『ジョージア、ワインが生まれたところ』  エミリー・レイルズバック監督インタビュー 

ワインが人生であり文化 ジョージアを巡る旅
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11月1日からの公開を前に、シカゴ在住のエミリー・レイルズバック監督とスカイプインタビューの機会をいただきました。

『ジョージア、ワインが生まれたところ』
原題:Our Blood Is Wine
監督・撮影・編集:エミリー・レイルズバック
出演:ジェレミー・クイン、他

紀元前6000年からワインが醸造されてきたジョージア。 だが、伝統的な甕を使ったクヴェブリ製法は、ソ連時代の大量生産政策でつぶされてしまう。
シカゴのレストランでソムリエを務めていたジェレミー・クインは、シカゴでの仕事を辞め、ワインの起源を知るためにジョージアにやってきた。各地を巡り、家庭で自家用に細々と伝統的製法でワインが作られ続けてきたことを知る・・・
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作品紹介


2018年/アメリカ/78分/英語、ジョージア語/DCP/1:2.35
字幕翻訳:額賀深雪/翻訳協力:ニノ・ゴツァゼ/字幕監修:前田弘毅
配給・宣伝:アップリンク © Emily Railsback c/o Music
公式サイト: https://www.uplink.co.jp/winefes/
★2019年11月1日(金)、シネスイッチ銀座、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開


◎エミリー・レイルズバック監督インタビュー


◆伝統的製法は口伝えで細々と守られてきた

― ジョージアは、グルジアと呼ばれていたソ連時代から行ってみたかった憧れの国。映画を観て、まさにジョージアを旅しているようでした。ソ連崩壊後、ワインの生産がどのような状況にあるのかが各地方ごとによくわかり、とても興味深く拝見しました。
伝統的なクヴェヴリ製法がソ連によってつぶされた中、家庭で細々と作り続けられてきたとのこと。クヴェヴリ製法は書かれたものがなく、口伝えとのことですが、歌によって伝えられてきた面が大きいのでしょうか?

監督: 歌によっても伝えられてきた面はありますが、毎年、収穫の時期になると、人を雇うのではなく、家族や近所の人たちがやってきて、協力しあって作るという形で伝えられてきました。


◆スプラ(宴会)は男たちのもの

― ジョージアで大切にされてきたスプラという宴席ですが、スプラはもともと食卓に敷かれる布のこととのこと。 私はイラン文化を学んできたのですが、食事の布のことを「ソフレ」といいます。絨毯の上にソフレを敷いて、その上に料理を並べて、皆で囲みます。スプラとソフレ、恐らく語源が同じではないかと推測しました。ペルシアはジョージアを攻めた国ですが、お互い文化的に影響もしあっているのではないかと思いました。
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監督:その繋がりについてはわからないのですが、ジョージアのスプラのことでしたらお話できます。ジョージアは家父長制の強い文化の国で、スプラに参加するのはほとんどの場合男性だけです。私が参加させていただいたスプラも、女性は私だけか、もう一人いる程度でした。女性たちは台所にいて、料理を作ったり運んだりして、女性は女性だけで料理を囲みます。時代と共に変化していて、若い女性たちは男性たちのスプラに参加することも増えてきましたが、高齢の女性たちは男性の席に一緒に坐ることはほとんどありません。

― イランでは今はイスラーム政権でお酒は禁止ですが、それ以前は、ワインも作っていました。特にウルミエ湖の近くで見つかった数千年前の壺から葡萄の種が見つかっていて、かなり古い時代からワインが作られていたことも証明されています。壷の形も、ジョージアのクヴェヴリに似ています。

監督:ジョージア、トルコ、アルメニアといった地域には、あちこちに行く民族がいましたので、ペルシアとの繋がりもあると思います。とても興味深いですね。


◆小さな国なのに多様なジョージア

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― ソ連からの独立後、2006年~2013年にかけて、ロシアがジョージアに対してワインを出荷禁止にさせたとのこと。出荷禁止の解けた2013年に奇しくもクヴェヴリ製法がユネスコの無形文化遺産に登録されたことに興味を持ちました。

監督:
はっきりしたことはわかりませんが、映画に出て来た友人のニコラゼが当時、文化庁に勤めていて、無形文化遺産登録になんらかのかかわりがあったかもしれません。
ジョージアに居る時に、ジェレミーがブログを書いていて、古代のことなども詳しく説明していますので、ぜひお読みください。
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― 撮った映像が、170時間以上もある中、どういう点を重視して映画に取り上げたのでしょうか?  78分という比較的短い中に収めていますが、もっと長くすることもできたと思います。

監督:いくつかの違ったバージョンを作ってみました。編集は1年半かけて、私以外の人にも入ってもらってやりました。トルコやアルメニアにも行って、いろいろな映像を撮りました。馬のレースや、山あいの村でいけにえの儀式なども撮ったのですが、ワインとは関係ないのでカットしました。

― そういう場面の入ったバージョンもぜひ観てみたいです。
ところで、重いワインのところは歌が重厚、軽いワインのところは歌も明るいとのこと。地域的な特色を教えていただけますか?

監督:
ジョージアには多くの民族がいます。映画に出て来るメインキャラクターのギオルギさんは南のトルコとの国境の近くの方で、軽くてフレッシュなワイン。ペルシアの影響もみえます。東のカハティ地区では平坦な土地で、ワインはシリアス。いろんな民族に侵攻されて、血が土にしみこんでいる土地柄です。


◆案内役のジェレミーさんと映画完成後に結婚

―映画学科の学生時代にシカゴのワインバーで働いていた時、ソムリエのジェレミー・クインさんと出会われたとのこと。いつごろから公私ともにパートナーになられたのでしょうか?

監督: (ケラケラ笑って、照れながら答えてくださいました) 
映画を作り始めたころには、まだ友人というカジュアルな感じでした。映画にお金を出してもらう段になって、出資者とのミーティングの時に、出資者から二人の関係が真剣なものでないと映画がうまくいかないのではないかと指摘されました。隣に座っているジェレミーの反応が心配で顔をまともに見れなかったのですが、「私たちの関係は真剣で絶対別れることはありませんので出資してください」とお願いしました。ですので、そのミーティングの中で宣言したような形です。

― 映画がお二人の橋渡しをしたのですね。

監督:はい、映画を撮り終わって、結婚しました。(大いに照れる監督!)


◆ワインが文化であり人生であるジョージアに感銘
― ジェレミーさんは、出来上がった映画をご覧になってどのようにおっしゃっていますか?
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監督:映画を作ったことよりも、ジェレミーはジョージアという国に感銘を受けています。ワインの飲み方がアメリカとジョージアでは全然違います。彼はワインバーで長く働いていて、アメリカではワインがトレンドのようになっていて、何を飲むのがクールだとか、ワインに対するうんちくがどれくらい詳しいかといったことを気にしていることに飽き飽きしていました。ジョージアに行ってみたら、皆がワインを楽しんでいて、ワインが血になっている。ワインが文化であり、人生であることに、とてもリフレッシュして、ジョージアが大好きになりました。
今日は残念ながらここに同席できませんでしたが、何かご質問がありましたら、ぜひご連絡ください。

― 今日はありがとうございました。ジェレミーさんにも、どうぞよろしくお伝えください。



エミリー・レイルズバック
Emily Railsback
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イリノイ州シカゴを拠点に活躍するインディペンデント映画の監督、脚本家、デザイナー、撮影監督。2014年にコロンビア・カレッジ・シカゴを映画芸術科学の美術学修士(MFA)を取得して卒業。ソムリエのジェレミー・クインと共に映像制作会社、バーント・シュガー・プロダクションを設立。タッグを組んだ2人の仕事のテーマは、飲み物への理解を通しての文化やアイデンティティーに特化している。

案内役ジェレミー・クイン
Jeremy Quinn
20年近くソムリエとしてのキャリアを持つ。全米トップのソムリエ賞(『Food & Wine』誌)、最優秀ワインリスト叙情詩人賞(『Chicago Reader』誌)など受賞歴多数。ワインの調査のために24カ国以上を旅しており、この10年以上、その中の5ヵ所のブドウ園で収穫の仕事をしている。自然農法の積極的な支持者であり、彼のワインに対する見識は、ラジオやポッドキャスト、書物で目にすることができる。現在は、世界中の農園を飛び回り、ワイン醸造、ワイン文化、そして土地の特性について調査をしている。
(二人のプロフィール: 公式サイトより引用)

『夕陽のあと』越川道夫監督インタビュー

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*越川道夫監督プロフィール*
1965年生まれ。静岡県浜松市出身。助監督、劇場勤務、演劇活動、配給会社勤務を経て、1997年映画制作・配給会社スローラーナーを設立。ラース・フォン・トリアー監督『イディオッツ』(98)、アレクサンドル・ソクーロフ監督『太陽』(03)などの話題作の宣伝・配給を手がける。熊切和嘉監督『海炭市叙景』(10)、ヤン・ヨンヒ監督『かぞくのくに』(12)などをプロデュース。エミール・ゾラの「テレーズ・ラカン」を翻案した『アレノ』(15)で劇場長編映画監督デビュー。2017年島尾敏夫と島尾ミホの出会いを描いた『海辺の生と死』、『月子』、佐伯一麦原作の『二十六夜待ち』の3本が立て続けに公開。本作に先駆け、監督・脚本・撮影・編集を手がけた『愛の小さな歴史 誰でもない恋人たちの風景 vol.1』が10月19日に公開。

『夕陽のあと』ストーリー
鹿児島県最北端の長島町。佐藤茜(貫地谷しほり)は都会からやってきて食堂で働き、1年になる。明るく溌剌とした働きぶりで人気だが、自分のことを語ることはなく謎に包まれている。
島で生まれ育った日野五月(山田真帆)は、島に戻って家業を継いだ夫の優一(永井大)、義母のミエ(木内みどり)、里子の豊和(松原豊和)と平穏に暮らしている。五月は長い間不妊治療を続けてきたが断念し、7年前赤ちゃんだった豊和(とわ)の里親となった。豊和には知らせず、7歳になった今まで我が子同様に暮らしてきた。ようやく生活が安定してきたので、特別養子縁組の申し立てを行うところだった。手続きは順調に進むと思えたが、豊和は東京のネットカフェに置き去りにされた乳児であり、その母親が佐藤茜であることがわかる。

監督:越川道夫
脚本:嶋田うれ葉
音楽:宇波拓
企画・原案:舩橋敦
撮影監督:戸田義久
配給:コピアポア・フィルム
(C)2019 長島大陸映画実行委員会
http://yuhinoato.com/
★2019年11月8日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー


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―越川監督はプロデューサーをされているほうが多いですね。この作品には監督としてご指名があったんですか?

いつもは製作のプロデューサーたちと何をやるかということを話し合いながら、僕が企画を作って立ち上げています。監督をやりながらもどこかでプロデューサー的な部分を担うことが多いんです。この作品に関しては製作委員会のほうからやらないかという話があり、その時点でほぼほぼプロットがあり、キャストも決まっていました。
僕は澤井信一郎という監督の弟子筋になります。当時の職業監督はそうだと思うんですけれど、彼らはスターシステムの中で、たとえば「この原作でこの人で」と決まった中で、自分の作品作りというものを真摯に考えていったと思うんです。今回それに比較的近い形で、僕のところに話がきました。それがね、面白いと思ったんです。
僕は作家であるというより、どこかで自分を職業監督と思っています。わりと企画を考えるときも「人」から入って「この俳優に何をやってもらったら輝くのか?」と考えることが多く、そういう考え方は嫌いじゃないんです。
なおかつ島の人たちの「この映画を作りたい」という思いは、プロデューサーをやっていて地方の方たちと映画を作ることがこれまでも多かったので、自分なりにはわかっているつもりです。自分ができるのであれば「その思いを形にしたい」と受けました。
舩橋淳さんの原案とプロットラインはそんなに変わっていません。結末はちょっと違いますが。

―どこが違うのか気になります。伺っていいですか?

いいですよ。舩橋さんの原案だけじゃなくて、これまで「育ての親」と「産みの親」をめぐる作品はたくさんあります。プロットを読んで僕が思い浮かべたのは「大岡裁き」であり、ブレヒトの「コーカサスの白墨の輪」(1948)です。育ての親と産みの親が子どもの両手を引っ張って、子どもが「痛い」と言ったら離したほうを親とした、というような。しかし、今回、僕はその「白墨の輪」の外に出なくちゃいけないと思ったんです。これは、どちらかに決められる問題じゃない。
もっと言えばそれを決めようとするのは親の都合なのであって、子どもには関係ない。いや関係はあるんですよ。子どもは親の影響を受けるわけですから関係はあるんですけれど、子どもにはどうにもならない。白黒つけようとするのは親のエゴだと思います。もちろんそれは子どもに対する愛情ゆえではあるのですが。

前のプロットは比較的どちらを選択するかという結末になっていました。でも、それでは僕には撮れないと思った。この問題点の外に出て、子どもを解放しなければならないと考えたんです。「子どもの人生は誰のものか?」と聞かれれば「そりゃ子どものものですよ」と誰もが言うでしょう。しかし、親である僕らはなかなかそれを現実的にやれません、やっぱり「僕の子ども」「私の子ども」になってしまい、どこかで子どもを私物化し所有してしまう。そして子どもたちは、どうしても親の影響を強く受けてしまいます。たとえばDVを受けた子どもが、自分もDVをしてしまうのではないかと思って苦しむ例はいくらでもあると思います。そういうことから子どもたちをどうしたら解放できるだろう、子どもたちの人生は子どもたちのものであるとどうしたら言い切れるのか。少なくとも、この映画において、子どもたちも含めて二人の母親は「こうなってしまったことを引き受けて向き合いながら生きていかなくちゃいけない」と思いました。「生きていかなくちゃね」というのはチェーホフ「桜の園」の台詞ですけれど、誰もが続いていく人生を生きていかなくちゃいけない。この映画に描かれているのは、容易に解決されることのない人生の継続された問題なんです。

世の中にはさまざまな親がいて、さまざまな形の夫婦があります。子どもを産んだ人たち、自然分娩の人たちがいて、帝王切開の人たちがいて、養子縁組をする人たちがいて、子どもがほしいと思いながら恵まれなかった人もいます。積極的に子どもを作らない選択をした夫婦もいます。LGBTの婚姻というのもあり、ずっと籍を入れないパートナーというのもあり、様々な形態があるわけです。
しかし、誰もにとって子どもの問題というのは、無関係な問題ではないはずです。それは、自分たちの後からくる人たち=子どもたちに対して、私たちが何ができるのかということです。それが「私の子ども」でなかったとしても。アメリカのインディアンは七代先のことを考えると言いますけれど、大人にはその責任がある。この映画がそこまでなんとかして届いてほしい。そうでないと描いたことにならないんじゃないか。「どっちの親に行きました。おしまい」という形にはならないし、なれない。そういうことを考えながらシナリオを作って行きました。

―子どものことを一番に考えて歩み寄った形になりましたね。

「子どもを救え!」だと思います。僕はそう思います。

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―お母さん役の貫地谷しほりさん、山田真帆さんは、もう決まっていたんですね?

決まっていました。僕がキャスティングしたのは、宇野祥平さん、滝沢涼子さん、鈴木晋介さんの3人だけです。

―こういう真面目な宇野さん(児童相談所の職員役)を初めて見た気がしました。

宇野さんは、20代のころからの知り合いですが、エキセントリックな役をやることが多いと思います。彼らの違う芝居が観たい、と思います。『愛の小さな歴史 誰でもない恋人たちの風景 vol.1』では宇野さんだけでなく深水さんにも、いつもとちょっと違う役柄を演じてもらいました。俳優は、一つの当たり役があるとイメージが固定して同じような役を振られることがよくあると思います。でも、もっといろんな顔を見たいと思うし、できると思うので、みんなで試行錯誤しながら芝居を作っていきたいと思っています。宇野さんは40になってほんとにいい役者になりました。

―俳優さんにとってありがたい監督ですね。

一緒にいろんなことして遊びたいんですよ(笑)。

―監督は「映画作りはライブに似ている」とおっしゃっていましたね。

そうです。僕の頭の中にある青写真は、机上のものです。現場では、それを元にみんなで作業をするわけですが、青写真通りになることを僕は望みません。ともに作業をしながら、自分たちが想像していなかったものが出てくることを望んでいます。ひとりの頭の中から出てくるものよりも、共同作業の中から有機的に生まれてくるものを信じているんです。そうでなければ、共同作業の意味がないと思うからです。

―貫地谷しほりさん、山田真歩さんには監督からどういったお話をされたんでしょうか?

それはもういっぱいありますよ。
貫地谷さんと山田さんでは、芝居の質が全く違います。どちらがいい悪いではなく。その質が違うものが一つのフレームの中にどういることができるか、ということを考えていました。ましてや島の人たちが300人くらい出演しているわけですから、尚更です。俳優と俳優ではない人がどう一つの映画の中に共存できるのか、質の違う芝居が質が違うままどうしたら一つの映画の中にいることができるのか、ということをさんざん考え、話しあった2週間でした。

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―ロケの期間が2週間ですか。すごく短いですね。

大騒ぎです(笑)。でも夜9時半には撮影を終わりたいと思っています。みんなを寝かしたいんです。風呂に入って寝る。そうしなかったら、スタッフもキャストもいいパフォーマンスできないですよ。もちろん越えちゃうこともあるんですけど、基本的に、徹夜でやって、こんだけ頑張ったぜっていうのは自己満足だと思います。疲れ切って事故おこしたらしょうがないですから。これは労働、仕事ですからみんなちゃんと食べてちゃんと風呂に入って寝て、いいパフォーマンスをする。大事なことだと思います。

―監督は「身体から生まれるものを大事にする」とおっしゃっていましたが、それは作りこまないで出てきた生のものということですね。ワンテイクで終わることも多いですか?

多いですよ。もちろんリハーサルしますし。
ただ、3テイク以上撮ったら、あと30テイクやらないといいものは生まれないと思います。

―3テイクと30テイク???

3テイク目くらいからは芝居は安定するんです。要するに、役者というのは基本的に不安なものです。自分の身体と心をさらして、独りぼっちで、画面の中に置き去りにされるわけです。だからものすごい不安と恐怖の中にいるので、役者は基本的に安定したいと思う。しかしね、安定した芝居は面白くないです。だから絶えず役者を不安定な状態においておくことが重要になってきます。
安定しだすと相手の芝居が変化しても自分の芝居が変わらなかったりする。芝居はアンサンブルですから、絶えずアクションに対するリアクションが必要です、自分が机上で考えてきたように相手が芝居するかは分からないわけですから、自分の考えてきた芝居だけに固執し安定を求めると芝居が生き生きしていきません。
僕は流動的なものを望みますから、現場、その場所のアンサンブルで生まれてきたものを大切にします。だから基本的にはワンテイクで終えることができれば、それに越したことはありません。

―30テイク以上になっちゃうと、役者さんも揺れますし、疲れるでしょうね。

あ、そうだと思いますよ。それね、小津安二郎監督『東京物語』(53)でも大坂志郎さんへの演出でそうしていたという話を聞いたことがあります。大坂さんはもう自分でも何やってるかわからなくなっていたのではないでしょうか。自分でもコントロールできないところにいる状態にわざと俳優を置いたのだと思います。
『アレノ』を観ていただいたならわかると思うんですけど、冒頭山田真歩さんの真冬の湖から引き上げられるシーンがあります。彼女は芝居をいっぱい考えてきたんだと思います。だけど、湖があまりにも寒くてもう体が言うこときかない。暖かいところで考えてきた芝居など一つもできない。でもそのときが一番面白かった、スリリングだったと、体に任せたのだと言ってくれたことがあります。
どんな映画でもエンターテイメントだと思うし、どうなっていくんだろうこれ?っていうサスペンス性みたいなものがメロドラマやラブストーリーにあってもいい。人の興味を引っ張っていくのであれば、フレームの中の芝居がどこに向かうかわからないのが、一番面白いわけです。そのためには僕がわかってちゃいけないんだよね(笑)。

―あぁやっとわかりました! 役者さんも自分もアンコントロールの状態に置くっていうのはそういうことだったんですね。

机上で考えたことは机上のものですよ、やっぱり。現場には風が吹いていて、雨が降って、土があって…寒かったり。そこで変わらなかったら嘘ですよ。僕ではない人間がそこにいるわけです。僕は自分を描くことには興味がない。

―監督さんは自分を投影したり、重ねたりするものだと思いましたが、越川監督は自分のことは使わないですか?

いや、使いますよ。なぜかといったら、人の、役者個人でも観ている人でもいいですけど、その個人的な記憶を引きずり出すために、僕も自分のことを使います。

―引きずり出す…

自分が率先して裸になっているようなものです。だから僕は自分の恥ずかしいことでも人を裸にするために使う。僕は森崎東さん(2013年『ペコロスの母に会いに行く』監督)と台本を作ったことがあるんです。森崎さんは、実話をすごく求めるんです。それをぼんぼん台本に取り入れる。『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985年)もそう。近藤(昭二/脚本)さんに話を聞くと。なんなんだろうなと思うんですけど、解釈を許さないような強さがそこにはあるんです。
ある程度個人的なものが出てきたとき、目にした僕たちは自分の経験にアクセスすることが多い。だから、僕は自分の話を使います。でも自分をやってほしいわけじゃないんです。個人的な体験を演劇として立ち上げていくということを、若い俳優たちとのワークショップでもよくやります。台本を使わずに、みんなに話をさせて、それを芝居として立ち上げていく。話の中から何を掴み出して、芝居を作っていったら演劇になるのか?それを若い役者たちとやるんです。『愛の小さな歴史~』の瀬戸かほさんともそれをワークショップで2年間やりました。

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―(話戻って)豊和(とわ=本名)くんは、島の子どもの中から選ばれたそうですが、全く演技経験がない彼をどう演出されたんですか?

豊和のことは何も心配していませんでした。豊和のいいところは、「物事を豊和の感じ方で考えたり、思ったりする」ところです。誰々がそう言ってるからとか、親たちがそう思っていたことがあるからとかではないんです。
豊和が覚えてきたセリフが出てこないときがある。それは豊和の責任じゃなくて、大人たちの責任だと思います。大人が子どもたちにチューニングを合わせていない。大人たちが勝手に「子どもたちはこう考えるだろう、こういうもんだろう」という考えで子どもを縛ろうとすると、子どもたちは止まります。これはこの映画のテーマとも通底しているんですけど、大人が豊和にチューニングを合わせることができたら、豊和はどこまでもできるんです。
具体的なことを言えば、助監督たちが子どもたちに「ああしてこうして、ここで止まって、ここでこうしなさい」と言ったら子どもたちは萎縮してどんどんできなくなります。そして大人の考えに合わせてあげようとする。すればするほどできなくなる、子どもの考えとは違うから動けなくなる。死んでしまうんです。
逆に「豊和、この石の上からすっげーカッコよく飛び降りてくれる?何度も」と言ったら、「わかりました!」って、やりますよ。それだけでいいんです。

―豊和くんの台詞は脚本にあるものですよね。それが自然に身体から出るまで待つ感じですか?

脚本にある台詞です。キャンプのシーンの撮影の後、豊和は号泣したらしいです。なぜなら「自分の思った演技ができなかった!」(笑)。お前どんなプロなんだよ(笑)。
豊和は考えている。子どもたちが考えてないなんて大人の思い上がりです。それはね、『楽隊のうさぎ』(14)のプロデューサーをしたときそう思いました。あの子たちは、いじめのことに関しても自分たちなりにいっぱい考えている。だから大人たちが「君はこう思ってる」と考えたら違うんですよ。そんなこと思ってない。大人が机上で考えた子どものイメージよりも、子どもたちに聞いたほうが面白い。子どもにチューニングを合わせたほうが面白い。

―豊和くんはとにかく、自分で咀嚼して「やる」んですね。

そう。「面白いね、豊和!カッコよかったね」「でしょ?」みたいな(笑)。

―豊和くん可愛いですよね。富士山みたいな口元も可愛い。

すごい可愛いです。で、変な動きするんです(笑)。

―劇団出身の子どもたちとは違いますね。

大人におもねろうとするから。子どもは大人の思い通りになんかならないですよ。うちの子どもみたいに。

―映画の豊和と豊和くん本人とは?

映画に描かれているのは「役」で豊和ではないので、彼が自分自身でいろいろ対話をして考えてくるんだと思います。それを僕の前でやってみせてくれるんです。
山田さんは上手かったですよ。豊和から台詞が出てくるように「いる」んです。だから豊和からも言葉が出てくるんですよ。チューニングの仕方があるんです。

―やっぱり7年一緒に暮らした感じが出ていましたね。

豊和とどう演技していくかと考えたことが、母親として豊和とどうやっていたかっていうのとちゃんとエコーしている。そういう芝居になっていたと思います。

―貫地谷さんのほうは同じ時間、穴があいたままでいて、それをなんとか折り合いをつけていくところまで、とても切なかったです。あの子ども部屋を覗くところとか、取り戻せないものがある。
その自分の部屋があるのに、豊和はまだお母さんたちと川の字で寝ているんですね。ずっと可愛がられてきた、っていうのがそこだけでもわかりました。


わりと、僕の経験を使っているんです。「ギューして」っていうところ、あれうちの子なんですよ。小学校3年の息子ですけど。そういうところがいっぱいあります。それをあまり解釈しないで画面の中に置いておく。解釈しすぎるとまた机上の空論におちていきますから。

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―母親の話、子育ての話でもあるし、貧困と孤独の話でもあるし、都会と地方の話でもあるし、いろんな観方ができますね。

子どもをめぐる映画は、不可避に様々な問題を含んでしまうと思います。僕自身が体験したことでもあります。東京で子育てをするのがどんなことなのか、実際やってみないとわからなかったです。
そんな一つ一つがこの映画にはいっぱい入っていますし、さっき言ったように子どもがいない人には関係ない映画にしちゃだめなんです。人が生きていくってことはそういうことだと思います。様々なことと対峙しながら生きていくわけですから。

―私は小3まで北の島で育ちました。舞台は南ですが、人情とか濃い関わりとか、子どもは周りから見てもらっているとか同じでした。

僕は浜松です。昔が良かったというわけではなく、共同体の中での生活ってやっぱりあったんですよ。僕は洋品店の長男ですが、町の人達がみんなで僕を育ててくれたような感覚があります。

―ロケ地ですが、鹿児島だから南端だと思ったら、長島はずいぶん上(北)にあって思ったより大きな島なんですね。

天草寄りなんです。実際の豊和の住む獅子島は長島の二つ先の島で、雲仙天草国立公園にちょっとひっかかっています。群島なので人の住んでいない小さな島もいっぱいあります。

―茜の家はなんだか人が住んでいなかったような感じがしました。豊和のおうちは生活感ありましたが。

あの映画の中では少ししか触れていませんが、やはり過疎なんです。出生率は高いですけど、島に高校がなくなって外に出なくてはいけない。Uターン、Iターンで戻ってくる人が多くても、人口は減っているそうです。それで空き家プロジェクトがあって、戻ってきた人に安く提供しています。あの家も、そんな家のひとつです。豊和の家も空き家だったのを掃除して飾っています。美術(岡村正樹)さんと、役者のお芝居の力がそう感じさせていると思います。

(残り時間お知らせ)

―わー、ちょっと辛い(笑)。では綺麗だった夕陽の撮影のことを。計画通りでしたか?

撮れて良かったと思いますよ。二週間なので、夕陽は14回です(笑)。そのうち3回撮らなくちゃいけないっていうの、スケジュールとしては結構しんどい。ずらしようがない。夕陽が出てよかった。
映画というものは、僕が撮りたいから、と言って撮れるものではないんと思います。そうやってきてちゃんと夕陽が出るっていうのは、この島のために何か僕たちができている、だから撮らせてもらえているのかなと思いました。

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―この作品は長島のプロジェクトから出たものですよね。とても貢献できたんじゃないですか。

そうだといいんですけど。僕はプロデューサーとして『海炭市叙景』(10)をやったんですが、そのときもプロジェクトがあって「越川さんこれやってくれない?」って函館から電話がかかってきたんです。『楽隊のうさぎ』もその『海炭市叙景』を観て、うちでもやりたいと僕の故郷である浜松市の人たちから声をかけてもらって作りました。彼らの思いをどう受け止めるのか、それにどうこたえていくのか、っていうのはすごく真摯に考えました。いつもそう考えてきました。

―ストーリーとロケーションがいいですし、ご当地だけでなく、どこででも通じる受け止められる映画だと思います。

函館でも「絵葉書のような函館が出てくる映画はいらない」と言われたんです。長島の人たちにも「いい映画を」と言ってもらいました。

―これは地元の方々に先に観ていただけるんですか?

製作委員会の人たちはもうDVDとかで観ていると思います。映画館のない町なので、10月26日に僕と貫地谷さんが鹿児島に行って、お披露目の上映があるんじゃないかな。

―エンドロールにたくさんの協力者のお名前がありました。

『海炭市叙景』もそうでしたが、あのクレジットの長さに「思いが可視化している」と思います。ハリウッド映画みたいに長い。

―豊和くんはどうしているんでしょう?

去年撮影して豊和は今5年生かな? ゲームやってると思います(笑)。初号試写に東京まで来てくれて、久しぶりに会いました。

―あのまんま大きくなってほしいですね。俳優になりたいとか言いませんか?

あのまんま大きくなってほしいですけどね。俳優はねえ、言わないんじゃなかなぁ。『楽隊のうさぎ』では、プロダクションに入った子はいました。でもね、彼らに俳優になってほしいわけじゃないんです。ただ、彼らの人生の中で「ものを作るということは大変だけど面白い」って残ってくれればと思います。彼らが辛い目に遭ったとき傍らに「映画や音楽や本や表現されたもの」があって、それが大事なものであってくれたらとも思っています。僕にとって芸術ってそういうものだったし、実際に芸術に救われましたから。彼らにとってもそうであったらいいな。

―めったに映画の内側には入れませんし、とってもいい経験だったはずです。

こういう映画は町の記録でもあるし。そのときの町の在り方を低予算の映画でも映しこんでしまえますから。こういう風に映画を撮って、権利を含めて地域がその映画を持っているというのはすごく大事なことだと思います。

―ほんとにそうですね。今日はありがとうございました。


=取材を終えて= 

2人の母親、貫地谷しほりさん、山田真帆さん、どちらも息子を失いたくない。豊和(とわ)くんがまた愛くるしいんです。両方の母親の気持ちもわかるし、どうするのが一番子どものためになるのか、ぐるぐる考えてしまいました。一男一女の父親でもある越川監督は、ずっと先を見据えた大人としての責任も観客に問いかけています。たくさんの方々に届きますように。
越川監督はプロデューサー歴が長く、50歳にして初めて監督をされたそうです。その始まりを伺いたかったのですが、長くなりそうとのことだったので、新作のお話を先に伺って後で戻ろうと思いました。が、演技やワークショップのお話など興味はつきず、時間はあっというまに過ぎて始まりには戻れませんでした。初監督作『アレノ』での越川監督と渋川清彦さんのインタビューをよそで見つけました。これはちょっとやそっとでは終わりません(笑)。
気の合う仲間と遊ぶのが好き(=仕事)とおっしゃる監督とキャスト、スタッフとの仲の良さ、現場の楽しさが想像できます。
(写真・まとめ:白石映子)

『ガリーボーイ』ゾーヤー・アクタル監督&リーマー・カーグティー(脚本)インタビュー

ラップで社会の不条理を吐露するスラムの青年の成長物語
自らの人生を切り開く女性たちの姿も見事に描いた!

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ゾーヤー・アクタル監督、リーマー・カーグティー
2019年9月6日 都内にて


10月18日からの公開を前に、ゾーヤー・アクタル監督と脚本を担当したリーマー・カーグティーさんが来日。9月5日の夜の新宿ピカデリーでのジャパンプレミアでは、上映後に二人が登壇。多くのインド映画ファンが二人を歓迎しました。

興奮のジャパンプレミアの翌日、N誌の男性ライターさんとの2誌合同取材の機会をいただきました。

『ガリーボーイ』
  原題:Gully Boy
監督:ゾーヤー・アクタル
脚本:リーマー・カーグティー
製作:ファルハーン・アクタル
出演:ランヴィール・シン、アーリアー・バット、シッダーント・チャトゥルヴェーディー、カルキ・ケクラン、ヴィジャイ・ラーズ、ヴィジャイ・ヴァルマー
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物語:ムンバイのスラムで暮らす青年が、インドの階級社会の現実に鬱屈しながらも、ラップと出会い、自身の思いを語り、スターを目指す。
作品紹介 →http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/470836702.html

2018年/インド/154分/カラー/シネスコ/5.1ch
日本語字幕:藤井 美佳/字幕監修:いとうせいこう
配給:ツイン
公式サイト:http://gullyboy.jp/
★2019年10月18日(金) より新宿ピカデリーほか全国ロードショー



◎インタビュー


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◆狂気の男ランヴィール・シンが普通の男を演じている!
N誌: 主役を演じたランヴィール・シンは、『ベーフィクレー 大胆不敵な二人』や『パドマーワト 女神の誕生』 いずれも悪役で、どちらも狂った男。今回どういう役柄の男を描くのか興味を持って拝見したら、普通の男を演じていて、逆にびっくりしました。ラップにめざめ、車を運転しながらラップを口ずさんでいる何者でもない人。サフィナを外から見ているところも普通の男でした。

監督:
ランヴィール・シンさんを以前に主役にキャスティングした時にも、普段より静かめな役でした。彼は最高の俳優だと思っています。なんでも出来る人という意味で、なんの躊躇もなくこの役も出来るという確信がありました。

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◆大女優アーリアー・バットに見合う役柄を描いた
N誌:男性が主役だけど、女性のドラマも印象的でした。家庭では父と母と愛人のもめごとが描かれているし、プロデューサーの彼女ともいざこざがある。アーリアー・バットが演じるサフィナは、何かあると真っ先に相談に乗ってくれるガールフレンド。マッチョだと思っていたインド映画で、ちょっとびっくりでした。しかも、ランヴィール・シンが主役だと思っていたら、アーリアー・バットと二人主役。お見合いの場面も、サフィナの視点から描いていました。女性がとても生き生きとしていて、両方が主役だと感じました。
女性の描き方のこだわりが面白かったのですが、その点について 聞かせてください。
(男性のライターさんが、このような質問をしてくださって、先を越された思い!)

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監督:ムラドの視点だけではなく、サフィナの場面ではサフィナの視点で描いています。ほかのキャラクターは基本はムラドの目線で描いています。サフィナの見合いのシーンは、ムラドを取り返すために仕組んだもの。ムラドが絡んでいるので、展開としてOKだという理解に加えて、アーリアー・バットは大スターですのでスクリーンタイムも与えてあげたい。娯楽的な面も演じてもらいたいと思い、こういうキャラクターにしました。


◆自身で人生を切り開いて行く女性たち

シネジャ: インドでは親の決めた相手と結婚するというのが当たり前という中で、サフィナがそれをうまく利用するというのも痛快でした。彼女は自分の人生を切り開いていくし、階級が下のムラドにも対等に接する人物なのも素敵でした。
プレス資料によれば、サフィナのキャラクターは、別の映画で考えていたのをこちらに持ってきたとのこと。アーリアーさんをイメージしてキャラクターを作っていった面もあるのでしょうか?

リーマン:
監督からガールフレンド役としてアーリアーさんにアプローチしてみようと言われました。元々、別に書いたものがあったのですが、映画がとん挫して、そのキャラクターがお蔵入りしかけていたので、引っ張り出してみたら、うまく『ガリーボーイ』にはまりました。アーリアーは力量のある女優。彼女を起用する以上、演じ甲斐のある役をやらせないといけないと思いました。サフィナは矛盾に満ち満ちた難しい役ですが、アーリアーさんであれば真実味を持って誠意をもってやってくれると確信していました。暴力や怒りも消化して愛すべきサフィナにしてくれると思っていました。

N誌:カルキ・ケクランがやるような役かなと思いました。今の話を聞いて、アーリアーでなければだめだったと思いました。

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シネジャ: カルキ・ケクランもフランス人なのに、しっかりインド社会に溶け込んでいて素晴らしい役者ですね。
サフィナとスカイの二人の女性が、自分で自分の人生を切り開いていて、とても素敵なキャラクターでした。
インド社会の中では、女性が自分の思うように生きるのは、なかなか難しいことだと思うのですが、最近は、このような女性たちも増えてきているのでしょうか? 監督やリーマンさんは、まさにその先端をいくような活躍をされていますね。

監督とリーマンさん、二人で顔を見合わせて「ありがとう」と、にっこり。

監督:サフィナやスカイのキャラクターには、自分たちのことも大いに反映させています。 女性の活躍の機会は確実に増えています。映画界でいえば、より女性を中心にしたストーリや配役が増えています。質の高いものが増えています。特にインディペンデント映画では、観客にも女性が増えて、すべての点で質もあがって、数も機会も増えています。


◆ラップは、自分たちの言語で
N誌:インドのラップの特色は?  

監督:ひとくちで言えないのですが、言えることは人気のある人たちのものはパーティ系、アンダーグランドでは、ムンバイではより個人的なことや、社会経済状況などを歌っています。

シネジャ:
 この映画の中でのラップは、英語ではなく、ヒンディーやウルドゥ―、それもムンバイのスラングで歌っているのですね?

監督:まさしくそうです。やはり、その方が自分たちの思いが語れるし、地元の人たちにもわかってもらえますので。

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シネジャ: 監督の母語は?

監督:母語といえるのはヒンディー語。母がパールスイー(7世紀、イランにイスラームが侵攻した折に、イランからインドに逃れたゾロアスター教徒の子孫)ですのでグジャラティー語はわかります。 リーマンはアッサム出身なので、私たちの間では英語で話していて、時々ヒンディーも混じります。

シネジャ: まさしく多言語のインドの状況ですね。

◆シッダーント・チャトゥルヴェーディーの魅力

シネジャ: ムラドをヒップホップの世界にいざなったシェール役のシッダーント・チャトゥルヴェーディーさんは、とてもインパクトがあったのですが、映画初出演だそうですね。今後も映画界で活躍されそうでしょうか?
(注:シッダーント・チャトゥルヴェーディーさんは、演劇活動と公認会計士を両立させていた人物。その後、俳優の道に進み、連続ドラマに出演。本作でゾーヤ監督に見出され、映画初出演を果たす)
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監督: すごく優秀なものを持っていると思って起用しました。役を選べば将来は明るいと思います。

シネジャ:監督ご自身、今後も彼を起用されますか?

監督:
もちろん! 彼に適したいい役があったら是非起用したいと思っています。


あっという間に時間が経ってしまい、写真を撮りながら、「映画の中で歌うならガザルにしなさいと、おばあさんが言っていましたが、実は私もラップは苦手でガザルの方が好きです。でも、『ガリーボーイ』は、嫌いなラップも気にならず、とても楽しく拝見しました」とお伝えしたら、「ぜひ、ラップを毛嫌いしている人にも薦めてくださいね」と言われました。

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ゾーヤ監督、この日はミニスカートでした!


☆二人のプロフィール (公式サイトより)

ゾーヤー・アクタル

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1972年10月14日ムンバイ生まれ。父は有名な詩人、作詞家で、『炎(Sholay)』(75)等ヒット作の脚本家としても知られるジャーヴェード・アクタル。母は脚本家のハニー・イーラーニーだが、両親は1985年に離婚、父はその後大物女優シャバーナー・アーズミーと再婚した。弟は、監督、俳優、プロデューサーとして活躍する、『ミルカ』(13)の主演俳優ファルハーン・アクタル。
インドの大学を卒業後、ニューヨーク大の映画学校で映画製作を学び、1998年『Bombay Boys』(未)の助監督として映画界入り。その後、弟ファルハーンの方が先に『Dil Chahta Hai』(01・未)で監督デビューしたため、この作品や、次作『Lakshya』(04・未)で助監督を務めた。2009年『チャンスをつかめ!』で監督デビュー。続く『人生は一度だけ』(11)がヒットし、舞台となったスペインにインド人観光客が押し寄せる現象が起きたことから、その手腕が評価される。以後、アヌラーグ・カシャプ、カラン・ジョーハル、ディバーカル・バネルジーという個性的な大物監督たちと組んで、2本のオムニバス作品、『ボンベイ・トーキーズ』(13)と『慕情のアンソロジー』(18)を発表。その合間には、豪華スター競演の『Dil Dhadakne Do』(15・未)をヒットさせた。2019年に米アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーより新規会員の招待を受けた。


リーマー・カーグティー
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アッサム州ゴウハティ出身。アーシュトーシュ・ゴーワリカル監督作『ラガーン(Lagaan)』(01)やファルハーン・アクタル監督作『Dil Chahta Hai』(01・未)等の助監督を経て、2007年『Honeymoon Travels Pvt. Ltd.』(未)で監督デビュー。この作品をエクセル・エンターテインメントが手がけたことから、製作に加わっていたゾーヤー・アクタルと知り合い、以後、お互いの監督作で脚本を提供し合ったり、共同脚本を執筆したりと、協力関係が続く。このほか『Talaash : The Answer Lies Within』(12・未)と『Gold』(18・未)の2本を監督しているが、いずれも女性監督とは思えない骨太な作風で注目された。




『向こうの家』西川達郎監督インタビュー

この映画を見て「救われた」と思ってくれる人がいたらすごくうれしい

ええじゃないかとよはし映画祭2019グランプリ受賞、第19回TAMA NEW WAVEベスト男優賞受賞など、日本各地の映画祭を席巻し、好評を博した『向こうの家』がいよいよ劇場公開される。
本作は一見仲睦まじく見えて、やや壊れかけた家族と、父親の愛人を巡る物語を少年の視点で描いた。
メガホンをとったのは、期待の新鋭監督、西川達郎。東京藝術大学大学院で黒沢清監督、諏訪敦彦監督に師事し、本作が初長編作となる。公開を前に、作品に対する思いを西川監督に聞いた。

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―「向こうの家」というタイトルは絶妙ですね。「向こう」という言葉に艶めかしさを感じます。監督の発案でしょうか。

脚本家と2人でタイトルを考えていたときに、「向こうの家」というタイトルが出て来ました。他の案も考えてはみましたが、「これ以外はもうないよね」という感じで決まりました。

―本作の着想はどこから得たのでしょうか。

ずっと「男の子の成長を描きたい」と思っていました。ただ、当時の僕自身は大きな壁にぶつかりながら挑戦して成長していくような機会のない、どちらかと言えば中途半端な時間を過ごした高校生でした。 それでも、そのころになると、子どもには言えないような話をちらほら大人から聞かせてもらうようになったり、 今まで見なかったような大人達の姿を見るようになってきました。
その事は、“そういう話をしてもいい年齢になったと認めてもらえた”、“今までの子どもというステージから違うステージに上げてもらいつつある”という事のような気がして、当時の自分にとってはうれしいというか、とても楽しかったのです。これって、人間が成長していくときの一つの段階なのではないかと思いました。
では、子供から見えづらいものって何だろうと考えた時に、特に大人の恋愛のようなものは子供からは見えない部分で、瞳子さんのような立場で年上の女性は高校生からすると遠い存在なので、そういった存在と交流を持つ少年を描く事で、ある種の成長を描けるのではないかと思ったのが、この作品の着想になりました。

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―本作のお母さんは「よく話し、よく理解する」ということを大事にしていました。監督の育った環境が反映されているのでしょうか。

僕の家は転勤族で、引っ越しをして知らない土地に行く事があったからでしょうか、家族同士の結びつきがとても強い。家族をとても信頼しているところがあります。
僕の母親は作品に出てくる母親のようなタイプではありませんが、物事をちゃんとしようとする真面目な人ではあります。それを投影しているとは思います。
作品の母親は悪者ではありません。彼女の中で母親として大事だと思っていることをやっているだけ。ただ、それが強すぎたのです。母親を悪く描かないよう、脚本家に伝えました。

―主人公の萩には監督ご自身が投影されているのでしょうか。

僕は高校に入ってハンドボールを始めましたが、半年くらいで辞めてしまい、それ以降はぶらぶらしていました。もやもやを抱えていて、将来、映画を撮りたいとは思っていましたが何から始めたらいいのかが分からない。当時の自分のそういう感じは萩に投影しているなと思います。

―萩を演じたのは望月歩さんです。飄々とした感じが萩に合っていたように思います。望月さんをキャスティングした経緯と決め手をお聞かせください。

萩役を探していたときに望月くんの事務所さんから彼を推薦していただきました。彼のキャリアは知っていましたが、実際に会ったら、あまりしゃべらない人見知りな子だなと思いました。でもどこかマイペースな様にも見えて、そういう自然体な雰囲気が魅力的で萩役にぴったりだなと思いました。

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―望月さんが『ソロモンの偽証 前篇・事件』『ソロモンの偽証 後篇・裁判』の頃よりもぐっと背が高くなっていてびっくりしました。

大きくてびっくりしましたね。

―痩せているから、余計にひょろひょろっと見えますね。

そこがいいですよね。芝居は身体の使い方も大事です。手足が長くて、どこか持て余している感じがいかにもあの年頃の自分を持て余している、不安定な感じを醸し出していました

―萩の役作りは望月さんと一緒にされたのでしょうか。

最初の本読みのときにもうかなり出来ていると思いました。作ってきたわけではないと思いますが、役を受け入れるのが早くてすっかり順応していました。天才だと思いました。

―監督から望月くんに何か事前に伝えましたか。

彼は父親と母親に挟まれているという役です。どっちの肩を持つでもないということは意識してほしい。そして、その状況に巻き込まれつつ、ちょっと上から見ている視点で自ら判断をしようとしていることを常に意識して、瞳子さんにも流されないでほしいと伝えました。望月くんはすぐに理解してくれましたね。
それと、魚をさばくシーンがあったので、それを練習しておいてくれと頼みました。

―魚をさばくシーンは手元だけ映っていましたが、望月さん本人が演じていたのですね。

ちゃんと彼が演じています。

―萩は自転車に乗れませんでした。あの設定にはどのような意味があるのでしょうか。

高校生の頃、遠出をするときは電車ではなく自転車で行っていた僕にとって自転車に乗れる=遠くに行けること。つまり、自転車に乗れないとどこにも行けない。自転車で行ける距離が行動範囲です。自転車に乗れることで行動範囲が広がり少し大人になるというイメージで、目に見える形での成長として物語に加えました。

―萩という名前について、父親の不倫相手の向井瞳子が「あの人が付けそうな名前」と言っていました。萩という名前にどのような意味を持たせたのでしょうか。

主人公の名前はもともと英治でした。それを萩に変更しました。
父親は植物が好きだけれど、母親は好きではない。それでも息子に萩、娘に芽衣という植物に関係する名前を付け、瞳子さんには植物の本を渡す。少年の名前が萩であると聞いたときに、父親(芳郎)が植物を好きなことを知っていた瞳子さんは「芳郎さんが付けそうな名前」と思ったのです。

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―その瞳子を演じたのは大谷麻衣さんです。瞳子は魅力的ながら影があります。大谷さんをキャスティングした経緯と決め手をお聞かせください。

瞳子役はある意味、理想像に近い完璧な女性。すべてを求められているので、演じる人によってがらっと雰囲気が変わると思います。
今回、キャストはオファーか、逆オファーだったのですが、瞳子役を探していたときに、脚本家を通じてお会いしました。
大谷さんが以前、出演した映像作品を見たことがありましたが、会ってみると、もちろん内面と性格は瞳子と違うのですが、所作はイメージそのまま。上品でしっかりしていて芯がある。しかも、それだけじゃない弱さも見せてくれる。瞳子の役にしっかりはまった上で、僕の想像を超えた瞳子をやってくれそうだと思いお願いしました。

―不倫は倫理的に許せませんが、瞳子は嫌いになれません。

大谷さんとは「いかに瞳子が嫌われないようにするか」について、何度も話し合いました。完璧に近いけれど、完璧すぎると人は避けたくなるので嫌われてしまう。
そこで、先ほど話が出ましたが、萩は魚をさばけるけれど、瞳子はできない。そういった、何かちょっと弱点のような部分を見せて、いかにして嫌われないように瞳子を演出するかを考えていました。

―瞳子は魚をさばけないものの、作ったお料理はとても美味しそうでした。

僕の弟が料理人をやっているので、「最高に美味い魚の料理を作ってくれ」と頼みました。見た目だけでなく、本当に美味しい料理です。撮影終了後にスタッフみんなで食べたのですが、あっという間になくなって、僕は一口も食べられませんでした。

―瞳子が住んでいる、高台にある家ですが、古いけれど手入れが行き届いた感じで素敵でした。

あの家はこの作品のプロデュースを担当した藝大の同期が知っていたのです。家を探しているときに、「ちょうどいい家がある」と連れて行ってくれました。見た瞬間、一目惚れしましたね。「絶対、ここにしよう」と決めました。
空き家ではなく、民泊をしているところなのですが、家具などを自分たちで入れて部屋の内装を全て作りました。畳の部屋に洋風の玄関。和洋折衷の建物で、不思議な構造が面白い。庭には何もなかったので、みんなで美術を運んで、花壇などを作ったのですが、あの石段を重い荷物を持って上がるのは大変でした。

―庭を作り込むのは手間がかかったのではありませんか。

手間はかかりました。しかし、この作品において、あの家は主役。いかに魅力的に撮るかがすごく大事だったので、「住みたくなる家にしてほしい」と美術部に伝えました。いろんな理想に答えてくれてすごくいい家に仕上がったと思います。

―撮影は順調に進みましたか。

瞳子の家でお父さんと瞳子が酔っ払うシーンを撮影しているとき、雨で漏電して照明を十分に焚けなくなりました。建物が古いので電気系統が弱かったのです。とりあえず1灯だけは焚けたので、それを使って工夫して撮りました。
そのほかには虫がかなり出ました。僕は毎日のように蛇を見ましたが、あのロケーションならではの大変さでしたね。

―お父さんが瞳子の家に萩を迎えに来たとき、雨が降っていましたが、本当に降っていたのですね。

家を撮るにあたって、景色にいろいろな表情がほしかったので、どこかで雨が降ってほしいと思っていました。ちょうどいいタイミングで降ってくれて、あのシーンはよかったのですが、降り過ぎた結果、漏電してしまったのです。
スケジュール的に余裕がなかったので、本当にいろんなバタバタがありました。しかし、作品を見た人から「すごく丁寧に作られていて、映画の中に混乱が映っていない。伸び伸びと撮ったんだね」と言われることが多い。関わったみんながプロ意識を持って撮ったことが現れているのだと思います。その事がこの作品の組の誇りでもありますね。

―でんでんさんの存在が萩を伸び伸びさせつつ、作品を引き締めますね。

でんでんさんのお芝居にはとても説得力があり、あの空間、あの町にでんでんさんが暮らすことで、作品の世界観にリアリティを与えてくれます。
でんでんさんは僕が1言えば10でも20でも返してくれる。一緒にやらせていただいてとても楽しかったです。素晴らしかったです。

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―今回の作品を通じてご自身の中で得たものはありますか。

でんでんさんは楽しみながら現場を過ごされていました。船に乗るシーンには船を動かしてくれる人たちも乗っていたのですが、現場のスタッフはそういう人たちをもてなす時間も余裕もない。しかし、でんでんさんはそういう方たちに話しかけて、現場を楽しくしようと心がけられていました。常に冗談を言ってくれていましたね。そういった心持ちが長くやっていく上での秘訣なのかなと強く感じ、この仕事は楽しむことも大事と学びました。

―次回作について、考えていますか。

次もまた家族の話をやろうと企画しています。大人の軽度発達障害の人が出てくる話になると思います。来年に撮影ができればと思います。

―これから作品をご覧になる方にひとことお願いします。

楽しんで見てほしい映画です。伸び伸びした話ですし、みんなに愛される映画になったと思います。
しかし、ただ大勢の人に向けて作っているかと聞かれるとそうではありません。どこか特定の些細だけども切実なものを抱えている人達、それはもしかしたら過去の自分自身かもしれませんが、そういう人に向けて撮っている部分があります。だから、この映画を見て「救われた」と思ってくれる人がいたらすごくうれしいですね。この映画の好きなところを映画館に見つけに来てくれたらいいなと思います。
(取材・撮影:堀木三紀)

『向こうの家』

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<あらすじ>
自分の家庭は幸せだ、と思っていた高校二年生の森田萩(望月歩)。しかし父親の芳郎(生津徹)にはもう一つの家があった。「萩に手伝ってもらわなきゃいけないことがある」芳郎の頼みで、萩は父親が不倫相手の向井瞳子(大谷麻衣)と別れるのを手伝うことに。自分の家と瞳子さんの家、二つの家を行き来するようになった萩は段々と大人の事情に気づいていく。

監督・原案:西川達郎
脚本:川原杏奈
撮影:袮津尚輝
照明:小海祈
美術:古屋ひなこ
音楽:大橋征人
出演:望月歩、大谷麻衣、生津徹、でんでん、南久松真奈、円井わん、植田まひる、小日向星一
2018年/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/DCP/82 分
©︎ mukonoie.com All rights reserved.
公式サイト:https://mukonoie.com/
★2019年10 月 5 日(土)より 渋谷シアター・イメージフォーラムほかロードショー

『バオバオ フツウの家族』蔭山征彦さんインタビュー

9月28日(土)新宿K’s cinema にて公開

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取材・文:稲見公仁子

多様性が謳われ、同性婚やパートナーシップを認めるか否かといった問題がメディアを賑わせる昨今。しかし、同性婚が法的に認められたとしても、どうしても超えられない壁がある。そこにスポットを当てた台湾映画『バオバオ フツウの家族』がこの9月に公開される。自分たちの子を持つことを欲した同性愛者たちの物語を通して、多様性の時代の家族のスタイルを問う一作だ。
本作の主演俳優のひとりである蔭山征彦さんは、台湾を拠点に15年余りのキャリアを持つ俳優。最近では脚本家としてその処女作『あなたを、想う。』がシルヴィア・チャン監督によって映画化され、それが高く評価されるなど、活動のフィールドを広げつつある。『バオバオ フツウの家族』の公開を前に一時帰国した蔭山さんに、本作のこと、台湾映画界のこと、自らの今後、そして日本への想いを伺った。

蔭山征彥(カゲヤマ・ユキヒコ)
日本生まれ。2004年ドラマ「寒夜續曲」で台湾デビュー、2005年の初映画『時の流れの中で(經過)』(東京国際映画祭で上映)で準主役、2008年の大ヒット作『海角七号 君想う国境の南』では物語のキーとなる7通の手紙の朗読を担当。東日本大震災を題材にした『父の子守歌(手機裡的眼淚)』(2012年)では台湾の病院に勤務する日本人研修医役で主演を務める。そのほか『KANO 1931~海の向こうの甲子園』では、俳優と演技指導なども兼務。また、 2015年自らの脚本『あなたを、想う。』(東京フィルメックスでは『念念』の原題で上映)が張艾嘉(シルヴィア・チャン)の目にとまり、脚本家デビュー、香港電影評論学会の脚本賞を共同脚本のシルヴィアとともに受賞した。

『バオバオ フツウの家族』
原題:我的卵男日記
監督:謝光誠(シエ・グアンチェン)
脚本:鄧依涵(デン・イーハン)
出演:雷艾美(エミー・レイズ)、柯奐如(クー・ファンルー)、蔭山征彦、蔡力允(ツァイ・リーユン)、楊子儀(ヤン・ズーイ)
2018年/台湾/97分
配給:オンリー・ハーツ/GOLD FINGER

*ストーリー*
ロンドンに暮らすレズビアンのカップル・ジョアンとシンディ、その友人であるゲイのカップル・チャールズとティムは、ジョアンの子宮を借りてそれぞれに子を持つことを計画する。体外受精で双子を身ごもったシンディだったが、思わぬアクシデントが待ち受けていた。

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©Darren Culture & Creativity Co.,Ltd.
蔭山征彦さんインタビュー

☆やりやすかったロンドン・ロケ

――まず『バオバオ フツウの家族』の出演に至った経緯からお聞かせください。
蔭山 『父の子守歌』のカメラマン(林文義)が『バオバオ』のプロデューサーなんです。クランクインの半年前2016年の年末くらいに「こういう作品があるのだけどちょっと脚本を見てくれないか」っていう話があって、たぶん出演者のなかで僕がいちばん最初に脚本を見ています。初めは台湾人の設定で、もし僕がやるのだったら設定を日台ハーフに切り替える、そういうオファーがありました。彼が「ファインダー越しにあなたの演技を見ていて、いつか一緒にやってみたいと思っていた」と言ってくれて。脚本を読んで、ほぼほぼすぐ、2月ぐらいには出ると決めていました。

――イギリスが舞台ですね。そこにはどんな意味があったのでしょうか?
蔭山 謝光誠監督がロンドンに留学していたからですね。ロンドンの芸術大学の映像学部にいらした。いつか自分が青春時代を過ごしたイギリスという場所でやってみたいってずっと思っていたようです。だから、カメラマンも留学時代の同級生ですし。そういう意味では知り合いがいろいろいて有利に働いたなと思います。

――今年2019年になって台湾では同性婚が合法化されましたが、イギリスなど欧州にはその分野の先進国がいくつもあります。そのことも関係していたのでしょうか?
蔭山 僕が聞いている限りでは、確かにロンドンは、外で(男同士で)軽くキスをしてというシーンを撮っていても誰も何も見ないです。まったくロンドンの人たちにとっては、そういうことはどうでもいい当たり前のことで、だから、かっこいい男ふたりが手をつないで歩いているとかそこら中で、潜在的に人数としてはかなりいるのだろうなと感じました。そういう意味で芝居はすごくやりやすかったし、ロケで恥ずかしいとかそういうのはありませんでした。でも、ロンドンだったのは、(同性愛に対する意識が)進んでいるからというよりは、監督のロンドンへの思いがあったということじゃないかなと思っています。

――同性愛者の方が実際に子供を持つというのは難しい問題があります。出演にあたってリサーチされたなかで、その点についてはどう感じられましたか?
蔭山 制作時はまだ(台湾で同性婚が)法制化されていない2017年で、(でも、立法院で)議題に上がってはいたと思います。子供を持ちたいかどうかっていうことに関しては、僕が聞いたなかでは、絶対に子供を持ちたいって言う同性愛者の人はそんなにはいませんでした。肉体的に同性だからできないわけじゃないですか。そこに重きを置いている人があまりいない。それよりも、法制化され夫婦として認められることによって、今までできなかったことができる、そちらのほうが同性愛者の方たちにとって意味のあることだろうなと思いました。

――そうすると、いろんな人たちがいるなかでも、こういったカップルの話は全体を代表するということではないですね。
蔭山 こういうことってお金がなきゃできないじゃないですか、やっぱり。同性愛者の方みんなが大金を持っているわけじゃないのですよね。それに、法律的にそれが子供と認められるかというのは、また別問題じゃないですか。だから、僕は、これから同性愛者の人たちと異性愛者の人たちが――何かを決めていく政府の人たちもほとんどが異性愛者ですよね――そういう人たちが一緒になってこういう問題を社会としてどう受け入れていくかっていうことなのかなと思うんですよ。

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☆ 俳優から脚本家、そして目指すところは

――蔭山さんは脚本家としても、いまとても期待されていると思います。自分が書いたものを監督もしてみたい気持ちがあるそうですが、実際に何か撮ったりしてらっしゃるのですか?
蔭山 商業的なものはないです。ただ監督としていつかやってみたいという思いがあるので、一眼レフカメラで動画を撮って編集して色もいじって……ということを練習しています。画角とかカット割りという概念をもっと強く持つようにしていかなきゃいけないと思ったので。いきなり長編ということになれば共同監督の可能性もあるし、正直なかなか難しいですよ。いまちょうど書き終わったのがあって、それをある中国の会社が買いたいと言ってきて、売るには至らなかったのですけど、監督もやっていきたいという思いを相手には伝えています。ただその脚本はちょっと規模が大きくて、CGもかなり入るのかなというものなので、予算の大きなものをいきなり僕にやらせるのは、投資家からしてみたら厳しいのかなと、それも理解できます。

――いつか撮れるといいですね。
蔭山 売るには至らなかったですけど、そこそこ有名な会社なので、買いたいと言ってくれたことはすごく自信になりました。悪くないんだなって思えたし、もうちょっと煮詰めながら大切に育てていきたいと思います。

――ずいぶん昔から書くことはされていたのですよね。
蔭山 2007年です。『海角七号~君想う、国境の南』に携わる前からですね。

――台湾って監督が脚本を兼ねることが多くて、『バオバオ』は監督と脚本が違う人ですけど、それがいいのか悪いのかって思うことがあって……
蔭山 どっちとも言えないですよね。よく言われているのが、やっぱり「脚本家が育たない」。育てなきゃいけないんだけど、でも、監督も脚本ができると監督になれるのが早い、映画化が早い。そういう変な悪循環があって脚本家が育てられない。それがエンドレスで続いているみたいで、日本の脚本家が置かれてる環境、待遇にはまだ至っていない気がしますね。

――脚本家志望の人が少ないんですかね?
蔭山 もしかしたらそうです。僕は『あなたを、想う。』(『念念』)で変に賞をいただいちゃったので、そんなにキャリアもないのに他人の脚本を見てくれないか頼まれることがけっこうあるんですよ。大丈夫なのかなっていうのがいっぱいありますよ。けど、そういう脚本の映像化はされていないから、トップにいて判断する人は、ちゃんと判断できるんですよ。やっぱり脚本家の待遇が悪いからあまりなりたがらない。そういうところから改善していかないとよくならないんじゃないかなと思います。

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☆ 台湾から日本を想う

――蔭山さんは長年台湾で活動されているけど、先日のイベント(※後述コラム参照)で「日本への思い」を語っていらしたことが印象に残りました。長く日本の外にいらしたなかで、そういう思いが強くなっていったのかなって。
蔭山 究極のところ言っちゃうと、国会中継とかYouTubeで見るようになりました。どこか特定の党を支持しているというわけでは決してないけど、日本のこれからをすごく意識するようになっていますね。

――それは、蔭山さんがそうなのか、ほかの人も含めて台湾に暮らして久しい日本人のなかでそういうものがあるのか……
蔭山 僕が特別なような気がします。やっぱり世界を見ても、これだけ統制がとれて美しいものを残している国ってあまりないと思うんですよ。やっぱり海外にいるからこそ、より日本が美しく見えるというところもあるし、日本にもっとよくなってほしい。だから、暇なときに思わず国会中継を見ちゃう。こんなヤツが議員で大丈夫?みたいな人もいるじゃないですか。かと思えば、立派なことをやっている人もいるし。ここ数年、そういうのをすごく意識するようになりました。

――誤解のないように確認しますが、それは日本と他国との比較ということではないですね?
蔭山 台湾との比較というよりも、日本が今まで歩んできた道のなかで感じることです。僕は、台湾で居場所を見つけて、台湾にチャンスをもらった人間ですから、日台ということに関して自分ができるフィールドで何か貢献していきたいなと常に思います。そういう意味で日本の美しいところを中華圏の人にもっと知ってもらいたいし、インバウンドという点でも海外の、あまり知られていない都市の人たちにも日本に来てほしいんですよ。そういう相談も実際にあります。

☆ 昨今の台湾映画界は

――最近、台湾映画界に関して、なかにいて感じるものはどうですか?
蔭山 台湾映画界を代表して言うのは、なかなか難しいんですけど(笑)、まあ、あの、動員数がかなり下がっています。

――一時すごかったですもんね。
蔭山 今年はかなり低いので(※)、いい悪いは置いといて、ヒットしたものがホラーだったりします。動員数が下がると製作費も下がるんですよ。でも、いったん上がってしまったスタッフや俳優のギャラは下がらないんです。だから、これから台湾の映像業界が向かい合わなきゃいけないジレンマっていうのはそこにある気がしますね。もちろん売れるものをすべての人が目指すわけじゃないと思うから、アート系の作品がなくなるわけでもないし、だけど映画って興行じゃないですか。そことのバランスがやっぱり難しい。撮っている本数も一時期よりはかなり減っていると思います。撮ったけど公開できないでいる映画もけっこうあるみたいです。正直言ってあまりいい状態じゃないだろうなっていうのはありますね。
※ 2019年は、8月時点で1億元超えの台湾映画は一本もない。5000万元前後の作品が2本ある程度で1000万元超えまでラインを下げても6本。

――ところで、俳優としてのご予定は?
蔭山 今年は脚本を一生懸命やりたいと思います。客家電視台のドラマ(※)が放送されたところですが、それは1月末くらいまで撮影でした。自分が今後目指していくのは、俳優だけじゃないし、俳優がゴールじゃないなってずっと思っていました。いずれ監督をやるとして、今優先すべきことを考えたときに脚本をもっと強化していかなきゃいけない気がしています。だから、よっぽど何かオファーがない限りは俳優はやらないですね。

――脚本、未来の監督として頑張ってください。
蔭山 頑張ります。
※ 「日據時代的十種生存法則」2019年4月に客家語放送をメインとする客家テレビで放送された。“台湾新文学の父”と言われる頼和の小説5編を原作とする全12回の連続ドラマ。YouTubeの客家テレビ公式チャンネルでも配信されている。蔭山さんは客家の村に赴任している日本人警官役。

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【コラム】
 今回の取材に先立つ5月25日、蔭山さんは脚本を担当した『あなたを、想う。』(『念念』)の上映&トークイベント(主催:台北駐日経済文化代表処台湾文化センター、アジアンパラダイス)に登壇した。この映画は、じつはこの上映会の時点では日本での一般公開が決まっておらず、原題の「念念」としての上映会だった。生き別れになった兄妹と妹の恋人それぞれの視点で、思慕の念を見つめた珠玉作だ。映画化のきっかけは、蔭山さんが書き溜めた短編の脚本を知人に見せたことで、この脚本がまわりまわってシルヴィア・チャンのもとに届き「すごくいいから、私が撮るわ」という話になったとか。金馬奨の主席を務めた大御所にそう言われ、すごく嬉しかったとのこと。映画化にあたっては、3本の短編を1本にまとめ、当初、函館をイメージして書かれた舞台は台湾・緑島に変更された。また、ふつう脚本家はそんなに撮影現場には行かないものだが、蔭山さんはめったにないチャンスと思い、ほぼ全日と言っていいほど現場に通い、シルヴィアの演出を間近で見つめていたそうだ。
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 また『バオバオ フツウの家族』については、「主演作が日本で正式に上映されるのは初めてなので嬉しい」と。共演のクー・ファンルーはキャリアも長く、アドリブでのやりとりも考えるだけで楽しかった、いい化学反応が起きているはずとも。ロンドンでの撮影期間は、戸建てを宿舎として借り、俳優陣で共同生活をしたのでチームワークはばっちり。今も当時のキャストで会食することがあると語った。Q&Aのコーナーでは、長年台湾で活動していることに関連して台湾への思慕についての質問があったが「海外にいて、長年故郷を離れてやっていると、(日本にいる)家族には特別な思いはある。作品を通して親孝行したい」と語っていた。
 なお、『あなたを、想う』は、11月2日(土)よりユーロスペース・横浜シネマリンほか全国順次公開。