『海辺の彼女たち』藤元明緒監督インタビュー(後編)

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藤元明緒監督、渡邉一孝プロデューサー


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©2020 E.x.N K.K. / ever rolling films
★2021年5月1日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開


―この映画のためのリサーチは、どのくらいの間、どんなことをされたんでしょう?

監督 撮ると決めた一年間、こういう(宮崎がテーブルに出した)記事を読んだり、その記事の方に会いに行ってお話を聞かせてもらったり。基本的には実習生を支援している日本の方に聞くというのが多かったです。後は、妻からのミャンマー人側からの情報、ベトナムだけじゃなくて。

―この映画を観た後、テレビのドキュメンタリーを観たり、いろいろ記事などを集めたりするようになったんです。映画の影響はあるかも、と思いました。

渡邉p そんなことはないと思う(笑)。

監督 けっこうNHKさんが力を入れてやられています。僕もタオル工場の番組は観ました。

―豚が盗まれる事件があったりして、それで興味がなかった人にも境遇そのものが注目されました。
そういう事件は残念ですけど、きっかけにはなったかなと。


監督 映画を観ただけだとわからないと思うんです。でもこうやって(新聞記事に)出ていると(知られてくる)。
前の僕の映画は、めちゃくちゃ調べないと事情がわからないんです。知られていなくて。
今回の場合は、映画を観た後にこっちのこういう情報にもコミットできるので、そこはうまく橋渡しになればいいなと思います。

―日本人として何ができるんだろうとは思ったし、でも一般人としては何もできないのがジレンマです。民間のブローカーが間に入って儲けて、彼女たちが借金をしてきていわば騙されてきているというのもあまり知られていないんじゃないか。国の機関がもっと受け入れに関わってちゃんとしていればいいのにと思います。

監督 韓国はわりと国がちゃんとやっているようです。

―送り出すほうの窓口になっているのはどういうところですか?

監督 ブローカーとは言ってなくて、ビザの申請とか日本にちゃんと行けるように、日本語スクールがやっているのが多いです。日本語を勉強してもらって日本と連携して送り出しもできますよ、っていう。

―三分の一くらいまではドキュメンタリーかと思って観ていて、途中で「あれ?」と思いました(笑)。

監督 あー、たぶん普段観たことのない役者が出ているからかな。俳優の匿名性が強い。

―そういうのもありますし、街中で普通に撮っているように見えたので。

監督 あれはたぶん岸さん(カメラマン)じゃないとできないんです。

渡邉p 大胆さがね。

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―漁港の人たちが協力してくださったんですね?

渡邉p 協力してもらっています。実際の仕事をしているところを撮らせていただいたり、漁に連れて行っていただいたりもしました。

―漁港の仕事を3人に世話するブローカーのダーさんですが、最初は通訳の予定だったそうですね。俳優さんかと思いました。

監督 ダーさんは小学校くらいから日本に来てずっと青森に住んでいるんです。むしろベトナム語が喋れなかったんですが、20歳すぎくらいに、ベトナム語を頑張って覚えたそうです。

―難民の子どもですか?親がボートピープルの世代ですか?

監督 聞かなかったですけど、年代的には2代目くらいかな?

渡邉p 現場でベトナム語の言い回しを女優たちに聞いて、チェックしていましたね。

―女優さんたちは3人だけで来られたんですか?

監督 ベトナムのプロデューサーが2人ついてきました。来日する前、実習生は日本語スクールに行ってから来ることが多いので、同じように日本語スクールに行って、今から日本に行くんだというワクワク感も含めて体感してもらってきました。

―監督は3人の女優さんとどうやってコミュニケーションをとっていたんでしょう?

監督 ベトナム語と日本語の通訳を2名現場に呼びました。撮影通訳と、同時編集仕込みの通訳です。台詞を間違えずに言っているかというデータ素材をチェックする通訳。終わってからでなく、撮影と同時にやるんです。

渡邉p 前回それをやってないので、今回は初めて。

―導入していかがでしたか?

渡邉p ものすごく違った。

監督 前回はなんでこれをなしにしたのか、よくわからない(笑)。

渡邉p 少ない人数でやってましたから、訳が追い付かない。

監督 いつも脚本書くんですけど、すごいわかっているわけじゃなくて、やっぱり現場でやってみて気づく部分が多々あって。後戻りできるように、撮った素材全部にその日のうちに字幕をつける。そこで見て、どうしてもというところだけは「もう一回(撮り直し)。ごめんなさい」と。僕もベトナム語はわからないので、撮影しながら全部を通訳するというのは不可能なんです。そこのこぼれているものとか、何か設定間違いのことを言っているとか。けっこうびっしり脚本書くんですが、それぞれに言ってもらってるわけではないので、アドリブがどんどん出てくるのもわからない。

渡邉p 通訳の人も朝から晩までやってたら、けっこう体力のある人だったんですけど、どっか抜けてきますよね。どんどん。

―どうしても簡潔にするとどこか省くことになりますよね。一字一句じゃなく。

渡邊p 無理無理。

監督 絶対どこかぎゅっとしています。そこがほんとに難しかったです。ダーさんも通常業務があるので、毎日はいないんです。

―別のブローカー(人でなく、農業機械など)でしたね(笑)。

監督 そうそう(笑)。

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渡邊p 現場では英語とベトナム語と日本語がとびかっていました。

―3ヵ国語がとびかう現場で、俳優さんたちにどう演出されたのでしょう。

監督 ベトナム語の通訳を通して、演出していました。脚本は書きましたが役者には渡さずに、大枠の物語が記された構成表だけを渡して現場で演技のディテールを作っていきました。

―3人の背景については、それぞれ話し合って作り上げたのですか?

監督 あらかじめ決まっていた背景はありました。その上に、それぞれの実世界の人物背景を役のキャラクターに生かしています。役名も本名のままです。

―あのラストもあらかじめ決まっていたんですか?

監督 ラストシーンは一応脚本に書いていましたが、完成版とは全然違うシーンでした。僕、いつも映画のクライマックスからラストまでが撮影前に分からないんです。前作の「僕の帰る場所」もそうでした。
終盤の撮影に入る前にスタッフで「ラストをどうするのか」大会議が開かれ、チーム全体で決定しました。スタッフそれぞれがラストについてどうするべきなのか、発言してくれるんです。日々の撮影を自分事として参加でいている証拠です。

―作品はどこで「完成!」となるのでしょう? 完成してからも手を入れたくなりますか?

監督  正直わかりません。制作中僕は10回くらい「これで完成した!」と言うので、だんだんスタッフは信じてくれないようになってきたと思います(笑)。観客の誰かが再編集したものを僕が観客として観たい欲望もあります。映画は記憶みたいなもので永久に完成しないんじゃないでしょうか。だからこれまで続いてきてるのかも。

―ミャンマー、ベトナムとアジアの方の映画が続きました。日本と外国の人の繋がりになるのは理由がありますか? 次はどんな映画になりますか?

監督 映画を着想・企画する際に、自分の人生に入り込んだ身近な事柄からはじめます。いわゆる「半径5m以内のことしか描けない」というやつです。外国人との共生について考え・学ぶことは、自分の家族の人生で起きる困難を乗り越えることにも関わるので、映画以前に僕が着目しているテーマの一つです。引き続き、同様のテーマでも映画を作っていきたいです。まだ一度も日本人が主演で長編を撮った事がないので、「主言語が日本語」で演出したいとも最近感じています(笑)。

―藤元監督は実際にミャンマーに住んでいらっしゃいました。よその国に住む外国人だったわけですね。住んだからこそ気づいたことはなんですか?その体験は作品にどう反映されているのでしょう?

監督 異国の地で人と接していく際、当初は「同じ人間だから分かり合える」という単純な思考で生きていましたが、”国”の影響で形成された思想や文化など様々な隔りは意外に分厚いんだなぁと感じました。ミャンマーで暮らしていた時に、この隔たりを緩和し、人と人を結びつけることが映画作家としての役目の一つなのかとも思いました。

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―映画制作を振り返ってパッと思い出すこと、忘れられないことはなんですか?

監督 ベトナム人キャストやクルーを日本に招致したときに、皆を渋谷に連れていったんです。外国からきた人って渋谷に行くと「日本に来た!」と言って喜んでもらえるので。でも主演のフォンさんだけは一切車から降りてこないし、あんまり興味がなさそうな感じでした。青森に行って雪を初めて見た時も一人だけ遊ばず何も反応してなかったんです。
はしゃいでいるベトナムチームを他所にじっと一人でいるフォンさんが印象的でした。この映画のフォンさんはある事を誰にも相談できずに、孤独感に苛まれている役柄なのですが、もしかして来日した瞬間から役が入っていたのか? いつか聞いてみたいです。

渡邉p その土地の話でもなく、地元の特産を映すでもない映画にも関わらず、今回本当に地元の方々にお世話になったんです。クランクアップ直後には、町長や役場の方々、ロケ地の提供者、ボランティアスタッフやエキストラなどの関係者、両国スタッフとキャスト一同を集めてささやかな打ち上げをしました。その時に、 その場にいる皆さんが映画の完成を望んでいるのが分かったし、国籍だけでなく様々な立場の人が一同に会しているその雰囲気が、物語とは裏腹にとても温かく、なんとも言えなかったのを覚えています。

―ありがとうございました。

=取材を終えて=
お二人に会うのは『僕の帰る場所』取材以来です。つい話があちこちに飛び、長くなりましたので記事を2回に分け、ネタバレは避けてまとめました。あちこち口調が違いますが(笑)そのままにしています。
作品は普段目に留まりにくい技能実習生にフォーカスしています。最初の勤め先から逃げ出して、パスポートも身分証もない彼女たちには後がありません。怒鳴られて「ごめんなさい」「すみません」とくりかえす3人。「家族が恋しい」と涙するニュー、「家族に喜んでもらおう」と慰めるアン、雪降る町を1人で彷徨うフォン。海辺だけでなく、日本中に彼女たちはいます。コロナの先行きも見えないこんな時期ですが、予防をした上でぜひ劇場でご覧ください。
この取材は2月半ばに上映館のポレポレ東中野のカフェで行いました。ミャンマーで政変があって、藤元監督(奥様がミャンマーの方です)がご心痛のころでした。今はASEAN、中国、アメリカとの協議が調整されているようです。どうか良い方向に行きますように。
※トリビア:病院のシーンに藤元監督の奥様と坊や、渡辺プロデューサーのお子さんも登場しています。わかりにくいですが。(白)

私も『僕の帰る場所』に続き、この『海辺の彼女たち』でも藤元監督、渡邉プロデューサーの取材に参加させていただきました。2作品とも、これまで育ってきた国から離れ、異文化の中で暮らす人たちの葛藤を描いた作品ということで興味を持ったからです。今回は特に、私の人生にとって、とても影響を与えた国であるベトナムから日本に来た人たちを描いているのでよけい話を聞いてみたいと思いました。ベトナム戦争の頃(1969年頃)高校生で、戦争に反対する集会に参加していました。ベトナム戦争後はボートピープルという難民としてベトナムから日本に来た人たちがいました。そして今は「技能実習生」という名の労働力として日本に来ているベトナムの若者たち。その実態を描いた監督の気持ちや映画を作ることになった話をぜひ聞いてみたいというのがありました。根底には「日本人として何ができるんだろう」というのがありました。きっとそれは、この映画を作っている人たちの原動力でもあると感じました。ミャンマーの事情はこの取材の時からさらに悪化していて、監督の家族や親戚の方たちの安否も気になるこのごろです。こちらのほうの情報も注視していこうと思います。

このインタビュー記事では載せていませんが、「最近映画を観ましたか?印象に残っている作品は何でしょう?」という質問に対して、藤元監督が「直近では黄インイク監督の『緑の牢獄』を観ました。面白い面白くないとかの次元で語れない、映画が存在する重要性・必然性に満ちた作品でした。自社チームでの製作〜配給を一貫して行っている事にもシンパシーを感じています」と、答えていたのが印象的でした。私も同じ思いでした。ポレポレ東中野で『海辺の彼女たち』の前、4月に公開されていた作品です。この作品の黄監督にもインタビューしています。よかったらぜひこちらの黄監督インタビュー記事も見ていただけたらと思います(暁)。

『緑の牢獄』黄インイク監督インタビュー記事
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/480829168.html

(取材:白石映子、宮崎暁美、監督写真:宮崎暁美)


外国から働きに来る方のおかげで、私たちはいろいろ享受しています。状況が知られていけば是正されていきますよね。
参考になるサイトいくつか

d's JOURNAL(ディーズジャーナル)(2020/11/4)
【最新版】外国人労働者の受け入れ数はどう変化した?
グラフで読み解く日本の現状と課題
https://www.dodadsj.com/content/201104_foreign-workers/

シロフネ
外国人労働者問題とは?今起きている5つの問題と解決策を解説
https://shirofune.jellyfish-g.co.jp/visa/foreign_labor_issues_5points_solution

一般社団法人 在日ベトナム仏教信者会
〒367-0224埼玉県本庄市児玉町高柳668-2 大恩寺
住職 ティック・タム・チー
https://mobile.twitter.com/NsVCdd5QrgeL9Pa
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