『サイゴン・クチュール』グエン・ケイ監督インタビュー

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グエン・ケイ監督 プロフィール
脚本家として活躍後、アメリカ、日本(NHK「kawaii project」)、イギリスで映像分野で実績を積む。ベトナムへ帰国して、“Tèo Em”の大ヒット後、2013年に脚本家集団 A Type Machineを創設。ゴ・タイン・バン主演のアクション映画『ハイ・フォン』では歴代興行成績を塗り替えるほどの大ヒットを飛ばす。一大ブームを引き起こした本作では脚本と監督を担当。 最新作はヴィクター・ヴー監督の“Mat Biec(原題)”をプロデュース。
『サイゴン・クチュール』(原題:Co Ba Sai Gon)
紹介記事はこちら
2017年/ベトナム/カラー/100分
(C)STUDIO68
配給:ムービー・アクト・プロジェクト
HP http://saigoncouture.com/ 


―69年というと自分の青春時代で、当時のメイクやファッションなど似ていて懐かしいです。60年代後半から70年代は、日本ではベトナム戦争の時代という印象が強いのですが、この映画は戦争中を思わせる場面はなく、明るい暮らしを描いています。これは狙ったものですか?

そうなんです。あれは私の反戦の精神を表しているつもりなんです。戦争で一番辛かったのは男性だと思うのです。戦場に行かなければならなかったし、行かない人もまた自分たちの暮らしを守らなければなりませんでした。女性たちも戦争の時代の中でも、決して自分たちの務めを忘れませんでした。それは伝統を発展させること、自分たちのルーツを守ることです。
文化というのは、いつもいつも流れていて戦争中でもそれを守るのは止めてはいけないことでした。あのころビートルズも歌っています。「Ob la di,ob-la-da,life goes on♪」って。ライフゴーズオン、人生は続くんだ、ということですね。

―アオザイ仕立ての老舗にはモデルがありましたか?

日本も同じだと思うんですが、アーティスト、たとえば日本でも飾り職人とか代々受け継がれていく家業というものがありますね。アオザイも同じで、主にそれは女性が受け継いでいきます。そういうお店はたくさんあって、どこか一軒ということではなく、全部がモデルになっています。

―エピソードが母と娘ですね。日本では家業は息子が継ぐことが多いです。ベトナムは女性が強くて、能力も高いんですね。

大阪のおばちゃんと同じなんです。女が強い(笑)。

―さきほどの戦争のことですが、男性ばかりでなく、女性も戦場で男性と一緒に戦っていましたよね。ベトナムの女性は強いなとそのころから思っていました。その流れはあるでしょうね?

ベトナムには4000年の歴史がありますけれど、最初は母系家族でした。中国からの影響を受けて、父系家族となったわけです。でもやはり本質の母系家族に加えて、戦争中男性がいなくなったことで女性の価値はあったんです。それが続いていて現在の社会においても、いろいろな企業のトップに女性が就いています。たとえば航空業界ではベトジェットエアー、銀行業界にもいらっしゃいます。
          
―この映画が監督第1作ですか。

監督として1本目の作品です。ベトナムの映画界はまだ男性が支配しています。私にとってはとてもラッキーなことにスタッフがほぼ女性で、監督デビューのとても良い機会になりました。
この1本目に出会えるまで非常に長い時間待ちましたので、これで良い結果を出そうと努力しました。このおかげで、2本目3本目と続くことになっています。

―今回の脚本は監督が主に書かれて、ほかの方々(脚本:A TYPE MACHINE=8人の女性脚本家集団と資料に)に意見を聞いたということですか?8人ってどういうことなのかな?と不思議で。

今回は書き直したのでとても急いでいました。最初私の役割はスクリプト・ドクター(みんなで書きあげたものを最終的に見る)だったのですが、昨日のインタビューで言ったように、初めは姉妹の話だったのが、母と娘の話に変わったので全部書き直さなくちゃいけなくなりました。これは時間がかかるので、私一人でやることにしました。それでドラフトができるたびにその8人のチームに見てもらって進めていきました。
書くのは1人で後はコメントをしてくれるんです。多くても2人までですね。チームとして同時に4,5本のプロジェクトを抱えていて、それを8人でやっているということなんです。

―スタッフ・キャストとも女性が多い作品ですね。

プロデューサー、脚本、それにこの作品には大スターの女優が6人も出演しています。一人ひとりが主役を張れるような人たちが、1本の映画に全部顔を出してくださいました。それだけ私たちの意図をくんで、同意してくださったということです。
 
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―ゴ・タイン・バンさんはどんな方ですか?

彼女はとても強い女性です。10才のときに家族とノルウェーに移住し、20才でベトナムに戻ってキャリアを始められました。その後ハリウッドにも行って映画の仕事をしています。あまりに強いので、高圧的だという風にいわれることもあります。彼女は多くの経験や能力を持っているので、この映画のキャストや製作期間、衣装などについてもいろいろなリクエストをみんなに出してきました。
ただ、ゴ・タイン・バンさん、それに衣装デザインとプロデューサーでもあるトゥイ・グエンさんみんなに、この映画は伝統的衣裳のアオザイを尊重するという共通の目的がありました。それを達成するために意見を交換して映画を作ってきました。一緒に仕事をしてたくさんのことを学ぶことができましたし、とても成長しました。良かったと思っています。

―ほかに女性監督はいらっしゃいますか? 

少ないですね。一つ上の世代ですと、デイ・リン・クオ監督、ベト・リン監督がいますが、最近作品は作られていませんね。私と同じような年代でいうと、ラブストーリーのルック・バン、アート系だとグエン・ホアン・ディエップ(*)がいます。ゴ・タイン・バンさんも1本監督しているんですが、作ってみたら大変だったので、もう監督はやらないそうです。
例えばですね。監督が女性であってもカメラマンは男性なんです。そうすると男性のほうが強く言ってきます。

―女性カメラマンはいないんでしょうか?

世界的に言って、カメラマンと照明は男性ばっかりなんです。

―(宮・白同時に)日本にはいますよ。

カメラマンになりたい!(笑)

―京都で作る予定の第3作を日本の女性カメラマンで作るのはどうでしょう?

いいですねぇ。
(ここで、高野文枝監督作品のカメラマンだった城間典子さんの話になる。京都在住なので、ご縁ができるといいですね)

*アジアフォーカス福岡2016で上映
『どこでもないところで羽ばたいて』2014年/ベトナム・仏・ノルウェー・独/98分
原題:Đập cánh giữa không trung/ 英題:Flapping in the Middle of Nowhere


―第2作はどこまで進んでいますか?

脚本はもうできています。2020年3月に撮影予定です。お話は、アメリカに住んでいる17,8歳の娘が主人公です。親がいないという設定で、ハリー・ポッターのように意地悪なおばあさんの家にいます。実は彼女の本当のおばあさんはアオザイ作りの名人だったと知ります。彼女もアオザイを作りたくてもアメリカで学ぶことはできず、ベトナムへ帰ります。そこで、30代で亡くなったおばあさんのゴーストに出会うことになります。

―なんだか楽しそうな作品です。この作品との繋がりは?

繋がりはないのですが、同じようなエピソードがあってタイムスリップします。最後の皇帝がいた時代に戻るんです。(ベトナム帝国皇帝バオ・ダイは1945年8月30日に退位を宣言)

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―この作品で、現代にタイムスリップしたニュイは未来の自分に会います。これまでのタイムスリップやトラベルでは、自分に会うのはタブーでした。若いニュイは過去に戻って、真面目に励むわけなんですけど、そうすると未来に影響があって大きく変わるはずです。そこを2で描くのかと想像していました。

お~、これもいいアイディアですね。ちょっと書いておきます。(と別室にいく監督。紙とペンを手に戻りました。いつもアイディアをすぐ書きとめるのだそうです。ここで時間いっぱいとなりました)

―今日はどうもありがとうございました。
(取材・写真:白石映子、宮崎暁美)

=取材を終えて=

グエン監督から開口一番に「今まで日本の女性は結婚すると仕事をやめてしまうのだと思っていましたが、間違いだということがわかりました」と言われました。こんなシニアコンビの取材は初めてでしょうね。
宮崎が「シネジャはボランティアで32年続いているミニコミ誌です」と説明すると驚かれました。差し上げた102号の表紙がちょうど『サイゴン・クチュール』だったので監督いっそう喜ばれ、良かった~。
黒いスーツ姿の監督に「今日はアオザイじゃないんですね」と言うと「持ってきましょうか」とすぐ立たれます。後で見せていただくことになり、本題へ。
インタビューが終了してから、アオザイを見せていただきました。昨日のお話の背中側がどうなっているのか、やっとわかりました。ゆるみの幅左右に紐を通す小さな輪が7,8個ずつ。上から下へ編み上げ靴のようにコードをクロスさせて調整します。残ったコードはウエストあたりで蝶結びに。「サイズがよく変わるので、デザイナーのトゥイ・グエンさんに作ってもらいました。オートクチュールです」とグエン監督。たくさんの色とりどりの花はかぎ針で一つずつ編まれた可愛いものでした。あらたまった席に着て行かれるそうです。(白)

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1969年というと、私は高校3年生で、ちょうどベトナム戦争が激化していた頃。日本でも連日、ベトナム戦争のニュースがTVで流れ、報道雑誌などにも頻繁にベトナム戦争と人々の姿を写した写真が掲載され、本や文章にもたくさん書かれていました。それらを見ていた私は何かできないかと思い、べ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)のデモに参加するようになりました。そんな経験があり、ベトナム戦争後の復興は常に気になっていました。そしてベトナムは私の人生、生き方にとって大きな影響を受けた国になりました。
映画に興味をもつようになってからもベトナムを描いた映画というと観にいっていました。ベトナム戦争関連の映画がどうしても多かったし、他の国の人がベトナムを描くときも、商業映画であれ、ドキュメンタリー映画であれベトナム戦争が舞台だったり、伏線だったり、枯葉剤の影響だったり、どうしてもそういうことからは離れられずにベトナムの変化を見てきましたが、その後、アート系の映画も上映されるようになりました。
そして、第11回大阪アジア映画祭2016でベトナム映画特集があり、そこで『超人X.』のようなアクション映画、『ベトナムの怪しい彼女』のようなコメディタッチの映画が上映され、ベトナムにもとうとうこういう映画が出てきたと思いました。そして第13回大阪アジアン映画祭2018で『仕立て屋 サイゴンを生きる』と出会いました。おしゃれでポップ、でもそれだけでなく重厚さも感じさせる作品でした。これはぜひ日本で公開してほしいと思っていたら、『サイゴン・クチュール』というタイトルで日本公開されることになり、とても嬉しく思いました。大阪では監督にお会いできなかったのですが、今回、監督にインタビューできると聞いてぜひお会いしたいと思いました。こんな映画を作った監督はまだ若い女性でした。これが第1作と言っていましたが、この後、3作まで予定があるとのこと。とても頼もしく思いました。でも、ベトナムではまだまだ女性監督は少なく、それ以外の部門はもっと少なく、撮影をやっている女性はまだいないとのことでした。次作は京都で撮るとのことなので、ぜひ日本の女性撮影者と組んで映画を作れたらいいなあと思いました。(暁)

『サイゴン・クチュール』グエン・ケイ監督来日イベント

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『サイゴン・クチュール』
1969年のサイゴン。代々続くアオザイ仕立屋の母と対立、60年代の洋服にこだわる娘・ニュイが21世紀にタイムスリップ。変わり果てた自分と寂れた店に驚愕。自分の《人生》を変えるべく奔走するファッション・ファンタジー。1人の女性の成長を鮮やかに描いた、女性が元気になれる【ビタミンムービー】。
★2019年12月21日(土)より全国順次ロードショー
作品紹介はこちら

2019年11月11日(月)笹塚ボウルにて、ベトナムから来日されたグエン監督を囲んでのイベントが開催されました。
グエン監督は深い黒地に色とりどりの花を散らしたアオザイで登場しました。ゲストにベトナムで活躍中の落合賢監督、歌手の野宮真貴さん、俳優のデビット伊東さんを迎えてのトークと、華やかなアオザイのファッションショーが行われました。
司会は映画ライターの新谷里映さん。通訳は秋葉亜子さん。

1960年代を舞台にした映画を製作した理由について、グエン監督「1960年代は素晴らしいことがたくさんあった希望に満ちた時代でした。そんな時代をとても愛しているからです」と回答。
元々の脚本は姉妹の設定だったのが、母と娘のストーリーに変更になったことなど製作中の裏話を明かしました。
アオザイをはじめとするファッションをデザインしたのは、プロデューサーも務めたトゥイ・グエン。デザイナーである彼女から、「フランスの植民地時代の象徴である花柄のタイルや、1960年代の象徴である水玉模様をアオザイのデザインに取り入れたいと提案されたんです。彼女のおかげで現代的でありながらもレトロな雰囲気を持つ、素晴らしい衣装となりました。嬉しいことにこの映画をきっかけにアオザイを普段から着る若い人たちが増えたんです」と笑顔で語りました。

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第1部の終盤には、ベトナムで映画を製作、『サイゴン・ボディガード』、『パパとムスメの7日間』などヒット作を送り出した落合賢監督が登壇しました。お二人はこれが初対面でしたが、グエン監督が落合監督の2作品を観ていること、お互いに共通の友人がいることがわかりお話がはずみました。
落合監督はベトナムの印象を「エネルギーに満ち溢れている国。どの人もフレンドリーで仕事がしやすい」と語り、『サイゴン・クチュール』については「特に美術と衣裳について色使いが印象的でした。どのようにアプローチされましたか?」と質問。学生時代美術を専攻していたというグエン監督は「1960年代はポップな色使いをする時代でした。また、ベトナムのような熱帯の場所はトロピカルカラーが映えるんです」。
アオザイを何着お持ちですか?の問いに、「3着です。イベントや結婚式に着ます。昔はアオザイを男性も着ていてとても素敵でした。この映画の2ではアオザイと背広の葛藤部分を。3では京都を舞台に描く予定です」と続編の話題にもちょっと触れました。60年代のアオザイや最先端のファッションまで、映画のために用意されたたくさんの衣装は231着にも上ったそうです。

トークショー第2部には、90年代の渋谷系と呼ばれていた“ピチカート・ファイヴ”のボーカル、今はソロのミュージシャンの野宮真貴さん、ベトナムで俳優も経験、今年ホーチミンにラーメン店を出店したデビット伊東さんが登場しました。
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作品についての感想を野宮さん「とてもカラフル、キュートでポップ!まさにピチカート・ファイヴで着ていたような60年代のお洋服、ベトナムの民族衣裳のアオザイもたっぷり見られますし、久しぶりにワクワクするような楽しい映画でした」。ベトナムを訪ねたおり、オーダーメイドでアオザイを含めて10着くらい作られたそうです。「見本を持って行くと滞在中にできるんです。ベトナムは人が優しいですし、食事が美味しいですし、買い物も楽しいですし…」とベトナムの魅力も。
デビット伊東さん「とにかくカワイイ映画。映画の中で主人公の母親が「基本を大事に」と言うんです。僕はあの言葉が大好きで。どんな業界でも基本を大事にすることで新しいことに進めます。監督、あれはどこから来たんでしょう?」と監督に質問。

グエン監督「私の祖母や母がよくそう言っていましたので、私もそれを映画で使いました。アオザイは、だんだん着られなくなっていましたが、嬉しいことにこの映画で”アオザイってカワイイじゃない"と思ってもらえました」。
デビットさんのお店に友人を引き連れて伺います、と約束した監督、野宮さんに「第3作目は京都を舞台にする予定なので、野宮さんには一番良いアオザイを10回くらい着替える役で出て欲しい。すごく似合うと思います」と今からオファー。野宮さんも「ステージで10回着替えたことがあります。着替えは得意です」と、嬉しそうです。

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イベント終盤には、本作のコスチュームデザインを担当したテュイ・グエンによるブランドTHUY DESIGN HOUSEの革新的なファッションをお披露目するスペシャルファッションショーも開催。華やかなアオザイ姿のモデルさんが次々とランウェイならぬボウリング場のフロアを歩きます。作品のテーマ曲をバックにベトナム人ダンスグループ9Flowersが、元気いっぱいのダンスで会場を盛り上げました。
(資料提供:ムービー・アクト・プロジェクト 取材・写真:白石映子)

グエン監督インタビューはこちらです。

『ある女優の不在』 主演女優ベーナズ・ジャファリさんインタビュー

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第20回東京フィルメックスで、特別招待作品として上映され、主演のベーナズ・ジャファリさんがコンペティション部門の審査員として来日されました。 上映の行われた11月24日にインタビューの機会をいただきました。

『ある女優の不在』   原題:Se rokh 英題3 faces
監督:ジャファル・パナヒ
出演:ベーナズ・ジャファリ、ジャファル・パナヒ、マルズィエ・レザイ

*物語*
人気女優ベーナズ・ジャファリのもとに、見知らぬ少女から悲痛な動画メッセージがパナヒ監督経由で届く。女優を志して芸術大学に合格したのに家族に反対され自殺を図るというのだ。ベーナズはパナヒ監督の運転する車で、少女マルズィエの住む北西部アゼルバイジャン州のサラン村を目指す。山間のじぐざぐ道で結婚式に出会い、誰かが自殺した気配はない。マルズィエの家を探しあてるが、3日前から家に戻らないと母親が困り果てていた。芸人に対する偏見が根強い村で、弟も姉が女優になることに猛反対で荒れ狂っている。
やがて、マルズィエが町外れで暮らす革命前に活躍した女優シャールザードのところに身を寄せているのを知る・・・
シネジャ作品紹介

2018年 カンヌ国際映画祭 コンペティション部門 脚本賞受賞

2018年/イラン/ペルシア語・トルコ語/カラー/ビスタ/5.1ch/100分
配給:キノフィルムズ
公式サイトhttp://3faces.jp/
★2019年12月13日(金) ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

ベーナズ・ジャファリ
イラン国内にて、TV,、映画など幅広く活躍している人気女優。日本公開作品では、サミラ・マフマルバフ監督『ブラックボード 背負う人』(2001年)にHalaleh役で出演。
映画祭上映作品では、 『シーリーン』(キアロスタミ監督、2008年東京国際映画祭)『ガールズ・ハウス』(シャーラム・シャーホセイニ監督、2015年東京国際映画祭)、『恋の街、テヘラン』(アリ・ジャベルアンサリ監督、2019年アジアフォ―カス・福岡国際映画祭)に出演している。


◎インタビュー

― 東京フィルメックスの審査員として来日され、嬉しい限りです。東京はいかがですか?

ベーナズ: 日本は憧れの国だったので、ほんとに嬉しいです。

― 審査員としての来日なので、長く滞在できますね。

ベーナズ:たったの2週間しかビザがおりないの。
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◆完璧な脚本を持ってパナヒ監督の故郷で撮影
― 『ある女優の不在』は、パナヒ監督らしい映画でした。パナヒ監督が、綿密に書き込んだ脚本だとわかっているのに、もしかしてこれはドキュメンタリーなのかと思わされる箇所もあります。ベーナズさんは、パナヒ監督からオファーを受けたとき、結末まで書かれた脚本をご覧になったのでしょうか?

ベーナズ:ファーテメ・モタメド・アリアーさんに出演してもらう予定だったのに、急に駄目になって、私に突然オファーが来ました。脚本には、すべて書かれていたけど、ファーテメさんに当て書きされていたので、多少、私に合わせて書き換えてくれました。例えば、少女を叩く場面は、私ならもっときつく叩くと、変えてくれました。

― 撮影は、パナヒ監督のお母様、お父様、祖父母の生まれた村で行われたそうですね。パナヒ監督は、ロケ地での状況にあわせて、エピソードを映画に加えたということもあるのでしょうか?

ベーナズ:カンヌでも何度も聞かれました。パナヒ監督は映画を撮ってはいけないことになっているので、スピーディに撮らないといけません。決まった撮影期間の中では、偶然を取り入れて撮り直す余裕はありません。カット割りもすべて完璧に決まった中で撮影しました。
親戚がいっぱい住んでいるところなので、皆が撮影に協力してくれました。撮影していることを隠すこともできました。映画に出ている人も親戚や知り合いが多いのです。
撮影許可は助監督の名前で、あの村で短編を撮るという形で取っていました。一度、村を出たところで警官に捕まったのですが、私が降りていったら、「ジャファリさんですね」と言われたので、「テレビの撮影です」と言って、うまく逃げました。ちょうどドラマの撮影が終わったところで、ドラマでの役柄で髪の毛を赤く染めたままでしたので。


(私が一生懸命メモを取っているところを、スマホで動画を撮るベーナズさん)

◆アジアフォーカス出品作に出ていた
― 今年のアジアフォ―カス・福岡国際映画祭で上映された『恋の街、テヘラン』にも出演されていましたね。 『ある女優の不在』を観た時には気がつかなかったのですが、今、ご本人にお会いしてわかりました! 結婚式場のカメラマンをしているニ―ルファ―ですよね。

ベーナズ: そう! ニ―ルファ―。
 (ここで、映画の中で歌われていた「ニ―ルファ―」の歌の出だしを歌ってくださいました。)

― 少し飛んでる女性で、この映画のベーナズさんと同一人物と思えませんでした。どちらのキャラクターがご自身に近いですか?

ベーナズ: 女優という本人役で出ているから、もちろんこちら(『ある女優の不在』)でしょう!

(でも、実は、東京フィルメックスの記者会見の最後にとても陽気な面も見せてくださって、ニールファーに近い面もあると思いました。)
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◆尊敬する監督だから、出演を即決
ー 映画製作を禁じられているパナヒ監督の映画に出たのは、とても勇気があると思ったのですが、出演することに、なんの躊躇もなかったですか?

ベーナズ: カンヌ国際映画祭に参加して帰国してから、当局に呼ばれました。「なぜ、撮影禁止のパナヒ監督の映画に出演したのか?」と聞かれたので、「あなたたちの規則ではパナヒ監督は映画を撮ってはいけないのでしょうけど、私には私の役者としてのルールがあって、尊敬している監督の映画だから出て学びました」と言ったら、大丈夫でした。

ー すごく心配していましたが、お咎めなしだったのですね。

ベーナズ:イランではその時に何も言われなくても、3年後に言われるかもしれません。または、3年位、オファーが来ないなぁ~、自分は駄目だな~と思ったら、実は当局が何かお達しを出していたということもあるかもしれません。

― 今のところ、オファーはあるのですか?

ショーレ: メヘルジューイ監督の新作映画に出てますよ。

― 今回の、フィルメックスでメヘルジューイ監督の『牛』が上映されますよね。メヘルジューイ監督には、2004年のアジアフォーカス福岡国際映画祭で『ママのお客』が上映された折にお会いしました。もう15年も前のことですが、今、お元気ですか?

ベーナズ:82歳になられましたが、お元気ですよ。

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◆猫背を師に叩かれ、女優になる決意をする
ー ベーナズさんは、20歳頃から女優をされていますが、いつごろから女優になりたいと思っていましたか? 何か、きっかけになった映画や、出来事は?

ベーナズ: 最初、美術の専門学校でグラフィックを学んだのですが、その後、大学で演技を学びました。ほんとに役者になりたいと思ったのは、その時、先生だったゴラーブ・アディネさん(注:メヘルジューイ監督の『ママのお客』(2004年)のママ役の女優で、やはり2004年のアジアフォーカス福岡国際映画祭でお会いしています)から、背中を曲げて座っていたら、ポンと背中を叩かれて、「役者になるんだったら、ちゃんとまっすぐ坐りなさい」と言われました。女優はすべての仕草を普段から見られているのだとわかりました。これから役者になるのだったら、煙草も吸えない、唾も吐けない、ちゃんと歩かないといけない、ちゃんと座ってないといけないと。アディネさんに叩かれて、私も役者になれるんだ、女優になろうと思いました。
今、私自身、演技を教えているのですが、いつも生徒に言うのは、役者になったのは有名になりたいわけじゃなくて、演じることが好きだったから。写真をビルボードに載せたいわけでもないし、大きなポスターもいりませんと、いつも言ってます。私が役者になったのは、先生たちのお陰です。大学では、エディネさんのほか、舞台で有名なサマンダリアンさんや、映画監督のバハラム・ベヘザーイ氏などに教わりました。


― 素晴らしい先生たちに恵まれたのですね。

ベーナズ:ほんとに、そう思います。今、自分の生徒はかいわいそうです。

― 映画やテレビで演じながら、教えることもしているのですね。

ベーナズ:今、専門学校二つで教えていますが、私はまだ役者として半熟なので、絶対先生と呼ばないで、一緒に学んでいるのだからと生徒に言ってます。何かに先生は誰と書く機会があっても、私の名前は絶対書かないでと。ほかの役者さんは舞台で演出をする方もいますが、私は演出をしたいと思ったことも、演出したこともありません。まだまだ役者として完璧でないので、演技を学んでいる身です。

◆革命前の名優は、革命後の世代にも英雄
ー イラン革命から、40年が経ちました。今や、革命前を知らない世代が国民の半数以上を占めると思います。ベーナズさんもまだ幼かったので、革命前の記憶がないと思います。
この映画に出てきたシャールザードや、 ベヘルーズ・ブスーギのように、革命後、活動を禁止された人たちの存在を、若い世代はちゃんと知っているのでしょうか? 

ベーナズ:私たちにとって、ベヘルーズ・ブスーギは今も英雄です。父が大ファンです。日本の三船敏郎のような存在です。私たちの子ども世代も知っています。今でも、テレビで古いベヘルーズ・ブスーギが出ているモノクロの映画を放映していたら、ほかのことはしないで、テレビの前に座って最後まで観ます。

― もっとお話を聞きたかったのですが、残念ながら時間が来てしまいました。これからの活躍も楽しみにしています。
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取材:景山咲子



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東京フィルメックス 『ある女優の不在』 主演女優ベーナズ・ジャファリさんQ&A(11/24)






近代漫画の祖・北沢楽天の映画『漫画誕生』初日舞台挨拶

昨年の東京国際映画祭で上映され紆余曲折の後、念願の劇場公開になりました『漫画誕生』
埼玉大宮が舞台の作品です。大宮生まれ大宮育ち、生粋の大宮人スタッフ(千)が舞台挨拶に駆けつけてまいりました‼︎

◆2019年11月30日14時〜14時20分/渋谷ユーロスペース

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客席もステージも満員御礼の中、司会進行は本作プロデューサー加瀬修一さん。まずは大木監督から、ご挨拶です。

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大木監督 今日はお忙しい中、この映画を選んでくれて本当に有難うございます。ようやく完成して映画館でスクリーンを通して皆さんにお届けすることができて嬉しく思っております。


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イッセー尾形 僕は今、67歳なんですけど、この作品は70歳の時に撮った映画です(会場笑い) 人生とは長いですね、自由に生まれて自由に育って自由に死んでゆければいいんですけど、どうもそうにはならない見本のような映画です。
大木さんの目指した北沢楽天という個人を扱った作品ですが、すごく深いといいますか、普遍的なテーマを扱っているんだなあと。


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篠原ともえ 楽天の妻役をつとめました。イッセーさんのお話を聞いていたら現場を思い出して幸せな気持ちになっています。イッセーさんは現場でも飄々としているんですが、どこかとてもアーティスティックで、アーティストに寄り添って生きる妻という、ある意味、普遍の愛みたいなものを作品の中で私が演じるとゆうのも貴重で嬉しい時間でした。私も絵が大好きでデザインの仕事をしたりしてますが、こうゆう仕事を続けてきたことも この役に生かせたかなと思って一生懸命演じました。ご覧いただいて有難うございました。


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稲荷卓央 検閲官の役を演じました。イッセーさんとがっつりお芝居させていただくなんて夢のような話しで、撮影はものすごく緊張しましたが イッセーさんが、これから一緒に作りましょうと暖かい言葉をかけてくださってラクになり、緊張感がありながら楽しく撮影することができたと思います。本日は有難うございました。


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モロ師岡 私に福沢諭吉役なんて出来るのかなと不安になりましたけども、調べましたら福沢諭吉が倒れた後からの役だという事と、ひとにカレーライスをすすめたりとか、コーヒーをすすめたりとか、倒れたにもかかわらず素振りを何十回もやるという自分を痛めつける割かし俗物だなっていう…今だったらスマホに向かってsiriに向かって「美味しい餃子のお店を教えてください」とか、そうゆうことをやってる様な役なんじゃないかと思うと、私にも出来そうだなって福沢諭吉になれるんじゃないかと思ってやったんですけど(会場笑い) 一生懸命やらせていただきました。この映画は楽天という漫画家の人物映画なだけではなく戦争の時代を背景にした、ある種の反戦映画だったり、ラブストーリーもあったり、泣けるようなシーンもあったり・・・ 涙がとまりませんでした。何回でも観ていただきたいです。


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吉岡睦雄 近藤日出造役をやりました。映画の冒頭で、この三馬鹿トリオがイッセー尾形さんと対決するというシーンがあったんですけども、あまりにも緊張して本番前にタバコを二、三十本吸いまくりまして、本番の頃にはすっかり気分が悪くなっていたという思い出があります(会場笑い) 今日は本当に有難うございます。


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芹澤興人 横山隆一役をやりました。今日は沢山の方々に来ていただいて有難うございます。時間も無いので、これで(会場笑い) また何回も観に来てください、よろしくお願いします。


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中村無何有 杉浦幸雄役をやりました。映画館に映画を観に来てくださって本当に有難うございます。いっぱい居るんで、ここらへんで(会場笑い)


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嶺豪一 岡倉一心役をやりました。公開初日ということで本当に沢山の方々に来ていただいて、また、もっともっと色んなかたに観てもらえるように願っております。今日は有難うございました。


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瓜生真之助 宮武外骨役をやりました。今日は初日で、こんなに沢山のひとに来ていただいて本当にビックリして嬉しいです。ありがとうございます。僕は宮武外骨というジャーナリストの役だったんですけれども橋爪遼くんと「さらば青春の光」さんと共演させていただいて、とても楽しくて貴重な時間でした。今日の感想とか何か感じたことを周りのかたに話していただいて、たくさんのひとに観てもらえれば嬉しいなと思っております。よろしくお願いします、ありがとうございました。


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秋月三佳 まち子役をやりました。橋爪遼さん演じる青年期の楽天さんの手元を見ているだけで心がいっぱいになるくらい凄い幸せな撮影でした。今日は本当に有難うございました。


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福永マリカ 二葉役をやりました。今日はこの場所でご一緒できて嬉しく思っております。本日は有難うございました。


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祁答院雄貴 川端龍子役をやりました。ちなみにお客様の中で大田区にお住まいのかたっていらっしゃいますでしょうか・・・? 大田区に川端龍子記念館という私が演じた川端龍子の記念館がありますので是非とも行ってみていただきたいなと(会場笑い) この映画を通じて、いろいろな事が広がったら良いと本気で思っております。今日は有難うございました。


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江刺家伸雄 坂本繁二郎役をやりました。埼玉の地で撮影させていただいて、桜が綺麗だったりしました。是非、皆様のほうからも感想など述べていただいて告知をしていただけたらと思います。本日はご来場ありがとうございました。


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安藤瑠一 石井鶴三役をやりました。今日はお越しいただき有難うございます。若い頃の楽天の助手をやらせていただきました、ほっこりとしたシーンになっているのではないかと思います。本日は宜しくお願いします。


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木下愛華 初音役をやりました。冒頭のシーンで、おちょことかを出す役をやっていたのですが、みなさんとこの場に立ち会うことが出来て大変晴れ晴れしい気持ちです。ありがとうございました。


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あらい太朗 最後のシーンで氷川参道を斜めに歩く、あやしい男を演じました。漫画家で、さいたま観光大使をしております。埼玉大宮の名士というか、北沢楽天さん、あまりにも知られていないひとで
、ご案内通りの映画のとおりのひとなんですけれども、これを全国、世界に、もう一回知らしめようという事で十何年も前から映画を作りたいって言い出した、言いだしっぺが僕なんで、今日ここに立たせていただいて・・・ 大木監督と出会って、運命の出会いで、本当に今日良かったです、今日がどれだけ凄いことかって言うと、いつもは優しいスタッフが全然笑ってくれないんで凄いということが分かってるつもりです。その十何年前から、楽天役はイッセー尾形さんと勝手に言ってました。それがまさか実現する・・・モロ師岡さんとか、篠原さんが奥さんの役とか、くるくるみらくるです本当に(会場笑い) 嬉しくてしょうがないです。パンフレットも是非お買い上げいただいて、お読みいただければと思います。今日は有難うございました。

このあとフォトセッションが始まりました。大木監督が客席の皆さんもどうぞと、とても優しい言葉掛けがあり、みんなで撮影大会となりました。今まで何度か舞台挨拶の取材に入ったことありますが、こんなに大勢のキャストさん、そして笑いのある舞台挨拶は初体験でした。
最後に大木監督からのメッセージです。



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大木監督 いろいろな事がちょっとあった映画で、今日この舞台にあがるはずだったけれども、あがらなかった、あがることが出来なかったひとも何名か居るんですが、その人たちのぶんまで今日私が背中に背負って立てれば良いなと今日ずっと思ってきたので、こんなに沢山の人に来ていただいて本当に有難うございました、うれしい思いでいっぱいです。このあとも、まだまだ上映は続きます、全国各地に広がっていければいいなと思っております。北沢楽天をちょっとでも知って、日本の漫画とか、なにか仕事をするということに対して真摯に向き合うことの考えるキッカケになればと思って作りましたので、ぜひ今後とも広めていっていただければと思います。
何回も観ると味のある映画かと思っておりますので・・・さいたま市立大宮漫画会館という北沢楽天が、もともと住んでいたおうちを改装して造った日本で初めての漫画ミュージアムがありますので、ぜひ此処も行っていただければと思います。

イッセー尾形 この映画の面白さをもっと言ったほうがイイんじゃないの!?

大木監督 そうですね、博物館の宣伝で終わるところでした(会場笑い) この映画は色んなことを感じていただける作品と思っておりますので、じぶんなりの感想などを書いていただいて広めていっていただければと思います。今日は本当に色んな数ある映画の中から、こちらを選んでいただいて有難うございました。

61B320E3-9E71-4ADC-AC00-1B6FF52B2BE0.jpeg©漫画誕生製作委員会


舞台挨拶の中で登場した関連施設
●さいたま市立(大宮)漫画会館
https://www.city.saitama.jp/004/005/002/003/001/index.html

●大田区立龍子記念館
https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/tabid/218/Default.aspx

★シネジャ作品紹介
http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/mangatanjo-review.html

★ミッキーの毎日・映画三昧
http://mikki-eigazanmai.seesaa.net/article/471852565.html

★シネジャ本誌100号あらい太朗さんインタビュー掲載
http://www.cinemajournal.net/bn/100/contents.html


(レポート:山村千絵)

『種をまく人』竹内洋介監督インタビュー

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*竹内洋介監督プロフィール*
1978年埼玉県生まれ。芝浦工業大学卒。一般企業に就職後2001年に退職してアメリカで航空機免許を取得、さらにハワイで滑空機の免許を取得。2002年パリに渡り、油絵を学ぶ。その後半年間アフリカを旅し、2004年に帰国。
2006年初短編『せぐつ』を発表。2016年初長編『種をまく人』を自主製作。世界各地の映画祭にノミネートされ、第57回テッサロニキ国際映画祭では最優秀監督賞、最優秀主演女優賞(竹中涼乃)を受賞。第33回LAアジア太平洋映画祭では最優秀作品賞、最優秀脚本賞、最優秀主演男優賞(岸建太朗)、ベストヤングタレント賞(竹中涼乃)の4冠に輝いた。

『種をまく人』ストーリー
高梨光雄(岸建太朗)は3年ぶりに病院から戻り、弟・裕太(足立智充)の家を訪れた。姪の知恵(竹中涼乃)やその妹でダウン症の一希(竹内一花)に迎えられ、久しぶりに団らんの温かさにひたる。知恵は光雄が聞かせてくれた被災地のひまわりの花と幼い一希の姿が重なる。知恵は一希を愛する心の優しい姉だった。翌日、光雄は知恵と一希を遊園地に連れていくことになった。ひとしきり遊んで、光雄がちょっと目を離したとき悲劇が起こってしまう。

監督・脚本:竹内 洋介
撮影監督:岸 建太朗
助監督・制作:島田 雄史
撮影・照明 : 末松 祐紀 
録音・サウンドデザイン 落合 諌磨
カラリスト:星子 駿光
出演:岸建太朗(光雄)、足立智充(裕太)、中島亜梨沙(葉子)、知恵(竹中涼乃)、杉浦千鶴子、岸カヲル、鈴木宏侑、竹内一花(一希)、原扶貴子、植吉、ささき三枝、カウン・ミャッ・トゥ、高谷基史

2017/日本/カラー/ビスタ・DCP/117分
配給:ヴィンセントフィルム
©YosukeTakeuchi
http://www.sowermovie.com/
★ 2019年11月30日(土)より池袋シネマ・ロサにてロードショー
毎週水曜日・日曜日はバリアフリー用日本語字幕付き上映


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―着想のきっかけは東日本大震災の被災地に咲いていたひまわりと、姪ごさんの誕生だと資料で読みました。姪ごさんはこの映画に出ていた妹の一希ちゃん役で当時3才。お姉ちゃん知恵役の竹中涼乃ちゃんが当時10才。もうずいぶん大きくなられたでしょう。

2011年の大震災の半年後に、岸さん(撮影監督兼主演)と一緒に被災地に赴いたのですが、荒れ果てた砂地に咲くひまわりを見ました。その時脳裏に走ったイメージは鮮烈でした。それから翌年の2012年に姪っ子の一花(いちか)が生まれます。撮影から4年経過したので一花はいま7才、小学2年生になりました。言葉もまだたどたどしいですが彼女なりのスピードでゆっくり成長してます。とても可愛いですね。涼乃ちゃんはもう中学3年生になっています。

―2016年に完成、海外を中心にいくつもの映画祭にノミネートされて、受賞もされました。その後生活は変わりましたか?

生活が変わった実感はまるでないです。聞くところによると、テッサロニキ国際映画祭で受賞したあとは日本では少し話題になっていたようですが。ただそのときスウェーデン(ストックホルム国際映画祭映画祭)にいたので、あんまり日本の状況がよくわかりませんでした。

―テッサロニキ国際映画祭ではコンペティション部門で最優秀監督賞と最優秀主演女優賞を受賞されましたね。テッサロニキってどこ?と調べましたら、ギリシャなんですね。

テッサロニキはギリシャ第2の都市で、テオ・アンゲロプロス監督作の撮影場所としても使われていた港町です。僕も撮影監督の岸さんもテオ・アンゲロプロスの監督作品が大好きなので、「あ、これは(永遠の一日)のラストシーンの撮影場所だ!」などと毎日興奮しながら港を歩きました。そして幸運なことに、テオ・アンゲロプロス作品のほぼ全ての撮影監督を務めたヨルゴス・アルヴァニティスさんに出会いまして、実際の撮影場所でお話しを聞かせていただくことができたんです。それは一生の宝になりました。

―映画監督になる前にも世界のあちこちに行かれていますね。放浪癖がありますか?

それはあるかもしれませんね。学生時代にサン・テグジュペリの「人間の土地」や「夜間飛行」などを読んで、その世界にのめりこむうち、彼の作品の根幹を理解するには、実際に飛行機を操縦してみないとわからないと考えて、それでアメリカへ飛行機の免許を取りに行ったんです。

―そこで飛行機に繋がるんですか。謎がとけました。ハワイにも行かれていますね。

当時、日本で自家用飛行機を飛ばすのにはかなりのコストがかかったんです。でも飛行機とグライダーが合体したモーターグライダーという航空機があって、それならば日本で比較的安く空を飛べるということを教えて頂き、ハワイでグライダーの免許も取得したんです。アメリカで取得した免許は日本で書き換えることができるので、帰国後に日本で自家用飛行機とグライダーの他に、モーターグライダーの免許も取得しました。アメリカは土地も広く、飛行機での移動も比較的一般的なのですが、日本で自家用飛行機を持っていても飛べる場所が制限されてしまいますし、飛行機の文化が日本で根付くことはないでしょうね。最近は空撮もドローンが主流ですが、でもいつか自分が乗る飛行機で空撮をして見たいと言う夢はあります。

―次は絵のためにフランスに留学されて。

幼いころからいつかフランスで絵を描きたいという漠然とした夢があって、アメリカから戻った後は、アルバイトをしてお金を貯めてフランスに行ったんです。1年半くらいパリでひたすら油絵を描いていたのですが、その過程でゴッホの絵に出会ったんです。その時の衝撃は言葉で言い表せませんが……その長年の思いが本作で結実したと言えるかも知れません。

―『種をまく人』にも繋がっているんですね。その後アフリカにも行かれました。

それもサン・テグジュペリの影響とナショナルジオグラフィックという雑誌の影響なんですが……。サン・テグジュペリの本の中に砂漠に不時着する話があって、学生時代からその世界観に惹かれていたのですが、とにかくサハラ砂漠に行きたいという思いがあって、サハラ砂漠を横断しようと思っていたんです。フランスからまず飛行機でエジプトに入って、その後スーダンから横断を予定していました。ただ当時スーダンと隣国のチャドという国が内戦状態だったのでビザが取れなかったんです。そこで方向をエチオピアに変え、エチオピアからケニアに行きました。その後、セネガルに飛び、モーリタニア、モロッコと陸路で北上して行きました。ただモロッコは交通機関が発達しすぎてつまらなかったので、現地で自転車を購入して、野宿しながら1000キロくらいひたすら自転車で旅を続けました。

―自転車で1000キロ!

本当は自転車でパリまで行く予定だったんです(笑)。でもヨーロッパの人混みの中を野宿する勇気がなくて断念しました。野宿で一番怖いのは人なんです。だからモロッコの時はなるべく町から離れた場所で野宿していました。でも自転車を盗まれる夢を毎日見るんです。それでぱっと目が覚めたら、自転車を抱いて寝ていたりしました。今思えば当時は無茶苦茶なことばかりしていましたね。常識のかけらもありませんでした。 

―まあ、病気もせずに無事で何よりでした。丈夫なんですねぇ。

アフリカでは「ナイル川の水を飲んだ人は病気にならない」という逸話があって、ナイルの上流の水を飲んだ後は、本当に身体が強くなってアフリカでは一度も病気にかかりませんでしたね。日本に戻ってからは、絵を描く仕事がしたくて一度アニメーションの会社に入ったのですが、そこはすぐ辞めてしまいました。その後、当時京橋にあった映画美学校に入ったんです。当時はドキュメンタリー科とフィクション科があって、僕はフィクション科のほうへ入りました。初等科と高等科とあって最長2年受講できるのですが、初等科の1年目に16㎜のフィルムで15分の作品が、ショートショートフィルムフェスティバル(SSFF)にノミネートされました。それが初の短編映画監督作品です。

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―今回の作品が初長編ですね。絵を学んだ後、映画の道に来られたのは何かきっかけになる作品があったのでしょうか? 

当時はこういう映画を撮りたいというより、自分の表現を映画という形式でやってみたいと考えていたんです。学校に入ってみて思ったのは、究極的にはカメラと被写体があればとりあえず映画は撮れると言うことです。本当はそんなに簡単ではないのですが。でもそれが始まりですね。

―監督と脚本の両方をなさっていますが、監督は絵を描かれるので、脚本を書きながら絵がぱーっと浮かぶんでしょうか?たとえばこのラストシーンのひまわりみたいに。

だいたい同時ですね。シナリオを書きながら絵が浮かびます。
映画『種をまく人』の全体のストーリーができたのは2013年くらいだったと思います。フィンセント・ファン・ゴッホという画家の絵にフランスで出会い、徐々にゴッホの人生の苦悩や思想に引き込まれていき、初の長編映画を撮る時は必ずゴッホをモチーフにした作品にしようと思っていました。「ゴッホの人生を現代日本に置き換えて、もし彼が絵画という表現を持ち合わせていなかったらどう生きたか」ということを思いついて、そのイメージをもとにシナリオを執筆して行きましいた。

―ゴッホに関する実話などは盛り込まれているのですか? 

いくつもありますが、その一つに、「ある町で少女のデッサンをしていたら、その子が妊娠してゴッホが疑われた」という話があったんです。結局犯人はどこかの牧師だったらしいんですが、ゴッホは風貌からも真っ先に疑われて、それでもそのことを否定せず罪を受け入れたんです。というか抵抗しようがなかったのかもしれませんが。ただ、この物語の一つのモチーフに、その逸話が大きく影響しています。

―そうでしたか。ホームページには聖書の言葉も引用されていますね。

ゴッホはプロテスタントのカルヴァン派の厳しい牧師の親の元で育って、彼自身聖職者を目指していた時期がありました。ゴッホは牧師見習い時代、ボリナージュという炭鉱の町で伝道活動をしていたんです。聖書に書いてあることを忠実に実行するために、自分の衣服やお金を貧しい人たちにすべて分け与えたそうです。自分は身なりも気にせず、納屋などで暮らしながらも愚直なまでに伝道活動に力を入れていたんです。ただその極端な行動が教会から批難されて、結局排斥されてしまいました。結局そのことで聖職者を諦めて画家を目指すんですが、絵を描き始めてからもゴッホの根底には聖書の言葉やキリストへの憧れがずっと残っていくことになります。主人公の光雄という人物は、まさにゴッホのそういう部分を受け継いでいるので、聖書と光雄は切っても切り離せないですね。それでタイトルも「種をまく人」という聖書にも書いてある一説から拝借しました。

―ひまわりとゴッホと好きなものがつながっているんですね。長い間あきらめずに大切にしてきたもの。

初長編なのでやはり色んなものが詰め込まれてますね。ゴッホはもちろん、被災地で見たひまわり、震災の翌年に生まれた姪っ子の存在。こういったものが融合して出来上がっていると思います。特に、当時3才だった姪の姿をどうしても映像として残しておきたいという気持ちがありました。

―夫婦の会話のエピソードにはモデルがいましたか?

モデルは特にいません。兄夫婦は全然逆の性格です。とても仲睦まじい夫婦なので、劇中の夫婦は僕の完全な想像です。
ただ脚本を自分で書いているので、登場人物一人一人に少しずつ自分が投影されるのは当然で、それぞれのキャラクターに少なからず何かしらの自分の性格の部分は入っていると思います。特に主人公の光雄はゴッホがモデルなので、ゴッホについてずっと考え続けてきた自分にとっては一番近い所に光雄はいますね。

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―イランのアミール・ナデリ監督がこの作品を褒めていらっしゃいますね。

ナデリ監督はテッサロニキ国際映画祭の審査委員長で初日に観にきてくださったんです。審査委員長ですから、審査が終わるまでは直接話すことはできないんですけど、受賞した後はいろいろとお話する機会を頂きました。特に役者の演技について評価してくださって「自分に全ての権限があったら、役者全員に賞をあげたい」と絶賛してくださいました。

―その絶賛された役者さんのキャスティングは?

岸さんの知り合いも含まれていますが。ほぼオーディションで決めました。森さん(キャスティングディレクター)が厳選して集めてきてくれた資料から選考し、その後オーディションを数日かけて行い、演技は当然ですが、役者同士のバランスなどを見ながら時間をかけて決めていきました。森さんの言葉には随分助けられましたね。迷ったときに、いつも冷静で的確な意見を言ってくださるので。

―岸さんは俳優と撮影を兼任されています。もうおひとりカメラマンがいらしたんですね。

岸さんが登場する場面は、岸さんが撮影監督をした映画でフォーカスマンや撮影をしていた末松くんという優秀なカメラマンが撮っています。二人は、そもそも普通の俳優とカメラマンという関係じゃないんです。お二人には、撮影監督とその女房というくらいの強い信頼関係があるので、そのことが画面ににじみ出ているのかも知れません。
それで言うと、岸さんと僕にも同じことが言えますね。僕らが出会ったのは9年ほど前で、彼の監督作『未来の記録』(2011)を見たのが縁でした。映画を見たとき、あるシーンを境になぜか涙が止まらなくて、その映画に強い衝撃を受けたんです。それで岸さんに長い感想のメールを送って。それから意気投合して、シナリオを一緒に書いたり、彼の作品にもスタッフで関わったりしました。なので僕らは、この映画の作り始める段階でとても強い関係が築けていたんです。一人のスタッフや俳優と言うよりも「同志」という感じです。
ちなみに、順番で言うと撮影をお願いしたのが先です。「未来の記録」では岸さん自身が撮影もしてて、初長編映画を撮る時は、必ず岸さんにカメラをお願いしたいと決めていました。
僕らはいつの間にか映画の準備を始めていたので、いつだったかは忘れましたが、光雄役をお願いしてからは、この作品におけるカメラの意味性についていろいろ話しました。撮影監督と主演を同時にやるということについて。分かりやすく言うと、岸さんは光雄として撮影していたんです。光雄の目線で知恵を撮るということの重要性を深く考えて行きました。

―岸さんはゴッホの風貌に近づけるために一年を費やしたそうですが。

随分前から修行僧のような生活をしてましたね。三食、同じ時間に同じ量だけ食べて、1日1ページずつゴッホの書簡集を読み、それに応答する手紙を毎日書き続けたそうです。実はこの映画のラストに、光雄から弟の裕太に当てた手紙を出す予定だったのですが、どうせなら岸さん本人に書いてもらおうと思って。役作りにもなりますしね。その準備だけで半年以上かけたと思います。撮影の一週間前に手紙は出来上がって、実際撮影もしたのですが、結局、シーンとしてはカットしてしまいました。
ちなみに僕は岸さんに30キロ痩せて欲しいとお願いしいて、実際は22キロくらい減量してくれました。ある日、ほぼ骨と皮になった岸さんに「もうちょっといけますね」と言ったら、「きみは俺を殺す気か」と(笑)。この映画は40キロくらいのカメラを一日中担いでもらったりしていたので……。思えば、岸さんにはかなりの無茶を強いましたが、それが出来たのも信頼関係の強さではないかと思います。

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―竹中涼乃ちゃんはどこが決め手でしたか?

オーディションに来た子はみんな事務所に所属している子たちだったんですが、子役の子達というのは入ってきた瞬間にそれぞれの性格が分かってしまうんですね。無理に明るく振る舞う子や、異常に媚びを売って来る子、事務所の教育だとは思いつつ、僕はあまりそういうのが好きになれなくて。その中で数人、自然な顔を見せるおとなしい子たちが数人いたんです。その一人が涼乃ちゃんでした。最終的には3人まで候補を絞り込んだのですが、スタッフや、すでに決まっていた大人の役者たち全員一致で涼乃ちゃんに決まりました。でも正直、彼女を最初に見た時の直感ですでに決まっていた感はありましたね。

―泣くシーンの演出はどんなふうになさったんでしょう?

ここで泣いてほしいとかは一切言いませんでした。泣きたくなければ泣かなくて良いし、言いたくない言葉があれば言わなくても良い。といった感じで、嘘はつく必要は一切ないと思ったんです。ただ彼女は本気で泣くのが特技なようで、そのようにお母さんはおっしゃってました。きっと入り込んでしまうのが持ち味なのだと思います。びっくりしたのは、かなり感情的なシーンで、何度か撮り直せざるを得ない時もあったのですが、それでも彼女は同じように本気で泣けるんです。すごい才能だと思いました。

涼乃ちゃんには前半の事故前までの台本しか渡さず、その後はその場その場で状況を説明していきました。簡単に言うと、昨日はこういうことがあったから、これからこうなるんだよ。という風に説明するのですが、シナリオ上で嘘をつくような場面でも、どうするかは涼乃ちゃんの気持ちにまかせて、嫌だったら言わなくてもいいと伝えるんです。そこで周りの大人の役者たちが協力して彼女を追い詰めて行くわけですが、だから、彼女の演技をどう引き出すか、それについて俳優たちと随分話し合いました。彼女から、最もピュアで嘘のないありのままの感情をどう引き出すのかという。感情を一番大切にしたかったので、彼女を中心にスケジュールを立ててほぼ順撮りで撮りました。ですので、涼乃ちゃんはまさに映画の中で知恵の人生をそのまま生きていたのだと思います。撮影の後半で一度すこし体調を崩したりしてしまいましたが、それでも最後まで頑張ってくれましたね。彼女を発見できたことは、本当に大きなことでした。

―子どもながらさすがにプロの役者さんなんですね。本当のことを打ち明けた娘に対するお母さんが怖かったですが、こういう台詞は言えませんとか役者さんからはないんですか?

そういったことはまったくなかったです。疑問に思ったことはちゃんと話し合って決めていきました。結果的にほぼシナリオ通りに演じています。あと全員の役者さん同士が事前に関係性を深く築く作業をしていて、撮影の合間には、家族として一花と接したりして、常に疑似家族というか、親密さを失わずに取り組めたことは、全員の演技に生かされていると思います。

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―子どもがいると特に空気って大事ですね。

涼乃ちゃんも前半の段階では、すごく一花との時間を楽しく過ごして仲良くなっていたので、実際の妹のように思っていたんじゃないですかね。だから事故のシーンの後は、築き上げたその感情を抑えることが出来なかったんだと思います。

―お父さん(裕太)はお母さん(葉子)に比べると静かな役ですが、間に挟まっている立場ですね。兄のことも娘のことも信じたい。

足立智充さんの役はこの映画にとって最も重要な立ち位置です。ゴッホにとっては彼を支え続けた実弟のテオをモチーフにした役です。足立さんの役はいわゆる一見フラットなキャラクターなんですが、それでいて一番苦しいものを背負うことになる人物なんです。彼の立場になってこの映画を見ると、より辛いと思います。

―岸さんのお母さん役は、実のお母さんがなさっているんですね。

一応は面接し、ちゃんとセリフを読んでもらってオーディションのようなことをしてもらっています。その上でキャスティングしました。シナリオ上は彼女にまつわる話がいろいろあって、光雄一家のことも深く掘り下げているんです。そのエピソードも全て実際撮影しているんですけど、映画の構成上切らざるを得ませんでした。

―カウン君が出たのは、岸さん繋がりですね。(『僕の帰る場所』藤元明緒監督/岸さん撮影)

男の子役もオーディションはしたんです。でも良い子がいなくて。それでカウン君のことを思い出したんですね。「僕の帰る場所」の短い映像を一度岸さんから見せてもらっていて、その時の彼の演技の素晴らしさがずっと残っていました。ただ年齢が当時合わなかったので考えていなかったのですが、実際の年齢より大人びていて、違和感なく知恵の同級生を演じることができました。

―メイキングや撮影日記はありますか?

人がいなくてメイキングは作っていません。ふだんアイディアとかメモするんですけど。撮影日記ってみんな書くんですか?

―監督が書かなくても、どなたか。もし将来本など出すことになったら、記録は必要じゃないですかー。

じゃ2作目のときはぜひお願いします(笑)。

―この次の作品は?

脚本はつねに書いています。まだ撮影の予定はないんですけど、常に書き続けてはいます。
たぶん今回と同じように小さい規模の映画を同じように撮ろうと思っています。

―では、これから作品を観る方へメッセージを。

この映画はあまり説明が多くありません。あえて説明をなるべく排除しています。説明は様々なことを狭め、限定的に伝えてしまうことがあります。ちゃんとじっくりものごとを見てもらいたい。目の前にあるものが全てではない。そういったところを感じて、そして考えてもらえたら嬉しいです。
隣にいる友達、親とか子どもとか、身近にいる人への気遣いというか、自分が感じていることを一度疑うことも大切だと思うんです。今の人たちは安易に白黒つけたがります。そこを決めつけないで、いろんな視点で物事を見てもらいたいですね。正常とか異常とか、障がいがあるとかないとか、そういうところをはっきり線引きしたがる現実があります。でもそうじゃなくて、一人一人の本質の部分をちゃんと観ることが大切なんだということを、この映画を通して感じて、そして考えてもらえたら嬉しいです。

―はい。ありがとうございました。


=取材を終えて=

前振りがたいへん長くなってしまいましたが、外国でのエピソードがいろいろ出てきて面白くってつい聞き入ってしまいました。お話を伺ううちに、2001年9・11テロで、ワールドトレードセンターに激突したハイジャック犯も、竹内監督と同じようにロングビーチにいくつもある学校の一つで航空免許を取っていたのだと知りました。自家用機の免許でジェット機を操縦していたんですね。そのすぐ後に免許を取りに行った監督含め外国人は白い目で見られたそうです。そのせっかくの免許なのに、日本の空も砂漠の上も飛ぶ機会がないとは、ちょっともったいないです。サン・テグジュペリは、1944年に偵察機で出撃した後戻ることはありませんでした。長く行方不明のままでしたが、2003年に地中海から乗機の残骸が引き上げられて、彼のものと確認されたそうです。サン・テグジュペリとゴッホを愛する監督は、放浪癖(すみません)じゃなくて、冒険好きなロマンチストなのでしょう。
劇中、知恵のクラスで先生が読む「椋鳩十の詩」は病床での言葉を、夫人が書きとったものだそうです。飛行機で風と一体になって飛ぶ人、キャンバスに暮らしを描きとめる人、どちらの目にも似たような風景が映っていたのではないかと思うのです。この作品も同じように優しいまなざしが感じられます。
竹内監督は、また外国に行きたいそうです。蒔いたひまわりの種が芽吹くように、脚本のアイディアのメモが少しずつ増えて、いつか次の作品につながりますように。(取材・写真 白石映子)


 松風になりたい
 日本の村々に
 人たちが
 小さい小さい喜びを
 おっかけて生きている
 ああ美しい
 夕方の家々の
 窓のあかりのようだ 

 椋鳩十「松風の詩(うた)」より