『わたしの聖なるインド』 専修大学文学部「映像ジャーナリズム論」ノウシーン・ハーン監督特別講義

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【日時】4月23日(木)14:50~16:20
【会場】専修大学生田キャンパス10号館10101教室

専修大学文学部 ジャーナリズム学科 山田健太教授より、ノウシーン・ハーン監督紹介。
(学生たちは、前週の講義の時間に『わたしの聖なるインド』を鑑賞し、感想を提出済)


『わたしの聖なるインド』   原題:Land of My Dreams
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監督・撮影・編集:ノウシーン・ハーン
2019年12⽉、モディ政権はイスラム教徒を意図的に排除した市⺠権改正法(CAA)を制定。イスラム教徒の間で市⺠権を剥奪される危機感が⾼まる中、反対運動の拠点だったジャミア・ミリア・イスラミア⼤学構内に警察が乱⼊。この暴⼒的な対応と差別的な法案への抗議として、デリー南部のシャヒーン・バーグで、⼤規模な座り込みが始まる。その中⼼にいたのはムスリムの⼥性たちだった…
シネジャ作品紹介


ノウシーン・ハーン監督 特別講義
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通訳:若井真木子さん(山形国際ドキュメンタリー映画祭・東京事務局)

ドキュメンタリーを作り始めて10年。いろいろ紆余曲折がありましたが、日本で公開されることになりました。

◆自分が何をしたいかを探る
ジャミア・ミリア・イスラミア大学でマスコミニケーションで修士号。その後、ムンバイで映画製作に携わりました。最初は編集の仕事。撮影が終わった映画のポストプロダクションをする会社でした。でも、自分は映画を作ることをしたいと思い、アシスタントカメラマンとして、まず映画のメーキングを作成しました。映画製作の中で、どういう仕事があるかを学べました。次にカメラマンの助手の仕事に就きました。しばらく撮影監督の助手をしていましたが、監督の意図したものに沿って撮影するだけとわかって、自分が面白いと思うものを撮りたいと思いました。
その後、テレビのプロデューサーや、CM制作などを経験して、何が自分に向いているのかを探りました。通常、カメラマンをずっとやって、助手から監督とキャリアアップするのですが、私は違いました。

◆カシミールに拠点を置き映画のテーマを模索する
北インドのカシミールは、紛争地域という一方、美しい山岳地帯の観光地なのですが、そこに拠点を置いて、インディペンデント監督として、映画を撮り始めました。
美しい風景の陰に隠された紛争に興味を持つようになりました。いかに住民、特に女性や子どもが苦しんでいるかを知りました。2018年にドキュメンタリーを撮り始めました。2019年に法律が改正されて、カシミールの既得権が剥奪されました。ネットなどが遮断されました。いろいろなドキュメンタリーを撮って、模索しました。2年ほどテレビや映画の企画を提案していきました。現地の人たちとの信頼関係を築きながら模索しました。ジャーナリストの精神がインディペンデントで映画を作ることの原動力でした。
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◆市民権改正法へのデリーでの抗議運動を撮る
2019年、市⺠権改正法(CAA)が問題化しました。デリーに行って、ジャミア・ミリア・イスラミア大学の抗議運動を取材しました。ものすごい暴力で、抗議運動が妨害されているのに、正しく報道されないことを目の当たりにしました。記録しなければと思いました。インドの大手メディアは政府の息がかかっていることが多いので、違う視点で報じなければと思いました。ニューデリー南部のイスラム教徒居住区のシャヒーン・バーグでの座り込み抗議運動は、女性が中心。発端は、大学の図書館に警官が侵入し学生に暴行を行ったことでした。学生は、インドの未来。そんな風に扱うことに耐えられないと、母親など女性たちが立ち上がりました。 
市民権改正法についても知ることになりました。
抗議運動の中心は、ムスリマ(イスラーム教徒の女性)でした。普段、外に出ない女性たちが、表に出て声をあげたことに驚きました。インド政府に不満を持つ人たちが、彼女たちに触発されてインド全土に抗議運動が広まりました。
座り込みしていた人たちの内、100人以上が暴力によって亡くなりました。コロナでロックダウンになり抗議活動は終わってしまいました。
暴力の風が吹き荒れたのは、ムスリムが標的だったのに、ムスリムが悪いという風に報道が捻じ曲げられました。
3年、編集にかかって、最初、山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されて市民賞(観客賞)をいただきました。ようやく日本で公開されることになりました。


◎学生たちとのQ&A
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― 映画を観るまで、インドで起きていることを全く知りませんでしたので驚きました。ドキュメンタリー映画を作って、インドへの思いは変わりましたか?
(女子学生から、英語での質問でした)

監督:大学の図書館に警察が突入して暴力をふるいました。大きな痛みと怒りを感じました。証拠を記録として集めました。暴力をした側が裁かれると思っていたのに、力でもって無きものにしようとしました。すべてを記録することで、抵抗することのアーカイブにしたいと思いました。人々の希望や連帯がコロナでロックダウンになって、圧倒的に違う世界になってしまいました。何が自分の生活だったかを思い出せないくらいでした。
ロックダウン前の抗議運動を記録しておいてよかったと思いました。映画を作りながら、諦めや絶望もありましたが、作ってよかったと思っています。人々に希望も与えられればと願っています。

― 多くのメディアが政府の息がかかっているとのこと。ムスリムを迫害している側について、多数のメディアはどう報道しているのでしょうか?

監督:テレビは影響力があって、皆が見ています。今、起きている政治状況が、彼らなりの目線でマイノリティの姿を見せていて、権力を守ることに必死です。マジョリティの人たちに、ムスリムやダリットなどマイノリティが悪い影響を与えているようにストーリーを作って流していくのです。裁判所も与党が牛耳って、その時の権力者に有利な状況です。

― 製作資金についてお伺いします。

監督:実際、すべて自分で資金を調達しました。私自身、ムスリマで、ムスリムのコミュニティの映画を撮るのに、誰かから資金を貰うと隙が出来てしまいます。あとから資金源について何か言われてしまいます。自分の物語として作りたかったので、資金を誰かから貰うことはしたくありませんでした。全編、編集も自分で行い、ナレーションもスタジオを借りて自分で行いました。時間をかけて作ったので、テーマと向き合っていろいろと考えることができました。

― 体制側でないメディアはあるのですか?

監督:テレビや新聞は広告収入で成り立っているので、与党の宣伝に使われています。反政府的発言をするジャーナリストが逮捕されています。いかに沈黙させるかに躍起になっています。政府に意見するNTTVというチャンネルがあって、唯一の希望だったのですが、去年、与党支援者が買収してしまい、政府批判が出来なくなって、YouTubeから発信しています。

― 映画の中で意見を発した人が暴力を受けている場面が映っていますが、撮っている時に警察などからの圧力はありませんでしたか?

監督:撮っている時、危険は常にありました。暴力を目の当たりにしましたが、撮っている時、警察の暴力は激しさを増すばかりでした。抗議活動は暴力にさらされながら続いていました。撮影している私にも危険がおよびそうになるので、なるべく目立たないようにしていました。編集している時に感じたのは、パラノイアです。
南アフリカで上映した時には、在南アフリカのインド大使館から妨害を受けました。

山田健太教授: 学生たちはシャイでなかなか質問が出ないのではないかと心配していました。事前に提出してもらっていた学生たちの質問の中に、最後の台所のシーンについて、何を表したかったのかという質問が結構あがっていました。

監督:とてもいい質問。気づいてくださって、ありがとうございます。最後のシーンは、時系列では、最後ではないのですが。
デリーの多くのムスリムが、コロナの時に殺される事件が起こりました。その中で、希望や連帯を感じさせるものを入れたかったのです。未来を予測しているのも、その一つです。
最後の台所の場面で、入れ物に水を注いでいくうちに水が噴き出すというのは、抑圧に我慢できなくなったという比喩です。これ以上無理と、人々が立ち上がったきっかけとなったのが、市民権改正法でした、

山田教授:ムスリマに焦点をあてていますが、インドの女性が抑圧されていることや、モディ政権批判をクリアに表していました。

監督:私自身、ムスリムで女性であることを映画に反映するつもりは、最初はありませんでした。あくまでジャーナリスティックな目線で作ろうと思っていました。編集しているうちに、自分の中に沸き上がった感情が反映されていないと思いました。少し前は、自己紹介する時に、ムスリムの女性とは、あえて言いませんでした。アイデンティティを見つめなおす機会になりました。座り込みしている女性たちから、教えられました。マイノリティとしてのアイデンティティは自信に繋がるものだと。ムスリム女性の私自身も主人公であると変わっていきました。
抗議活動が内包している様々なものは、私自身が一番考えていることです。

山田教授:監督から、学生に質問をしてください。それを今日の学生たちの宿題にします。

監督:皆さんが感じている「怒り」を描写してください。その源も含めて。
メディアで働くということは、自分の直感が重要。「怒り」という入口を通して、自分自身が見えてくるのではないかと思います。自分自身の好奇心にも気が付けるのではないでしょうか。

*********

講義終了後、30分程して学生さんたちから回収した「宿題」をさっそく読む監督。時折、笑みもこぼれました。今は、スマホをかざすと手書きの日本語も寸時に英語に翻訳されるので、便利な世の中になったものです。

今回の来日中、個別インタビューの時間も設けられたのですが、出遅れて、私が申込みした時にはすでに枠がいっぱい。宣伝のリガードの西晶子さんから、この専修大学での特別講義の取材の案内をいただきました。実は、配給のきろくびとの中山和郎さんが、専修大学で講義の枠を持っていらっしゃって、その中での映画上映と監督の特別講義でした。このような機会を持てる学生さんたちを羨ましく思いました。
受講生は女性の割合が多かったとはいえ、質問はすべて女子学生からでした。頼もしいです。

講義の中で、カシミールに滞在していた時期があると語っていらしたので、『カシミールの秋』や『カシミール 冬の裏側』のアーミル・バシール監督のことを伺ったら、もちろん親交があるとのことでした。
取材:景山咲子



◆スタッフ日記
生田の森 登戸研究所、そして『わたしの聖なるインド』ノウシーン・ハーン監督特別講義 (咲)
https://cinemajournal.seesaa.net/article/520534448.html?1777203766

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2023年 山形国際ドキュンメンタリー映画祭市民賞受賞

『西湖畔(せいこはん)に生きる』グー・シャオガン監督トーク付き上映会

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新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開中の『西湖畔(せいこはん)に生きる』の顧暁剛(グー・シャオガン)監督が先行上映会に登場し、映画の上映後トークショーが行われました。
 
1作目の『春江水暖〜しゅんこうすいだん』が日本でスマッシュヒットしたグー・シャオガン監督。2作目の『西湖畔に生きる』は、去年10月の第36回東京国際映画祭(2023)で上映され、その際に来日。それ以来の来日をし、8月27日に先行上映と監督のトークショーが行われた様子をまとめました。
東京国際映画祭では、黒澤明賞(新たな才能を世に送り出していきたいとの願いから、映画界の未来を託していきたい映画人に贈られる賞)を受賞。山田洋次監督とのトークショーも行われています(記事はこちら)。

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©Hangzhou Enlightenment Films

『西湖畔(せいこはん)に生きる』 ストーリー
浙江省杭州の西湖畔。中国緑茶・龍井茶の産地として有名な西湖の沿岸に暮らす母と息子の関係を軸に、マルチ商法など経済環境の変化の中で揺れる家族の姿を美しい風景の中に描いた。10年前に父が行方不明になり、母の苔花と生きて来た青年目蓮。父を探すためにこの地で進学。卒業を控えて、今は求職活動をしている。
母の苔花は茶摘みで生計を立てていたが茶商の錢と恋仲に。茶摘みの仕事ができなくなり、苔花は同郷の友人に誘われ、マルチ商法に取り込まれ、詐欺まがいの仕事にのめりこんでいった。
マルチ商法の地獄に落ちていく母・苔花(タイホア)役を蔣勤勤(ジアン・チンチン)が演じ、母を救おうとする息子・目蓮(ムーリエン)を呉磊(ウー・レイ)が演じ、母子を守ろうと心を寄せる茶畑の主人に陳建斌(チェン・ジエンビン)が扮した。
シネマジャーナルHP作品紹介
『西湖畔に生きる』公式HP

グー・シャオガン監督トークショー
2024年8月27日(金) Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて

司会 ムヴィオラ 武井みゆきさん 通訳 磯 尚太郎さん

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●「山水映画」というのも1つのジャンルになるのではないか

顧暁剛監督 幸運なことにたくさんの方に注目していただき、東京国際映画祭では山田洋次監督と対談もできて夢見心地でした。今回また日本に来て、さらに多くの皆さんに作品をお見せできることがとてもうれしいと同時に皆さまに親しみを感じています。

司会 1作目の『春江水暖』でファンになった方も多いと思います。この『西湖畔に生きる』はまだ長編2作目です。去年の東京国際映画祭でこの映画を観ている方もいると思いますが、1作目とタッチが変わったんじゃないかとすごく驚いた方もいらっしゃると思います。前作『春江水暖』は、主に監督の親戚がキャストとして出演していましたが、本作ではウー・レイやジアン・チンチンといった中国映画界のスター俳優が参加しました。長編2本目でスケールアップしましたが、大きな勇気がいったと思います。西湖を撮っている、山水というところには共通点はあると思いますが、監督は、なぜ2本目でこのような変化をしてみたいと思われたのですか。

監督 私は映画学校で制作を学んだわけではないんですね。前作は初めての長編劇映画で、インディペンデントな方法で製作しています。その時からもっと多くの映画の技法を学びたいという気持ちがありました。今回、幸運なことにスター級の俳優を起用することができ、映画産業のルールにのっとった商業的な映画の製作ができて、このような規模がまったく違う方法で製作できました。
前作『春江水暖』は、幸運にもたくさんの方に好きと言っていただけましたが、これを撮っている時は、まだ「山水」と映画の関係について、ちゃんと考えていたわけではないのです。『春江水暖』を公開した時には3本の「山水映画」を撮ると言っていたのですが、『西湖畔に生きる』の中ではそれを訂正しました。この映画の冒頭で墨文字が出てきましたが、そこに「無数の山水画がある、無数の山水映画がある」というような表現をしました。
『春江水暖』が山水画の「富春山居図」を元にして「山水」という映像言語の可能性を提示したものであったとすれば、『西湖畔に生きる』では「山水」が、クライム映画とかロマンスとかロードムービーのようなジャンルというように、映像言語の1つであるジャンルになる可能性について追及しようと思いました。

●冒頭シーンはどの段階から考えていたのでしょうか

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©Hangzhou Enlightenment Films

司会 この映画の冒頭、山起こしをするシーンまでのドローン撮影が圧巻ですが、あのすごい映像は、脚本を書いている段階から考えていたのでしょうか。

監督
 脚本を書いている段階であの描写を考えていました。
『春江水暖』の時は長回しの技法をたくさん使いました。長回しというのは、右から左、左から右へと、技術的には複雑なことではありません。しかし、時間と空間の理解とか概念というのがこれまでと違っていて、山水画に由来するものでした。たくさんの登場人物たちが、いろいろな時間と空間を共有しています。
『西湖畔に生きる』では、山水画の遊観という原理を使いました。これは必ずしも写実的な映し方ではありません。ひとつの画面の中に複数の空間、異なる時間を並列させておくという考え方です。冒頭のシーンはその考え方を映像にしたものです。

●映画のみどころ 俳優たちの熱演

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©Hangzhou Enlightenment Films

司会 最初のドローン撮影とともに、この映画ではジアン・チンチンさんのすごい熱演というか狂気というのが心に残りました。また息子役のウー・レイさんの純粋さというか、こんなにも目の綺麗な人っているんだなあと映画を観て驚きました。

監督 今回、初めてプロの俳優たちとの仕事をすることになりました。今思い出すと彼らと仕事ができたことは夢のようなことだったと思います。彼らと一緒に役やキャラクターを作っていきました。今しがたこの舞台にのぼる前に外で最後に流れる歌を聴きながら「今回の撮影は本当に地獄の旅のようだった」感じていたところです(笑)。
橋の下でジアン・チンチンが絶叫するシーンでは、ウー・レイは、本当に心が崩壊してしまいそうになりました。お母さんに気持ちを投入し、「自分の母親がまったく違う母親になってしまった」と思って演じてくれました。撮影が終わった後もつらくて1時間ほど泣き続け、ずっと芝居から抜け出すことができないそういう状態でした。
ジアン・チンチンとウー・レイはあのとき、タイホアとムーリエンを演じていたわけではなく、かといって彼ら自身だったわけでもない。多くの母子の情感や魂が彼らの上に降臨してあの演技ができたのだと思います。
それと、もうひとつ思いだすのは、ウー・レイがお母さんを背負って山の中に入っていくシーンです。あのシーンを撮った時はすでに寒くなっていて、スタッフはコートを着ていました。ウー・レイは風邪気味で、コンディションが良くなかったのにジャン・チンチンを背負って山を登らなくてはならないという状態でした。調子が悪そうだったので翌日に回そうかなと思ったのですが、その撮影場所まで往復4,5時間かかる場所だったし、スタッフがたくさんいるので、ウー・レイは早く撮影を終わらせようと頑張って登ってくれたのです。
撮影の時に吐き気をもよおすシーンがありますが、これは演技ではなく、ほんとにつらかったんです。撮影が終わった時には彼はヘトヘトで、しかも、そこから2時間かけて山を下りなくてはならないという状態でした。ウー・レイは「今生の中で一番暗かった時間だった」と言っていました。

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©Hangzhou Enlightenment Films

もう一つ大変だったのは、この映画の撮影時期はコロナ禍で出資を募るのも簡単にはいかなくて、撮りながら出資を募っていくという状況でした。その中でジャン・チンチンとウー・レイも出資してくれたんです。そこまで映画を信じてくれました。今回、役者たちの信頼を得て撮影を行っていく中で、普通の仕事の関係を越えた感情で結ばれるようになったと思います。私は魂を差し出す、魂を交換するということがよくわかりました。大雨のシーンの一瞬は役者たちの力がすべてでした。俳優たちは皆、私たちのチームを信頼して、身と心を預けて演じてくれました。私はあの雨のシーンの撮影で魂の交感を本当に実感しました。
そして、もう一つ大事だったのは、あの撮影の現場に茶畑の主人を演じたチェン・ジエンビンさんもいたということです。彼も私たちのことを完全に信頼してくれました。実は彼はジャン・チンチンさんの本当の夫で、妻であるジャン・チンチンさんを励ましてくれました。そういう手助けがあって演技ができたんだと思います。
と、撮影を振り返りながら俳優たちへの深い感謝を語っていました。

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観客からの質問コーナー

質問 中国では検閲がネックになっていると思いますが、どのように乗り越えたのでしょう。

監督 その点でも大きな挑戦ではありました。映画の企画、テーマも大きな冒険の旅だったと思います。マルチを扱った映画というのは、これまで中国ではなかったのです。それが、なんとか形にできたのはプロダクション、配給会社、スタッフ、キャストの信頼があってこそだったと思います。それによって、今回、チャレンジ、様々な冒険を経て、このテーマの映画を撮ることができたと思います。完成して公開され、中国では良い成績を残すことができたのは、この映画にとって大きな成功だったと思います。

質問 先ほど言っていましたが、山水映画はどんなテーマと結び付くのでしょう。

監督 素晴らしい質問ありがとうございます。「山水」というのは、直感的に目に見えるもの、耳に聞こえるものなど直接の風景などもある以上に「澄懐観道」という四字熟語が山水映画のテーマとしてあるんです。心を澄ませて道を見るということ。ホウ・シャオシェン監督や小津安二郎監督らの作品がどうしてあんなに素晴らしいかというと、そこに彼らの人間世界に対する愛や、人の世に対する彼らの見方があるからだと思います。だから時空を超えた芸術作品としての価値を持つことができたんだと思います。だからこそ彼らの作品は「澄懐観道」だったと思うんです。
『春江水暖』も、この「澄懐観道」を目的としていました。ただそれは直接的ではない方法で描かれました。家族の物語でしたが、「循環・輪廻」を描いていました。『西湖畔に生きる』は、いかにして人間が本来の自分に戻ってこれるかを主題にしています。日本版のポスターやチラシの右上に「そのほとりには天上が在り地獄が在る。」とキャッチコピーがありますように、人の世の中、天国と地獄の両方が存在する。現代文明では、社会から教育とか価値観によっていろいろことが吹き込まれる。でもそれはほんとの意味での自分ではないので、「本当の自分」というのを模索したかったんです。天国と地獄、人間の心にある神と悪魔の部分を違った撮影形式で表現した作品になっています。
マルチ詐欺の場面は山水映画の言語として、観察者の視点で客観的に撮ることもできました。ただ今回はジャンルとしての山水映画を探求したかったので、観察者の視点をやめ、もっと入り込んだ視点で撮ることにしたんです。人間の心にある神と悪魔の部分を違った撮影形式で表現しました。風景を映すときは神のような視点で、マルチ詐欺の部分は入り込んだまなざしで地獄を描きました。今回はクライムの映像としての可能性を広げられないかということを考えたのです。

質問 タイホアが茶摘みの仕事で家計を支える設定にした理由は? 

監督 核心的な質問なので、どうやったら簡単に答えられるかですね(会場爆笑)。この話は「目連救母」という仏教故事をもとにしていて、目連は宗教的な意味を帯びた登場人物です。それを現代的に翻訳する上で「茶」がすごく大切だったんです。中国の原題は「草木人間」で、‌「茶」の文字を分解したものです。要するに、人間が草木の間にいるということです。この題名には、私自身深い意味、感情を込めたものです。この映画の中では「茶」というのは3つに分けて出てきます。ひとつは銭さんが煎っているお茶です。西湖龍井茶でとても高いんです。経済的なお茶です。また宋代のお茶のてん茶の技法。日本の抹茶的な技法です。それから唐代のお茶の技法が出てきます。「茶禅一味」といって、茶は禅に通じるものがあるということです。この映画の中では、人間を越えた神のような存在、タイホアは悪魔のようなもの。神と悪魔が自分探しをするんですね。仏教故事を現代の物語として描く上でお茶というのが大切な道具になりました。

司会 監督、次回作のことも含めて最後の挨拶をお願いします。

監督 次作、第3作ですが、やはり山水映画です。家族の物語で、ラブストーリーの要素が強くなると思います。今までとは違い、撮影のスタイルを決めてから脚本を書いています。できるだけ早く皆さんにご覧いただけるように頑張ります。
今日は遅い時間まで長くお付き合いいただき本当にありがとうございます。すばらしい夜でした! 気をつけてお帰りください。

笑顔の監督に、観客からは大きな拍手が!

トークショーを終えて
監督の答えがすごく長く、翻訳をする方はとても大変だったと思いますが、完璧な翻訳でした。四文字熟語についても、私たちにわかりやすく説明してくれました。それにしても、1問1問に丁寧に答えてくれた顧暁剛(グー・シャオガン)監督。最後の方、司会がなるべく短くお願いしますと言ったら、どうやって短くまとめるか考え込んだ監督でした(笑)。終わってみれば、1時間半。充実したトークショーでした。 
取材・写真 宮崎暁美

映画『WALK UP』主演クォン・ヘヒョ登壇トークイベント報告 (咲)

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韓国の名匠ホン・サンス監督の長編第28作目となる『WALK UP』が2024年6月28日(金)より日本劇場公開されることを記念して、主演のクォン・ヘヒョが緊急来日し、上映劇場の一つ、ヒューマントラストシネマ有楽町にて、6月6日(木)19:00回上映後にトークイベントが開催されました。
クォン・ヘヒョは、20年前に日本での韓流ブームの火付け役となったドラマ「冬のソナタ」(02)のキム次長役で知られ、メインストリームの大作『新感染半島 ファイナル・ステージ』(20)や、Netflixドラマ『寄生獣 ―ザ・グレイ―』(24-)などでも活躍する名優。

『WALK UP』は、ホン・サンス監督常連俳優の名優クォン・ヘヒョを主演に迎え、都会の一角にたたずむ4階建てのアパートを舞台にした、芸術家たちの4章の物語。
シネジャ作品紹介 


●『WALK UP』上映後トークイベント
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ゲスト:クォン・ヘヒョ
MC:月永理絵(ライター/編集者)
通訳:根本理恵

MC: 本日は最速上映会にお越しいただきまして、ありがとうございます。
それでは、本作で主演の映画監督ビョンスを演じ、これまで「冬のソナタ」はじめ多くの作品に出演されてきましたクォン・ヘヒョさんをお呼びしたいと思います。どうぞ拍手でお迎えください。

クォン・ヘヒョ:今回はホン・サンス監督の『WALK UP』の日本での最速上映会の機会にお招きいただきありがとうございます。個人的には20年前に「冬のソナタ」で来たことがある東京にまた来ることができて、ホン・サンス監督の作品を通して、このような形で皆さんとお会いすることができて、本当に光栄です。

MC:ホン・サンス監督から特別に観客の皆様にメッセージをいただいていますので、根本さんから読み上げていただきます。

根本:「私たちが作った映画を今日観に来てくださった観客の皆さんに心から感謝いたします。私が自らご挨拶に行けなくて残念ですが、クォン・ヘヒョさんは映画の主人公であるだけでなく、私と一緒に多くの映画を作った素晴らしい俳優ですので、皆さんと楽しくお話できると信じています。私たちの映画に関心を寄せてくださった皆さんへ改めて心からの感謝をお伝えします。 ホン・サンスより」

クォン・ヘヒョ:昨日の夜遅くホン・サンス監督から届いて、私から読んで欲しいということでしたが、内容をみましたら自分で読み上げるのはどうしても恥ずかしくてできませんでした。

MC:今日はたっぷりクォン・ヘヒョさんにお話しをお伺いしたいと思います。

クォン・ヘヒョ:質問を受ける前に、気になっていることがあります。映画をご覧になっていかがでしたでしょうか?
(満席の観客より大きな拍手)
カムサムニダ。(と、ほっとした表情で笑うクォン・ヘヒョ氏。)


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MC:出演された経緯、どのように出演が決まったのかお伺いします。

クォン・ヘヒョ:『WALK UP』は、ホン・サンス監督の28本目の映画で、私がホン・サンス監督とご一緒した映画としては9本目です。ホン・サンス監督からの出演オファーは、いつも同じ形でいただきます。それは、「いつからいつまで映画を撮る予定だけど、時間ある?」。それだけです。ここにいらっしゃる方なら、ホン・サンス監督の撮り方をご存じかと思います。世界でも類をみない特別な撮り方をされる方です。いつも撮影の前日までどんな映画になるのか、まったくわかりません。撮影場所に着くと、その日に撮影する分だけの台本を撮影の1時間前にいただきます。ホン・サンス監督がその日の早朝に書いた台本です。その日撮影したものの中から細かい事柄を考えて、次の日の撮影の糧にするのです。私たち俳優は、次の日の撮影内容も知りません。私はこの作品をとても気に入ってます。長く答えてしまって申し訳ありません。

MC:主演作としては、ホン・サンス監督作では『それから』以来の主演作だと思いますが、主演であることが、ほかの作品とは違うお話が監督からあるのでしょうか?

クォン・ヘヒョ:この作品については、撮影が始まる前に知っていたのは二つのことだけでした。それは監督から「主人公は君だよ」「主人公の仕事は監督だよ」とだけ言われて撮影に臨みました。このような話をすると、皆さんは脚本がないように思われるかもしれません。先ほどお話しましたように、この作品を含めて、その日の撮影を踏まえて次の日の脚本を書かれます。完璧な台本です。俳優は置かれた状況の中でアドリブは一切なく、ホン・サンス監督は28作品、そのようにしてテイクを何度も重ねて本当に精巧に精密に作品を作っています。撮影の日の朝、台本をいただくのは撮影の約1時間前なのですが、その間にセリフを覚えます。ワインを飲むシーンはワンテイクで17分間ありますが、A4で何枚もあるセリフを一言も間違えずに覚えて、3人の俳優のアンサンブルで撮るので、かなりの集中力が必要とされます。

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MC: 本作は地上4階・地下1階建ての小さなアパートで物語が進んでいきますが、実際に、1軒の建物内で順番に撮影をしていったのでしょうか?

クォン・ヘヒョ:この質問をいただいて思い出したのですが、先ほど、「いつからいつまで撮影するけど時間ある?」といわれたと話しましたが、ホン・サンス監督から特別のお話しがありました。「ソウルの江南に面白い建物を見つけた。ここで撮影したら面白い物語ができそうだ」という一言がありました。実際に、最初から最後まで一つの建物の中で撮影が行われました。

MC:1階から2階と上にあがっていくにつれ、時間が少し経過しているような、もしかして時間が経ってないような不思議な作りでしたが、実際に順番通りに撮っていったのでしょうか?

クォン・ヘヒョ:ホン・サンス監督の作品世界は、非常に特別な構造を持っていますよね。繋がっているようで繋がっていない特別な構造の世界です。驚くべきことであり面白いことです。ホン・サンス監督は、いくつものシーンを撮っておいて、あとから編集して時間軸を決めたりするという編集の技術を使う形ではなく、皆さんがご覧になった順番通りに、本当に一日一日順撮りしていくので、私も撮りながらいつも驚かされています。これはいったいどういうことなのか、これは何だろうと驚きながら撮影に臨んでいます。観ている方も驚きながらご覧いただいたことと思います。皆さんまじめで、真剣に聞いていますが、この話をすると、うわ~っと笑われるのですよ。(ハハハと大笑いするヘヒョ氏)カムサムニダ。

MC:今回、監督役ですが、俳優として、どのような基準で出演作を決めていますか? 監督で選ばれるのか、脚本を読んで決められるのか?

クォン・ヘヒョ:役柄の大きさに関わらず、この作品は面白いなと思ったら出演するようにしています。私は若い頃からホン・サンス作品のファンでした。ホン・サンス監督の作品に出られることは光栄なことです。28年以上に渡り、唯一無二と言えるご自身の世界がある芸術家であり、作品を通して全世界に届けているインスピレーションは素晴らしいものです。撮影に参加できるのは、ほんとうに嬉しいことですし、今日もお蔭様で久しぶりに東京に来て皆さんにお会い出来て嬉しく思っています。

MC: 劇中でギターを弾いているシーンがありますが、今日は特別にギターを弾いていただこうと思います。

クォン・ヘヒョ: 2022年に韓国で公開されたあと、いつ歌ってくれるのですかとよく言われました。
(ギターが目の前に運ばれます)
歌えますかと言われて、自分に歌える歌には何があるだろうと考えました。

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大いに照れながらギターを手にして、「上を向いて歩こう」を日本語で歌ってくださいました。
手拍子しながら聴く観客。
最後は口笛でメロディー

クォン・ヘヒョ:(ハハハ)一つ、問題があります。私が一番恥ずかしいのが、歌っている映像を撮られたのを自分で観ることなのです。歌手と私の違いは何だと思いますか? 歌手の方はしらふで歌いますが、私はお酒を飲まないと歌えません。しらふで歌った映像を観たとしたら、もう頭がいかれてしまいそうな気になります。もし撮られた方がいましたら、自分だけでご覧ください。外に流さないでください。

MC:ほんとうにスペシャルなことをありがとうございました。

クォン・ヘヒョ:カムサムニダ。俳優になって初めての経験です。皆さんが緊張されていたのが、少しほぐれたような気がします。

MC: お時間が迫ってきましたので、写真撮影の前に一言お願いします。

クォン・ヘヒョ:ホン・サンス監督の作品を通じて皆さんとお会いできて嬉しい気持ちでいます。一方、作品というのは、観終わった後は観た方のものだと思っていますので、このように観た後にお会いすると皆さんの思いを壊してしまうのではないかなと思っていました。私にとって今日のこの場は本当に嬉しい場になりました。6月28日から日本で公開されて日本の皆さんにご覧いただけることになりますが、これからも多くの関心を寄せていただけると嬉しいです。遅い時間までご一緒していただいてありがとうございました。皆さん、健康には十分気をつけてお過ごしください。


*フォトセッション*

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観客の皆さんにも撮影タイム
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最後には、ファンの女性の方から花束も。
大いに照れるクォン・ヘヒョ氏でした。

映画『WALK UP』主演クォン・ヘヒョ登壇トークイベント Facebookアルバム
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.993600336100885&type=3


WALK UP  原題:탑 
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監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽:ホン・サンス 
出演:クォン・ヘヒョ、イ・ヘヨン、ソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソ、シン・ソクホ

2022年/韓国/韓国語/97分/モノクロ/16:9/ステレオ 
字幕:根本理恵 
配給:ミモザフィルムズ
公式サイト:https://mimosafilms.com/hongsangsoo/
★2024年6月28日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺、Strangerほか全国ロードショー


*********
★取材を終えて
私がクォン・ヘヒョ氏を意識した最初の作品は、「冬のソナタ」より前、映画『ラスト・プレゼント』(オ・ギファン監督、2001年)でした。詐欺師の役で、コメディアンなのかなと思いました。その後、強烈に印象に残っているのは、ドラマ「私の名前はキム・サムスン」のキム・サムスンの姉といい仲になる総料理長役。その後、数々の作品で彼が出てくると思わず笑ってしまう存在でした。先日、再放送で観終えたばかりのドラマ「王になった男」では、政治を牛耳る悪代官的な役どころで、凄みがあって、いつもと違うクォン・ヘヒョ氏に驚きました。『WALK UP』では、いつものホン・サンス監督の作品通り、ひょうひょうと浮気者の監督を演じています。
今回のトークイベントは、笑いに満ちた楽しいものでした。根本さんが通訳している間には、会場のあちこちに愛想よく目線をおくっていらっしゃいました。終了後も、ロビーで皆さんに気さくに接していらして、思わず、私も握手。これからも楽しみな役者さんです。


報告:景山咲子

『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』のトークイベント付き特別試写会レポート

5月18日(土)(2024)よりポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールほか全国順次公開されるドキュメンタリー作品『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』のトークイベント付き特別試写会が、4月22日に東京四ツ谷にある駐日韓国文化院ハンマダンホールで行われました。この作品は、朝鮮半島をルーツに持つ薩摩焼の名跡・沈壽官家の420年以上にわたる歴史を背景に、日本と韓国における陶芸文化の発展と継承の道のりをひも解いたドキュメンタリーです。
フリーライター、ラジオパーソナリティなど多方面で活躍している武田砂鉄さんをゲストに、本作品、企画・プロデュースの李鳳宇(リ・ボンウ)さん、松倉大夏監督が出席しました。

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左から李鳳宇プロデューサー、松倉大夏監督、武田砂鉄さん 


*松倉大夏監督
2004年よりフリーランスの助監督としてTV・映画業界で活動。
『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』が初監督作

*李鳳宇プロデューサー
製作や配給作『月はどっちに出ている』『パッチギ!』『フラガール』『健さん』『セバスチャン・サルガド』『あの日のオルガン』『誰も知らない』など
配給作『風の丘を越えてー西便制』『シュリ』『JSA』『殺人の追憶』など

『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』
2023年/日本/日本語・韓国語/5.1ch/117分
作品紹介 公式HP
監督:松倉大夏
企画・プロデュース:李鳳宇
出演:十五代 沈壽官、十五代 坂倉新兵衛、十二代 渡仁、ほか
語り:小林薫
企画・製作・提供:スモモ
配給:マンシーズエンターテインメント
シネマジャーナルHP 作品紹介はこちら


★トークイベント

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*この作品を作ったきっかけ
武田砂鉄さん「配給会社さんから依頼があり、ポスターや作品紹介を読み、地味な映画かと思いましたが、観ていくうちに長い歴史とか、いろんな国や地域というものが重なり合い、なんで自分たちが今ここにいるのかとか、今ここにそのものがあるのか、蓋を開けてみればどんどん広くなっていったという感覚で、扉を開けたらそこにものすごく広い世界があった」と映画の感想を。

李プロデューサー「沈壽官さんとは20年くらい親交がありますが、この映画の話をしたのは4~5年前。沈さんは、最初はあまりやってほしくない感じでした。劇映画ばかり作ってきたけど、ちょうど高倉健さんのドキュメンタリー映画『健さん』を作った後だったので、『健さん』の次なんですよと言ったら、沈さんが「じゃあ俺もやろうかな」と言ってくれました」と、オファー時のエピソードを披露してくれました。

武田さん「司馬遼太郎の『トランス・ネーション』や『国家を超越していく』という言葉や考え方がこの映画の背骨になっていると思うが、企画の段階からそこに到達できそうな見込みはあったのでしょうか?」

李プロデューサー「僕は在日韓国人の2世で、『パッチギ!』とか『月はどっちに出ている』とか色々作ってきて、韓国、朝鮮との関わりみたいなことを考えたことは何度かあったけど、司馬さんの本に触れ、沈さんの物語を聞き、おそらくこの先100年とか200年とか経ったときに、在日韓国・朝鮮人という人たちはどうなっているのかの、そのひとつの答えのようなものが沈壽官家にあるんじゃないかと思う。そういった物語もなんとかいかしてほしいと監督にお願いしました」

松倉大夏監督「狭い尺度じゃなくて広い尺度で歴史を捉えないといけないと念頭に置いて、沈壽官家のドキュメンタリーを撮りたいと思いました」
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武田さん「司馬さんの言葉でもう一つ、強い日本人ということでなくて、強く日本人であるということばを大切にされていて、この言葉というのは個々に受け止め方は違うでしょうけど、ともすれば強い日本人というのは、いかに鍵括弧つきの日本を愛せるかとか、ほかの別のところから来る脅威から守れるかという、強い日本ということになっている。それは大きな間違いだと思うのですが、強く『日本人である』というのは、ともすれば今この日本がどういう国で、どういう場所であるかっていうことを、疑うとか、批判するとか、監視するっていう、その視点っていうのはすごく必要だなって思うんですよね。そのときにやはり監督がおっしゃったような、なんで今この歴史、ここにたどり着いているのかってことを考えたときに、先の戦争だけじゃなくて、もっと長いスパンでこう歴史をみていく、その視野を持つっていうのはすごく大事なことだなと改めて思った」と、この映画に対して印象を述べました。

ラストシーンについて

武田さん「エンドロールが終わったあとのあのシーンというのは印象的でしたね。あれは思い入れがあったのですか?」

松倉監督「あれはどうしても使いたいと思って編集していました。あの神社に行った時、蝶が飛んでいるのをみて、沈さんの親への気持ちというものを表現するのにどうしても使いたいなと思っていたのですが、流れの中には入らなくて。なので、一番最後に入れるのがいいのではないかと話し合い、そういう結論に達しました」
「鹿児島での先行上映の時にもお客さまからさまざまな箇所に言及してもらいました。いろいろな感想を持てる映画になったと思うので、SNSでも感想をあげて、ぜひ広めていただきたい」と呼びかけ、イベントは終了。

*トランス・ネーション 司馬遼太郎の造語
「いまの日本人に必要なのは、トランス・ネーションということです。韓国・中国人の心がわかる。同時に強く日本人である、ということです。」「真の愛国は、トランス・ネーションの中にうまれます」
トランス・ネーションとは、司馬の造語。トランスは変圧器。異なる電圧を変換して、生活に役立てるのがトランス。双方を繋ぐ役。司馬さんは橋渡し役をというような意味で言ったのでしょうか。

『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』は東京のポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールほか全国で順次ロードショー。

文:宮崎暁美 撮影:景山咲子

Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル 『ロンリー・エイティーン』アフタートーク

2023年11月27日(月)那覇文化芸術劇場なはーと小スタジオにて

登壇者左より
トレイシー・チョイ監督、アイリーン・ワン、ワンダー・オン(映画祭プログラマー)

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昨年2023年11月に開催された第1回Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバルのコンペティション参加9作品中、唯一の女性監督作品だったのがマカオ・香港合作になるトレイシー・チョイ監督の『ロンリー・エイティーン』です。
『ロンリー・エイティーン』のヒロインは、国民党兵の落人村として知られる香港・調景嶺で育ち、親友とともに貧しさから逃れるように香港芸能界に身を投じます。作中では、芸能界で遭遇する性搾取、ヒロインと国民党軍の士官であった父との確執などが描かれます。
本作は、ベテラン女優であるアイリーン・ワン(温碧霞)がプロデューサーを務め、彼女の実体験が反映された部分もあるとのこと。
Cinema at Seaにはチョイ監督のほかアイリーン・ワンPDも来場し、上映後のアフタートークに登壇。この記事では、11月27日に行われたアフタートークを紹介します。なお、後日トレイシー・チョイ監督の単独インタビューも行いましたので、インタビュー記事もあわせてお読みください。

*登壇者プロフィール*
トレイシー・チョイ(徐欣羨)監督
マカオ出身。台湾の世新大学と香港演芸学院で映画を学ぶ。処女長編『姉妹関係』(2016)は2017年の大阪アジアン映画祭コンペティション部門で上映されており、マカオ国際映画祭(澳門国際影展、略称IFFAM)のコンペティション部門でマカオ観客賞を受賞したほか、香港電影金像奬にもノミネートされた。『ロンリー・エイティーン』では2022年のマカオ国際ムービー・フェスティバル(澳門国際電影節、略称MIMF)で最優秀新鋭監督賞を受賞している。

アイリーン・ワン(温碧霞)プロデューサー・出演
1966年香港生まれ。1982年に映画「靚妹仔」(英語タイトル・Lonely Fifteen)でデビュー。日本で公開された出演作にはレスリー・チャン主演の『ルージュ』(1987年、スタンリー・クワン監督)のほか『蒼き狼たち』(1991年、エリック・ツァン監督)などがある。『ロンリー・エイティーン』では、プロデューサーのほかヒロインの中年期の役で出演もしている。

『ロンリー・エイティーン』
中国語原題:我們的十八歳 英語タイトル:Lonely Eighteen
2022年/マカオ・香港


―最初にトレイシー・チョイ監督におうかがいします。どういった経緯でアイリーン・ワンさんとタイアップした『ロンリー・エイティーン』が世に出たのでしょうか。

監督:この作品は、私がお声がけいただいた側です。ある日、アイリーンさんがマカオに来てお会いすることになり、前作『姉妹関係』同様シスターフッドのテーマの作品だからどうかということになり、縁が繋がりました。

―アイリーンさんはなぜ若手の監督と一緒にご自身の人生の一部を基にしたこの作品を作ろうと思ったのでしょうか。

アイリーン:企画をあたためていた段階で、この作品は少女が女性になっていく過程、そして少女の友情といったことをテーマにしていたので、トレイシー・チョイ監督の最初の映画『姉妹関係』を思い出しました。人と人との関係性、適当な距離をしっかりと作り上げているこの方なら任せられると思ったところ、たまたま共通の友人がいて、その友人の仲介の下でトレイシー・チョイ監督と繋がることができて一緒に作ろうということになった、そういった一連の流れがありました。

―アイリーンさんが自分の人生の一部を盛り込もうとしたのはなぜですか? 実話を作品にするうえで何か配慮が必要だったのか、心理的な抵抗などはあったのでしょうか? これらのことについて、チョイ監督にも補足していただけたらと思います。

アイリーン:この作品を作ろうと思ったきっかけは、自分と親との関係、特に父親との関係がすごく大きかったですね。人にはそれぞれ親がいて、それぞれ家庭の事情による関係性があると思います。私と私の父はジェネレーションギャップを埋めることのできない関係でした。互いの考えを理解することができず、父と私はよく衝突をして喧嘩しました。そして、わかり合えないまま父はこの世を去ってしまった。父が去って私は思ったのです、ギャップはあまり重要ではなかったかもしれない、そこまでわかり合おうとする必要もなかったかもしれない、と。この作品には、まだ相手が健在であれば家族との絆、コミュニケーションをぜひ大切にしてほしい、大切にするべきだという思いを込めています。

監督:アイリーンさんがおっしゃったように親子関係というのはもちろん核となる部分ですし、私も心を動かされた部分です。親子関係の部分はすごく丁寧に描いたつもりです。
じつは、撮影に備えて背景である80年代についての資料を集めているなかで、特に私が描きたいと思ったのは香港の映画産業がいちばん盛り上がっていたこの時代、女優がその産業のなかでどういった労働環境にあったのかということです。アイリーンさんが若かりし頃、何を見て何を経験したかということをもう一度この映画を介して語り直すことができ来ないだろうかということも、この映画のもうひとつの重要なことじゃないかなと思います。

―アイリーンさんの人生を反映していることに関して、どの部分が実体験で、どの部分がフィクションなのか、もしここでお話できることがあればうかがえますか?

監督:アイリーンさんの過去の出演作は観ていて、特にレスリー・チャンと共演した『ルージュ』ですね。『ロンリー・エイティーン』は一人の女性が実際に経験したという目線になっているのですけど、多くの人に共感していただきたいということがありました。作品として構成していくうえで、皆が経験したその時代を描きたかったのです。特にエンタメ業界における搾取の側面においては、彼女自身の経験を伝えるというだけの見え方にはしたくありませんでした。今なお、もしかしたら他の女性も経験しているかもしれないようなことも盛り込んで、皆がこのことについて一緒に考えられるように構成しています。

―監督はマカオ生まれのマカオ育ちマカオ在住ですが、マカオの映画産業はどうなのでしょうか。香港での撮影はどういう感じで進めていったのでしょうか。

監督:マカオは、たとえば香港や中国の制作陣が映画に撮る場所。マカオの人からすると、いつも他人によって描かれる場所なのです。はっきり言うと、マカオに映画産業はありません。私の映画製作の勉強は台湾、そして香港でした。そこで勉強して地元に戻ったけれど、映画産業がないので先輩になる人がマカオにはいないのです。一緒に仕事をする人たちは香港や台湾、中国の人です。私は、撮られてきた側として、自分の手で自分の作品としてマカオの物語を撮っていきたいという思いを強く持っています。香港とは広東語で通じ合うことができるので、アイリーンさんも含め香港のたくさんの先輩が同じ広東語話者同士、たくさんのチャンスをくれます。香港の人はマカオも仲間だと思ってくれていて、すごく心強いですね。

―アイリーンさんに最後の質問です。アイリーンさんはものすごくキャリアがあります。これから才能のある後進にどうお力を貸していこうと考えているのか。今後についてどう考えているのか教えていただきたいです。

アイリーン:長年香港の映画業界に携わってきて感じるのは、マーケットがどんどん縮小されてきているということです。描きたいテーマがあっても中国の制限がかかることがあります。なので、自由に自分たちの作品を作ることができない。しかし、私たちは香港の自分たちの作品を作っていきたいと強く思っています。だからこそ、新しい、才能のあるチョイ監督のような人材をどんどん引っ張っていく必要があると考えます。技術スタッフなど舞台裏の優秀な人材も欠かせません。こういった若い人たちは本当に才能があり、可能性を秘めています。ですが、香港のマーケットが小さいために発表の機会に恵まれていないと感じるのです。だからこそ、微力ながらも、もし自分の関わるなかで彼らと一緒に何か新しいことができるのであれば、ぜひ今後もご一緒したいと心から思います。

―最後にひとことずつ〆の言葉を。

アイリーン:この(主人公の)物語ではなくて自分自身の成長過程や幼少期の記憶と重ねていただけたらなと思います。どんな大人にも幼少期というのが必ずあります。それはとても大切で貴重な経験です。その経験を思い出すきっかけになる映画だと嬉しいです。

監督:『ロンリー・エイティーン』は、この沖縄の映画祭が非中華圏で観ていただくのは初めてになります。皆さんがどんな感想を抱くのかとても楽しみにして来ました。少しでも楽しんでいただければ嬉しく思います。

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左よりトレイシー・チョイ監督、アイリーン・ワン、ワンダー・オン(映画祭プログラマー)


(写真・取材:台湾影視研究所・稲見公仁子)


シネマジャーナルHP 映画祭レポート
第一回Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル授賞式
http://cineja3filmfestival.seesaa.net/article/501913274.html