『ゆめパのじかん』重江良樹監督インタビュー

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*プロフィール*
重江良樹(しげえ・よしき)監督 大阪府出身。37歳。映像制作・企画「ガーラフィルム」の屋号で活動中。大阪市西成区・釜ヶ崎を拠点に、映画やウェブでドキュメンタリー作品を発表すると共に、VPやネット動画など、幅広く映像制作を行う。子ども、若者、非正規労働、福祉などが主なテーマ。
2016年公開のドキュメンタリー『さとにきたらええやん』は全国で約7万人が鑑賞、平成28年度文化庁映画賞・文化記録映画部門 優秀賞、第90回キネマ旬報ベストテン・文化映画第7位。

『ゆめパのじかん』
「川崎市子ども夢パーク」通称「ゆめパ」は「川崎市子どもの権利に関する条例」に基づき公設民営で作られた。子どもたちが安心安全に遊べて過ごせるみんなの場所。約1万㎡の広大な敷地には手作りの遊具があり、泥んこになったり木登りしたり、やってみたいことが好きなだけできる。一角にある「フリースペースえん(以下、えん)」には学校に行っていない子どもたちが通っている。集まってくる子どもたちにフォーカスしたドキュメンタリー作品。
作品紹介はこちら
(C)ガーラフィルム/ノンデライコ
HP yumepa-no-jikan.com
Twitter https://twitter.com/yumepa_no_jikan
川崎市子ども夢パーク
https://www.yumepark.net/
★2022 年7月9日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

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―監督は映画少年でしたか?

いや、そんなことはないですねぇ。

―何に興味があって映画の道に来られたんでしょうか?

イラク戦争とかがあったときに、映像ジャーナリストみたいな一人でカメラ持って、パソコン持って発信していくのに憧れた時期があって。映像ジャーナリストコースがある映像専門学校に行ったつもりが、バリバリの映画学校で(笑)。

―予想とちょっと違ったんですね。

あれ?と思って。思ったんですけど、そこでドキュメンタリー映画に出逢い、そのほかにも映画表現みたいなものにも出逢えまして、ドキュメンタリー映画に憧れて。

―フィクションのほうではなく。前の『さとにきたらええやん』も『ゆめパのじかん』も子どもにフォーカスしています。お子様のほうにきたのは何故ですか?

20代の学生のときに「なんでも映像作品作っていいよ」という課題があって。ジャーナリスト志望で、大阪の人間なので西成の釜ヶ崎、あいりん地区に行けば何か社会性のあるものと出逢えるんじゃないかと、小型のカメラを持ってうろうろして。「こどもの里」という児童館があり、気づいたらそこにもう5年も遊びにいくようになっていました。撮影云々より子どもたちと遊ぶ方が楽しくなって(笑)。
「こどもの里」ではリベラルというか、学校で教えてくれないようないろんな社会のことを、僕も教わりました。子どもとの接点はそこですね。
30歳を前にして自分の生き方を真面目に考えたときに、ドキュメンタリーやりたいなと思い、やるなら、大好きな子どもの里でやらせてほしいなと。それで、『さとにきたらええやん』ていう映画ができました。

―いい映画でしたね。デメキンさんこと理事長の荘保共子(しょうほともこ)さんが懐が深い方で、ゆめパの代表の西野博之さんも、子どもにリスペクトする素敵な方です。

やっぱり長年現場でやられてきたかたには力があるし、みんな惹きつけられるんだろうなと。

―この「ゆめパ」にしようと決めたのは? 大阪にはこういう施設は見つからなかったですか?

大阪にもあるにはあるんですが、この規模で行政がちゃんと入って民間がここまでやっているというのはなかなかないんです。川崎市自体に子どもの権利条例があって、それの具現化ということで夢パークが作られたので、そこも魅力的というのがありました。
前の作品のときに、西野さんとトークイベントさせてもらったり、講演を聴かせてもらったりしたんです。常に子どもを真ん中において物事を考える、大人のほうじゃなくて。その根底にある理念が共通しているなということ。もう一つは実際にゆめパに行ったり、子どもたちと触れあったりしたときに、やっぱり魅力的な場だなということが決め手でしたね。

―いろんなニーズに応えられる場所ですね。

子どもの「やりたい」をできる限り応援するというところで、そこも素晴らしい。
フリースペースに行く子は、最初親が探していっしょに見学に来ます。近隣の子どもたちが遊びに来るのは自由です。禁止事項が極力なくされている公園です。焚火や泥遊びもできる。

―じゃあ、よく見かける立札なんかもないんですね。

「〇〇禁止」? 大人に向けた「飲酒・喫煙禁止」はあります(笑)。

―大人はそれがないとやっちゃう(笑)。

(笑)子どもに向けた禁止事項はほぼないと思います。ボランティアさんも含め、何人くらいかなぁ。えんにも外のプレーパークにもスタッフがいて、その人の手厚さもすごいと思いますね。外だけでも全員で8人くらいいて、中の事務所にもいますしね。

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―監督が撮影を始めるときは、どのくらいと目途をたてますか?

最初は西野さんに撮りたいんですと言って、持ち帰って相談してもらい許可をいただきました。
目途は全然立てていません。そこは自主製作なので、(制限ないのは)いいところでもあり、悪いところでもある(笑)。終わりが見えない(笑)。

―自主製作。それもクラウドファンディングなしで。今は映画業界大変じゃないですか。資金集め頑張ったんですね。

頑張ったというか、お金稼いでは撮っていくみたいな。まあね、あんまり思い出したくもない(笑)。

―あらー。でも良かったですね!ちゃんと作品ができて、劇場で観てもらえることになって。なんだかホッとします。

ああ、ありがとうございます。良かったです。

―カメラを回さずに何ヶ月か通い、3年間撮影されたそうですが、撮りながらこれは使おうとか、組み立てを考えるものですか?

撮影中も「ここや!」という場面はあって、そういうところはリストアップしておいて。例えば「リクト蟻を見つめている」とか、「ここは生かすところ」とか。
編集作業は東京で3人のチームでやったのですが、撮影素材を編集の辻井さんに投げて、整理してもらって、みんなで観てあーだこーだ言い合って・・・で、また撮って。

―自分の撮った映像って愛着があって切りにくいでしょう?

だから編集の辻井さんに任せてます(笑)。

―「え、ここ切るの?」とかないですか?

今回はなかったです。全部入れられるわけはない、とわかっているんで。同じ遊んでいるシーンにしても10個あったらその中の1つ選ばなあかんとかね。

―子どもたちがみんな可愛いかったです。最初のほうは全体の紹介で、いろんな人が出てきました。「えん」の子どもたちにフォーカスしたのは、魅力的な子たちがいたということですか?

それもあります。ゆめパは広くていろんなことをやっている施設なので、最初はその説明があり。僕は大阪から川崎に週に2回しか行けないので、「えん」では毎日来てる子もいてやっぱり接する回数が多い。接する回数が多い子の中で、魅力的とか、面白い子とか、必然的に「えん」のあの子たちになっていきました。保護者と職員の関係もできているので。
突然ゆめパに来た、魅力的やけど次にいつ会えるかわからん子はさすがに追いきれないし。
今回出ている子たちは、ほぼ毎日いました。

―不登校や発達障害のことが以前より注目されて、一般に知られてきました。「えん」のような居場所は、子どもたちやその親たちに必要です。全国に拡がってくれたらもっといいのになと。

そうですよね。やっぱりまだまだこういう場を必要としている子どもや保護者の方とかはいると思うんで、そういう人たちに届けばいいなあと思います。

―こういうところがあるんだとわかれば、作りたいと思う人のモデルになりますしね。いいお仕事をされたと思いました。

ありがとうございます。

―劇場とか、自主上映とかで全国に拡がっていくといいですね。

基本的に劇場が終わったら、自主上映になっていくと思います。

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リクトくん
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ヒナタくん

―映画に登場した子どもたちについて、今思い出すエピソードはありますか?

リクトは面白いですね。生き物にすごく興味持っていましたね。虫とか以外にも、自分の中の世界みたいなのがあって。よーく図鑑とかも見てる子でした。
ヒナタは、あのとき自分から悩みをポロっと言ったんですよ。「6年だけど、4年の勉強やってるからね、俺」って。そうそう、「中学どうすんの?」って聞いたんだった。「どうしようかな、でもさ~」って。

―ちゃんと考えてるんですね。親にもあんな風に言うんでしょうか? 監督だから、言えたのかなとも思ったんですが。

保護者の人たちも不登校であるとか、えんに来だすとあまり気にしなくなるというか、少し気持ちが楽になると思うんですね。
映画の前半で、不登校だったころの悩みとか話してくれたお母さんがいます。「とにかく将来が不安で」と。保護者の方たちの繋がりもあります。「えん」では保護者会が2ヶ月に1回だったかな。「えん」の外でも情報交換したりとかされているんで、大人の居場所でもあるなぁと思います。

―子どもに口を出さないところがいいです。「こどもゆめ横丁」も面白いし、私はあのミドリちゃんの作った消しゴムスタンプが欲しい。すごく上手ですよね。100円!買いに行きたいです(笑)!

ミドリたまに来ていますよ。
映画の中ではまつりの1回分しか出ていませんが、毎年11月の頭にやっています。

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ミドリさん
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サワさん

―みんな好きなものにはすごく強いですよね。映画を観たあと、あの子たちは今どうしているんだろうと思ってしまいます。幸せでいてほしいし、好きなことが仕事になっていけばいいなぁと思います。あの子たちの今は?

まだそんなに変わっていないですね。
卒業とかあるわけじゃないんで、急がずに。

―監督の子ども時代は、どんな風でしたか。大阪で育ったんですね。

活発なほうでしたね。大阪の団地で生まれ育って、同世代の子どもも多かったし、地域自体も子どもの多いところで。

―学校に行きたくない、なんてことはなしに?

小学生のときはなかったです。中学1年に半年くらい行かなかった時期がありましたけど。

―行けない子の気持ちが実感としてわかりますね。

そんな苦しくなかったですけどね、僕は。部屋に閉じこもって漫画読んだり、映画観たりしていました。あんまり覚えてないんですけど、母親は「どうしてん?」ってオロオロしてた記憶はありますね。

―何かきっかけがありましたか?

小学校から中学校に変わって、周りの友達も変わって、そんなこんなんがあったんですかね。
今日は行きたくねーって。完全に行かなかったわけでなくて、気が向いたら行ってた。中2になったら、小学校のときからの友達とクラスが一緒になって、また行くようになりましたね。

―誰か一緒にいるって重要ですね、やっぱり。ちょっとでもそんな体験があると、「えん」の子たちのことも理解しやすい気がします。

あんまり意識しなかったですけどね。えんの僕の最初の印象は、みんなほぼ明るかった。どこにでもいる元気な子ども。おのおのやりたいことをやってるって感じですかね。子どもっていろんなことを悩んだり、考えたりを意識的にも無意識的にもしていると思うんで。

―どこにでもゆめパがあるわけではないので、この生きづらさ、しんどさをかわす術(すべ)は何かないでしょうか? 

この映画を作った理由は、前の映画もそうですけどそういうものを必要としている全ての子どもに安心できる場があればいいと思ったからです。映画を観た人は、ここまでは無理だけどそういう居場所を作ろうかな、とか、そういうふうになってくれればいいと思う。なんかありふれてますけど、人ってひとりじゃ生きていけないので、信頼できる他者の存在が必要だと思いますね。

―これは、監督が答えを出すわけじゃなくて、こういう場所があって、こういう子たちが来ていますよ、と見せてくれることで、自分が探したり気づくきっかけになります。どの映画もそうでしょうけど、観たことで生活や考えがちょっとでも変わればいいなと思いました。

うん、そうですね。

―「こどもの持っている力」って監督は何だと思いますか?

子どもの持っている力・・・大変なことがあっても、その困難を乗り越える力。誰かと繋がろうとする力。誰かを想う力。そういうのは大人に比べたら全然子どものほうが力があると思う。

―大人はどうして足りないんでしょう?

忙しいし、疲れてるからじゃないですか?(笑)

―それって監督のことですか(笑)?
監督が大切にしていること、生きる上でも映画を作るうえでもいいですが、それは何ですか?


なるべく人を傷つけないようには生きているつもりです(笑)。
映画を作るときも一緒ですよ。なるべく相手を傷つけないように。カメラを向けることによってとか、僕が質問することによってとか、映画が公開されることによってとか。

―カメラって力ありますものね。いい方向に向けないと。

うんまあ、凶器にもなるんで。

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シネジャを読む重江監督

―次の映画も準備されているんですか?

また子どもの居場所のことはしたいなと思っています。まだまだこれからですけど、外国ルーツの子どもも増えてきているんで、そういうのもやってみたい。

―これから映画を観る方にひとことお願いします。

登場してくる子どもたちが過ごす一見無意味に見えるような、でもすごく豊かなことを考えている時間、「子どもたちのじかん」を感じてもらえたら嬉しいですね。

―ありがとうございました。

(取材・監督写真:白石映子)


―映画界に入るきっかけになった映画と、今いいなと思う映画を。

森達也さんの『A』(1998)です。
今は・・・(しばし考えて)『海辺の彼女たち』(2020)。

―『僕の帰る場所』(2017)の藤元明緒監督作品ですね。
よく見返す映画はありますか?


あんまり見返さないな(笑)。

―好きなものと嫌いなものは?

好きなものはお酒で、嫌いなものはないです。


=取材を終えて=
重江監督は眼鏡とお髭のせいか、うちの息子と似ていてなんだか親近感がわきました(笑)。この作品、子どもたちがのびのびいい顔をしていて、「学校で見せたらいいのに」と思いましたが、そうすると「学校に行かない子」が増えるかも。それくらい居心地がよさそうなのです。
私立ではこういう学校ありますよね。公立学校でも子ども中心のこんな取り組みができるようになるといいんですが、『教育と愛国』で思わず熱が入ってしまったように、日本の学校では現場の熱心な先生たちが疲弊しています。
コロナ禍が追い打ちをかけて、社会ではますます格差が拡がって子どもも大人も生きづらい世の中になっていませんか? 子どもが子どものじかんを楽しんで生きられれば、大人にもお年寄りにもいい世の中になるのではありませんか?
この映画で「ゆめパっていいなぁ」と思ったら、あなたのそばにも学校にも「ゆめパのじかん」が流れるように考えましょう。せっかちな私は「早く」をやめようっと。(白石)

『映画 妖怪シェアハウス―白馬の王子様じゃないん怪―』豊島圭介監督インタビュー


男性社会に対する異議申し立てをわかりやすいコメディに

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土曜ナイトドラマ枠で歴代最高タイの世帯視聴率4.7%を記録した連続ドラマ『妖怪シェアハウス』(2020年7月クール放送)は、気弱な性格で空気ばかり読んで生きてきた主人公の澪が妖怪たちと一緒に生活しながら悪い人間を成敗することを通じて、たくましく成長する姿を描いた異色のホラーコメディーです。
シーズン2となる『妖怪シェアハウス―帰ってきたん怪―』では、前作の最後に作家を目指してシェアハウスを羽ばたいた澪が生活するお金にも困り果て、描きたい小説も書けず、またしてもボロボロになって、再びシェアハウスで妖怪たちと一緒に暮らし始めます。そして次々と“闇落ち”していく妖怪たちと対峙しました。
シーズン2を受けて『映画 妖怪シェアハウス―白馬の王子様じゃないん怪―』が6月17日に公開されます。シーズン1から関わってきた豊島圭介監督に、作品に対する深い思いを笑いも交えて語っていただきました。

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(C)2022 映画「妖怪シェアハウス」製作委員会


――連続ドラマ『妖怪シェアハウス』を放送当時は見ていなかったのですが、映画化をきっかけにTverで拝見しました。おもしろくて、ついつい一気見したくなります。演出のオファーがきたとき、どのように思われましたか。

“小芝風花さん主演で、妖怪ものドラマ”ということで話をいただきました。小芝さんとは同じテレビ朝日で単発ドラマ「ラッパーに噛まれたらラッパーになるドラマ」をやっていて、今後、主役を演じる女優として成長していくと思っていましたから、また一緒に仕事ができるのは楽しみに感じました。実際に小芝さんはこのところテレビで彼女を見ない日はないくらいCMに出ています。本当にスターになったなと感慨深いものがありますね。
作品のテイスト的にも「ラッパーに噛まれたらラッパーになるドラマ」は“ゾンビに噛まれるとラップを始める”というちょっとふざけた題材でしたから、似た路線にある番組として呼ばれたのでしょう。元々ホラージャンルの番組を作ってきたところがあるので、その辺を買われたのかもしれません。自分としても、2004年にテレビ東京で「怪奇大家族」という妖怪コメディシリーズを撮っているので、それをどう刷新して新しいものにできるかというチャレンジの気持ちがありました。

――脚本開発にも参加されたのでしょうか。

原案はプロデューサーの飯田サヤカさんと何人かの脚本家で開発したと思いますが、実際に本にする段階では最初から関わりました。

――第2シーズン『妖怪シェアハウス-帰ってきたん怪-』が6月4日に最終回を迎え、6月17日には本作が公開されます。映画化の話はどの段階で決まったのでしょうか。

2021年の春くらいに話が出て、最終的にGOサインが出たのが夏。その段階でシーズン2と映画をセットでやることが決まりました。ただ、4月クールのドラマが最終回を迎えた直後に映画を公開するとなると、ドラマを撮った後に映画の撮影をしたのでは間に合いません。ドラマを撮りながら、ドラマの先にある映画も同時に撮る。スタッフもキャストも頭の中がかなり混乱しましたが、シーズン1でキャラクターがしっかりできていたので、何とか乗り越えられました。

――ドラマシリーズでは裏テーマとして、女性を悩ませる社会問題がありました。映画では女性に限定せず、人間の本当の幸せについて問いかけます。着想のきっかけはどんなことだったのでしょうか。

飯田さんはどこからか借りてきたような考え方ではダメな人で、いつもご自身に引き寄せて企画を立てています。そんな彼女がある日「悩みや葛藤を捨てて、もっとツルツルになった方が生きやすいと言われるけれど、私は妬みや怒りに振り回されてもゴツゴツした今の生き方を貫きたい!」とおっしゃって、このテーマが決まりました。この作品は飯田さんの生き方がベースにあるのです。そのうえで、“その二項対立を映画にするにはどうしたらいいか”とみんなで知恵を絞って、人生は辛いこともあるけれど、それでも生きていくというメッセージを込めました。

――望月歩さんが演じた若き天才数学者・AITOが提示した最適解が胸にすとんと落ちたのですが、澪の答えを聞き、我に返った気がしました。私は見事にみなさんの術中にはまってしまったようです(笑)。

AITO君が「このままいくと人間は欲望にまみれて戦争を起こし、人類は滅びてしまうのではないか」と言っています。
確かに、みんながツルツル化して、嫉妬や溺愛をせず、悔しいとか誰かより勝りたいとか思わなくなったら絶対に戦争は起きません。我々がふとボタンを掛け違えて、魔が刺して何かしてしまうようなことがない世界になる。ツルツル化することに意義もあります。
でも負の感情を受け入れて、自分なりにマネージメントしていくのが生きていくということだと思います。飯田さんの生き方から始まった作品ですが、澪が選んだ選択を僕ももちろん共感していますし、人間が生きるというのはそういうことなんじゃないかなと思っています。

――シーズン1から飯田さんの生き方がベースにあったのですね。

飯田さんは新入社員の頃からさまざまな苦難や困難を経て、今に至るとよく話しています。その間には女性ならではの辛いこともたくさんあったことでしょう。
脚本家の西荻弓絵さんも苦労されてきた方で、“今まで私に酷いことをしてきた男性という存在にどうやって復讐するか”を毎日考えているのではないかと僕は想像していますが(笑)、男性社会に対する2人の異議申し立てを、僕が子どもでもわかるようなコメディに仕立て上げたのが「妖怪シェアハウス」です。

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(C)2022 映画「妖怪シェアハウス」製作委員会


――アリ・アスター監督のサイコロジカルホラー映画『ミッドサマー 』を彷彿させるシーンがありました。

彷彿どころかパロディです。僕は大学を卒業してからアメリカに渡って、ロサンゼルスのアメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)の監督コースに留学したのですが、アリ・アスター監督はそこの遠い後輩にあたるんです。つまり僕は後輩の映画をパクったってことですね(笑)。

――このシリーズは食事シーンが必ず登場し、毎回、おいしそうで食べたくなってしまいます。映画ではおやつまで登場しました。

この作品は異物が入ってくることでシェアハウスの擬似家族が崩壊していきますが、バラバラになったシェアハウスの住人たちが澪によってもう一度、一つになることができるのかということがサブストーリーにある。
コロナ禍で“みんなで食事をするな”、“飲みに行くな”と言われていますが、みんなで食卓を囲んで食べたり飲んだりすることがいかに楽しいことなのかをちゃんと見せたい。意識的に朝食、おやつ、夕食と3回、食事シーンを入れました。

――シーンによって食事の場所が違いますが、それも意識的に変えたのでしょうか。

テレビドラマのときはそのときのセリフの流れやゲストが来るといったことから、“いつものところではなく、こっちでやった方が便利だ”という物理的な理由で変えていましたが、映画では演出的な意味合いもあったと今、改めて振り返ってみて、思いました。
僕は大学時代に映画批評家の蓮實重彦先生のゼミを受けていたのですが、「演出とは電車のボックス席にカップルをどう座らせるかだ」という話があったのです。並んで座る、窓側に向かい合わせに座る、はす向かいに座る。それだけで関係性とカメラアングルが変わってくる。人をどこに置くかが演出の第一歩だということを学びました。実際に同じ台本でも俳優をかなり離して始めるのとすごく近づけて始めるのではまったく別の芝居になります。そういうことを考えて、“ここではこんな関係性を描きたいからここで撮ろう”などと考えていたような気がします。

――献立にもこだわりもあったのでしょうか。

何となく洋風、和風くらいで、献立には特にこだわりはないです。ただ、脚本家の西荻さんの食に対するこだわりが澪の在り方の根幹を成しているところがあって、澪はよくお腹が空くんです。お腹がぐーっと鳴るシーンがよく出てくるのは、お腹が減ることへの恐怖が潜在的に西荻さんの中にあるのでしょうね。シーズン2で澪は偉い人に美味しいレストランに連れて行ってもらって浮かれていましたが、食によって人物を描こうとするところがすごく面白いです。
西荻さんはお腹が減ることと人間の在り方の関連もテーマにしているのではないかと僕は勝手に推測しています。シーズン1の最後に澪は「作家になる」と言ってツノを生やしてシェアハウスを出ていったのに、シーズン2でひょっこり戻ってきたのは、あまりにも貧乏で作家活動ができなかったから。僕も年収50万円という極貧生活を送ったことがあり、そのころは日々生きていくことが恐怖でした。まさに“貧すれば鈍する”を経験したので、あの辺の澪の気持ちは生々しくわかります。

――年収50万円ですか! 監督は最近、東京大学出身者11人が体験した怖い話をまとめた『東大怪談 東大生が体験した本当に怖い話』を出されましたが、まさか、妖怪とシェアハウスしたのは監督ご自身の体験談だったなんてことはないですよね(笑)。

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『東大怪談 東大生が体験した本当に怖い話』(サイゾー刊)


いやいや、さすがにそれはないです(笑)。
そういえば、成城・砧にあるTMCというスタジオでドラマの打ち合わせをしていたとき、トイレに行って用を足して手を洗っていたら、黒い服を着たスタッフみたいな人が入ってきたのが鏡に映ったんです。でも、手を洗い終わって、ふっとみたら男性用の便器には誰もいないし、個室も全部空いていて、やっぱり誰もいない。これは幽霊だと思いましたね。でも、残念ながら妖怪シェアハウスではないドラマでの話なんですよ。

――「妖怪シェアハウス」シリーズで何かヒヤッとした恐怖体験があると、インタビュー記事として盛り上がるのですが(笑)。

「妖怪シェアハウス」絡みではこんなヒヤッとする話がありました。クランクインの日に所定の分量を撮り終わり、「初日が終わった!」と思いながらセットから出てきて、ラウンジみたいなところをよそ見しながら歩いていたら、スチール製の花の形をした現代アートみたいなオブジェに突っ込んでしまい、茎が1本外れたんです。「あっ、やべぇ」と思って戻そうとしたのですが、ちゃんと戻せなくて、こっそり置いて、その場を去りました。
翌日、プロデューサーから「監督、ケガをされていませんか」と聞かれて、「いえ、していませんよ」と答えたら、「昨日、ラウンジで何かにぶつかりませんでした? 私、総務に呼び出されて、『ちょっとこのビデオを見てくれ』と言われて、監視カメラ映像を見せられて、『これ、おたくの監督ですよね?』と確認されたのですが…」と言われました。そこにはビールを持ってふらふら歩いている僕がオブジェにぶつかり、壊れたものを直そうとして直せなくて、きょろきょろっと見渡して、そっと置いて逃げる姿が全部録画されていたのです。それで、恐る恐る「はい、僕です」と答えたという恐怖体験がありました(笑)。
この映像をみんなに見せたら大受けするだろうなと思って、入手しようとしたのですが、残念ながらセキュリティ上の問題で許可されませんでした。

――それはかなりの恐怖体験でしたね(笑)。ところで、シリーズを通して、怪談シーンについては宇治茶さんのゲキメーションで表現されていますが、作品のテイストにぴったりだと思いました。

昔話を語るシーンをどうするか。人形劇や紙芝居といったアイデアが飛び交っているときに、楳図かずお先生の「猫目小僧」というアニメや電気グルーヴの「モノノケダンス」のPVで使われていたゲキメーションという紙芝居を動かすような手法を思い出したのです。そこで、今、ゲキメーションを作っている人がいるのかを検索してヒットしたのが宇治茶さんでした。彼はゲキメーションを進化させようとしている人で、テイスト的にもぴったり。関西の方でしたが、雁首揃えてみんなであいさつに行って、引き受けてもらいました。

――ドラマシリーズではエンドロールのスタッフの名前のところにカッコ書きがついていて、監督は「シロメムカセ」とありました。これは妖怪の名前でしょうか。また、なぜ、監督はシロメムカセなのでしょうか。

プロデューサーの宮内貴子さんが「最終話はみんなに妖怪の名前をつけよう」と思いつき、それぞれが現場でやってきたことをネタにして付けました。僕はこの作品で妖怪たちがテレパシーで会話するときに白目をむかせていましたが、これまでも、なるべく自分の作品では俳優部に白目をむいてもらおうと努力してきたのです。例えば『森山中教習所』では野村周平くんに、『ヒーローマニア-生活-』では東出昌大くんに白目をむかせました。残念ながら『花宵道中』では安達祐実さんに白目をむかせられませんでしたが、あの作品も濡れ場ならできたのではと今更ながら思います。
ちなみにシーズン1では「シロメムカセ」ですが、シーズン2のときは「スーパーシロメムカセ」になりました。メイクさんは「バケサセ」です。ただ、これはテレビ版の終わりにやったお遊びで、劇場版には出ていません。

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(C)2022 映画「妖怪シェアハウス」製作委員会


――では、テレビではできなかったこんなことを映画ではチャレンジしてみたということはありましたか。

シーズン2で次々に妖怪が闇落ちしましたが、シェアハウスに住む4人の妖怪たちは闇落ちさせられなかったので、映画版では絶対にそれを描きたいと思っていました。彼らが闇落ちしてどんな風になるのかは映画でお楽しみください。僕は元々歌ったり踊ったりするシーンを撮るのが大好きで、シーズン2ではそれが少なかったので,映画で思う存分やらせてもらいました(笑)。

――最後にひとことお願いいたします。

この作品はプロデューサーの生き方を探るところから始まって、女性の生き方、さらには人間の生き方という大きなテーマが乗っかってきました。しかし、それらを真面目にやっても「妖怪シェアハウス」になりません。たっぷりふざけてカオスな世界にしつつ、そういうテーマも見え隠れする作品にしたい。
とはいえ、ふざけるのも本当はすごく大変で、レギュラーメンバーはアドリブでふざけているように見えますが、実はみんなものすごく真剣に考えています。5人分の脳みそで、どうやったらこのシーンを成り立たせることができるのか、ふざけて笑うためにもっと何かないのか、それぞれのキャラクターに嘘はないかを鎬を削るように話し合いました。でも、それが透けてみえてはまずい。難しい塩梅の中で作っています。とにかく思いっきり楽しんで笑っていただけたらと思います。

(取材・文:ほりきみき)


<プロフィール>
豊島圭介監督
1971年静岡県浜松市生まれ。東京大学在学中のぴあフィルムフェスティバル94入選を機に映画監督を目指す。卒業後、ロサンゼルスに留学。AFI監督コースを卒業。帰国後、篠原哲雄監督などの脚本家を経て2003年に『怪談新耳袋』(BS-TBS)で監督デビュー。以降映画からテレビドラマ、ホラーから恋愛作品まであらゆるジャンルを縦横無尽に手掛ける。近年の作品に、映画『ヒーローマニア-生活-』(16)、『森山中教習所』(16)、『三島由紀夫VS東大全共闘〜50年目の真実〜』(20)、テレビドラマ「書けないッ⁉~脚本家吉丸圭佑の筋書きのない生活~」(21・EX)、「I”s(アイズ)」(18)、「ラッパーに噛まれたらラッパーになるドラマ」(19・EX・BSスカパー!)、「特捜9」(19・EX)、「イタイケに恋して」(21・YTV)などがある。


『映画 妖怪シェアハウス―白馬の王子様じゃないん怪―』
<ストーリー>
目黒澪(小芝風花)は相変わらず作家を目指して編集部で奮闘するが、企画を出すものの中々通らない毎日。そんな彼女の周囲で、最近マッチングアプリで自分の好みを反映したAIと恋愛を楽しむことが流行りだす世の中の風潮が起こっていく。そんな流行りを横目に、自分には関係ないと思いつつ、ぼんやりながら理想の恋人を思い浮かべる澪。ある日、仕事で命じられた取材先で、アインシュタインの再来と謳われる天才数学者・AITO(望月歩)とひょんなことから知り合いになる。日本をよく知らないAITOに様々教えてあげるうち、澪は新たな恋の予感を感じ、浮かれる気持ちを隠しきれない。天才とされるだけあってどこか風変わりなミステリアスな雰囲気をまとうAITOと関係を深めていく澪。順調と思われた2人の交際だったが、世の中では若者の間で登校や出社を拒否したり、自分の欲望を抱く気持ちすら失っていくという“ツルツル化現象”が急増。さらに澪を取り囲む妖怪にも次々と異変がみられるように。この現象が意味するものは一体何なのか?

監督:豊島圭介 
脚本:西荻弓絵 
音楽:井筒昭雄 
主題歌:ayaho「アミ feat. 和ぬか」
出演:小芝風花、松本まりか、毎熊克哉、豊田裕大、池谷のぶえ、佐津川愛美、長井短、井頭愛海、尾碕真花、小久保寿人、片桐仁、安井順平、望月歩、池田成志、大倉孝二
制作プロダクション:角川大映スタジオ 
配給:東映 
(C)2022 映画「妖怪シェアハウス」製作委員会
2021年6月17日公開
公式サイト:https://youkai-movie2022.jp

『ポーランドへ行った子どもたち』チュ・サンミ監督インタビュー

1950年6月25日に始まった朝鮮戦争は1953年7月27日に休戦協定が締結されるまでの3年余りの間、壮絶な戦いが続きました。その結果、韓国と北朝鮮の死傷者の数は500万人に達し、1000万人を超える離散家族が発生。南北合計10万人の子どもたちが孤児となったのです。
北朝鮮の金日成は東欧の社会主義同盟国に「戦争を続けられるように孤児を引き受けてほしい」と要請。戦争孤児たちは1951年にロシア、ハンガリー、ルーマニア、チェコに散らばり、そのうちの1500人がポーランドに送られました。
韓国でも知られていない、この事実に光を当てたのは、ホン・サンス監督作への出演など、俳優としても注目を集めるチュ・サンミ監督。戦争孤児についての劇映画を撮ることにしたチュ・サンミ監督がオーディションで知り合った脱北者の少女とポーランドに取材旅行に出掛けた様子をドキュメンタリー作品として公開することにしたのが本作です。なぜ劇映画を作ろうとしたのか。韓国の人はこの作品を見て、どう思ったのか。公開を前にチュ・サンミ監督にお話をうかがいました。

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©2016. The Children Gone To Poland.


――本作は監督がご友人から北朝鮮の戦争孤児について聞いたことをきっかけに映画を作ることにされ、その取材のためにポーランドへ行ったときのことをまとめたドキュメンタリー作品ですが、なぜ北朝鮮の戦争孤児のことを映画にしようと思ったのでしょうか。

北朝鮮の戦争孤児のことは出版社の知人から聞いて知り、資料をもらったのですが、初めての出産を経験したこともあって、母親としての視点で戦争孤児に感情移入したのです。
ちょうどそのころ、子どもへの愛情があふれすぎてかえって不安になり、産後うつ状態でもありました。その状況を何とか克服したい。女優業を休んでいたときに大学院で演出を学び、監督を目指していたので、“北朝鮮の戦争孤児たちの長編映画を撮ることでうつを克服できないか”と考えたのです。それが『切り株たち(仮題)』です。
シナリオを書き始め、キャスティングのためのオーディションを行っているうちに“ポーランドの先生たちは違う民族でありながら、なぜ子どもたちを親のように面倒をみたのか”、“そこにはどんな関係が生まれたのか”をもっと知りたくなって、ポーランドに行きました。

――「切り株たち」とは面白いタイトルですね。

当時、ポーランドの学校では野外でも授業を行っていて、子どもたちは切り株に座っていたそうなんです。そこで、子どもたちが自分の座る切り株に色を塗ったり、名前を書いたりして飾っていく様子を思い浮かべ、タイトルにしました。

――『切り株たち』はどのような物語なのでしょうか。

主人公はジュンソクという男の子で、韓国出身という設定にしました。実は北朝鮮の孤児だけではなく、韓国の孤児も東欧に送られていました。戦況によっては38度線を越えて北朝鮮の影響下にあったためです。ポーランドでお母さん代わりになってくれた人はユダヤ人で、アウシュビッツのホロコーストで我が子を亡くしており、息子のようにジュンソクを育てるというのがメインストーリーになっています。そこにジュンソクと北朝鮮出身のギドクという女の子とのラブストーリーも入ってきます。
実話を元にした映画はたくさんありますが、今回の場合は60%が実話、40%がフィクションといった感じ。ポーランドの先生たちの中に実際にユダヤ人がいたかどうかは確認できていません。

――『切り株たち』の完成前に取材旅行をドキュメンタリー作品として公開したのはなぜでしょうか。

北朝鮮の戦争孤児を描いた映画を作ることを周りの人に話したところ、戦争孤児について知らない人が多く、「同じ民族として知っておくべきことなので、まずはこのことを知らせた方がいい」と言われました。しかも『切り株たち』はポーランドオールロケーションになるので、予算規模もかなり大きくなる。あるエンターテインメント会社の関係者が、「もう少し知名度を上げてから作り始めたほうがいい」とアドバイスをしてくれました。それだけたくさんの課題を含んだ作品なのです。ステップ・バイ・ステップの形を取って、ドキュメンタリー作品を作ってから『切り株たち』を作ることにしました。

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©2016. The Children Gone To Poland.


――『切り株たち』のオーディションで知り合ったイ・ソンさんをポーランド取材に同行させました。なぜ主人公のジュンソクを演じる俳優さんではなく、イ・ソンさんだったのでしょうか。

ジュンソクは韓国人の子役をキャスティングする予定ですが、まだ決まっていなかったのです。
次に重要な役はジュンソクと恋に落ちるギドクという女の子ですが、この子も私がイメージしていたような子がオーディションにおらず、キャスティングができていませんでした。
ギドクといちばん仲の良かったオクソンを演じるイ・ソンは作品としては3番手ですが、オーディションで選ばれた子の中ではいちばん重要な役だったのです。ポーランドにあるギドクのお墓参りを『切り株たち』の中心に考えていたので、その意味でもイ・ソンが相応しいと思いました。

――この作品の中でイ・ソンさんは「韓国は資本主義で貧しい国だからジャガイモを2つ持っていって韓国の子にあげたいと思っていたのに、韓国の人はみんなお腹いっぱい食べて幸せに暮らしていて、食べ残しても人にはあげないで捨てる。損することは絶対にやらない」と言っていました。この話を聞いて、監督はどう思われましたか。

イ・ソンの「食べ物が2つあったら1つは南の子にあげましょう」という話は北朝鮮の教科書に載っています。これは“韓国の子に優しくしましょう”ということではなく、韓国は貧しい国で北朝鮮の方が豊かだと思い込ませるためなのです。それをイ・ソンは純粋に受け止めたようです。
イ・ソンだけでなく、他の脱北者の方からもオーディションのときにたくさん話を聞きました。社会主義の国で生きてきた子どもが資本主義の国に来て、今までと異なる体制に適応する中で経験する混乱はある程度、共通しています。“自分で稼いで、自分で食べる”という個人主義的な考え方は北朝鮮のような共同体から来ると冷たく感じられるようで、イ・ソン以外の子どもたちもショックだったと話してくれました。
いずれにしてもイ・ソンたちが指摘している“韓国人の不遜な態度”は韓国というよりも資本主義社会の全体の問題であると思います。

――戦争孤児たちはポーランドだけではなく、ロシア、ハンガリー、ルーマニア、チェコに散らばったそうですが、その子たちがどんな状況だったのかについてもご存じでしょうか。

ほとんどの国でポーランドと同じように1959年頃、北朝鮮に戻されていると聞いています。ただ東ドイツだけは少し違っていて、エリート教育として大学まで行かせたということもあったようです。
ドイツの子に関しては研究論文を書いた人がいて、話を聞きました。チェコ、ハンガリーなどは韓国から留学した人たちが戦争孤児たちの研究論文を書いていて、それらも参考にしました。

――本作はすでに韓国で公開されています。韓国のみなさんの反響はいかがでしたか。

朝鮮戦争から70年近くが経ち、韓国では南北の統一について無感覚になっている人が多く、特に若い世代は統一について関心がありません。この作品にも出てきていますが、資本主義、個人主義が発展して、統一のためにわざわざ税金を払うのは嫌だと否定的な意見も増えています。
ですから、“この映画を見て、なぜ統一して、一つの民族が一緒にならないといけないのかということを考えるようになった”という感想がいくつもあったのがうれしかったです。
他にも、“ポーランドの先生たちが自分たちとは違う民族でありながら子どもを我が子のように愛していたのを知り、同じ民族でありながら恥ずかしい”、“人類愛的立場で人間はみんな一つの民族と考えるきっかけになった”といった感想もありました。

――日本の観客に向けてひとことお願いします。

母性は世界共通です。ウクライナで起きていることを母親のような気持ちで見ると、自分たちとは関係ないことではないと思います。
日本も過去に東アジアの人たちと傷つけ合うことをしており、朝鮮半島の南北の分断はその延長線上にあります。北朝鮮の戦争孤児の話を日本人には関係ないと思わず、自分たちのことだと考えて見てもらえるとありがたいです。
(取材・文:ほりきみき)


シネマジャーナルのスタッフによる作品紹介はこちらです。http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/488810168.html

<監督プロフィール>
チュ・サンミ監督
1972年ソウル生まれ。父は俳優のチュ・ソンウン。
1994年、俳優としてデビュー。1996年、百想芸術大賞の新人演技賞(演劇部門)受賞。ハン・ソッキュ、チョン・ドヨンと共演した『接続 ザ・コンタクト』(1997)や、ホン・サンス監督の『気まぐれな唇』(2002)、イ・ビョンホン、チェ・ジウと共演した『誰にでも秘密がある』(2004)などの映画で注目を集める。KBS演技大賞優秀演技賞を受賞した『黄色いハンカチ』(2003)をはじめ数々のドラマにも出演したが、『シティホール』(2009)以後、出産・育児のため演技を休止。ドラマ『トレーサー』(2022)で13年ぶりにドラマに復帰した。
演技を休止している間、中央大学大学院映画制作科に進み、映画演出課程を修了(2013)。短編映画『扮装室』(2010)、『影響の下の女』(2013)などの演出を経て、ドキュメンタリー映画『ポーランドへ行った子どもたち』(2018)の監督を務める。
『ポーランドへ行った子どもたち』は2018年の釜山国際映画祭で上映後、韓国で劇場公開され、観客数5万人を超えるヒットとなった。2018年、金大中ノーベル平和映画賞、2019年、春川映画祭審査委員特別賞、ソウル国際サラン(愛)映画祭基督映画人賞受賞。日本では2020年の大阪アジアン映画祭、2021年の座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルで上映された。
Boaz Film代表、DMZ国際ドキュメンタリー映画祭理事など。2021年の釜山国際映画祭では「今年の俳優賞」審査委員を務めた。


『ポーランドへ行った子どもたち』
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©2016. The Children Gone To Poland.


監督:チュ・サンミ
出演:チュ・サンミ、イ・ソン
ヨランタ・クリソヴァタ、ヨゼフ・ボロヴィエツ、ブロニスワフ・コモロフスキ(ポーランド元大統領)、イ・へソン(ヴロツワフ大学韓国語科教授)、チョン・フンボ(ソウル大学言論情報学科 教授)
プロデューサー:チェ・スウン
音楽:キム・ミョンジョン
配給:太秦
©2016. The Children Gone To Poland.
2022年6月18日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
公式サイト:http://www.cgp2016.com/

映画『人生ドライブ』城戸涼子監督インタビュー

熊本県宇土市で暮らす岸英治さんと信子さん夫婦には7男3女、10人の子どもがいます。熊本県民テレビは岸さん一家の生活を2000年頃から20年以上にわたり寄り添うように取材してきました。そのアーカイブを映画として再編集したのが映画『人生ドライブ』です。そこには10人の子どもたちへの愛情や暮らしの工夫だけでなく、夫婦の絆も映し出されています。
公開を前に城戸涼子監督にお話をうかがいました。

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――本作は熊本県民テレビの21年に及ぶ密着取材から生まれたものです。岸さん一家を取材することになったきっかけからお聞かせください。

私の入社前のことで、初代の担当ディレクターだった西原縁子さんから聞いた話になりますが、「9人の子どもを持つお母さんが家族をテーマにエッセイを書いたところ、雑誌『ESSE』で大賞を受賞した」という地元の新聞の記事を読んだ西原さんがローカルで放送している情報番組で紹介するために会いに行ったのがきっかけです。2000年頃のことでした。西原さんは信子さんとお会いして、愛情あふれる女性であることに魅了されたそうです。
その後も夏休みやクリスマス、お正月と継続して岸さん一家を取材しているうちに信子さんの妊娠がわかり、10人目の不動くんが誕生する2001年11月まで取材を続けました。
その後、西原さんは退社されましたが、ディレクターを交代しながら取材を続け、今に至っています。

――監督は何代目のディレクターなのでしょうか。

2006年に担当したときは3代目でした。2代目のディレクターが産休・育休に入ることになったのです。私も2年担当した後、職場の異動で他のディレクターに委ねました。そこから先は担当ディレクターが何人いるのか、ちゃんと把握できていませんが、延べ10人は超えています。
担当ディレクターが別の取材でいけないときは、社内で番組制作をしている別のスタッフが代わりに岸さんのところに行くなど、助け合いながらやってきました。一時期は番組制作を担当しているフロアの中で岸さんの家に行ったことがないスタッフは誰もいないようなこともありましたね。
そうやって誰かが取材に行くような形で繋いで、2019年にもう一度、私に担当が回ってきました。

――21年間に担当ディレクターがタスキを渡すように代わっていかれたとのこと。取材テーマも引き継がれてきたのでしょうか。

大家族の岸さん一家の担当だと言われたくらいで、企画のテーマを聞いた記憶は私は特になく、私も次の担当者に伝えた覚えもありません。よく言えば担当ディレクターに取材のテーマは委ねられていました。
2回目の担当が回ってきて、15、6年ぶりに岸さんの家に行ってみると、お子さんたちの多くは独立しており、岸さん一家は大家族ではなくなっていました。取材のきっかけは大家族でしたが、そこにこだわる必要はない。子どもが10人で世間一般よりも多いけれど、ベタベタな愛情を注ぐという形を取らなくても、子どもたちが毎日楽しそうに過ごしていたのは、自分が愛されていて、この家は安心できる場所だと確信できていたから。岸さん一家の根っこは英治さんと信子さんのパートナーシップにある。時間をおいてもう一度、担当になり、やっと答え合わせができた気がします。

――初めて任されたときのことは覚えていらっしゃいますか。

担当を伝えられたときはまだ若かったので、“先輩たちが脈々と受け継いできたものを引き継ぐ”ということで必死でしたね。なんと言っても、まずは10人の子どもの名前を覚えないといけない。岸さん一家担当の最初の試練です。長く通っているカメラマンに「あの子は誰で」と教えてもらいながら取材をしていました。
子どもたちは取材に来ているからといって、普段と違う動きをするわけではありません。不動くんが4歳くらいで、他の子はほぼ年子の小学生。いちばん暴れたいお年頃です。「遊ぼうよ」と言われて、後ろからガンガン蹴られることも。7割遊んで3割撮影みたいな感じでした。

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――取材を嫌がるお子さんもいらしたのではありませんか。

時期によってはあったようです。信子さんに聞いたことがあるのですが、「“また来ている”と思っていた子どもたちもいたけれど、“取材に来てほしくない”とか“取材を受けるのは止めて”と言われたことは一度もなかった」と言われました。ただ、私が最初に担当したとき、上のお子さん3人はすでに家を出ていましたし、平日の昼間に取材に行っても高校生や中学生のお子さんはいなかったのです。
とはいえ、私も最初は2年しか担当していないので、その後の状況を細かくは知りません。今もこうして取材が続いているということはお子さんの一人一人に波はあったと思いますが、受け入れてくれている証ではないかと受け取っています。

――本作は熊本県民テレビ開局 40 周年を記念し、アーカイブを再編集して映画として公開されます。なぜ映画化したのでしょうか。

テレビでは時間制約があり、短い時間で何かを伝えるためには、こちら側から説明しなければいけないことが多い。例えば、先ほどから何度も“大家族”という言葉を使っていましたが、岸さん一家には“7男3女の大家族”という枠組み以外にも、子どもと親、英治さんと信子さんという1対1の関係性がある。もっといろんなことが描けるのに、大家族という枠組みにはめてしまうことでこぼれてしまっていることがたくさんあるかもしれない。映画なら時間の制約がなく、余計な説明を加えていない映像を見ていただいて、自由に感じてもらえるのではないだろうかと考えたのです。
もともとテレビ局発のドキュメンタリー映画に関心があり、他局が制作した映画も何本も観ていたので、「一つの家族の歴史をこんなに丹念に追った映像が残っているのに、一度の地上波放送でお蔵入りさせるのはもったいない」と思っていました。

――実は本作を観た後に、NNNドキュメント21「人生は…ジグソーパズル」も拝見しました。映画と同じように不動さんが生まれる前から、現在までを写し出していましたが、夫婦や子どもたちの名前や年齢がテロップで入っていて、映画とはかなり違う印象を受けました。映画ではそういったわかりやすさを排除していますね。

登場する人物の名前と年齢の説明や字幕表記は突き詰めると絶対に必要なことではありません。観る人はそこにある映像から自分なりに繋いでいこうとする。言わなくてもいい説明は外した方が映像に集中してもらえます。こちらから情報を出し過ぎることでその能動的なものを奪いたくなかったのです。

――映画では構成・編集を佐藤幸一さんがなさっていますね。

弊社は映画を作るのが初めてだったので、映画化のノウハウを持っていませんでした。佐藤さんは2002年に岸さん一家のNNNドキュメントを放送した時にも編集に入って頂いた方でした。さらにドキュメンタリーの編集を何十年もなさっている上、映画の編集経験もあります。岸さん一家のことを元々知っていることに加え、普段、ニュースの編集ばかりやっている私たちにはない視点を持っていらっしゃるだろうということでお願いしました。

――佐藤さんの編集から学んだことはありましたか

“ナレーションではなくて映像で語る”ということですね。テレビでは時間が足りないとナレーションを入れてしまいますが、映画は時間の制約がないので、映像で分かるところはナレーションを入れずに映像だけで編集し、伝えていく。佐藤さんはそこを大事にしながら映像を選んでいました。これはテレビ放送ではなかなかできないと感じます。

――映画を経験して、テレビ番組作りに変化はありましたか。

私は普段、ニュースの現場で仕事をしています。この仕事は“わかりやすく、正確に”が大事。それでも“説明を加えた方がわかりやすいけれども、ここはあえてこちらからは説明を加えずに、画面に映っている人の表情に集中してもらった方がいいんじゃないか”などとより考えるようになりました。何でもかんでも説明していたころに比べると、何かちょっと作る幅は広がったのではないかという実感はありますね。

――映画化によって岸さん一家の取材は完了なのでしょうか。

映画にしたからといって岸さん一家の取材は終わっていません。映画用の撮影は2021年11月に終わりましたが、今年の1月に成人式を迎えた不動さんを取材して熊本のローカルで放送しました。
私は普段、ニュースの編集長として社内で仕事をしていますが、岸さん一家の取材のときだけ、シフトをやり繰りして外に出させてもらっています。カメラマンも一緒のときもありますし、私一人のときもあります。

――監督ご自身がカメラを回すときもあるのですね。

結構、撮っていますよ。がたがた震えていたり、画質がよろしくないのはデジカメで撮っている映像で、カメラマンが撮った映像ではないことが多いです(笑)。でも、映像の中にデジカメで撮ったからこそのいい距離感が生まれることもあります。

――岸さん一家を取材したことで監督ご自身の中で何か価値観が変わったことなどありましたか。

劇的な変化があったわけではありませんが、英治さんと信子を見ていて、“近しい人にこそ丁寧にあれ”ということを心に留めておくようになりました。“言わなくてもわかるでしょ”という距離感の人にこそ、「ありがとう」と伝える英治さんと信子さんのことを見習いたいと思っています。
私には子どもがいませんが、歴代のディレクターが、「自分が子どもを育てるときに、岸さんの子育てが参考になった」と言っているのを聴いたことがあります。

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――公開を前に今のお気持ちをお聞かせください。

岸さんの取材がここまで長く続けられたのは、会社としてちゃんとディレクターを引き継いできたからだと思っています。通常、継続取材はどこの放送局でもやっていますが、大抵は担当ディレクターが1人で取材を重ねるので、そのディレクターがいなくなると取材が引き継げずに途切れてしまいます。うちでも岸さん一家の取材以外はそれが理由で途切れてしまった企画があります。
21年の間には熊本地震やコロナがあり、岸さん一家の個人的なことで言えば、家が火事になったこともありました。そんなときも翌日に「行ってもいいですか」と言って撮影させてもらえる。これは先輩たちが築いてきた関係性があるからこそ。これからも引き継いでいかなくてはと思います。
(取材・文:ほりきみき)


<監督プロフィール>
城戸涼子
1979年生まれ、福岡県出身。2002年4月、熊本県民テレビに入社し報道記者としてキャリアをスタート。2005年に制作に配属が変わり、企画・撮影・編集を初めて1人で担う中で映像の奥深さを知る(まだまだ勉強中)。2006年、汚染された血液製剤でC型肝炎に感染した患者たちが国を相手に起こした「薬害肝炎訴訟」の原告を追い、ドキュメンタリー番組を初制作。「ひとの人生にふれること」に魅力を抱き、その後は災害や過疎問題のほか福祉や政治、鉄道など様々なジャンルで20本以上のドキュメンタリー番組制作に携わる。岸さん家族の取材は2006年から2年間担当したが職場異動に伴い一旦外れ、2019年に再担当。現在はローカル情報番組「てれビタevery.」のニュース編集長として日々起こる熊本の出来事と向き合う傍ら、小さなデジカメを持って岸さんの取材へ足を運ぶ日々を送っている。今回の映画が初監督作品。

『人生ドライブ』

作品紹介はこちらから
白石映子、景山咲子、宮崎暁美の3人が担当しています。

監督:城戸涼子
プロデューサー:古庄 剛  
構成・編集:佐藤幸一  
撮影・編集:緒方信昭
製作著作:KKT熊本県民テレビ
2022年/93分/DCP/16:9/日本
令和4年文部科学省選定作品
配給:太秦
(C)2022 KKT熊本県民テレビ
5月21日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次公開
4月29日(金・祝)〜[熊本] Denkikanにて先行上映中
公式サイト:https://jinsei-drive.com/


『教育と愛国』⻫加 尚代監督インタビュー

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*プロフィール*
⻫加 尚代(さいか・ひさよ)毎⽇放送報道情報局ディレクター
兵庫県宝塚市出身。1987年毎⽇放送⼊社。報道記者などを経て2015年からドキュメンタリー担当ディレクター。企画、担当した主な番組に、『映像ʼ15 なぜペンをとるのか〜沖縄の新聞記者たち』(2015年9⽉)で第 59 回⽇本ジャーナリスト会議(JCJ)賞、『映像ʼ17 沖縄 さまよう⽊霊〜基地反対運動の素顔』(2017年1⽉)で平成29年⺠間放送連盟賞テレビ報道部⾨優秀賞、第37回「地⽅の時代」映像祭優秀賞、第72回⽂化庁芸術祭優秀賞など。『映像ʼ17 教育と愛国〜教科書でいま何が起きているのか』(2017年7⽉)で第55回ギャラクシー賞テレビ部⾨⼤賞、第38回「地⽅の時代」映像祭優秀賞。『映像ʼ18 バッシング〜その発信源の背後に何が』で第39回「地⽅の時代」映像祭優秀賞など。個⼈として「放送ウーマン賞2018」を受賞。著書に『教育と愛国〜誰が教室を窒息させるのか』(岩波書店)、『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』(集英社新書)。

『教育と愛国』
作品紹介はこちら 
(C)2022映画「教育と愛国」製作委員会
★2022年5月13日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋ほか公開


―監督は大阪出身ですか?

いいえ、兵庫県の宝塚市で育って、大学は東京で過ごし、MBSに就職してずっと関西です。

―宝塚市出身、手塚治虫さんと同じですね。

実家は手塚治虫記念館から歩いて5分でした。昔の宝塚音楽学校も2,3分のところです。近所をタカラジェンヌが普通に歩いていて、私の母が子どものころは、裏の武庫川でタカラジェンヌと一緒に泳いで遊んでいたそうです(笑)。

―タカラジェンヌには憧れず、報道の世界に来られたんですね。

そうですね(笑)。宝塚はすごく好きだったんですよ。「ベルサイユのばら」も初演から見ていましたし、近所の芝居小屋に行くような感じでした。確かに宝塚は目指さなかったですね。子どものころバレエを習いたいとかは言ってましたけど。自分はどちらかというとシャイで人前に立つのが好きじゃなかったんです。だからテレビ局に入社するときもみんなはアナウンサーとか華やかなところを目指す人が多いのですが、私は最初からアナウンサーより、黒子に徹してドキュメンタリー番組を作りたいという気持ちでした。
記者をやっているときも取材は大好きなんですが、記者リポートが嫌いで。20代のときに記者リポートをしたら、先輩から「小学生が作文読んでるみたいだぞ」と叱られて、私は私なりに必死にやっていたのに(笑)。

―今はいろんなところへ行っていろんな人を取材するのがお仕事ですよね。そんなシャイな方がどこにでも行って誰とでも話せるようになったのは?回数でしょうか?

そうですねぇ。学校も嫌いな子どもだったんです。不登校にはならずに、真面目に行っていましたけれど、中学高校はとくに学校は嫌いでした。だけど、大阪の公立学校の保健室などの取材を通じて、学校っていいなぁとか、子どもたちと体当たりで関わっている先生たちの姿が魅力的で心打たれるなぁと感じて。記者になってから学校が好きになりました(笑)。

―後から。

はい、後から(笑)。こんな先生に出逢いたかったと思いましたね。

―元々はテレビ番組だったのが映画化されたそうですが、このドキュメンタリーの番組を東京で見ることはできますか?

MBSの『映像』シリーズというドキュメンタリー番組は、関西ローカル放送なので、東京では見られないんです。MBSの”動画イズム”(動画配信)の中では見ることができて、あと系列のTBSの『解放区』というドキュメンタリー枠で再放送されたりすることもあります。でも、大体テレビのドキュメンタリーは深夜なんです。みんな寝ている時間ですね。

―『映像』シリーズは1980年から始まっているんですね。すごく長い!

アーカイブは500本以上あり、その時代の社会問題をいろんなディレクターが取材して作られています。私は2015年7月からチームに加わりました。そこで制作したのが「なぜペンをとるのか〜沖縄の新聞記者たち」。琉球新報編集局を40日間密着取材した作品です。

―タイトルだけを拝見しました。時事問題の最先端のところばかりなのに、観ることができなくて残念です。映画になったら、全国で観ることができますね。ほんとに映画になって良かったです!

ありがとうございます。この映画も2017年7月に放送したテレビ番組をベースにして、新しい映像を追加して作られたものです。番組は関西エリアの深夜での放送でしたから、より訴求力のある違う取り組みをしなくてはいけないと思い、挑戦だったんですけど、映画にしてみようと考えました。

―この映像シリーズの中でほかにも映画化されたものはありますか?

3・11のときに南三陸町を舞台にした『生き抜く』という映画になったドキュメンタリーがあるので、『映像』シリーズの中では2本目です。このシリーズ以外でホール上映になった『with』がありますので、MBSでは3本目ですね。

―ご本も読ませていただきました。監督が教育に目をすえてきて30年になるとありました。

テレビ記者って何でもやらないとダメっていうか、教育だけをずっとやってきたわけではなく、様々なテーマを取材してきました。ただ自分で初めて企画して特集にしたテーマというのが、大阪の小中高校の保健室登校でした。学校に馴染めない子どもたちを先生たちがなんとか受け止めて支えようという取り組みです。それが最初にオリジナルで取材したテーマだったんです。そこからずっと学校の先生との繋がりができて、節目節目で子どもたちや先生たちとの出逢いがありました。
2011年に大阪維新の会が「教育基本条例案」という、これまでの大阪の教育を抜本的に改革するという、政治主導の教育を目指す条例を掲げました。これは政治が接近してくるぞと感じ取れたんです。当時教育委員長をされていたのは小児科医で精神科医でもあった生野照子さんで、「私は知事(橋下徹)に向かって直訴したのよ。知事がやろうとしていることは”政治”です。教育行政ではないって」。それに対して知事は「さすが、委員長」って答えたという、そんなやりとりを生野さんから聞きました。

―大阪は知事と維新の会にかき回された感じがしていました。

橋下徹さんが創設された大阪維新の会はのちの日本維新の会の母体となるんですが、その一つの政党が政治主導の改革のムーブメントに一役買ったんですね。映画の中でも安倍元総理が維新の松井一郎さんと握手する場面、2012年2月に行われた「教育再生民間タウンミーティングin大阪」の壇上ですが、お互いに協力しましょうとなったわけです。
その当時はそれほど意識していなかったんですが、取材を続けていて今回映画にまとめる段階になって、やっぱりこれは繋がっている。大阪の維新と東京の安倍さんたちが連動して作られた教育への政治介入なんだとそう強く感じるようになりました。

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―足された部分は「どうとく」の場面でしょうか? 

そうです。今回の映画の中で二つ小学校が出てくるんですが、一つは久保敬校長先生の「どうとく」の授業。久保先生は去年5月に松井一郎市長に対し、いま公教育はどうあるべきかを真剣に考える時が来ているという提言を直接出されて処分を受けた方です。「生き抜く」という教育じゃなくて「生き合う」教育が必要じゃないかと投げかける提言です。これはインターネットで探して下さったら、すぐ出てきます。今の教育は子どもたちの方を向いていないんじゃないかという問いを出されていますが、今回の授業はあえて教科書通りに進めている場面を紹介しています。
もうひとつは、この映画事業がなかなか社内で進まなかったときにずっと密着取材していた、大阪生野区の市立御幸森小学校です。ここにはコリアンルーツの子がたくさんいて、日本ルーツの先生、コリアンルーツの先生たちが一緒になって目の前の子どもたちにどんな教育が必要かと考えて実践していました。「ユネスコ憲章」の前文にのっとった平和教育、多民族が共生する・多文化の子どもたちがお互いを理解し合える教育を目指して取り組んでいました。それは時代の最先端ですばらしいと感じました。
例えば、放課後の取り組みで民族楽器の練習をする。他国の、あるいは母国の文化に触れることで、「戦争は人の心から生まれるものだから、心の中に平和のとりでを築かなければならない」という「ユネスコ憲章」前文の精神を子どもたちに先生たちがいろんな言葉で伝えていく。この地域になぜ在日韓国・朝鮮人が多いのかとか、差別もあったけれど、その中でコリアに繋がる人と日本ルーツの人はどんな協力をしてきたのかとか、その歴史を紐解いて振り返りながら子どもたちに伝えていく。すると子どもたちはこの地域は素敵な場所だと、歴史の中で自分たちが暮らしているということを実感していきます。そういう取り組みをしている学校が小規模だからと2021年3月に閉校になりました。
この映画の中で伝えようとした政治圧力とか政治介入、その一方で大事にしたい教育が失われていくのを何とかしなきゃと。子どもたちに向いた教育が崩されているのじゃないかという危機感をずっと抱えてきました。

―監督には、この映画に出てくる「慰安婦」はじめ戦争の加害を習った記憶はありますか?

ないんです。習ったという記憶がないんですよ。

―やっぱり。私もそうです。縄文時代とかずっと前から始めちゃうので、3月にはそこまでたどり着かなかったということが多かったと思うんですけど。

だと思います。だから近現代史について私自身がこういうことがあったんだ、これは学ばなくてはと思ったのは、社会人になってからです。記者になってから『映像』シリーズのドキュメンタリーで知ったり、自分で市民集会に行ったり、書籍で学んだりしてきました。しかも、高校では選択科目で、日本史を選択しなかったんです。

―私は必修でしたけど、日本がアジアで何をしてきたかというのは、学校ではなく映画で知ったんです。香港映画が好きで見ているうちに、加害の歴史ですね、それを被害に遭った国の映画で知りました。

ああ~。そうですよね。私も学校教育の中では学ばなかったと思います。それが、平井美津子先生と出逢って。平井先生と自分が中学生だったときに出逢っていたらまた違ったんじゃないかと思います。こういう先生に学びたかったなぁと実感しましたね。

―映画の中で偏向していると責められるのがすごく不思議でした。

そうなんです。平井先生の授業は面白いですよ!子どもたちのことをよく観察していて、どんな関心を持っているか考えたうえで授業を組み立てておられるから、導入で必ず子どもたちをひきつけるようなエピソードを持ってきます。例えば、中国を占領した戦争の話をするときにパンダの話から始めるんです。なぜパンダが日本に来たか、というところから。慰安婦の問題については、一番子どもたちが反応した年があって。橋下徹さんが風俗について「活用すべきだ」と発言した時があったんですね。ご本人は、誤報だと言ってますけど、戦時においては必要な制度なんだと語ったときに、それを引き合いに出したら、子どもたちの反応が全然違ったといいます。
歴史は過去の出来事だけれども、必ず今に繋げて授業をされていらっしゃるから、やっぱりすごく実力があるなと思いますね。

―バッシングに遭われて大変でしたが、今、平井先生は?

今も教壇に立っておられます。もちろん平井先生の取り組みを高く評価される方もたくさんいらっしゃるんですけど、また標的にされないように、取材をお願いするときにはご相談を重ねました。「やっぱり記録として残すことは大事なのでご協力しますよ」と言ってくださって。今回平井さんがあそこまで公にメディアで語られるのは初めてだと思います。

―大阪だからできた映画ですね。

そのとおりです。大阪を拠点に取材を続けてきたからできた映画です。大阪が政治主導の教育のけん引役というか、実験場になってきたと考えています。実際に2014年に教育委員会制度を見直す法改正がなされたとき橋下徹市長が「戦後指1本触れることのできなかった教育行政を、大阪から変えることができた」「文科省、国がやっと大阪に追いついた」と言われました。

―映画の中でびっくりしたのが、東大名誉教授の伊藤隆先生が「歴史から学ばなくていいんだ」と言われたことです。学ばないと、また間違うでしょうと思っていましたから、あそこがよくわからなくて。

伊藤隆さんはご自身が若かったときの体験から歴史学がマルクス主義史観に染まっていると感じられ、今に至っておられるようです。だから歴史学の主流は左翼なんだと。ご自身も論文の内容をめぐり個人攻撃されたことがあると。
実証主義をオーラルヒストリーとともにやってきたトップアスリートの歴史学者だと自負されておられると思います。実際そうだったと思います。素晴らしいお弟子さんをたくさん育てられた。加藤陽子さん、御厨貴さん、北岡伸一さんなど錚々たる学者を育てていらっしゃいます。学校の先生たちが自虐史観に染まっておられるということで「歴史から学ぼう!」というのに対するアンチテーゼを言っておられるんじゃないか、と感じました。

私が見ている学校と、伊藤さんが「学校はこうだ」と思っておられる学校とは全然違うんです。私が、「伊藤さんが戦前受けられた教育と今の教育の何が一番違うんでしょうか?」とお尋ねしたら、「戦前には日教組はないんだよ」って答えが返ってきた。伊藤さんだけでなく、保守の方々は日教組が学校を支配しているんだ、って。これは大阪で取材してきた私にとっては「そうではない」と言えるし、実際伊藤先生にも言いました。「今、日教組は力を失っていて、私の知っている日教組の先生は若い世代が組合活動してくれない、と困っていますよ」と言っても、「いや、少数でも力があって影響力のある先生は日教組なんだよ」とご自身のお考えから出られない。私の知っている学校現場とは全く違うんです。

―この映画に出演している方はもうご覧になっているんですか?

まだ観ていらっしゃらないです。観に行くとは言ってくださっています。伊藤さんはテレビ番組のときはDVDをお送りしましたが、感想は述べられなかったですね。

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―テレビの番組から映画化まで、5年かかっていますが、最初のころと今と比べて大きな変化は?

この5年でさらに状況は悪くなっていると思います。新型コロナウィルスの感染拡大で、いっそう学校現場の先生たちは疲弊していますし、さらにコロナ禍という理由で、安倍総理が文科省の頭越しに一斉休校を命じたり、大阪の松井市長が教育委員会に打診もせずにオンライン授業の実施をと述べてみたり。教育委員会が独立した行政機関なんだという意識さえどんどん薄められていって、政治主導が当たり前のような状況に陥っていることに一層危機感を高めてきました。2020年10月、日本学術会議推薦の6名の学者が官邸から任命拒否されるという出来事を知ったときに、教育の自由が政治主導で歪められているだけにとどまらず、学問の自由も踏みにじられる社会が目の前にやってきたんだという、その衝撃がこの映画を作らせたと言ってもいいと思います。

―任命拒否された先生やジェンダー研究の先生も登場していました。

任命拒否の前には科研費をめぐって、政治家が大学の研究者たちを攻撃する事態が起きていたわけです。そこは結びついていますよね。都合の悪い研究には金は出さない、という。

―大きい声でものを言う人たちばかりが目立ってきた気がします。なんだか戦前に戻っている、という意見もよく聞きますし、戦前は知りませんが、せっかく勝ち取ってきたいろんな自由が少しずつなくなっていってるんじゃないかと感じます。すっかりなくなって、取返しがつかなくなってからでは遅いですよね。

はい、そう思います。
そんなささいなこと、そのくらい見逃したってと思ってしまうことであっても、その積み重ねによって、とんでもない落とし穴というか断崖絶壁が待っているかもしれない。今回取材しながら小さなできごとを1本の線に繋げてみたっていう表現をしているんですけど、繋げてみたらその危機の深刻さが伝わりやすくなったんじゃないかなと思います。

―はい、そういう風に観ました。すごくわかりやすいです。
民主主義って両方の意見を聞く、違う意見に耳を傾ける、小さな声も拾うことではなかったの? 多数決が民主主義じゃないよねと思いました。


ほんとそう思います。当初は元教科書調査官のインタビューもしたいと考えて、あちこち交渉したりしたんですけど、やはりカメラの前に出ることはできないということで、断られました。でも、調査官も研究者出身の方が多いので、「イデオロギーじゃないんです。正しい歴史という人に限って学術的知見に基づいていない場合がある」ということは認識しておられて、あくまでも学術的成果に基づいて教科書は作られるべき、と言っておられたんです。ただ、公務員だから教科書検定基準というルールが作られて、決められてしまうと学術的に葛藤しつつも、「誤解される恐れがある表現」というルールに基づいた検定意見をつけなきゃいけなくなってしまうんです。

―教科書がたくさん出てきますが、図書館で観られるものなんですか?

もちろんです。必ず地域の公立図書館には教科書を観ることができるコーナーがあるはずです。

―そうなんですか!全然知りませんでした。

大阪の場合は、図書館で今使っている教科書を見ることもできるし、昔の教科書を見たいというと書庫から出してきてくれます。
教科書ばかりおいてあるセンター(教科書図書館)もあるんです。そこに行けば一日そこで過ごせるくらいの資料があります。国定教科書がどれだけ「日本すごい」って書いてあるかわかります。今の言葉でいうと、「日本ファースト」で、世界地図の真ん中に日本があって光り輝いているような。

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※教科書研究センター(附属図書館は要予約)
〒135-0015 東京都江東区千石1丁目9番28号
https://textbook-rc.or.jp/

各都道府県の教科書センター
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/center.htm#a001

―ありがとうございます。行ってみます。

道徳教育を全面否定する立場ではなくて、ただ型にはめる教育って今の時代にそぐわないな、あのお辞儀の仕方の正しさは誰が決めているのかと思うんです。あるとき、政府見解であれは不正解だということになれば、変わるのかと。

―教科になれば成績をつけるわけですよね。どうやってつけるんでしょう。

そうなんですよ。道徳の授業の場面も、良い・悪いという教科書どおりの「善悪の判断」という徳目の授業なんです。これもそんなに簡単に判断できるんだろうか?って考え込むんですね。

―考える種を蒔くのならいいけれど、正解を一つにしたら他はダメということになりませんか。

そう。だから小学校低学年の子供たちに、「上靴を隠した子どもは悪い子だ」と教えてしまうほうが、実は弊害があるんじゃないのかなぁと。
映画の中では紹介できなかったんですけど、ベテランの久保校長先生は上靴を隠した子は、実は友達とのトラブルを抱えていて、こんな出来事があったんだよ。これを知ったうえで、みんなはどう思うか、と教科書から離れた問いを子どもに投げているんです。そして子どもたちの意見も変わるというような、そういった指導もされていました。
先生によっては、もちろん教科書から離れて子どもたちに向けた授業もできるんです。けど、教科書どおりに常にスタンダードな、お決まりの授業が作られていくという流れは、政治の空気からすると危うい、と思います。

―熱心な面白い授業をする先生がバッシングを受けて、言う通りにはやるけれど、子どもに勉強の楽しさを教えられない先生ばかり残ったら学校がつまんなくなるじゃないですか。

その通りです。ルールに従うだけの従順な先生ばかりになっちゃったら、学校はつまんなくなります。道徳の授業内容を注意深く見ると、「集団や社会との関わり」に関する「規律」「協調性」などの徳目が一番多く、輪を乱さない、反抗しない子供を育てようとしているんじゃないか、と疑念が生じます。そうとしか私は感じ取れませんでした。

―先生方がそれぞれ工夫していただけるといいんですが。

その先生方も、一人一人が考える時間が持てるかというと、もう忙しすぎて。考えていると潰れかねないという方もいて、それは先生にとっても子どもにとっても不幸なことですよね。

―親にとっても。ほんとにもう、観ながらなんて問題がいっぱいあるんだ!と(笑)。

ああ、ありがとうございます。そう気づいてくださるのがとても嬉しい。

―それこそ、たくさん種をいただきました。これは本誌では『ゆめパのじかん』という川崎市にある子どもの居場所の映画と一緒に紹介します。違う方向から子どもの教育を扱っていて、両方観ていただけたら考える種がいっぱい出てきそうです。

子どもたちにとって、テストの点という物差しだけで測られるというのは、本当にとても苦痛だと思うんです。テストをなくしてもいいくらい、なかなかそこまでは公立では難しいと思いますけど、どんどん政治によってテストの点だけで学校を測るという流れになってきているから、これも政治の側が学校を意のままにする手段なのかと感じています。学校同士を競争させて、政治の意向が反映しやすいようにする「統治」という手段かもしれないなと思います。

―そういうことを監督はちゃんと映画に込めています。みなさま気づいてください。
ではこれから映画を観る方へ。メッセージをどうぞ。


プレス資料にも書いたんですけど、カタルシスも正解もない作品なんです。ですので、観終わった後にモヤモヤしてしまう方もきっといらっしゃると思います。けれども、映画のどの画面、どの部分でもひっかかったところを語ってほしい。語って来なかったことを語り出してほしいです。そういう願いを込めた作品です。
今はSNSで炎上するからとか、政治から距離をとっておかないと、とか、俳優やタレントが発信すると叩かれたりとか、あるんですけど、これは取材した沖縄の方の言葉です。
「政治的じゃないことがあるんだったら逆に教えてほしい。全ては政治的です」と。暮らしそのものが政治に結びついているんだということを仰っていて、私も教育を見つめてくる中で、一つ一つの授業の実践を大事にして、その授業を豊かなものにと思って努力しても、それが政治の力でガシャっと崩される、そんな可能性があって、その危機というのが思いのほか近くに迫って来ているという、そこを感じてくださったら嬉しいなと思います。

―今日はありがとうございました。

一監督は報道の方に行かれましたが、映画のほうはいかがですか? ご覧になる時間はありますか?

映画は大好きだったんですが、報道記者になってからは忙しすぎてあんまり見ることができてなかったですね。でも、最近観た映画では『ゲッベルスと私』『ユダヤ人の私』、この2本はすごい映画だと思いました。
出演しているのはたった一人の女性と、一人の男性なんです。この二人の語りから歴史に迫っています。今から振り返れば、ドイツのナチス政権下というのは自由も奪われて国民が抑圧されている時代でした。
『ゲッペルスと私』に出てくる高齢の秘書だった女性はそういうことをわかりながらも、「ゲッペルスはとても素敵な男性だったのよ」と語る。それがすごくリアルなんです。
私は学生時代メディア学を学んで、ナチスドイツがどんな風に大衆操作したとか、書籍で読んでいたので、ゲッペルスがどんなに巧みにラジオや映画などを利用して、ヒトラーの、今でいう「パフォーマンス」をあげていたかというのは知っていました。私が書籍で知っていたゲッペルスと、当事者の彼女が語るゲッペルスは全然違いました。だから、歴史の中に身を置いたとき見えないことがある。今の時代の人は「なぜ止めることができなかったんだ」って簡単に言いますが、自分を振り返ってどうなんだと。日本の人々が今ちゃんとできているのかというとわからないですよね。

『ユダヤ人と私』も迫害された歴史もそうなんですけど、今も「お前なんかガス室で死んでしまえ!」というようなヘイトスピーチが寄せられている。自分が被害体験を語ることで、今もヘイトスピーチが高齢の彼に向けられているという残酷な現実。テレビの人間だからこの表現、このライティング、って観ちゃうんです。ライティングが違うんですよ。『ゲッペルスと私』でも最初はすごく皺を際立たせるようなライティングで、途中からちょっとその皺が浮き立たないライティングに変わるんです。その違いで二日か三日かけてるかな、と(笑)。敬愛するカメラマンが「あのライティングは4パターンはあった」って(笑)。
その2作はすごく好きな作品です。


=取材を終えて=
私は学校が好きでした。知ること、わかること、友達と会えるのが楽しかったからです。小学校を3回転校しましたが、どの先生にも級友にもいい思い出があります。ただみんな一斉に同じことをしたり、競争したり締め切りのあることは苦手でした。宿題はイヤだからさっさと終えた覚えがあります。
今学校が辛いという子、行けない子がたくさんいるのはなぜなんだろう? 生きづらいと思う原因は何なのだろう? 答えが一つしかないと思うと、真面目な子ほど追い詰められてしまいます。子どもたちを支える大人、自分を含めた大人がいいお手本にもなれていません。
都合の悪いことは隠したり、あったことをなかったことにしたり、間違っていても謝らなかったり、人は弱いのでそうやってしまいがちです。弱い自分にも向き合って、自分と違う意見を聞き、互いに歩み寄り、もっと良くしたいと考える。それが「ちゃんとした人」じゃないでしょうか? 
監督に共感するあまり、自分の想いをこぼし過ぎて反省。それだけ、あちこちを刺激して語らずにいられなくする作品でした。日本の歴史や政治経済に詳しくなくとも、地球に住む生き物として、なんだか生きにくい、危ないことが迫っている感覚はあります。子どもや孫に大きな負債を残したくありません。
子どもたちの将来を憂える親や先生をはじめ、たくさんの大人たちに届きますように。
(取材・監督写真 白石映子)