『大統領のケーキ』 ハサン・ハーディ監督インタビュー

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第98回アカデミー賞®国際長編映画部門イラク代表であり、第78回カンヌ国際映画祭 新人監督賞カメラ・ドール 監督週間観客賞W受賞の快挙を成し遂げた『大統領のケーキ』。
7月10日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開されるのを前に来日したハサン・ハーディ監督にお話しを伺う機会をいただきました。


『大統領のケーキ』 英題:The President’s Cake  アラビア語原題:Mamlakah Al-Qasab(葦の王国)

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ⓒ 2025 TPC FILM LLC All Rights Reserved.

監督・脚本:ハサン・ハーディ
出演:バニーン・アハマド・ナーイフ、サッジャード・モハンマド・カーセム、ワヒーダ・サーベト、ラヒーム・アルハジ

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1990年代、独裁政権下のイラク。湿地帯の葦の家で祖母と二人で暮らす9歳の少女ラミア。フセイン大統領の誕生日が近づき、学校のくじ引きで「大統領のケーキ係」に選ばれてしまう。果物係に選ばれた親友の少年サイードと一緒にないものだらけの町を駆け回る・・・
シネマジャーナル作品紹介

ハサン・ハーディ プロフィール
戦時下のイラク南部で育つ。長年にわたりジャーナリズム、映画製作の分野で活躍し、ニューヨーク大学の大学院映画プログラムで非常勤講師も務めた。
これまでにゴッサム・マーシー・ブルーム・フェローシップ、ブラック・ファミリー・プロダクション賞、スローン財団プロダクション賞を受賞。2022年のサンダンス・ラボ・フェローであり、長編デビュー作『大統領のケーキ』で、2022年サンダンス・インスティテュート/NHK賞、SFFILMレイニン助成金、ドーハ映画協会助成金を獲得している。(公式サイトより)



◎ハサン・ハーディ監督インタビュー

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―『大統領のケーキ』は、今年観た中で、一番心に深く残る映画です。

監督:今年は、まだ半年も経ってませんが・・・

― 1年終わった時点でも、ベストだと思います。
12歳の時に、父の友人の考古学者から、イラクを訪れた時のチグリスとユーフラテスが雄大で、星空がとても綺麗だった話を聞かされ、いつか訪ねてみたいと思いながら、チャンスをのがしています。『大統領のケーキ』では、独裁政権時代の厳しい暮らしを描きながらも、メソポタミア湿地帯の葦の家や、古い遺跡、モスクなどの情景が美しく、心を奪われました。

監督:ありがとうございます。イラクの美しさを知ってもらいたい思いもありました。

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◆イラク映画の過去と今

― これまでに私が観たイラク映画は・・・
シャウキャット・コルキ監督の2本
『砂塵を越えて』(2006年)
『僕たちのキックオフ』(2008年)、

モハメド・アルダラジー監督
『バビロンの陽光』(2011年)

アラブ映画祭2005のイラク映画回顧展では、『アリアとイサーム』 『夜警』 『乾き』 『葦の詩人』 『異邦のトウモロコシ』 『忘却のバグダッド』 『少女ジャーン』 『葦の男』 『露出不足』の9本が上映されました。

(報告記事を掲載したシネマジャーナル65号をお見せしたところ、来日したカーシム・アビド監督(『異邦のトウモロコシ』)と、ウダイ・ラシード監督(『露出不足』)の姿を小さな写真の中に見つけて、感慨深げに眺めるハーディ監督でした)

監督:アラブ映画祭は今もまだあるのですか?

― 残念ながら今はありません。

監督:それは、残念です。2005年というと、サダム政権が崩壊して、まだ程ない頃で、イラクに注目されたこともあって、イラク映画が特集されたのでしょうね。

― 2005年のアラブ映画祭では、「イラク映画の今」というシンポジウムもありました。1974年以降のバース党独裁時代、映画はプロパガンダの道具となり、1990年にはサダムが映画館を閉鎖。さらに、1991年、国連による化学製品輸入禁止でフィルムが入手できず映画産業が完全に停止。サダム政権崩壊後、ようやく映画製作が徐々に復活したことを知りました。イラクでは、長い間、映画があまり作れなかったとのことですが、今のイラクでの映画製作の状況はいかがですか?

監督:多くの人が映画を作ろうとしています。世界のほかの国と同じく、映画製作にはまだまだ壁はありますが、今は政府からの助成もあります。ほかにも後押しがいろいろあります。

― 映画人のコミュニティなどはあるのでしょうか?

監督:残念ながら、まだそこまでの状況ではないです。作り始めているところです。

― 2005年のアラブ映画祭で上映された『忘却のバグダッド』(2002年)は、サダムがイラクに住むユダヤ人から財産を没収して、イスラエルに追いやったドキュメンタリーでした。今回、『大統領のケーキ』で、初めてサダム・フセインの独裁政権時代に市民生活において何があったのかを知ることができました。今、サダムの時代を描く映画は多いのでしょうか?

監督:興味を持っている人は多いのですが、これからクランクインする12本のうち、サダムの時代を描くのは、1本くらいです。


◆子役二人に芽生えたほのかな恋心

― 監督の同級生が、ケーキを用意できなくて、学校をやめさせられて、少年軍に入ったという経験が本作のもとになっているとのことで、そんなことがあったのかと驚きました。
この映画には、当時のサダム礼賛が中心だった生活が、少女ラミアと少年サイードを通じて描かれていて興味深かったです。
二人の演技が初出演とは思えないほど、とても自然でしたが、演じた二人は、その後、俳優を続けたいと思っているのでしょうか? 


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監督: 二人とも、俳優を続けたいと思っているようですが、ラミアを演じたバニーン・アハマド・ナーイフの家は保守的でちょっと難しいかもしれません。サイード役のサッジャード・モハンマド・カーセムの方は、家族の理解があります。

― まばたきゲームで見つめあっていた二人に、恋は芽生えたのでしょうか?

監督:はい! 恋が芽生えたから、映画が上手くいきました。

― 恋が続くといいですね。

監督:サイード役のサッジャード・モハンマド・カーセムの方が思いが強かったようですが、初恋のようなもので、その後続くかどうかですね。この映画を観た人の多くが、二人がうまくいってほしいと期待しています。


◆サダム・フセイン政権の功罪

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― 私の大学の後輩男性が、1985~1987年の2年間、イラクのモスルに駐在して、Saddam Dam Project に関わっていました。イラク人の技師はキチンとした英語を話すし、女性の技師もいて、イラクの教育レベルや知的レベルの高さを感じたとのことです。

監督:まさに、彼の感じた通りです。70年代、イラクではトップレベルの教育を誇っていました。アラブ諸国の中の日本であるという位の自負がありました。技術的にも最先端をいってましたし、医療や保健もトップレベルでした。経済的にも良好でした。1979年、突然サダム・フセイン大統領が登場して、いくつかの戦争がありました。特にイラン・イラク戦争は8年も続きました。1980年には、識字率ほぼ100%だったのに、2003年にサダムが権力を失った時には、人口約2000万人のうち識字率50%位にまで落ちました。 サダム大統領就任時、4000万本のヤシの木があって、10年後には3倍にする計画でしたが、20年後に3分の1の1300万本位に減ってしまいました。湿地帯もほとんど干上がってしまいました。6000年の歴史があるところなのに。経済制裁を受けて、借金もあって、この2~3年でやっと完済しました。

― その後輩の彼からの質問です。もちろん、私も聞きたかったことです。答えにくいかもしれませんが、サダムの独裁下で統一された時代と現在の様々な勢力に分裂された時代、一般のイラク市民は、どちらの時代の方が住み易いと感じていますか? また、サダムがアメリカに不条理に殺された事について、イラク人はどう思っていますか?

監督:まず、サダムが殺されたのはアメリカ政府の手によるものではなくて、イラクの法のもとでイラク人によって行われた裁判で死刑になったからです。でも、誰かが亡くなることで喜んだ人はいません。サダム政権崩壊のあとの暴力は、侵略されたことによるものが多いです。社会がもろかったから、教育のレベルも低くなり、戦争・戦争のトラウマを抱え、武器も過度に持ちすぎました。イラクの市民にとって初めて元首相と元大統領が殺されるという経験をしました。自分たちの権力を平和的に持てたわけではありませんでした。まだまだやらなければならないことがたくさんあります。まだ状況として腐敗も多い。でも、全体的には前にちゃんと一歩二歩と足を進めています。今まだ危うい状況もありますが、僕の希望は逆戻りしないことです。

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◆映画について

― 映画に出てきた棺の上に国旗のような布が掛けてあり、風に飛ばされましたが、意図したことは?

監督:僕たちの文化で、棺を聖地巡礼させます。最後に住んでいた家にも連れていってから墓地に向かいます。魂は家に戻らないと、この世を離れないと言われています。棺の上に掛けてあったのは国旗ではなくて、亡くなった方の服(アバヤ) です。服が飛んでいったのは、生まれた場所である湿地帯に近づいたから、ほっとしたことを表しています。

―雄鶏ヒンディを抱えての演技は大変だったのでは?

監督:最初の数日は大変でしたが、あとは全然大丈夫でしたよ。

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― ラミアが映画館に連れていかれる場面が印象的でした。監督がこれまでに観た映画で、映画監督になろうと思ったきっかけになった映画はありますか?

監督:映画を作りたいと思うきっかけになったのは、映画ではないんです。動画を編集してインターネットに載せて友達に見せたら喜んでくれて、映画を作ってみようと思ったのです。

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★取材を終えて
監督にお会いして、「アッサラームアレイコム アハラン ワ サハラン(ようこそ)」とかろうじて知っているアラビア語で挨拶したあと、日本イラン文化交流協会の名刺もお出ししたところ、監督からペルシア語で「イランに行かれたことはありますか」と聞かれ、びっくり。「ペルシア語をお話になれるのですね。どうして?」と伺ったら、イラン人の友達がいるとの答えでした。 昨年のカンヌ映画祭で、監督週間観客賞とカメラ・ドール(新人監督賞)をW受賞した折の授賞式で、『シンプル・アクシデント/偶然』でパルム・ドール(最高賞)を受賞したジャファル・パナヒ監督からアドバイスの言葉を貰ったというハサン・ハーディ監督。二人はペルシア語で会話したのだと、その場を思い浮かべ微笑ましく思いました。 ハーディ監督も、いつかパルム・ドールに輝く作品を作ってくださることを期待しています。
(★助言の内容は、下記に掲載する来日トーク オフィシャルイベントレポートをご参照ください)

取材:景山咲子




『大統領のケーキ』
巨匠パナヒ監督からの助言も告白
カンヌ国際映画祭 新人監督賞(カメラ・ドール) 受賞監督が
日本での映画公開を記念して来日トークを実施!
<オフィシャルイベントレポート>


日本公開に先駆けて、6月11日、一般の観客を対象とした日本最速試写会を実施。ハサン・ハーディ監督が来日し、上映後に作品に込めた思いや制作秘話を語った。
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トークイベントの冒頭、ハーディ監督は観客に向けて感謝の言葉を述べ、「映画作家として一番うれしいのは、自分の作品を観るために皆さんが足を運んでくださること。制作中の苦労や疲れがすべて吹き飛ぶ」と笑顔を見せた。
カンヌでの快挙について問われると、「1本目であれ最後の作品であれ、カンヌで賞を受賞することは特別なこと。それが2つも受賞できたことは光栄だった」と振り返る一方、「同時に期待も高まるので責任を感じた」と率直な心境を明かした。授賞式では、同じくカメラドール受賞経験を持つイランの映画監督ジャファル・パナヒから「30年前僕もカメラドールを獲ったけど、その次の作品は周りの期待が大きすぎて大変だった。だからこそ好きなものを好きに撮ればいい」と助言を受けたというエピソードを披露。しかし続けて「でもあなたは、今パルムドール(最高賞)を獲ったばかりですから言うのは容易いですよねと心の中で思っていました」と語り、会場の笑いを誘った。

本作の原点となったのは、監督自身の幼少期の記憶だった。サダム・フセイン政権下の学校では、大統領の誕生日を祝う行事のために小学生たちが役割を割り振られ、監督は花を持参する係を担当した。一方、ケーキを準備する役目を担った友人は任務を果たせず、学校を退学させられた末にサダム少年軍へ送られてしまったという。
「なぜ彼で、自分ではなかったのか。その罪悪感をずっと抱えていました」と語るハーディ監督。「この映画を作ることは、自分にとってセラピーのような体験だった。自分自身だけでなく、周囲の人々をも癒やす作品になったと思う」と振り返った。

主人公を子どもにした理由については、「子どもの視点から描くことで、政治的なメッセージが前面に出過ぎることを避けたかった」と説明。子どもは最も主観的な存在である一方で、社会的なフィルターや偏見を持たずに世界を見つめていると考えたという。
さらに本作には、初恋を描いた青春映画や冒険譚としての側面もある。「兵士や将軍ではなく、市井の人々をヒーローとして描きたかった」と監督は語る。歴史の中で名もなく消費され、ニュースでは単なる数字として扱われがちな人々に声を与えたいという思いがあったという。「彼らは数字ではなく、一人ひとりの人生を持つ人間なんだということを伝えたかった」と力を込めた。

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映画づくりにおいては、イタリアのネオリアリズモ映画から大きな影響を受けたという。演技未経験者を積極的に起用し、日常に根差したリアリティを追求した。また、日本映画からの影響についても触れ、「ある場面では溝口健二監督の作品に強く心を動かされ、その演出を取り入れている」と明かした。さらにイラクの詩や文学から受けたインスピレーションも映像表現に反映されているという。

美しい映像も高く評価されている本作だが、撮影監督には今年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『Fjord(原題)』でも撮影を担当したルーマニア出身のトゥードル・ヴラディミール・パンドゥルを起用。ハーディ監督は以前からルーマニア映画のファンだったといい、彼が手掛けた作品に魅了されたことがきっかけだった。「脚本を送り、その後Zoomで話し始めて10分で、自分のビジョンを完全に理解してくれていると感じた。絶対に一緒に仕事をしたいと思った」と信頼関係の強さを語った。

観客との質疑応答では、主人公ラミアを演じた少女バニーン・アハマド・ナーイフについても言及した。監督は学校やスポーツクラブなどでいろんな場所で根気強く、ラミア役を探し続けたという。最終的に起用されたバニーンについて自己紹介動画を見た瞬間、「この作品を背負える存在だ」と確信したと明かした。撮影前には子どもたちとワークショップを重ね、歌やダンス、ジョークを交わしながら信頼関係を築いた。そのうえで「カットがかかるまで役を生きること」「演技に正解も不正解もないこと」という2つのルールを伝えたという。ラミアが紙に書かれたケーキの材料を読み上げるシーンでは、雄鶏が突然紙を奪うという予想外のハプニングが起きたが、バニーンは動じることなく自然に演技を続けた。監督は「まさに彼女が役として存在していた証拠だった」と称賛した。

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また、ラミアが常に抱えている雄鶏にも重要な意味が込められている。舞台となるイラク南部の湿地帯では、人々と動物が密接な関係を築いているという。監督は「ラミアにとっては冒険に親友を連れて行くような感覚」と説明する一方で、雄鶏には象徴的な役割も持たせた。イラクには「雄鶏は天使や悪魔を見たときに鳴く」という言い伝えがあり、映画の中では不吉な出来事の前触れとして雄鶏が鳴くよう意図的に演出しているという。
さらに、劇中で使用される音響にも監督自身の記憶が色濃く反映されている。実際にバグダッド空爆時に記録された音を取り入れ、「子どもの頃に聞いていた音を再現したかった」と説明した。

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また、2000年代以降のイラクを描く可能性にも言及。「イラクには物語になる出来事があまりにも多い」と語りながらも、「今回はまず自分の少年時代である90年代を振り返りたかった」と述べた。
戦争や独裁政権という重い歴史を背景にしながらも、本作が見つめるのは名もなき子どもたちの日常と希望。ハーディ監督は、激動の時代を生きた人々の記憶を未来へつなぐように、「数字ではなく、人間の物語」としてスクリーンに刻み込んでいる。

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