『白日青春-生きてこそ-』 アンソニー・ウォン(黄秋生) インタビュー

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香港の名優アンソニー・ウォン(黄秋生) 久しぶりの出演作『白日青春-生きてこそ-』。
70年代に本土から香港に密入国したバクヤッ(白日)と、パキスタン難民の両親のもとに生まれた少年ハッサン(中国名:莫青春)の物語。監督は、マレーシア出身で、18歳の時に香港に来て以来、約10年、香港を拠点に活動しているラウ・コックルイ(劉國瑞)。

1月26日よりの公開を盛り上げるため、アンソニー・ウォンが5年ぶりに来日。 初日には新宿武蔵野館で舞台挨拶に立たれましたが、前日にインタビューの時間をいただくことができました。
取材: 宮崎暁美(M:写真)、景山咲子(K:文)


◎アンソニー・ウォン(黄秋生) インタビュー

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K:アンソニー・ウォンさんにお目にかかるのは、2009年2月3日(火)の『PLASTIC CITY プラスティック・シティ』記者会見以来のことで、ずいぶん前のことになります。   

黄秋生:あ~ ほんとだいぶ昔ですね。

K:『八仙飯店之人肉饅頭』以来、アンソニーさんの迫真の演技にいつも感銘を受けています。特に、『淪落の人』は、あの年に観た映画のベストでした。

黄秋生:ありがとうございます。

◆演技を忘れてしまいそうで出演を引き受けた!
K:『淪落の人』は、フィリピンのメイドさんとの物語でしたが、『白日青春-生きてこそ-』(以下『白日青春』)は、パキスタンの家族との物語で、私にはとても身近で嬉しい映画でした。イスラーム文化が好きで、香港に行くと必ず、ミッドレベルの古いモスクに行きます。 ヒルサイドエスカレーターが出来る前から行ってました。 モスクのそばにパキスタンの人たちが住んでいて、行くと、ミルクティーをご馳走してもらってました。イスラームの人たちは、ほんとに心優しいです。 これまで、香港映画でパキスタンの家族が出てくるものは少なかったので、『白日青春』には、とても興味を持ちました。 この映画はどうして引き受けられたのでしょう?

黄秋生:なぜ引き受けたか・・・ですが、実は、暇で暇で、やることがなかったのです。そんな時にたまたまオファーしてくれたのが、よく知ってる信頼できる映画会社で、映画に出ないと演技を忘れてしまいそうなので、どんなテーマの映画でもいいから出演しないといけないと。それで引き受けたのです。

M:プロデューサーの一人、ピーター・ヤムさんとは、2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で『乱世備忘 ― 僕らの雨傘運動』の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督にインタビューした折に同席されていて、お会いしました。 
3人のプロデューサーがいますが、それぞれ役割分担があったのでしょうか?


黄秋生:ピーターとは、この映画の製作にあたっていろいろ連絡を取っていましたが、あとの二人の方はよく知りません。配給会社の方かもしれないですね。

◆詩からつけた主役二人の名前「白日」と「青春」に、あらためて感心!
M:タイトルの『白日青春』ですが、清の詩人・袁枚(えんばい)の「苔」という詩の一節で、映画の中では小学校の授業で教えていましたが、香港の授業でも教えるくらいの中華圏では有名な詩なのですか?

白日不到処
青春恰自来
苔花如米小
也学牡丹開

日の当たらないところにも
生命力あふれる春は訪れる
米粒のように小さな苔の花も
高貴な牡丹を学んで咲く


黄秋生:どうでしょうか・・・

M:主役二人の名前をこの詩からとっていますし、皆が知っている詩なのかなと。

黄秋生:監督はマレーシアの華人で、この詩は監督の好みだと思います。
実は、今回、取材を受けるまでこの詩のことは気にしませんでした。取材で聞かれて、詩の内容のことも知って、名前にもそういう意味があったのかと初めて勉強になりました(笑)。

K:アンソニーさんも詩を書かれると聞きました。

黄秋生:ここに(書いた詩が)たくさんありますよ。(と、机の上に置いてある巾着を指されました。中にある携帯に入っているのでしょうか・・・)
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K:ご自身も詩を書く立場として、この詩は好きですか?

黄秋生:(ポスターに書いてある詩をしげしげと眺めながら) 先ほどのインタビューの方も、この詩が好きだとおっしゃってました。 なんとなく、この詩は日本的だなと思います。日本の美学でしょうか。細かいことをいわずシンプルなところ。この詩もそんな感じがします。日本の繊細さはいいのですが、中国の文化の中では、ひねくれた繊細さがあることがあります。この詩はそこまでは至ってないと思います。 詠んでいて、とても清らかで、雅まではいかないけれど、平凡ではない。言い方が悪いかもしれませんが、こんな素敵な歌と、映画の内容が合わないように思います。この詩は、「生きてこそ」というより、生命力や美しさを表していると感じます。
主役の二人の名前の付け方は見事だと思います。 白日と青春の由来を知らないと映画が何を語っているのかわからない。でも、詩の内容と違って俗っぽい世の中。思うには、純粋に監督の個人的な趣味です。いつもこの監督は、映画の中に個人的な好みを入れたがるんです。

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PETRA Films Pte Ltd (C)2022

◆若い監督に物語をより深めるアイディアを提供
K: 今回の役は、がんこで、ちょっと嫌な老人の役でした。 監督からは、どのような要求があったのでしょうか?

黄秋生:監督がいうには、この老人はダメな奴ではないんです。同じ人物や出来事に対しても、監督と私の見方は時々違うんです。 例えば、監督は、この人物をみるときに、息子とうまくいかなくて、相手にしない。でも、それは表面的なことなのですよね。息子がどうしてそういう態度をとるのかというシチュエーションを考えないといけない。なぜうまくいってないかの理由をちゃんと把握しておかないといけないと監督に言いました。

K: 中国から川を渡ってきた時に持っていたコンパスをずっとお守りのように持っているのが切なかったです。 あの時に亡くなってしまった妻への思いを心に秘めているロマンチックな男だと思いました。

黄秋生:脚本には、奥さんと泳いできたとは書いてなくて、私が提案しました。「泳いで香港に入国した」とだけ書いてありました。義理のお父さんから聞いた話なのですが、学生の時、同級生たちと一緒に一生懸命泳いで密入国したのですが、振り返ってみるといなくなってしまった人が何人もいたと聞いたので、提案してみました。

K: その話が加わったことで、ぐっと話が生き生きとした感じがします。

黄秋生:創作するときの源になっているのは、自分自身の経験か、知人などの経験です。個人の経験だけですと限られていますから。


◆ザマン君に、アンソニーになんとアドバイスしたか聞いてみるといいよ!
K:パキスタンやインドの方と一緒に演技していますが、お母さん役のキランジート・ギルさんが、アンソニーさんと話す前は怖いと思っていたけれど、話してみたら、とてもいい人だったとインタビューで語っているのをみつけました。キランジートさん、とても魅力的ですが、どんな方ですか?

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黄秋生:大変な美女で、礼儀正しくて、英語の先生をしているのですが、こんなに綺麗な先生の教え子は、皆、英語が上手だと思います。しかもモデルさんでもある。ほんとにいい役者ですよ。 独特のエレガンスな気質も持っている人。

K:ハッサン役のサハル・ザマンの演技が素晴らしかったです。 彼の演技はいかがでしたか?

黄秋生:とても賢くて、可愛くて、ものおじしない。家での躾もしっかりできていて礼儀正しい子です。躾がいいというと医者などの子だったりしますが、驚いたのですが、この子のお父さんは、出前をしている人なのです。

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K:演技について、彼にアドバイスしたことは?

黄秋生:それは監督の仕事です。彼とコミュニケーションをよく取ってました。子どもには演出はいらないと思います。子どもはよく知ってます。2~3話したら、わかる。一緒にゲームをよくしました。誰が勝つかといえば、子どもですよね。 現場はいつも遊んでいた感じです。逆に、彼にインタビューする機会があったら、アンソニーにどんなアドバイスをしたかを聞いたらいいと思うよ!

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★取材を終えて★
『淪落の人』、『白日青春ー生きてこそー』と、このところ、日本で公開される秋生ちゃんの出演作はヒューマンなものが続いている。本人は「暇でやることがなかったから」などと答えていますが、きっと自分自身の思いがあってのことだと思うのです。それにしても役名の白日について、「苔」という詩の中からとった名前というのを、日本に来てから知ったと言っていたけど、ほんとかなあ。監督は、そういうのを説明しないのかなあ…。
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プロデューサーのピータ・ヤムさん(写真左端)の名前に聞きおぼえがあったので探したら、2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で『乱世備忘 ― 僕らの雨傘運動』の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督にインタビューしたおりに同席していました。インタビューの後も、監督やプロデューサーと香港のことを話しました。最後に映画祭事務局で、チャン・ジーウン監督とピーター・ヤムさん、それにゲストサポートボランティアの方の記念写真まで撮ったので、インタビュー記事の最後に載せました。これまでいろいろな方にインタビューしましたが、同席されたプロデューサーの方の写真を載せたのは初めてだったので印象に残っています(暁)。


2日間にわたって、びっしり取材を受けていた秋生ちゃん。私たちが部屋に入っていくと、メイクのお直し中でした。オーラがすごくて、すぐに声をかけるのをためらう程でした。通訳の周先生の訳す言葉がとても丁寧なのですが、おそらく、べらんめえ調。同じような質問を受けてきたと思うのですが、たっぷり答えてくれました。さすが役者魂! 秋生ちゃん節炸裂で、言いたい放題でしたが、若い監督のことも応援しているのを感じることができました。
お母さん役のキランジート・ギルさんは、イランの女優ゴルシーフテ・ファラハーニーにも似た素敵な方なのですが、秋生ちゃんも大変な美女とべた褒めでした。
翌日の舞台挨拶も、客席から何度も笑いが起こりました。 秋生ちゃんが、ほんとに老人に見える『白日青春ー生きてこそー』。 ぜひ劇場でご覧いただければと思います。(咲)



『白日青春-生きてこそ-』 アンソニー・ウォン(黄秋生) 初日舞台挨拶
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Facebookアルバム
『白日青春-生きてこそ-』アンソニー・ウォン インタビュー&初日舞台挨拶
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『白日青春-生きてこそ-』
公開中
配給:武蔵野エンタテインメント
PETRA Films Pte Ltd (C)2022
公式サイト:https://hs-ikite-movie.musashino-k.jp/
シネジャ作品紹介http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/502193789.html



『カラフルな魔女 角野栄子の物語が生まれる暮らし』完成披露試写会舞台挨拶

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角野栄子さん、宮川麻里奈監督


*プロフィール*
角野栄子(かどのえいこ)
1935年東京・深川生まれ。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経て24歳で新婚の夫とブラジルへ移住。2年間滞在して、ヨーロッパを旅しながら日本に帰国。ブラジルでの体験を「ルイジンニョ少年:ブラジルをたずねて」に書き、1970年に作家デビュー。『魔女の宅急便』(福音館書店)はアニメ作品として映画化され、その後舞台化、実写映画化された。24年にわたって書き継いだシリーズは2009年「魔女の宅急便その6 それぞれの旅立ち」として完結。特別編が3巻発行されている。
野間児童文芸賞、小学館文学賞等、受賞多数。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。2018年、児童文学の「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を、日本人3人目として受賞。2023年11月に「魔法の文学館(江戸川区角野栄子児童文学館)」が開館。
主な作品に『アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ』シリーズ、『リンゴちゃん』(ポプラ社)、『ズボン船長さんの話』(福音館書店)、『トンネルの森 1945』。最新作に『イコ トラベリング1948-』(KADOKAWA)などがある。
http://kiki-jiji.com(角野栄子オフィス)
https://www.instagram.com/eiko.kadono/(公式Instagram)

監督:宮川麻里奈(みやがわまりな)
1970年6月徳島市生まれ。東京大学教養学部卒。
1993年NHK番組制作局に入局。金沢局勤務、「爆笑問題のニッポンの教養」「探検バクモン」などを経て、‘13年「SWITCHインタビュー」を立ち上げる。「あさイチ」などを担当した後、現在は「所さん!事件ですよ」「カールさんとティーナさんの古民家村だより」などのプロデューサーを務める。一男一女の母。

作品紹介はこちら
(C)KADOKAWA
公式 HP https://movies.kadokawa.co.jp/majo_kadono
X(旧 Twitter) @majo_movie
Instagram:@majo_movie
MC:いとうさとり


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MC:ゲストのお二人にまずは一言ずつご挨拶をいただきたいと思います。角野栄子さんです。(拍手)

角野:皆さんこんにちは。お寒い中をいらしていただき、ありがとうございます。何しろ主役が 89 歳なものですから、皆さんあまり期待をなさらないように(笑)。映画はとても面白く出来ていまして、150%私を出してくださっているんじゃないかと思います。どうぞごゆっくりご覧くださいませ。ありがとうございました。(拍手)

MC:この作品で初の映画監督デビューとなりました宮川麻里奈監督です。(拍手)

監督:映画監督を思いもよらずやらせていただく事になり、どうしようと最初思いました。世界中の色々な女性、特に高齢の女性のドキュメンタリー映画を片っ端から観ました。結果、これは大丈夫だと確信しました。それは、こんなに素敵な女性(角野さん)は世界広しと言えども、いないなと。角野さんを映画にするのであれば、どんな形であろうと絶対うまくいくだろう。私は素直に、変に肩に力を入れずに角野さんの素敵さを伝える映画をつくれば良いんだな、と思いました。
この仕事を始めてちょうど 30 年になりますが、こんなに心から素敵だと思って撮影できる方、取材できる方に巡りあえたことは、30 年頑張ってきたご褒美かなと思えるような事でした。この作品は私から角野さんへのラブレターのつもりで作らせていただきました。皆さんも角野さんの素敵さをスクリーンから見ていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。(拍手)

MC:ありがとうございます。角野さん今日は素敵なお召し物を着てらっしゃいます。ね、皆さん?

角野:エイヤー!と着てしまえば、どんな色でも OK!(笑)今日はちょっと合わせました。着たいものを着ています。

MC:今日もピンクで。作品を観るとほんとに角野さんのご自宅がもう素敵で、憧れてしまったくらいです。
お洋服やメガネの選び方まで、お人柄が映し出されていました。初の大きなスクリーンの中に主人公として出演されて、作品をご覧になってどんな感想をお持ちですか?


角野:本当に皆さん頑張ってくださったな、と思います。カメラマンさんには、あまりリアリズムにいかないように(笑)と申し上げましたし、宮川さんにはあまり色々と聞かないで!と伝えました。初めての経験でしたので、これは楽しんでやらなくちゃいけないな!と思いました。ま、毎日楽しんでやろうとは思っているんですが、そんな気持ちでいたしました。
普通の、モノを書いている、普通の暮らしをしている私ですので、素材的には撮っても仕方が無い存在なのにと思っていましたが、宮川監督とカメラマンに、素材を 150%活かしていただいた結果だな、と思います。「ちょっと、詐欺じゃない?」と思うくらい綺麗に撮っていただきました。(笑)ありがとうございました。

MC:角野さんそんな風におっしゃっていますが、監督は、お子様との関係性で「救われた」と書かれているのを読みました。どういったところで、角野さんをほんとに「好きだな」と思われて今回カメラを向けられたでしょうか?

監督:今年 20 歳になる娘が小学生高学年くらいの時に「魔女の宅急便」の 6 冊シリーズを愛読していて、その娘が”「魔女の宅急便」が無かったら、うまく思春期を乗り越えられなかったかもしれないと思う”と言うんですね。角野さんの取材を始めることが決まってから聞いたんですね。娘にとって自分や友人関係で悩みが深まっていく思春期に、「魔女の宅急便」のエピソードを繰り返し読んだことが、娘にとっての精神安定剤みたいになっていたそうなんです。そこまで彼女に思い入れがあったなんていうことも知らずに、私は私で角野さんを素敵な方だな、と思って取材を始めました。角野さんはいつお目にかかっても愉快で、取材中に嫌な思いをすることは一度も無く、毎回幸せな気持ちを抱えて撮影から帰ってくるような取材でした。

MC:私も娘がいるのでわかるんです。「魔女の宅急便」という物語がすごく夢を広げてくれているんですよね。角野さんもそういう声をいっぱい聞かれているんじゃないですか?

角野:そうですね。留学なさる方や、東京に出ていらした方、高校を出て東京の学校に入る方や就職される方。そういう節目のある方が読んで、「自分に重ねて楽しませていただきました」というお手紙をずいぶんいただきました。私も若い頃に“エイヤー!”とブラジルまで行っちゃったから、その時の心細さやブラジルで生きていく気持ちが、そういう方たちの気持ちに重なっていたのかな、という風に思います。

MC:私もこの作品を観て「24歳でブラジルに行かれたんだ!」とびっくりしました。監督は掘り下げていらっしゃいますけれど、角野さんとふれあってどんなところをエピソードとして伝えられたら、と思ったんですか?

監督:ルイジンニョさんという角野さんのブラジル時代の恩人が映画の中に出てきますが、ルイジンニョさんとの再会は、前の週のギリギリまで来日いただけるか分からなかったんです。一度は諦めかけて、角野さんが自分で会いにいきませんか? と突然相談したり、最後は私がカメラを担いでルイジンニョさんのメッセージを録りにブラジルに行こう! と思ったくらい、もうダメかなと思ったことが何度もありました。それが、まさに奇跡の再会を果たされて・・・。今思うと、角野さんの想いが通じた魔法だったのかもしれないな、と思います。そうとしか言いようのないような。

角野:私も本当に奇跡だと思います。彼と別れてから60何年か経つわけですから。12 歳の少年だったんですよ。イタリア系のすごく可愛い男の子が、白いヒゲかなんか生やして羽田の空港に現れたときは、あれっ!?と思っちゃった。自分も年取ってるんですよね。それなのに彼ばっかり「おじいちゃんになっちゃったじゃないの」って思ったんですけど、話してみると、やっぱり彼らしい表現や、言葉のリズムが思い出されて。本当に良い機会を与えていただいたと思います。これからまた会いに行きたい、と思ってもちょっとねえ、遠いなぁ。

MC:このタイトルどおりの「カラフルな人生」を歩まれているんだなぁと思ったんですが、角野さん40 代までは黒い服、モノクロが多かったとチラッと聞きました。

角野:だいたいグレーとか、黒とかが洋服ダンスの中に多かったです。50 くらいの時だったかしら。赤い洋服を着たところ、意外にも好評だったんですよね。そこから赤い服を着てみようかな、と思ったと同時に、その頃同時に髪がだんだん白くなり、老眼でメガネもかけなきゃならなくなって。そんな寂しい時期を迎えた時に「つまんないな」と思ったんですが、白い髪って意外と綺麗な色に合うんですよね。それでこんな派手で(笑)、今日のあり様です。

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MC:いいですよね。こうやって「皆さんもカラフルな洋服を着たほうがいいです」ってことだと思うんです(笑)。角野さんが、ファッションで特に意識していることは何かございますか?

角野:80 歳くらいになった時に、洋服を選ぶが面倒くさくなったんです。何しろ買いに行くのが面倒くさい。試着っていうのがとても嫌になったんです。それで娘に着る服を頼んだところ、娘から「選んだもの文句は言わない?」とまず言われました(笑)。「はい、文句は言いません」と言ったけど、どうやら少しは文句を言ったようなんですが(笑)、そこから娘に一切、靴下からメガネから洋服まで全部を揃えてもらうようにしました。自分で選んでいると、三歩くらい家を出てから「これ、ちょっと色味合わないわ」と戻ったりするんです。
そういうことがなくなって、評判が悪かったら娘のせいにして(笑)、良かったら自分のせいにしよう(笑)、というつもりでやってます(笑)。

MC:アクセサリーから靴下まで、ほんとにチャーミング!

角野:靴下はね、私履かなかったんですよ。彼女が「靴下はどう?」と言うので履いてみたら、冷房のときも冬もいいんです。そして靴下って失敗しても1000円くらいでしょ(笑)?失敗することあまりないの。だからお洒落はまず靴下からやってみたらというお勧めです。

監督:撮影に伺っても、毎回「今日も可愛いですね!」と、お召し物の話から必ず入っていました(笑)。

MC:監督は何か影響されたりは?角野さんとの撮影で。

監督:そうですね・・・

角野:今度は宮川さんにピンクを着せちゃおう!(笑)これから。まずは靴下から。

MC:「いちご色」をテーマカラーにしているんですよね?

角野:今日は「いちごカラー」とはちょっと違うんですが、(色は)グラデーションなので。家を建てる時に、何か 1 つの色に決めたほうが良いですよと言われたんです。“赤”が良いと答えたところ、色にうるさい人が1人いまして、赤にも黄赤、紫の入った赤、色々あるからと言われ「じゃいちご色!」と言ったのが定着しちゃったんですね。だから、私の家はいちごっぽい赤です。

MC:(ポスターを見ながら)言葉選びがほんとに。

監督:これ(背景の色)、実際に、角野さんのご自宅の壁の色なんです。ポスター用にこういう風にしたわけじゃないんです。

角野:そうそう、うちの。

MC:どれだけお洒落な。もう一つ、角野さんが「好き」をずっと続けているって素晴らしいと思ったんです。それをちゃんと形にして伝えているというのが。好きを続ける秘訣は何でしょうか?

角野:私は「好きが決まらなかった人」で、大学を出てもブラジルに行っても何していいいかわからなかった。ブラジルではラジオの営業などをしていましたが、帰ってきましたら、大学の先生に「本を書け」と言われたんです。卒論しか書いたことないのに、初めて本を書くわけですから、コツコツ、コツコツと毎日書きました。

MC:監督、書き続けるってそう簡単に湧き上がってくるものじゃないですよね。

監督:映画にも出てくるんですけれども、本当に朝から晩まで書かれているんですよ。土日もいらない、必要ないんですよね。関係なく、休もうという気なんてさらさら無くて。本当に書くのがお好きなんだな、と思いました。天職だったんでしょうけども、天職になっていったんですよね、きっと。

角野:たぶんね。「疲れた」って言えないんです。だって好きなことやってるんでしょ、って言われるから。でも、私も疲れるのよ・・・(笑)。好きなことやってるんだから自分でも納得するし・・・そうねぇ、ほんとに書くこと好きだと思う、私。

監督:「撮影を楽しんでやろう」とおっしゃっていましたけど、本当に楽しんで書いてらっしゃるんです。遊ぶように落書きして・・・撮影していると角野さんが「ああなって、こうなってね」と言いながら、どんどんとそっち(物語)の世界にいってしまい(笑)、あ、なんか止まらなくなっちゃったと(笑)。言ってみれば物語が生まれる瞬間だと思うんですけど、それに何度か立ち会ったことがあります。ご自分で想像して膨らませているうちに、どんどんお話ができていっちゃう。横にいる私たちはある意味置いてけぼりになってしまったことが何度もありました。やっぱりそういう風にして、角野さんの中から物語が生まれていってるんじゃないかな。それを誰よりも楽しんでいらっしゃるから、80代になってからの作品の数もすごいですよね。驚くほど。

角野:そうねぇ、書きたいものを書いておきたいなと思うのと、私もやっぱり大変なときがあるのよ(笑)。だけど好きなことやっているんだし、考え方を自分の気持ちを自由にしてみると、こうだと思っていたことも、こっちに行っていいんだよ、行ってみようかな、という気持ちになるわけ。失敗したら戻ったら良いので、書き直すことは全然苦にならない。それだけは良かったなと思って。30枚書いても、書き直しOKなんです。(ええ~と声が上がる)書き直すとまた違う発見があるんですよね。それに出会いたい。出会えることが楽しい。パソコンで消えちゃうのはいやだけどね!(笑)。あれはもうやめてほしい。何回かやりましたよ、私。

MC:でも書き直すなんて、ね?私なんて「書き直すなんて!」って思っちゃいますけど。角野さん、今後あらたに挑戦してみたいことは?

角野:私ね、来年 90 歳なの。ちょっとこれ「売り」です! それでね、90 歳になった時に、すごいピュアなラブストーリーを書いてみたいなと思って。(おお~と拍手が起こる)できればね!でもねぇ、中学 1 年生くらいの初恋の思い出なんて忘れちゃっているわね(笑)、相手の名前も忘れてしまって(笑)、書けるかなあと思ってますけど・・・?

MC:楽しみにしております。ありがとうございました。(ここからポスターを挟んで写真撮影)
角野さんはお誕生日が 1 月 1 日、元旦でございます。
89 歳の誕生日を迎えたばかりなので、今回は制作陣から角野さんにプレゼントがございます。
(監督からお祝いの花束贈呈)
いちご色の花束です。せっかくなので、89 歳の抱負を教えてください。


角野:まずは元気で歩ければ良いなと思います。今、杖つかないでも歩けます。なるべく長く元気でいたいと思います。

MC:ありがとうございます。おめでとうございます。(拍手)
(花束を持っての写真撮影。ムービーに向かって手を振る)

MC:最後に角野さんから映画の魅力をメッセージとしてお願いできますでしょうか?

角野:お帰りのときに、皆さんスキップして帰ってください(笑)。今度私が写真撮ろうかしら。
ゆっくりご覧になって十分楽しんでお帰りいただければ、私はとても嬉しいです。宮川さんにいい映画を作っていただいて、わたしの一生の宝物になると思います。ありがとうございました。

盛大な拍手に送られてお二人退場。舞台挨拶は終了しました。

(ほぼ書き起こし:白石映子 写真:宮崎暁美)

『99%、いつも曇り』瑚海(さんごうみ)みどり監督インタビュー

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*プロフィール*
瑚海 みどり(さんごうみ みどり)1972年生まれ。神奈川県出身 俳優、声優として活動中。2020年より映画制作を学ぶ。
映画美学校にて脚本・監督術を学ぶ。
宇治田隆史氏の「自分で思ってないことを書いてはダメ。自分が本当に思っていることを書いてください」という言葉を忠実に守っている。
好きな映画:『戦場のメリークリスマス』小学生のときに観て、デヴィッド・ボウイの写真集を買って学校にも持って行ったほどお気に入り。

監督作品
『ヴィスコンティに会いたくて』(2021年)
THEATER ENYA×佐賀県LiveS Beyond映像作品募集企画 第1回演屋祭金賞
監督・脚本・主演
https://www.youtube.com/watch?v=iRaenuTs1gk
『橋の下で』(2021年)
監督・脚本・主演
Amazon Prime Videoテイクワン賞審査委員特別賞
https://www.youtube.com/watch?v=LQqvEw1nKcM

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『99%、いつも曇り』
監督・脚本・主演
https://35filmsparks.com/
第36回東京国際映画祭「Nippon Cinema Now」部門上映作品。
★2023年12月15日(金)よりアップリンク吉祥寺にて上映中
作品紹介はこちら

白:TIFF(東京国際映画祭)での『橋の下で』上映を見逃してしまって、瑚海監督の作品を拝見するのはこの映画が初めてでした。
15年前に「アスペルガーじゃない?」と言われたことがこの映画を作る力になったそうですね。


監督:ある劇作家の演出助手についてた時、「私もアスペルガーだけど、あんたもそうだと思うよ」と言われたんです。ええ!って。
私の認知としては、アスペルガーって「才能のある人」。才能あるけれど、凸凹しているからちょっとバランスが悪くて、コミュニケーションがうまくいかないこともあるっていう印象でした。
自分ではそこまでではないけれど、「変わってる」とは言われがちだったんですが。気にしていたときにワークショップでの飲み会で「私アスペルガーなんですけど、瑚海さんもたぶんそうですよ」と急に言われたんです、アスペルガーでしょと当事者から2回続けて言われたので、いよいよそうなのかもしれないと。

白:調べたことはないんですか?

監督:調べたことはなくて、今回映画を作るにあたって、自分はどうなのか、とオンラインでテストがあるじゃないですか、調べたりしたらそこまで(はっきりした)のは、いかなくて。だけど、IQを調べたりすると、いいところはぐんと良かったりするんです。ただ数学は全くダメなんです。零点とっちゃったりするような。でも英語はよかったり。

白:おんなじです。語学や、絵とかもの作りとかはいいんですよね。

監督:やっぱりそうなのかなと思ったんですよ。耳から入って来たものはどっかへいっちゃうんですけど、ビジュアルは残る。名前言われても忘れるけど、名札がついていると覚えていられる。

白:映画として面白くしなくちゃいけないから、脚色しますよね。どこらへんが監督の体験かな、ここはフィクションかなとつい思っちゃいまして。

監督:水道出しっぱなしでどっか行っちゃうはないです(笑)。

白:私はお鍋をよく焦がします。そばにいても他のことをしていると集中しすぎて匂いがするまで気づかなかったり。忘れ物も多いです。

監督:火は気をつけていますが、集中しがちっていうのはありますね。(そういう傾向が)母親から来たかなと、一緒に暮らしていて思うんです。母親もよく何の気なしにいやなこととか、ポンポン言うので。「そういうところがアスペルガーだって言ってんのよ!」と最近はこちらが言ってますね(笑)

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白:調べると「自分のせいじゃない」と落ち着くかもしれないですよ。脳の回路が違うそうなので自分ではどうしようもないじゃないですか。この映画でも就職で苦労する場面があってすごく共感しました。うまくいくといいなぁと。

監督:私も役者をやめていたこともあるんです。何か他にあるんだろうかと行ったり来たり、踏ん切りをつけてここまで、映画を作るところまでくるには時間がかかったんですよ。グラフィックデザインの事務所に勤めたこともあって、うろうろウロウロするんだけども、やっぱりここなんだっていう風に戻ってきて。書いたり、ものを作ったりすると評価されて、また厳しいことを言われたり、傷ついたりするんじゃないかとすごく怖かった。やっと、年取ってそんなこと言ってたら死んじゃう、と。4年半前くらいに、私頭蓋骨骨折してるんです。
 
白:交通事故で?

監督:酔っ払って自転車に乗ってバーン!とぶつかって。

白:あらー!自損ですね。

監督:自損なんですよ。うちの近所でやっちゃったので、警察が来て「これ飲酒運転ですよ」って言われたらしいんです(記憶がない)。目が覚めたら「処置終わりましたよ」って。こっちは「え、なんですか?」、べろんべろんに酔っぱらってて「うっ、気持ち悪い!」みたいな状態で。こんな生き方していたら死んじゃうなと思って覚悟を決めまして。
頭蓋骨割れた(!?)状態でオーディション受けに行って、受かって「映画出る!」と2週間で退院しました。もっともっとやらなきゃいけないと思って。
その時なんでそんなに反省したかというと、友達が言うには酔っ払って「F●●K YOU!」てずっと言ってたらしいんです。それはおそらく自分に対して言ってたんだろうと。その、自分がうだつがあがらずにいることとかで、自分にイライラしていたんだろうなと。で、覚悟を決めたんです。

白:監督、独演会やれます!面白いです。(笑)!

暁:そんな風に行ったり来たりした経験が、きっとこの映画に生きてます。東京国際映画祭の挨拶でも「ある程度年齢がいってから監督になりました」とおっしゃっていましたが。そういう経験があって映画を作っているから、若くして作った人とは違う重みというか、深みがあります。
しかも、監督で役者でもあるということで、自分の作りたい思いと演じる思いが一致してうまくできているなと思いました。

監督:ありがとうございます。ま、リアルではありますよね。本人が感じていることを自ら演じているから、脚本読んだだけで何かやるよりも、自分がやりたい微妙なところを投影してできます。
これから、自分じゃなくほかの俳優にやってもらうときに、どれだけ監督として演出できるのかっていう怖さはあるんです。
映画美学校にいたときに、「違う人にやってもらった方がいい。自分が演じないで監督することを勉強しなさい」って、みんな先生も言ってたんです。一回だけ同期の子とホラー映画を作ったんですけど、自分が出ていた方が面白くなるんじゃないかな、と思ったんです。自分の映画だったら、主役じゃないにしても、どこかで自分が出ていた方が「私カラー(色)」が少し出ると思うので、やっぱりいつかどこかで、そういう風にやっていきたいなと。

暁:カメオ出演じゃなくて。主役じゃなくても、主役を食っちゃうような感じの役者さんっているじゃないですか。それがいいと思う。

監督:夏木マリさんが『ピンポン』っていう映画で、近所のおばさんをやっているんです。主役は男の子たちなのに、そのシーンがものすごく焼き付くみたいな。

暁:そういう演技になるんじゃないかなと予想します。
白:目指すところ?

監督:目指すところです。次回の話、まだ誰もお金を出してくれるとか、プロデューサーもついていないんですけども、考えているのがあって。そこもなぜかやっぱり自分が主役で(笑)、おばさんなんだけれども。そういうのを考えています。誰か脚本を気に入ってくれたら、ほかの人がやってもいいと思う。

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白:この映画はどんな風に作られたんでしょうか?

監督:昨年の令和4年に、コロナ禍で何か芸術作品を作るのであれば応援しますよ、というAFF(ARTS for the future!)2があったんです。AFF1がその前の年にあって、もう一年やるらしいというのを耳にしたんです。1は尺(長さ)の規定がなかったんですが、2は「60分以上」で映画館で上映しなくちゃいけないというルールがあったんです。それだったら、人に観てもらったほうがいいし、中編で中途半端になるよりも長編で本気で挑んでいかなきゃと。
一昨年これ(Amazon Prime Videoテイクワン賞)がありましたが、2位の私には助成金はない。でもその勢いで何か作らないと。美学校も1年でやめちゃったので誰にも強制されないから作らなくなっちゃう。人って何かないとやらないんですよね。ヤバイなヤバイなと昨年の1月くらいから考えていたんですが、お金の当てがない。ちょうどその時に助成金の話が入ってきました。思えば思うほど情報が入ってくるんですね。で、企画を立ち上げて・・・。
私、冬になると寒くて動けなくて(笑)ホットカーペットの上でゴロゴロしてyoutubeとか見ていたら、アスペルガーの人たちの動画がいっぱいあったんです。生活ぶりとか、こんなヘマしましたとか、生きづらいですよねとか。これは私がやるっきゃないでしょ!15年もスマホにアスペルガーって入れてるんだから~!(そのころアスペルガーでしょと言われた)って。
2月くらいからだんだん固まってきて、二階堂さん(夫の大地役)には「俺も出してくれよ」って言われてて、ちょい役でなくもっと濃い役を、「あ、旦那さんで行こう!」と。
3月~5月にかけてば~~っと脚本を書きあげました。その後も改稿は何度も何度もしたんですけど。助成金の申請はまたyoutubeで勉強して(笑)。

白:youtubeえらい!(笑)

監督:えらいでしょ(笑)。こんな書類を出すとか、いろんなこと教えてくれるんですよ。なんとかかんとか、いろんな人の見て申請しました。企画もフィックスしてきて、全部一人でやって。
手伝ってくれるって言ってくれたんですけど、もし思う通りにいかなかったとき、きっと人のせいにするなと思ったんです、自分が。それでパンクしそうになりながら自分でやっていました。助成金がおりるとも何とも返事が来ないうちに、どんどんキャスティングしてしまって(笑)。秋にはお金があると思うので、と全部ブッキングして(笑)。7月くらいからロケハンも。撮れるかどうかわかんないけど、先走ってやっていました。

暁:撮影そのものは何月ですか?

監督:9月半ばくらいから9日間でやったんです。

暁:え、9日間で!
白:場所はそんなにあちこち行ってないですね。ご町内って感じで。

監督:彼女の閉鎖的な、クローズドの世界を描きたかったので。もっといろんなところへ行けばよかった、という人もいたんですけどそれだと開放されちゃうわけです。この人は開放されてない。この人って(笑)私ですけど。一葉はずっと家で悶々としてるとしたかったので。
唯一出かけるのが、あの里親のセンターにちょこっと電車乗って行くだけ。

白:この舞台は・・・
暁:(エンドロールにある)フィルムコミッションは府中とか国分寺になっていましたよね。近くに住んでいました。


監督:あ、そうです。府中で。ロゴを入れておいたほうが、道路や土地の使用許可が出るみたいなことを言われて。

白:どこだろうと思ってつい地名のわかるものとか探しますね。電信柱の住所とか、看板とか。

監督:どこでわかるかというと、電車に乗っているとき「国分寺」どうのこうのと言ってるんですよ。あれでわかる人はわかるんです。ほんとはあそこ削りたかったんです。どこかわからない土地にしたかったんですけども、ちょうど音がすごく良くって。いいか、わかっちゃっても。どっちにしろJR乗ってるし。

白:地名がわかって、納得するだけなんですけど。オタクですね。

監督:そこでどういう生活が営まれているか想像しますよね。

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白:一葉さんって結構強烈なキャラクターで、髪とかファッションとか派手ですね。あのモヒカンヘアにはびっくりしました。

監督:あれになる前はこういう全然スラっとした(今のような)頭をしていました。青い髪の人とか、ファッションが奇抜な人が多いんです、こういう傾向の人は。やっぱりビジュアルが得意だから。
それでいこうと思ったときに、髪型どうしようか、ただの刈り上げじゃ面白くないなとこれになったんです。パーマかけて。

白:面白い方に行くんですね(笑)。

監督:私の選択がね(笑)。

白:より面白い方へいった髪が伸びるまで、ほかの仕事に差し支えなかったんでしょうか?

監督:両方刈り上げているので、普段は下ろしていました。2か月後くらいにお母さん役が来たんですよ。中は伸びてないんですけど、大丈夫ですか?って聞いたらパーマものばすから大丈夫ですよって。それでお母さんやってきましたけどね。

白:お母さん役もされるんですねえ。

監督:普通にやってますよ~(笑)。これはワンシーンなんですけども、映画24区の作品で、片岡仁左衛門さんの息子さんの千之助さん(初めて主役)のお母さん役で、「あんた、もう。ちょっといい加減にしなさいよ~」なんて言っています。
*<ぼくらのレシピ図鑑シリーズ第3弾>『メンドウな人々』(安田真奈監督)

白:綺麗な息子と綺麗なお母さんじゃないですか。

監督:またまたぁ~(笑)

暁:今回のを観た後、そちらを観ても同じ人だとは思えないかもしれない(笑)。

監督:そうかもしれないです。髪も全然違うし。

暁:この写真(授賞式)を撮って、その顔のイメージで『99%、いつも曇り』のチラシを見たら「あれ?この人かな、違うかな」って(笑)。

監督:髪型ってすごく印象変えますよね。この頭やってから気に入っちゃって、くるくるパーマです。

白:一葉さんはもちろん、ほかの方々も個性的で面白いです。

監督:ありがとうございます。私自身がマイノリティ…と言っちゃアレなんですけど、そういう人を気に掛ける傾向もあって。ホームレスのオジサンに弁当買ってきて「おっちゃんも大変だよな~」なんて言ったり、一葉もそういう傾向がある。

白:いろんな人を呼んでカレー食べちゃったり、ね。
人当たりいいというか、いろんな人と付き合えるのはアスペルガーの人のイメージと違いますね。

監督:でも私は人見知りなんですよ。それが転じてわけわかんない方へいっちゃう(笑)。

白:お母さんの話は出てくるけど、お父さんは全く出てきませんね。

監督:早くに亡くなっちゃってるという設定です。私の父も2年前に亡くなっているんですけども、私の中では母親っていうのはものすごいキーパーソンなんです。いろんなことに口出して煩いわりには、見守っているのか?
と思えばまたやいやい言ってくる。いいのか悪いのか、わからない存在。

白:親ってそんなもんですよ(笑)。

監督:そんなもんですかね?(笑)なので、母親がキーになる。

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白:この旦那様が父親代わりみたいな気がしたんです。年もすこし離れている大人で一葉の保護者のような感じ。

監督:前の旦那さんをイメージして書いているんですけど、すっごく優しい人だったんですよ。

白:(ぼそっと)なんでそんないい人と別れたの? って近所のおばちゃんみたい。(笑)

監督:そうなんです。それ、別れた後に本人も言ってましたよ。「なんで僕たち別れたんだろうね」って。別れた後も仲良しだったんですよ。ただ向こう再婚しちゃったので、退きまして、やいやい言わないようにしようと思って。
ほんとに大事にして可愛がってくれていたので、そういう意味では自由にさせられ過ぎて我儘になって別れちゃったんですね。
彼が見守ってくれているという、そこのところを入れていますね。

白・暁:いい旦那さんでえらいと思いました。なかなかいない。

監督:いいよねー。その、前の旦那さんが言っていたのは「可哀想と可愛いが、一緒って僕は思っていて」。私を見て可哀想と思うのは「わけわかんないけどバタバタしている」とき。それがなんか可愛いと。8歳離れていたんですけど妹というよりは、子どもみたいに。
一葉もそんな風に若いときに出会って、子どもっぽいままでいられるんです。

白:「ちゃん付け」、違った!「君付け」で呼んでいましたね。

監督:大地君。私も君付けで呼んでたんです。思いっきり自分の生活を反映してる(笑)。

暁:社会の中で「結婚したら子どもがいて当然」みたいな周りからの圧力があって、子どもができない夫婦にとっては悩みであるということがありますが、この映画でも「やっぱり子供がほしい?」ということが出てきます。最後は「私たちは私たちでいいんだ」って落ち着いたのでホッとしました。人の意見に左右されずに自分の意思で決める。そういうところが20代、30代の若い人たちにアピールするんじゃないかと思います。
「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」っていう言葉があります。「産むか産まないか、いつ何人の子どもを持つかを自分で決める権利」という意味らしいですが、何も突っ張った主張はしていないし、監督がそう思ってなくてもそれに辿り着いた映画でもあるなと思いました。

https://www.gender.go.jp/about_danjo/basic_plans/1st/2-8h.html

白:(暁へ)その言葉使うのやめなよ(笑)。
暁:私も使いたくないのよ、覚えられない英語だから(爆)。


暁:そういう「産むか産まないかを人に左右されず、自分で決めることが大事」ということをアピールできる映画だと思うんです。今でもあの叔父さんのようなことを言う人はいますよね。悪気はないまま言っちゃう。

監督:ものすごく日本の教育にも感じるところがあって、戦後もう一回日本を立ち直らせようとして、おんなじ方向を向いてわーっと働かされて高度成長してきた。もともと日本って、抑え込んでいるような教育というか、先生が一方的にしゃべってそれを子どもたちはノート書くだけ。お互いにコミュニケーションをとったり、私の考えはこうです、と言えない状態で今まで来ていると思うんですね。
だから、個性っていうのをないがしろにしてきている。産めよ増やせよという政策をとってきて、人間を人間として扱っていないような、コマみたいに。

暁:出生率がどうのこうの、とか。

監督:数年前も子どもを産まない女性は(LGBTカップルも)「生産性がない」って。

暁:今でもこういうことを言う人がいるんだ、とびっくりしました。

白:それも政治家ですからね。

監督:ああいうことを普段から軽口叩いているから、言っちゃうんですよ。

白:あとから撤回しても遅い。嘘つけと思ってしまう。
(政治の話題で盛り上がる)

白:詐欺の話もちゃんと出しましたね。時流の話題。
いろんな人との間に壁を作らない一葉さんがすごくいいです。

*ここで(暁)が登場人物を勘違いしていたことが発覚して、しばらく登場人物の説明が続く。監督はちゃんと描きわけています。

白:そういう人たちが、ひとつところに集まってカレー食べているというのがいいです。あんまり観たことがない珍しい風景で。

監督:映画でなんか気になるのが、たとえばアスペルガーの人を取り上げたら、その人以外はみんな普通の人でその人だけを浮き上がらせる、みたいな。それ、嘘だと思うんですよ。だって周りにもっといろんな人いるじゃないですか、そこが日本の映画のイヤなところ。だからできるだけリアルに…リアルかって言ったら全員がマイノリティみたいなことはなかなかないわけですけど。
でも、一葉は日常こういう人たちと付き合って生きているんだ、ってところを描きたかった。

白:わざとらしくなくて、一葉ならこうするだろうって自然な流れだったんです。だから好きな映画ですね。

監督:いい方にとらえていただいてありがとうございます。「そんなことあるの」って言う人もいますが。

白:「そんなことあるの」って言ったら、映画って「そんなこと」だらけですけど。

暁:それを「映画的」っていうね。それが映画の中で自然に存在しているように表現できるかっていうのは全然違うよね。


白:私は、監督が「見える化」していると思ったんです。黙って外に見えないようにしている人は、きっといっぱいいるから。映画は間口を広げてくれたはずです。

監督:ありがとうございます。事件がどこででも勃発したらそれは映画的になりすぎちゃうけど、事件としては一個くらい。なんとなくバラバラしている人たちが集まってそれぞれ暮らしてる。

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白:あのセンターの対応も、雨の中一葉が足引きずりながら出かけたのに、担当者に電話一本かけたらどうなの、って思いました。ああいう目に遭ったことが?

監督:中身は違う話なんですけど。
区役所って登録すると稽古場として使わせてもらえるんです。更新のときに、メンバーのハンコを捺してもらわないといけないんですが、コロナでもあるしそれができないので、問い合わせて確認して「免許証のコピーとか送れば良い」写メ持ってったんです。そしたら窓口に出てきたおばさんが、「ハンコがない」と言うので、それは電話で確認したと説明しても、何回も同じことを言うんですよ。「じゃ私が文房具屋でハンコ買って勝手に捺せばいいんですか。そういうことじゃないでしょ。担当の方に聞いてください」って言ったら、「今回は大丈夫です」って。なんなの、この人って。それで、「10秒数えて」どころじゃない、どんどん強くなって言っちゃいましたよ(笑)。

白・暁:あれ面白かった(笑)。
白:「アンガー・マネージメント」ですね。実際には?


監督:普段ですか? やらないで言っちゃいますね(笑)。でも今は抑えられるようになりました。

白:一葉さんは怒るほうに行くんですね。

監督:黙るほうですか?

白:黙るほう。いちいち言っちゃってたら(人間関係破綻してしまう)、私は今ここにはいません(爆)。

監督:「なんでもかんでもポンポン言わないで、少し考えてから言うことにしろ」って前の旦那さんにも言われてました。

暁:いろんなエピソードがきっと経験したことなんだろうな、それが生きていて面白く観られました。

監督:リアルっぽいですね。ほんとのことじゃないの?って思いました?

白:はい。小説もそうですよね。経験を元に脚色して作っていくし。映画は、2時間でおさめるのに多少都合よくなることもあるでしょ。この映画はいろんな人が出てきますが、あまりに突拍子もないようなことはなくて身近にあることを入れ込んで上手にまとまっていると思いました。

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監督:とっても大事なセリフを他の役者が言い間違った箇所があるんです。私はお芝居中で聞き逃していたんですが、助監督の女の子が「このセリフ合ってます?」って言ってくれてわかった。
そこは2字違いで、全然意味が違っちゃうんです。セリフの意味はすごく大事にしているので彼女がいてくれてほんとによかった!
熱の入ったお芝居が続いていたので、同じものは撮れない。どうしよう~とすごい騒いでいたんですが、整音の人に頼んでそこだけアフレコにして、うまく合わせてもらいました。

白・暁:全然気づきませんでした。
白:いいこと聞いちゃいました。
暁:整音ってそういうことができるんだ!


監督:じっくり見ていると口の動きが合っていなかったりするんですけど。でも観客は別のところを見るだろうと(笑)。
実はもう1箇所あって、そっちは整音で削ってもらったんです。冒頭で甥っ子が一人出てきます。一葉が「うるさい!」と怒っています。その子と最初の公園の女の子は姉弟にしていたんです。一周忌のところ、最後の楽日の撮影だったんです。参加した女の子が、撮影が始まる前に怪我してしまって登場できなくなりました。それで設定を変えることにして、みんなでわーわー話しあって、3時間くらい押しました。
怪我が治ったので、やっぱり出てもらおうと公園の女の子の部分を追加撮影しました。台本は10分くらいで書いて(笑)。

白:まあ香港映画みたい(笑)。

監督:一葉の変な「ぶり」もわかってインパクトもありました。
話が長くなったんですけど、子どもたちがいるっていうことの体(てい)で先に撮ったので、居酒屋の場面で「子どもたちと遊ぶ」って言っているんですよ。台本は「子と遊ぶ」だったんですけど、言いにくいから二階堂さん「たち」をつけちゃってる。それは編集で気がついて、今度は減らすんです(笑)。

白:編集って面白いですねー。映画は9日間で撮って、そんなアクシデントがあっては、編集には時間かかったでしょう。

監督:編集はですね。急いで作って音楽つけてもらわなきゃいけない、みんなに見せなきゃいけない、っていうのがあったんで、うわーっと10日くらいでしました。実は撮影が終わって疲れちゃったので、これから編集に入るのに何かはずみをつけたいと思ってディズニーランドに遊びに行ったんですよ(笑)。そしたらコロナになっちゃって(笑)。

白:なんでそんな余計なことを(笑)

監督:そうそうそう(爆)。そしたらもう家にいるしかなくなって、1日15時間くらい編集して。で、10日間であがった。

白:缶詰になって逆に良かったんですね。あれ?熱は出なかったんですか?

監督:出たんですけど、集中するとものすごい集中するから、ずーっとやってましたよ。面白いものはできたと思うんですね。ちょっとずつちょっとずつやるよりも、一気にやったほうがいい。

暁:編集も自分で全部? 全部できるのは強いですね。

監督:全部やりましたね。もちろんほかの人にやってもらって良いものができることもあると思うんですけど、遠慮が入ることもあるじゃないですか。自分だったらババっと切る。切りすぎて、カメラの子に「カットが短い」って言われたんですけど、「いーんだよ」って(笑)。無駄にインサートとか入れてモタモタする映画嫌いで、急に月とか入れてきたりね(笑)。「そんな雰囲気とか要らない」ってスパスパ切っていきました。

暁:自分で切ると逆に長くなる人いますね。
白:そっちが多いかも。思い入れありすぎて切れない。

監督:「110分は長い」とは言われました。最初は80分くらいで作ろうかと思ってたのに、てんこ盛りにしたのでだいぶ長くなっちゃって。

白:エピソードが。
暁:でもそれだけあっても、あれもこれもって感じはしなかった。流れの中でこういう事件が起こって、っていう。
白:そうそう。とっ散らかってる感じはしないの。


監督:ありがとうございます。自分で編集して面白いなと思ったのは、例えばですよ。音楽がわーってなったところでパチンと切る。オチみたいにする、っていうの。里親支援センターの自動ドアの前で開かなくてジャンプしたりするんですが、上のほうにポチ(ボタン)があるんです。そこでポチ、ウィーン(ドアが開く)音楽が切れる、とやっています。

白・暁:もう一度観直します。もう一時間過ぎてしまいました。今日はありがとうございました。

(取材まとめ:白石映子 監督写真:宮崎暁美)


=インタビューを終えて=

映画だけでなく、政治や年金や、将来のことまで話は広がりました。表情豊かで、声色も変える監督のお話はほんとにおもしろくて、笑っているうちに時間があっというまに過ぎました。ネタバレになってしまうところはぼかしております。
私自身「アスペルガー症候群ではないか」と疑っているのですが(昔はそんな言葉聞きませんでした)、調べたことはありません。一葉とは傾向が違うけれども、似ているところが多くとても共感しました。
なんでも分類されるのは好きではありませんが、傾向がわかれば対策もできるというものです。発達障害といわれる子どもたちが、大人になって自分で生きていける居場所を見つけられますように。理解が拡がって、自分の得意なものを生かせますように。(白)


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本誌105号(2022年発行)の表紙に瑚海みどり監督の写真を使わせていただいたのですが、これは第34回東京国際映画祭(2021)で瑚海監督が「Amazon Prime Video テイクワン審査委員特別賞」を受賞した時の写真です。授賞式での瑚海監督の表情がすてきだったので使わせていただきました。監督に105号を渡したいと思っていたのですが監督の情報がわからず、映画美学校での試写の時に事務局に聞いてみようかとも思ったのですが、そのうち監督作品で会える時が来るだろうと思っていました。そして、この作品で出会うことができました。今回、白石が瑚海みどり監督にインタビューすることを知り、ぜひ105号を渡したいと思い、白石と共にこのインタビューに参加させてもらいました。
表情がゆたかだったのは、俳優や声優を経験してきたからだと知りました。また、いろいろな経験や体験をしてから映画監督に挑戦したということで、作品にそれらの経験が生きていると思いました。自分で主人公を演じていますが、自身の思いを人に演じてもらうのではなく、自分で演じることで正確に思いを役に込められ、これまでやってきたことを生かせる。一石二鳥です。今回の作品では、それが生かされていると思いました。加えて編集も自分でできるというのは、今後とも映画を作っていくのに大いに役立つと思います。少しづつ経験を積んで、映像作家として活躍していってほしいです。(暁)

『Maelstrom マエルストロム』山岡瑞子監督記者会見

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山岡瑞子監督(オフィシャル画像)

11月21日、日本外国特派員協会にて『Maelstorm マエルストロム』の試写と山岡瑞子監督の記者会見が行われました。
(以下オフィシャルレポートより)

2002年NYの美大を卒業してすぐ交通事故で脊髄損傷により下半身付随となる大怪我を負い、突然それまでの日常を失った山岡監督。自身のパーソナルな題材を描こうと思ったきっかけについて聞かれ、「この状況を描かなければいけないと思ったきっかけは、脊髄損傷者のNPOで事務の仕事をしていた頃、亡くなった方のお名前を会員リストから削除する作業が私の担当で、静かに亡くなっていく人々を常に感じる日常の中で、ある戦う女性を主人公にしたアメリカ映画を観ました。試合中にバランスを崩した彼女が、打ち所が悪くて頸椎を損傷してしまいます。その後彼女を安楽死をさせるというエンディングでした。厳しい状態でも生きるヒントが欲しいと思って観に行ったのに、死刑宣告をされたように感じました。この状態で生きたことのない映画を作っている人達に、気安く終わりにして欲しくないと思い、自分なりに作ってみたいと思うよう
になりました」と明かしました。

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更に「自分がこれからどうしていきたいかと悩み、デンマークに10か月間留学した時、映像制作に出会い撮影させて頂いた脊髄損傷患者の方から『外に出ていって、人に出会い、同じ人間だと理解してもらう責任が我々にはある』と言われ、私も、同じ怪我をした人の中にいるのではなく、人に出会っていく生き方に変えよう、と思いました」と語り、車椅子で外に出ていく中で苦労した経験についても「通らなければいけない道だと思っていました。事故は別に理由もなく起きて、損傷部位の位置でその人の障害のレベルは決まり、その客観的事実を医師から宣告されます。そこで感傷的になって、ただ泣いているだけだったら何も進まない。そういう現実を我々は生きているわけです」と、当事者として本作を描いた覚悟をのぞかせました。

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多様な喪失が描かれていることについては「映画を作ると決めてから、カメラを持ち歩くようになりました。そうしたら不思議と色々なものが変化していったんです。私たちの生活はこうやって喪失を繰り返し、そういう事態を経験するにつれ、私達の生きている時間で、過去と同じ時間は一瞬もないということがわかりました。」と話し、「自分のこれまで考えてきたことを、それぞれの時代の最低限の言葉で記録に残すということを、まずやり遂げることが大事でした。完成するまで5年半ずっと、夜中に周囲の音が静かになった時に、自分の部屋で自分の声をレコーディングしては書き出し、ナレーションを書き直しては何度も同じことを繰り返しました。二度とあの生活はしたくないです(苦笑)」と製作の苦労を語りました。

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また、製作の原点について「私が表現者に戻りたくて、それは私がアートやアーティストの人達との時間で救われたという気持ちがあったからです。留学時代の恩師から、アーティストの役割というのは社会に問いかける存在だと教わりました。それは答えを押し付けるのではなくて、『こういうことがあるけど、皆さんどう思いますか?』と、提示する役割だと私は理解したんです。」と打ち明けた。
最後に「事故は私たちの日常に繋がっています。私は20年ぐらい車を運転していますが、目の前で自動車と自転車の事故を4〜5回見たことがあります。そのぐらい私たちの日常に繋がっているのに、その後に何が起こるのか、みんな知らないままです。たまに過剰に可哀想がったり、逆に無理難題を要求して来る人もいて、そういうものをちょっとずつ壊していけたら良いかな、と思っています」と語り、記者会見は終了しました。

●12月2日(土)~8日(金)横浜シネマリンにて公開
 〒231-0033 横浜市中区長者町6-95
 TEL  045-341-3180
 https://cinemarine.co.jp/
●『Maelstorm マエルストロム』山岡瑞子のアート・ワークス
 映画に登場する山岡監督のアート作品の展示
 12月2日(土)~10日(日)13:00~18:00
 高架下スタジオSite-Aギャラリー
 横浜市中区黄金町1-6番地先 
 TEL 045-261-5467(黄金町エリアマネジメントセンター)
 https://koganecho.net/spot/site-a

★作品紹介はこちらです(白)。

『カムイのうた』劇場公開前のトークイベント!

ピリカウレシカ アイヌ文化と知里幸恵さんの魅力

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9月2日(土)東京ビックサイト「@GOOD LIFEフェア2023」会場にて 
トークイベントに登壇した 左から菅原浩志監督、吉田美月喜さん、島田歌穂さん、木原仁美・知里幸恵記念館館長

映画『カムイのうた』の北海道先行公開(11月23日)と東京での公開を控え、9月1日(金)~3日(日)に開催された朝日新聞社主催の「GOOD LIFEフェア2023」でトークイベントが実施されました。
本作で主人公テルを演じた吉田美月喜さん、主人公の叔母イヌイェマツを演じ主題歌も担当した島田歌穂さんに加え、本作のモデルである知里幸恵の記念館館長である木原仁美さんと、本作で脚本も担当した菅原浩志監督が登壇。「ピリカウレシカ アイヌ文化と知里幸恵さんの魅力」をテーマにトークショーが繰り広げられ、映画公開に先立ちアイヌ民族についての歴史や貴重な話が語られました。
*「ピリカウレシカ」とは、ピリカ=GOOD、ウレシカ=LIFEというような意味で、「快適な暮らし」、「良い暮らし」というようなことだそうです。

『カムイのうた』のロングバージョンの予告編も本会場で初お披露目され、更に劇中でも披露されているアイヌ民族の楽器・ムックリ(口琴)を吉田美月喜さんが披露し、アイヌ民族に口承されてきた歌謡形式による叙事詩ユーカラを島田歌穂さんが歌いました。島田歌穂さんが歌った時には、吉田美月喜さん、菅原浩志監督が竹片を木の枝でたたき楽器にし3人のコラボになりました。さらに木原仁美知里幸恵記念館館長による本格的なムックリの演奏まで披露され、アイヌの伝統的な伝承文化を堪能することができました。

全てに神が宿ると信じ、北海道の厳しくも豊かな自然の中で暮らしてきたアイヌの人たち。その生活や文化は和人が入って来た事で奪われてしまった。生活の糧である狩猟やサケ漁が禁止され、住んでいた土地を奪われ、アイヌ語も禁止された差別と迫害の歴史。
そんな中でこの映画は、口承で伝えられてきたアイヌ民族の叙事詩ユーカラを日本語訳し、「アイヌ神謡集」を完成させた知里幸恵さんの実話がベースになっている。幸恵さんがモデルのテル役を吉田美月喜さんが演じている。

『カムイのうた』トークイベント
アイヌ文化と知里幸恵さんの業績、吉田美月喜さんのムックリ演奏と島田歌穂さんのユーカラ披露も!

映画公開に先立ち「ピリカウレシカ アイヌ文化と知里幸恵さんの魅力」をテーマにトークが展開された。

主演の吉田美月喜さん(20)は、アイヌ民族の血を引くというだけで希望する進学を阻まれたり、差別的な待遇を受けたテルを演じた。知里幸恵さんはユーカラを日本語に訳した「アイヌ神謡集」を完成させた1922年(大正11年)、19歳の若さで亡くなった

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吉田美月喜さん:この映画に携わるまで正直アイヌ文化をあまり知らなくて、今年(2023)1、2月に北海道東川町を中心に行った撮影前からアイヌ民族の歴史、文化など、役を演じるうえで必要なアイヌ文化を1から学ばせていただきました。
その中で一番驚いたのは、叔母役の島田さん演じるイヌイェマツが床にお茶をこぼしたときに言った「床の神様は喉が渇いていたんだ」というセリフです。
床にも神様がいるという考え方にびっくりしました。アイヌの方は全てに神が宿っていて、その神の中で自分たちは助けられて、生かされているという考えを凄く大切にしていて素敵だなと思いました。
実在された方を演じるのは初めてだし、自分の知らない文化を学びながら説得力のある作品にしなければいけないというプレッシャーもありました。アイヌ文化をしっかり伝えていくには自分が一番理解しなくてはいけないし、知里さんのこともイメージしながら臨みました。撮影時は私もちょうど19歳で、知里さんが亡くなられたのと同じ歳。幸恵さんはどう思っていたんだろうとしっかり考えながら演じたと、19年という短い生涯を送った主人公に思いを馳せた。

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島田歌穂さん:私も全てのものに神が宿っているという考えは本当に素晴らしいと思います。1番、驚いたのは、床にお茶をこぼしてしまった時「床の神様は喉が渇いていたんだ」というセリフと即答。日頃、ぞんざいに扱ったり、邪魔だなと思うものにも1つ1つ命が、神が宿っている。その考えがまさにそのセリフに象徴されていると思ったと吉田さんに同調。父親が北海道出身だという島田さんだが、「本当にアイヌの文化や歴史について知らなかったなとおもいました。アイヌの方々の考え方、色々な境遇にも負けずに自分たちの文化を守っていく生き方に感銘を受けました。
テルの叔母イヌイェマツ役の島田歌穂さんは、作曲家である夫の島健氏が作曲した主題歌「カムイのうた」のほか、ユーカラも歌唱する。

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菅原浩志監督:この作品は、北海道の雄大な自然や動物たちも登場します。
「ピリカ」というのは素晴らしいとか、綺麗とか、Goodという意味、「ウレシカ」は人生、Life、生活と言うような意味です。「ウ」は互いに、「レシカ」は育てるなので「互いを育てる」=Life(生活)というのが語源です。すごく意味深いと思います。
映画を作るにあたってアイヌのことを勉強したのですが、非常にたくさん教わることがありました。今までどうしてこんな大切なことを教わってこなかったんだろうと感じました。
先住民として独自の生活、文化を築きながら、和人が入って来たことでそれを奪われ、生活の糧である狩猟、サケ漁が禁止され、住んでいた土地も奪われ、アイヌ語が禁止されるなど、アイヌ民族は差別を受け続けてきた。
北海道の地名はアイヌ語が起源のものが多い。アイヌ民族が北海道中に住み、地名に意味を込めていたか。和人が入ってきて、その名前の上に全部漢字を書いていって、アイヌの文化、歴史が書き直されてしまった。
さらに、見た目だけじゃなくて本質は一体何か、その裏の本当の意味は何かということを我々は見ていかなくちゃいけない、そのことをアイヌ民族たちが教えてくれた。我々も12年前には「原子力明るい未来のエネルギー」と大きな看板を掲げていた原発が爆発しているわけです。我々が思っていたことが実際はそうではないということを、考えなければいけない時代がが今。そのきっかけになるのがアイヌ民族であり文化です。

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トークのあと吉田美月喜さんが、この映画のため学んだというアイヌ民族の楽器ムックリを生演奏した。撮影が始まる前から教えていただいて、家でも練習をしました。撮影が終わっても家でやるんですが、やればやるほど知らない音が出る。ちゃんと表現できたかわからないけど、主に撮影させていただいた東川町をイメージして演奏してみましたと語った。

菅原監督は「アイヌは自然と共存してきた民族。とても自然をリスペクトしています。ムックリは自分で作ることができるくらいシンプルですが音がなかなか出ない。こんなに音がでるのはすごい」と吉田さんをほめ、島田さんは「本当にとても上手に演奏されていました」と称えた。

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さらに、独自のアイヌ文化とも言えるアイヌ民族に伝わる叙事詩ユーカラを島田歌穂さんが生披露。アイヌたちは神話や英雄の伝説、自然界の動植物や神など多様な事象を文字ではなく、語り手の表現、語り口による表現方法で語り伝えてきた。ユーカラは長いものだと数時間、何日も続くものもあるが口伝えで継承されてきた。島田さんは「小鳥の耳飾り」という曲を披露。監督と吉田さんは30㎝くらいの長さの竹を木の枝のような棒でたたき、吉田さんが合いの手を入れたりしてて参加。島田さんの素敵な歌声が会場中に響き渡った。

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島田さんが謡ったユーカラ「小鳥の耳飾り」について、内容を話せば長くなるのですがかなり切ない話ですと語っていた。全国の民謡を歌っていますが、ユーカラは今まで聴いたことがない初めて聴く音楽。リズムといい、メロディといい未知の世界。でも、懐かしい感じのする音楽でした。

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このあと、知里幸恵さんのめいの娘で知里幸恵記念館の館長を務める木原仁美さんがアイヌ民族衣装で登壇。「19歳で亡くなった人におかしいんですけど、血縁としては大叔母さんです。今年は知里幸恵生誕120年、1923年発行の『アイヌ神謡集』出版100年で節目の年。この年に映画が公開されて、さらに幸恵が注目されると思います。さらに世界にまで広がっていければ嬉しいです」と語り、持参したムックリを奏でてくれた。やはりベテランの音の響きは違う。音の連弾のよう。まるでいくつものムックリがつらなうように音が重なって音が伝わってきた。
木原さんは風の音や熊の鳴き声など、自然界の音を想像して弾いてみましたと語り、
アイヌ民族は「カムイ」と言って、全てのものに魂が宿ると考えています。人間に役に立つものは全て「カムイ」なんです。火、熊、船等々、いろいろなものが神様になります。その神が見ているから物を大切にすること、命をいただいたものを全て余すことなく活用するという考えで生きています。またアイヌは文字を持たないので、記憶力がすごく良かったと聞いています。ユーカラも耳で覚えて1度聞いたら全て覚えるほどだったとと、アイヌ民族の考えや知恵などを語った。

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最後に、菅原監督は「アイヌ神謡集」について、知里さんがその序文を19歳で書かれているのですが、本当に素晴らしい名文。北海道の歴史、アイヌ民族の歴史、彼女の想い、将来どうしたいかということが凝縮された2ページなので、ぜひ読んでいただきたい」と絶賛。この映画の中でもこの序文を映像で表現して‎います。知里幸恵さんがスクリーンで蘇ってほしいという思いでこの映画を作りました。また『日本の先住民族の文化を伝えるだけでなく、いじめや差別のない社会をと言う願いを込められています。
また、取材時に出会ったある子どもたちの話を例にあげた。「氷が解けたら何になる」という質問に、普通は「水になる」と答えるのですが、アイヌの子どもは「氷が解けたら春になる」と答えました。その感受性、自然を大切にし自然と共に生きてきた彼らの心を我々も学んでいきたいと思います。ぜひ、映画をご覧になって吉田さんの素晴らしい演技、島田さんの彼女でしか歌うことができない歌をご覧いただき、そしてアイヌ文化に触れるきっかけになっていただければ嬉しいです」とメッセージを語り、イベントは終了しました。


公式HPより
アイヌの心には、カムイ(神)が宿る――
学業優秀なテルは女学校への進学を希望し、優秀な成績を残すのだが、アイヌというだけで結果は不合格。その後、大正6年(1917年)、アイヌとして初めて女子職業学校に入学したが土人と呼ばれ理不尽な差別といじめを受ける。ある日、東京から列車を乗り継ぎアイヌ語研究の第一人者である兼田教授がテルの叔母イヌイェマツを訊ねてやって来る。アイヌの叙事詩であるユーカラを聞きにきたのだ。叔母のユーカラに熱心に耳を傾ける教授が言った。「アイヌ民族であることを誇りに思ってください。あなた方は世界に類をみない唯一無二の民族だ」

教授の言葉に強く心を打たれたテルは、やがて教授の強い勧めでユーカラを文字で残すことに没頭していく。そしてアイヌ語を日本語に翻訳していく出来栄えの素晴らしさから、教授のいる東京で本格的に頑張ることに。同じアイヌの青年・一三四と叔母に見送られ東京へと向かうテルだったが、この時、再び北海道の地を踏むことが叶わない運命であることを知る由もなかった…。

出演:吉田美月喜、望月歩、島田歌穂、清水美砂、加藤雅也
監督・脚本 菅原浩志 プロデューサー:作間清子 主題歌:島田歌穂
製作:シネボイス  
製作賛助:写真文化首都「写真の町」北海道東川町  
配給:トリプルアップ 
Ⓒシネボイス 上映時間:125分 公式サイト:kamuinouta.jp
2023年11月、北海道先行公開

監督・脚本 菅原 浩志
『ぼくらの七日間戦争』『写真甲子園0・5秒の夏』『早咲きの花l『ほたるの星』『北の残照』『ヌプリコロカムイノミ』
この『カムイのうた』は東川町が企画協力し製作。

取材を終えて
このイベントのあと、いくつかのブースをまわってみましたが、興味深いブースがたくさんありました。まず最初に向かったのが、この映画で企画協力している写真の町として有名な北海道東川町のブース。ジャムや米などの特産品が並んでいましたが、このブースの中で、ちょうど、この映画をもとにしたコミック(春陽堂書店より9月6日に発売)を書いた、なかはらかぜさんがサイン会をしていました。それで、普段アニメなどは見ないのですが思わず買ってしまいました。 
コミック「カムイのうた」が9月6日に発売!

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著者のなかはらかぜさん

「アイヌ民族の抒情詩ユーカラ」という言葉を初めて聞いたのは50年以上前の中学生の時、それ以来、アイヌ民族の文化がずっと気になっていたのですが、5年くらい前に平取町にある二風谷アイヌ文化博物館に行ってきました。その時に東川町にも寄りました。
そのユーカラを日本語口語に訳したのが知里幸恵さんという女性で、19歳で亡くなったというのは全然知りませんでした。その方をモデルに描いた映画『カムイのうた』を早く観てみたいです。

*スタッフ日記に、少しだけこのイベントのことを載せています。
シネマジャーナルHP スタッフ日記 
退院して、少しづつ活動始めています(暁)
http://cinemajournal.seesaa.net/article/500612667.html
取材 宮崎暁美