「男の子が街のパン屋さんで、焼き立てのパンを買って帰る」というごく自然ないい話であったものが、誰がそういったのか知らないけれども、パン屋じゃあかんと。なぜかそれが和菓子屋になって。教科書検定の理由では「国や国土を愛する態度が不適切である」と。そこの奇妙さというかおかしさ。笑い話になるような話ですが、それが出発点になっています。
彼女はライフワークとして大阪の教育の取材を続けてきましたので、元々見てきた教育の問題、教科書の検定のあり方、さらには検定後の教科書についてさえ、政治の意向で書き換えが行われていることに気がつきます。言ってみればパンがまんじゅうになったどころか、今やまんじゅうに毒まで入れられてきている。そういう状況を彼女は察知して2021年に追加取材をしてこの作品に至ったと思います。

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私も60になりますけど…テレビがどうもつまらないというのは私たちと同世代の人間、ここに来ていただいている中にも同じように思われている方が多いんじゃないかと思うんですけども。「テレビはつまらない」というのには、まあいろいろな理由があると思います。報道系でいうと「冒険しない」。上というか空気を読んでしまうんですね。「空気を読まないからこういうのが作れるのよね」とはさすが湯川さんで、その通りでありまして。やっぱり空気を読む人がどんどん増えていっている、これはどこの組織でも、社会全体がそうなんでしょうけど。テレビ番組を作っている現場で「あれがダメだろう、これがダメだろう」「こういうことやって、上に怒られたらどうしよう。自分の評価が下がる」とかそうやって会社の中で空気を読んでしまっている気がします。そういうこともあって自局の番組はほとんど見なくて、見るとしたらNHKかBS。NHKがいいとはいいませんけど。他局のドキュメンタリー系は見たりはしますが、バラエティとかは人生の残り時間を考えたら時間の無駄やと思っていますので(笑)、会社には申し訳ないけどほとんど見てないです。
そんな中で人によってはやや嫌われるような番組を続けてこられたのは、ひとえに“斉加という問題意識を持った取材者”がいるかどうかだと思うんですね。私はプロデューサーとして、後ろからちょっと押すだけで。これからは、テレビ局の中でも一人一人がどれだけ今の世の中を見て「これだけはやっぱり視聴者に伝えたい」と。それを「映画にしてさらに観客に伝えたい」と、思いを持ち続ける。そういうのが自分たちに合ってるのかと思います。
今回初めて映画を作らせてもらって、テレビと映画の違いを劇場で感じています。テレビも視聴者からのリアクションを色々といただくんです。感想、お怒りなど最近はメールか、お電話、手紙でお名前も書いてあったりなかったり。
映画の場合はこうして劇場に時間をかけてわざわざ来ていただいて、お金を払って観ていただく。今日は100人以上入っていらっしゃるそうです。高いところからで失礼ではございますが、お顔を拝見できるというのは制作者冥利に尽きます。「なんじゃこの映画は」とか「長い」とかいろいろな思いがあるにせよ、ですね。こうして観ていただいて、批判も含めて、様々な思いを持ってくださる人を目の前にできるというのは、映画ならではの体験であり喜びです。長くなりました。どうも有難うございました。

―テレビ版を見ていない方もけっこういらっしゃると思うので、テレビ版を作られた経緯と、今回映画化するのに、どういうところを追加されたかというお話を少しいただければと思います。

斉加 テレビ版は2017年の7月に放映したんですが、ちょうどその年の3月に道徳教科書の検定内容が発表されて「パン屋さんが和菓子屋さんに書き換えられた」ということを知ったんですね。インターネットの中で「あんパンだったらどうなんだ?伝統と文化の尊重なんじゃないか」、「パン屋さんの怒りは収まらない」という声が聞こえてきました。たとえば戦後学校給食はずっとパンで、子どもたちの需要を満たしてきたんです。文科省ともずっと固い関係のあったパン業界は「なんてことをしてくれるんだ、私たちが愛国心に照らして不適切だというのはどういうことなんだ」と、とっても怒っておられたんです。
一方で学生さんから、「そんなに和菓子が大事だっていうんだったら、給食に和菓子出してくれ」って(笑)。確かに私も給食で和菓子は食べたことなかったなって思ったんです。素朴ないろんな声をインターネットの中で見たり、直接聞いたりする中でちょっとクスッと笑ってしまう出来事なんだけれども、ここに教科書検定制度の問題点が凝縮しているんじゃないかと思いました。
知人の絵本作家さんは、道徳教科書のイラストに、“ザリガニ釣りをしている子どもたち”を描いたら、教科書編集者が真剣な顔で「ザリガニじゃダメなんです(外来種だから)。川エビにしてください」(笑)と言われて、作家さんはすごく困惑したそうです。「川エビ見たことないのに」と思いながら調べて一生懸命描き換えたと聞きました。教科書を制作する現場が国の意向、ときに政治家の顔色をうかがいながらでないと作れない、そんな現場になっているのではないか? 社会の同調圧力とかそういう空気が教科書に象徴されているのではないか?ということで、テレビ番組を制作したんです。
その中でも沖縄県の渡嘉敷村の集団自決(強制集団死)の記述が2006年度の高校日本史の検定で書き換えられ、「軍の関与という部分が消された」というのも私の中では強く印象に残った出来事です。戦争の記述と道徳のパン屋さんのことはまるで違うんですけれども、実は繋がっているということに着目して企画書を書きました。
当時取材してすぐ、「これは!」と思ったのが「学び舎」の中学歴史教科書を採択した私立中学校に200枚300枚というハガキが押し寄せていたということです。「学び舎」の教科書は書店でも手に取って見ることができます。ご興味があればぜひ。
子どもたちから問いが発せられるように、読み物として非常に面白く作られている教科書ですけれども、そこに”反日”というレッテルを貼って抗議ハガキが押し寄せる。その圧力がどのくらいか感じとっていただけたと思うんですけれど、圧力に翻弄される人たち、圧力をかける人たち、その両方を描くことによって、この教育をめぐる現状が映し出せないかと考えました。テレビは視聴率というものが一つの物差しとしてあります。視聴率をとるためには通常、強い、何かものすごく躍動的な映像というのを求めがちなんです。本作を制作するにあたっては、見えない圧力、見えない政治介入をどうすればリアルに感じていただいて、見えるようにできるのか。そこを苦心して制作しました。
映画の企画書を書いたときは、コロナ禍が爆発的に拡がっていて、当社の番組予算も削られたり、スタッフも人員削減されていくような中でなかなか企画が前に進まない時期でした。
そのときに、テレビ版を知ってくださっていた社外の方たちが「なんとしてでも映画にすべきなんだ」と、声をかけてくださいました。社内外の多くの方たちが支援をしてくださって、この映画は完成しました。とても感謝しています。さらに語りを俳優の井浦新さんが引き受けてくださったんですが、それも限られた予算の中で、多分引き受けてもらえないんじゃないかと、恐る恐るお願いしたんですけれど、企画書を読んで「やりましょう」と。今日もインスタグラムに「この映画観てください」とご自身の文章で書いてくださって、移動の車中で拝読して胸がいっぱいになりました。この映画はテレビ版を見てくださった方たちが映画へ押し上げてくださり、今こうして出逢えた皆さんが映画として歩き出すその背中を押してくださるんだと思っています。

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「映画は好かれる権利も嫌われる権利もある」と劇場支配人が仰っているのを耳にして、「嫌いになる権利もある」っていう言葉で私の気持ちは楽になったし、重圧からだいぶ解放されました。
たとえば「愛国」という言葉を考えたときに、自分の中から湧き上がってきて「故郷が好き」とか「この国が好き」という気持ちは否定するものじゃないし、むしろポジティブに受け止める言葉だと思うんです。ところが、上から「国を愛しなさい」と降りてきたときに、「いや、私はこの国嫌いなの。こうこう、こういう理由があるから」と言えない社会は私は嫌だなと思っています。
たとえば家族でも「お父さんお母さん大好き!お爺ちゃんおばあちゃん大好き!」という子どももいれば、いろんな事情で「大好き」と言えない、「嫌いなんだ」って言う子どももいて、そういう子どもも受け入れられる先生、教室、そんな社会のほうが生きやすい、と思うし、子ども一人一人が「自分でいること」を肯定できる社会であってほしいと思っています。
大阪は、在日コリアンルーツの子、中国や他国のルーツの子どもたちがたくさん公立の学校に通って学んでいます。そういう子どもたちにも配慮する教育を先生たちは掲げてきました。みんな違って、それでいいんだと。違うけれどもお互い理解し合おう、という教育をしてきたはずなんです。教科書を広げたときに「この教室にはいろんなルーツの子どもがいるけれども、じゃあ歴史をどう教えよう、と先生が悩んで、真面目な先生ほど苦しむという、そういう事態がすぐそばに来ているということ。私はそれを映画にして伝えなきゃいけないと強く思いました。
すごく長くなりました。大阪の先生たちは頑張っているんです。けれどもその一方ですごく苦悩しています。教育の自由が今崩れかかっている、奪われかかっているという危機感をお持ちです。

―澤田プロデューサー、制作の観点から何かありませんか?

澤田 彼女が取材してきた、撮ってきた映像は番組制作の途中に観るんですが、そのたびに驚きの連続で。学び舎の教科書を使ってる学校に来た菓子箱いっぱいの抗議ハガキ。うわーこんなに来てるんやと、これは絶対とりあげようと。それから日本書籍、私ら年代的にこの教科書だったんですけど、そこが倒産していた!ニュースで見た記憶がなかったので、びっくりしました。理由が慰安婦のことを書いてあったために、東京23区中21区に採択されなくて、あっというまに倒産するという、こんなことが起きてるんや!ということ。どういう完成になるか、そのときは分からなかったけど、「驚くべきことが起きてる」ということで、放送する価値あるなと。
ラッシュという、完成前の1時間以上の繋いだものを観たときはさらにさらに驚きの連続でした。東大の大先生のインタビューとか、学び舎の本を採択した学校に抗議ハガキを送ってた市長のあっけらかんとしたインタビューとか。ナレーションとか入る前のラッシュでそれだけ驚いた。私も何十本とテレビのドキュメンタリーをしてきたんですけど、初めての経験で。
その結果テレビ版はそれなりの評価をいただきました。映画版はさらに追加取材をして、教科書以外の部分も盛り込んでできた作品です。
さきほども申し上げましたが、映画は一人一人の皆さんによって大きく育てられていくものじゃないかなと思っています。今日観ていただいていろいろ感想はあると思いますが、ここは知ってほしいな、よかったなという部分がありましたら、どうかお知り合いの方たちにSNSでも何でも結構ですので、発信して横に繋げていただけたら、作った者の望外の喜びです。北海道から沖縄まで42館(8/1時点で60館)で上映しております。よろしくお願いできればと思います。

―時間ですので販売物の宣伝をさせていただきたいと思います。

澤田 こちら(映画パンフレット)38pもあって分厚くなってしまったんですけれど、こちらにシナリオとナレーション全文、インタビューも載っています。これ見ていただいたら復習になります。私が書いた斉加、彼女の真の姿とか(笑)。暴露はしてない(笑)。

斉加 はい、はい(笑)。
先月「何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から 」というちょっとドキッとするタイトルなんですが、集英社新書から出版されました。久米宏さんも推薦してくださっています。これを読んでいただけたら2015年の「なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち」というドキュメンタリーからこの映画、本作に至るまでの私の取材の舞台裏をご理解いただけると思います。ぜひこの書籍も手に取っていただけたらありがたく存じます。
今日はほんとにどうもありがとうございます!(拍手)

©2022 映画「教育と愛国」製作委員会
公式サイト:mbs.jp/kyoiku-aikoku
作品紹介はこちら 
⻫加 尚代監督インタビューはこちら

『教育と愛国』が公開されて2ヶ月あまり。ロングランを見越して、途中で発表しようと大事に持っていた舞台挨拶の書き起こし記事をお届けします。
すっかり遅くなってしまいましたが、行けなかった皆様にも、当日のお二人の熱量をそのまま受け取っていただけるのではないでしょうか。斉加尚代監督と澤田隆三プロデューサーは、今も熱心に舞台挨拶にトークにと全国へ出かけています。
東京ではキネカ大森、下高井戸シネマで上映中。全国での上映館については公式HPの劇場情報でお確かめくださいませ。
(まとめ・写真:白石映子)


『北のともしび ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダムの子どもたち』 東志津監督インタビュー

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7月30日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開 上映情報 

作品紹介
第二次世界大戦勃発前の1938年、ドイツ・ハンブルクにノイエンガンメ強制収容所が設置された。ナチスの迫害を受けたユダヤ人や捕虜、政治犯など、1945年の終戦までにおよそ10万人の人々が収容された。ここに1944年11月28日、アウシュヴィッツ強制収容所から、5歳から12歳の子供20人が送られてきた。男の子と女の子10人づつ。フランス、オランダ、イタリア、ポーランド、スロヴァキアなど、生まれた国は様々だったが、皆ユダヤ人で「結核の人体実験」のため連れてこられた。過酷な実験で衰弱した子供たちはドイツの敗戦が迫る1945年4月20日、証拠隠滅のためブレンフーザー・ダムでナチ親衛隊に殺害された。今、街の人々はこの子たちを偲び、毎年慰霊をし、この事実に向き合っている。

シネマジャーナルHP 作品紹介
『北のともしび ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダムの子どもたち』公式HP
上映時間108分 / 製作:2022年(日本)
配給:S.Aプロダクション
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©️S.Aプロダクション

東 志津(あずま・しづ)監督 プロフィール 公式HPより
大学卒業後、映像の世界へ。企業のPR映画やCM、テレビ番組の製作などに携わる。取材で知り合った中国残留婦人との出会いをきっかけに2007年、最初の長編ドキュメンタリー映画「花の夢 ある中国残留婦人」を発表。その後、2009年に文化庁新進芸術家海外研究制度にて渡仏。フランス国立フィルムセンター(アーカイブ部門)を研修先に1年間、パリに滞在。戦争の記憶をどのように受け継ぎ、映像に残していくかを模索する。2014年、2作目となる長編ドキュメンタリー映画「美しいひと」を製作。広島・長崎で被爆した日本、韓国、オランダの原爆被害者たちの最晩年を描いた。著書に、『「中国残留婦人」を知っていますか』(岩波ジュニア新書)。

『北のともしび ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダムの子どもたち東志津監督インタビュー
2022年7月18日 神保町にて

*この映画を撮るまでの経緯

ー 2009年に文化庁新進芸術家海外研修制度によりフランス国立フィルムセンター(アーカイブ部門)で1年間研修に行った時に持っていった「夜と霧」という本の中の記述が気になってノイエンガンメ強制収容所に行ったと言っていましたが、この記述というのはフランスでみつけたのですか? 

東監督 研修に行った時、持って行った数冊の本の中の1冊がヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」でした。最初に作った作品が『花の夢 ある中国残留婦人』で、「戦争の記憶をどのように残していくか」が研修のテーマだったこともあり、それに関連したものをと持っていきました。日本にいる時はなかなか時間が取れず、パリに行った時に読み、その中の記述で気になったのが、このナチスによる人体実験の末、殺されてしまった子供たちのことでした。

ー フランスへの研修はどのような経緯で行ったんですか?

監督 文化庁の新進芸術家海外研修制度の中に映画部門があり、それに応募しました。「いせフィルム」にいた時、伊勢真一監督がこの研修制度のことを教えてくれて、行ってみればと進めてくれたということもありますが、一度は海外に出てみたかったということもあり、1作目を撮った後、応募しました。本当は英語圏が良かったのですが、受け入れてくれるところがみつからず、たまたまパリに映画関係の知り合いがいて、フランスの国立フィルムセンターのアーカイブ部門が受け入れてくれたので行くことができ1年間行きました。新たな発見もあるかもしれないし、最初の作品を32歳の時に撮って、これから先もずっと映画を作っていきたい、力をつけたいと思ったのでチャレンジしました。大学を出て、10年くらいのキャリアを積んで1本作品を作って、少し実績を積んで結果を出してから行った方がいいかなと思いました。

ー その後に2本目の『美しいひと』を撮り、この3本目の『北のともしび』を作ったということですね。

監督 ほんとうは『美しいひと』の前に、この『北のともしび』のテーマの作品を作ろうと思っていたのですが、外国のことをテーマにする前に、自分の国が関わるものを撮ってからと思って、2本目に『美しいひと』を作りました。

*ノイエンガンメとブレンフーザー・ダムとローズガーデン

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©️S.Aプロダクション

ー 子供たちは人体実験のため、アウシュヴィッツからハンブルクのノイエンガンメ強制収容所に送られ、その後、ブレンフーザー・ダム(昔、学校だった)で殺害され、今はローズガーデンに祀られているとのことですが、ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダム、ローズガーデンの位置関係はどんな感じなのでしょう。

監督 ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダムは車で20分くらいのところにあり、ローズガーデンはブレンフーザー・ダムの向かいというか敷地内にあります。

ー 20人の子供たちのことは「70年代末にドイツ人ジャーナリスト、ギュンター・シュヴァルベルクによって発掘されるまで埋もれていた」とのことですが、隠されていたものがどのように蘇ってきたのでしょう。

監督 このことは隠されていたわけではなく、この人体実験に関わった人たちは、戦後、裁判にかけられ、罪に問われ、処刑された人もいました。その後、世間に知られることはなかったということです。

ー 子供たちは殺された後、今、ローズガーデンになっているところに埋められたのですか?

監督 子供たちは戦争末期、証拠隠滅のため、ブレンフーザー・ダムで殺害され、そのあとノイエンガンメに戻されたと言われているけど、そのあとどうなったかというのはわかっていないんです。

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©️S.Aプロダクション

ー あのローズガーデンは、お墓というよりは慰霊の場所ということですね。すてきな場所ですよね。ナチスの人体実験というのは、いくつもあったと思うけど、子供たちというのは珍しいのでしょうか。

監督 メンゲレの双子の人体実験というのは有名ですが、子供が人体実験に使われたというのは珍しいのではないでしょうか。結局、大人で成果が得られなかったので、子供だったらまた違う結果が出せるのではないかということで連れてこられたのでしょう。

*人体実験の証拠と肉親捜し

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©️S.Aプロダクション

ー この片手をあげているのはどういう意味を持つ写真なんでしょう。

監督 結核菌を体内に植え付けられた後、脇の下にあるリンパ節に抵抗物質が集積するというのがあり、切除して、経過を見たようです。こういう実験をしましたと記録として残してあったのです。

ー 日本軍の人体実験を行った731部隊なども、証拠隠滅のため、こういう資料は廃棄されたか焼却されたと思うのですが、ナチスの人体実験の証拠であるこの写真は残っていたのですか?

監督 その人体実験を行った医師が、終戦の時に逃げて東ドイツに隠れ住んだのですが、逃亡する時に資料を自分で持って逃げたんです。その医師は、戦後20年たった1964年にみつかり裁判にかけられたのですが、その時に証拠として提出された資料の一つです。本に書いてあったのですが、証拠品は自分の家の木の下に埋めてあったらしいです。

ー この子供たちの記録を掘り起こし出版した記者の方の執念、すごいですね。

監督 ギュンター・シュヴァルベルク記者の友人(オランダ人の捕虜)が、この収容所にいて、この子供たちの写真を持っていたようです。この写真を彼に見せたら、子供たちが人体実験のために連れてこられたことを知らなかったということだったんですが、そこから肉親捜しを始めるんです。

ー 写真があったから誰だかわかったのですね。

監督 それは人体実験を行った医師が、資料を全部持って逃げたというのがあったからです。写真に名前とか出身地とかの記録があった。それが手がかりになって、遺族がわかりました。欧州中で写真を公表して募ったそうです。自分の家族を捜している人がたくさんいて、捜すための機関もあったからだんだんにわかってきた。

*映画ができあがるまで

ー こういう映画に出演してくれる人の許可のとり方とか、手がかりとかノウハウはあるんですか?

監督 この映画を撮ろうと思い、まず撮影許可をノイエンガンメ記念館にお願いしようと思った時、この映画の監修をお願いした東京大学の石田勇治教授に相談したら、「オープンなので、頼めば応じてくれますよ」とアドバイスをいただいたんです。きっかけは石田先生の本を読んで、この方なら相談にのってくれるかなと思って、連絡をしました。
また、私はドイツ語が全然わからないので、ハンブルクの日本人会に「こういう映画を作りたいんだけど、協力してもらえないか」と問い合わせをしたら、後にこの映画撮影のコーディネイトをしてくれることになったドイツ人と日本人のハーフの女性が、間を取り持ってくれて、撮影がOKになっていったのがスタートでした。何を撮るか、何が撮れるかはまったくわからないまま行って、その時、その時、撮れるものを撮らせてもらいました。

ー 最初に行ったのは?

監督 フランスにいた時に行ったのは2010年でしたが、その時はただ見てみたいと思って行ったのです。その時に映画を作りたいと思いました。その4年後の2014年11月に撮影しに行き、この映画を作り始めました。その間に『美しいひと』を発表して(2014年)、この映画の公開が終わってから、こちらの作品に取りかかったんです。

ー 2作目を作っている間にも、この3作目のための情報とか集めていたりしたんですか? 情報って、アンテナはっていると飛び込んできますよね。

監督 そういことありますよね。でも自分が映画を仕上げたい仕上げたいと思っていても全然動かない時もあるし、突然、道が開けて、仕事が進んだりすることもあります。だからいつまでに仕上げようというよりは、そのうちできるだろうと思っていないと務まりません(笑)。そんなんで何年もかかってしまったんです。

ー そうすると、これが出来上がるまでに何年?

監督 最初に映画にしたいと思ってから12年ですね。2010年のノイエンガンメに行った時、映画にしたいと思ったけど、今の自分ではテーマが大きすぎて無理だなと思ったのです。みんなが知っていることをあえて作るわけだから、私が作る意味だとか、知識も足りないし、これは10年くらいはかかるかなと、その時に思いました。

ー 『花の夢 ある中国残留婦人』が2007年で、2009年にフランスに行き、『美しいひと』が2014年。3作目の『北のともしび』が2022年公開ということで、ちょうどいい節目、タイミングで作品を生み出してきたと言えるのではないでしょうか。

監督 そうですね。ま、長い目でみれば。でもその時は悩みつつ作っていたという状況でした。

ー このところ、30代~40代の監督で海外で映画を勉強して、作品を作っている監督が多いような気がします。東さんにとって海外に行ったのはどういう意味がありましたか?

監督 このままずっと日本にいても限界があるなと思ったので、自分の幅を広げるという意味では、広がりましたね。行くと行かないのでは、世界の見え方が全然違うし。自分にとっては必要だったかな。

ー 撮影も自分でやっているわけですが、カメラを持っていくのは大変だったのではないですか。

監督 今は、もうカメラを持っていくのは自信がありません。映画の場合はカメラだけでなく三脚もあるので、一人でやるのはかなり重労働です。昔に比べたらカメラが小さくなったので一人でもできたんですよね。今回3回行ったんですが、最初の2回は一人で行って撮影もしました。でも3回目は2年前に行ったんですが、一人では怖かったので知り合いに一緒に来てもらいました。現地に行けば、コーディネーターさんとかいますが、それまでの道中が心配でした。その頃はもう40半ばくらいだったし、世界情勢も良くなかったので一人では行きませんでした。
2014年11月に10日くらい、2015年春に3週間くらい。あとは2019年4月に1週間くらいに行きました。自分の生活環境の変化もあり、すぐにはまとめられないなと思っていたのですが、そうこうしているうちに世界情勢が変わってきたので、そろそろまとめようと思っていきました。何が撮れるかというのは、ある程度日本にいる時に考え、あとは現地に行ってからという感じでした。ノイエンガンメ記念館の方から、「今度こういうイベントがあるよ」とか、連絡をいただきました。映画の冒頭に子供たちの名前を読み上げて始まったのは、毎年子供たちが亡くなった4月20日にあるノイエンガンメ記念館主催の追悼イベントです。ポーランドやフランスなど、子供たちの出身国の子供たちが、殺された子供たちの名前を読み上げていましたが、それは毎年ではなく2015年にあった特別な追悼イベントでした。

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*歴史を学ぶ

ー 記念館で高校生たちが、この子供たちのことを調べる勉強会のようなものが出てきましたが。

監督 あれは地元の高校の先生が、こういう授業をしようと提案して、その一つとしてノイエンガンメ記念館の資料室を使って授業をしている光景です。

ー 監督の前2作も含め、こういうことを忘れないために人々に知らせていくには劇場公開が済んでからも何度も何度も上映していく必要があると思います。

監督 そうですね。学校で上映してもらいたいなと思っています。自分としては中学生くらいでもわかるよう、平易に描いているつもりです。

ー 『教育と愛国』を観てショックだったのですが、自分たちの加害の歴史をなかったことにしようとしていることが政治の力を使って広がっている姿が描かれていました。それよりもっと愕然としたのは、現代史そのものが選択になってしまって、歴史を知らない子供たちが増えているということでした。私が中学、高校の頃(60年代後半)でも現代史はもう3学期頃になるので、ほとんどすっ飛ばしだったし、たいして学んでなくて、その後、映画を観ることでたくさんのことを学んできました。そういう意味では映画は大事ですね。

監督 私はこの映画を作って、ドイツと日本の歴史教育の在り方を比較して、ドイツはこんなにすごいのに、日本は全然だめですねということを言いたいわけではないです。ただ、私が見たドイツでは「歴史を学ぶ」ということは当たり前のこと。「昔あったことを知って反省しましょう」ということではなくて、そういう歴史はヨーロッパでは共通認識としてあって、「こういうことを二度と起こさないためにはどうすればいいだろう、こういうことの根底にあるものは何だろう」と、子供たちに考えさせるということがいいなあと思いました。そういうことを考えないとヨーロッパでは維持していけないという背景があると思います。それが日本人にはない感覚だなと思いました。何があったか、しっかり受け止めて、こういうことを二度と起こさないためにみんなで考えようというところに希望が持てるなと思います。ドイツでも、みんながみんなこういう風にしているわけではないと思いますが、私が知り合ったノイエンガンメに集う人たちは、そういうことを人間としてこうありたいと考えている人たちで、そういうこの場所の在り方がすごくいいなと思います。

ー 8月5日に公開される『ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言』ですが、ホロコーストを加害者の側から目撃した、武装親衛隊のエリート士官、強制収容所の警備兵、ドイツ国防軍兵士、軍事施設職員、近隣に住んでいた民間人などに取材したドキュメンタリーですが、いまだにナチスを肯定している人もいて、この『北のともしび』に出てくるドイツ人とは全然別の考え方の人たちのように思いました。

監督 その作品の字幕をやっているのは、ここでもお世話になっている吉川美奈子さんだと思います。ドイツ語⇔日本語といえば吉川さんというくらいの方で、この映画を作る時に、ナチ関連のことをあまり知らない私は吉川さんに助けてもらいました。 

ー 日本以外の映画祭とか行く予定とかありますか? 
日本語字幕版以外にも、他の言語版はあるのですか?


監督 今のところ映画祭などの予定はありません。日本版以外は、ドイツ語版、英語版があります。ドイツ語版は、この間、ノイエンガンメとブレンフーザー・ダムのそばの教会の人が主催して、小さな美術館の中のシアタールームで上映会をしてくれました。

ー この子供たちのことを描いたドキュメンタリーは、他の国でもあるんですか?

監督 ないみたいです。でも最近、ドイツのTV局がドラマの形でやったと聞きました。

ー 東さんは、こういう埋もれた事実をよくくみ上げたなと思います。この間『憂鬱之国』の公開直前トークというのがあって、ゲストで来られた森達也監督が「自分は、みんなが見ているところとは違うところに目が向く」というような話をしていましたが、そういう視点って大事だなと思います。「大きな話題になっていることや、みんなが話していることの片隅にあることに興味がある。みんなに知られていないことを自分が知りたいから撮るんだ」と言っていましたが、東監督の話もこれに通じるなと思いました。

監督 私の興味の対象もそういうところがありますね。

ー 2作目の『美しいひと』もそうですよね。これまで知られていなかった被爆者に目を向けていますしね。ドキュメンタリーの監督は、その精神を大事にしてほしいです。
今後のことについても聞かせてください。


監督 考えていることはあるのですが、まだ、全然話できるようなことではないので方向だけでも。これまで戦争をテーマに3本作ってきたのですが、3本作ってやっとテーマを掴めるというのがあるので、そのことを踏まえて、別のテーマでやってみたいと思います。

取材・写真 宮崎暁美


取材を終えて
これまで『花の夢 ある中国残留婦人』『美しいひと』でもインタビューし、この3本目の作品でも取材させていただきました。東監督の作品は重いテーマを扱っているのに気持ちを沈ませるのではなく希望を感じるからです。監督自身は、おっとりした感じなのに、映画を観ると、優しさの中にしっかりとした意志があります。この映画はナチスによる子供たちの悲劇を扱った作品ですが、ハンブルクの人たちの温かさ、おこってしまった事実を次の世代に伝え、新たな交流を作りだしている姿を見て、こんなふうだったら戦争も起こらないのにと思いました。ハンブルクの街の中には、この子たちの名前を付けた通りがあるというのもいいなあと思いました。

*参照 シネマジャーナルHP 特別記事
1作目 『花の夢 ―ある中国残留婦人―』
作品紹介
 シネマジャーナル71号(2007年) 
『花の夢 ―ある中国残留婦人―』東志津監督インタビュー
シネマジャーナル71号(2007年)

2作目『美しいひと』東志津監督インタビュー

『霧幻鉄道 -只見線を300日撮る男-』 安孫子亘監督、星賢孝さんインタビュー

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星賢孝さんと安孫子亘監督

2022年7月29日 ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国にて順次公開 劇場情報 

『霧幻鉄道 -只見線を300日撮る男-』 作品紹介
2011年7月、東日本大震災3.11から4か月後。原発事故に追い撃ちをかけるように福島県と新潟県を襲った集中豪雨はJR只見線の鉄橋を押し流し、会津川口駅~只見駅間が不通となり沿線に甚大な被害を与えた。復旧工事にかかる膨大な費用、その後の赤字解消を考えるとローカル線にとって致命傷となる決定的な損害である。廃線か存続か? 廃線の危機にもさらされたが、只見線を愛する地元の応援団が、地域活性化の生命線を絶やさぬよう声を上げた。その応援団の中心は、年間300日、只見線と奥会津の絶景を数十年撮り続けている郷土写真家の星賢孝さん。
只見線は2022年10月1日に全線運転再開される。復活に懸け写真を撮り続けた星賢孝さんと応援団を追ったドキュメンタリー。

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(C)ミルフィルム

シネマジャーナル 作品紹介 『霧幻鉄道 -只見線を300日撮る男-』
『霧幻鉄道 -只見線を300日撮る男-』公式HP

安孫子亘監督、星賢孝さんインタビュー
 
2022年7月11日 日本記者クラブにて

*奥会津の絶景と只見線の写真を撮る

― 星さんは何十年も奥会津を撮っているとのことですが、只見線と周りの景色を撮ってきたということですか? あるいは只見線を入れての撮影は2011年の只見線不通からですか?

:2011年以前も写真は撮っていました。絶景の中に列車が入ることによって、より素晴らしくなると思いました。30年景色を撮っていたけれど、列車が入ることによって命が入る。人々の生活が映し出されると気づいて、只見線を中心に撮るようになりました。
あの地域を活性化するには観光客に来てもらうしかないと思った。年寄ばかりで工場誘致もだめだし、よそから観光で来てもらうしかないだろうということで、観光でここに来てもらうには宝物を探さないといけない。なんといっても春夏秋冬四季の絶景と只見線。それをPRしていくしかないだろうと思った。2011年以前は、それでも注目してくれていたのは鉄道ファンだけ。地元の人たちは素晴らしさにまったく気づいてなかった。観光になるなんて思っている人はいなかった。
豪雨での被災のあと、只見線をどうするかという話し合いをした時、80%以上の人は住民の足としてしか見ていなかったし、自分は只見線なんてほとんど乗らないし税金をかける必要はない。只見線なんていらないなんていう人もいた。
私は30年、ひたすら只見線を撮ってきましたが、国内の人も外国の人も素晴らしさに気づいてなかった。写真をSNSなどで発信することによって、いろいろな人に少しづつ只見線の素晴らしさに注目してもられるようになりました。そしてインバウンド(外国人)の人たちが、6~7年前から急に増えて、只見線が宝だと気づかせてくれました。震災以降、只見線の魅力を海外まで行って(写真展、講演などをして)PRしました。最初、上海に3回行きましたが、放射能を気にして動いてくれなかった。台湾に行ったら友好的で大歓迎してくれた。中国とは考えが違う。
四季が素晴らしいと。それと東南アジアには四季がないので春夏秋冬と、その変化に憧れを持ってくれました。特に紅葉、雪景色、さらに夏や春も景色を観に来て、会津若松から川口までの只見線が通っているところを撮るようになりました。地元の人は歩かないのに、台湾の人たちが団体で歩いている姿をよく目にするようになりました。地元の人たちは生まれた時から見ているから良さがわかってなかった。不幸なことではあったけど、只見線は私たちの宝と気づいて応援してくれるようになったら行政も動いてくれました。

― 安孫子監督がこの映画を撮影することになったきっかけは? 只見線応援団の方たちからの依頼ですか? あるいは自分から星さんを追って映画を作ろうと思ったのですか?

監督:結論からいうと星さんから話がありました。私は2011年以降、福島を記録していました。そんな時に只見線がこういうことになっている。震災のあとの豪雨による水害で鉄橋が3つ流されて、只見線が止まってしまったと聞きました。赤字を抱えたローカル線で致命傷を負って復活できるのかな。その行方も知りたい、記録したいと思っていたのですが、そういう中で星さんを知りました。カメラを片手にとんでもない活動をしている人がいる。
今、地方のローカル線は国のあちこちで存続が危ぶまれている。そういう中でこれを残そうとしている。住民と只見線を応援する人が全国、さらに海外にもいることがわかりました。小さな声が国を動かして復旧工事が行われることになりました。それ自体、奇跡。将来的にも黒字になる見込みがないのに行政を動かしました。陰ながら支えている人たちの熱意が動かしたことを記録に残したい。なくなっていく地方鉄道の沿線の人たちに、何か動くきっかけになる題材になるのではと思いました。

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*ローカル線に対する思い

― 実は私も写真が好きで、北アルプスや安曇野の写真を撮っていて、1981年から1985年の約5年間は大町市や白馬村で働きながら写真を撮っていました。北アルプスを眺めながら走る大糸線(松本⇔糸魚川間)が好きでしたが、今年3月大糸線(糸魚川、小谷間)が廃止されるかもしれないというニュースを聞いて、なにかできないかと思っていた時にこの映画を観て、私もなにかできるかもしれないと思いました。この映画を観て、この星さんのような試みを大糸線沿線でもやったらいいのではないかと思ったのですが、私も何十年にもわたってこの地方の写真を撮ってきて大糸線も好きだったのに、山や景色の写真は撮っていても、大糸線と景色という組み合わせでは撮ってこなかったなとこの映画を観て思いました。なにか、ほかのローカル線に対するアドバイスがあったら聞かせてください。

監督:うれしいですよ。まさに私がこれを作った時の気持ちというのはまったくその通りです。何かの助けになればと思って作っていました。この時代のテーマでもあります。ぜひ、只見に行ってほしい。それがほかの地域にも波及すればいいと思います。

― この映画を観て大糸線に対して何かをしたいと思ったけど、電車が走っているのは見ていたけど撮ってなかったし、地元にいた時は車で移動していたので大糸線には乗ってこなかった。電車に乗っているのは学生がほとんどで、あとは年寄りばかり。若い人や大人は皆さん車でした。電車に乗っても降りてからどうするというのがあって、大糸線は大好きな路線ではあったけど、住んでいた時には移動はほとんど車でした。

:ローカル線は、全国同じ問題を抱えています。だから只見線の復活は奇跡だと思います。一つの支え、お手本になると思います。

監督:そこが映画の力。本を読んだりしてもなかなか動かない。ドキュメンタリーの力だと思います。

― こういう方法もあったかと思いました。

:ローカル線に採算性は必要なのか? 日に6本。満員でも採算は取れない。それでも作ったことを考えてほしい。外国から来てくれても乗ってくれなくて、只見線は赤字でも評価してほしいのは、周辺で泊まってくれてお土産や食事でお金を落としてくれる。経済効果をもたらしてくれる。経済活性化すれば問題ないでしょうと。
外国から来る人たちはまっすぐ只見線に来るわけじゃない。各地を経由して来てくれる。日本全国でお金を落としてくれる。スイスの山岳鉄道も同じ。鉄道だけだと赤字。世界中からスイスにやってきてお金を落としてくれる。只見線の収支だけで考えてはいけない。
これも皆さんわかっていないところがあります。日本の交通機関、列車もあるけど、バス、自動車、船、航空機といろいろありますが、道路は自治体が作って無料で使えるし、飛行場だって、港湾だって自治体が面倒をみているんですよ。根本的な基盤・インフラまでやらされているのは鉄道だけですから。これは不公平でしょ。鉄道だって、基盤は国や公共機関が作って、運用は民間に任せるのが本来のやり方。世界でみんなそうですから。それが日本だけ特殊。温暖化の時代、列車で一括して運んだほうがいい。よけいなエネルギーを使わなければ温暖化にも役立つわけだ。これからはますます重要になってくる。それを民間にまかせていたらローカル線はなくなってしまう。国鉄が民営化されて、災害でダメになると車に移行してしまう。日本では廃線になったところに人がいかなくなる。全部残してとは言わないけど、観光などに役立つところは国の責任で残しておいてほしい。

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*地域活性化の力

― 星さんやいろいろな人に取材して、エピソードがありましたらお聞かせください。

監督:撮影に入って、本腰になるきっかけになったのが、雪の中に蝋燭を立てた雪月列火(せつげつれっか)なのですが、朝からずっと雪の中で用意するんですよ。暗くなって1本の列車が入ってくるのを待って、列車の中を覗いたら一人も乗ってなかった。でも、これを作った人たちはずっと手を振って見送っていました。それを見た瞬間、只見線を応援する人たちを応援したいと思いました。翌年は豪雪地帯に雪がまったくなかった。橋が流されたのも、気候変動の一旦だと思っています。地球温暖化の面からも、何か感じてくれればと思います。もう一つ、星さんがやっているのは、町づくりや町おこし。何もないところに何かをみいだし活性化するという問題は全国に通じます。星賢孝がみつけた宝物。只見線と絶景、そして霧幻狭を見つけ出して磨いて来た。なにもない田舎を生まれ変わらせるだけの要素を見つけ出した。そこを見てほしい。

― 住んでいていつも見ている人にとっては、見慣れたなんでもない景色でも、都会やそういうのを見たことがない人からすれば、この景色はなんだろう。すごいという思いがある、それって大事ですよね。

監督:旅に来る人は日常ではなく非日常を求めてくる。自然は恐ろしいこともあるけれど、美しさもある。温暖化による影響から、自分たちの暮らしも、なにか変える時期が来たんだぞということも伝わればいいなと思います。

:只見線は今年(2022)10月1日に全線開通するわけですから、この機会を逃さないで、いろいろな形でPRできたらと思います。コロナで今、ストップしてしまっているけど、来年は海外展開をと思います。NHK「COOL JAPAN」で「アフターコロナに行きたい外国人が選んだ人気の観光地」で只見線と霧幻狭が第2位でした。これからは行政も一緒にやらないと。奥会津、只見は日本の宝だと、マスコミの声は大きいので、ぜひ言ってもらえれば高まってくると思います。

― デジタルが出てから20年余り。写真はどのように整理をされていますか?

:もっと前の出始めのころからデジタルで撮っています。フィルムはお金がかかりますから、もう30年位前から切り替えてやっています。目的がはっきりしているから。只見線だけを追ってきました。

― 私はSNSをやっていないので星さんの仕事を知らなかったです。こういう方法で広げていく方法もあるんだなと、この映画を観て思いました。

:海外から来た人たちは、列車には乗らないのでJRの売り上げには貢献しないけど、SNSで世界に広げてくれる。だから広告塔。そっちの価値が大きいんです。でもその価値は統計には出てきません。

監督:10月1日の開通がゴールじゃない。そこからが大変なことです。あれだけの写真が撮れるスポットがいくつもある。だから乗る鉄道ではなく撮る鉄道というか、撮るポイントが観光地になるという鉄道があってもいいんじゃないかなと感じました。只見線はレールと駅舎は地元、運行と運営はJRという初めてのケース。そういう面からも注目してほしい。生き残り方策の例になればと思います。

― 地方再生の方法としても注目できますね。

:只見線が活性化して行くにはJRも変わっていかなくてはいけない。今までと同じやり方ではだめだと思うけどJRは国鉄時代と同じ。お役所仕事。変わらない。

監督:田舎には何もないと言われますが、都会に無いものがいっぱいあるのも事実。田舎の活性化に、この映画が生かされればと思います。


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(C)星賢孝

取材・記録 景山咲子 まとめ・写真 宮崎暁美


取材を終えて
只見線愛にあふれた星さんの話に引き込まれました。星さんがやっているSNSというのがどういうものなのかよくわからないけど、インスタグラムなのかな? インスタグラム開けてみたけどあまりに写真が多くて、ずっとアクセス中で見ることができませんでした。「星賢孝 写真」で検索してみたらこちらはすぐに出て来て、素晴らしい写真がたくさんありました。でも「SNS」というのはこれではないのですよね。いずれにせよ、只見線が開通したら行ってみたいけど、きっとしばらく混んでいるのでしょうね。やっぱり秋に行ってみたい。でも秋は映画祭シーズンなので行っていられないか…。行くなら山形国際ドキュメンタリー映画祭(開催は10月10日前後)のない今年かな。
7月26日(2022)の新聞に、国土交通省の有職者会議が25日に、赤字が続くJR各社のローカル線の在り方についての提言をしたという記事が載っていた。1キロあたりの1日平均乗客数が「1000人未満」の路線、赤字が続くローカル線は見直しの対象になる。「廃止は前提にせず、存続やバスへの転換などに向けたJRと自治体の協議を促す」と書いてあったけど、只見線も大糸線もその中に入っていた。この映画がそれを見直す起爆剤になるといいのだけど(暁)。

インタビュアーの暁さんの準備が整うまでの時間、只見線に50年前に乗ったことがあること、大学の先輩に奥会津出身の星さんという人がいて、冬に一緒に、郡山から会津若松まで乗ったことがあって、トンネルを抜けたら雪景色だったことなどをお話ししました。星姓は奥会津でも特に桧枝岐に多いと教えてくださいました。
ご自身の撮った素晴らしい写真をもって、上海や台湾に観光客誘致に行った星さんの行動力がすごいのですが、今回、お話を伺って、それがただただ只見線や奥会津だけのためでなく、日本各地にも波及効果があることを思ってのこととわかり、ほんとにスケールの大きい方だと思いました。(咲) 




『Blue Island 憂鬱之島』公開直前トークショー!!

2022.7.16(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開される『Blue Island 憂鬱之島』の公開を記念してトークイベントが開催された。『乱世備忘 僕らの雨傘運動』の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督の長編2作目。クラウドファンディングで資金を集め、香港と日本の共同製作の形で映画ができあがった。

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登壇者:陳梓桓(チャン・ジーウン)監督/オンラインにて参加
森達也(映画監督)、堀潤(ジャーナリスト) 通訳 サミュエル周


トークゲストには、香港からオンラインでチャン・ジーウン監督が参加。そして香港デモを実際に取材し監督にもインタビューをしている堀潤さんと、同じく映画監督として現在も映画を撮り続ける森達也さんは本作をどう観たのか?
7月1日(2022)、香港が英国から中国に返還されて25年、そして香港国家安全維持法から2年を迎えた現地では何が起きているのか。

『Blue Island 憂鬱之島』作品概要
自由を求め続け、彼らが辿った激動の記録。
2014年、香港の若者たちが未来のために立ち上がった“雨傘運動”の79日間を描いた『乱世備忘 僕らの雨傘運動』でチャン・ジーウン監督は、「20年後に信念を失っているのが怖いか?」と出演者に問いかけた。その言葉は監督自身への問いかけでもあったが、運動直後のやる瀬ない思いが憂鬱さとなり島を覆い、想像を超える急激な変化の中で、20年を待つまでもなくチャン監督は自らその問いに答える必要に迫られることとなった。雨傘運動を先導していた者たちが逮捕され、市民が沈黙したことで、この島の民主主義や自由への道のりを、より深く再考しなければと本作の制作を思い立つ。一国二制度が踏みにじられた香港社会は混乱を極め、コロナ禍の影響もあり窮地に陥りながらも、香港が内包する不安と希望を描いた衝撃作『十年』のプロデューサーであるアンドリュー・チョイ、若き政治家の葛藤を描いた『地厚天高』を制作したピーター・ヤムと共に、クラウドファンディングによるたくさんの方の応援もあり、2022年ようやく完成を迎えた。20世紀後半、“文化大革命”(1966~1976年)、“六七暴動”(1967年)、“天安門事件”(1989年)と世界を震撼させた事件に遭遇し、激動の歴史を乗り越えてきた記憶。そして現代、香港市民の自由が急速に縮小してゆくなかで、時代を超えて自由を守るために闘う姿をドキュメンタリーとフィクションを駆使してより鮮明に描きだす。この映画は、自由を求めるすべての人々とあなた自身の物語でもある。(プレス資料より)
シネマジャーナルHP 作品紹介 『Blue Island 憂鬱之島』

監督・編集:チャン・ジーウン
プロデューサー:(香港)ピーター・ヤム アンドリュー・チョイ/(日本)小林三四郎 馬奈木厳太郎 
撮影:ヤッルイ・シートォウ 音楽:ジャックラム・ホー ガーション・ウォン 美術:ロッイー・チョイ
字幕:藤原由希 字幕監修:Miss D 
製作:Blue Island production  配給:太秦 
2022|香港・日本|カラー|DCP|5.1ch|97分
『Blue Island 憂鬱之島』 公式サイト    

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©2022Blue Island project

香港・日本合作映画『Blue Island 憂鬱之島』公開直前!! 
2022.7.13 トークイベント at LOFT9

日本側プロデューサー小林三四郎さんが総合司会し、もう一人の日本側プロデューサー馬奈木厳太郎弁護士を紹介。 
小林三四郎さん「香港を密室にしない、それが私たちの役目。2017年の山形で、プロデューサーのピーター・ヤムさんから協力を依頼され、この作品実現に取り組みました」
馬奈木厳太郎さん「民主化問題、意識があったわけではない。弾圧が激しくなるなるなかほっておけなかった。日本では選挙があって自分たちの意見を表せる。その権利を当然だと思っているが、それがあることをかみしめる。香港のように自分たちの批判が認められない立場になってしまうかもしれないということを考えてほしい」

二人の話のあとダイジェスト版の上映。その後トークへ

*日本公開されるにあたって

陳梓桓(チャン・ジーウン)監督 2017年に、この作品の構想が生まれました。文化大革命から香港に逃れた人たち。海を渡って香港へ。あの頃、香港は自由の地だった。1989年の天安門を逃れた学生たちも香港へ。物語のほうは2019年の学生代表だった人が演じています。1967年の“六七暴動”では、英国(香港)に生まれたのに、なぜ祖国英国に逆らう。「私は中国人だ」と主張。愛国は罪にならずと自分の正しさを人々に伝え続けました。実在の人物の経験と、その時代を演じる若い時のその人の姿を物語仕立てで組み立てました。日本の皆さんの応援で出来上がりました。
前作の『乱世備忘 僕らの雨傘運動』は香港で自主上映できていたけど、これはもう無理ですね。今作は香港では上映できない状態ですが、日本で公開されるのはありがたいです。
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堀さん この作品はドキュメンタリーの部分とドラマを融合させていますが、その構想はどのように生まれたのでしょう。

陳監督 ドキュメンタリーとドラマをミックスしたのは、ドキュメンタリー映画の可能性を追求するため。ドラマ仕立てにすることで30年前、50年前のことを再現ドラマであらわすことができる。チャレンジでもある。真実との間に開きはあるが、個人の記憶をたどって実現させた。過去の人たちが直面した困難と現在の困難は似ている。出演者も役者ではなく運動家。自分たちが直面したことに置き換えて考えてもらうことにもなった。

森達也監督 ドキュメンタリー軸に撮っている。手をかけるということは現実をいじることにもなるが、実に見事な編集だった。ドラマを入れることで言いたいことを語ることもできる。

*香港でのドキュメンタリー映画事情

陳監督 香港では80年代、90年代、ドラマが中心で、ドキュメンタリーを撮る人がいなかった。今の香港の状況によってドキュメンタリーを撮る人が増えてきた。今を記録するということが大事。香港が変わっている状況、どうしてこうなったのかリアルに知ることができる。タイムリー。この時にしか撮れない。これからも撮ることが
できるかはわからない。

森監督 陳監督の前作『乱世備忘 僕らの雨傘運動』製作総指揮のビンセント・チュイさんは大事な友人。2017年香港のインディペンデントの上映会で香港に呼んでもらった。香港であちこち飲み歩いて話をした。この状態をその時は想像もせず、ここまで規制されるようになるとは思わなかった。

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堀さん 経済に負けない香港人に教えられた。雨傘革命の時、上の世代は冷ややかだった。あなたたち日本人も自由が奪われるのはすぐですよと言われ、教わった。経済と自由を問うシーンがあったけど、声を上げ続けている香港人ですが、負けたのかどうなのか。

陳監督 運動によって成果は得られたかというと、それは失敗。しかし、この運動によっていろいろ考えられるようになった。お金のことばかりからアイデンティティに目覚めた。自分たちが求めているものを考えるようになってきた。2017年、2015年の映像は、今、撮ろうと思っても撮れない。6・4の追悼もできなくなってしまった。一夜にして可能だったことを失ってしまった。いろいろな反応があるけど自分たちがすることはスタンダップ。沈没する船の中でも輝きを。

森監督 「勇気」ということを考える。こういう映画を撮っていて大丈夫なの? 大丈夫と言っていたけど、どうなんでしょう。

陳監督 今のところ、こういう映画を撮ることによって逮捕というのはないけれど、今後、安全ではなくなる可能性があるかもしれない。蘋果日報(りんごにっぽう)、立場新聞(香港民主派ネットメディア)なども廃刊や停止に追い込まれた。インディペンデント映画祭なども、今は活動できなくなっている。自己規制してしまい、リアルな香港を撮れるか、また資金を集められるかなどの問題が出てきている。
しかし、そのままではいられないので、最近『時代革命』の周冠威(キウイ・チョウ)監督らとともに「香港自由電影宣言」という声明に参加しました。

*民主主義とは

堀さん 民主主義の精神は何をさすと思いますか

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陳監督 香港は民主主義を追い求めてきたけど得ることはできませんでした。民主主義とは個人の自由な思いを表現できることだと思います。制度ともいえるけど、一人一人の精神が大事。イギリスや日本は選挙制度はあるけど、自分が持っている権利を行使しなければそれは活用できません。

森監督 人を傷つけない、傷つけられない世界を築いて権力を監視するメディア、弱者を助ける。あなたたち自由に映画を撮れるじゃない、自問自答しながら撮っていくしかない。自分が知りたいが出発点。ドラマ、ドキュメンタリー、そんなに違いなはい。「知りたい、記録したい、撮り続けて発信し続けたい」

陳監督 香港で生まれ育った。激変する香港を撮り続けたい。リアルタイムで撮って発信したい。メジャーは取り上げない香港を撮り続けたい。香港とは何か、どう生きていくのか。それを見い出し世界に発信したい。香港の歴史、今の香港が直面している状況を認識してほしい。

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森監督 香港での自主規制。日常的に始まっている。弱い立場の人たちが行動を起こす時、暴力が出てしまう。平和的なデモ、歌など、こういうことをやっていても実現することができないと過激な方向に進みがち。どこも似たようなことがあると思う。民主主義は多数派の意見を反映することと言われているが違う。「マイノリティの声を反映する」それこそ民主主義だと思う。

堀さん 日本や世界の人たちができることは。 

陳監督 雨傘革命、世界各地から応援の声があった。世界各国の人に関心を持ってほしい。忘れないでほしい。今の香港の若者たちに関心を持ち続けてほしい。

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まとめ・写真 宮崎暁美


*参照 シネマジャーナルHP記事
スタッフ日記
●香港返還25年  大雨だった1997年7月1日を思う 
http://cinemajournal.seesaa.net/article/489403875.html
 
特別記事
●『乱世備忘 ― 僕らの雨傘運動』
陳梓桓(チャン・ジーウン)監督インタビュー
山形国際ドキュメンタリー映画祭2017にて   2017年10月11日
http://www.cinemajournal.net/special/2017/yellowing/index.html

●『乱世備忘 僕らの雨傘運動』
陳梓桓監督インタビュー(日本公開時)2018年07月22日
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/460641864.html

ホン・サンス監督『イントロダクション』主演 シン・ソクホ オンライン舞台挨拶

映画『イントロダクション』&『あなたの顔の前に』日本公開記念
シン・ソクホ オンライン舞台挨拶

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3年連続ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞で注目の名匠ホン・サンス監督の新作『イントロダクション』と『あなたの顔の前に』が、6月24日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほかで全国公開されています。
詳細:公式サイト:http://mimosafilms.com/hongsangsoo/

公開初日6月24日(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町での『イントロダクション』18:15の回上映後、主演俳優シン・ソクホが初日舞台挨拶としてオンラインで登壇しました。

●シン・ソクホ プロフィール
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1989年6月15日、韓国、ソウル生まれ。ホン・サンスが教授として在職している建国大学映画学科で学ぶ。ホン・サンス監督作品では、『正しい日 間違えた日』(15)にスタッフとして参加し、『草の葉』(18)『川沿いのホテル』(19)に出演、『逃げた女』(20)では猫の男を演じ、『イントロダクション』(20)で初主演を飾った。『あなたの顔の前に』(21)では、主人公サンオクの甥スンウォンを演じている。その他の出演作は、ホン・サンス監督のプロデューサーを務めてきたキム・チョヒの監督デビュー作『チャンシルさんには福が多いね』(21)、イ・ドンフィ主演の『グクド劇場』(20、未)など。

初主演を飾った『イントロダクション』では、将来に思い悩みながら、父、恋人、母と再会を果たしていく青年ヨンホを演じた。
『イントロダクション』作品紹介

『あなたの顔の前に』では、イ・ヘヨン演じる主人公サンオクの甥スンウォンを演じ、重要なシーンで登場している。
『あなたの顔の前に』作品紹介
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(C)2021 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved



◆シン・ソクホ オンライン舞台挨拶
日時:2022年6月24日(金)『イントロダクション』 18:15の回上映後 
会場:ヒューマントラストシネマ有楽町 スクリーン1
MC:ミモザフィルムズ 大堀知広
通訳:根本理恵

MC:スペシャルゲストとして、『イントロダクション』主演のシン・ソクホさんをオンラインでお迎えしております。 2作品の字幕をご担当いただいた根本理恵さんに通訳をお願いしております。
シン・ソクホさん、こんにちは~


シン・ソクホ:(日本語で)初めまして。『イントロダクション』の主役を務めましたシン・ソクホです。よろしくお願いします。

MC:お忙しい中、今日はありがとうございます。

ソクホ:今日はお招きいただき、皆さまと同じ空間にいることができて光栄です。

★途中で主演だと知らされた!
MC:本日は初日の上映に駆け付けてくださいましたお客様に、より作品を楽しんでいただきたいと思い、いろいろとお話をお伺いしたいと思います。
シン・ソクホさんは、ホン・サンス監督が教授として在職している建国大学映画学科で学ばれて、ホン・サンス監督作品には、『正しい日 間違えた日』(15)にはスタッフとして参加され、『逃げた女』などに出演され、今回は主演を務められています。どのような経緯で主演が決まったのでしょうか?


ソクホ:実は今回も特別な状況ではなくて、以前出演したものや、スタッフとして参加した時と同じように、気楽に参加しました。今回も俳優というよりスタッフという比重が大きいと思って参加していましたら、途中で、監督から「ヨンホの出演場面が増えるよ」と言われて、今回は主演なのだと知ることになりました。

MC:最初は主役だと知らずに参加されたのですね。

ソクホ:監督の撮影方法というのが、すべてのシナリオを事前に渡すのではなくて、その日その日に渡してくださいますので、誰が主演で誰が助演なのか前もってわからないのです。今回も撮影前に主演だというお話はなかったので、少しだけ出演するのだという気持ちで参加しました。

★主役と知ってプレッシャーより責任感が沸いた
MC:あとから主演とわかったとのことですが、別のプレッシャーは感じられましたか?

ソクホ:今回主演だと知らずに現場に入りましたので、気楽に参加しようという心構えでした。以前のように今回も楽しい作品を作ろうという気持ちでした。途中で主演だと聞きましたので、僕にとっては初めて経験する状況でしたので、言葉で表現できないくらいとてもプレッシャーを感じることになりました。けれども、ホン・サンス監督の現場は僕自身親しみがありましたし、スタッフの皆さんやまわりの俳優の先輩の皆さんもアドバイスしてくださいましたので、プレッシャーというよりも頑張ろうという責任感のほうが大きくなりました。

MC:撮影の段階では映画の全体像がわからない状況だったとのことですが、完成した『イントロダクション』を初めてご覧になった時は、いかがでしたか?

ソクホ:スタッフとして参加した作品と違って、今回は俳優として、しかも主演として参加しましたので、違った印象がありました。初めて完成した作品を観た時には、観客の目で見るよりも、出演した側として観ましたので、もっとここは頑張ればよかったとか、こうしたらよかったとか、個人的にそういう部分を探しながら観ました。

★酌み交わすお酒は本物
MC:ホン・サンス監督の作品といえばお酒が欠かせない存在ですが、本作でも第三章でヨンホたちがお酒を飲むシーンが印象的でした。ここで出されているのは実際のお酒だと聞きましたが、本当でしょうか?

ソクホ:そうですね。ホン・サンス監督の現場では、俳優たちは、実際にお酒を飲んで演技をしています。過度な演技を引き出すために無理に飲ませるということはないです。あくまで俳優本人がコントロールできる範囲でお酒を飲みながら演技しています。途中でこれ以上、お酒を飲んだらダメだなと判断したときには、監督からカットの声をかけてくださいます。
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MC:映画の中で、ヨンホはあまりお酒に強くない役柄でしたが、ソクホさんご自身はいかがですか?

ソクホ:僕自身、まわりの人たちと一緒にお酒を楽しむのは好きなのですが、実際のところ、お酒はちょっと苦手です。監督は僕があまり飲めないのをご存じでしたので、無理に飲ませようとはしませんでした。自然の演技ができるように、少しだけお酒が入ったような感じで演技ができるように仕向けてくださいました。焼酎でしたら、ボトル半分くらいの量でした。

★キスシーンへの戸惑いは理解できる
MC:役者を志していたヨンホが、どうしてもラブシーンが演じられなくて役者をやめたことが明らかになって、俳優がカツを入れるのですが、このシーンを演じられて、ヨンホの気持ちをどのように理解されましたか?
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ソクホ:俳優として僕が考えるには、もしかしたら自分自身の言い訳に聞こえてしまうかもしれないのですが、愛する人がいる状況だったら、悩むこともあり得ると思います。悩むに値することだと思います。僕自身も愛する人がいますので、悩んでしまうのは事実です。なかなかほんとうのことが言えないと思います。これが正しくて、これは違うといえないような気がします。映画の中では、ヨンホはその時の気持ちを言ったのだと思います。僕の考えも少し入っています。あの場面では感情移入できました。


★真冬の海に入り、しがらみを洗い流した思い
MC:ラストシーンで冬の海に飛び込んでいくシーンが切なくて印象的だったのですが、3月ごろに撮影されたと伺ったのですが、寒かったのでしょうか?
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ソクホ:撮影した日は、ほんとうに寒くて風が強かったことを覚えています。あのシーンについては、撮影のために海に行ったのですが、散歩をしていたときに、監督から「ヨンホが海に入るのはどうか」と提案がありました。「いいですね。とてもきれいなシーンになると思いますよ」とお話したのですが、撮影の最後の日に、実際に「ヨンホが海に入る」と脚本に書かれていました。とても寒くて波が強かったので心配していたのですが、いざ撮影がスタートして実際に海に入ったら心配はなくなりました。ヨンホが以前に抱えていたいろいろなしがらみを海に入って洗い流すような気持ちでした。ヨンホを演じてきた本人としては、寒いというより、今までのヨンホのしがらみを洗い流せてさっぱりしたという気持ちでした。

★当日渡される台本、展開かだんだん楽しみに
MC:ホン・サンス監督のその日に撮影する台本を当日渡すというユニークな演出方法は、演じる俳優の立場としては大変なのでしょうか? それとも面白いものなのでしょうか?

ソクホ:正直いいますと、役者にとっては面白いとはいえないです。当日台本をもらうわけですから、台本を見た時には、はたしてできるだろうか、ご迷惑をかけるのではないだろうかという心配のほうが多かったのですが、段々慣れてきまして、プレッシャーよりも、今日はどんな内容が書かれているのだろうと楽しみになってきました。シナリオをその日にいただくと、まるで本を読んでいるような気持ちで演じることができるようになりました。時間が経つにつれて慣れてきて、面白いと思うようになりました。


◆会場からの質問

- 台詞の言い回し方が、普段のしゃべり方よりもすこしゆっくりといいますか、どの映画もホン・サンス監督の映画という雰囲気を感じます。監督からはどのように台詞を話すようにという指示はあるのでしょうか?

ソクホ:監督から台詞をゆっくり話してくれということは僕の記憶ではなかったです。その日に渡された台詞を覚えて演技がスタートすると、監督がそこは変だなと思わない限り、また、監督の意図とは違うと感じない限り、止めることはありません。監督からこうしてほしいと強い希望があるときには、こういう状況だから、こんな風に話してくれと事前に簡単な説明があります。そういうやり方でいつも撮影しているので、現場で急に指示をするということはありませんでした。

― 映画とても面白かったです。海の場面はご説明を聞いてそういう状況だったのかと思いました。ホン・サンス監督の生徒さんだったとのことですが、監督に憧れている生徒さんはたくさんいて、スタッフとして参加したり俳優として使ってほしいと思う生徒さんも多くいると思うのですが、ソクホさんが監督に抜擢されたのは、どのようなところが気に入られたのだと思いますか? 思い当たることはありますか?

ソクホ:もしかしたら自分のことを自慢してしまうかもしれないのですが、学生だった当時、ホン・サンス監督の講義のクラスで班長を務めていましたので、その姿を見て、責任感を持ってやっていると思っていただけたのではないかと思います。自分がホン・サンス監督の弟子だというのは恥ずかしいという面もあります。

― 楽しく拝見しました。スタッフとして、俳優としてホン・サンス監督の映画に参加されてきたシン・ソクホさんからみて、ホン・サンス監督の映画作りの現場の面白さはどういうところにあると思いますか?

ソクホ:僕にとっては、もはやホン・サンス監督の現場が標準値で、それが僕にとっては通常の映画の現場として親しみを感じています。ほかの一般的な現場にはない、例えば次の日はどんなことがでてくるのだろうという期待を持たせてくれる現場です。ホン・サンス監督から映画作りに対する姿勢や心構えや信念を学びました。ホン・サンス監督は映画を単なる手段として考えているのではなくて、純粋なものと考えています。同じ映画を作る者としてたくさんの影響を受けています。映画を作るときには、最初に、ほんとに簡単なシノプスで、どういう映画なのかを説明してくださるのですが、ほんとうに簡単です。これがテーマだということを最初から与えるのではなくて、観る人にとっても、映画を観て、感じて心を動かして貰えればばいいという思いで、僕たちにも簡単に説明するのだと思います。

MC:お話ありがとうございました。残念ですがお時間になってしまいました。最後にひとこと会場の皆さんにご挨拶をお願いします。

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ソクホ:映像を通してご挨拶させていただき嬉しく思っております。また『イントロダクション』のような素晴らしい作品をもって、実際に日本に行ってご挨拶できる機会があればと思います。
(日本語で)来てくださってありがとうございます。おやすみなさい。



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オンラインでしたが、シン・ソクホさんの真摯に映画の現場に携わるお人柄を感じることのできたひと時でした。今後の出演作を楽しみにしたいと思いました。
また、ホン・サンス監督の、その日その日に台本を渡すという映画作りのスタイルが、俳優にとっても新鮮で、作りこんだものでない即興的な面白さが観客にも伝わってくるような気がしました。
ホン・サンス監督の作品に流れる独特の空気感が生まれる秘訣の一旦を知ることのできた舞台挨拶でした。
取材:景山咲子